019:鞘のない剣

『総員、船外退避――!』

 スピーカーががなり立てると、足元がふわりと浮いた。重力装置が切られたのだ。俺は手近な手すりをおもいきり蹴った。反動で身体が前方へと飛んでいく。慌てるようなことではない。

 とはいえ、急がなければ。頭に叩きこんだ地図を思い出しブリッジへ急ぐ。重力の次に来るのは与圧と相場が決まっている。俺が着ている簡易宇宙服では保って三十分だ。その前に制御を押さえておく必要がある。

 がたんと音が響いてレーザーガンを構えた。宇宙服を見るなり照射する。高出力、赤外線レーザーの前では、並の宇宙服など一瞬で穴が空く。その中に収まった人体などあっという間に黒焦げる。

 香ばしさと炭化した苦そうな臭いを嗅いだかどうか。熱線が頬を掠めた。改めて急所を狙う。……やはり頭か。

 悪あがきの熱線が消え漂いだした中味入りの宇宙服を蹴って、さらに奥へと進む。

 一人の作戦は気が楽だ。会うもの皆すなわち敵だ。味方かどうかの照合をする必要はない。もちろん、一人では取りこぼしも出るが、それを確実に始末するのが味方の仕事だ。

 ロックされた扉の前に辿り着く。ふわりと船内に風が生まれて、手近な手すりを掴んだ。まずいなと頭の片隅で考える。意識の大半をロックの解除に向けながら。――減圧が始まった。

 スパイから知らされた番号を叩き込む。一度目はNG。二度目もNG。三度目も駄目でブロックがかかる。仕方がないと壁まで下がり、扉に向けてレーザーを照射した。

 周囲の音がだんだんと遠くなる。 

 味方にも船の状況は見えているだろう。中味のつまった宇宙服を始めとするさまざまな物体が噴射されていることだろう。俺が制御を取れていないことも把握出来ているはずだ。……それでも、助けは来ない。あり得ない。

 俺は、俺自身の力量のみで、生きて戻らなければならない。

 真っ赤になった扉を靴底で思いきり蹴った。潜り抜けようとして風に阻まれた。収まるのを待って、壁を蹴って侵入を果たす。

 圧力操作はどこだと視界を巡らせる。……音も消えつつある中で、それはカンのようなものだった。

 掴めるものがない。姿勢を変えられない。かろうじて腕で飛来した何かを掴んだ。勢いを殺せず椅子にぶつかる。なんだと顔を上げれば……女だった。

 いや、女だという気がした。ヘルメットのバイザーは宇宙線を跳ね返す加工がされており、奥の顔などうかがい知れない。だぼついた汎用型宇宙服では凹凸などわからない。臭いも音も、もう絶えた。

 なぜ女だと思ったのか。疑問を突き詰める暇はなかった。

 掴んだそれは棒きれだった。先端に扇状に細かな棒をくっつけたそれで無造作に薙ぐ。ブリッジ内に居たの唯一の宇宙服は、それだけで反対側へ飛んでいった。

 今の内にと計器に取り付く。汎用宇宙船の計器ならどんなメーカーも似たり寄ったりの構造をしているはずで、程なく俺は与圧操作レバーを発見した。

 船体が震える。送風口に風が生まれ、音が戻ってくる。

 ヘルメットの中で思わず息を吐き、味方へ向けて制圧完了のシグナルを送った。

「やぁ!」

 ……不意打ちならばともかくも、声まで出して何をしようというのだろう。今まで俺がいた場所でガツンと椅子が音を立てた。

 振り返れば再び棒きれを振り上げてくる。相手をするのも馬鹿らしい。棒きれを再び掴んで止めた。

 宇宙服は慌てて手を放した。床を蹴り、距離を取る。

 ……状況がわかっているのか?

 俺は暑苦しいヘルメットを取った。汗が飛沫となって舞った。

「手をあげろよ。無抵抗な人間を殺すような趣味はないんでね」

「……殺しなさいよ! あたしは無抵抗なんかじゃないわ!」

 くぐもった声と共に飛来した何かを首を曲げて避けた。針のような硬質繊維で出来たボールのように見えた。

「コレが抵抗か?」

「……海賊なんかの捕虜になるくらいなら死んだ方がマシよ!」

「そうか。それが望みなら……」

 ひょいと椅子を蹴った。それだけで宇宙服は目の前だった。庇うように広げられた手をまとめて押さえ、首を掴む。

 ひっと僅かな声が聞こえた。

「殺してやるよ。誰かが来る前に」

 一瞬強ばった腕は、諦めたように力を抜いた。俺の手の中で。どくんどくんと頸動脈が音を立てる。

 宇宙服を通してさえ細い首だった。広いとは言えない俺の手のひらでも握りつぶすのに支障がないほど。

 ココまで近づけば、バイザーを通して中が見える。

 若い女の小さな顔があった。

「紺の眼……剥き身の、剣……」

 ヘルメットの中味が呟く。

 知っていたのかと、俺は眼を細めた。


 『剥き身の剣』は俺の異名だった。勝手に付けられた通り名でもあり、故郷に帰れば呼ばれる名でもあった。

 通り名の方は俺の戦い方から誰かが言い出した名だ。敵味方関係なく、俺の通った跡に動くものはないと、まるで剥き身の剣のように御しがたいとそういう意味らしい。

 故郷での名は、一族の宿命による。……戦士の一族の男には必ず『鞘』たる女がいた。運命付けられたその『鞘』が、俺には居なかった――。


 弛緩した腕を解放した。物体になる前に、どんな顔か見てやろうとガラにもなく好奇心が湧いた。

 首を押さえこんだまま、バイザーを跳ね上げる。苦しげに顔を歪めながら、それでも生気を保ち続けた目と合った。


 かちゃり、と音を聞いた気がした。


 白い頬に、長いまつげだった。茶色の巻き毛がバイザーの隙間から流れ出た。赤い瞳が俺を見据える。どんと、胸を突かれた。

 抵抗と呼ぶは余りにもささやかな力だった。けれど、俺の手のひらは首さえも解放した。……してしまった。

 げほげほと女は激しく噎せ込んだ。浮いたまま身体を丸めヘルメットを脱ぎ捨てて、なおも空気を求め大きく喘ぐ。

 長い巻き毛が首もとで括られているにも関わらず、女を覆い隠そうとするかのように広がった。

 ……どのくらい、そうしていたのか。

 飛んできたヘルメットをまともにくらった。女は脱兎のごとく扉へ向かう。

 がやがやとざわめきが聞こえてきたのはその時だった。

 きゃぁと細い声を出した女の手首を、味方が掴んでいた。

「『剥き身の剣』も、女は見逃すんだな」

「上玉じゃねぇか。ちょっとガキだけどな」

「嫌よ、離して!」

「コイツは捕虜として扱わせて貰うぜ」

「……」

 女が身をよじって暴れるのを楽しむかのようだった。女を見た他の味方が嗤い声を立てた。

「ジャーク、荷を調べろ。スッディ、破損箇所を。『剣』はもう良いぜ、戻って休みな」

「お頭、女はどうしやす?」

「とりあえずどっかの部屋に入れとけ。お楽しみは終わってからだ」

 ……鳥肌が立った。

「……離せ」

「あ?」

「離せ!」

 何をしたのか、わからなかった。何をしたかったのかもわからなかった。

 レーザーガンを味方に放った。女をつかまえていた男が心臓を炭化させ、俺を殴ろうとした腕を切り落とした。さらに襲いかかろうとした男へレーザーガンを向け……。

「やめて! なんで殺すの!?」

 女が庇うように腕を開いて、躊躇する間に飛んできた拳をまともに喰らった。


 気づいた時は母船の俺の部屋ではないどこかの船室だった。

 抜け出すことは訳もなかったけれど、俺は片隅で膝を抱いた。

 ……女を撃つことが出来なかった。その理由がわからない。

 女を撃ってはいけないと思った。その理由が……。


 ――鞘だ。

 かちゃりと音が聞こえる。

 生まれて初めて聞く、音だ。


 ――俺の、鞘。

 俺の暴走を止めるためのもの。

 ……死の痛みを知らせるもの。


 俺の、半身――。


 俺は部屋を見回した。通風口に目を留め、手をかけた。

 もう一度女に会うために。

 ……還るために。


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