明治の役
四章 明治の役
夏野の醸す草いきれが落ち着く頃に、狭い耕地を彩る稲穂を素風が吹き分ける。下北半島は古来たびたび飢饉に悩まされてきた土地だが、季節のめぐりに乗った実りがもたらされるのを見ると捨てたものではないと思える。長く暮らしていれば過酷さと表裏一体の良さを知ることもできるし、家族が生きてこられたのも地元民の暖かさのおかげであった。
「美味しそう」
風さえきらめきそうな稲の実りを眺めた正毅の感想は何とも素直であった。七歳になった正毅にも粟や稗と稲の違いはわかる。米がめったに食べられないごちそうという食生活においては、季節感に心を動かされる前に食欲を刺激されるのも無理からぬことであろう。そんな息子の感性が微笑ましいと同時に、貧しさの象徴のようにも思え、無邪気な息子を見るのが辰次郎には辛くなった。
「あの米は我々のものではない。あれは農民たちのものだ。我々が食べるものはこれから採りにいくものだ」
「山へ行くのでしょう」
「そうだ。冬が来る前に備えるのだ」
移住してきたばかりの頃は菊右衛門らに助けてもらっていたが、いつまでも彼らの暖かさをあてにするわけにはいかない。自立こそ権大参事であった山川浩の望みであっただろうし、東京に暮らしているはずの松平容保も過酷さに負けない人々の姿に癒されるはずだ。
息子と共に野草を採って帰路に就くと、それを保存食にする仕事がある。それは主に初の役目で、既に海藻を押布にしたものができあがっていた。
「この辺りも静かになりましたけれど」
初に野草を渡す時に、外へ出る機会の少ない彼女が訊いてきた。家にいても、変化を感じ取ることはできるようであった。
「ああ、藩がなくなる前から相当の数が離れている。会津若松に帰った者も多いようだ」
何気なく口にした故郷の名に、初は意外そうな顔をした。
「そんな人たちもいるのですか」
辰次郎は短い返事にとどめた。それに倣って自分たちも会津若松へ帰ろうと言い出しそうな顔であった。
辰次郎もそれが叶うのなら帰りたいと思う。生活の目処が立っていないわけではないし、三年も暮らしていればそれなりに愛着も湧くが、郷愁に比べれば限りなく薄いものだ。
しかし漏れ聞こえてくる会津若松の現状は、かつてとはかけ離れたものだ。斗南藩があった頃から会津若松へ出稼ぎに出る者はいて、彼らを通して現地の事情を聞くことがあった。そこには住む家も耕す畑もなく、病に倒れる者も現れて、下北半島の暮らしと同じくらい苦しいものであったという。
生き延びることができた者たちは、張り子を作ったり傘張りの内職をしたりして糊口をしのぎ、自分たちのように何家族か共同で長屋を借りて生活を立てていたという。それが一年か二年ほど前のことだから、廃藩置県という大きな変化があったとはいえ、そう変わりがあるとも思えない。郷愁の念に駆られただけで腰を上げるのは危険な賭にさえ思えた。
「冬まで間がない。何とか生きていかなくては」
そう言ったが、辰次郎にも何のために生きていくのかわからなくなることがある。思うのは常に正毅のことであったが、自分自身の幸せを求める気持ちを抑えつけると、時々色のない世界を見ることがある。その風景はぞっとするほど淡泊で、いっそ家族を捨てて雪の中へ出ていってしまおうかと思い詰めることさえあった。
「そうですね」
初の声は淡泊だった。図らずも夫婦間で心が通じ合ったような気がする。妻もまた自分が何のために生きているのか迷う日々を送り、そのたびに息子のことを思って気を持ち直しているのだろう。
会話はそれ以上進まなかった。夫婦間の空気が重苦しいものになったのがわかる。それを正毅も感じ取ったのか、表情を消して黙々と役目に徹していた。
翌日も辰次郎は正毅と共に山で野草を集めた。日が傾くまで集めるつもりであったが、天気が崩れるという菊右衛門の助言を聞いて早めに戻った。まだ雪の降る時期ではなかったが、この土地の秋雨は風雅なだけではない。季節を先へ進めたかのような冷え込みをもたらし、雪の恐怖を思い起こさせる。日が沈んだ後ともなればその怖さも増す。移住したばかりの頃に歩いた暗い雪道は、夜に出歩くのを避けようと誓うのに充分な力があった。
野草によって空腹をしのぐことはできるが、寒さを防ぐには質の良い服が要る。長兵衛と共に長く続けている馬の競りも、その金を得るためのものである。手がけて久しい仕事にも最近は慣れを感じていて、上役に当たる競り人も会津藩士を罵ることに飽きたのか何も言ってこない。
あるいは、下に見る手がかりを無くしたのかもしれない。戊辰の役や会津藩の敗北も過去のこととなり、皆が新たな道を行く時代になったのだ。何にせよ仕事がやりやすくなったのはありがたいことであった。
客の中に、心の奥で待ち続けた顔を見つけたのはそんな折であった。以前は静観しているに留まっていたが、今回は実際に値段をつけていく。落札には至らなかったが、馬を必要とする意思を見せた。
馬の競りが終わると踵を返す。冷え込みの中、急ぎ足で行き過ぎる人々の中へ紛れそうになる。
そうしたら二度と話す機会はないような気がする。その思いにとらわれた時、辰次郎は競りの場を横切っていた。
競り人が、長兵衛が声を上げて引き留める。客がそれぞれの反応を示す。耳に届いた音よりも、遠ざかろうとする背中を視界から逃さないことが大事であった。
「お待ちください」
人波をかき分けながら進んだ辰次郎は、手を伸ばす代わりに声を上げた。その相手は肩越しに振り返り、辰次郎を認めると向き直る。面識のない相手にも関わらず、怪訝そうな顔をせず、何か、と丁寧な口調で応じた。
「かつては斗南藩士であった、倉本辰次郎と申します。斗南藩小参事であった広沢安任様とお見受けしました」
広沢は一瞬呆気にとられたような顔をして、苦笑を浮かべた。
「その肩書きをまだ聞くとは。それに斗南藩士と名乗る者も、廃藩置県の後は初めて見たよ。して、何用かな」
互いの身分とその差が明らかになったためか、広沢の表情にも若干の余裕が生まれた。さりとて尊大さが顔を出したわけでもない。思いがけず同郷の人間と会えたことを喜んでいるように見えた。
「お尋ねしたいことがあります。以前も、馬の競りに訪れていたことがあったはずです。何故馬を見にいらしたのですか」
穏やかな気性とはいえ、相手は斗南藩において小参事を務め、戊辰の役においても重要な役に就いていた男である。徳川の治世においては江戸の昌平黌に留学していた経験もあるほどの広沢からは、一種独特の雰囲気が醸し出される。それを前にするだけで辰次郎は喉が渇く思いがした。
「私が来ていたのを覚えていたのか」
緊張を募らせる辰次郎に対し、広沢は鷹揚さを保っていた。初めて競りの場で見たのもだいぶ前であったからか、広沢も懐かしむように遠い目をしていた。
「しかしあの時は競りには参加されませんでした」
「少ない資金を賭けるに値するかどうか、この目で観察しておきたかったのでね。一定の価値が見いだせたからこそ、今回は参加してみた。結果はあの通りだったが」
「一体何故、今になって」
「決まっている、使うからだよ」
広沢の言葉で脳裏に思い描かれたのは荷役に使われる馬の姿である。しかしそれだけなら、わざわざ競りに出かけなくても、安く効率的な調達方法があるように思う。
思った通りのことを伝えると、広沢は首を振った。
「農耕馬として使える馬をずっと探していた。土地を耕すには、人の力より馬の力の方が速いのだ」
「農地を造るのですか」
「そうではない。牧場だよ」
それは思いも寄らない答えであった。
「木崎の牧を知っているか」
木崎の牧は藩政期には南部藩の領地で、今回の廃藩置県で青森県に編入された馬産地である。広沢はそこに、開牧社という運営会社を置いて牧場を経営しようという。そのための整地には犂、馬車などが必要となる。その原動力が馬であった。
「もうじき実際に運営を始めるところまで来ている。今は何もない原野だが、人と馬の力が合わされば変わろう」
「小参事はこの土地に留まるおつもりですか」
「もはや小参事ではないよ。開牧社の代表が適切かな」
広沢は苦笑し、顔を上げた。その目は遠くを見ている。記憶に間違いがなければ東京の方向であった。
「私からも訊いても良いか。せっかくの役目を放り出してまで私を追ってきたのは何故なのだ」
辰次郎は肩越しに自分が抜け出した場所を振り向いた。何事もなかったように競りは続いているように見える。戻ったら競り人は自分を放り出すかもしれない。
「権大参事や広沢小参事は東京へ向かわれました。何故ここに留まるのか知りたいのです。今日を逃せば、それを知る機会がなくなると思いました」
福島県となった、かつて会津藩のあった土地にも残った者はいて敗戦処理を行っていたが、それとは事情が違うような気がした。
「私がここに残るということは、君のようにずっと残ってきた者たちの苦労に報いるということだよ。会津藩は負け、斗南藩は消滅した。しかしそれでも証を残したい。君はどうしてここに残る」
斗南藩は会津藩士にとって、辛く悲しい敗残の証でもある。出ていこうと思えば出ていくこともできた。事実そうした者は、減封から廃藩置県までの二年間で半数近くにのぼる。それに流されなかったのは、広沢と通じ合う気持ちがあるからだ。
「おそらく同じです。私もここで、斗南藩士として生きた証を残したい」
「敗残の記憶に過ぎずともか」
「そうだとしても、否定しては死んでいった者たちが報われません」
秀一郎のことが脳裏によみがえる。まだ幼かった彼が、自分たちを取り巻く状況をどれほど理解していたかわからない。しかし子供は子供なりに飢えや寒さと戦っていたはずだ。正毅は今も勝ち残り、秀一郎は敗れてしまった。
「ここで暮らすことを決めた時、私は私の子供の礎になろうと思いました。その気持ちに変わりはありません」
その結果が馬の競りに従事することに過ぎなくとも、正毅は生き続けていられる。生きていれば、成長した時に何かが起こせるかもしれない。それを待ち続けるのが、親の役目であろう。
広沢はまっすぐに辰次郎の目を見つめ返してくる。何かを見極めようとしている。そう直感して、辰次郎は視線を正面から受け止めた。
「馬の扱いには慣れているか」
「ずっと馬の競り人の下で働いておりました」
「この土地を離れる者が多くて、人手を集めるのに苦労している。礎になる覚悟は私にもある。同じ気持ちを持つ者に、協力する気はないか」
それはどこかでずっと待っていた言葉であった。広沢と会うことができなければ始まらず、夢のようなことだと思っていたが、その夢が実現しそうになっている。
「だとすると、今の住まいは引き払わなければならないでしょうか」
「宿舎も準備してある。あまり稼ぎにはならないかもしれないが、住む場所で苦労はさせない」
辰次郎の脳裏には家族が思い浮かんだが、稼ぎの面で大きな違いがあるとは思えない。何よりも広沢をはじめ、会津藩以来の苦心を知る者たちが集まるのだ。過酷な暮らしに変わりはなくても、分かち合いの手がかりを持つ仲間がいる。それだけでも転身に値するように思えた。
辰次郎はその場での答えを待ってもらい、長屋へ戻ってから初に打ち明けた。過酷なりに慣れてきた暮らしから離れることになると知ると不安を見せたが、広沢安任という会津藩以来の重臣が手がける事業に期待を感じたらしい。田名部の片隅では正毅の教育もままならないが、昌平黌に留学した経験もある人の周りには、きっと良い人材が集まってくるはずだ。それはきっと正毅にとっても良い影響を与えるだろう。
二日間話し合い、辰次郎は初と正毅を伴って広沢が逗留している宿へ挨拶に向かった。そこで提示された労働条件は、広沢が言うように稼ぎとしては低いもので、いっそう辛くなるのが予見された。仕事をするには新たな道具の使い方も覚えなければならないが、それを教えるのがマキノンとルセーという二人の外国人だという。
「御雇いという人たちですか」
遠く東京では、わざわざ外国から好待遇で迎え入れた外国人たちが日本人に技術や知識を伝導していると聞く。別世界の話だと思っていただけに、最果ての地でも同じことが行われるのは驚きであった。
「評判は確かな二人だ。マキノンは蘇格蘭(スコットランド)、ルセーは英吉利(イギリス)の生まれで、それぞれ牧畜
と農学の専門家としての働きを期待して招いた。五年で百二十五円も払うのだから、期待外れであったら私の首が飛ぶかな」
広沢は磊落に笑ったが、辰次郎は引きつった笑みを見せるのが精一杯であった。斗南藩時代、権大参事の山川浩でさえ四円の給金が精一杯で、末端の役人は一円しか得られなかった。辰次郎の稼ぎは更に少なく、二桁の給金すら信じがたいほどである。それだけ広沢は、自分の事業に賭けているのだろう。小参事の頃の広沢とて、山川より高い給金を得ていたはずがない。
「何故そうまでするのですか」
「金の高に怖じ気づいたか」
辰次郎はぐっと言葉に詰まり、
「正直、圧倒されました。まさかそのように大きな仕事をお考えであったとは」
「そうでもしなければ、我らは永遠に敗残者であろう」
辰次郎は胸を衝かれる思いがした。いくら時代が移り変わろうと、過去の戦が遠くなろうと、敗残者であった結果は変わらない。勝利者が戦利品を手放すはずがない以上、敗残者は何もしなければずっと過酷な暮らしを強いられるのだ。
「それではいけないと思ったから、君は礎になるとまで覚悟したのだろう。あとは行動だ。山川や永岡は違った考えを持ったが、私は配流されたようなこの土地を開拓してやれば勝利者にもなれると思ったのだ。戊辰の役で我らは負けたが、もしも明治の役というものがあれば、我らにもまだ勝ち目はある」
「明治の役……」
広沢の言は物騒に聞こえたが、幕末の頃に漂った血なまぐささとは無縁のさわやかな響きがあった。刃を交えるわけではない。しかし戦いの結果如何では彼我の関係が変化するかもしれない。まるで流刑のようだと思った減封を逆手に取り、新政府に対して明治の役を仕掛け、敗残者を勝利者へと引き上げる。それが叶えば、何よりも痛快だろうし、刃で以て決行する復讐よりはるかに建設的だ。
「倉本辰次郎、今一度問いたい。明治の役を戦う覚悟に揺らぎはないか」
広沢は笑みを保っていたが、瞳の奥に熱を秘めているように見えた。それに触発されたように辰次郎の胸でも何かが燃え上がる。それは広沢を田名部馬の競りで初めて見た時にも感じたのと同じ、暮らしに追われて捨てそうになっていた情熱であった。
主君のために戦うと決めた戊辰の役に敗れ、お家再興を信じて耐えてきた斗南藩での暮らしも無に帰した。それでもまだ戦う場所があり、意思もたぎっている。それを胸の奥に認めたら、迷う余地などなかった。
初を見遣る。静かに頷くだけであった。
「敗残者が勝利者となるための明治の役を、共に戦いたいと思います」
今し方聞いたばかりの言葉を自分の口に載せると、思いの外心は躍る。新たな時代に合わせた戦いに身を投じることが、生きるための張り合いになっているような気がした。
港町から町外れへの帰路、
「ここへ来て戦うという言葉を聞くとは思いもしませんでした」
と、初が出し抜けに言った。
「確かにな。しかしその言葉を使わなかっただけで、誰もが思っていたことだろう」
名実ともに帝州の民として明治政府の下に組み込まれたとはいえ、現実にその地位は最低に近いだろう。それを嫌うなら地位を上げるしかなく、広沢の開牧社もその一環であろう。
その途中で、過去の因縁から来る対立と衝突は避けられないはずだ。それをも乗り越えるには、戦うことを怖れない心構えが必要なのだ。
「今のままでは正毅も不遇を託つかもしれない。その宿命を変えたければ、小参事、もとい広沢さんの言う明治の役に勝たなければならないだろう」
「次の子たちのために戦うのですね」
「きっと広沢さんもその心づもりだろう」
競りの時に初めて言葉を交わした広沢だが、彼が私利私欲や功名心で動く人間ではないことは、会津藩の頃から聞き及んでいる。昌平黌にて学んだ経歴の陰には父親の死と母親を助けながらの勉学という苦労話があるし、現在も三人の子供を育てる父親である。経歴立場は大きく違うものの、親として次の世代に何かをつなげたいという思いが辰次郎にも感じ取れた。
「それについていくのも一苦労ですけれど」
「ならば離縁してやろうか」
二人の声には冗談めいた響きがあった。
「犬を食べてまで生きてきた家族です。わたしにも薩長に目にもの見せてやりたい思いはあります。それが正毅のためにもなるなら、何としてもついていきます」
初の声に迷いはなかった。同じ親である以上、思いは自分たちの子供へと帰結する。不思議なようでいて当然のことを、辰次郎は今更のように感じ入っていた。
長屋の住人たちに今後のことを打ち明けると、驚かれながらもあたたかな応援の声を聞くことができた。それぞれの立場は違うものの、老若男女戊辰の役以来の苦労に耐え続けてきて、その果てに廃藩置県まで経験した。変化の外に座して待つことが得策ではないことを、誰もが察しているようであった。
広沢と出会ったのは十一月であったが、その翌月早々に明治五年は終わり、翌明治六年が始まった。公布されていたことであるが、古来使われてきた暦を廃し、世界で一般的に使われているグレゴリオ暦という暦に合わせるということであった。米国をはじめとする他国に合わせることが、時間の使い方を改めるほど大事なことかと辰次郎は思ったが、本州の最果てから疑問を呈することさえできない。明治の役に勝ち抜ければ、声を届けることもできるだろうか。その期待を守ることが、これからの原動力になりそうだった。
引っ越しの日取りは明治六年に入ってから決まり、その直前には兄がそれぞれの家族に呼びかけて餞別を集めてくれた。金銭はもちろんありがたいが、兄と父は正毅のためにと言って漢詩を集めた書物を贈ってくれた。その中には『北斗以南皆帝州』という詩文もあって、いずれ正毅が幼少期を振り返った時に、斗南藩が包んでいた歴史や思いを理解してほしいという願いを感じた。
更に兄は、長兵衛や佑にも声をかけ、男だけの別れの宴を開いてくれた。旅立ちの二日前のことであった。田名部の小料理屋で飲み食いしている時は楽しめたが、それを終えて帰路に就くと別れが近いという現実に迫られる。酔いを醒ますような冴えた風に吹かれるせいか、それぞれが口を噤んだまま歩いた。
「広沢小参事へのお目通りが叶ったそうだな」
街を離れて小半時足らずの時間を無言で歩き続け、最初に口を開いたのは長兵衛であった。斗南藩において共に過ごす時間の長かった長兵衛が言った。いつか農政分野で働きたいと言っていた彼の声にはうらやむ響きがある。
「あの時はお前が飛び出した埋め合わせが大変だった」
冗談めかしていたが、長兵衛が競り人の怒りを被ることになったのは事実だ。素直に詫びると、
「そのことを無駄にするなよ」
共に働いていた頃と変わらない声音をかけられた。
「広沢小参事もまだ諦めてはいないのだ。しっかりその力になってこい」
佑の声に身が引き締まる思いだった。減封の果てにたどり着いた土地に骨を埋める覚悟をしたのは、同じ立場へ貶められた次の世代のためであろう。馬に携わったのは斗南に来てからの男にどれほどのことができるかわからないところが多いものの、出ていく以上は広沢の役に立ち、明治の役にも勝たなければならない。
「しかし明治の役とは、勝てば良いというものでもない。戊辰の役よりも複雑だな」
「どういう意味ですか」
「敵よりも優位に立つための戦いではないということだ。同等の立場へ上るための戦いだ。それも、次の世代のためだろう。どうやって戦えば良いか、誰にも教えられない」
穏やかな口調ながら、兄に突き放されたような気がした。仕えるべき主君はもはや主君ではなく、主家も藩もない時代をどうやって生きていくのか、兄にさえわからないのだ。だからこそ自分なりのものを作り上げなければならない。それが明治の役の戦果になるだろう。
「辰次郎、忘れてはならないのは、北斗以南皆帝州の心だ」
その言葉を聞くと、自然に星空を見上げたくなる。北斗七星はどこか遠くに隠れている時期だが、言葉は忘れがたい。
「もはや争って抜きん出ることがそぐわない時代になった。戊辰の役で敗れた者たちとその次の世代の者たちの声を届けることが、他国と渡り合う一助になるはずだ」
「我らは帝州の民ですね」
「権大参事や小参事たちは、ずっと昔に気づいていただろうが」
自分がついていくと決めた広沢安任にしても、徳川政権末期に薩長の武士たちと深く交わっていたという。結局彼らとは敵対することになってしまったが、一度壊れた関係を直す時間はある。それが戊辰の役で敗れた人々の、ひいては日本を名乗って他国と渡り合うことを決めた国のためになるのだ。
長屋について三々五々別れ、自分の部屋に戻ると、初が起きていた。満ち足りましたかと訊かれ、
「とてもだ」
と、それぞれの声を思い返しながら答えた。彼らとも気軽に会えなくなるが、長い人生の中で一度くらいは会えるだろう。いつ訪れるかわからないその瞬間、恥を感じることのないように働き、誇りを取り戻さなければならない。
旅立ちの朝に見送りを受けて、辰次郎は家族を伴って長屋を離れた。行き先は木崎の牧、開牧社である。戦に敗れた後の再起戦だが、辰次郎の胸は躍る。減封によって消えかけていた火を再び燃え上がらせる時が来たことが嬉しかった。
明治五年の暮れに設立の認可を得た広沢安任の開牧社は、翌年から活動を開始する。かつて木崎の牧と呼ばれた三沢は広漠たる原野であったが、切り拓くために立ち向かうのが辰次郎らの仕事となった。
「木戸らも、廃藩置県の後まさか原野に残って開拓を続ける者が現れるとは思いもしなかったであろうな」
辰次郎と初めて開牧社にて会った時、広沢は痛快そうに笑った。開拓が建前の減封を逆手に取るような生き方を痛快に感じたのは辰次郎も同じで、共感から広沢を人として更に好きになる心地であった。
広沢安任が注目した開拓地は、藩政期には小比類巻家が管理する木崎の牧と呼ばれる土地で、廃藩置県の後は青森県に含まれた。歴史を遡れば鎌倉時代に南部氏が三沢を領有するのに始まり、数百年間馬産地として栄えた土地である。広沢が注目した田名部馬は、この地で古代から知られる南部駒の流れを汲む体の大きい俊敏な馬であった。
半野生の田名部馬を管理する小比類巻家は、草刈りをしたり狼の襲撃を防いだりする名子、秋に馬の状態を調べる時に駆り出される村人を指す勢子を多く抱える、南部藩に仕えてきた一族である。彼らの管理下にあった馬は全て南部藩の所有であったが、廃藩置県の後は三沢が青森県の一部となったこともあって、土地と共に青森県が馬を引き継いだ。
斗南藩の頃、辰次郎も散々競りにかけてきた田名部馬が目の前にいる。農政に関わることのなかった辰次郎にはなじみが薄いが、暢気な横顔で草を食む馬には農具のようなものがつながれている。人が扱うにはいささか大きすぎるが、体の大きな田名部馬と並べるとそれなりに見える。
「開牧社は牧場を運営する会社だが、その前に土地の整備が必要だ。しかし農民がするように鋤や鍬を振り下ろすようなやり方では、いくら人手をかけても終わらないことは、この土地の広さを見ればわかると思う」
そう言って、名子として雇われた辰次郎らを前にした異人は、原野を見るように促した。背の高い木こそないが、気をつけて見れば隆起した部分が至る所にあって、人の手が入らなければ使い道のない土地であるのがわかる。
「君たちにはまず馬とプラウの扱いを覚えてもらう。広沢氏が準備した馬は半野生だから人の言うことを聞かないものも多いだろうが、力は強い。開牧舎がこれから仕事をしていくのに不可欠な仕事ということを忘れないように」
異人はルセーという、二十六歳のイギリス人であった。この場に集められた名子たちの方が彼よりも年上であったが、臆せずに堅い声と表情を向けてくる。二十歳そこそこの時には福井藩に雇われて洋学を教えたという男は、日本語を苦も無く操り、破格の報酬という形で広沢の信頼も得ている。傲然とした態度が鼻につくものの、確かな知識や技術に裏打ちされたものだと思えば気にならなかった。
「返事はどうした。私は君たちの指導者だぞ」
しかしほとんどの名子たちは辰次郎のようには思わなかったらしい。鈍い反応には、年少者に対する嘲りを感じたが、ルセーは臆せず淀みのない日本語で場を引き締める。
「まずは手本を見せていただけませんか。我々は士族上がりで、土に触れることも稀だったので」
彼らと同じに見られないよう真摯な声を心がけると、ルセーは小さく頷いて、
「いいだろう。よく見ておいてほしい」
そう言って馬の後ろに立った。
「その前に各部の説明をしておきたい」
ルセーは名子たちをプラウの周りに集めた。プラウはビームという本体を中心に、先端にクレピス、末端に使い手が持つハンドルがついている。実際に鋤の役目をするのは、ハンドルの真下に取り付けられたシエヤーで、プラウの動きを定規車が司る。ハンドルを持って後ろから押すだけなら難しくはなさそうだが、そのようには動かせない。馬が引かなければ使えないようになっている。
「君たちは士族上がりだというから、後ろから馬を扱った経験はないだろう。よく見ておくように」
ルセーはハンドルを持ち、片方の手には手綱を握り込んだ。軽く引いた瞬間、暢気な横顔を見せていた馬がくっと首を上げた。若いルセーを侮るような表情を見せていた名子たちも、馬の扱いの熟達ぶりを見て取ったらしい。眼差しに真摯なものが交じり、固唾を呑むような表情に変わった。
ルセーは辰次郎らを見ることなく、淡々と作業を進める。手綱を更に引くと馬は前へ進み、プラウも引っ張られる。端で見ていても力強さが伝わる動きで、ルセーも微かに口元を歪めた。手袋で覆われた両手が、馬の力に翻弄されないように力強くハンドルを握っているようだった。
舌打ちで馬を前へ進めたルセーは、時折馬に声をかけながら進んだ。それは日本語の響きとは違って聞こえたが、
「ハイハイ!」
と、言っているように辰次郎には思えた。
プラウは農民が鋤を使うのと同じ効果をもたらす。土を耕すための道具で、その役割はシエヤーが行うようだ。シエヤーが原野に潜り込み、掘り返していく。一定の速度を保ち、掘り返す土の量もほとんど変わらないように見える。
一町は進んだであろうか。折り返して帰ってきたルセーは、馬に何か声をかけて歩みを止めると、名子たちに向き直った。
辰次郎はルセーに気づかれないよう左右の名子たちの表情を盗み見た。いつしか彼らの本来の、生真面目な性質が表に出ていて、さっきまでの若輩者を侮るような表情は影を潜めていた。
「君たちには今やったようなことをしばらくやってもらう。とはいっても、馬とプラウの扱いを覚えるのは時間がかかる。それに青森県から借りた土地も広い。焦らず時間をかけていこう」
辰次郎は力を込めて返事をした。これまで居丈高だったルセーが、初めて名子たちと同じ目線に立ってものを言ったことが印象的で、教わるだけでなく共に仕事をするのだと思い直すのであった。
その日は暗くなると家族の元へ戻り、夕餉を摂ってからすぐ床に就いた。疲れてはいたものの、眠りへ沈みそうになるとルセーの後に続いて操ったプラウの感触が手先に蘇り、脳裏にはその時の音や肉体的な負担が思い出される。日新館で学んだ頃に馬の扱いは覚えたし、戊辰の役でも実際に乗ることがあった。その時とはまるで違う体の使い方であった。
声をかけ、手綱を通して意思を伝える一連の流れや、人間の怖れや油断を読んで態度を決める聡明さは、軍用馬も農耕馬も変わりは無い。しかし人が求める役割は違う。戊辰の役と明治の役で、目的や手段が違うのに似ていた。
辰次郎はいつしか眠りに落ちたが、眠りの間もプラウと田名部馬を操るために悪戦苦闘していたような気がした。
翌朝は日が昇る前に昨日の場所へ集まることになっていた。住む場所が変わっても強烈な寒さは相変わらずで、吹き付ける朔風に辰次郎は足を速めた。斗南藩の頃でさえ、夜明け前に家を出ることは少なかったが、安普請の長屋で暮らすよりよほど快適になったし、月々の給金さえ競り人の下で働くよりは多い。
何より、自分の働きは自分たちの上に立っていた人がまとめ上げ、必ず成果にしてくれるという信頼がある。地元の競り人の下で働くより、余程充実した感じを味わうことができた。
名子は辰次郎を含めて十人が集められたが、広大な土地を耕すだけでも一苦労であり、誰もがルセーの教えを受けながらプラウの扱いを覚え、農耕馬の操り方を学んでいく。農民の力が欲しかったが、斗南藩に最後まで残った者は広沢をはじめ主家を強く慕う武家の者がほとんどで、そうでなければ早めに別の場所へ出稼ぎに行っている。多くは帰ってこないままだ。
広沢はそんな人々を非難せず、さりとて後を追うこともせず、礎になることを決めたのだろう。未だに身分の違いは大きいが、働きを積み重ねていくことで共に新しい時代を戦っていける気になれる。それだけでも意味はあるのだと思えた。
辰次郎らは冬の間はずっとルセーの指導を受けてきたが、春になる頃には徐々に一人でも馬を扱えるようになり、プラウの作業も安定してきた。
はじめムラが出ていた耕し方も、やがてはルセーがやるように残土の量も安定するようになり、並んで作業をする者とぶつかることもなくなった。
人力では有り得ない速度と能率を達成したのは馬の力である。その威力に辰次郎は驚くばかりであったが、万能ではないことを春先に知ることになる。
「プラウにも問題はある。そもそも同じような道具は西日本ではずっと昔から使われていたものだ。それが東北まで伝わってきていなかっただけなのだ」
春になり、土がぬかるむようになると、驚くほどの速度で耕していたプラウが、急激に能率を下げた。その原因を問うと、ルセーは予想していたかのようによどみなく答えた。
「いわゆる馬耕をやるには道具自体の改良が要る。馬には良いものがあるから、それが叶えば作業も速くなる。元々農耕に使う道具だから生産力も上がって、この土地の人々が飢えることもなくなるのだがな」
何気ない言葉であったが、飢えに苦しめられてきた辰次郎には魅力的に響いた。土地の特性によって定着していなかった道具を皆が使うようになれば、飢えの中で死んでいった者たちも浮かばれるだろう。
「この牧場は、社長にとって飢えをなくすための戦場なのでしょうか」
ルセーは興味深げな目を向けた。
「社長が言っていたのか」
「私を誘う時に、これから自分たちが身を投じるのは明治の役であると言っていました」
「それで戦場か。あの社長らしからぬ言い方だが」
「私もそう思います」
ルセーと一頻り笑い合うと、開牧社が始まってから気軽に会えなくなった広沢安任という男の人となりが温かく思い浮かぶ。辰次郎にとって雲上人であった人は、毎朝馬に乗って牧場の様子を見に来ており、整地の進み具合を視察するのを日課としている。その時の目は遙か遠く、戦いの終わりを見据えていたが、決して足下を疎かにはしていない。遙かな景色を望むばかりでなく、地上に降りて土の具合や人の働きにも気を配っていた。
「新たに雇われた名子たちの多くは、社長と同郷だったな」
二つの故郷のうちどちらを告げるべきか迷い、
「斗南藩です」
広沢と出会った土地の名前を伝えた。
「会津藩という場所ではなかったのか」
ルセーにとって求める答えではなかったらしい。訝しむような顔をした彼に、戊辰の役の顛末を語ってやった。
「社長は元より、君も家族を抱えて大変だったな」
「私はまだ。私より辛い思いをした者もおります」
ルセーは深く訊かなかったものの、自身の中で響いた言葉は田名部に残してきた仲間たちを思い起こさせた。兄の寅之介や息子を亡くした長兵衛、新政府への復讐心を抱いていた佑はいまだ長屋で暮らし、その日その日を生き抜いている。しかし自分に転機が現れたように、彼らにも転身する瞬間が遠くないうちに訪れる気がしている。皆がそれを感じているせいか、遣り取りする文の中でも寒さと戦う苦しい暮らしながら希望を捨てない姿勢を感じるのであった。
「この土地を離れた者は多いが、社長は死んでも残る心づもりのようだ」
ルセーの言葉だけを聞くと悲壮感を覚えるが、同じことを本人の口から聞いた辰次郎には熱さと前向きさを感じる。彼は木崎の牧に、自ら立ち上げた開牧社に大きな希望を抱いている。それに巻き込まれて感じるのはやはり熱い高揚感であり、悲壮感ではなかった。
「新政府は初め、我々を流罪に処したつもりだったのでしょう」
体力の無い者から死んでいき、生き続ける者たちも周囲の不実や慣れない気候と戦い続ける苦しさに晒された。信頼できる隣人と出会えたことは僥倖だったが、敗北の宿命を散々味わったことは生涯忘れられないだろう。
「しかし君たちは生き残った。そればかりかまだ戦う気持ちを持っている。なかなかできることではない。現に社長も人材の確保に苦労したそうだ」
戊辰の役の後、東京や高田での謹慎が解けてから武士の身分を捨て、謹慎生活を送った土地にそのまま住み着いた者もいて、彼らは彼らなりの暮らしを成り立たせている。自分たちがたどった道は困難な茨の道であろう。
「この土地で生きていくと決めた時、私は子供の礎になろうと思いました。明治の役は、次の世代の子供たちが少しでも生きやすくするためのものです。社長もきっと、同じことを思っているでしょう。だからついていきたい」
広沢と多くの言葉を交わしたわけではないが、青森県となった土地に残る責任を負っただけで、彼の思いがわかる。あとは毎朝牧場を視察する広沢の眼差しと、牧場経営を明治の役と位置づける心に信頼を置くので充分であった。
ルセーとは立場の違いをわかり合いながら、お互いにできることをして広沢を立てていくことを誓い合った。明治の役が正毅のためであるのと同時に、広沢のためでもあるようになった。負担は増えたはずだが、それ以上に心が躍るのは何とも不思議なことであった。
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