021:開かずの部屋

 困るんだ。どうしても。会えないじゃない、会わなきゃいけない。

「クロードさん、クロードさん!!」

 だんだん。僕はドアを叩いた。汚れているドアだった。

「あんた、さっきからうるさいわよ」

 隣のドアからうろん気な女の人が顔を出した。頭にタオルを巻いたまま、じろじろ僕を品定めするように見る。まじまじと見返してギロリと睨まれ、慌てて目をそらした。

 なんだと思われているんだろう。借金の取り立てかなにか? Tシャツにジーパン。よれたウエストポーチ。……そうは見えないと思うけど。

「すみません。クロードさんご在宅かわかりますか?」

「そのドア、あかないと思うよ。もう何年も見たことない」

 女の人は言うだけ行ってすぐにドアを閉めてしまった。

 廊下を照らす、唯一の灯りが点滅する。弱々しいけど貴重な光を投げかけている蛍光灯が、必至で耐えているようだった。そんな蛍光灯に目をやりながら、女の人の言葉を僕は必至で考えていた。

 ――あかないドア。そんな、ばかな。けど、僕はここに来たわけで。そもそも、来なければならなかったわけで。

 手元のメモを見返した。住所はここ。部屋番号も、ここ。間違ってない。じゃぁ、中の人間は?

 昼間役所で確認した。間違いなく住所はここになっている。住所変更届けも受け取っていないはずだ。銀行もここだと言った。不在な、だけだ。きっとそうだ。

 僕は一歩ドアから引いた。まじまじとドアを見る。まだらの埃は、吹き込んだ嵐が描いた模様。うっすら残る糸のあとは、クモが通ったものだろうか。ドアスコープの端から始まり、真ん中を斜めに横切り、ちょうつがいまで続いていた。背筋に冷たいものが走った。ドアが開けば、必ず動くちょうつがい。そこに張った、クモの糸。

 いいや、不在に違いない。そんなことが有るわけない! 思いながら、無意識ににおいを嗅いだ。――冷たい冬の空気が鼻を刺した。

「そ、そうだ、メモを残していこう!」

 自分に言い聞かせるために、声に出して言った。


 今日はいるだろうか。

 目的の部屋のポストを見る。何枚かまだ取られていないビラがささっていた。マンション販売のものだろうか。ターゲットはちゃんとこのアパートに暮らしている。それは確認できた。

 目的の部屋の例のドアは、前回のままだった。

「クロードさん!」

 呼んで叩いて反応を待った。反対側の手すりにもたれてしばらく待つ。

 こつん、かつん。

 はっとして僕は顔を上げた。階段から男の人が一人上がってきたところだった。この人は、もしや? じっと伺うように見る僕を、怪訝な顔で見返してくる。

 長いトレンチコート。首にはマフラー。メガネをかけて、さっぱりした頭髪。まっとうな勤め人に見える。勤め人なら、多少帰りが遅くても当たり前か?

 男の人は、怪訝な顔のまま俺の前までさしかかり、そのまま通り過ぎてしまった。隣のドアまでたどり着き、カバンから鍵を取り出した。

 なんだ、隣の住人だったか。

 僕は視線を戻してしばらく待った。結局誰も出てこなかった。

 諦めて階段を下りたその先の、あの部屋のポストは……空だった。


 三回目の訪問。そろそろまずい。僕にも生活というものがある。

 前回より一時間遅らせてみた。これでいないと打つ手がない。

 階段の下にたどり着く。並んだポストの半分くらいにマンション広告が入っていた。この間見たものと同じに見える。例の部屋のポストには、手紙どころか広告もなかった。いる。僕は確信する。

 勇む足を押さえつつ、とんとん階段を上がる。二階について、二つ目のドア。

 大丈夫。きっとこっち側にいないだけだ。このアパートは手前が台所で、奥に部屋がある作りのはずだった。部屋に入り、灯りを落として作業するなら、ここから灯りが見てなくても問題ない。

 ドアの脇の窓には今日も灯りはなく、クモの巣に変化はなかった。僕は一つ深呼吸して、ドアを叩いた。

「はーい」

 ! いた! 確かに聞こえたその声に、僕の心臓が跳ね上がる。口を開けた。クロードさん、声に出そうとして、ぱくぱくと動くだけだった。

 慌てるな。居たんだ。あとは用をすますだけ。ほら落ち着かなきゃ。深呼吸。一回。二回。もう大丈夫。

「どちらさまー?」

 声がする。焦るな。落ち着け。自分に自分で言い聞かす。

「クロードさん、受信料の支払いをおねがいします!」

 言った! 言えた! ようやく言えたその一言にほっとする一方で、僕は自分を引き締める。これからだ。最大の問題は、これからなんだ。

 きっとまず、ドアが開く。チェーンをかけたままかもしれない。首だけにょっきりだすかも知れない。いきなり全開はないだろう。それとも、あけてもくれないだろうか?

「受信料? あれ? 引き落としは?」

 ぱっとついた灯りに、僕は目を細めた。今にも消えそうな蛍光灯で慣れた目には、それはとてもまぶしかった。

「引き落としに制限がかかっていまして……」

 窓から目をそらして、ドアノブを注視する。さぁ動け、今動け。動かなくても反応してくれ!

「あぁ、そうか。ちょっと手違いがあったんだった」

 やた。理解が早い! 駄目な人はだめなんだ。そんなはずないとか言っちゃって。クロードさん、きっといい人だ!

 僕はドアの前でじっと待った。クモの巣なんて、気にならなかった。

 かちゃり。聞こえたのは、となりの、ドア。

「そのドア、締め切ってるんだ。……で、NHKでしょ? 払いたくないんだけど」

 前回目の前を通っていった紳士が、悪魔の笑みで僕を、見た。

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