015:暗闇屋へようこそ

「カサンドラ、久しぶりね」

 どうしてこいつはいつもこんなにさわやかなのかね? 闇に浮かぶ綺麗な白い顔をにらみつけて、アタシは椅子に座った。カノンの白い手が揺れる炎を差し出し、キャンドルを灯した。白い顔に赤みが差す。仮面のような頬をほころばせてウォッカのグラスを差し出すと、椅子を引き寄せるてアタシの前に座った。

 やめて頂戴、ぞっとするわ。アタシは無造作にグラスを取った。明後日を見て、口元に運ぶ。

「今日はだれ?」

 くすす。幸せそうな笑み。横目でそれを見たアタシの背筋に、冷たいモノが走った。冷静なフリして、グラスをあおる。強い酒が喉を焼いた。

 どうしてまたこんなとこにこなきゃならなかったんだ。急激に回るアルコールの中で、ぼんやり思う。目の前に紗がかかり、熱を持ち始めた身体に、ようやく落ち着く気がした。

 なるようになる、わ。アタシが悪いわけじゃない! 自分にそう言い聞かせて、アタシはカノンへ向き直った。

 幸せそうに笑んだまま、カノンは目をぱちくりする。さあいってごらんなさいと、催促するかのように。

いいや、するかのよう、じゃない。催促してるんだ、実際に。

 彼女が力をふるえる、その相手の名を。

「…リュジ・バドエラ」

 どん。グラスを置いた。乱暴だったけど、零れるようなモノは一滴も残っていなかった。

「あら、いけないことしてるのね」

 アタシをまっすぐに見て、カノンは言った。目が合ったようで、合っていないと感じた。カノンの金の双眸はアタシとキャンドルの炎を映すだけで、全く違う場所を見ているに違いなかった。

 パドエラは、都会の片隅の暗闇の中に店を構え一歩もそこから動かないこの少女が知るはずのない人物だった。遠くの大陸の片隅の村で、ひっそりと繰り返す悪行。誰にも、神にも裁かれる事なく、のうのうと生きる悪魔。

 考えるだけで、背中を何かがはい回るような嫌悪感を覚える。彼の国の中で彼は魂を喰らい、生きている。アタシにはそう感じられた。


 依頼者は二十代前半と思しきお嬢さんだった。行方をくらませた恋人を捜して欲しいとハンカチを握りしめ訴えてきた。恋人の行方はなんの苦労もなく捜し出すことができた。『力』を使う必要もなく、出入国記録を拝借するだけですんだ。遙か西の大陸のほんの小さな国に、探し人の足跡があった。

 恋人を迎えに赴いた彼女は、けれど失意の中で帰国する事になる。涙ながらに恋人の様子を語る彼女の向こうに、アタシは見てしまった。『リュジ・バドエラ』という名前と、彼を信望する数多のヒトガタの影を。

 新興宗教でも、まっとうなモノなら、いい。信じるのは自由だ。人の好みにまで口は出さない。けれど、これは。


「簡単なことだわ。魂をちょっとつまんでしまえばいいのだもの」

 くすくす。カノンは楽しげに嘲笑う。最上の遊びを前にしたように。

 吐き気がする。頼まなければならない自分が情けない。どんとグラスをつきだした。カノンは氷を一つ入れ、ウォッカをなみなみと注いだ。それを一息でアタシはあけた。


 依頼者と共に赴いた町は、生者の町には見えなかった。依頼者には、普通の人には、おだやかな町に見えたのかも知れない。

 楽園を唱う教義を持つ宗教。共同生活者の群れ。依頼者の手を振り切る探し人。穏やかに、穏やかに笑い、暮らす人々。笑みの奥の瞳には、生気のカケラもなく。


「見るだけって、無意味だわ」

 三度カノンの入れたウォッカを今度はちびちびとなめた。ほろ苦い液体が舌を転がり、喉に達する前に消えていく。

「そんなことないわ。カサンドラがいるから、私はここにいられるのだもの」

 ひんやりとした手が、頬を滑り首筋をなでる。柔らかい髪が朧のように頬に当たった。精一杯背筋をのばし、カノンがアタシを抱きしめる。

 あたたかかった。何よりもそれは心地よくそして危険だった。

 急激に回った酔いに、アタシの意識は急激に…闇に落ちていく。

「おやすみなさい。朝のニュース、楽しみにしていて、ね」

 くすくす……カノンの楽しげな声が、最後に聞こえた。


 ――ザっ。

 ……なに?

 目を開けると、事務所の机に突っ伏してい寝ていた。ねちまったか。アタシは一つのびをした。ふと向けたドアの下に、朝刊が届いているのが見えた。睡眠を邪魔した音は、これに違いない。ブラインドを開けると、鋭い光が目に入った。まだ、世間が起きるにはだいぶ早い時間だ。

 頭をかきながら、新聞を抜き取った。目を落とした一面に、その名があった。

『リュジ・バドエラ 急病か!?』

 二度と目覚めないだろう。アタシはただ思った。

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