第4話

 両津湾から佐渡海峡へ抜け、新潟に着くと休む間もなく汽車に乗る。そこから更に福岡へたどり着くまで二日かかった。福岡の遠さはわかっていたつもりだが、到着しただけで達成感を生むほどの移動を経ると、駅に着いてしばらくの間訪れた目的を忘れた。一緒に福岡へ行くことになった半田忠一と案内役の勝永が傍にいなければ、動き出すのにどれほど時間を要したかわからない。

 勝永は疲れを見せず、休む間も置かずに歩き出す。教えを受ける立場では何も言えず、権治と忠一は顔を見合わせてから勝永を追いかけた。

「新潟県から来たのはあさんらが初めてじゃ。社長も楽しみにしとるよ」

 勝永よりも上に立つ人間が気にかけてくれているとわかると、長旅も報われたような気がした。

「社長は犂と馬が根っから好きな人でな」

 目的地の福岡郊外(現・福岡市東区多の津)、長家に到着するまで、勝永は一家の主にして社長である長末吉のことを語った。長末吉は大川村に農家の三男として明治一一年(一八七八年)に生まれ、明治四三年(一九一〇年)に深耕犂を完成させて特許を取り、長式農具製作所を立ち上げた。実家の長家は豪農と言ってよいほどの大きな農家で、現在でも住み込みの男女がそれぞれ一〇人近く、牛馬も二〇頭近く飼っているという。

「社長のおかげで自前の制作室も持てたから、長家の偉人よ、社長は」

 長末吉を語る勝永の顔は誇らしげであった。犂の製作自体は製作所創立の一年前から始めていたが、当時は制作室がなかったため、あちこちの農家の納屋を借りては犂を作り歩いていたという。更に鋳物の犂先は、競合相手である磯野や深見の品を購入していたが、現在はそれも自前で用意できるほどになったそうだ。

「農会からあさんらを借り受けたのは一ヶ月、その間にちゃんと犂耕にがまだして、うちの儲けの種を撒いてくれ」

 最後の一言は少しおどける調子があった。肩書きに似ず人なつっこい勝永が、権治は好きになっていた。

 長末吉家に到着した時、権治は最初に賑やかだと思った。子供の声が外まで聞こえてくる。勝永の話では、末吉には妻との間に九人の子供がいるらしい。まだ日が高い現在、講習を受けに来た壮丁たちは犂耕田という実習用の田に出払っているそうだが、日が沈んで夕餉時ともなれば何十人と帰ってくるという。

 しかもそれは、あくまで長家の受け持ちで、講習を受けに来ている壮丁は全部で二〇〇人に及ぶという。全員が遠くから泊まりがけで来ているわけではないが、その膨大な人数をまかなうために近隣の農家も協力して分宿しているらしい。権治はちょうど空きがあった長家に泊まれることになった。

 荷物を置き、家の男衆や女衆にあいさつをしている間に、家全体が慌ただしくなってきた。まもなく壮丁たちが帰ってくるのだ。気配を感じて権治は邪魔にならないよう家の隅に小さな体を更に小さくして待った。

 小一時間が過ぎると、玄関先でどやどやと足音が聞こえだした。上がり込んだのは皆同じ年頃の男たちだが、漏れ聞こえる言葉は様々な地方色がある。佐渡の言葉に似た響きもあれば、全く聞いたことのないものもある。目立っていたのは勝永の喋り方に似た福岡弁であった。

 すぐに夕餉となった。働いていないことで抵抗を感じていた権治だが、男衆の一人に呼ばれて居間へ向かった。食卓もまた、様々な響きを持った声の巷となっていた。夕餉を食べるのは遠くから泊まりがけできた者たちだけで、その数は三〇人、男衆が案内してくれた隅の席では、やはりいくつもの響きが渦巻いている。

 一家の主であり講習生たちの責任者である長末吉の音頭で夕餉が始まると、周りの目が新参者へ向けられる。みな牛馬を扱うのに相応しい立派で大柄な体格をしていた。

「えらくちっこいのが来たな」

 そのうちの一人が見下ろすような目つきで言った。なまりはあったものの福岡弁ほどわからない言葉ではない。明らかに背丈のことをさげすんでいた。

 にらみつけて言い返そうとすると、相手の隣から、こなすな、という声が飛んだ。

「仲良うしなきゃいけんばい。新参者が相手だからっち、自分のことばこーかるのは良くないばい」

 こちらは恰幅が良く、その分声には柔らかさがあった。いさめた言葉は福岡弁に近い響きで、半分も意味はわからなかったが、諍いをさりげなく止めてくれたらしい。

「あさんも怖い顔しとらんで、仲良うやろうばい」

 男の優しい声に、燃え上がっていた対抗意識が冷めていくのを感じた。そして刺激に対して簡単に熱くなっていたことがひどく子供っぽく思えた。

「佐渡から来た、石塚権治ちゃ。よろしく」

 恰幅の良い方は粕屋政夫、最初に突っかかってきた方は狭川常行と名乗った。

「佐渡か、新潟じゃな。新潟から来たのはおらんな」

 粕屋は感慨深そうに勝永と同じことを言った。似たような響きの言葉を聞き分けることはできるが、半田を除いて幼い頃から慣れ親しんだ響きと合うようなものはない。半田は遠く離れた席へ通され、声も届かない。

「なーらはどこから来た」

 佐渡なまりを隠さずに訊くと、粕屋は佐賀、狭川は神奈川と言った。

「俺は隣じゃけん、まだいいが、神奈川は遠かろ、狭川」

「何、汽車で二日ぐらいだ、いちいち騒ぐものじゃない」

 そう言いながら、長旅を乗り越えてきたことを誇らしく感じているらしい。狭川の頬は緩んでいた。

「佐渡は遠いばい、石塚も苦労したっちな」

「汽車の前に船があって、長かっだがら」

「孤島だからな」

 狭川の声には田舎者とさげすむ響きがある。

「狭川、あさんも遠いばい。九州からしたら田舎ばい」

 対して粕屋の声に毒気は感じない。狭川も毒気を抜かれたように、粕屋には何も言わなかった。

「佐渡には牛馬耕があるけ」

 農業の話になると狭川も目の色を変え、粕屋の言葉に耳を傾けていた。

「北見先生という人が広めて回っだがら。俺はその人の後を受けだいがら」

 他人を前にすると、その思いはとてもきれいに口を滑り出た。もっと見据えるべきものが他にあるかもしれないが、今のところは目標とした人の背中を追いかけるのが精一杯である。

「そうかい、ならがまださねえと」

 相変わらず粕屋の言葉はわからなかったが、その人の良さそうな表情で、初対面の男の道を応援してくれていることだけは伝わった。

 それからは狭川や粕屋も自分のことを語った。言葉の使い方や響きに大きな違いはあるものの、わざわざ犂耕を修めるために福岡まで来た男たちの心意気は、権治も通じるものを感じた。対立を我慢すれば、充分やっていけるような気がした。

 食事を終えると、明日も夜明けと共に始めると長末吉が宣言した。狭川に遅れるなよと言われ、少し乱暴に返事をしてやる。権治は床に就きながら、順蔵や勝永から教わった犂の使い方を思い浮かべる。眠りに落ちる瞬間まで、把手のささくれだった手触りを思い出していた。


 廊下を早足で歩き回る音を夢うつつで聞いていた権治は、やがて周りが起き出したのに気づいて自分も起き上がった。泊まりがけの壮丁たちが休む大部屋である。権治は一日の始まりを予感し、急ぎ足で動き出す周りに合わせて朝の準備を整えていった。

 佐渡よりも温暖と聞いていたが、さすがに一一月のことである。顔を洗う水は手を切るように冷たく、頬に触れた瞬間にまどろみは飛んだ。更に後ろから急かされるので、眠気や疲れを感じている暇などなさそうだった。

 着替えを終えるとすぐに外へ出る。自転車で通っている講習生たちが既に待っていて、彼らとの講習を終えてから朝食となる。まだ夜が明けてまもなく、冷え込みも厳しい時間であった。

 権治は半田忠一とは別の場所へ案内された。長家に集った壮丁は地元に住む通いを加えると二〇〇人にも上るという。それほどの人数は長家の土地だけでまかないきれるものではないので、近所の家々に分宿して講習の時には馬と実習用の田を借りて耕起している。犂耕田とは、この実習用の田を指す。

 長家が主催する牛馬耕の講習は晩秋の田が空いた時期に行われる。本来の持ち主が使わない時期に行うしかないのだが、農家にとっても若々しい力を借りることができる利点があり、おおむね協力的だった。

 権治は新入りとして紹介された後、馬を扱ってみるように言われた。得てして臆病な生き物である馬は、初対面の人間である権治に怯えを見せたが、声をかけ、時間をかけて馴らしていくうちに気を許してくれた。噛み付いてくることもある佐渡の馬に比べれば、まだ扱いやすい馬であったが、周りには充分な実力を示せたらしい。どよめきには感心が多分に含まれていた。

 それから数時間、空気がぬるくなる頃まで権治らは犂耕田で動き回った。権治は犂を馬につけて扱うところから始めたが、北見がやったような速やかさを表すことはできず、巡回してきた長末吉に遅さを咎められた。気にしても詮無いことと自らに言い聞かせながら馬に田を入れる。馬を前へ進めたり方向転換をしたりという基本的なことは滞りなくできたものの、肝心の深耕は中途半端であった。

 深く耕すことはできたものの、畝がまっすぐ作れず、隣の講習生の領分に入り込んでしまうこともあった。その講習生は舌打ちし、その不機嫌さが伝わったように馬も唸った。そして自分の馬も、不手際を責めるように鼻を鳴らす。

 権治があてがわれたのは、安定性を高めた改良型の短床犂ではなく、在来の無床犂であった。扱いに慣れていない道具を使ったのだから不手際も仕方がないと言い訳じみた考えにも陥りかけたが、旅から旅への馬耕教師は、自分が北見に仕掛けたように村の若者に試されることもある。その時馬の気性や道具の古さを問題にしたら、教師を名乗る資格はないだろう。

 何のために新穂や佐渡郡の農会が自分に推薦状を出して送り出したのか。馬耕教師として働けるようになってほしいからだ。期待に応え、北見に追いつくためにも、悪条件を克服できるようにならなければ、今までの経験や学びが報われることはないのだ。 

 朝食を終えると講習が再開される。半分は仕事であるから、遅れや失敗は歓迎されない。昼、夕方と田を歩き回り、夕餉の後は犂鞍の作り方や手綱の付け方といった講義が行われた。それを終えてようやく床に就くことを許される。狭川や粕屋といった、先に来ていた者たちは慣れているのか、講義の後は周りとの話に興じていたが、権治はそんな気になれず、すぐに床に就いてしまった。

 翌朝目覚めると、脳裏には夢の記憶が残っている。そこでも権治は犂を持っていて、まっすぐ進められない無床犂に悪戦苦闘していた。

 そのような夢は福岡を出立する直前まで見たものの、現実には七日を経る頃には無床犂の扱いにも慣れてきて、まっすぐな畝を作れるようになった。講習の時だけでなく、手空きの時に資料を製作所の社員などから借りて、犂の特性や使い方などを学んでいくうちに、正確さだけでなく速さも増していった。

 仕事ができるようになると余裕もでき、一緒に学ぶ講習生や製作所の社員と関わる気力を保って夜を迎えることもできるようになった。彼らも犂や農業に半生を費やしてきた人間だけに、知識や持論は感心するような密度を誇り、議論に花を咲かせられるほどにもなった。そこまでのことがあって初めて、権治は福岡まで来た甲斐があったと思えた。

 同郷の忠一とはすれ違いが続いていたが、ある日同じ犂耕田で実習をやることになった。馬の扱いは自分の方が上だと密かに思っていたが、いつの間にか声かけで馬を操れるようになるほどの信頼関係を、馬との間に築いていた。忠一に追いつかれたことに危機感を覚えながらも、異郷においても共に努力する同郷の若者の存在を思い出せたことが心強かった。

 その日の実習を終えて、権治と忠一は連れ立って歩き出す。すると忠一が口を開く。それはごく自然で、権治も気負うことなく合いの手を入れていた。


  ハアー佐渡へ、佐渡へと、草木もなびくヨ

  佐渡は居よいか、住みよいか


 いつもは農作業で最も遅れた者が、全員の農具を持ち帰ることになっているが、いくつかの部品を組み合わせている犂を持ち帰るのは、一人では難しい。忠一が犂先を持ち、権治が把手を持つ。ちょうど馬に犂を引かせているような格好となった。その上で佐渡おけさを歌うと、新しい農業を故郷へ向けてもたらす準備をしていると、どこか誇らしげな気持ちになれた。

「何の歌ね、それ」

 今日一日一緒だった福井の若者が訊いてきた。

「佐渡おけさっていうがんだ」

「うめえ歌だなあ」

 彼は心底から感心したように言った。そして先を歌うように言うので、気分を良くしながら権治は続きを歌う。


  ハアー 佐渡へ 八里のさざ波こえてヨ 鐘が開える 寺泊

  ハアー 雪の 新潟吹雪にくれてヨ 佐渡は寝たかよ 灯も見えぬ

  ハアー 佐渡へ 来てみよ 夏冬なしにヨ 山にゃ黄金の 花が咲く

  ハアー 来いと ゆたとて行かりよか佐渡へヨ 佐渡は四十九里 波の上

  ハアー 波の 上でもござるならござれヨ 船にゃ櫓もある 櫂もある

  ハアー 佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡


 歌ううちに佐渡の景色が思い浮かんでくる。今頃佐渡では、残された農会や農業学校の同窓生たちが、早い冬に備えて冬囲いでもしているのだろう。カブタ打ちが終わって、次の仕事が始まっているはずだ。

「カブタ打ちももう終わるかな」

 佐渡の農業に欠かせない仕事を何気なく口にすると、若者は耳ざとく聞きつけて何のことかと訊いてきた。

 カブタと呼ぶ稲の切り株が残る田に鍬を入れる冬の野良仕事で、春に備えてのことだと言うと、やったことのない仕事だと目を輝かせていた。

 若者も福井での日々について語る。そうやって話をしているうちに長家に着く。話に没頭したのは久しぶりで、途中から歩いている感覚がなくなった。

 夕食の後はいつもの講習はなく、代わりに末吉の音頭取りですき焼きと酒が振る舞われた。自分たちより二週間早く来ていた粕屋と狭川が講習を終えて、明日故郷へ戻る。それを送り出すための送別会であった。

 のんびり過ごそうと思っていた権治は、突然何かやれと言われて面食らった。忠一に助けを求めようにも、彼は酔った素振りを見せて他人のふりをしている。

「早く出ろ、新入り」

 急かされて全員の前に上げられた権治は仕方なく、子供の頃で見た鬼太鼓(おんでこ)の真似をす

ることにした。今の隅にあった棒を長刀に見立て舞い踊る。佐渡の各地で行われる祭り

の演し物で、太鼓の名の通り本来は鬼の面をつけた叩き手が太鼓を叩き、鬼面の舞手や獅子舞が勇壮に絡み合う。本来は農業の成功を願うまつりの一つだが、子供の頃は舞手の真似をして棒を振り回し、そのうちチャンバラに発展していったものである。

 ほどなくして観客の誰かが手拍子をはじめた。音は太鼓ほど重くないが、拍子としての役割は充分にこなせている。その音に乗って舞うと、舞全体が整っていく感じがする。手拍子は瞬く間に増えた。気をよくして、棒を勢いよく振るう。風を切る音が聞こえるほど勢いがついていた。

「おっしょいおっしょい、おっしょいおっしょい」

 手拍子の中にかけ声が交じったが、合いの手のように盛り上げる感じではない。さりとて囃し立てるような意地悪さも感じない。ただ、拍子が全くあっていないその声は勢いをそいだ。

 声の主はおっしょいおっしょいとやたら大きな声を張りながら乱入してきた。観客たちが明るく笑い盛り上がる。何度も丈作という声が飛び、一つ一つに丁寧に応えていた。

 丈作と呼ばれた男は中肉中背で、出来上がったしまりのない笑顔で踊り狂う。小袖をはだけ、襦袢をまくり上げてほとんどふんどしのようにしている。まるでふざけて泥遊びをする子供のようだと思った。実際彼の笑顔は、酒が入っているにもかかわらず無邪気だった。

 断りも入れず踊り狂う丈作は、一つ覚えのようにおっしょいおっしょいとかけ声を続ける。するとさっきまで手拍子をしていた観客たちまでかけ声に転じる。

 権治はひょうきんな丈作に対抗するのも情けないと思いながら、関心をさらわれたのが気に食わなくなった。彼から距離をとり、棒を手近な端に持ち替えて舞を再開する。見たことのないやり方だが、長刀を振り回すのが本来の鬼太鼓なら、小太刀を振るってもいいだろう。

 そうするうちにかけ声の中に手拍子を取り戻すことができた。もはや乱入者に勝ちたい気持ちだけで、頭に回った酔いを我慢しながら動き続ける。

 すると隣で突然丈作が倒れた。驚いて動きを止めて仰向けの丈作をのぞき込むが、彼は満ち足りた表情で寝息を立てていた。

 脇から男衆が出てきて丈作を運び出す。皆が笑って彼を送り出すと、息を吹き返したように丈作は両手を上げた。

 権治も拍手で舞台を降りた。挨拶のつもりで粕屋と狭川のところへ行き、丈作のことを訊くと、長式農具製作所の社員だと言われた。

「社員の中じゃ一番若いやつじゃ」

 酔いの回った顔で粕屋が言い、権治は丈作が運び出された方を振り向いた。

「あんまり明るいんで、俺は好かんがな」

 狭川は不機嫌に言って酒をあおった。生真面目な人間との相性は悪いだろう。せっかく狭川の機嫌が良くなっているので、権治は素直な感想を言うのは避けた。言葉は交わさずとも、あの短い時間の立ち振る舞いや表情を見ていれば好悪の感情は浮かぶ。踊っている間、丈作の物怖じのなさは悪くないと思えた。

 その丈作から、まだ姓を聞いていない。この場で訊いてみようと思ってやめた。今度会った時に本人から訊き出すことにする。それから発展する話があると思えば楽しみになった。


 その丈作とは宴会の三日後に再会した。長末吉に言われて大分の日田へ行くことになり、丈作が同道することになった。丈作にとっては慣れた道であり、いつもは一人で行き来しているが、犂の製作を学ぶのに参考になるということで権治は丈作の後をついていった。

「普段は一人やけど、今日は寂しくないな」

 汽車を降りた丈作は、宴会の時に見せたのと同じ無邪気な笑顔を浮かべた。

「どこまで行くんですか」

 歳は同じでも丈作は製作所の社員である。犂を習いに来た講習生とは立場が違う。遠慮もあって他人行儀な話し方を選んだが、丈作は困り顔をして手を振った。

「そんな丁寧でなくちええよ。歳同じばい。もっと気安い方が僕も気楽けん」

 言われて喋り方を切り替えると不思議と自然な感じが口に宿った。年齢のせいだけではなく、丈作には持ち上げた接し方が合わないのだろう。

「名前聞いてなかったばい。僕吉原丈作っちいうんよ」

「石塚権治ちゃ。佐渡から来た」

「ああ、新潟から初めて来た人か。帰ったらちゃんと犂を広めてな。そうしたらうちの犂も、もっと遠くへ売れるばい」

 無邪気な笑顔は言葉を重ねるたびに笑みは深く、輝かしくなっていく。福岡はひらけていて、そこに暮らす者たちは若くても垢抜けていると思っていたが、実際に接してみると佐渡の若者たちと変わりない。

「日田まで何しに行くがんね」

 さっきより気安く、佐渡なまりを交えて訊くと、丈作は木を買いに行くたいとなまりを隠さずに答えた。

「うちで作っとる犂は日田の樫を使っとるけんね」

 少し前までは近隣の業者に頼めば済んでいたが、ここ最近は犂の生産量が増え、それまでのやり方では足りなくなるので、時々社員の誰かが大分まで買い付けに行かされているのだという。

「僕が長さんのところにお世話になりだしたばかりの頃は杉を使っとったばい。檜も使ったことがあるけど、そういう柔らかい木を加工する手間を惜しまないといけないぐらい、今は忙しくなったばい」

 丈作は嬉しそうに語った。粕屋町の農家に生まれ、小学校卒業後に大川の農学校に入学し、そこで馬耕と出会ったという。長末吉との出会いも馬耕が縁で、丈作の犂さばきの腕を見込んで末吉が誘ったそうである。

 一六歳の時から長式農具製作所で働く彼は、犂や鞍、馬鍬の製作を主に行い、同じ年ながら犂の使い方を教えるだけの知識と経験も有している。職人でありながら指導者にもなれる逸材だが、権治は不思議と丈作には対抗意識がわかなかった。かなわないと最初から諦めるのではなく、彼の秀でたところをそのまま受け入れる気持ちになれる。飾らない人柄が、見ていて気分が良いからかもしれなかった。

「僕、石塚くんや半田くんと話ししとー思ってたんよ」

 意外な思いで丈作を見る。新潟の出身者は初めてとはいえ講習生は何人もいるし、同時期に入ってきた若者も数多い。長家を訪れて二週間が経っているが、既に講習生の中では古株になりつつある。

「どうしてちゃ」

「石塚くんは歌も踊りも達者だから。みんな言うとる、言葉も振る舞いもどこか垢抜けしとーて、ひらけとるっち」

 自分自身に向けられるとは思ってもみない言葉だった。悪い気はしないが、故郷を離れて人となりが変わったと言われたようにも思え、少し寂しさを覚えてしまう。二一歳になり初めて佐渡を離れて、佐渡海峡の向こうに浮かぶ島の故郷に愛着を持っていたこと、そこで心身を育まれたことを素晴らしく思うようになったのだ。

「それに佐渡は冬が早いばい。それだけ農業のやり方も違うんじゃなか」

 権治は初めて福岡の土に触れて気づいたことを話してやった。佐渡の土が乾燥しにくく、冬のカブタ打ちで寒風にさらしてやる過程が必要になるのとは逆に、乾燥しやすい福岡の土は畝を作って風化させる必要がないのだ。

 稲についても違いがあった。福岡の稲は脱粒しやすく、佐渡の方はしにくい。立ち木に横棹をかけて逆さにして稲を干すのが収穫後の時期に見られる光景だったが、一一月の時期に福岡では見られない。福岡の稲は逆さにすると粒が落ちてしまうので、地面に並べて干すのだという。

 佐渡と福岡における農法の違いを語るうちに目的地に着いた。その間は丈作の冗談めかした語り口もあって、時折笑い声も上げた。自分自身の性格が暗いと思ったことはないが、声を上げるほど笑うのははしたない気もして避けてきたことだ。丈作の明るさに引き込まれたのか、さわやかな気持ちになれた。

 日田の製材所に着き、担当者と会うと、丈作の表情は変わった。犂や犂鞍に使う木材がどれほど必要で、どんな状態のものが好ましいか。どれほどの予算を用意しているか。土の上で牛馬を扱うだけでは決して出てこないような言葉がいくつも飛び出す。

 商談を終え、帰りの汽車に乗る頃には日が傾いていた。休みの日を除いて犂に触れなかったのは初めてだが、その分得がたい経験ができたと思う。犂を作る木材がどこから来て、誰が準備しているのか、丈作を通してわかった気がした。

 何より丈作という同じ歳の若者と語り合えたのは大きい。これから先も親しく過ごしていけそうな気がした。


 丈作は製作所の社員で、犂を作る職人である。日田から買い付けた木材を前に、チョウナ、カンナ、ノミを自在に操って犂の形に削り上げていく。長家は丈作の他に一〇人の職人を抱えていたが、丈作が飛び抜けて若かった。

 丈作の話では、社長である長末吉はこれから短床犂の大量生産を始める方針を固めたということであった。権治が初めの頃扱いに苦労した無床犂は杉を削り出したもので、樹齢五〇年の根曲がりしたものを選んだという。根の曲がった部分が犂身の先端になる。その一本の杉から一台の犂を作るのだが、大量生産をするにはかかる手間が大きすぎるため、仕事のやり方をこれから変えていくということだった。日田の材木会社をはじめとする樫を供給してくれる取引相手は、これからの長家にとって欠かせない存在となるようだった。

 丈作は時折犂耕田へ出てきて、講習生に対して犂の使い方を教えた。木材を前に工具を操る時は近寄りがたい雰囲気を醸す男も、外に出れば本来の明るさを解き放つ。明るく響く声を張り、馬や犂の扱いに慣れていない新入りの講習生を指導していく。権治はそんな丈作に、順蔵と同じく遠いものを感じたが、隔たりは感じない。順蔵は追いつき、追い越したい道標のような男だが、丈作は追い越すのではなく肩を並べて歩いていきたい友人であった。

 福岡に滞在してから一ヶ月が過ぎ、権治と忠一が佐渡へ帰る日を迎えた。長家では講習生が故郷の村へ帰る前夜、心尽くしのすき焼きを振る舞い、宴会を開いて送り出すのが慣わしである。その席でも丈作は明るく、不思議な踊りを見せて笑わせてくれた。

 一夜明けて、長末吉をはじめとする長家の人々から見送りを受けた権治と忠一は、彼らに一礼して駅へ向かった。一ヶ月前に案内してくれた勝永は神奈川へ派遣されていて、もう一人の馬耕教師実淵も福井にいるという。

 駅までの付き添いを買って出たのは丈作だった。道中彼は、二人に佐渡おけさを歌うようにせがんだ。はっきり口にはしなかったが、餞が欲しいのだろう。頼まれた通りに権治と半田は歌った。丈作も合いの手を入れて、三人で歌いながら駅へ向かった。

 ひとしきり歌い終わると、丈作も歌い出した。


  酒は飲め飲め 飲むならば

  日の本一の この槍を

  飲みとるほどに 飲むならば

  これぞまことの 黒田武士


「黒田節か」

「何ね、知っとったかい」

 言いながら丈作は先を歌う。それに合いの手を権治と半田も入れる。互いに餞を受け取ったようで、形に残らない分胸の内が温かくなった。

 連絡を取り合うこと、再会を約束して丈作とは別れた。それからまた三日近い時間をかけて佐渡まで戻る。両津港の周囲はうっすら雪が積もっていて、福岡での日々を思うと過ごしづらい気もした。

 新穂村の実家に戻ってきたのは夕方であった。ちょうど山仕事を終える時間で、薪を満載したセナコウジを背負った若者たちとすれ違った。股引や裂織、わらじという保温性を高めるための身なりは山での過酷な仕事を物語るものであったが、がんどう提灯に照らされた彼らの表情は明るかった。


  ハアー佐渡へ、佐渡へと、草木もなびくヨ

  佐渡は居よいか、住みよいか


 すれ違って少し歩くと誰かが歌い出し、それにはやはり合いの手が入り、楽しげに歌いながら遠ざかっていく。権治も背中で歌声を聞きながら小さな声で合いの手を入れた。足取りと共に消えていく歌声が聞こえなくなるまで、権治は合いの手を入れ続けた。

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