020:人形館

 うら寂しい人里の隅に、港に立ち並ぶ倉庫の一角に、東京砂漠のど真ん中、ビルとビルの隙間に、その人形館は有るという。

「蝋人形?」

 思わず声に出しながらキーボードを叩く。見えない隣人はNOと返す。

 ――違うよ。もっと精巧なの。オリジナルと見分けなんてつかない。

 ――探せるかな?

 ――探してみれば?

 そして私は旅に出た。


 ネットの中で語られる、それはまるで都市伝説。私を殺してしまう方法。世間から私を消す手段。

 必要なのは身代わりと、生き残る『私』のための新しい横顔。そして、ほんの少し背を押す手。


 噂を便りに電車に飛び乗り、又聞きの地図を辿って空き家に行き着く。

 不確定な情報で船に乗っては、がらんとした倉庫で迷子になり。

 北の方が本当かしら。南の方がありそうかしら。一体何処にあるのだろう? 消えゆく私を扱っているたった一カ所の人形館。

「聞いたこともないわねぇ。気落ちしてないで、何か飲む?」

「おやそれは、ずいぶん遠くから来たんだねぇ。でもそんなものはここにはないよ」

「もうバスもおわっちまって、今日は何処に泊まるんだい?」

「この辺夜はよくないよ。始発まで付き合おうか?」

「そんな胡散臭い話に付き合うの? やめとけよ」

 それでも私は探したいの。私は私が大嫌い。実家の片隅で小さくなって、誰と親しくなることもなく学校を卒業して、居ても居なくてもかわらない会社の隅っこで、私を見ない人の前で、息をするのがもう、つらくて。

 背伸びしてるみたいなかかとのとても高い靴。着てて当たり前みたいな、きゅっと絞ったおしゃれなスーツ。素肌なんて覆い隠した厚い化粧。ぼろぼろになるまで毎朝苦労してセットした色を抜いた髪。すべてを捨てた私は、きっとみんなが思うよりずっと小さくてみすぼらしい。

「なんで探すの? おねーさんまだまだ若くて綺麗じゃない」

 そう言ってあたしよりずっとずっと綺麗なのどに少し出っ張りのあるお姉さんにもらったカクテルは、ほんのり甘くて苦かった。


「知ってるわよ。でも、そう簡単には教えられない」

 何カ所目になるだろう。一両しかないローカル電車で次の場所へ向かう途中のちょっとした世間話で。

「え、どこに、どこに有るんですか?」

 正直、あたしもだいぶ疲れてた。もう何ヶ月家に帰っていないかしら。ほんの少しの着替えと、最小限の洗面用品。小さな鞄に詰めて歩き回って。

「簡単にはいえないって言ってるでしょ」

 ちょっとだけ年かさの女性だった。子供が居る感じじゃなくて、でも、すっかり地色の出てしまっている髪が気楽でいい。ちょっときつく見える目元にも飾り気はなくて、だから、つんけんどんに言われても、怖い感じは全くない。

 素朴だけどすてきな人。

「どうすればいいんですか?」

「そうね、理由と、どうやってここまで来たか話てくれるかしら。どうせまだかかるんだし」

 ローカル電車はかたんことんとマイペースに線路を行く。窓の外に流れる『何もない』景色を少し眺めて、あたしはぽつりぽつりと語りだす。

 ネットでうわさを聞いたこと。会社を辞めたこと。恋人とも別れたこと。山里でおばあさんに助けてもらったこと。都会のど真ん中で、家出少女らしい女の子と夜を明かしたこと。時にはホームレスのおじさんとおしゃべりしたり、警察官に尋問されかかって、遊んでる風の男の子と手を取り合って逃げたこと。路上ライブに聞き入って、そのままその子たちと飲みに行ったこと。新しい噂を聞く度にその時いた街を飛び出したこと。

「次で下りようか」

 言葉は足りなかったと思う。それでも旅のあらましをどうにか言い終えようとしているときだった。

「次って」

「うん、無人駅よ。大丈夫、車を止めてあるの」

 何もない場所に静かに停車した電車を降りて、土盛りしかないホームを踏む。迷わず歩く女性の背を目指して、私も迷わず歩き出す。

 無造作に道ばたに止められていた紺のカローラに乗り込む。何もないまっすぐな道を走り始める。

「それでもまだ、人形がほしい?」

 しばらくお互いに無言で、ぽつりぽつりと建つ家を何件か過ぎた後だった。

 一瞬何を聞かれた把握できずに、次の家が近づき去っていってから、ようやく口を開いた。

「そのために来たの」

「そう」

 車の中はまだ静かになった。女性がつけたFMラジオからは独り言のようなDJの声が流れ続けていた。

 またいくつかの家を通り過ぎ、小さな門を曲がった。曲がった先の道は小高い丘へと続いていて、その先は森になっていた。

 白樺の森。都会に生まれ育った私でも分かる、白い木。幹の白い木が整然と並ぶ、ただそれだけでおとぎ話のような気がしてしまう。おとぎ話の森の中のその館は、けれど現実のものだった。

 コンクリート打ちっ放しの外観。ビルのように四角く、すらりとのびた三階建て。窓が少なく、無機的で人を寄せ付けないような雰囲気。表札のない、2階部分についた扉。

「さ、ついたわ」

 女性に促されるまま、扉の前に立った。


「サナが連れてくる人って、つまんない」

「あ、あの……」

「あなた、とりあえず鏡見てきなさいな」

「はい?」

「いいから」

 ぷくっと頬を膨らませた抜けるような白肌の少女を無視して、女性は私を洗面所へと押し込んだ。そんなにひどい顔かしら。それともどこか汚れてる?

 首元でくくっただけの髪はもう毛先もばらばら。UV対策もしてない肌はちょっと荒れてかなり焼けてしまってる。以前は月に一度は美容室へ通って、海へ行くにも気にしてた。

 鏡の中のあたしは洒落っけなんて何処にもない、今朝見たとおりのあたしだった。

「写真は持ってきてる?」

「え、えぇ」

「じゃぁ、みせて」

 少女はまだ頬を膨らませたまま白い顔を抱いていた。彼女が人形師なのだろう。手は絵筆を持ち、雑に見える手つきで繊細な線を描いている。

 私はかなり苦労して一枚の写真を取りだした。小さな荷物のそれでも取り出すのに苦労する一番下に入り込んでいた。

「これ? これって、誰?」

 渡すなり女性は言った。誰と言われても、間違いなくOL時代の私の写真だ。確か先輩の送別会で。この次の飲み会は、私自身の送別会だったっけ。

「自分で見てみればいいわ。……それでもまだ、人形が欲しい?」

 不意に涙が出てきた。たった数ヶ月でそには知らない人がいた。


「死ぬ気になれば何でもできるって事でしょう?」

「だからいつまでたっても、この子達の出番がないのよう!」

 少女のお手製というカレーを頂きながら、複雑な思いでいた。

「人形は死んだあなたの代わりにはなってくれるけど、生きてるあなたのその後は変わってはくれないのよ」

「ミカ、そんなことしらないもん」

 ひとしきり泣いて落ち着く頃にはすっかり遅くなってしまい、今日は人形館に泊めてもらうことになっていた。明日は駅まで送ってもらい、そのまま東京に帰ることになっていた。まだアパートが残ってる。荷物もおいたままだ。それらを全部整理して、東京を離れようと決めていた。

 数ヶ月前の、仮面のあたしをすべて捨てて。

「ミカはこの子達がかわいそうなだけだもん。いつまでたっても出番がなくて」

「ない方がいいと思うよね?」

 振られてあたしはまた曖昧に笑った。

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