解任要求当日・九

「──そろそろ、だよ……ね?」


「えぇ」


 たどたどしく確認する双子の妹に短く返答し、海東遥は腰掛けていた石から立ち上がる。およそ小学生の時分以来だろうか、なんとはなしに石を椅子代わりにした記憶をさらいながら、腰周りの砂を払う。そういえば、その上で昼食を採ったのもそのくらいか。あれは兄さんと──


「ハルちゃん?」


「──ごめんなさい。少し考え事」


 まさか石に座ったのがいつだったか、などとどうでもいい事を思い返していたとは言えず、ハルは言葉を濁しながら謝意を口にする。


 双子の妹である海東彼方──カナに本当の事を告げたところで非難されるとは思ってはいないが、今の状況を考えるとの悪いことには違いない。


「こんな風にお昼を食べたのなんて、ユウ兄ぃと行った遠足ぶりかな?」


 だが、ハルの考えなどはじめからわかっていたのか──あるいは同じ事が頭をよぎったのか──ハルと同じ記憶の探り先である思い出内容をカナが口にする。


 ハルにやや遅れて立ち上がる妹の顔は木漏れ日を避ける様に俯いてどんな表情を浮かべているか窺い知るのは難しい。ただ、もし想像するならハルの心境を映すままの顔をしているだろう──それこそ、鏡を見る様に同じく複雑さをにじませて。


「こんなんじゃ、駄目なのはわかっているのにね」


 そう自嘲するカナに無言で首を否と振るハル。一夜経っても迷いが晴れぬのはハルとて一緒だった。そもそも迷っていたのは昨日今日の話ではない。高校進学を機に兄と離れた時から迷い続けている。


 ──どうして、こんな事になったのだろうか? 兄の前では取り繕えていた強がりは影も形もないまま、その歩みを前へ前へと進めていく。中天からやや下がりに傾いていく太陽が、午後の授業中である事を示している。この時間帯なら学園の敷地内はおろかそこへ至るまでの山道も誰かと遭遇する可能性は低いだろう──自分達を確保しようとする生徒会も含めてだ。


 ハルとカナの身柄の確保が事態の収拾に繋がる今回の一件、超人的な身体能力やそれに類する異能を持たない二人にとって、目的地を目指すのはおろか逃げ隠れする事すら容易いものではなく、何らかの策を講じる必要があった。


 そこで立てた作戦は、個々に配置された人員をある一箇所に集める、というものだった。学園外へ避難していたハルとカナを通すまいと学園へのルートで張っていた優之助、瞳子、空也、剣太郎を交戦しつつ山道から引き離し、引き付け、それぞれ誘導する。生徒会の面々も同様だ。授業がある事などお構いなく解任要求を防ぎにかかる彼女らをやはり誘導する。誘導先は──講堂。


 月ヶ丘帝の広範囲知覚能力『導きの瞳』で相手の配置を確認後、後出しで各地点に必要な戦力を分散し先行。そして、ハルとカナは頃合を見計らって学園内に戻るだけ。中身そのものはそう複雑なものではなく要はただの陽動だ。


 しかし、その単純な作戦によって、日原山のそこかしこには戦闘不能になった『新世代月ヶ丘の私兵』が積み重なり、誘い出した先の講堂内では屈指の異能者が入り乱れるという時宮でもそうそうない戦況へと拡大している。単純とはいえ、決して冗談や遊びの入る余地などまったくといってなかった。


 投入された戦力もさる事ながら、作戦を成立させる為のキモが二つある。一つは前述した月ヶ丘帝の異能『導きの瞳』。これは相手方には『制空圏』を持つ優之助がいる為であるのは言うまでもない。そしてもう一つの重要な要素、それはハルとカナを学園内に招き入れる案内人の存在だ。


 天乃原学園の高等部は人里離れた山の中という立地、在籍する生徒の多くが有力な家庭の子女が多いなどの理由で簡単に敷地内へ進入出来ないよう、防犯対策が目白押しとなっている。正門側にはそびえ立つ外壁で囲われ、裏の山頂方面は外壁こそ無いが防犯用のセンサーやカメラで逐一監視されている。


 そもそも日原山自体が舗装された山道以外は急な傾斜が多くまず人が踏み入れる道など無い。優之助達ならば潜入は可能でも、ハルとカナが独力で生徒会、ひいては経営者一族の人間生徒会長に気づかれず学園に戻るのはまず無理である。


 つまり、その協力者とは天乃宮の警備を内側から無力化させるか、二人を連れて突破出来る実力が必須である。『導きの瞳』が作戦開始の為の前提条件であるのに対し、協力者こちらは目的を達する為の必要条件。


「──準備は出来ているようね、ハル、それにカナ」


 その件の条件を満たした協力者が平静さをまとわせた声で二人の名を呼ぶ。もともとは本名があまり好きになれず兄に強要した愛称。それから十年以上経ったが、その名で呼ぶのは未だごく一部の人間だ。最もその名で呼んで欲しい人物を除くと両手の指で事足りる人数の内の一人。


「合流はもう少し学園よりではなかったの? ──要芽」


 天乃原学園生徒会副会長──ハルとカナにとって地元の幼馴染でもある女子生徒、平井要芽は冷ややかな相好を崩さずハルとカナから背を向ける。


 一見、ハルの言葉に気分を害したともとれるが、要芽にとって単に二人との合流が成ったのでもと来た道に引き返そうとしただけだ。まず初対面なら顰蹙ものの態度も彼女にしては珍しい敬語すら排したそっけない物言いもそれなりに付き合いの長いハルとカナにとってはいつもの事である。特に気にせず、要芽の後ろを追う。


 状況にもよるが、もともと多弁ではない三人は黙々と山道を歩く。優之助達を陽動してからの後発移動とはいえ、開かれ舗装された正規の道で待機していては見つけてくれと言っているも同然だ。その為、移動は本筋から外れているが比較的移動が可能な登山ルートを通っている。


「合流を早めたのは──」


 そんな中、先を行く要芽がおもむろに口を開いたのは、予定の進路を半ばを過ぎたあたりだった。沈黙に耐えかねて、とは要芽の性格面、彼女との間柄から考えにくい。何をいまさらという話題に不信を覚えるハルとカナだったが、話を遮るつもりも無く、要芽にまかせる。


「──合流を早めたのは、私と成田との繋がりが生徒会に知られたからよ。そこから私とあなた達との関係を連想するには至っていないけど、例え気づかれなかったとしても学園への手引きが難しくなるでしょうね」


 つまり、手引き出来なくなる前にハルとカナを学園に戻そうと予定を前倒ししたのだと、要芽は釈明する。生徒会に敵対しているという意味ではたしかにハルとカナ、そして成田稲穂は共通の立場にある。しかし、だからといって双方が仲間同士であるかと言えば答えはノーだ。あくまで平井要芽と月ヶ丘帝を間に挟んで互いが当事者として身を投じていると知っているだけ。


 ゆえに要芽の言うとおり、成田の線からハルとカナを辿るのは困難だといっていい。本当に味方ではないのだから。それはなにも成田に限った話ではなく──


「──どうして生徒会の人に知られてしまったの? 要芽ちゃん」


 慣れない山歩きと本来の性格から、かすれがちになりながらも、それでも不思議と耳に残るカナの声。でしょう、と言外に込めた意図は正しい事この上なく要芽に届いている。


「もちろん理由はある──生徒会を講堂に引き付ける為よ。今まで疑うままに任せ、根付いた警戒心から彼女達は私の動向を無視出来ない。私が講堂に居るとを付ければ当然、何かあるのを承知で追ってくる。そうでなければ、いくら学園の警備情報を把握していても生徒会がみだりに動く事はなかったでしょう」


 問いかける言葉と視線、その二つを背に受けながら要芽の釈明は続く。たしかに筋は通っている、とハルは思う。解任要求に動いた以上、学園内に留まっていると手続きを行う前に水面下で募った会は苦も無く握りつぶされるだろう。解任を求める集団がその前に解散させられる、そんな冗談みたいな状況にならないよう、ハルとカナは一度学園を出奔した。


 だが、それは同時に生徒会に悟られぬよう戻らなければならない、という新たな問題がついて回る選択でもあった。生徒会、特に天乃宮姫子生徒会長ならよほどの事が無い限り──始業式の日に成田がやってみせたように何らかの方法でシステムを落とさない限り──学園の出入りくらい容易に知れる。


 それを防ぐ為、生徒会の面々を講堂へ誘き寄せる必要があった。敵も味方も一線級の異能者が織り成す戦場で警備部と連携している暇など無い。仮にハルとカナの潜入を知ったとして離脱は困難──要芽が打った陽動の目的はそこにある。


「──でもそれは、ハルとカナ私達の目的が場合の話だよね?」


 気づけば、カナはハルを追い越し要芽の真後ろまで距離を詰めていた。淡々と歩調を維持していた要芽の足が止まり、カナを振り返る。のだと三人は理解していた。だからカナが口火を切り、要芽が振り返り、ハルはそれらを止める事無く二人を見守る。


「要芽ちゃんはとっくの昔に気づいていたよね? 私達が、少し前ならともかく今はもう解任要求なんて──学園がどうなろうかなんてどうでもよくなったんだ、って」


 カナの述懐は、聞くものが聞けば学園の水面下で暗躍する当真や月ヶ丘のどんな思惑より重い意味を持っている。一連の騒動の根幹を茶番にしただけではない、同様にこの一件に関わった少なくない人間を裏切っているからだ。


 生徒会の解任要求にはある一定の人数が集まらないと実行出来ない。天乃宮の権力に縋ろうとする者、逆に政敵である天乃宮、ひいては学園を貶めようとする者、今だけ進路や学習環境が整っていればいいと卒業後の学園に興味が無い者、大半がそんな考えの生徒の中で、純粋に母校として行く先を憂う生徒もわずかではあるが、それでも解任要求出来るくらいには存在していた。


 そしてその数はそのままハルとカナに協力をした数でもある。彼ら彼女らに託された二人もその思いは同じだった。少し前──この三月までは。


「私とハルちゃんにとって学園とユウ兄ぃのどちらが大切かなんて天秤にかけるまでも無い。けど、それでも解任要求を走らせたのは、


 ──手伝ってくれたみんなには申し訳ない気持ちはあるけどね。普段にはない自らの饒舌さに思うところがあるらしく、気弱しげにも映る苦笑を浮かべるカナ。


 いつもこれだけ話せるならいろいろな事が違っていたかもしれない。例えば、挑むように別れた昨日の授業後、二年ぶりに再会した三月の保健室。さらに遡れば季節ごとの大型連休や三年前の進路相談、振り返れば素直になれる場面はいくつもあった。ハルの影から這い出し、矢面にたった今でもそんな後悔と迷いで押し潰されそうになる。けれど──


「──けれど、そんな状況じゃなくなってしまった。ハルちゃんの後ろで固まっている場合じゃなくなってしまった。賽は投げられてしまった。……もともと私達に出来る事なんて初めから無かったけど傍に居る事すら出来ないかもしれない。その上でもう一度聞くよ? ──要芽ちゃん、いったい何を企んでいるの?」


 何のてらいも無い妹の言葉にハルの奥底にあるものが軋む。兄にしてやれる事が何一つ無い、それはとうの昔からわかっていた事だ。もし、兄の世界という脚本があったとして、ハルとカナは数ある登場人物の中で設定だけの端役に等しかった。一番近くにいるはずの家族なのに。


 それが嫌だから、物語のキーパーソンになろうとした、兄が関わる騒動の勝敗条件に加わろうとした。二人の苦悩など、つまびらかにしてみればなんのことはないものだった。後悔は何度も機会がありながら素直に兄と向き合えなかった事、迷いの根元は真摯に託された願いを己の我侭を満たすだけの茶番手段にした事へのただの罪悪感だ。


 そんな浅ましさに揺れながら始動した解任要求もすでに発端でしかなく、事態ははすでにハルとカナの手を離れてしまった。だから、要芽がこの段においてハルとカナを学園に手引きする理由など生徒会副会長としても、当真の立場としても、そして何より要芽個人の心情としても何一つ無い。


「──だから、身勝手で、最悪だとしても、みっともなくて、情けなかったとしても、自分の内なる声を──俺の素直な気持ちを伝えるよ。一緒にいて、そばで見守っていてほしい。そして、もし、今までのように、すれ違うようなことがあったら……俺が道を誤ったと思うなら、その時は殴ってでも止めてほしい。二度と同じ轍を踏まないように。"一人と二人"なら無理でも"三人"でなら──」


 不意に流れたのはハルとカナの兄の声。忘れもしない、それは三月の保健室で兄である優之助が二人に語ってみせた己が心情の告白──その録音だ。


 もちろんハルとカナの手妻ではない。要芽がいつの間にか取り出した携帯の再生機能らしく、こころなしか愛おしそうに指先を動かし、そして手のひらから取り落とさぬ様、慎重に携帯を包み込む。


「企む、というほどの事は何も。ただ、優之助さんの手を払っておいて、いまさら虫が良すぎはしないか、とは思っているわ」


「──やはり、そうなのね。この道、私達は学園から徐々に遠ざかっている」


 要芽の言葉に確信を得るハル。彼女の進むままにまかせた結果、木々の間から時折覗く威圧的な学園の外壁、その輪郭をおぼろげになっている。舗装された車道、人道ならば半ばまでといわず気づけたが、ここは普段通らぬ獣道、少しずつ進行方向を歪められてもわからない。要芽ははじめからこうするつもりだったのだ。


「要芽ちゃん、どうして!?」


 普段より舌が動くものの、大声を出すのは慣れていない。そんなカナの拙い叫びはしかし、搾り出した感情──彼女の嘆きを聞くものに強く訴えかけている。


「──どうして、ですって?」


 氷と呼ばれた視線がかすかに揺らぐ。要芽にとって、それはわざわざ問われるいわれの無いものだ。理由は明白、要芽は最初からただ一人を想い動いてきた。そんな彼女にとって何故を口にするのは最大限の侮辱といえる。


「──あ?」


 それは瞬間の出来事だった。カナの体が支えを失った様に垂直に崩れ落ちる。同様の光景で例えるなら、柔か合気の技で苦も無く転がされたに似ている。


 だが、実行したとみられる要芽はカナと手の届く近接する距離から少し外、今も技をかけるには届かない。


「カナ!」


 とっさの事でうまく声すら出せず地面に横たわる妹に駆け寄ろうとするハル。しかし、二歩もいかない内にカナと同じく体が地面へと傾き倒れていく。


 湿り気を帯びた柔らかい土のおかげで怪我らしい怪我は無いが、立ち上がろうとする手足に力が入らない。いや、入れようした矢先にどこかへと流されていく。転がされた時も同じだ。ひざから下の踏んばりがきかず、あえなく崩れた。


「──たしか“力点操作”だったわね。力の流れを読み取り、任意に置換出来る能力」


 誰の仕業かと察するまでもない。どうにか動く首を動かし幼馴染の顔を見る。そこに浮かぶのは不変の氷、しかしその中心には炎が灯っていた。誰にも触れさせないと覆い被せた情動、その徹底ぶりはまさに異能者らしく、一方で他者に固執するという従来の異能者とは相反するものだった。


「これから起こる事に二人は関係ない。今までだって関係なかった。たかだか血の繋がり程度でこれ以上、優之助さんの心を曇らせようとするなら──」


 取り繕う必要がない。それは要芽の側にも当てはまる。決してきれいとはいえないものをさらけ出すこの場において、ハルとカナは後悔と迷いで飾り立てた我儘。対する要芽がさらすのは軽蔑を怖れ、唯一その心を寄せる優之助にすら見せなかった本音、その名は──


「──いなくなってもらう」


 ──嫉妬だった。


 “力点操作”。それは文字通り、てこの原理で例えられる支点・力点・作用点のうち、力点を操作する能力。平井要芽──当真要目はその目を介して力点、つまり物体に加えようとする力を任意の場所に移せるということだ。


 余談だが、物体に加えようとする力を移動させるならそれによって作用する力も無関係ではないので厳密に言えば、力点だけではなく作用点にも関わってくるわけだが、語呂の悪さから省略されたという背景がある。


 能力の性質上、優之助の“運動エネルギーの完全『優しい手』制御”との共通項が多く、運動エネルギーの増幅こそ出来ないものの、遠当てを再現出来る、相手の力点を操作して強制的に脱力させられる、力点を視覚化して武芸・異能問わずあらゆる攻撃の始動モーションが見えるなど、その応用範囲のみで言えば優之助『優しい手』に決してひけをとらない。


 時宮地元ならば確実に序列認定されていただろう。それだけの異能を持ちながら、ほとんど表に出る事がなかった要芽が今、ハルとカナを前に剥き出しにしている。


「──あなたにしては露骨な物言いね、要芽」


 要芽の異能の影響下にあって未だ地に伏したまま動けないハル。そんな状態にも関わらず、うつ伏せからどうにか頭を動かし、口の中に砂利が入るのも構わずに要芽を射抜かんと視線を上へと持ち上げる。


「らしくない、という意味ではあなたも同じよ、ハル。昔はもう少しものわかりがよかったはずだったのに」


 眼下のハルから、引く気が無いのを悟る要芽。そこに映るのは直前に吐いた迷いや弱音など微塵も感じさせない覚悟。仮にここを切り抜けて優之助の元へ向かったとて無意味。しかし、それを知りながらも止まらない意固地の様なものが伺える。


「そのものわかりがせいで取り落としてばかりだからやめたの。失ったものを取り戻す為に逆を行って往生際を悪くなってみるのは道理ではないかしら?」


わかるでしょ? 要芽ちゃん。私とハルちゃんは行かなきゃいけないんだ。例え、それに何の意味が無かったとしても──ううん、違うね。ユウ兄ぃが私達に会いに来てくれたように、私達がそうしたいと望んだから行くんだ」


 ハルと同じく、土に塗れるのを厭わないカナの言葉で、要芽は自らの失策に気づく。二人に覚悟というものが見えたなら、そのきっかけを作ったのは他でもない要芽自身だ。


 例え、要芽が二人に出来る事が無いと声高に言ったところで、二人を優之助から離そうとした理由にはなりえない。二人が優之助のそばにいたとしても無駄というなら──何も変わらないというなら──それを妨害する事も同じく無駄。憚るかどうかはあくまで当人次第、要芽がどうこう言う筋合いは無い。


「──そう」


 何事かへの肯定を短くこぼしながら要芽はその足を踏み出していく。望んだから止められる筋合いが無いというなら、要芽とて元より止まる気がないのは同じだった。優之助がこの学園に来た理由はハルとカナにあるのは間違いない。


 一方で優之助が立ち止まっていた理由のもまたハルとカナにある。直接何も出来ないからといって何かあってからでは遅い。優之助の幸せが何者にも奪われない様に不安要素はどんなに小さくとも潰していく、今までそうやって立ち回ってきた要芽はむしろ頑迷で臆病であるのかもしれない。


 しかし、そうであるがゆえに鋭く固めた指先にしろ、振り上げた踵にしろ、これらをハルとカナ幼馴染に向けるのをいまさら躊躇などしない。それは奪われない為に、失わせない為に。この段になって穏当な決着などないとお互いわかっていた。だから、要芽が手近にいたカナの上から仕留めにかかろうとも聞こえるのは浅い吐息と衣擦れの音。そして──


「さすが『神算』、そのままズバリだ」


 ──それらを打ち破らんと山間に響く逆崎の声だった。



「逆崎縁に創家操兵──なるほど、私がこうすると読まれてましたか」


 突然の乱入者に目を剥くが、その正体を見るなりおおよその事情を察するあたりはさすがというべきだろう。カナから離れて逆崎、そして同行していた創家と改めて対峙する要芽。


「正直、半信半疑ではあったがね。……まぁ、『エンペラー月ヶ丘』のやつは前線でガンガンやるより『神算読み』と人使いの荒さが本領だからな。とりわけマルチタスク多面指しや投入戦力の分配はまず間違えねぇ。今頃姉だか妹だかと戦いながら、こっちを見てるはずだろうよ」


 ──


 あと先輩な、と大人気なく呼び捨ての訂正を要求する逆崎を異能遠目で見ながらその想像が当たっている事を認める。


「『導きの瞳』を用いたアイコンタクトによる遠距離間意思疎通能力『皇帝の勅令ダイレクトコントロール』。私が最も脅威とすべきなのは成田やハルとカナではなく彼だったようですね。もっとも、逆崎はともかく創家操兵、あなたと彼がこんな遠回りに付き合うとは思っていませんでしたが」


「たしかに何事もなければ、予定では今頃講堂にいるはずだった。だが、どうやら少々毒されたらしい。いらん世話というやつを焼きたくなったのさ」


 要芽の意識が乱入者に向いている間に体勢を立て直したハルとカナを指して創家が言う。因縁の相手月ヶ丘清臣を傍に置いてまで、戦った相手の妹を助けようとするあたり、たしかに逆崎や優之助の影響を受けているといっていいだろう、ごく一般の異能者像では量れない行動心理。当真瞳子や生徒会とを一人で立ち回ってきた要芽が読みきれなかったのも、乱入された時点で珍しく動揺を見せたのも無理も無い。


「いやいや、俺は優之助あいつほど面倒事を好いてるわけじゃねぇよ。ただ、まぁ、これでも雇われの身でね。請けた以上、仕事はこなさんと当真に何言われるかわかったもんじゃねぇ」


 逆崎が方々へ向けてケンカを売りかねない発言をしながら一歩前に出る。立ち位置から見るに要芽の進路を塞いだ形、むしろ一戦を交えようというのが正しいか。


「創家、ここは俺がやる。任せていいか?」


「……わかった。俺としても、御村に二人が事務局にいると言ってしまった以上、嘘にするのは少々寝覚めが悪い。問題無く送り届けよう」


 二人とも屈指の異能者。多人数に挑む事はあってもその逆は無い。思えば二人が初対面の時、時宮の郊外で差された横槍は、この日原山の戦場で一応の決着を見るまで当人達にとってのとなっていたほどだ。


 当然の二対一の提案ははじめから議題に乗らず、役割分担という名の相談は終わる。会話もそこそこに創家の肩周りが盛り上がり、三対の腕を生み出す──アシュラスタンス。ここへ来るまでの道すがらであらかじめ“補給”したおかげか創家の異能は存分に振るえるようだ。横では逆崎が便利なものだと、軽く口笛を吹く。


「両手に花ってやつだな。密着は仕方ないとしてセクハラでチクられないように気をつけろよ」


「その類の心配は無用だ。どの道、このまま抱えて運ぶには腕の長さも太さも足りてない──このまま、ならな」


 逆崎の軽口を柳に流し、自らの『ドッペルゲンガー異能』を再度発動させる創家。あらかじめ増やした腕が使い手の意向を満たさんとさらに変化していく。そうして形作られるのは身長よりも長く伸び、胴回りよりも厚みを増したマシラハンド猿の手。腕は腕でも指からしてハルやカナのそれよりも倍から違う。


 ほどなくして変化がおさまると創家は、六つのうちの二本の腕をハルとカナの方へと動かし、落ちないよう(かつ、あまりところに触れないよう)器用に体を固定させる。


「同時発動も出来たのか、出し惜しみとは存外性格悪りぃな」


「いや、出来る気がしたからやってみただけだ。確信がなければ、やろうとは思わなかった」


 役得感が目減りしたがな、と逆崎の言を混ぜっ返しながら緩やかではあるが鈍重さを感じさせず腕を操作させる創家。腕の動きを見るにハルとカナへの配慮がいくらか感じられるが、それでも生来の性格ゆえか触れた瞬間にカナが引きつった声を上げる。


「す、すみま──せ」


「気にしなくていい、人間大のものに体を触れられたら誰だってそうなる」


 カナの謝罪を特に気にした風もなく受け入れ、創家の残りの腕が高く茂った木の枝を掴む。『アシュラスタンス』と『マシラハンド』、その二つを同時に発動しハルとカナの体を抱え木々を移動していく、その手段ならたしかに速いだろう。逆崎の異能テレポートは短距離過ぎて二人を連れて移動するには不適格。役割分担が迷わずに済んだのもそのあたりの適正があったればこそだ。


「──逆崎先輩さん


 ふいに逆崎を呼ぶのは『マシラハンド創家の腕』に巻きつかれながらも動揺した様子の無いハル。特段、話す様な事が残っているとは思えず内心首を傾げつつ、傍目には大蛇か何かに捕まっていそうな異様な絵柄のハルへと視線を向ける。


「ん、なんだ? いきなりやって来ておいて、相談無しで運ぶってのはさすがの俺でもどうかと思うが他に手段は無いんだ。諦めてくれ」


「いえ、そうではなく──要芽をよろしくお願いします」


「? あぁ、とりあえず任せとけ」


 ハルの不可解な言葉に疑問の色は深くなるが、聞き返す間も無く(といってもそのつもりも無かったが)創家の操作する巨大な腕が、三人分の体重を抱えながら木々の間を掴んでは放しを繰り返していく。


 瞬く間に遠ざかる人影とカナの叫び声。体を固定されているとはいえ、ちょっとした速さで木々を転々とする恐怖に再び声が漏れてしまったらしい。気の毒とは思うが、えり好みをしている状況でないのは理解しているはず。ややあって唐突に声が途切れたのをカナにとっての幸運と思いながら、一連のやり取りを見守っていた女生徒に向き直る。


「えらく素直に行かせたもんだな。邪魔の一つくらいしてみようとは思わなかったか?」


「そんな隙など微塵も見せてもらえませんでしたので」


 仮に二人を止めようとしても叶う事はない、それが理解している要芽の声色からはそんな開き直りが感じられる。しかし、だからといって捨て鉢になった様子はなく、むしろ逆崎を逃がさんとばかりに彼我の距離を徐々に詰めていく。


「まさか俺に勝てるとか甘い皮算用立ててるんじゃねぇだろうな? たしかにお前の異能は強力だが、残念ながら俺のとは相性最悪だぞ」


 要芽の異能、“力点操作”は逆崎が認める通り一線級の能力だ。しかし人が扱う以上、完全無欠とはいえず、欠点やリスクが存在する。逆崎の場合は射程距離、対する要芽は対象の範囲指定にある。


 要芽の“力点操作”は自らだけではなく、離れた距離にいる他人に向けても能力を作用させる事が出来る──自分の視界の内に対象が入っていれば。逆に言えば、何かしらの手段によって視認を妨害されれば、例え手が届くほどの至近距離でも能力を発動出来ないということでもある。


 露見すれば確実に要芽の不利益になる情報。それを迂闊に晒すほど愚かでもなければ、積極的に表舞台で力を振るう性分でもないとはいえ、仮にも序列持ちクラスの異能者。知る人ぞ知る程度には要芽の異能についてつまびらかにされている。しかし、それは他の異能者とて同じだ。有名になればなるほど、上の序列に上り詰めれば詰めるほど、時宮では彼らの得手不得手は常識の一つとなる。


 そんな不利など覆せるからこそ、年に一度の更新以外で序列は動く事は無い。もし、弱点を知られた程度で崩れる様ならそもそも認定などされないし、目まぐるしく移り変わる序列などに魅力も価値も付随されはしない。


 要芽にもそれは当てはまる。たしかに標的が見えなければ“力点操作”の対象には出来ないが、一度視界に入ってしまえば、力点を操作する為に力の流れを視覚情報として認識する目が相手のどんな些細な動きも逃さない。死角からの完全な不意打ちでなければ、近寄る事すら難しい。


 だが、逆崎の異能の前ではさすがに不利である事は否めない。逆崎の『スロウハンド』も目の前で発動している分にはその動作を捉える事は出来る。しかし、『スロウハンド』の本質である部分テレポートは距離を無視して攻撃を成立させるいわば“力点操作”による遠当てと同種の能力。発動初動そのものは読めても転送先まではわからないのだ。それどころか短距離テレポートを連発されては逆崎を狙う事すら叶わなくなる。


「えぇ、そうでしょうとも。それでも──いいえ、だからこそ私はあなたに挑む価値がある」


「──なるほど、そういう事か」


 ハルとカナの排除当初の目的の未達成に加えて──しかもこの場を離れようとした二人を特に止める様子も無く──明らかに不利な状況にもかかわらず、この期に及んで引き下がる気配すら見せない要芽とハルの意味深な発言。お世辞にも付き合いが深いとはいえない逆崎だが、ようやく要芽が何を望んでいるのかを察する。


「まったく、学生服こんな格好してまで学園に来たのは、こんな事に付き合う為じゃないんだがなぁ」


 そう呟きながらも同時に浮かべるのは自嘲。言葉に反して、あごの高さまで構えた両の拳は完全に臨戦態勢を示している。要芽がもはやハルとカナを追いかけるつもりが無いのは明白、ならば逆崎の方こそこの場に留まる意味は失ったといっていい。


 ほんの数分の間に入れ替わる必要性と価値観の中でそれでも要芽から振り切ろうとしなかったのは、やはり本人の面倒見のよさだろう。創家には違うと返したが、間違いなく優之助と同類だ。


「──すみません」


 『氷の乙女』と呼ばれた怜悧な表情が少しだけ申し訳なさそうに俯く。それは自分の行いのせいか、それともそんな自分に合わせてくれた逆崎に優之助の面影を見たのか。一方の逆崎はそんな要芽を珍しいものを見たかの様に目をしばたたかせたが、


「いいさ、無力感なんざ苛まれる余裕もないほど叩きのめしてやるよ」


 そう言って、優之助に何も出来ない事に対する罰を望む要芽へとその拳を突き出した。


「──それにしても、人は見かけによらないものだな」


 要芽に後一歩のところで害されかけた事へのフォローか、意外にも気遣う様な口ぶりで話しかける創家。そんな間にも六つに増えた巨大な腕を巧みに操り、二人を抱えながらその名にふさわしく木々を渡っていく。


「いえ、むしろ彼女はわかりやすい方だと思いますよ。今も昔も、兄の事を見ていましたから」


 それはハルもだろう、と言いたげな表情を浮かべるも、特に言及せずハルの話すがままにさせる。


「さっきだってそうです。兄の為──事から不確定要素を少しでも排除しようと私とカナの前に姿を見せた。兄の下に向かいたいのを抑えて」


 ──本当にわかるんです。似てるから、と生真面目がちな相好を崩し、その身に巻きつく腕に体を預けて気絶しているカナに目を向ける。ほぼ初対面の異性に抱えられて人見知りが発揮したのと心臓に悪そうな移動手段に参ってしまったようだ。


 ハルが笑んだ理由はそんな妹が要芽を相手に下がらず姉の前に立ったから、そして今は気絶しているカナを無理に起こそうとしないのは同じく姉心。妹にそのまま休ませてあげたい──少なくとも目的地に辿り付くまでは。


「それだけわかっていて、なぜそれでも行こうとするんだ?」


 ──これから起こる事に関係ない。


 ──今までだって関係なかった。


 そうハルに突きつけた要芽を直接見聞きしておいて(実のところ、逆崎と創家は要芽が暴挙に出るかどうかをしばらくの間遠目で伺っていた。場にタイミングよく割り込めたのはその為)、少々意地が悪いという自覚はあるだろう。


 しかし創家は質問を投げる事を止めはしなかった。前の自分と比べておせっかいだと思いはしても、ただ流されているだけなら手を貸すつもりはない。


 さりとて、そこまで手間のかかるものではなし、誰もが納得する様な劇的なものでなくていい。の筋道を示してほしい。行きがけの駄賃としては破格の条件を提示されたハルははたしてそれを正しく理解したのか特に迷う様子も無く、こう答えた。


「──兄に支えてほしいと言われたからです」


 ハル、そしておそらくカナにとってこれ以上のない理由だった。優之助が望み、ハルとカナがそれを受け入れ交わした約束。言葉通りただ言われただけではなく、ハルとカナはそれを履行しようと動いている。


 なるほど、創家が納得するかどうかは別として、たしかに筋が通っていた。それはもしかするなら他人には奇異に映るのかもしれない。本当に心の底から通じているなら必要ないだろうか、そんな約束で縛るような関係は歪ではないのか、と。その意見はそれはそれで正しいのかもしれない。


 だが、人と人との繋がりは何もないところから形作っていくものではないか? 何も積み上がっていないからこそ約束や誓いを立てるではないか? 約束や誓いなどいらない関係というのは赤の他人といくらほどの違いがあるというのか? なし崩しの様についてきた血縁にただ甘え依存するのが正しいのか?


 そこへいくと優之助達のそれはどうだろう。何も別段珍しいわけでも、劇的でも、業が深いわけでもない、少しだけ捩じれてしまった家族関係。


 しかし、仮に平凡だったとして、数多くのすれ違いと葛藤の上で互いが認め合い言葉にして紡いだ結論に誰も侮り、非難する事は出来ないし、してはいけない。だからハルの万感を込めた答えに創家はただ一言。


「そうか」


 とこぼし、小さく頷いただけに留めた。



「──じゃあ、行くわ」


 時を同じく二手に分かれた地点にと逆崎と要芽の戦い──足止めの名を借りた要芽の自罰──はすでに終わりを迎えていた。


 浅く息を吐いて呼吸を整える逆崎の足元には散々打ちのめされ、もはや立ち上がる力すら残っていない様子の要芽がうつ伏せで横たわっている。わずかに覗く横顔は腫れぼったく、時間にして数分といったところだが、なあなあの末での決着とは程遠いと察せられる。怪我の具合にしても鍛錬を積んだ要芽だから腫れた程度の見た目だが受け手によっては頬の骨が砕け歯が飛び散ってもおかしくはなかったはずだ。なまじ鍛えられた分、余計長引いたともとれるが。


「お手数をおかけしました」


 うつ伏せというだけが理由ではないややくぐもった要芽の声からはいかほどの感情が渦巻いているのか窺い知るのは難しい。わかるとすれば、地に伏した今こそが本望とばかりに逆崎へ告げた感謝が心からのものだという事だけだ。


「暦の上ではともかく日陰がちなここでは体を冷やしやすいんだ、あんまり長居はするなよ。動ける様になったら治療してもらってこい」


 逆崎なりの配慮か、異能と生来の脚力を駆使して瞬く間にその場から離脱していく。残されたのは一人の傷ついた少女。自分への罵倒で言の葉を満たし、無力は罪だとその身に刻む事を望み、その果てにあるのは情けで受けた罰で動けない体と心。


 要芽の肩が嘆きで震える。慟哭は口付けるほど近い地面と覆いかぶせた自らの体でどこにも届く事はない。その想いを誰にも触れさせないのと同様に溢れた感情をただ一人以外に奉げるのをよしとしないが為だろう。それは彼女にとって最後の意地。吹けば飛ぶようなはかないものではあってもそれは──



 ──


 ひどく懐かしい声が遠くで、近くでを揺らす。異能で拡大した視界を戻し、私は彼へと向き直した。



    *



 日原山の山道を走り、学園の大仰な校門を抜けると各施設の行き来を結ぶ広場が姿を見せる。広場といっても用途としては搬入路や通学バスのターミナルを兼ねているので、一般に想像する校庭くらいの広さがあり、校門をくぐり向かって左手が校舎や講堂、右手には学生寮がここからでも確認出来る。


 事務局のある管理棟も同様で、ここから学生寮の方角──瞳子と空也の初期配置場所であるアスレチックコースより手前といったところか。林立していてどれが事務局の入った建物かは判別出来ないが、まず迷う事なく目的地へと辿り着けるだろう。


 そんな少し顔を上げるだけでどこに何があるのかがわかる見晴らしのいい空間に“その人”は居た。


 もはや一つの様式とばかりに天乃原ここの学生服を着こなし、、こちらを一顧だにせず、また気づく様子も無い。


 ふとすればただの勘違い、人違いかと錯覚しそうになるが、時間帯的に人通りがほぼ皆無な中、事務局へと続く道の前に立つのは“俺に用がある”という意思表示。いくつもある通路の終端からわざわざそこにいるのだから誤解のしようもない。そもそも、あからさまともいえる周りの言動から嫌でも気づいていたはず、しそうになったのは錯覚ではなく逃避だ。



 近年では使う相手がおらず、ご無沙汰だった単語。久方ぶりの呼び名はどうにもイントネーションに自信が無く不安定な響きだったと思う。呼び止めた事でようやくこちらに気づき向けられる目には驚きと気恥ずかしさが多分に含まれている。


「──観光地とかにある望遠鏡ってあるじゃない? お金を入れて見るの。あれ使っている時に声をかけられた気分よ」


「あぁ、なるほど、なんとなくわかります」


 再会の第一声が驚きに対する弁解ってなんだ? と思いつつ、せんぱい──先輩を見る。


 肩まで伸びるウェーブのかかった髪は、ストレートがよかったと挑戦してみるも髪質的にうまくいかず、さりとて短いのも躊躇われ結局は現状維持ということで今の髪型に落ち着いた。


 頭二つ分は低い身長は先輩としての威厳が無いと上げ底で嵩ましてみるも、やりすぎたせいで盛大にコケて取り止めに。そして身長に比してフラットな体型は(今思えば)命知らずに指摘すると最後、散々追い回されたのはまぁ、いい思い出だろう。


 頭の中でイントネーションが整うにつれ、先輩の姿かたち、それに伴う記憶が鮮明になっていく。──優之助、返礼代わりに当時と変わらぬ呼び方で声をかけた先輩も同じ気持ちだったのかもしれない。遠目がちだった焦点がピントを合わせる様に数度瞬き、こちらを捉える。


「視覚の調節が難しくてね、まだ少し慣れないのよ。生来の能力とはいえ、よくこんな感覚を使いこなせるもんだと感心するわ」


 その間も目頭をほぐす事でどうにか調子を落ち着かせると、押さえていた側の手をそのままに先輩が軽く指を鳴らす。少し洒落た所作はつかの間、俺と先輩の前に四角張った突起が地面からせり上がる。数は三つ、どうやら椅子と机代わりらしい。


「──土と石と操る能力。|関ヶ原大地(せきがはらだいち)の『|我は大地、大地は我(ジアース)』ですか?」


「より正確に言うなら操作しているのは主に珪素だそうよ。『導きの瞳』と違って無機物への操作系は一番触れる機会があったからこちらはそんなに苦労はないの」


「ていうか、こんな目立つ場所で能力を使わないでください。あと、これ元に戻せるんでしょうね? 後で請求されても知りませんよ」


 と言いつつ、ちゃっかりと座らせてもらう。ここへ来るまで上りの山道を駅伝よろしく走ってきたのだ。先輩への見栄もあって誤魔化しているが、実は息も切れ切れで少しむせる一歩手前のところ。正直腰を下ろせるのはありがたい。


「いろんな意味で大丈夫よ。この時間帯なら誰も来ないでしょうし、通学用のバスもあと二時間は到着が先でしょ。それに何が来ても私ならすぐ気づくわ」


 懐かしさと白々しさが絡み合う会話が続く。先輩向こうは別に隠しているつもりはなく、単にこちらが核心に入らないから白々しくなっただけだが。


「聞かないの?」


「──聞きたいのは山々ですけど、出鼻を挫かれるとどうにも。それに聞かなくてもほとんど喋ってるし、見せてるじゃないですか。いろいろと」


 そうね、と短く頷く先輩には開き直りとは違う落ち着きがあった。驚かないのか、と聞かないあたり、先輩もわかっている。

 “異能を生み出し、与える”異能者の正体とか、月ヶ丘──ひいては当真瞳呼に協力しているとか。


 とはいえ、これらが重要かといえばそうでもない。そういう存在がいると頭から確信しているのだから。意地が悪いと思う。本当に聞きたい事、言いたい事はしっかりと除外しているのだから、ちゃんと言葉にしないといけない。数週間前に思い知った教訓を胸に俺ははじめからやり直す事にした。


「先輩、お久しぶりです」


「えぇ──本当に久しぶりね、優之助」


 最後に別れてから数えて五年と少し。時宮高校元序列二十位『サイコダイバー』海東心かいとうこころは吹きつけた風に髪を遊ばせながら、穏やかな声で再会を認めた。

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