014:死神は全部見ていた

 東から北の空をめがけて朝日が昇る。また一日が始まるわけだ。

 やつれた顔の人間が一人また一人寝床を抜け出して、食事と呼ぶのもはばかられるようなパン一切れの朝食を水で流し込み、のっそりと出て行く。それでもまだ、屋根があり、壁があるだけマシだったろうか。土を固めただけの粗末な壁であり、ボロ雑巾と変わらないような掛け布団であったとしても。

 人間ひしめく石造りの街から最も遠い砂埃まみれる街の片隅で、人間ならざるそれは日々の営みを眺めていた。

 部屋を出た人間は例外なく街の一角へと集まっていく。生気の無いいくつもの目が、ため息のように溜まっていく。やがて影が建物の形をはっきりとどめる頃になると、今まで見てきた人間とは明らかに異なる種類の人間が、一枚板の重そうなドアを開けさせ、出てきた。

「おはよう、諸君。よく眠れたかな? それでは、今日もよろしく頼むよ」

 黒々とした煙を吐き続けるトラックが人々が慌ててよけた隙間に停まると、空の荷台にわらわらと人々が群がった。全員が乗るとトラックは今にも壊れそうな音を立てて、大儀そうに走り出した。声をかけた人間は満足そうにそれをただ眺めていた。


『それ』はトラックの荷台の片隅にちょこんと腰掛けていた。『それ』が腰掛けるすぐ横に座り込んだ年若い人間は『それ』に気づくことも無く、『それ』を透かすかのようにトラックの外、彼方の地平線を眺めている。抜けるような晴天に似つかわしくない冥い色を瞳に宿して。

『それ』は少年を見、少年の隣のひげ面の男を見、ヒゲ面の男の隣の小柄な青年に目を移し、おやと首をかしげた。

 小柄な青年は、両膝を抱えた姿勢で荷台の低い壁に背を預けていた。その顔は両膝の間に落とされ、ことさら肩をすぼめている様子は他の人間たちと何も変わらないように見えた。目をとめた理由は、『それ』からかろうじてうかがえる横顔だった。埃まみれで小汚い割に、妙にすべやかな頬、あごから首筋にかけての整ったライン、そして、目の前を凝視し続ける強い瞳。

『それ』はトラックの荷台の壁の上に危なげなくひょこりと立ち、ひょいと跳んだ。隙間無く座り込む人間たちの『隙間』に降り立ち、一人一人を覗いて回る。疲れ切った少年も、ヒゲ面の男も。そして、小柄な青年も。

 ……にらみつけるような視線を持つ者など、青年以外にはいなかった。


『それ』が青年のすぐ後ろに場所を移す頃になると、トラックはわずかな傾斜にさしかかった。岩ではねる荷台の上で人間たちは振り落とされないよう必死だった。青年は一人、膝を抱えた姿勢のままだ。

 やがて開けた大穴の縁に着くとトラックは停まる。人間たちは三々五々とトラックを降り、大穴の中へ吸い込まれるように移動した。

 あの小柄な青年もまた、帽子を目深にかぶりそのほかの人間たちと同じく穴の中に吸われていく。

 ここが鉱山と呼ばれる場所であることを幾度も訪れる中で『それ』は学んでいた。人間たちは鉱夫と呼ばれ、あの一人だけ違う人間に使われているのだと知っていた。そして、彼らが『本国』と呼ぶ地にいるより、『彼』の仕事が多いこともまた、知っていた。

 『彼』は忙しいことを好むわけではなかったが、暇なことはより好まなかった。そして、単純な仕事より、何か違うことを好み、のぞんだ。

 だから『それ』はほんのわずかな好奇心の元に、青年の後についていった。


 人間たちの一番後ろを歩いていた青年は、ふと足を止めた。ぽつりぽつりと灯るランタンの明かりの隙間、そこここに口を開けた暗闇に手を這わす。ふと手首から先が暗闇の中に消えたのは、隙間を見つけたからだ。青年は隙間に体を滑り込ませ、『それ』も続いた。

 隙間は明かりも無く、漏れ入る光が途絶えれば手先に触れる岩の感触がすべてになる。暗闇すらも見通す『それ』にはどこまでも続く様子が見て取れたが、青年には闇以外に見えるものは無かっただろう。ただついて行くだけでも青年の緊張が見て取れた。

 どれほどの間真闇を歩いたものか。『それ』は青年の目指す先から人間の気配を感じて目を上げた。細い光が石の隙間から漏れ、小道を照らしている。光が揺れる様はランタンの明かりを思わせたが、まるで今にも昇る太陽の光のようにまぶしかった。

 青年は迷うそぶりも無く明かりの中へ身を滑り込ませると、ほっと息を吐く。『それ』も当然のごとく小部屋に入り込んだ。

「待たせた」

 こんな場所に似つかわしくない甲高い声だった。おやと『それ』は青年を改めて眺める。

 整った顔のライン、小柄な体つき、狭い肩、体のラインを覆い尽くす服から飛び出た手足の細さ。

 丸みを帯びて見える、ライン。

「いや、こっちも今着いたところだ」

 こちらは太く低い声だった。人間の中ではかなり大柄な部類に入るだろう。がっちりとした顎はもっさりとしたヒゲに覆われ、広く厚い胸を張る様は青年とは別の意味で似つかわしくない。手足は太く健康的に日焼けしている。そして『それ』が目を見張ったのは青年と同じく……青年以上に生気にあふれたその瞳だった。

『それ』はその男から一歩引いた。広くは無い部屋のそれでも男から遠ざかるように隅に身を寄せる。『それ』には男は近寄りがたい雰囲気を持っていて、しかし『それ』の直感のようなものが、『それ』をその場にかろうじてとどまらせた。

「いつやるの」

「待て。今やったのでは被害が大きすぎる」

「夕方まで待つわけには」

「それはわかってる。けどな」

 ほらと男は青年に包みを放った。受け取った青年は気まずそうな顔で包みを開け、あきらめたように中身を口にする。『それ』が見てきた人間たちがここにいる限り目にすることもできないような野菜をたっぷり挟んだサンドイッチだった。

「酷い生活なの。朝からこんな場所に連れてこられて、安い賃金は寝床とわずかなパンで消えてしまうの。今は暖かいけれど、季節が進めばあの毛布じゃぁ夜をしのぐのも大変だわ。……あの人たちを解放することはできないの」

「できればしたいさ。けど、それだけじゃ駄目なのはおまえが一番知っているだろう」

「……」

 青年は目を伏せた。ただ食べることに集中する。『それ』から見れば十分豪勢な食事に見えるが、あの薄暗い寝床でパンをかじる人間たちと同じように『それ』には見えた。

「仕掛けるのは夕方だ。交代のトラックが入る直前を狙う。一番……それが一番マシなはずだ。場所は岩盤の真下がいい。爆風でそこが崩れればこの鉱山は終わりだ」

「……」

 青年の周りには丸く巻いた火薬の塊が置かれており、一度それらを眺めた青年はただ首を縦に振った。


『それ』が見ている前で、作業をする振りをしつつ男が岩の隙間に仕掛けていく。細い導線は岩の影の隠れるように巧みに配され、奥へ続いていく。

 スイッチはごく簡単な時限式。薬品に浸された内側の容器が溶けることで薬液同士が混ざり合い発火する。時間にムラが出るものの失敗の無い方法だ。

『それ』は男と青年が黙々と進める作業を少し離れて興味深く眺めていた。呆れとも感嘆ともつかない気持ちで満たされている。

 やがて仕掛けを終えた二人は、その他の鉱夫立ちに混じり作業を始めた。遠くドラが聞こえると、わずかな開放感に浸る人間たちと共に出口へ……砂と岩が赤々と染められた『外』へ向かう。

『それ』は人間たちの中に混ざり込んだ背中を見送り、その場に残った。交代で外へ出る者もいれば、鉱山の中にとどまる者もいる。『それ』は誰に見られることも無い笑みを、一人浮かべた。

 こんな楽な仕事は無い。こんなおもしろいこともそうない。人間たちに声が届くのであれば、まさしく死神の笑い声を聞くことができたろう。

『それ』の目の前を見覚えのある小柄な姿が横切った。相変わらずの冥い瞳をそれでもわずかに楽しげに輝かせている。

「交代か?」

「うん。ちょっと遅れちゃったけど。お先に」

 ずん、と山全体が響いたのはそのときだった。

 音と地響きに言葉を交わした二人は周囲を見回す。小石がぱらぱらと降ってきた。……ここでは。

「何があったの」

「いや、わからん。出口の方だったな。おぉい、どうしたんだ!?」

 ばらばらと通路に人間が出てくる。戸惑ったような不安そうな顔がいくつもきょろきょろ辺りを見回す。やがてもたらされた情報に、駆け出し、もつれて転び、押しのけ、押し倒され、悲鳴があがり、力なくその場に座り込み……パニックが始まった。

『それ』は思った通りの展開に笑みをますます深める。

 こんな楽しいことは滅多に見られるものじゃ無い。しかも、やったのはすべて人間で、こんなに労の無いこともない。

 しかもこれから七二時間ほどは『狩り』放題だ。


『それ』はひょういと空を跳んだ。まず、手始めに、押されて倒され頭の打ち所が悪くすっかり動かなくなり……あげくに幾人もに踏まれた小柄な人間へと近寄った。今まさに抜け出ようとする魂を、撫でるように刈り取った。


 死神よりも死神らしい人間の所業を称えるかのように。


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