再会・六



    *



「いいのか? ここで」


 天乃原学園を囲う壁の頂上──正確にはいくつか点在する監視棟のメンテナンスデッキから地上を見下ろすハルとカナに向けて協力者である創家さん──創家操兵が問いかける。それは見守るのはここでいい場所の問題のか? なのかここにいていいのか行動の是非? なのか、判断するのは難しい。それともどちらか、などと意図を量りかねるのは私の迷いがそうさせているのかもしれない。


「──こでいいです」


 か細いながらも意思表示のはっきりした返答で応じたのは双子の妹であるカナ。創家さんの質問を返しながらもその視線は兄と兄が唯一先輩と慕う人の二人から外れない。やや過剰ともいえるほど他人の顔色を気にする普段の妹からすれば珍しいといえる態度。創家さんはそんなカナに気を害した風もなく、そうか、と短く呟いてカナに倣う。


 通学や搬入等、様々な用途の車両が行き来するターミナルはその広さから長大に建てられた壁の上からでも一部始終を見るのに適している。さすがに全てを目で追いきるのは不可能だが、そもそも異能で強化された非常識な運動能力を発揮する兄を見るには俯瞰でなければ捉えられない。その上、二人の邪魔をしないという条件も加わるとなるとこの場所が最も用途に合っているといえる。


「──おーよく見えるじゃねぇの。特等席だな、こりゃ」


 そこが最適であるなら第三者と遭遇するのはおかしくはなく、私達とは先客か来客かの違いでしかない。まして目的が同じならなおさらだ。挟み込まれた台詞そのものは緊張感のかけらもないが、その声はとても重々しく荒い。野生の獣が人語を発するならこんな感じだろうと連想させる。姿も私とカナに覆いかぶさったとしても余りそうなほどの巨躯。そんな特徴を持ち合わせる人物など私の知る限り一人しかいない。


「こんなところで油を売っていられる身分ではないはずだが? 


「仕方ねぇだろ、空也のやつに学園外まで蹴り飛ばされたんだからよ」


 ──これでも苦労したんだぜ、と悪びれる様子もなく創家さんの抗議を柳に流すのは兄の元同級生で時宮においては屈指の異能者である王崎国彦王崎さんだった。


「どうやってここへ?」


 当然ながら、一般生徒や部外者の立ち入りを許すところではなく、私とカナも例外ではない。それを可能にしたのは創家さんの異能あってこそ。しかし、王崎さんはその自重のせいで機動力やそれに関連する潜入といった方面にとことん向いていない。いったいどうやってここまで来れたのか?


「子飼いを展開しているのは当真家と月ヶ丘家あいつらだけじゃないってことだよ」


 隠す気は毛頭ないらしく、『王国自前の勢力』を介入させていることをあっさりと白状する王崎さん。王崎さんの目的であり手段でもある武装集団『王国』は自ら口説き落とした人材によって組織されており、当然、異能者も多数存在する。その中に偵察や輸送といった戦闘以外の用途に優れた異能者も珍しくなく、この場に王崎さんがいるのも彼ら彼女らの手によるだろう。そして、それは視線を二度、三度と彷徨わせた創家さんと無関係ではない。


「相変わらずの横紙破りだな。武装集団を黙って連れてくるなど、火薬庫に火種を投げ込むようなものだぞ」


「はっ、こんな顔見せのじゃれ合いでどうこうなるかよ。今日この場で勝負にでているとしたら、帝のやつに優之助の妹一号二号、あと。あそこにいるだけだろうが」


「……遥と彼方です」


 投げやりなネーミングセンスと態度に訂正をいれながら、巻き込まれた会長がカウントされていないことに他人事(正しくは巻き込んだ中の一人か)ながら同情する。一方、王崎さんはといえば、私のささやかな抗議に感銘を受けた様子もなく、不思議そうに首をかしげている。


「ってか、なんでここにいるんだ? よくよく考えてみりゃ、ある意味、一番油売ってる暇がないのは創家、お前だろうが」


 実のところ、王崎さんのこの言葉の意味はことの外重い。創家さんは月ヶ丘出身の異能者。本来なら、所属や心情は月ヶ丘家向こうよりのはずだった。しかし、私やカナ、心さん、そして月ヶ丘の当主とはいえ月ヶ丘の大意に沿わない帝さんに協力するということは、いかなる理由──それがたとえ、自らの異能誇りが傷つけられたのだとしても反体制の立場なのは変わらない。


 そんな創家さんが目的を遂げるチャンスは今日、この日のみ。自身の異能『ドッペルゲンガー』を組み込んだ『新世代』のお披露目の場である天乃原学園を強襲し、心さんが兄にやろうとしているのと同じ要領で『新世代』から能力を消す──創家さんの心情からすれば取り戻す──という手はずになっていた。心さんと私達が別行動だった理由は、警戒を分散させて進入しやすくするというのももちろんあるが、達成難度が比較的易しいため、手分けして創家さんの都合目的を優先させたというのも大きい。


「たしか月ヶ丘の連中に一泡吹かしたくて協力したんだろ──裏切ってまでな」


 予定なら、創家さんは今ごろ外回りにいる『新世代』は全て“処置”を施し、当真瞳呼が従えているであろう残りを抑えに講堂へ向かっているはず。だからこそ、創家さんがここにいるのが王崎さんにとっては不思議なのだろう。


「本来なら、そうだ。予定通りではないという意味では俺も大差はないのかもな」


 今さらな挙句、誰のと比べてか、という皮肉はさておき、どことなく穏やかさまで感じさせる協力者を意外そうに見る王崎さん。いかにも細かいことには気にしなさそうな王崎さんですら目をむくあたり、目的を度外視してまで私達と行動を共にしてくれている創家さんの変わり様は相当なものらしい。


「……こちらのことはどうでもいい。一体どういうつもりだ? まさか本当に観戦を決め込みにきたというなら冗談を通り越して正気すら疑うのだが?」


 創家さん自身、心境の変化に自覚があるのか、王崎さんの怠慢を糾弾する口調は気まずさを振り払うように一転して鋭い。もしかすると予定を間接的にでも狂わされた恨み節も若干あったかもしれない。ただこうなると向けられた圧に反発したくなるのが人の常、一方が言われっぱなしでは済まないだろうと知らず身構えてしまう。


「──?」


 しかし私の予想に反して、腹の底を震わせるような声はおろか、巨体と常識外の質量が創家さんに詰め寄ろうと起こすはずの風圧も感じない。状況が緊急であれ平時であれ、異能者同士のケンカに発展しないのならカナでなくても安堵するが、別の意味で不安にもなる。当の王崎さんは少しばかりあっけにとられ、次いでなにかを理解したのか、口元とのどをひくつかせ──それはもう豪快に笑い飛ばしてみせた。


「……ははっ、あははあははははははははっはは──」


 突然の哄笑に意図が読めず、今度は私の方があっけにとられる。創家さんも同じ気持ちなのか数瞬前の剣呑さはどこへやら、その矛先の収めかたに躊躇っているよう。兄と心さんを一心に見ていたカナもさすがに王崎さんが放つ大音量を素通り出来ず、目を白黒させながらこちらへと視線を戻す。やがてひとしきり笑って気が済んだのか、愉快そうに肩を揺らせつつも私達──とりわけ創家さんの方──へと顔を向ける。……衝突を警戒していたついさっきより緊張するのは気のせいか?


「──はぁ……、なぁ、マジでいってんの? それ。観戦ってやつを、よぉ」


「お前の行動を見て他にどういえと?」


「──冗談を通り越して笑えねぇのはこっちだ。お前、?」


 けして激高したわけではなく、むしろ普段のよりも平坦といえる。しかし、創家さん以上に剣呑な空気を漂わせ王崎さんが嘲笑う──そう、王崎さんは愉快だったわけではないし、本当に笑っていたわけではない。それは間違いなく、私達に対するの感情だった。


「なぁ、なんで俺が瞳子の話を蹴って帝や海東心の側についたと思う? 。相手の思考が読めて、あらゆる異能が使える? ──それで優之助に勝てるんならとっくの昔に俺が沈めてるっての」


 王崎さんが顎で指した方角には今も兄と心さんの戦いは続いている。土と植物でまみれ、もはや原型をとどめていないターミナル戦場の中を瞳子さんの異能『殺刃』が縦横無尽に入り乱れる。だが、その場にあって兄は架空の刃にひとかすりも許さない。使、まさか読心で行動を予測してもなお捉えきれないとは……。


「他人の能力を制御出来るのはいいとして、剣術のけの字も知らない操作。素人ならまだしも優之助に当たるかよ。それにだ、仮に相手の考えが読めたとして、メジャーリーガーの球を小学生が打てるか? 将棋や囲碁のプロを相手に二手三手先を知ったとしてどうにかなるか? ──もう少しを信じるべきだったな」


 私達の考えの浅はかさを王崎さんの言葉と兄の立ち回りが打ち据える。兄さんの強さを支えているのは間違いなく『優しい手託された異能』だが、、そこから先を切り開いてきたのは他でもない、兄さん自身の強さだ。そしてそれを真近で見てきたのはいったい誰だったというのか。


私は信じるべきだったのだ。誰よりも何よりも。、いや、だからこそ肝心な部分が抜け落ちていた──このままでは


「──ハルちゃん」


 一言もなく俯く私の手をカナが労わるように優しく包む。触れた指先は冷たく震えていて、カナもけして平然としているわけではないのが文字通り手に取るようにわかる。それは労わりの他にも叱咤が込められている。そうだ、私が呆けていることは許されない。なぜなら私達が始めたことなのだから。


「──浅はかだったというならそれはそれでいい。たしかに実際に見てしまえば、勝負にすらないのだとわかる。ならば、お前はどうするつもりだ。目的が金銭だけなら当真瞳子の話を受けるだけでよかったはず。勝負にならないならこれ以上楽な稼ぎはないからな。だが、それをしないということは勝負事を自分なりに面白くする意図つもりがあるのだろう?」


 それは私達への何度目の気遣いだろう。創家さんの指摘はただ単に滞りがちな会話の間を繋げただけではなく、この先の展開を示す手助けをしてくれている。私達から始めた一連の流れはもはや私達だけのものではなく、王崎さんの答え如何では話がどのようにでも転がるからだ。それを知ってか知らずか気だるそうに肩をすくめ、なんてことないとばかりに口を開く。


「『王国俺達』だって別にここでどうこうする気ははなっからねぇよ。瞳子だってまぁ、そろそろ気づいているだろうさ──今回は当主候補うんぬんとは関係ないってな。……いや、そろそろつーか、薄々か。あの女、意外っていうかある意味あからさまなんだが、優之助のことになると甘かったり、妙に鋭かったりするからな」


 同じ穏当な物言いでも先ほどまでのどことなく不安の煽る空気とは違い、手にした矛先を収めたことで角が取れたという印象が強い。もしかすると創家さんが一歩引いたのである程度王崎さんの気が済んだのかもしれない。元々こじれた原因が兄さんへの無理解にあったのだから私達が非を認めた時点であざけりの裏にあるわだかまりが解消されたのだと。その理屈はわからなくもないが、言い換えれば、形はどうあれ王崎さんも瞳子さんに負けず劣らず兄さんへの思い入れが強いということになる──それは敵にするようなものか、味方へのものなのかは測りかねるが。


「まぁ、そんなことはどうでもいい。金銭が目的ではない、ってのもその通り。俺がここに来た理由はお前を連れ出すためだよ、創家操兵」


「どういう意味だ?」


「これ以上、ここにいてもお前のは果たせねぇだろうから、勧誘に来たんだよ──『王国』にな」


 ──じゃなきゃあ、こんな高いとこまでわざわざ足を運ぶかよ、辟易した表情で締めくくる王崎さん。それは誰にとって誰のための協力だったか、心さんと私達、月ヶ丘帝帝さん、そして創家さん、三者三様の思惑の中で王崎さんの目的はあくまで『王国』にあるということ。ただ、その中身が創家さんその人にあったとは言われた本人ですら意外だっただろう。どう反応すればいいのか戸惑う創家さんを尻目に王崎さんの“勧誘”は続く。


「どうせこの先月ヶ丘にいられるわけねぇんだし、一泡吹かすっても、向こうさんは痛くもかゆくもないだろ。やつらにとってもお前にとってもは別にあるんだからな」


「……」


「もとより異能は使い手の心象をデザインしている。うちに宿る狂気うんぬんはともかく、瞳子の『殺刃』が刀の形をしているのは瞳子の身近にあった狂気を具現化するための象徴が剣術だったからだ。要するにいくら他人の異能を移植できるからといってオリジナルより使いこなせるなんてのは土台無理なんだよ。それがわかってりゃあ、さほど気にする必要などない。所詮、劣化コピーでオリジナルを上回るなんざ不可能だ。当真晶子だったか? あれがいい例だな。だが、おまえは動いた。少しでも使われることが許せねぇってのがないとはいわんが──可能性を見たんだろ? 


 王崎さんの声が熱を帯びる。創家さんを『王国仲間』に加えるために重ねた言葉は自身にとっての目的を達するための真摯さに直結するからだろう。一方、創家さんも今までの態度とは違うせいか、すげなく返すことが出来ずにいる。本来ならば、唐突かつ強引な“勧誘”に耳を傾けるはずがないのに。


「──なぜ、『新世代』と名付けたのだと思う?」


「あ?」


「お前の言う通りだ。あの程度の劣化コピーなど恐れる理由もないし、気が乗らなければ放っておいてもよかった。そもそも、ただの一般人に異能をつけたところで新しい種などなるわけがない。それでは既存の異能者となんら変わりないのだから──だが、


「月ヶ丘の方のトウマトウコが徹底的な異能者優位主義ってのは聞いている。当然、『新世代』のベースは異能者から選別するのが自然だろうよ。……んで、実際どうなんだ? もう仕上がってんのか」


「俺の方からは確証はなかったが、月ヶ丘帝いわく御村優之助で可能性を示し、当真晶子をはじめとした大勢で実践とその確度を固め、本物の『新世代』は調整へと移っているそうだ」


「なら、この先どうなるかはだいたい決まったな。……どうするよ、創家操兵。一泡吹かすのは本当に一人じゃ出来なくなっちまったようだぜ」


 だからこそというべきか、誰よりも説得力に満ちたその言葉が創家さんを揺らす。王崎さんの提案を呑むということは私達にしたような協力ではなく、傘下に収まるのと同義だ。ある意味で月ヶ丘に弓引くよりも重い決断を強いられている。


 だが、それを迷う暇は許されない。けして相容れない主義・思考の持ち主である当真瞳呼に方便を用いてまで実現させたこの一日機会は下にいる兄さんと心さんとの戦いこそがこの騒ぎの終着。決着がついた時点で他の用事を済ませているであろう当真瞳呼がこの学園に留まる理由はなく、同時に創家さんの裏切りが露見するのは時間の問題となる。しかし、創家さんにとって月ヶ丘と袂を分かつことや身の安全はたいした問題ではない。迷うのは他人に利用され続ける自らの異能を取り戻せるか、そしてその願いを王崎さん達『王国』に託していいのか、そこに集約されている。


「そろそろ下も決着がつくぞ? 俺の方にも都合ってのがあるんだ、乗り気のないやつに長々と構うほど暇じゃねぇ……早く決めろ」


 王崎さんが最後通牒を突きつける。普通の人なら有無を言わせず首を縦に振らせそうな圧力の中、創家さんは無言でしばし考え込んだ後、その目線を王崎さん──ではなく、私達の方へと向けた。


「──っ」


 なぜを問いかけようとして止まる。自ら引き受けた私達を放り出すことに抵抗を感じているからだと目を見てわかったからだ。そう、それはつまり創家さんの中で答えを決めたということ。カナも同じ結論に至ったのか、包むように繋ぎ触れたカナの手がほんのわずかに絞まる──あぁ、まただ。まるで兄さんの『超触覚』が乗り移ったかのようにカナの想いが伝わってくる。握り締めたのは創家さんを後押ししたいという決意。搾り出したのは感謝の言葉。


「──私達のことはお気遣いなく。ここまで連れて来ていただいただけで充分です。あとは創家さんの進みたい選択をしてください」


「俺は──」


 はたして、創家さんはどう結論づけたのか、その言葉の先は空気を裂くような轟音によって阻まれた。

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