第3話 青年がレオタードを纏うとアレがハミる




 東から差し込む陽光と空腹でベルが目を覚ました。

 周囲を見回すと、壊れた家具と荒んだ部屋の光景が視界いっぱいに広がった。

 地震でも起きたかの様な惨状に息を呑んだ。

 トイレに行こうと毛布を剥ぎ取り、傍まで行くと洗面所に設置してあった洗濯機が横転していた。昨日、普通に洗濯していた筈なのに爆発したのだ。

 この部屋の主は全てを諦め、唯一無事であったベッドで睡眠中だ。

「おなか空いたな」

 用を済ませた後、食料が無いか物色を始める。

 冷蔵庫を開けると、庫内の冷気と共に篭った空気が漂ってきた。明かりが灯された冷蔵庫の中には、賞味期限を三年ほど経過したハムと紫色に変色した謎の塊が見えた。

「何も無い」異様な臭いに顔をしかめる。

 冷蔵庫の扉を閉めた。とても残念でやるせない気持ちだ。

 昨夜食べたのは、買い置きしてあったパンだけだった。まだパンが残っていたか袋を確認するが。「無い」絶望が頭をよぎる。

 ベルは朝食を毎日欠かさず食べる人間だ。寮にいた時は、自動的に朝御飯が食堂で支給されていた。それは一昨日までの話。

 学校を自ら退学して、魔法の先生の家に勝手に転がり込んだ現実は甘くは無い。

「ねえ~、師匠、朝ご飯は?」

 熟睡しているロザリオを無理やり揺さぶり起こす。

「ん~?」あからさまに嫌な顔をしながら目を覚ました。

「師匠、朝ご飯は?」食に飢えた成長期の少女は不機嫌に尋ねる。

「ねえよ」一言だけ答えると、布団の中に潜り込んでまた眠りの世界へ戻った。

 枕元でパステルグリーンのぬいぐるみが気持ち良さそうに眠っている。

「朝ご飯は元気の源ですよ。私、成長期だからご飯食べないと育ちませんよ」

 腹いせにポロンの垂れ下がった耳を引っ張った。

「イタタタタタタタタ」甲高い悲鳴を上げてポロンが覚醒する。

「おなか空いた」

 不機嫌な態度で妖精に八つ当たりする姿勢はまだ、子供そのものだ。

「台所の戸棚に、確かカップめんがあったと思うデスの」

 食料が有ると聞くや、ポロンを放り出し台所へ急いだ。

 脂ぎった戸棚を隅まで調べ、カレー味のヌードルを発掘する。たかがインスタント食品でも、空腹時には輝いて見える。

 早速、片手鍋に水を張り、コンロに置いた。

 爆発。

「ぎゃーーーーーーっ」

 なぜ爆発したのか本人には理解不能だった。コンロの傍で蓋を開けて待機していたカップめんが爆発に巻き込まれて破壊された。

 驚かされた家主が慌てて台所に駆けつける。

「ああっ、貴重な食料が」ベルの安否は確認せず、食料の心配だけをする。

 ベルは咄嗟にしゃがみこんで無事だった。ロザリオの姿を見つけると、怯えながらしがみ付いた。

「師匠、コンロが……」

「あー、半年以上使ってなかったからなぁ」霞む裸眼を瞬かせながら、やる気の無い口調で答える。「まだガス止められてなかったのか」素朴な感想を述べて頭を掻いた。

 爆発を聞きつけて、隣の部屋の住人がドアを激しく叩く。「大丈夫ですか?」ドアの向こうの相手はこちら以上に緊迫している。

「すみません、何でも無いです」ドアも開けずに大声でロザリオが対応する。

 ベルがロザリオの腰にしがみついたまま離れない。異性と触れ合う機会が極端に少ないロザリオはちょっとだけ嬉しかったが、複雑な心境だ。

「ちょ、腰骨が折れる……」

 軍人を養成する学校に通っていたベルの握力は半端じゃなかった。

「私の朝ご飯が」潤んだ上目遣いで訴えかけられる。

 最後の食料は火の粉を上げて僅かに燃えていた。すぐさまロザリオの氷の魔法で消化される。

「分かった。分かったからコレで何か買ってきなさい」ジャージのポケットからくしゃくしゃになった青札と銅貨を出した。

 お金をベルに握らせると、彼女の表情が晴れ、ロザリオを開放した。




 ベルは軽く着替えを済ませて買い物に出かけた。

 早朝から営業しているのは24時間営業のコンビニエンスと相場が決まっている。

 ベルは買い物袋を提げて帰路についていた。簡単な弁等の他に、大好物のプリンまで買えて上機嫌である。

 不意にベルの足元に未開封の缶ジュースか転がってきた。

「コーラだ」拾い上げると良く冷えている。

 それが何本も落ちている。

 人気の少ない路地の自販機が、上下真っ二つに引き裂かれていた。

「うそ」

 充填されていた缶ジュースは路上に零れていた。

 缶を拾って浴びるように飲む者がいる。全身を鱗で覆ったトカゲみたいな生き物がのどの渇きを癒している。

 四肢は幹の様に太く、張り付いた鱗は全体的にささくれている。「触ったら血が出そう」とベルは息を殺しながら思った。

 トカゲに気づかれない様、そーっと足音を立てずに進路を変更した。


 ロザリオはパジャマ代わりに着ていたジャージのまま、本の積まれた山の傍でしゃがみ込んで読書していた。早朝からベルにたたき起こされて目が冴えてしまい、昨日の掃除の続きを自ら率先して遣っていた筈なのだが。

「フッ」積まれている少年漫画雑誌に目が行き、全く進まないまま時間だけが過ぎていく。

 ポロンはポータブルゲームに夢中だ。飼い主がしょうもない駄目人間なので、飼われている妖精も似てくる。

 後ろで朝のワイドショーが誰にも観られる事なく放送されていた。

 画面から『恐怖・モンスター来襲』とテロップが付いて、アナウンサーがいくら緊張感を訴えようとも、ここにいる視聴者は見向きもしない。例え、事件発生現場が近隣の地区であろうとも、社会生活を放棄した人間には関係の無い事だ。

『ただいま警報が出ています。通勤通学で付近を通行の際は厳重に注意し……』

 ニュースをBGMに、この部屋の住人の意識はそれぞれ別の世界へ飛んでいる。

 アパート備え付けの金属製の階段から乱暴に駆け上がる音が聞こえるが、読書中のロザリオにはむしろどうでもいい。

「師匠っっ!」

 勢いを付けて玄関のドアが開け放たれた。ベルが上気した顔で部屋に駆け込んでくる。

 買い物袋をその辺に放り出し、真っ先にロザリオの元へ。

「大変です、エマージェンシーです」

「あー?」不機嫌そうに雑誌から顔を上げる。

「町内で怪物が暴れています」

 ロザリオが再び雑誌に視線を下げるのに時間は掛からなかった。

「ちょっとちょっと、出て行かなくていいんですか?」

 信じられないと言いたげな表情でベルがロザリオの腕を引っ張るが、

「どうせ、うちまで来る前に武装警察が何とかしてくれるでしょ」と、のん気に答えた。

 漫画雑誌が取り上げられる。「ちょ……それまだ途中」

「何しみったれた事言ってるんです?」ベルは雑誌を閉じ、「あなた仮にも正義の魔法使いでしょ、ちゃちゃーっと怪物をやっつけましょうよ」師匠に平手打ちをしそうになりながら、上まで上げ手を握り締めた。

 ロザリオは「引退しただってば」と小声で呟き、「ねえ、ぶつの?」怯えた表情で自分よりはるかに年下の人間を見上げた。

「ほら、ポロンも」

 熱血に燃える少女は、腐りきった妖精の耳を持ち上げる。

「ああん、クリアまだデスの~」ポータブルゲームを取り上げられる。「の~!」じたばた暴れても短い手足ではどうにもならない。

 ポータブルゲームのスイッチが容赦なく切られた。

 ポロンは「ハイスコアが…………」白くなって燃え尽きていたが、

 次の瞬間には「さあご主人様、気張っていきマスの!」空元気になって主人の前に降り立った。気持ちの切り替えが早いのも、長年培った生活の賜物だ。

「師匠、今こそ特大の魔法をドドーンと、手本を見せてください」

 期待に胸を膨らませ、ついでに鼻の穴まで広がったベルを前に、ロザリオはばつが悪そうに頭を掻いた。

「えー? 外に行くの?」面倒と言いたげな表情。

 引きこもりには外に出るのは最も抵抗がある行動だ。「嫌だぁ」太陽の光は猛毒に等しいので、幼児の様に身を丸める。

「嫌だ、じゃありません!」母親のように叱咤。

 ベルは自分より体の大きい大人の首根っこを掴んで引きずり、ポロンを連れて怪物を退治しに出陣した。




「ああ、確かにそうね。暴れてるね」

 全てを諦めたロザリオは自分の足で地面に立ち、壊れた眼鏡のブリッジを上げた。

 武装警察が駆けつける前に、町内をうろつくトカゲの怪物に出会う事ができた。

 相変わらず怪物は真新しい自販機を見つけると手当たり次第に破壊して、中のジュースを浴びるように飲んでいた。

「甘クネエンダヨォォォ」しわがれた声で魔物が吼えている。

 転がってきたジュースのペットボトルには『カロリーOFF。あまさひかえめ』と印刷されていた。

「異界の門は俺達が閉じた筈なのになぁ。封印が綻んじゃったのかなぁ」つい左手を唇に持っていってしまう。表情は変えていないが結構狼狽している。

「師匠、お願いします」

 いつの間に持ち出していたのか、星の付いたリリカルなステッキをベルから渡される。

「はいはい。原因は知らないけど、何とかしましょう」

 魔法少女のマストアイテムともいえるステッキを当たり前のように握る。ジャージ姿で眼鏡のくたびれた青年には似合わない。

 魔物がこちらに気付いた。

「変身、しないんですか?」ベルがロザリオに質問した瞬間、

 ロザリオは魔物に飛び掛られ、吹っ飛ばされていた。

 眼鏡のレンズが片方飛び、ロザリオが路上に投げ出されるより先に割れ落ちた。

「キャー、ご主人様」ポロンは主人の悲惨な姿に悲鳴を上げた。

 長年引きこもりを続けていた人間に過激な運動は難しかったようだ。戦闘の勘が鈍って、左肩から血を流して尻餅を搗いていた。

「オトナダッテ甘イモン」魔物は苦しげに呻きながら、標的を丸腰のベルに変更。

「わっ」内股で防御し、堅く目を閉じる。

 太い腕が振り下ろされる前に、ベルの後方の塀がすごい音を立てて崩れた。

 崩壊したブロック塀に、いつの間にか魔物が埋もれていた。

「ちくしょー、俺が何でこんな目に遭うかなー」血の混じった唾を吐き捨てる。

 右手にステッキを持ち、鈍くなった左腕をぶら下げてロザリオが立ち上がった。満身創痍。肉体と眼鏡はこれ以上無い位にボロボロになっていた。

「魔王を眠りから覚ませた事を後悔させてやるっ」今にも泣きそうな表情は言葉とかみ合っていなかった。無理やり外に出されて後悔しているのは彼の方に間違いない。

 今は見る影も無く格好悪いが、昔は国民に騒がれるスーパーヒーローだった。

 止めを刺そうと一歩踏み出す。

 突っかけていた右足の汚いサンダルが中途半端に脱げ、足首が不快な音を立てた。

「はうっ」予測もしない鋭い痛みに、ステッキを投げ出して転がった。

 スーパーヒーロー(?)に絶望の影が差す。

「…………体力が」息も絶え絶え、身動きもままならないまま、敵に復活のチャンスを与えてしまった。

 魔物が半身を起こし、体に掛かった瓦礫を退けた。

「もう、駄目か」戦闘から身を引いて久しい魔法使いは覚悟を決めた。

「師匠、しっかりしてください」

 見上げると、ベルの履いていたスカートの中が見えた。紺色で色気もそっけも無く、やる気が出ない。パンツは水玉だろうと、勝手に決め付けているきらいがある。

 スカートの上の方で抱きしめているパステルグリーンのぬいぐるみがちらりと見えた。

「ポロン……来い!」

 ロザリオは戦いに飢えた戦士の表情で右腕を伸ばした。

「はいデスの!」ポロンは嬉しそうに彼に飛び込む。

「マジカルプリンセス・ローズが、きつーいお灸を据えてやりますわよ」

 怒気と気合を込めて立ち上がるロザリオの瞳は、かつてのバトルヒロイン・ローズの物に入れ替わっていた。壊れた眼鏡を投げ捨て魔法のステッキを拾う。

 色とりどりのリボンとシャボン玉が飛び交い、ささくれたトカゲの魔物は虹色の光に包まれていた。

「召来・ロリポップ!」

 青色の髪の魔女が星のステッキを手首のスナップを利かせて振ると、巨大なぺろぺろキャンディが出現する。発色の良いピンクと黄色の螺旋が特徴の棒つき飴だ。

「ベル、今です」魔女は髪と白いマントをなびかせ、敵に向かったまま言った。

 指名を受けたベルは「え?」ちょっと驚きながら棒つき飴の方へ向かっていった。嘗ては魔法王女・リリアが勤めていた役目をする為に。

 棒つき飴の柄を両手で掴み、光の中で硬直するトカゲの魔物へ一気に振り下ろした。

 幼い頃『魔法の王女まじかるーん』を毎週欠かさず観ていたベルの肉体が記憶していたのであろう、すんなりと言葉が出る。

「幸せの国へお行きなさい」魔女に成長したローズの言葉と重なった。

 トカゲの魔物は棒つき飴を受け止め、まばゆい輝きを放つ。

「甘インダモ~ン」

 悦びの奇声を発して魔物が小さくなり、

 やがて泡の様に消えた。

「師匠、やりましたね」勝利を喜び合おうとベルが振り返る。

 前に立つその人は確か、元・魔法王女だったはずだ。

「いやぁぁぁぁぁぁっ!」急に赤面して顔を伏せた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、憧れていた少女の変わり果てた姿だった。

 魔法王女に憧れる女の子なら憧れるレオタードも……。

 嘗て装着出来ていた筈の戦闘コスチュームは伸びきり、ほつれ、破れていた。

やるせないワイルド感を漂わせた、すね毛の生えた痩躯の勝利の仁王立ち。

「げっ」ロザリオが気が付いた時にはもう遅く、アレが片方はみ出していた。

 武装警察が遅れて駆けつけて来る。

 ロザリオは朝っぱらから、猥褻物陳列罪の罪に問われる前に逃走しなければいけなかった。

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