023:四つの言葉と五つの空欄
日給一万七千円。そう聞いたら誰だってなびくだろ? 俺はパンピー(一般人)だって認識してるし、だから当然応募した。
バイトの内容は本当のこと言えば、よくわからなかった。一応事務作業と実験手伝いにはなっていた。応募したときも説明を受けたけど、どうも理解できなかった。受かってみたらわかるだろ。死体洗いとか新薬開発の被検体とかやばそうな仕事じゃないのだけは確かめたし、時間だけが余ってるような大学生が手っ取り早く稼ぐには良いバイトだと思ったんだ。
周りもみんな同じような連中だった。金に困ってるフリーターか、時間だけは余ってる大学生か。男女問わずってあったから、少ないけど女の姿もちらほらみえた。お互い様だろうが、脱色した髪にラフな格好。遊び人風が多い。
応募要項に『試験有り』ってのはみた。一応、パンキョー(一般教養)本はぱらぱらめくりながら来た。面接は当たり前だよな。ペーパーは珍しいけど、これはもっと……普通じゃねえ。
四つの選択肢と、五つの空欄。一つ、選択肢が足りない。しかもなんなんだ、この問題は?
『四大元素論と五行を対応させたときに、五行特有の性質は■である』
『風水においてはエネルギーの流れのことを■という』
『アボリジニの時間の概念に■があり、老年になるほど完成されるといわれる』
『エイズ、エボラ出血熱などの流行は、人間が■の生活圏に足を踏み入れたことによると言われる』
『天使とは■である』
んで、選択肢は、これ。『夢見/龍脈/金/宿主』
なんだろ、俺やばいとこ受けちゃったかな。
消去法で行けば答は何となくわかるけど、それでいくと最後の一つの答がわからない。わからないけど、何となく、わからない方が良いような。
どうしたもんかと顔を上げた。時間はまだある。目だけで周りをざっと見ると、周りもみんな悩んでいる風なのが何となく感じられた。
どうしようか。もう一度悩んだあげく、宗教家に見つかったらはり倒されて説教されて洗脳されてしまいそうな答を入れてみた。『有翼人』と。
「どうしてこの答を?」
面接相手は普通のスーツを普通に着込んだサラリーマン風の男だった。面接専門って感じがした。なんとなくだけど、この人があんな問題考えつくとは思えない。
「だって、人に羽根が生えてんのが天使っすよね。俺クリスチャンじゃないんで、神様とかよくわからないし」
「なるほど。じゃぁ、他の問題はすぐにわかりました?」
「えっと、消去法で」
「なるほど。……はい。それでは結構です。あちらでお待ち下さい」
面接官は二、三書類に書き付けただけで、入ってきたのとは別の扉を示した。質問はこれだけ。いいのか、それで?
「なにか?」
不審が顔に出てたろうか。神経質そうにメガネをつついて俺を見返してきた。
「あの、これだけですか?」
「必要なことは書類に書いてありますから。それとも、なにかご質問でも」
逆に聞き返されて応えに困った。質問を用意していたわけじゃない。疑問は幾らでもあったけど。少しだけ面接官と目があったまま考えて、一つだけ質問にして口に出した。
「これって、どんな仕事なんですか? 事務と実験手伝いって」
「それには、直接聞いてもらう方が良いでしょう」
男は耳元に手を当てて何かを聞き取る風に少し黙ると唐突に続けた。「合格だそうですよ」
驚いてる間もなく奥の扉へと追い出された。扉の向こうは窓のない無機的な廊下になっていて、突き当たりに一つだけ扉があった。来た道か、この先か。選択肢は二つに一つ。来た道を戻れば、次の人の面接が始まっているだろう。けれど、この先に進んでもいいものか。
まだ、後悔は間に合うだろうか? いやしかし、一万七千円ってのは、つまりやっぱりそういうこと?
ごくりとつばを飲み込んで、『先へ進む』の選択肢を選んだ。
ノックして、待つ。とりあえずその動作を実行して、次のことはその時に考える。
頭で整理して、木製の扉をノックした。
「どうぞー」
間髪入れずに返ってきた。厳ついオヤジの声か、さもなくば怪しげな占い師みたいな女性の声くらいを想像してた。声はかなり若かった。多分女の子の声だ。さもなくば、声変わり前のガキの声か?
「どうぞってばー!」
ノブに手をかけたまま固まってた俺は、その声でようやくノブを回した。ココまで来たんだから、ご本人とやらを見といても損はないだろう。仕事だって、嫌なら行かなきゃ良いんだし。うん。
「失礼しまーす」
「朝永雅史さんですねー? おめでとうございまーす。合格でっす」
声の通りの少女だった。黒と白のひらひらフリルのエプロンドレスを着込んで、一人用ソファに置いてかれた人形のように座っていた。
「書類の写真見て、きっとかっこいいだろうなぁと思ったんだぁ。ペーパーテストも満点だしっ」
「君が、ボス?」
これが、雇い主? 日給一万七千円の? 俺より絶対に年齢は低いだろう。義務教育が終わったくらいか?
「うん? そうねぇ。ボスって言えばボスなのかな。書類上はパパが責任者なんだけど、アタシのためのバイトさん探しだから」
少女はにこにこと楽しそうに笑っていた。
「じゃ、バイトの内容ってどんなこと? 俺まだ受けるかどうか決めてないんだけど」
「書いてあったでしょ。実験のお手伝いをしてもらうの。悪い話じゃないと思うわ。週休二日だし、一日の拘束時間もそんなに長くないはずだから。彼女さんと遊んだり、学校だって普通に行っても良いわ。悪い話じゃないと思うけど。……実験の内容は受けてくれるまでまだヒミツ」
器用にウインクなんかしてる。
これだけの情報しかないなら、取るべき選択肢は自明ってやつだ。
「本当はね、男のひとだけにしたかったの。ママはアタシがやればいいんだし」
女性はみんな落としちゃったと軽やかに笑った。
少女は今日は似たようなデザインの、でも少し違うフリルのスカートをはき、髪を覆うようなやっぱりぴらぴらの黒と白の帽子をかぶっていた。袖のフリルが汚れないように気をつけながらハンコを押し、書類を俺に突き返す。
「契約完了。これで雅史さんはアタシのパートナーね」
俺はもう後悔していた。今度の後悔は間に合いそうもなかった。
俺は基本的に自由だった。恋愛も自由。大学で授業を受けるのはむしろ奨励。大学卒業後は普通に就職したって良いし、院に進んだって良いと言われた。日給は嘘じゃないし、拘束時間もそう多くない。けれど。俺の籍は来年には少女の籍と同じものになる、そうだ。
「だって、天使って言っても生むのはアタシなのよ? パパがいないとかわいそうじゃない」
ようやく一通りの説明は受けた。俺の理解を遙かに超えそうだったが、かろうじて把握は出来た。
俺と少女の細胞をベースに、キメラを作るという話らしい。人と鳥のキメラ。まさしく有翼人ってやつだ。巧く成長すれば、語られる通りの『天使』になるはずだった。
「由香ちゃん……」
少女は由香というのだと言うことも、ようやく俺は知らされた。書類上の妻になるはずの少女は、けれど幼すぎて……妹と考えてもまだ余る感じだった。
「なあに?」
「後悔しないの? 書類と面接で決めたような男と結婚するなんて」
「どうして?」
理解できないと、彼女はきょとんと見返した。
溜息をついて俺はぼんやり考えた。……最後の問いに対して、俺はどんな答を出せばいいのだろう。
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