第2話
明治三三年(一九〇〇年)佐渡の新穂村瓜生屋(現・佐渡市新穂瓜生屋)で生まれた石塚権治は、小さな頃から当然のように田に入り、鍬を持って働いてきた人である。
小柄だがそのぶん頑強でしなやかな体を持っていた彼は、収穫が終わった冬の佐渡で行われたカブタ打ちには特に入れ込んだ。佐渡では収穫が終わった後に残る稲の株をカブタと呼び、春の田打ちの準備としてカブタの残る田に鍬を入れる。カブタ打ちと呼ぶその仕事で、年上の体の大きな者に負けることを潔しとしなかった。少しでも早くカブタを打ち、誰にも負けない速さで仕事を終える。体格の差はいかんともしがたかったが、学校に入る前の権冶はそのことに腐心していた。
とにかく体の大きな者に負けたくない。その気持ちはやがて農業への情熱に昇華する。時を経て権冶は佐渡郡立農学校(現・新潟県立佐渡総合高等学校)に入り、大正六年(一九一七年)に卒業する。瓜生屋にほど近い靑木で生まれた順蔵が戻ってきたのは、ちょうどその頃であった。
「順蔵さんが戻ってくるのか」
その知らせを持ってきた農家仲間の半田忠一に訊き返すと、新しい農法を披露するらしいという答えがあった。
「何でも牛や馬を使って田畑を耕すやり方げえな」
「でえじょうぶか、それ」
順蔵は靑木の後藤家に生まれたが、西の泉の北見家に養子に出ていた。北見を名乗ることになった順蔵のことは、後藤家にいた頃から知っている。九歳年上ながら親しみやすく、男の割に柔らかな笑顔が垢抜けた印象だった。人当たりの良さを活かせる場所が他にもあるような気がしたが、新しい農法を身につけたということは、農業の道へ行くと決めているのだろう。
「なんかんを田に入れて平気なのか」
いくら知っている人間のすることでも不安はぬぐえなかった。なんかんとは佐渡産の気性の荒い馬を指す。山で育つ佐渡の馬は、体長三尺六寸(約一一〇センチ)で、人を見ると飛びつき噛み付くなどの野生を発揮した。権冶もそのような目に遭ったことがある。だからと言うわけではないが、大事な田を台無しにしかねない野獣を、荷役以外に使うのは抵抗があった。
何より、田を耕してきたのは人間だ。人間の領分に野獣が入るなど、それぞれに与えられた分限を超えているのではないか。
「だが農会の偉いさんたちは決めたげえな。俺たちがどうこう言ってもしょうがあるめえよ。心配はわかるけどな」
忠一はのんびりした声を出した。権治にしても、順蔵を信頼しないわけではない。ただ、新穂にそれまでなかったものを、よりにもよって同郷の男が持ち帰ってくるということに戸惑いを感じていた。
しかし興味もないではない。激しい気性のなんかんを手なずけた上、人間の代わりが務まるほど器用に操る術があるのなら見てみたかった。
「農会だって少しは人を見る目があるげえな。何か見せてくれるはずちゃ」
忠一にも同じ気持ちがあるらしい。彼の浮かべた笑みは順蔵への好意がにじんで見えた。
「何を、見せてくれるかな」
言葉を重ねると不安は期待へ変わっていく。新しいものへの警戒感は変わらずにあるものの、同じ土地に生まれなんかんの脅威を知っているはずの男が、恐怖心をねじふせたようになんかんを農法の一つに扱おうとする。その未知のものを、知っている男が披露する。言葉と想像を膨らませると踊るような心地であった。
順蔵は二日後の夜、新穂村に戻ってきた。生家のある靑木ではなく、隣同士とはいえ瓜生屋に宿を取ったあたり、別の土地の人間となってしまったようで少し寂しく感じた。
権治は翌日の夜に順蔵を訪ねた。学校を出て以来会っていなかった順蔵は権治の成長に驚きを見せたが、権治の方は相手の変化のなさがいやに印象的だった。驚いたと言いながら大きく表情が変化せず、落ち着き払った態度を見せるのも昔のままだった。
「学校を卒業したんだな」
順蔵の語り口は微妙に抑揚が変化しているように聞こえた。細身の上面長で、歌や踊りも上手い男は元から垢抜けた感じを漂わせていたが、泉で過ごした数年間でいっそう洗練されたようであった。
順蔵はそれ以上言葉を継がず、自分の鞄から二つの杯を取り出し、酒を注いで権治に差し出した。決して気軽に接することのできる相手ではないが、余計な言葉を連ねないところに、再会の喜びを感じ取った。権治は素直に酒を受け取る。最近飲酒についてはうるさく言われるようになったが、この時だけはやかましい警句をきっぱり忘れた。
「順蔵さんこそ、何かを身に着けて帰ってきたそうで」
何か探りを入れたかったが、うまい言葉が思いつかず単刀直入な言い方になってしまった。順蔵は考えを巡らせるように間を置いてから、馬のことか、と言った。
「農会も内心では不安のようだがね。私自身、なんかんの扱いが難しいことは知っているし、牛を使えばいいとも言われたよ」
「牛でもいいなら、それを使えばいいがんに」
切実な思いだった。馬の気性の荒さや警戒心の強さに比べれば、鈍感な牛の方がはるかに扱いやすい。
「そうだな。だが、馬は扱いが難しい分速い仕事ができるんだよ。権治、それまで人間がやっていたことがどうして牛や馬に取って代わられるようになったと思う」
言葉に詰まった権治は、間の悪さをごまかすように杯を煽った。
「人間の仕事では遅いからだよ」
酒を注ぎながら、順蔵は短く、しかし決定的な一言を口にした。
「権治よ、畦切りや畦塗りは相変わらずの重労働か」
「それは、当然でしょう」
肥料をまきおえた田には、水持ちを良くするための畦切り、畦寄せ、畦塗りという作
業が施される。漏水を防ぐための仕事はどれも重労働で、家によっては田人(とうろ)という臨時
雇いの男たちを必要とすることもあるほどだ。
「牛馬耕はそういう労働の苦しさから人間を解放してくれる。それどころか人間がやるより速く、そして生産力を上げる効果さえ期待できるものだ」
「それなら結構なことでしょうが」
期待と同時にどうしても答えは懐疑的になる。順蔵がどの程度馬を扱えるのか、未知数だからだ。
順蔵もそれを察したのだろう。話をするだけでは埒があかないなと苦笑を浮かべた。
「農会には是非なんかんを準備するように言ってある。私がどうやってなんかんを手なずけるのか、そのなんかんによる農法がどういうものか、その目でしかと見るが良い」
そう言って順蔵は酒をあおった。そして見つめ返してくる。形の良い双眸に宿る眼力は強く、明日を怖れているようには見えない。酒のせいでなく、瞳の奥に根強い自信が宿っているのが見えた。
順蔵が言った通り、翌日あてがわれたのは家の主人以外には慣れないことで有名な馬であった。なんかんと括られる佐渡の馬だが、豪農が持つ馬は調教が行き届いているおかげでおとなしい気性を持つ。なんかんと称されるのは中小規模の農家が持つ馬である。漏れ聞こえたところによると、扱いやすい馬をあてがわれる話もあったようだが、順蔵本人からあえて気性の荒い馬を用意するようにという申し出があったようだ。
順蔵は農家の次男である。家を継ぐ立場にない者が養子に出るなり独立するなりするのは珍しいことではない。しかし順蔵の場合、新穂の者が見たことのない農法を携えて帰ってきた。興味を持った権治であるが、それは村人たちにも言えるようで、馬を引き出した順蔵の周りには黒山の人だかりができていた。
「いってえどうするつもりがんだ」
権治の傍で、かけそばの入った器を持った忠一が、興味津々と言った様子で言った。村人たちは順蔵のすることを見世物のように捉えているようで、朝の早い時間にもかかわらずそば屋の屋台が田の周りに立って繁盛しているようである。
「さあ、お手並み拝見ちゃね」
始め指導者らしくフロックコートを身にまとっていた順蔵は、馬を前にして上着を脱いで身軽になった。股引と脚絆を身につけ、靴も足袋に履き替えている。田の周りへ引き出すだけでも唸りを上げている馬を、どうやって手なずけるのかという興味はあった。しかし権治の興味はもっと奥にある。順蔵は昨夜、牛馬耕が人間を重労働から解放してくれると言った。家に帰ってからその言葉の意味を寝ずに考えていた。かつて嫁や娘の仕事であった脱穀が、千歯扱きの出現によって労力を減らしたように、女には務まらない重労働である田打ちも、男女の別なくできるようになるのかもしれない。そうであれば、その是非はともかく、革新的な技術となるのは間違いなかった。
順蔵は集まった村人たちに向けて、持ち込んだ農具のことを話していた。土に潜り込むと思われる部分は人が使う鋤とよく似た形だが、把手がその上についていて、それまでの農具とは明らかに使い方が違うのがわかる。更に鋤で言えば柄に当たると思われる部分は前に伸び、それを馬に引かせて前へ進むようだった。
その農具は犂というらしい。読みは同じだが字は違い、人が使うものとは区別するべきだと順蔵は言った。そして馬に農具を取り付けようとしたが、馬は嫌がって唸る。周囲から短く息を呑む音が聞こえた。後ろ蹴りを見舞われるのではないかと権治も心配になった。
自分自身の唸りに興奮を覚えたように、馬はいっそう激しくいななき、体をうねらせる。業を煮やしたように、馬は歯を剥いて順蔵へ立ち向かってきた。なんかんと呼ばれた激しい気性が表れる。痛い目に遭ったことのある見物人がほとんどで、ざわめきは一瞬恐怖に彩られる。
馬の噛み付きを軽やかな足取りでかわした順蔵は、次の瞬間、流れるような動きで馬の口に噛ませた紐を引っ張った。
手綱とは比べるべくもない、ちょっと腕力が自慢の男なら素手で引きちぎってしまえそうな細く頼りない紐である。それが引っ張られただけで、暴れ出した馬がぴたりと動きを止めた。
声を上げかけた時、馬の興奮がぴたりと収まった。
そして嘘のようにおとなしくなって順蔵のされるままになる。何をしたのか理解する前に順蔵は犂の取り付けを終えていた。そして出来事への理解が追いつく前に順蔵が馬を歩かせる。
「どうやったんだ、妖術でも使ったのか」
忠一が素っ頓狂な声を上げた。権治もばかばかしいと感じながら一瞬そんな思いにとらわれたが、田に入った後の順蔵が重ねる馬への呼びかけは、権冶にとってなじみの深いものであった。
前へ進める時は「マエ!」と力強く発音し、加速させる時には「ハイハイ!」、減速させるには「ホーホー!」。そして動きを止めるには「ドオ!」。これには二種類あって、力強く短い発音をすれば普通に馬は足を止め、緩やかな発音ならそれに応じて穏やかに動きを止める。発音の使い分けによって馬を、それも地元民でさえ手に負えないこともあるなんかんを自在に操る姿は、妖術遣いなどではない。熟練の馬子だった。
馬と共に土の上へ踏み出した順蔵は、馬に引かせる犂を操っていく。使われていない土地のためカブタはないが、冬の夜気で凍てついているのは同じ条件だ。そればかりか、細かい石が混ざっていて普通よりも耕しにくいはずだ。
順蔵と馬は、その条件をものともせず進んでいく。中床犂というものを馬が引き、それを順蔵が後ろから支える。一見すると馬の調子一つで方向がずれてしまう危うさを感じるが、順蔵はかけ声と手綱を巧みに操って前へ進んでいく。そして向こう側へたどり着くと反転し、同じように耕していく。それを五往復行い、田の外を歩いて順蔵は馬と共に戻ってきた。
権冶は成果を確かめようとする老農たちに先んじて田へ飛び出した。隅の土を手ですくうと、空気とほどよく混ざり合った柔らかさが両手を包む。
何より、ひとすくいでは耕された土を全てすくい取ることができなかった。少なくとも人の手が鍬を扱っただけでは達せない深さだろう。
馬の扱いも熟達したものを見せた順蔵に、誰も言葉をかけられなかった。権冶も座り込み、見事な感触を有する田の土に触れたまま、順蔵となんかんを見ていた。
順蔵が耕したのは一反歩、人間なら一日がかりの仕事を、ほんの二時間程度で終えてしまった。重労働から解放されるといったのはこういうことかと権治は思い至る。これほど早く終わるなら、別の仕事をするなり体を休めるなりできて、余裕が生まれる。そしてやり方を覚えれば、女子供でも壮丁ほどの仕事ができそうだった。
権治はその日の夜に再び順蔵を訪ねた。昼間に見た牛馬耕に抱いたことを、彼は柔らかな笑みを浮かべて聞いていた。
「あれが広まっていったら、確かに田打ちは重労働ではなくなってくかもしれんちゃ。一日仕事があれほど早く終わるなら」
「そして男だけの仕事ではなくなるかもしれん。扱いを覚えれば女子供でもできる」
まさに思った通りの可能性であった。
「権治、佐渡の外で百姓たちがどんな努力をしているか知っているか」
突然話が壮大になって、権治は面食らった。これまでの二〇年近くの人生で一度も佐渡から出たことがない。せいぜい両津の港から新潟の方を見渡しただけだ。
「たとえば今日、私が暴れる馬を抑えたが」
「ああ、あれはいったいどうやったがんですか」
話の腰を折った自覚はあったが、訊かずにはおれなかった。順蔵は嫌な顔をせず答えてくれた。
「手綱は轡につなぎ、その轡は馬の門歯と臼歯の間の空間に入れるだろう。ここは馬にとって敏感なところで、通常は轡を入れるだけで御せるが、それでも言うことを聞かないなら今日やったように別の紐をつないで、その紐を引っ張って刺激を与える。それでたいていの馬は従うものだ」
順蔵はわざわざ歯を剥いて、持ち出したより糸を噛んだ自分の歯を例にとって話してくれた。端整な顔を歪める行動がおかしくて吹き出すのをこらえていると、笑いたかったら笑っていいぞといたずらっぽく順蔵は言った。
「この説明をするとたいてい笑われる」
権治はごまかし笑いでその場を収めた。
「あの紐一本で。目の当たりにしても信じがたいです。でもあのやり方が広まれば、馬を手なずけるのも楽になるかも」
順蔵の足取りは軽やかで、ある程度の慣れを感じさせるものであったが、動作自体に難しいところはなかった。呼吸さえ覚えれば誰でもできるはずだ。
しかし順蔵は、すぐに必要なくなるとあっさり否定した。
「あれは馬を去勢していないからやらざるを得なかった。馬匹改良が進めば、今日やったようなことをするまでもなくなる」
「去勢、ですか。それに馬匹改良とは」
知らない言葉が立て続けに出てきて訊き返したが、順蔵は一つずつ話してくれた。
去勢とは馬の睾丸や卵巣を切り取ってしまうことで、それを施すことで荒い気性も嘘のように鎮まるという。紐を使って馬を従わせるということも、そもそも去勢が行われていれば必要の無いことだと順蔵は言った。
「今回帰ってきたのも、その必要ややり方を説くためもある」
それは新潟県の農会、ひいては軍の要請が背景にあるという。北清事変に使われた馬もなんかんのように気性が荒く、一ヶ所に集めると周りの馬と喧嘩を始め、それに兵士が巻き込まれることもしばしばであった。その馬の様子を、各国の武官が猛獣のごとしと評し、明治三四年(一九〇一年)馬匹去勢法が発布されたほどであった。
馬耕が佐渡に伝わったのは北清事変以前のことである。当時は去勢の概念もその必要性を説く人間もおらず、相手にするのも命がけと言われたほどであった。当時に比べれば理解も深まっているが、浸透しているとは言いがたい状況である。仕事を託した相手の意向もあるが、労力と危険を減らすために、去勢や馬匹改良の必要を知らしめるのは大事なことだと順蔵は言った。
「権治よ、いし(お前)はもっと広い土地へ出ていくべきだと思う」
気が緩んだのか、順蔵の口から久しぶりに佐渡の言葉が聞かれた。
「学校を出たのはいい。しかしこれから先、この島に閉じこもっているだけでは取り残されてしまう。ほんの少し離れた泉にいるだけで、新穂では考えられなかったことができるようになった。ならばいしは、島を離れるといい」
「どこへ行ったらいいでしょう」
海の向こうに広がる土地のことが想像できず訊き返したが、順蔵の返答は素早かった。
「福岡だ」
権治は言葉に詰まった。一瞬どこだかわからなかったが、すぐに九州の北部だと思い出す。
思い出してから、その距離に気が遠くなる。たどり着くまでどれほど時間がかかるか、汽車賃はどれだけ必要か、まったく見当がつかない。
そんな権治の思いに構わず、順蔵は言葉を継いでいく。
「私が見せた犂の扱いを含めて、百姓の先端地は福岡なのだ。佐渡では学べないこともきっと学べる。この島にはほとんど見られない犂も、福岡にはいくつかの製作会社が競合するほどたくさんある。私が今日やったことに興味を持ってくれるなら、いつか福岡へ行くことだ」
どうやって行けばいいのか、金はどこから出せばいいのか。卑近な悩みがいくつも浮かんでくるが、力を宿した順蔵の瞳に、後を押されるような心地になれた。
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