北へ飛ぶ馬車
五章 北へ飛ぶ馬車
「とうとう打って出る時が来た」
明治八年(一八七五年)の春、広沢安任は開牧舎に関わる全ての人間を集めて語り出す。話を受ける辰次郎の後ろには、四十頭の牛がおり、バターやチーズを収めた木箱が積み上げられている。
開牧舎が二年間で積み上げた成果である。そして広沢が言うように、打って出るための武器でもある。
「これから東京や横浜で、この牧場で造ったバターやチーズを売りに行ってもらう。彼らこそ反撃の先兵である。ここに残る者たちは、彼らを温かく送り出してほしい」
広沢の声に応え、牧童頭の北村要や小池漸が挨拶をする。東京や横浜では、かつて八戸藩の大参事を務め開牧社の設立にも協力した太田広城が待っている。彼と協力してチーズやバターを横浜の外国人居留地に売り込み、東京市場には肉牛を卸すのだ。これまで薬として扱われていた牛肉が、最近は猪などと同じように食用肉として捉えられるようになり、売れる可能性は充分にあるだろう。
戦場への出陣さながらに気合いの入った声に送り出され、北村と小池は牛を引き連れて旅立った。彼らはこれから海路で横浜へ入り太田と合流する。戦に敗れて減封の憂き目に遭った者たちの再起戦が、最果ての土地だけでなく新たな日本の中心地でも行われるのだ。
男たちと四十頭の牛が見えなくなるまで、辰次郎をはじめとする開牧社の社員たちは立ち尽くした。やがて最後の姿が見えなくなると三々五々その場を去り、日常の仕事へ戻っていく。
牛舎や豚舎へ向かう者が多い中、辰次郎の足は建物には向かなかった。行き先はこれまで多くの作物が生った菜園である。
開牧社及び広沢牧場が始まってからの二年間は目の回るような忙しさで、やのような速さで過ぎ去っていったが、その分成果は着実に上がっていた。初め牛や豚を飼うのがやっとだった牧場は余裕を持ち、紅大根や蕪を栽培する菜園を持つまでになった。
そのための土地を整備したのは、開牧舎の名子として働き出した頃にルセーから使い方を教わったプラウであった。新たにイギリスから鉄製の丈夫なプラウを購入し、辰次郎もそれを使って農地の整備に携わった。当初馬に関わることで貢献しようとしていただけに、菜園で作物を育てるようになったのは思いがけないことであったが、開牧舎を支える大事なものを育てるのは大きなやりがいであった。
「投資の効果は着実に表れているようだな」
北村と小池の旅立ちから三日後、朝の日課である牧場内の見回りをしていた広沢に、自分が預かる菜園の状況を伝えると、彼は満足げに頷いた。
「ここがあの原野であったなど、何も知らない者は信じまい」
「木戸に見せてやりたいものですな」
戦に敗れた会津藩の処分を決定するのに中心的な役割を果たした男は、新たな体制においても重要な役割を演じている。敗者たちが礎となった地位と思うと辰次郎は業腹だったが、
「悔しがるかな。それよりもここで生産したものを口にしてもらった方が手っ取り早いかな」
広沢は牧場と菜園を見渡して笑った。その表情はあくまで清々しく、明治の役という言葉を生んだ熱さは影を潜めている。
開牧舎は、広沢はもちろん戦に敗れた全ての人々にとって再起戦のようなものであろう。しかし武器を交えるものとは違う。新たな体制下で、敗北の過去を背負った者たちでも何かができることを示すためのものなのだ。相手の暮らしを破壊するためのものではない。
「何にせよ、私がその瞬間を見るのは難しいな。ここから離れられないし、向こうもわざわざ青森くんだりまで来ないだろう」
開牧社設立からの約三年間は忙しく、安定した経営ができるかどうかの見通しも立たないような苦しい日々であったが、給金を遅らせることはなかったし、もはや若くない自分にも新たな技能が身についてく実感が嬉しかった。そんな日々を乗り越えたためか、相変わらずの辺鄙さを認めながら、広沢の声には余裕があった。
「さて、雑談はこれまでだ。期待しているぞ、倉本菜園の主よ」
本来なら広沢菜園が相応しいように思えたが、あまり冗談を言わない人の口から出た言葉に戯れる響きはない。十年ほど前まで目通りさえ叶わなかった人が自分の領分を認めてくれる。高い給金よりありがたかった。
辰次郎は土に向かい、時が満ちれば収穫する。その一方で拡張も忘れない。かつて教授を受けたプラウを、若い社員たちが使えるように教えていく。その日々の中で気にかかるのは、この土地にプラウは向かないというルセーの言葉であった。
五年間の契約を結んでいたルセーは、変わらず開牧舎の牧場運営に携わっていた。その契約期間の半分以上が過ぎた今、聞きたいことは残らず聞かないと後悔すると思った。
「プラウの大きさが合わないのだ。そう感じたことはないか」
ルセーはちょうど一服中であったが、嫌な顔はせずに辰次郎を自室へ迎え入れた。
「あいにくと日本の茶はないのだが」
そう断ってからルセーはポットから紅茶を入れた。飲み慣れた茶より香りが鋭く、ルセーとの間に味覚における隔たりを感じた。
そんな思いはおくびにも出さずにティーカップを受け取り、辰次郎はルセーと向き直り、黙って頷いた。現状でも使えてはいるものの、馬に無理を強いているようで心が痛むことはある。
「それでも使いつづけたのは何故ですか」
ルセーは厳格だが、実利を追い求めるあまり周囲に無理を強いる男ではない。そんな人物のすることにしては強引に思えた。
「君に使い方を覚えてもらいたいものがある」
そう言い、ルセーは書棚から書物を持ち出した。
英語を読まされるのかと思って微かに顔をしかめた辰次郎だったが、書物の内容の多くは絵図で、注釈として英語が添えられていた。
絵図の多くは、プラウによく似た農具らしきものが描かれていたが、不思議と郷愁を誘う感じがした。それまで見たことはないはずだが、馬を前に行かせる農夫の姿が、自分と重なったせいかもしれない。
「これは一体」
「西の、九州で使われている道具だ。犂という」
「犂、ですか。人が使うものとはずいぶん違いますが」
「あれとは字が違う」
ルセーは絵図の隣に、慣れない手つきで二つの文字を書いた。人が扱うものを『鋤』、絵に描かれたものを『犂』と分けている。
「ずっと昔から使われていたらしいが、福井藩では見なかった」
「会津藩でも同様です」
「西では盛んに使われているようで、これを使うとずいぶん畑仕事が楽になるらしい。日本のものだから、プラウを使うよりは良いと思うのだが。検討してみる価値はあるのではないか」
辰次郎はルセーに断り、犂のことが書かれた書物を借り受けた。仕事が終わり、隊舎に戻ってからの夕餉の後に、辰次郎は家族との会話もそこそこに切り上げて書物に向かう。これまで使ってきたプラウとよく似ているものの、日本の馬にあつらえたような大きさであった。
ルセーの書物からわかったのは、遙か昔に大陸から伝わったものが日本の馬や地質に合わせて改良されていったということだった。主に西日本にて定着し、現地の農村ではこれを扱えることが重要な技能となるほど、農民の暮らしに溶け込んでいたという。
辰次郎は馬鍬を思い出した。馬に曳かせて代掻きを行うための農具であるが、人の使う鋤と同じ読み方をするだけに、代掻き以前の段階で使われるのだろう。それこそ未開の土地を切り拓き、耕すのにうってつけの農具ではなかったか。
書物を閉じた辰次郎は、初と正毅が眠る部屋に入った。長屋に暮らしていた頃に比べると格段に環境は上向いている。窮屈さを感じたことはないし、冬のすきま風に震えることもない。親子の寝顔も穏やかなものだ。
音を立てないように気を配りながら床に就いた辰次郎だったが、
「ようやく終わりましたか」
と、初に声をかけられ、何となく決まり悪くなる。
「済まん。起こしたか」
「いいえ。先に寝ていろと言われても、簡単には眠れないものです」
「これまでが違ったからな」
夫が仕事で遅くなっても、帰りを待って起きなくても良いと言ったのは広沢であった。敗戦の記憶が遠ざかりつつあるとはいえ、厳しい暮らしを強いられる土地であることに変わりは無い。社員である男たちが働くには、健康な女たちが必要だと考えているのだろう。
「外で何かをするでもなく、何をしているのですか」
「何、読書だ」
辰次郎はルセーから借り受けた書物のことを語った。西で使われ定着しながら、東には普及しない農具を、やはり初も知らなかったようで、
「広い国だったのですね。今更ながらにわかった気がします」
初は遙か遠い場所で使われてきた農具に思いを馳せているようだった。
「それがあれば、何が変わるのですか」
「収量が変わり、能率も良くなる。飢えることも少なくなるだろう」
「それは良いことです」
初の声には実感がこもり、
「全くだ。それを目指さなければ、働く理由も怪しくなる」
辰次郎の胸にも熱いものをこみ上げさせた。いくら働いても、飢えのせいで命を落とした秀一郎のことは忘れがたい。
「そう言えば、義兄さんたちはどうしているのですか」
初の胸にも秀一郎のことがあって、それをきっかけに長屋に残った人々が思い出されたのだろう。
「ああ、そのうち手紙も届くだろう。ちょうどいい、その時はお前や正毅にも返事を書いてもらおうか」
「楽しみですね」
初は笑み、辰次郎がもう寝ろと言うと素直に従った。
長屋からの手紙は四日後、ちょうど寧日となった日に届いた。開牧社設立当初は、厳しい自然条件のために郵便料金が高く、遣り取りの頻度も高くなかったが、二年前には料金が均一化された郵便事業が始まった。そのおかげで以前に比べて手紙を出しやすくなった。
「新村さんも、田名部を離れたのですね」
佑の近況を知らせる手紙を初めに読んだ。佑は現在東京で警察官として働いているという。新政府へのわだかまりを人一倍強く抱えていた男だったから、今後どういう生き方をするのか心配だったが、少しは歩み寄る気持ちになれたのかもしれない。
「良いことだろう」
斗南藩の頃は漢学を教えるなどしていたが、本来は武芸に生きることを望んでいた男だ。それまで培ってきたものを使うことができるのだから、良い選択をしたと言えるだろう。
関家、そして水沢家も近く田名部を離れると伝えてきた。それぞれの主が農政と教育に関心を持っていて、それを活かすため青森県庁に職を求めたのだ。それほど稼ぎは良くないものの、今の仕事を続けるよりは希望があると揃って書いてきた。
「あの長屋はどうなるのですか」
正毅が訊いた。田名部へ移ってきた時四歳だった正毅にとって、長屋が生家のように思えたのだろう。
「菊右衛門さんが何とかしてくれるだろう。元々壊すつもりだったようだし」
「菊右衛門さんはどうしているんですか」
辰次郎は兄の手紙の中から菊右衛門のことを伝える文を探し出した。自分たちが田名部を離れた時とそれほど変わりはないようで、佑が出ていく時も温かく送り出してくれたようだ。
「兄上や長兵衛が出ていく時も、餞別をくれるかもしれないな」
戦に敗れた四家族を受け入れてくれたばかりか、周りとの軋轢が生じないように心を砕いてくれた男のことは忘れない。恩を充分に返せたかどうか未だにわからないが、安楽に暮らして懸命に働いているのがわかれば彼も安堵するだろう。
「返事を書こう」
妻子に呼びかけて辰次郎は筆を執った。それぞれの体調や今後を心配しながら期待を抱く心地が文面に表れていくのがわかる。その瞬間を見届ける事ができなかったのは残念だが、それぞれが敗戦の時を乗り越え、自分自身の道を見つけて歩き出そうとしている。新たな体制が新たな道を行くように、彼らも自分自身や自分の家族を未知の地平へ導いていく。それは政治の変革にも似ていた。
親子三人で並んでそれぞれの手紙を書く。辰次郎は広沢安任と彼の経営する開牧社のこと、そこで自分が任された仕事について書き綴っていく。農業に関心のあった長兵衛と何らかの知識を交換できれば良いと思い、意図して犂という言葉を多く入れる。場所はそれぞれ隔たっても、後の世代の礎になろうと思いを共にした男たちなら、自分の心にも応えてくれるはずだと信じることができた。
「どこかで一度会うことができれば良いですね」
初は言い、辰次郎は深く頷いた。正毅もその時を思ったのか顔を輝かせる。
それぞれが遠くへ散ってしまい、新たな生き方を始めてしまった今、四家族が揃うのは難しいかもしれない。しかし、まだそれぞれの人生は続くのだ。可能性を夢見て暮らすのは悪くないし、それが生きていく力にもなるはずだ。遙かな明日を臨むのも大事だが、卑近なことを忘れては足下がおぼつかなくなりそうだった。
辰次郎は書き終えた返事を手続きのために会社の係員へ渡した。それだけで半日仕事になってしまい、料金の支払いも済ませる頃には三時を過ぎていた。
「せっかくだ。少し歩いてみるか」
許しを得てから辰次郎は正毅と初を牧場へ入れた。牛や豚の近くに寄ることはできないが、普段暮らしているだけでは感じ取れない匂いや音など、二人には新鮮に感じられたらしい。いつもは見ることのできない顔を二人揃って見せてくれた。
「職場見学か」
その途中で偶然、馬で牧場を回っていた広沢と出会った。初と正毅は一瞬怪訝そうな顔をしたが、広沢の名を告げると急にかしこまり、小参事と口にした。その様が少しおかしく、広沢も苦笑していた。
「もう小参事ではありませんよ。もう四年も経つのに、まだその肩書きを覚えている人がいるとは」
「妻も会津の女であり、斗南藩士の妻でしたから」
「ではこちらも、斗南藩士の息子かな」
広沢は馬上から正毅を見下ろした。一瞬臆したように顎を引いた正毅だったが、足は動かず、まっすぐ広沢を見つめていた。
「大事にすることだ」
広沢はそう言い残して立ち去った。正毅は何を指しての言葉かわからないようで、惚けた顔で広沢の後ろ姿を見送った。
「安心して生きられることを大事にしろと言ったのだ」
正毅はそれでもわからないようであったが、妻と息子が安楽に暮らせるなら、それだけで働く理由になる。見失わないように大事にしろと、部下に向けて言ったのだ。
再び三人で歩き出す。寧日はまだ残っていて、これからの夕餉が楽しみであった。
寧日を終えると辰次郎は最初に広沢を訪ねた。東京や横浜へ商品を売り込みに行くほど成長したとはいえ、事業を停滞させることはできない。広沢は常に、牧場や菜園を拡大するための策を探していた。
広沢にとっての馬は、自ら選りすぐって期待をかけた財産である。それを更に活かせる方法があると示されたのは嬉しかったようで、
「いつから使える」
珍しく逸る気持ちを見せていた。
「八戸の工場に頼んで造らせることもできるでしょうが、西の商人から買い付けても良いと思います。犂は西の方が本場ですから」
使うとすれば来年になるだろう。馬や牛の力を利用した犂の効能としては、人が耕すよりも速く進められる上、労力も少なくなる。人手にかける金を抑えられるのも魅力的だったが、土のより深い部分まで耕せるということだった。
「それにどんな効果がある」
広沢は興味をそそられたような顔をしていた。ルセーから聞いたことだと前置きして、辰次郎はかつて小参事にまで上った男を前に語り出す。
「簡単に言うと、深く耕した分作物の根が深く張り、それだけ養分を多く取り込めるということです。しかしこれを使うには、地質の改善も必要だと聞いています」
「すぐに使えるものではないということか」
「青森を始め、東北では湿田が主ですが、これが犂とは相性が良くないそうです。西の方は乾田で、冬になると水を落とすそうです」
「乾田を採用するとしたら、先祖伝来のやり方に背くことになる」
「その通りです。しかし水を落とすことで、土が蓄えた養分が流れ出すことがなくなるという利点もあるそうです。実際このやり方を採用している西の農業の方が進んでいます」
「なるほど、君は先祖伝来のやり方を変えるべきだと言いたいのか」
広沢は値踏みするような目をしたが、奥底ではその変革がどんな効果をもたらすか冷静に計算しているようだった。
「私は菜園を任されています。社長が常に拡大の策を探しているように、私も菜園をいっそう発展できる方法があるなら、それを試してみたいと思います」
広沢の冷えた部分へ訴えかけるようにして、辰次郎は言葉を紡ぐ。自分自身の思いを声にしていくと胸に熱を持ち、冷静さを忘れそうになる。それを踏みとどまらなければ、会牧社の最高責任者を味方にはつけられないと思った。
「私が望みをかけたのはあくまで牧場だった。菜園を育てる者がここまで育つとは思いもしなかった」
やがて広沢は静かに語り出す。開牧社設立に至るまでの日々を、言葉を手がかりに思い出しているようだった。
「これが牧場の出来はじめであれば、もっとすることがあるだろうと諫めるところだった。しかし今、当初の志だけを大事にしていれば良い時期ではない」
「では」
「研究を許そう。しかし菜園の主としての仕事を疎かにしないのなら。それと、研究についての報酬は出せない。それが欲しいのなら、菜園から得る収入を増やしてから話し合おう」
「充分です」
一歩前へ進めるだけでも充分だった。馬のこと以外は未知の領分であるが、知らないことが多すぎるだけに身構えようがない。気持ちを縮こまらせるような怖さは感じなかった。
辰次郎の日々は以前に増して土の匂いを含むようになった。昼間は菜園で土に触れ、夜には犂の効用を調べるために集めた書物に向かい合う。街から離れた土地のことで、書物を一冊手にするのも難しかったが、開牧舎設立直後から付き合いのあった八戸の鉄工場で知り合った技術者の縁が役に立った。
犂を使った農法は、俗に牛馬耕と呼ばれているらしい。この農法が最も発達しているのは福岡県で、同地の柳川藩では天和年間に牧場を造り、種馬を奥州から求めるなど、広沢が開牧舎で行ったことを百年以上前に実現していた。現在でも家畜の数は増え続け、牛馬耕が生産力を上げている。その利益が四円以上だと聞き、自分たちが戊辰の役で敗れた理由も、そこにあるのではないかと邪推したくなった。
北九州では耕地改良も盛んで、久留米藩では寛文四年から天保五年までの百七十年あまりで水利、治水を行い、乾田で効果を発揮する犂が活躍する土壌を固めた。その効果は三六〇〇石の加増という形で表れている。
資料として得た書物には、野菜よりも米作にまつわる話が多く載っている。自分の菜園に米はないので本来は必要ないと思いながら、興味を引かれて読んでみる。叶うなら、将来は米作にも挑戦してみたかった。
湿田の乾田化は反収と米質を上げる結果につながったという。農家の経済は潤い、金肥を使う者も現れたという記録がある。作物の根を深く張らせる深耕がもたらした結果だが、それを可能とするには耕地の改良が必要で、広沢が言うように先祖伝来のやり方を捨て、常識に反した方法を採る必要があるようだった。
辰次郎は手始めに、青森県庁に勤める長兵衛に文を出した。近況に触れるのは最小限にして、自分が関わることになった仕事について書き、教えを請う内容で締めくくる。その返事は七日を超えてから届いたが、連絡を取ることができたのが嬉しかったのか、少し前に伝えたはずの兄の近況まで告げてきた。
「みんな元気にやっているんですね」
返事を横から読んでいた初は、安堵したような声を漏らした。前回手紙の遣り取りをしてから間もないが、定期的な連絡と必要があって行う遣り取りは違うと感じたのだろう。辰次郎もまた、どこか義理で行っていた遣り取りよりも長兵衛の本質を受け取ったような気がして温かな気持ちになった。
「近いうちに会うことになる。できれば田名部が良いな」
「どうしてですか。遠いではないですか」
「一度帰ってみたくなってな」
初は一瞬驚きを見せたが、
「それも良いかもしれませんね」
三十年近く連れ添っている夫の心情をわかってくれたらしい。幼い子供が死んだり、自分自身も嘲られたりして、良い記憶は少ない。それでも、第二の故郷だと思えるだけの思い出はあって、それに心惹かれているのも事実だった。
「わたしはあまりその気にはなれませんけれど」
「別にそれでも良い。あそこでの暮らしは、確かに辛かった」
斗南藩士にとっては、耐え難きを耐えたという思い出の地であり、安定してきた現在から見れば礎を築いた場所として懐かしくなる。それも妻や母の立場だと、子供を失ったり厳しい暮らしを強いられたりした印象ばかりが強くなるのだろう。初にとっても、厳しい暮らしに耐えたからと言って何かを得られたという実感は乏しいようだった。
「ただ、嫌な思い出を捨てるだけがその後の生き方ではない。だからこそ青森県に残ったのだからな」
言った後で辰次郎は佑を思った。東京へ出て警察官となった彼の心を、最後まで掴みきれなかったように思う。新政府に仕える仕事を選んだということは、わだかまりを解くことができたのだろうが、深奥のことまではわからない。
心配は佑と同じく東京へ出て行った永岡久茂にも及んだ。彼が新政府の施策に絶望して、何らかの反動的な行動を起こすつもりだという噂話を、廃藩置県の直後に聞いたことがある。彼の心情や噂の真偽を確かめる機会は掴めなかったが、去年起きた佐賀の乱がきっかけとなって、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。
首謀者の江藤新平といえば、法制を整えるなどの功績があった人で、新政府にとって重要な人物であったはずだ。本人にとっても思い入れがあったはずの組織に弓を引くなど信じがたいことであったが、通常有り得ないことが起こりうる。そのように特殊な時間を、自分たちは生きているのかもしれなかった。
次の休みの日に田名部へ戻ることを告げると、広沢は少し羨ましそうな顔をした。彼もまたどこかで帰りたいのだろうが、そのためのきっかけに恵まれていないようだった。一人で何の気なしに訪れるには遠く、忙しい人には億劫に感じるのだ。辰次郎もまた、長兵衛から犂の話を聞くという目的がなければ、いくら懐かしさに触れたいと言っても腰が重かった。
「あとで土産話でも聞かせてくれ」
広沢はそう言って送り出した。ただ昔の仲間と会うだけだが、大きなことをしにいくようで面映ゆくなった。
田名部までの道のりは馬車を乗り継ぐことになった。季節も道のりの過酷さも違うのだが、辰次郎は会津から斗南へ向かう道中を思い出した。戦に敗れた後の処理がようやく始まった頃であり、新たな土地には希望が満ちあふれているのだと無理にでも信じ込まなければ超えられない道のりであった。たどり着くことだけしか考えられなかった七年前、牧場の片隅とはいえ菜園を手がけることになるとは思いも寄らなかった。
そればかりか、当時の仲間の一人もまた、農業に携わる道を歩んでいる。新政府の主要人物が反旗を翻したように、予測もできないことが立て続けに起きる時期であろう。その時流に乗れる者が多ければ正毅の世代が潤うだろう。
未だ朝敵の汚名をそそぐことはできない自分たちでは、親藩だった頃の保科松平家の復権など夢のまた夢である。重荷に感じるかもしれないが、期待は次の世代へ注ぐしかなかった。
港町である田名部に下りると、特有の匂いを最初に感じた。草いきれや家畜、土の匂いとは明らかに違う、どこかさわやかな印象さえある港の空気である。馬の競り市は見当たらなかったが、約三年ぶりに帰ってきたという実感は充分であった。
感傷に浸るのはそこそこにして、辰次郎は長兵衛が待ち合わせ場所に指定した小料理屋を探した。時間に余裕があれば夕方から会合を始めたいところだが、長兵衛にも事情がある。約束の時間は日が暮れてからある程度時間の経った頃であった。
時間を見計らって待ち合わせ場所に着くと、既に長兵衛は個室に待っていて、早く酒を注ぎたいとばかりにとっくりをつついていた。
「久しいな」
長兵衛と目が合った途端、言おうと思っていたことが消えてしまった。その間隙を突くような頃合で長兵衛が笑いかける。三年前に別れた時と変わらない、陽気な質の笑顔であった。親や子供を抱えたまま環境が変わったのは苦労だったはずだが、それが影を落としているようには見えなかった。
「三年が過ぎたな」
ようやく思い浮かんだ言葉は当たり前のことであったが、
「ああ、長い時間だったな」
長兵衛は気にした風もなく、鷹揚な態度で辰次郎を迎え入れた。
「三沢からここまで、遠かっただろう」
気遣う言葉と共に長兵衛は酒を注いだ。
酒の満ちた杯をつき合わせ、飲み干してから辰次郎は頷いた
「馬車を乗り継いでな」
「さすがに今日は帰れないな」
「明日まで休みはもらっている。宿も見つけてある」
「そつが無いな」
「半分は仕事だからな」
まともに休みをもらえた記憶は遠いが、その分菜園の主としての信用を高められている。そう思えば決して疲れるばかりではない。今回もまた、長兵衛の話を聞くだけでなく、彼に会いたい気持ちもあった。
「兄上も青森県庁に勤めているのだろう。付き合いはあるのか」
連絡を取り合うこともでき、その文面からは特段の変化を読み取れないが、近くにいる人間の言葉は違うかもしれない。
何となく訊くのが不安であったが、長兵衛の言葉は寅之介の寄越す手紙と大差ないものだった。
「あの方は何も変わらない。日新館で子供を教えていた頃と同じだ」
「心配なのは学制のことだ。手紙では何も教えてくれないが、兄上のことだから、理想と現実の差に苦しんでいるのではないか」
全国に小学校を設置し、児童を教えるという学制が発布されたのは三年前の八月のことだ。翌年施行されたが、始まってみると各地で反対運動が相次いだ。授業料が高額な上国からの補助がないという負担の理不尽もさることながら、小学校に通う年齢の児童は農家にとって貴重な労働力でもあるという現実も反発の原因となった。
「正毅は通えているのか」
「恥ずかしいが、金銭的に難しい。広沢社長は教育に理解のある方だから、子供に仕事を与えてその合間に学びを授けてくれている。そうすればある程度、労働に使っているという面目は立つからな」
「広沢さんを以てしても難しいのか」
辰次郎はため息をつき、長兵衛は苦笑した。幕末に昌平黌で学び、現在でも詩文に親しむなど深い教養を持つ男は、子供の頃の教育がいかに大事か理解している。そんな彼が考え出した水際の方策であろう。社員の生活や開牧社の運営を考えると、法令に諾々と従うだけではいられないのだ。
「しかし悪いことばかりじゃない。寅之介さんはまだ言っていないようだが、青森師範学校の講師に登用されるかもしれない話があるんだ」
「栄転ではないか。官製学校だろう」
ふとそんな言葉が転がり落ちた。その後でいかに素晴らしく感慨深いことか思い至る。田名部馬の競り人に長兵衛と共に会津のゲダカと嘲られたことがあるが、兄も同じ屈辱を味わったはずだ。
「少しずつ認められてきているんだろう。官費制だから、これから斗南藩士の子弟がどんどん入学してくるだろう。そうすれば俺たちは青森県で蔑視を逃れられるかもしれない。もうお家再興は叶わないが、保科松平家の復権も近い」
会津藩士は教育についての教えを最初に授けられる。どんな環境においても教育だけは疎かにしないように、心根に染みこんでいるのだ。広沢も兄も、元会津藩士として正しい行動を採っている。
「もう会津のゲダカだの鳩侍などと呼ばせはしないということだな」
そんな日が目前に迫っていると思ったが、不思議と落ち着いた心地であった。生き抜いていけないかもしれないと絶望したこともあったが、切り抜けられたら必ず誰かが浮かび上がり、東北第二の石高を持つ藩であった頃の栄光を取り戻すと信じていた。時代が移り変わり、手に入る栄光は形を変えたが、帝州のためと思えば、目に見える実績よりも尊い輝きだった。
「お前の兄上は広沢さんと同じ希望になれるよ。お前や俺はどうかな」
「可能性に過ぎまい」
辰次郎は努めて言葉数を抑えた。長兵衛も自分も、立場の違いはあれど土地の人々を下支えする仕事に就いている。それがどう推移していくのか、まだ誰にもわからない。体制ですら不安定な今は、確かなことは何もないのだ。
「しかし可能性があるなら追いたいものだ。犂の話をしよう。何か知っているか」
兄のことを語らうのは楽しいが、本来の目的を忘れてはいけない。長兵衛は一瞬だけ不満をのぞかせたが、煮物に箸をつけてから表情を改めて語り出した。
「犂を使ってみようという話は、俺のところでも聞く」
「本当か」
辰次郎は思わず前のめりになった。うまくいけば青森県庁と連携を取ることができるかもしれない。
「そこへお前のことだ。もしかしたら話が良い方向へ進むかもしれないと思ったが、問題は多いな」
「土地というか、これまで農民たちが伝えられてきたやり方にそぐわないのだったな」
「田圃に話を絞ると、冬になっても水を落とさない、いわゆる湿田が常識だった。俺たちも農業については門外漢ながら、それぐらいの知識はあった」
「しかし西の方では、二百年以上前の寛文年間から、冬には水を落とすなどする乾田農法が行われていたと聞いた」
「そのための方法があるのだろう。そのやり方を教わることもできるが、実際に成し遂げるのは大変だぞ」
西の農民から技術を教わるのは、交渉次第でうまくいくだろうが、東北の農民たちが使えるようにならないと意味がない。身につけられるかどうかも心配だが、彼らの常識に反するやり方を受け入れてくれるかどうかという問題があった。
「一人の仕事なら楽なのだが」
一代限りなら、わざわざ長兵衛に相談することはない。好きなように進めていけば気楽
で、他人に負担を強いることもない。しかし広沢が求めているのは、牧場経営が何代も続いていくことで、農業技術の革新はその一環なのだ。受け入れられるかどうか未知数でも挑戦するしかない。
「しかしお前のように、新たな技術を採り入れようとする者は貴重だよ。下北半島は昔から飢饉の多い土地だったし、それがどれほど辛いか、俺たちは身を以て知ったはずだ」
何を言って良いかわからず、短い返事をして何とはなしに辰次郎は煮魚に箸をつけた。秀一郎の死は今でも心にわだかまりを残している。ほんの少し、巡り合わせが違っただけで別の子供が死ぬかもしれなかった。秀一郎が死んだのは偶々であっただろう。
「犬はまずかったな」
ふと思い出し、辰次郎はぼそりと言った。
「何だ、それは」
「いや、菊右衛門さんが野犬をくれたことがあってな。正毅は文句を言うし、初も不満を漏らしていた。俺も正直食べたくはなかったが、食べるものも少なかったから、無理にでも食べろと言ったよ」
「しかしできるなら食べたくなかったか」
「ああ。最近病気でもないのに牛肉を食べるらしいが、あれは美味いのかな。牧場からも売られていったが」
長兵衛は苦笑し、首をかしげた。横浜や東京のように異人たちが多く集まる場所ならともかく、この最果ての地にて、異人はルセーとマキノンしか見たことがない。牛肉の出荷に異を唱えなかったのだから彼らの母国では当たり前のように食べられているのだろうが、受け入れられるようになるまで時間がかかる気がした。
「犂のことだが、道具を揃えることはできるだろう。西の方から道具を一つ買えば、それを職人に回して同じものを作ってもらう。それを量産するんだ」
「問題は使いこなす人間か」
「それを教えるのは人でなければならない。誰かここまで来て教えてくれる人がいないか、俺も探してみよう」
「頼む」
「青森県の、そして東北の発展のためだ。元々東北は簡単に収量が上がらないような土地なんだ。だからこそ使えるものはいくらでも使っていかなくてはならん」
長兵衛は頼もしさをにじませた。息子を一人亡くした後でも、傍目には消沈した様子もなく、悲劇を繰り返さないための方法を探していたような男である。心根の強さは今でも変わっていないようだった。
仕事のことで集まった二人の話題は、自然と身近なものになっていく。互いの家族や職場の同僚のこと、新たな体制となって十年が経とうとしている国のことを語り合う。江藤新平が起こした佐賀の乱のことを口にすると、長兵衛は佑のことを言った。
「あまり連絡を寄越さないが、東京は大丈夫か」
「そうだと思いたいが」
あまり高くない頻度で届く手紙には、大事ないことが書かれている。問題が起きても隠す理由はないはずだから信用しているが、新政府の中でも一定の地位があったはずの人による反抗が、佑を嫌な形で巻き込まないかと心配になっている。長兵衛も同じか、一度会ってみたいが、と顔を曇らせて言った。
「いずれ会えるさ。俺たちは同じ帝州の民だろう」
長兵衛は微笑んだ。斗南藩はなくなっても、その根底にある言葉だけはいつまでも生き続ける。おそらく正毅の世代までは、事あるごとに思い出してくれるだろう。
長兵衛と別れて、辰次郎はあらかじめ見つけておいた木賃宿に入った。何かを背負ったように暗い目つきをした者ばかりが、十畳ほどの部屋でそれぞれ横たわっている。まだ起きている何名かは、新たな客を一瞥したが、すぐに興味をなくして目を逸らした。
辰次郎は部屋の隅に腰を下ろし、体を横たえた。饐えた臭いさえ懐かしく思えた。
翌朝長兵衛は宿泊先を訪ね、見送りに来てくれた。日が昇る前の時間で、そのことを言うと、
「俺にも仕事がある。こうでもしないと見送りもできないのでな」
そう言って笑った。これから弘前へ戻らなければならないという。
「犂のことは何か動きがあれば伝えよう。技術の伝道者をまず探すんだったな」
「御雇いほどではないが、報酬もそれなりのものが必要だろうな」
「やるとなればしっかりやるさ。心配するな」
長兵衛に肩を叩かれ、辰次郎は送り出された。少し歩いて振り向くと、彼は既に別の方へ歩き出していた。既に人の姿はまばらに見えてきていて、空の色も変わりつつある。辰次郎は薄闇に長兵衛の背中が紛れるのを見届けて操車場へ歩き出した。
三沢に着いたのは午後になってからで、最初に広沢へ会いに行った。青森県庁でも犂に関心を持っていることを告げると、
「これで少しずつでも前に進めるかな」
広沢は顔をほころばせた。
休日はまだ終わっておらず、広沢への報告を済ませたら社員用の家へ戻る。正毅は勉強から戻っておらず、初が洗濯物を干していた。
「おかえりなさい。早かったのですね」
何となく不満げに見えるのは気のせいだろうと思うことにした。
「早めに出てきたからな」
「それで、どうだったのですか」
「青森県庁もきっと協力してくれる。技術の指導者を探すと言っていたよ」
「関さんはお元気でしたか」
「何も変わっていないよ。兄上は今度、師範学校の講師になる話があるらしい。まだ決まってはいないが、兄上のことだから断らないだろう」
「栄転ではないですか」
自分と同じことを言う初に、辰次郎は密かに笑った。
「旧斗南藩士の出世だ。めでたいことだ」
「その時には何かお祝いでもしますか」
「良いことだ。野菜でも持っていければ良いな」
金子やその多寡、貴重かどうかが問題ではない。新たに身につけた技術や見つけた道具の成果は、明治の役の戦果そのものなのだ。場所は違えど敗北から立ち上がろうとするのは兄も同じで、大きな後押しになるだろう。
あるいは、お前に応援される日が来るとはと言って苦笑するだろうか。素直に贈り物を受け取る兄というのも想像がつかず、そんな兄に会ってみたくなった。
菜園に戻り、兄に何かを贈ってやりたいと思うと、遠くを見るばかりであった視点が身近に引き寄せられるような気がした。蕪や大根など冬の野菜を収穫した後は畑を休ませ、夏に向けた栽培をする。まだ栽培が始まって間もないトマトの栽培に挑戦しているところであった。
トマトはまだ日本で栽培された例がほとんどない。東京で一度栽培されたと聞くが、あまり日本人の口に合わなかったのか、砂糖をかけて食べたという話が伝わっているほどである。
そういう話を聞いたのか、栽培については広沢も最初は難色を示した。しかし薬として扱われていた牛肉が食用に転化するような世の中である。トマトが受け入れられる日が来るかもしれない。そう主張すると、最後は挑戦する熱意を買ってくれたのか、一年間やってみるように言われた。
収穫という形で一定の成果を示した後は、菜園の管理をしながら犂に関する知識と情報集めに努めた。長兵衛とも数ヶ月に一度交渉を持ち、互いが集めた話を交換する。日新館に通っていた頃は、保科松平家に近しい徳川宗家が政権を手放すことなど想像もせず、斗南藩士となった後はどこかで離れ離れになる日を覚悟していた。
その未来はある程度当たったが、共通の目標を持つことで交渉が続いている。人の見通しなど当てにならないと、翌年最初に会った時に漏らした。
「もしも見えていたら、ひどく退屈な毎日になったはずだ」
先行きの不透明さと変化の大きさを不安がる辰次郎に対し、長兵衛は安定を退屈と捉えているようだった。
「保科松平家や徳川宗家には済まないが、あのまま変化がないままであれば考えられなかった日々が送れている。俺は今の方が満足だな」
虚勢にも思えない強気さを、自身に当てはめてもうまく馴染まない気がする。されど長兵衛の恐れ知らずの心をうまく利用すれば、広沢の役に立ち、ひいては東北全体の利益にもなるだろう。
「しかしいつまでも不安定では困る。開牧社は安定してきているのに」
「国家と会社は仕事も規模も違う。気長に待つしかないだろう。俺たちにはどうしようもない」
戊辰の役で敗れてさえいなければ、広沢や山川浩といった斗南藩を導いた男たちがより強固な幕藩体制を再編しただろうかと辰次郎は夢想したが、進んだ技術や思想にうまく身を任せられる者が多数を占めなければうまくいかなかっただろう。広沢はルセーやマキノンを見つけ出し、高額な報酬を与えることも厭わなかったが、為政者たちが蛮社の獄を許した時のような考えで固まっていたら、いくら自分たちが過酷な暮らしを強いられたとしても、幕藩体制が崩壊して良かったと思わざるを得ない。
「難しい顔をして、どうした」
長兵衛は言いながら酒を注いだ。それを受けながらはぐらかす。素直な思いを告げれば長兵衛の怒りを買うような気がした。周囲の環境や時流がどうであれ、長兵衛が息子を一人失ったのは変えようのない事実であり、その時皆が受けた悲しみも痛切であった。
「我らにとって大事なことは何かと思ってな」
杯を乾かした辰次郎は、ややあって言った。
「帝州の民としての思いは大事だが、全てをそれに染めてしまったら、あの日々を仕方が無いと片付けることになる。それでは人の道に外れるような気がしたのだ」
長兵衛は笑みを消した。嫌なことを蒸し返す結果になったかと後悔したが、彼はすぐに表情を和らげた。
「そう思ってくれる者がいるなら、秀一郎も浮かばれる。苦しさや悲しさに耐えてきた我らも報われるよ」
過去を顧みたりとらわれたりしている時ではないのだと語りかけられた気がした。戦で敗れたことをはじめ、それぞれの過去には悔いがいくつもある。それをも乗り越えてきたから自分たちはそれぞれの道を見つけ、今を生き続けているのだ。
「前を見て進まなければならないな」
「そうだ。だからこそ、周りの利益になることを俺たちは探している。技術者についてはまだ時間もかかるだろうが、それは向こうも模索中だからだ」
「いくら進んでいても、この変化に対応するには時間がかかるのか」
「何しろ不平士族の反乱があれば主戦場になりかねない土地柄だからな」
西の犂の使い手たちがもし東北のために協力してくれるとすれば、不平士族と呼び習わされる者たちと対立しかねないと辰次郎は思った。農民たちは変化の時代にうまく身を任せて生きていこうとするが、いまだ刀を捨てない者たちは過去に思い焦がれているのかもしれない。敗者や弱者に苛烈な政策を強いるなど、新政府には強引さもあるが、徳川宗家の治世は懐かしむだけで充分だろう。手探りで何かを求めるのは新政府も自分たちも同じで、互いを許し合いながら未来へ進んでいく道もあるはずだった。
「ただ、少し連絡を取ることはできていてな。排水の技術についてだ」
「何かわかったか」
「暗渠排水というやり方があると聞かされてな」
長兵衛が聞いた方法とは、土地の下に粗朶や石を詰め、樋を通して水はけを良くして水を捨てられるようにするというものであった。絵図を見せられたが、解説のための文言は最小限で、知識のある人物の話が聞きたかった。
「暗渠排水と犂、二つあれば一歩も二歩も進むはずだ」
長兵衛の言葉は、東北農業の未来図にも思えた。
雪のせいで予定より帰りが遅くなりながらも、その日のうちに帰り着いた辰次郎は、翌朝広沢の口から思いもしなかったことを聞かされる。
名子や勢子を含めた全ての関係者を集めた広沢は、大きく息をついてから語り出した。それは自身の興奮を静めるかのようで、白い息には余りある熱が宿って見えた。
「年始め早々ではあるが、聞いてほしいことがある。帝の東北御巡幸が決定した」
辰次郎は一瞬、広沢の言葉が理解できなかった。仲間たちも同じらしく、周りと囁き合うこともせず、呆然と広沢の言葉を待つ。
「もう一度言おう。我らが育てる牛馬を、天覧に供することになった」
続く広沢の声は、いささか抑えが利かないかのように震えていた。
ややあって、社員たちが言葉を確かめ合うように周囲と囁き合う。
「今、天覧に供すると言ったか」
すぐ隣の名子に訊かれ、辰次郎は慎重に頷いた。
そのようにして広沢の言葉を確かめ合う声と動作が広がっていき、最後に、
「帝が、この牧場へ、来られるのだ」
広沢が場に刻み込むように、抑えた声で告げた。それがどういうことか理解した時、周りでは歓喜の声が上がっていた。
帝がこの流刑同然と追いやられた最果ての地を訪れる。それは自分たちを帝州の民と認めるということだ。どんな言葉や施策よりも励みになる。
広沢はしばらく、男たちの盛り上がりを温かな目で見つめていた。帝の御巡幸を引き出すために働いてきたわけではないが、数字で表せる利益よりも大きな成果に歓喜するのは、開牧社の主にも充分理解できるのだ。
やがて彼は目つきを鋭くし、しかし、と声を張った。
「帝が御巡幸召されるということは、どんなに些細な粗相も許されぬということだ。予定では七月十二日、皆の者、それまでは気を抜くな。この成否で、明治の役の戦局が転換すると思え」
温和な広沢らしからぬ激励に、辰次郎は全体が引き締まる心地であった。まず天覧に供する牛馬を決め、それらが体調不良に陥らないように留意しなければならない。牛馬耕を進めようとしている者としてその決定に意見を出すことを許され、辰次郎は二週間で牛馬を選んだ。
本当なら犂を引いている姿を見せたいが、天覧に供するような程度まで熟達した者がいないために、農耕に使えそうな者を選ぶことにした。どれも骨太で足腰の強さが見て取れる、力強い足取りの牛馬であった。
広沢安任の指揮で切り拓かれた三本木原で天覧が行われることになり、半年間は戦場のような忙しさが繰り広げられた。翌日には先頭に立って帝を迎えるべき人が、とるものもとりあえずといった体で牧場の入り口に立ったのはその日の朝であった。
毎朝牧場の様子を見ることを日課にしている人が馬に乗って牧場内を歩くことに不思議はないが、彼が人待ち顔で牧場の入り口にいるのが気になった。
自分の仕事に関心を戻した辰次郎であったが、誰かが近づいてくるのに気づいた時はさすがに手を止めた。
同じようにその場に居合わせた者たちも、怪訝そうな顔をして早朝の来訪者に目を向ける。広沢はそんな周りの様子を咎めるでもなく、来訪者をまっすぐに見つめていた。
背広に身を包んだその男は馬を下りると、牧場を見渡した。関係者とは思えなかったが、その眼差しには愛情を感じた。
「皆、集まってくれ」
出し抜けに広沢が声を上げた。反射的に彼の後ろに駆け寄る。瞬く間に居合わせた者たちが居並んだ。
「過ぎた歓待だな」
背広の男は苦笑を浮かべ、辰次郎らを見渡した。一目見て高位の役人だとわかったが、相応の威厳を感じこそすれ、高い位置から人を見下すような目つきではなかった。
不思議と見覚えのある顔だったが、その答えは広沢自身が口にした。
「こちらは内務卿大久保利通殿である。明日の御巡幸に先立ち、我らの牧場を視察されたいとのことだ」
一瞬の間を置いて男たちがどよめいた。広沢が戊辰の役の前、後に敵となる藩の者たちと盛んに交わったことは周知の事実だが、その相手が突然現れたのは大きな驚きであった。
そして、会津藩を斗南藩へ減封した木戸孝允と同じ組織に与する男でもある。彼もまた、自分たちと同じ帝州の民と思っても、実際に新政府の人間を前にすると、思いは複雑に乱れるのであった。
どよめきは収まる気配を見せなかったが、
「客人の前だぞ。静まれ」
広沢が珍しく大声を上げた。浮ついた空気がぴっと引き締まり、皆が一斉に口を噤んだ。
「大久保殿は大事な客人であるが、私の個人的な友人でもある。今日は忙しい合間を縫って私に会いに来てくれた。私が全て応対するので、皆はいつも通りの仕事をしてほしい」
広沢が解散と指示を飛ばすと、それぞれが弾かれたように持ち場へ散っていく。辰次郎も場の流れに乗って自分の仕事場へ駆け出す。
その途中で一度だけ広沢と大久保を振り向いた。大久保利通といえば、江藤新平の処刑を決定した人物と聞いている。いくら反抗したとはいえ、かつての仲間を斬り捨てる非情さが恐ろしく思えたものだが、広沢と語らう表情は柔和そのものであった。どうやら政治家としての冷徹さと、人間としての温和さを持ち合わせる男であるようだった。
仕事に戻ると、明日には御巡幸が来たるという現実を思い出す。その意識は次第に皆へ伝わっていき、昼を迎える頃には誰も大久保のことを口にしなくなった。
昼餉の時、辰次郎は何気なく広沢が一人の時間を過ごす草庵の方へ向かった。あまり近づかないでほしいと社員に言っていたその草庵に、広沢と大久保が連れ立って入っていくのを見た。何かを語らっているように見えたが、二人の表情に笑顔はない。
辰次郎は二人の横顔に、政治家としての表情を見た。声を聞くには遠すぎたが、大久保は何かを広沢に求め、広沢もそれを受けるかどうか迷っているようだった。
やがて二人は草庵に入った。二人の会話を聞くこともできない立場に、辰次郎は自分自身の分限を痛感したが、為すべきことは会話に耳をそばだてることではなく、明日のために万全の体勢を整えることだと思えば、犂で耕すための土地こそ守るべき領分なのだと信じることができた。
帝は翌七月十二日の朝、三本木原に姿を見せた。広沢以下辰次郎を含めた開牧社の社員たちは、夜も明けきらぬ内から牛馬をつないで帝を待った。
やがて六頭立ての馬車が現れ、広場へ進み出る。それは前後を数十頭の騎馬が固めた壮麗な行列で、長さにして百間(約一八〇メートル)、幅は五十間(約九〇メートル)ほどあろうかという豪華さであった。
その華々しさと比べれば、長い柵で囲んだだけの天覧所は見劣りして、帝を迎えるのに相応しくないように見えたが、馬車を降りた帝は周りを見渡して、大きく頷いて椅子に腰を下ろした。
軍装の明治天皇の堂々とした佇まいに酔わされたように、辰次郎は両手を挙げて万歳を叫んでいた。
するとすぐさま周囲に伝わり、やがては広沢さえ巻き込んだ万歳の嵐がわき起こる。明治天皇は静かな面持ちで万歳の嵐を見つめ、いち早く冷静さを取り戻した広沢が、青森県の那須権参事の先導で帝の前へ進み出るまで続いた。傍らには徳大寺宮内卿が立ち、静かな目で跪いた広沢を見下ろしている。
挨拶の後に広沢が語り出したのは、開牧社設立から現在までの軌跡であった。
「開牧社は五年目を迎えました。この三本木原ははじめ何もない原野でありましたが、私の下に集った者たちの力で切り拓かれ、牧場として機能するようになりました。そればかりか菜園を作る者まで現れ、かつて斗南と名付けた土地を盛り立てております」
牧畜についての話に終始すると思っていた辰次郎は、広沢が期せずして菜園の話をしたことに胸を貫かれる思いであった。個人的に褒められたのではない。天覧に供される牛馬と同じく、帝の耳目に自分の功績が伝えられたのだ。
辰次郎の浮ついた心地に気づいた様子もなく、広沢の言葉は続く。牧場建設には日本人ばかりでなくルセーとマキノンという二人の外国人の力が大きな役割を果たしたこと、大久保利通や伊藤博文など、かつて敵対した藩の男たちが開牧社の可能性を認めて資金や土地の融通を利かせてくれたこと、それらの好意に答えた結果、バターや牛乳、野菜を売るまでになったことを伝えた。
広沢は終始背中を向けていたが、その声は微かに泣き濡れて聞こえた。彼が牧場運営の裏で、投資に借りた金の利息を支払うために刀や書画を売るという苦労を重ねていたことを思うと、もらい泣きしたくなる。それは誰もが同じだったのか、ふと周りを見ると誰もが歯を食いしばって顔が歪むのをこらえていた。
広沢は涙で割れてしまいそうな声を必死で落ち着けているようだった。その広沢の前で明治天皇は終始頷いていた。
「以上が、これまでの成果であります」
広沢が締めくくった時、明治天皇は大きく頷いた。
そして徳大寺宮内卿は、帝と目配せして、
「ご苦労であった」
静かな、しかしねぎらいの意思を感じる声で言った。
広沢がこらえきれず泣き出すのではないかと危惧したが、彼はまだこらえていた。まだ最大の催しである牛馬の天覧が残っている。それを無事に済ませるまで、広沢も開牧社の社員たちも、泣くわけにはいかなかった。
広沢の指揮の下、百八十頭の牛馬と十九頭の馬が、名子たちによって引き出された。帝の前を進む牛馬の群れは、この日のために牧場に関わる人々が育てたとっておきで、全てが均整の取れた体つきをしていた。辰次郎は自分が選定に関わった馬が進むのを見て、犂を引かせてみたくなった。
自分にその技術があれば、天皇の前で犂を使い、広沢が紹介した菜園を支えたものを見せてやりたい。それに間に合わなかったのがもどかしかった。
やがて天覧は終わった。拍手がわき上がる中、広沢に五十円、マキノンに五円の下賜金が渡された。斗南への減封から現在まで、死者も出て、生き残った自分たちも決して楽な暮らしはできなかったが、それも帝からの下賜金という形を受けて報われたような気がした。
広沢と辰次郎ら開牧社の社員は、その日の夜まで涙をこらえた。帝が去った後に溢れ出した涙はどこまでも清々しいものであった。
そして、帝が改めて自分たちを帝州の民であると認めてくれたように思えた。言葉は発しなくても、この最果ての地まで来てくれただけで、充分過ぎる感動があった。
その感動の中心にいた広沢は、後に一編の詩を残している。
外事略整理
内治須投機
其問不容髪
六騑向北飛
古来無此挙
外国との関係がほぼ片付き、内治まさに機を投ずべき時となった。その折天皇の行幸が行われ、六頭立ての馬車が北へ向かって飛んだ。これは初めてのことである。社員に対し、広沢はそう詩の意味を説いた。
「我らは帝州の民だ。帝はそのことを改めて伝えてくれたのだ。帝の御恩沢は貧しい人々の上にもあまねく及ぶ。我らにそうであったように。皆、そのことを忘れるなよ」
帝が東京へ戻った翌日、開牧社の社員を集めて広沢は訓示を垂れた。帝州の民。斗南藩の礎となった言葉は、藩が消えても色あせず、もはや魂のように辰次郎の胸に納まっていた。
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