第8話 生理用品を買いに行ったら





「あー、しっくりこねー」

 ロザリオは心底がっかりした表情でポロンを抱きしめ、可愛がっていた宇宙人を失った悲しみを乗り越えようと努力している。

「ポロンが大人しく抱かれているのに、何が不満デスの」かなり嫌そうな表情でポロンはロザリオに抱きしめられている。飼い主に心から愛されていない妖精ほど、屈辱的なものはない。

「お前、ヤニ臭いんだよな」飼い主の厳しい指摘。

 すぐさま、ポロンはゴミみたいに放り出された。「酷いデスの」捨てられた女のように、恨めしく飼い主を睨んだ。

 机に向かって、真剣に魔法の書を読んでいるベルの姿が眼鏡に反射する。

 新調したばかりの眼鏡を押し上げ、次なるターゲットを捕捉する。

 ロザリオはいきなりベルを後ろから抱きしめた。

「きゃ!」驚いたベルは魔法の書を勢いで閉じてしまった。

「よーし、よーし」まずは愛しげに彼女の頭を撫でてみる。

 ベルは抱きしめられたまま硬直し、顔が耳まで赤くなっていた。「ちょ、何?」

「……違う」残念そうにポツリと呟き、すぐにベルから離れた。

 離れると、恥ずかしそうに顔を歪めたベルが振り向きざまに右拳を繰り出してきた。

「いきなり何するんですか?」

 ロザリオのみぞおちに拳がめり込んだ。

「いや、宇宙人の代わり」みぞおちを押さえて苦しそうに答えた。

「もう一発殴られたいのか?」彼女はかなり低い声で目上の男に言った。

 ロザリオは「もうしません」と首を横に激しく振って誘いを断る。

 そういえば、こちらを怒った顔で睨むベルの顔色がいつもより白い。

「お前、顔色悪いよ」

「えー? そうですか?」本人は自覚していないようだ。

「大丈夫?」ロザリオから意外な一言が掛けられる。

 ベルの頬が再び赤く染まった。

「心配してくれるんですか?」

「当たり前だ。椅子が血で汚れるまで、どうして放って置くんだ?」

「え?」

「痔が悪化するまで、ずっと座ってなくても良かったのに」

「ええっ?」

 動揺したベルは、自分の尻の辺りを触って確認する。生ぬるい、血の感触。

 尻は別に痛いとかそういう感じは無い。むしろ平気だが、下腹が痛む。

「病院行く?」ロザリオは必要以上に狼狽している。

 急に青ざめたベルは、首をゆるく横に振る。

 こんな痛みは初めてだが、なぜか心当たりがあった。トイレに吸い込まれるように歩いていく。彼女が座っていた木製の椅子に、薄っすらと血が付着していた。

「ねえ、救急車呼ぼうか?」残されたロザリオがベルを過剰に労わっているのが、非常に珍しい光景である。

 ドア一枚隔てられているだけで、向こうにいる者の様子が確認できないのか心細さに拍車をかける。ベルはしばらく沈黙を続け、「大丈夫です」とやっと答えた

「どこが?」

 弟子の出血を見てしまった師匠はというと、答えを聞いても落ち着かない。

「どうやら、生理が来たみたいなんです」恥ずかしげにドアの向こうから声が聞こえた。

「せ……?」

 ロザリオに衝撃が走った。「生理って」聞いた後に、なぜか顔が赤くなってしまう。

「この家に生理用品とか、ありませんよね?」緊迫感に包まれた声が聞こえる。

 眼鏡を押し上げ、「そんな物ある訳なかろう」と気まずそうに答えた。ここはしばらく、男だけが住んでいた場所(ポロンはぬいぐるみの外観で関係なさそう)なので、絶対に在庫がない。

「買ってきてくれませんか?」

「この俺にか?」

「お願いします。私、初めてで持ってないんです」ドアの向こうで不安げにすすり泣く声が聞こえてきた。

 返事を怠ったらこんな質問が返ってきた。

「今、めんどくさいとか思ってるでしょ?」

「わざわざ生理用品を買いに、俺に行けと言うのか?」

「あなたは、私を一週間トイレに閉じ込めて置くつもりですか?」

「いや、無理だ。出来ん」引きこもりには、昼間の外出は最も辛い行為なのだ。

「一週間もトイレが封鎖されて、使用できなくて困るのは師匠だけですよ」

 トイレの中から脅迫されて、ロザリオはとうとう根負けした。

「行けば、いいんだろ。行けば」不貞腐れた様子で財布を取りに行った。

 一人じゃ心細いので、ポロンをお供に連れて行く事にした。たかが近所の薬屋への道程だが、生理用品を買わされに行くには遥かに遠い気がした。勇者ロザリオの苦しい冒険が今始まる。




 その男は明らかに不審者の風貌をしていた。

 上は遮光タイプの眼鏡にマスク、野球帽。全身は黒いマントの様な物で覆われている。

 あらゆる品物が満載された買い物袋を引っ提げ、大急ぎで路地を走る。

 ロザリオは、恥ずかしい買い物の試練を遂行した後だった。店員にかなり怪しまれながらも、案外早く、ベルに指定されたアイテムをゲットできたのだ。

 自分のアパートの敷地が見えた時、二階のベランダに人影が見えた。

 その男も明らかに不審者の風貌をしていた。

 遠目だが、黒い忍者服に登山用のリュックを背負っている。

「…………」ロザリオは立ち止まり、アパートの様子を影から見守る。「俺の部屋じゃん」衝撃の事実が発覚した。

「大変、ご主人様のお家に強盗が入ったデスの!」

 今、部屋の中にはベルが一人で帰りを待ち遠しくしているはずだ。


 この部屋の住人とは思えない不穏な気配に、ベルはトイレで身を竦めていた。

 あの躊躇いがちな様子なら当分、師匠は帰って来なさそうだ。

 ガタンガタンと部屋を物色される、不安を誘う音だけが室内に響いている。

 怖い。

 声を出そうにも、助けは来ない。自分がトイレから出ようにも、替えの下着はトイレの外だ。慣れない出血で貧血も患っている。

 四面楚歌を味わいながら、時間だけが過ぎていった。

「いいか、なるべくベランダが汚い家を狙うのがコツだ」

「はい。高確率で部屋も汚く、金品を奪っても家主に気付かれにくいという事っスね?」

 声質的に判断すると、中年の男と若い男の二人組みのようである。

「飲み込みが早えな、さすがソプタン盗賊団の一員だ」

「へへっ」

 カタン。と物音がする。

「どこ行くんだ?」

「ちょっと小便しに行ってきまさぁ」若い男のほうがトイレに近づく。

 ベルの心臓が掴まれたように跳ね上がった。

 当たり前のように、トイレのドアが開けられる。鍵を閉めるのを忘れていた。

 黒い忍者服の怪しい男がドアノブを持ちながら固まっていた。

 ベルの瞳と、忍者の瞳が合う。

「失礼しました」静かにドアを閉められる。

 すぐさま、動揺した様子でドアが開けられた。忍者はもう一度確認したかったらしい。

 股間を隠して、少女が睨んでいる。

 ベルはしばらく、恨めしそうに忍者を睨み続けていた。

 見詰め合う、ベルと忍者。

「ごめん」忍者はすまなそうに謝り、ドアを閉めた。「アニキ!」大慌てで仲間を呼ぶ。

 が、返ってきた返事は、

「人の城に勝手に忍び込みやがって!」慌てて帰ってきた家主の怒声だった。

 妖精のポロンがトイレのドアを開けて、滑り込んで来る。

「お待たせー」と、生理用品を抱えている。ベルを真っ先に助けに来てくれた。

 トイレのドアが一瞬だけ発光する。すぐさま、青い衣装に包まれたベルが、淑やかにゆっくりと出てきた。

 強盗二人組みのうち、一人は既にロザリオの魔法によって片付けられている。

 灰色の忍者服を着た中年の男は、ぐったりと壁に磔にされながら、この部屋の主と部下の戦いを見守っていた。

「やろー、てめー」相手に狭い部屋中をちょこまかと動かれて、目標が定まらないロザリオがイライラしている。自分の部屋で派手な魔法を使う事が出来ず、苦戦している。

「おじさん、忍者ですか?」

 魔法王女・ベルが、壁に磔にされた中年に、ちょこまか動いている黒い忍者について訊ねた。

「ああ。アイツだけがね」中年はやる気が無さそうに答えた。

「そうですか」会話終了。

 ベルは魔法のステッキの代わりになるような物がないか、マイペースにその辺を探し始める。ボールペンが転がっていたが、違うような気がした。

「盗みを見られたからには、殺すしかないっスね」

 いつの間にか、黒い忍者はロザリオの背後に回りこんでいた。忍刀のような片刃の刃物を、ロザリオののど元に当てて。

「しまっ…………」不覚を取られたロザリオは身動き出来ない状況に追い込まれた。

 魔法の先生始まって以来のピンチだ。

「えーい」ベルがステッキの代わりになるような物を握って、振り回した。

 空調が温風を吐き出して駆動し始めた。

 全く関係ない動きをしたベルは、空調のリモコンを握り締めて頬を掻いた。

 とにかく、師匠のピンチをどうにかしなければならない。魔法で。

「どうした? 殺さないの?」ロザリオは、自分を押さえつけた忍者に向かって口を聞いた。忍者がなぜ、次の行動を起こさないのか不思議に感じる。

「可愛い…………」忍者はなぜかそう言った。

 ベルは悩んだ末に、次なるステッキの候補を見つけた。

 割り箸。《おてもと》と印刷された和風のケースに入っている。

「お願い、師匠を助けて!」何でもいいから、と、一生懸命割り箸を振り回し、忍者に向けて魔法を放った。

 玩具のアヒルが一個、忍者の頭の上に転がり落ちた。

「すげえ!」生命の危機を感じているはずのロザリオが歓声をあげた。「魔法少女に大切な、召還の魔法じゃないか。よく出来たな」忍者に捕まっていてもお構いなしで、弟子の初めての魔法の成功を素直に喜んでいる。

「師匠、やりましたよ」割り箸を握り締めながら、弟子も素直に喜んでいる。

 その、暢気に喜び合う光景を、忍者は黙って見守っていた。

 忍者が覆面から見える瞳を伏せて、忍刀を下げた。

「負けたよ。魔法の師匠」と、言ってロザリオから離れる。

 不可解な行動を見せた忍者は、「やっぱ泥棒は向いてないっス」と言い残し、素早い動きでベランダから逃げていった。



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