第5話 未知との遭遇



 ロザリオは眼鏡屋に来ていた。

 先日、長年使用していた眼鏡が大往生したので、嫌々勇気を振り絞って外に出る事を決心してやっと行ったのだ。視力を補足する器具が無ければ生活が困難だったからだ。

 外界に出る事を拒む人間は、必要に迫られたときにしか外に出られない。

 市街に出てきても、ファッションという概念を忘れた彼は、相変わらず擦り切れたジャージに健康サンダルのまま行動している。しばらく引きこもっているから、外に出られる衣服がこれしかなかったのだ。

 付き添って貰っている、ベルは恥ずかしそうに数メートル離れて売り物の眼鏡を見ている。こちらは学生服で。

「お兄ちゃん、裸眼なのに随分とひどい視力だね」眼鏡屋のオヤジが視力測定器の前でうなった。

「はぁ、まぁ」ロザリオは椅子に座ったまま曖昧な返事をする。

「一回、病院に行ってちゃんと調べてもらった方がいい」

 オヤジの余計な一言に、「びょ……病院?」過剰に反応して震える。

「全部下ろしている前髪で視界が違っているとも思うんだが、男ならオールバックにして視界をクリーンにしなさいよ。世界が広がって見えるよ」

 余計なおせっかいを言う、オヤジの額は綺麗に禿げて脂ぎっていた。

「レンズは特殊になるから暫く掛かりそうだよ。大体、二週間くらいしたらまた来て」

 達筆な字で書かれた注文伝票の控えを渡される。

 陽気な眼鏡を掛けた人形が置いてある入り口を出る。核爆弾から眼鏡まで<メガネケミカル>のオヤジが心配そうに二人を見送った。

「どんな眼鏡を注文したんですか?」どきどきしながらベルが訊ねる。

「特注のやつ。視力進んでるからいつものレンズが店に無いってさ」

 案外普通の答えが返ってきてがっかりした。

 二人で他愛も無い会話をしながら家路を急いでいると、往来が立ち止まり、ざわつき始めた。異質な空気が渦巻き、小さな子供が急に空を指差した。

「UFOだ」彼ははっきりした発音でそう言った。

 ビルの隙間を、不規則にゆらつく楕円形の発光体が見えた。

 ロザリオは前髪を掻き上げ、霞む目を凝らして天を仰いだ。

「ねえねえ、師匠。アレ撃ち落してみませんか?」

 わくわくした表情でベルがロザリオの痩せた二の腕を掴む。彼女の提げていたショルダータイプのポシェットからはポロンが同じ表情で顔を出していた。

「いやいや、そんな目立つ事出来る訳ないでしょ」歯切れの悪い答えを返す。

 実は、ロザリオも興味はあったが、衆人環視の中での魔法発動は危険を伴うからだ。

 好奇心旺盛な一人と一体の誘いを、クールを装って断る。「駄目だ、帰ろう」欲求を抑えて再び歩き出した。

「けちー」ベルは下唇を突き出して、不満げにポロンをポシェットの中へ押し込んだ。




 やはり、気になった事は最後まで確かめないと気が済まない時かある。

「あー、見えん」前髪を輪ゴムで括ったロザリオはゲームのコントローラーを持ちながら画面にかじりついていた。ちょんまげ頭を揺らしてかなり機嫌が悪い。

「あんまり近付いて見てると、もっと目が悪くなりますよ」ベルが心配する。

 昔の彼は眼鏡を着用していなかったものだが、視力が下がって眼鏡を掛けるようになった原因がゲームにあるのではと予測できる。

「くそっ、このっ」カチカチとボタンを連打する。

 ロザリオは今、宇宙船を乗っ取ったエイリアンを殲滅するアクションゲームに夢中だ。

 昼間に目撃したUFOが結局気になって仕方が無かったからだ。

「もー、チャンネル変えてくださいよ。連ドラ観なきゃいけないんだから」

 時刻は夜九時を回ろうとしていた。ベルが楽しみにしている長期連続家庭ドラマが始まろうとしている。

「ウッセ、黙れ。俺の家だ」コントローラーを握った大人は、子供相手にむきになって怒っている。この男に、譲り合いの気持ちは沸いてこない様子だ。

 こんな非道い男の下に弟子入りしたベルは唇を噛み締めて堪えるしかないのか。

 音がして部屋のブレーカーが落ちた。

 機嫌が悪いのは何も、ロザリオだけではなかった。一緒に暮らしている、弟子のベルにも伝染して、こちらはいらつきが爆発したようだ。

「ああーつ!」

 子供らしい報復だが、明らかに悪意が篭っている。

「クソガキ、何しやがる」真っ暗闇の中で怒鳴る。

「ぶー、いけずな事ばっかり言ってるからですよ」暗闇の中で下唇を突き出したかどうか定かではないが、ベルがかなり機嫌を悪くしているのは雰囲気で解る。

 一触即発の空気が暗闇を支配する。

 下らない二人の戦争が開戦を告げようとしたその時、窓の外が眩しく光った。

 怒りの形相で睨み合う二人が醜く照らされた。

「こ、怖いデスの~」ポロンは窓の外と、睨み合う二人を交互に見て、小刻みに震えた。

 不可思議な光に照らされて、最初に口を開いたのはロザリオだった。「これ、何だと思う?」

 ベルの鼻の穴がぴくぴく動いた。にやり、と不気味に微笑む。

 部屋の窓を開けたら、刺すような光で目が潰れそうになった。

 眩んだ目を細めて、見たものは、

 巨大なフリスビー状の金属と、それにくっ付いたかなりの数の発光体だった。

 無機質な外見に反して、巨大フリスビーは意思を持った様に、こちらの窓へ飛び込んできた。

「おわぁ!」ベルがわけの分からない奇声を発してしゃがみ込んだ。

 フリスビーに付いていた発光体が次々と爆砕する。

「ここで会ったが百年目!」ロザリオは不適な笑みを浮かべて立っていた。

 巨大フリスビーは、殺虫剤を浴びた害虫のようにころり、と墜落していった。

 咄嗟に、爆発魔法を巨大フリスビーに見舞ったのだった。

 眩しい光が急激に失われる。

「あれー?」ベルが窓から顔を出して、下界の様子を確認するが、「落ちてないよぉ?」巨大フリスビーの残骸は階下の庭に転がっていなかった。

「あんなでかい奴がうちのアパートの敷地に落ちるか。多分、あの方角は公園に違いないだろう」

 冷静な表情でロザリオが部屋のブレーカーを上げた。部屋に再び優しい明かりが灯る。

 蛍光灯の下で、彼の濁った瞳は急に輝き始めた。

 ちょんまげでジャージ、ダサい格好をしているが、少年のような瞳をしているだけで何でも許されてしまいそうだ。ポロンがうっとりと主人の凛々しい横顔を眺めている。

「行ってみよう」

「はい!」

 大袈裟に頷いたベルは、師匠の勇気ある提案に心から賛同した。

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