再会・五

 序列認定対象外“アウトナンバー”。それは序列認定されるほどの異能を持ちながら数々の理由から認定そのものを受けられない異能者に与えられる、いわば管理だ。


 認定対象外としながらも性質は“序列持ち”に近く、割り振られるのは危険思想の持ち主、度を越えた戦闘狂、異常性癖といった個性的な異能者にあってもなお異端に位置づけられる外れ者達。“序列持ち”とは別の意味で放置出来ない異能者へ掛けさせる鈴みたいなものだ。


 管理番号といいつつ、その名称がアウトナンバーなのだから皮肉なものだが、管理の都合上“アウトナンバー与えられた”側が知らないだけで固有を示す番号はあるし、名称にあるナンバーは序列を指しているので矛盾はない。


 どう考えても人格破綻者にしか付けられない肩書きだが、この身を振り返ってみれば、社会をどうこうしてやろうという考えはないし(むしろ当真瞳呼の方が該当するのでは?)、今まで散々巻き込まれてきた数々の騒動で自分の意思を示すために戦うことを躊躇いはしなかったが戦闘そのものに酔ったことはない、性癖も──たぶんノーマルのはずだ。


 そんな俺が鈴をつけられた理由──それは後天的には発現しないはずの異能を覚醒させた唯一の例外だったからだ。異能者達を管理する存在である当真家はその前代未聞だったであろう事態に“精密動作少しだけ器用”で“超触覚手の感覚が鋭いだけ”の一高校生を“少しだけ器用精密動作”と“手の感覚が鋭いだけ超触覚”の異能者として、その事実を覆い隠した。結局のところ、当の異能者達ですら異能者であるかどうかを見極める確たる方法は異能を使って存在を示すしかなかったというわけだ。


 とはいえ、一異能者としてすんなり扱っていけるかというと、それはまた別の話。なにせ、例外として生まれた初めてのケースだ。いつ只人に戻るかもしれない可能性はそれこそあり得ないとも言い切れない。そんな“まがいもの”相手に序列認定の審査する意味を見出せず、さりとて序列に名が載らないことを周囲に不信がられては隠した意味がない。そうした理由から序列認定対象外としてのレッテルを貼った方が合理的だったのだろう。


 もしかしたら、月ヶ丘ほど異能研究に積極的ではないにしても興味が皆無というわけでもなし、の目的もあったかもしれない。個人的には愉快とはいえない判断だが、客観的に理解するのはそう難しくない。


 そしてその判断は間違っていなかった。俺は後天的には発現しないはずの異能を覚醒させた唯一の例外──ではなく“運動エネルギーの完全制御”という名ので異能者のまがいものを演じてきた“精密動作少しだけ器用”で“超触覚手の感覚が鋭いだけ”の一般人ヒトでしかなかった。本当の意味で前代未聞だったのは、異能の本質に辿り着き、俺に異能を与えた先輩──『サイコダイバー』海東心。つまり、俺はただの異能を他者に移植した成功例──いうなれば『新世代』や当真晶子の“先輩”というわけだ。


 異能者になんて、もはやどうでもよかったし、その後もただある事実として受け入れてきた──単に答えを先送りにしてきただけだと言われればそれまでだが。


 当真晶子はそんな俺に先輩が送った一種のメッセージだったのだろう。本人にとっては扱いからして気の毒なことこの上ないが、道化具合でいうなら俺の方がよほど滑稽だ。先輩が真実を追っている間、先輩を通じて託された『優しい手異能』を我が物として振るってきたのだから。


 そうして気づける機会がありながら見て見ぬ振りをしてきたが今この場所で人の形をして目の前に立っている。だが、それは瞳子の形をしていることもあれば、ハルとカナだったこともある、とても手厳しく平静ではいられないが、同時に優しく愛おしくかけがえのないものだった。そして今度は先輩の形をしている。俺のしでかしたことの帳尻をどう合わせていいものかわからないが、はっきりしていることがただ一つ。それは──


 ──こんな取立てだったなら俺は逃げずに踏みとどまっていられるってことだ。




「──さてどうするかな?」


 どのような結論を出すのかはさておき、先輩を止めないことには道はひらけそうにない。まさか先輩への戦闘分析などすることになろうとは出会った頃からすれば思いもしなかった。


 そんな感慨はともかく、先輩の他者の異能を再現する能力は掛け値なしの厄介な代物だ。他者へ異能を移すことも含めて希少度はトップクラス──どころか、唯一無二だろう。


 一つ気になることがあるとすれば、『ジアース』を行使した時に見せた独特の所作。あれは本来の持ち主がやっていた癖だ。当然、先輩がやる義理もなければ、そんなわざわざやってみせる性格でもない。ならそうする必要があると思うのが筋だろう。


 つまり、様々な異能は使えるが再現するには元々の持ち主である異能者の特徴を捉える必要があるということ。それが、事象を起こすために必要な法則ゆえか、単に異能というものが個人の在りように由来するからなのかは知りようもないが、必要に駆られてというのは、まず間違いないだろう。


 どちらにしても、先輩の動作に注視していれば、どういう能力を使おうとするのか先読み出来るかもしれない。そうなると世間はせまいというべきか、様々な異能が使えるとはいえこの局面で使われるような能力となるとごく一部、それも俺の知っている誰かの異能である可能性が高い。来るとわかっていようが攻略が困難だというのは変わらない、というか話が別なわけだが、わからないよりかは幾分か──それにどう転ぼうがやることは決まっている。


 先輩の勝利条件は『英雄殺し』を俺に当てること、そのためには近接して直接攻撃を当てなければならない。しかし、先輩は格闘どころか、戦闘そのものを得手としていない。一方俺はといえば、離れて戦うことも出来なくはないが、主戦場は近接戦闘。だから先輩は遠距離攻撃でこちらの動きを封じ、異能で強化した身体能力で一気に決着をつけようとしてくるはず。俺はその遠距離攻撃をしのいで、先輩を取り押さえるしかない。


「──果たして、そううまくいくかしら?」


 攻撃を再開した先輩の打った手段は『ジアース』。こちらの思考を読んでいるのは今更だが、向こうは向こうでこちらの望んでいる展開がわかっていたとしてもやれることは限られている。その織り込み済みとはいえ──織り込み済みだからこそ、それぞれの成否は異能とその使いどころにかかっている。


 こちら側にとって、その鍵を握るのは『優しい手』が誇る随一の防御方法『絶対手護』だ。今この瞬間、手のひらに発動させた『絶対手護』が『ジアース』の操る土石を手の届く範囲から順に無力化させていく。ここまでなら先ほどの攻防となんら変わりない。しかし今度は、数ある土の杭をこちらからかいくぐり、先輩へ肉薄せんと前に出る。


 この『絶対手護』という防御方法。触れただけで相手の運動エネルギーを制御し、攻撃力を奪うことで結果的に防御の役割を果たすというのは一見便利に映るが、実は使いどころの難しい能力だ。


 たしかに触れただけで攻撃は止められるが、止めた対象──質量そのものを消しているわけではないので物理的に動きを阻害されることが多い。特に今の状況、防御しながら相手に向かって進むという場面では矢や銃弾といった小さな物体ならともかく『グランドスパイク土の杭』のような大質量がになってしまうと例え無傷で防いだとしても停止した物体に進路を塞がれ出足は完全に止まってしまう。そうなるといかな『絶対手護』とはいえ、全身にはりめぐらせることが出来ない以上、逆に窮地に陥ってしまう。


 そうならないように防御するポイントとタイミングを相手の攻撃がするほんの一瞬に絞り、受け流すことで単純な防御効果のみならず回避や終始優位な位置取りの確保等を含めた総合的に優れた『絶対手護』として成立している。

 その絶妙ともいえる操作を支えるのは“精密動作少しだけ器用”で“超触覚手の感覚が鋭いだけ”の異能には程遠く、技術と呼ぶには洗練さのかけらもない、強いて言えば“特徴”といえる生来の能力──どうやら俺自身もまんざら捨てたもんじゃないらしい。


「──!」


 そんな自画自賛を遮るように不意に甘い匂いが鼻腔を掠める。いや、甘いだけではなく、青く、渋く、枯れて、みずみずしい──だ。湧き上がる警戒が速度を落とし、その間に視界に納めた一面の土色に緑の線が加わる。


 緑の線の正体は縄のように何十にも編みこまれただかだかの植物。それらが『グランドスパイク』同士の間を取り持ち、行く手を塞ぐ。黄金世代の序列四位、『太陽たいよう橘樹たちばないつきの植物操作能力だ。


「(──元の使い手に寄せる必要があっても、それは仕草に限った話じゃないようだな)」


 そんな感心する間にも、退路も緑に覆われ実質囲まれた状態となってしまう俺。『ジアース』の中でも強力だが大味ともいえる『グランドスパイク』を執拗に使っていたのは、どうもこの展開にもっていきたかったらしい。


 『絶対手護』の難点を出足が止まりやすいと述懐したばかりだが、まさか『グランドスパイク大技』でスペースをあらかた埋めてから植物操作小技で残りを塞ごうなんて、いくら便利な異能があったとしてそう易々と思いつくものではない。


 戦闘経験はともかく先輩の自頭の良さからくる柔軟な発想を見誤った俺の完全な不手際だ。こうなってくると、こちらは後手に回るしかない。『優しい手』で攻めに移ったとして先輩の位置が特定出来なければ、無駄に隙を作るだけだ。こういう時、『制空圏』が使えたなら──


「──いや、距離を取られていたら一緒か」


 結局、先輩がくりだす次の手をしのいで反撃に転じるしかない。問題はその次が何になるのか、だ。予想では本命『ジアース』、次点『太陽の子』、大穴でその他というところか。


 『ジアース本命』は四方が土の塊なので奇襲をかけ放題、『太陽の子次点』は人の手が入った学園の敷地なので触れただけで害をなすような危険な植物はないと思うが──わざわざ先輩が持ち込んでいたらアウトだが、そんな危険なものを身の回りに置いている方がリスクは高いだろう──花粉や可燃性ガスといった搦め手が山ほどあるだろう。


 大穴はもちろんゼロではないが、この状況を活かすなら先の二つを優先した方がうまく立ち回れるだろう──というのがオッズの低い根拠だ。もちろん、相手の想像を超えるなら──


「──しまった!」


 馬鹿か俺は! 使


 遅まきながらも気づいたからなのか、それとも気づくのを待っていたのか、こちらの反応と同時に足元の地面が盛り上がり纏わりついてくる──『ジアース』の『アースロック』。


「──おぉ!」


 吐いた息をそのままに吠え、気合をいれる。纏わりつく土の感触など味わっている暇などない。特にコントロールを求めず異能『優しい手』が『アースロック』の戒めを吹き散らす。運動エネルギーの直接作用で珪素操作によってかかる力を押しのけるとその場を早々に飛びのく。これが本命か? ──いいや違う、本命への伏線だ!


 きっかけは差し込んだ日の光。昼間なのだからそれ自体はおかしくはない。だが、土と植物で塞がっていた俺の周囲はちょっとした日陰になっていた。そこに日差しが入ったならどこかが崩れたということ。崩れたではなく崩したが正しいか。


 光の先を視線が反射的に追いかける。そこに見えるのはやや傾きかけた昼の空を背に立つ、姿。真っ先に連想したのは瞳子の殺意に満ちた目、しかしそれとは似て非なる、けれどどこかで見たような気がする独特の雰囲気。あれは──


「──シグナルチェンジ」


 そんな暢気な俺を尻目に先輩の異能が発動する。いかなる能力かわからないが、おそらく当真の血筋に由来する目を媒介にした超能力。その効果範囲は原則、その目に映る全て──当然ながら俺も先輩の術中に嵌っていた。


 最初の違和感は膝の辺りから。まるで骨でも抜かれたかのような脱力は状況が状況だけに寒気が走る。もちろん自前の足腰は崩れて地に落ちたものの、タコやイカじゃあるまいし本当に骨から失ったわけではない。重心の支えたる部分を外されたというべきか、高度な合気や柔によってやりこめられたというのが近いだろう。


 この場でこんな真似が出来る可能性があるのは状況から見ても能力的に見てもただ一人──とまぁ、わざとらしいほどもったいぶってみたが、要は対面で俺を見据える海東心先輩しかあり得ない。


「本当なら近づいてきたところを植物操作で絡め取るつもりだったのに──さすがね、優之助。いくら見知った連中の異能だからって、ああも見事にかわされたら使わざるを得ないじゃないの」


「って、ことはとっさに予定を変更したんですか? ──その俺が見知らぬ相手の異能に」


 そんな会話の間にもこの場を切り抜けようと試みている。しかし、立ち上がろうとしてもその度に込めた力がどこかへと強制的に流されていく。先輩の能力は完全に前代未聞な代物だが、こんな攻撃を受けるのもそれに似た衝撃がある。むしろ、機知の範疇である他の異能と比べてあり得そうな分だけ見聞きしたことのないという驚きが深い。


 時宮にいれば異能の話題なんて嫌でも耳目に入るものだ。それが強力であればあるほど人の噂に上がっていく。そのせいか異能──というよりこの場合は超能力全般か──にはそれなりに詳しいはずだった。しかし、異能を操る存在が時宮だけにしかいないわけはないし、世界は広いのだから愚かな過信でしかない。それをむざむざ指摘された格好だ。


「──“”。その身に受けるのは初めてでしょうね。相性というものがあるとするなら『優しい手』と完全に噛み合う、あなたにとって最悪の異能。あと、あなたが知るべきなのは世界の広さより世間の狭さよ──どちらかと言えばね」


「どういう意味です?」


「──気にしないで、ただのよ」


 それは言葉どおりなのか、それとも不意に吐いた失言だったのかは読心を持たない身にはそれこそ知りようがない。というよりそれどころではない。現状、脱出の手立てが思いつかない上──


「さて、ここで終わりにしましょうか」


 ──その間にも、先輩が乱立した土の柱の間を潜る。目的は当然、俺にトドメを刺すためだ。それは勘違いする余地などなく、囲いの内側へと踏み込んだのを引き金に最大級の警戒を強いる独特の空気を先輩が纏う。


 それは一歩、また一歩と近づくにつれ、漂う危険そのものが濃くなっている気さえする。思えば、それが『英雄殺し』を示す特徴にあたるもの“信号”だったらしい。先ほどの根拠の有無を超えた警鐘は俺の中にある異能者たらしめる部分が対異能に特化した能力に畏怖を覚えたからだろう。


「(──そういえば)」


 はたと振り返ってみれば、『太陽の子』の時といい、二度にもわたる『英雄殺し』への警戒といい、単なる勘で片付けられない妙にはっきりと感覚に訴えかけるものがある。これが先輩の言う気づけて当たり前の異能者同士で通じ合う気配というやつだろうか?


 だとしたら皮肉な話である。普通に考えるならなおさら遠ざかりそうな境地だろうが、借り物だと自覚してから自分のものでないにもかかわらず自分の中にあるという矛盾とそこから生まれる異物感を通して外に目を向けると『制空圏』で味わう“感触”とは違った、いうなれば“第六感”のように初めて感じ取れるようになったのだから。あらためて思う、よくこんな能力が自分のものだと思い込めたものだと。我がことながら本当に不思議で仕方がない。


 そんな俺が使っていたのだから完全制御といいながら、その実、目隠ししながら車の運転をしてきたようなものだ。今までどのように戦ってきたのか、そんな無茶な使い方をしながら暴走事故を起こさずにすんだのはの使い方を無意識にでもなぞっていたからだろう。


「(つまり、俺は『優しい手』を上辺でしか理解していないってことになるな)」


「──止めなさい」


 思考に没入していて明らかに隙だらけの俺を先輩はなぜかトドメを指さずに立ち止まってたしなめる。こんな状況で少し不謹慎だが思わず吹き出しそうになる。俺を止めたいならその手に宿らせた対異能能力をもってひと撫ですればいいだけなのに。それをしないのは、先輩自身がそうすることを望んでいないのか、それとも──


「──手痛い反撃をくらうかのどちらか、ですよね?」


 もちろんそれに従うわけもなく『優しい手』を発動させる。よく言えば手足のごとく自然に、悪し様に言えば深く考えないまま操作していたこれまでと同じとはいかない。だが、スイッチを入れ、それに従い機構が働くと例えればいいのか、俺の意思に応じて超常的な何かを成立させようとする仕掛けが狂いなく機能しているのをはっきりと自覚する。


「(──『制空圏』はまだ駄目か。どういうわけかうまく。だが、制御そのものは前よりも──というより、前にはなかった手ごたえがある)」


 確信のままに『優しい手』で増幅させた運動エネルギーを全身に巡らせる。エネルギーの多寡はともかく、それ自体は体を動かそうと力を入れるというごく自然な行為だ。


 それを阻むのが先輩の“力点操作”。見るだけで相手を強制的に脱力させるその能力は『優しい手』とは反対に一個体の生体活動に不自然な影響をもたらす。そのくせエネルギーの多寡は問わないという点だけは一致しているのでどれだけ力を込めてもその瞬間からエネルギーを別のところへ逃がされてしまう。


 なるほど、先輩が『優しい手』の対抗策として用意してきただけはある。どんなに増幅しても、どんなに巧みに操ろうとも、発動時点でどこかに流されてしまえばどうしようもない。他の異能ならまだやりようもあるだろうが、こと運動エネルギーを操る前提の異能ではアプローチが似通った分、かわしようがない。まさかアプローチが逆というだけでこうも無力になろうとは想定外──少なくともこのままでは勝てない。


「まさか、本当に……」


 みなまで言えず、絶句という様子の先輩。要点を欠いた言い回しはいつものことだが、今回ばかりは思考の先取りによってではなく実感による率直な感想によるものだ。運動エネルギーの完全制御『優しい手』では“力点操作”を止めることは出来ない。扱うエネルギーの大小に左右されないのではなおさらだ。ならば、制御を止めなければいい。ただし、制御の範囲は今までと違い──


「──思えば、能力の基礎となる部分はの受け売りというか、見たまましかやってこなかった。だからこう思い込んできたんです──『優しい手』で制御出来るのは自らの体内と触れた部分だけだと」


 一つ一つ確認するように。“力点操作”による影響がまだ続いているせいで万全とはいかないがそれも時間の問題だ。


 それはちょっとした発想の転換だった。俺の──の能力は運動エネルギーの完全制御。仮に“力点操作”とやらでどこかへ移されたとしても、もう一度こちらの制御管理下に戻せるはず。力の流れを川に例えたとして、“力点操作”が本流を脅かすほどの支流を造る能力ならば、運動エネルギーの完全制御は水そのものを自在に操る能力。いったん支流へと分かたれたエネルギーを本流に戻れるよう逆流させればいい。それが出来るからこその完全制御だ。


 とはいえ、“力点操作”が作用している以上、そうすんなりとうまくいくわけではない。拮抗とまではいわないが、抵抗の分だけ、気だるさに似た体の重みを感じる。もはや最悪とまではいわないまでもいまだ厄介な能力には変わりない。


「でもまぁ、もしかしてと手を伸ばしたからこそ届いた結果です。そもそもの話、自分のツケの帳尻を合わせようとしてるんです、いくら妨害されたからといって自ら出したエネルギーくらいどうにか出来ないようじゃあウソですよ」


「言ってくれるじゃない」


 その程度の障害で行く道退いてられるか──暗に込めたメッセージを正確に受け取った先輩が苦笑とも嘲笑ともとれる笑みを刻む。……いや、意図はともかくそこまで煽るつもりはなかったんですけど? ちょっと強めな言葉(?)で意気込みを示したかっただけでして。


「私を相手にそんな弁解は意味がないでしょ? ツケを払うというなら私を押し倒すくらいの気概を見せなさい──本当にそのつもりなら心底後悔させるけど」


「空恐ろしいこと言わんでくださいよ!」


 相手の心が読める先輩ならではの説得力に悲鳴交じりで抗議する。そんな俺を見てもう一度笑み──今度は混じり気のない──そして、別人へと変わる。それはつかの間の先輩後輩の交流じゃれあいが終わる合図。厳しいけれど優しさと親しみがこもっていた声が今や俺を挫かんと言葉を紡ぐ。


「シグナルチェンジ──『トウマトウコ殺眼』」


 全てを斬り伏せんとする凄惨な殺意が走り、一拍置いてと現したのは心象をかたどった刃の形。元序列十四位、当真瞳子『殺眼』の『殺刃』だ。


 その物理干渉を受けず相手を害せる能力は四方(一角が崩れたので三方か)を土と植物に囲われた状況では有効だろう。むしろ、能力の効果範囲が同じ先輩の視界がでありながら“力点操作”を切り抜けた俺に、という意味ではさらに適したといっていい。


 刀身が揺れ、長さも狭さも高さも低さも数も問わない斬撃が空間を削る。俺がかわしてなければ、なます切りにあっていただろう位置だ。攻撃は失敗したがそれで止まる理由はなく、猟犬のごとく架空の刃が獲物である俺へと追いすがる。元の使い手であるところの瞳子のように当真流剣術の再現こそ出来ないものの、数を頼みにというだけでも充分脅威の上、狂気じみたイメージ投影による肉体と精神に及ぼす攻撃は本家と遜色はないだろう。つかまった場合の結末も同様だ。


「──それが嫌なら突破するまでよ」


 その言葉に嘘はなく刃の嵐へと突っ込む。どこを触れても痛覚を刺激するであろう殺意の結晶に真正面から立ち向かうなど一見、愚かの極みに映るだろう。


 しかし、増幅した運動エネルギーによって底上げされた身体能力はその触れただけでアウトという理不尽な条件をものともしない。まして剣の素人である先輩では剣士が理想とする太刀筋を想像出来ない描けない。ならば下手に壁を突破しようとして物質透過による『殺刃』の不意打ちをくらうより、目に見える刃へと向かう方が対処がしやすいというわけだ。それにここを迂回しては遠ざかってしまう──先輩に。


 その先輩といえば、トドメにと踏み込んだ位置から多少離れたとはいえ、その身を隠すことなく自ら崩した囲いの一角を前に立ち塞がる。まるで逃がさないとばかりだが、実際は当真の瞳術が持つ数少ない欠点──すなわち視界に収めなければ異能の対象に出来ない──によって先輩は自分から大きく離れるのは難しい。さりとて今の俺を相手に攻め手を変えるのも距離を取ろうとするのもただの隙にしかならず、俺と先輩との決着は二人の間に横たわる無数の刃を抜けるか否かにかかっていた。

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