022:お菓子と死体

 ひどく騒々しい音に、使用人と共に駆けつけた。鍵のない重厚な扉は何にさえぎられることもなくギイと音を立てて開いた。何に隠されることもなくなったルーシーの部屋の三倍はあろうかという兄の広い部屋は、いまやガラクタの山かと見まごう有様と化していた。ガラクタの山の中心では見事な体格に恵まれたルーシーの兄が、今しもシーツを引き裂こうとしているところだった。

「ジャック様!」

「ジャック様、おやめ下さいっ」

 ジャックは使用人の言葉など全く耳に入らないかのように一息にシーツを引き裂くと、天蓋の柱に手をかける。鍛錬を欠かさない見た目相応の力で、わずかに抵抗した柱も結局役目を果たさなくなってしまった。

 ジャックは手ごたえのなくなった棒切れを壁にたたきつけると、頭をかきむしりのた打ち回る。口からは泡を滴らせて。

「だれか、ドクターを!」

「ドクターは旦那様とお出かけに!」

「兄様…」

 ルーシーは扉の横で、兄の姿を呆然と見ていた。兄を止めることなど、小柄な少女でしかないルーシーに出来るはずもなく、かといって、誰かを呼びに行くなど思いつきもしないように、ただ衝撃のままに立ち尽くしているかのようだった。

 漏れでた言葉は、運悪くジャックに届いてしまった。頭をかきむしり鬼人のごとき形相となったジャックの目が、それでも妹の姿を正確に捉えた。重心をもてあまし、ふらつき、たおれ、起き上がりながらも、形相を崩さぬままに妹を目指す。

「……何を、した」

「きゃぁ! ルーシー様っ!」

 ようやく絞り出した声を聞いたのは、ルーシーただ一人だった。使用人の一人がジャックからルーシーを守ろうと手を引き、扉を離れるその刹那だった。

 すいと、ルーシーと入れ替わり、ようやくたどり着いた男の使用人が、逃すまいと出された手をとり押さえ込む。暴れだすかと数人係で押さえ込んだそのときに、ジャックはごぶりと血をはいて、そして動かなくなった。

 さよなら、にいさん。

 ルーシーの口が音を立てずにつむいだ言葉に気づいたものは誰一人としていなかった。


 ルーシーとジャックの父が医務を担当する使用人と共に館へ戻ってきたのは、警察の検分がだいぶ進んだ頃だった。ジャックの死体はそのまま警察に運ばれ、解剖されることとなった。

 父は、普段ならば目を腫らしていようと、足を引きずっていようと、テストで満点を取ろうとも見向きもしないルーシーをそっと抱き寄せ、ぽろりと一粒涙をながした。

 ルーシーはされるがままに父の真っ白いシャツに顔をうずめ、かたかたと震えてみせた。


 死因の特定は、難航しているようだった。

 死体が戻らず葬式も満足に挙げられないまま、ジャックのいない生活が当たり前のようになってきていた。父はまださびしそうな顔をするものの、ジャックの代わりに後継者としてルーシーを育て上げなくてはならず、また、思いのほかルーシーの物覚えがよいために、寂しさより喜ばしさや誇らしさが上回るほどになっていた。

 ルーシーは兄に遠慮しているさまを見せながらも、半月も経過するころには、どこか余裕さえ感じられるほどに、『後継者』としての振る舞いに慣れてきてた。


「ご子息の薬と、菓子の成分が反応を起こしたようですな」

「この薬品と、この成分が酸性状態で結合しますと、強毒性の物質に変化します。簡単に言えば、胃で毒物を作り出してしまったということになります」

 警察の説明は簡潔だった。二つの原因は調べるまでもなく明白であり、争うこともなく不幸な事故ということで落ち着いた。

二つの原因の一つはジャックが愛用していたサプリメントであり、もう一つはルーシーがようやく取り寄せた流行の菓子だった。ジャックの部屋にあるはずのないの菓子が落ちていたのも、事故であることを裏付けた。使用人の誰もが新しいモノは誰のモノであれ、横取りするのが常だったと証言したからだった。

 ドクターがいたならばと誰もが嘆き、しかし日常は容赦なく流れていった。重要なのは、いなくなったモノではない。

 三月も経過するとルーシーは誰もが認める後継者としてその地位を確立していった。


「お嬢様、これは全て捨ててしまって良いのですね?」

「えぇ。もう全て読んでしまって、要らないの。大変だけど、よろしくね」

 そう言い置いて、ルーシーは大学へと出かけていった。

 最も若い使用人の一人であるカンナは、ルーシーの言い付け通りその中身に大して興味も持たずに、廃棄業者へ引き渡した。

 本棚一つ分にも及ぶ、医学書の全てを。

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