なんかんの餞
haru-kana
第1話
鍬を大きく振り上げて、カブタの残る田に振り下ろす。素足の冷たさはあるものの、夜の内に凍てついた土を砕く小気味よい音に気分を良くすると自然に鼻歌が出てくる。鉄の刃先を持った農具を振り上げて、振り下ろす。その運動を一〇分もすれば体は温まる。一時間もすれば水が欲しくなった。
権冶(ごんじ)は一度手を止めて周りを見た。年が明ければ苗が植わり、気温の上昇と共に青み
を増していく田も、冬の間は荒涼とした地味な色で占められている。その土地の上で、
権冶を含めて四人の男たちが一心不乱に鍬を操っている。一人分の割り当ては一反歩で、いくら慣れていても重労働に変わりはない。歌の拍で小気味よく勢いをつけてやらないと続かない仕事であった。
周りを見ると自分が一番遅れている。こうしてはいられないと思って権治は仕事の速度を上げる。一緒に田に入った仲間の中では一番年下で小柄だ。遅くなっても仕方がないのかもしれない。だからと言って最後に甘んじるのは我慢がならない。権冶は鍬を持ち続けるうちに大きく、固く成長した手に力を込め、土をより深く掘り込めるように、ばねのようにしなやかになった体を躍動させた。
午後になって、年上の仲間たちは疲れてきたようだった。それを見て権冶は追い上げたが及ばず、結局最後になってしまった。
夕日の中で、仲間たちは自分の道具に体を預けながら談笑していた。そこにたどり着くと、彼らは表情を変えずに自分たちの道具を権冶に差し出す。権冶は口をきつく結んで不機嫌さを隠さずに受け取った。
「そう気にするこっちゃねえ。同じ年頃のと比べたら早くやれてるげえな」
一人がねぎらうように言ったが、高みから頭をぽんぽんと叩かれても素直に気持ちを受け取ることはできない。権冶は無愛想に返事をした。
「一日のうちに終えられてよかったな」
その言葉を聞きながら、権冶は四人で耕した田を見渡した。カブタと呼んでいる稲の株が残っていた田には、四人がかりで全部にまっすぐな畝が立てられた。
カブタを打つ時には、田にできるだけ大きな畝を立てろと、初めて鍬を持った時に教わった。それはどうやら、どこかの偉い先生の指導によるものらしい。それによると、土が風に当たる面が大きくなり、冬の冷たい風によって凍てつく。これが溶けると砂のようにさらさらとした土壌になる。それが稲にとっては良い環境らしい。
よく風にさらし、よく凍らせた田を、春に打つ。気長に干物を作るような作業を経ると、一肥やし分は違うという。権冶は一一歳、先生が言うような難しいことはわからない。ただ、冷え込みの厳しい時間から一日中働いた結果、収穫が増えるというのは魅力的だし、その仕事のやり方次第で土の状態が変わるということには興味を惹かれた。
一人が帰ろうと言った。それに皆が従う。今日の野良仕事が一番遅かった権治が、皆の農具を全て担いで仲間についていく。ずっと昔から続いている習わしのようなものだ。
やがて誰かが号令をかけたわけでもなく、四人の口から歌が漏れてくる。佐渡で暮らすうちに覚えてしまった佐渡おけさである。
ハアー佐渡へ、佐渡へと、草木もなびくヨ
佐渡は居よいか、住みよいか
権冶は前の一人が歌うのへ、合いの手を入れながら歩く。
ハアー 佐渡へ 八里のさざ波こえてヨ 鐘が開える 寺泊
ハアー 雪の 新潟吹雪にくれてヨ 佐渡は寝たかよ 灯も見えぬ
ハアー 佐渡へ 来てみよ 夏冬なしにヨ 山にゃ黄金の 花が咲く
ハアー 来いと ゆたとて行かりよか佐渡へヨ 佐渡は四十九里 波の上
ハアー 波の 上でもござるならござれヨ 船にゃ櫓もある 櫂もある
ハアー 佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡
歌に回ったり合いの手を入れる方になったりしながら、権冶たちはそれぞれ家路についた。
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