解任要求当日・七

「──そこまで」


 それは文字にすれば、たった4字のなんてことのない制止の言葉だった。篠崎の蹴りが当真瞳呼を捉えようとした瞬間、聞き覚えのない女の声が場に差し込まれ、同時に篠崎の体がバランスを失い墜落する。


「っ、剣太郎!」


 珍しく切羽詰まった声の篠崎の意図をはたして正しく伝わってか、(おそらく)蹴りの後の追撃として攻撃モーションに入っていたであろう刀山が即座に中断し後方へ下がる。


 当真瞳子はといえば、成田を抱え、私達のいる最前列の座席から手前の欄干にその足をかけていた。成田を救出するまで、という一対一の縛りを弁えていた篠崎と刀山の乱入に入れ替わる形で離脱していたわけだが、刀山と同様に状況を理解してか私や凜華、桐条さんに目もくれず対の方向へと身構える。


「いったい何が──」


「──少し黙って。今、あなたの相手をしている暇はないの」


 残念ながらね、と付け足したのは軽口のつもりだったのか。しかし、いつもの皮肉めいた煙の巻き方とは違い、どうにもおざなりといった感じ。余裕がないのは本当らしい。


 ややあって、刀山、篠崎の順でこちらへと戻ってくる。特に攻撃途中で不自然に倒れた篠崎は、態勢を即座に建て直し、当真瞳呼を牽制しつつの後退の中、結果的には無事に帰還出来た。ただそれも、ぎこちなく動かしていた片足を見るに事態は楽観的とはいかなそうだ。


 あの瞬間、何をされたかは知るよしもないけれど、状況から当真瞳呼の手妻とは思えない。月ヶ丘清臣の可能性も低いだろう。隅で棒立ちしていた『新世代』らは論外──我ながら白々しい。誰かは知らなくとも誰がやったかなど明らかだ。


「──まさか、当真瞳呼その女と組んでいたとわね。『調停者ちょうていしゃ』」


 当真瞳呼に向けた時の視線そのままに、さらに後方へと見据える当真瞳子。そこには一連の仕業の主であろう影が一つ。声、形から女であるのは間違いない。ちょうど当真瞳呼をすり抜けて歩く『調停者』と呼ばれる女。その出現に『新世代』達からざわめきが起こる。


 その名が出ただけで、成田を囲んでいた時も当真瞳子らが乱入した場面ですらなかったリアクション。味方の援軍ならば沸き立つのも無理はないけれど、ざわめきそのものは喜びというよりは戸惑いというのが近い。


 そこにどういう意味合いがあるのかはともかく、先ほどまでのような緊張めいた雰囲気が霧散されたのは間違いない──こちらの方が腕利きの異能者が多いにも関わらずに、だ。


「(──それほどの相手なの?)」


 やや細身の体型に、長く伸ばした髪をただ一つ後ろにまとめた姿はその身にまとう白のワンピースと相まって清楚なお嬢様と見えなくもない。ただし、ここが学園内という中での空気の読めない装い(『新世代』はもちろん、当真瞳呼ですら制服姿)は“露骨”さもあってか、微妙な胡散臭さがついてまわる。


「えぇ、戦力のバランスから今回は当真瞳呼こちらの陣営につかせてもらいました」


 どこか不自然に貼り付けた笑顔で女は言う。味方であるはずの『新世代』達が困惑するのもなるほど、と思う。その所作のほとんどが過剰に形式ばっていて本心が全く見えてこない。正直なところ、当真瞳子とのやり取りも会話の内容ほどコミュニケーションが成立しているのか疑わしい。


「いつ、こちらの味方になった事があったのよ──まぁ、仮にそうなったとしても御免だけど」


「そろそろ、彼女が誰なのか教えてもらっていいかしら?」


 毒づいた当真瞳子を尻目に質問の矛先を篠崎に向ける。当真瞳子の性格からして、敵に飛び出さないという事はいきなり戦闘が再開する可能性は低い。仮にも顔見知りである為か、能力の射程の関係か、いずれにしても、それどころでなくなる前に少しでもかやの外にならないよう事前知識は多い方がいい。


「──序列一位さ」


 自らの足が気になるのか、篠崎の返答は固い──もしかすれば、それ以外の理由からかもしれないが。しかし、なるほど、とまた一つ理解する。『序列持ち』と呼ばれる異能者が厄介なのはもはや身に染みている。その一位なら戦況を左右するのも、周りの反応の複雑さも察しようというもの。けれど、新たに一つ、疑問が生まれる。


「序列一位は成田ではなかったか?」


 私と同じ疑問を口にしたのは桐条さん。成田が序列一位なのを知ったのは当真瞳呼経由だったのでその場で直接聞いた分、反応もその先の行動も一歩早い。


「そんなの、私達が卒業した抜けたからに決まってるじゃない。私がいたら私が一位よ」


「私の相手をしている暇はなかったはずではなかったかしら、当真瞳子?」


 目線を固定したまま当真瞳子が会話に割り込んで返す。私の指摘など聞く耳を持つつもりはなくとも、我を張るのはこの段になっても変わらないらしい。──どうでもいいけれど、寝ているはずの成田の顔が凄い事になっているわよ。


「……でもあの女は違う。私の十四位、逆崎くんの十一位、『皇帝』の十位、空也の七位、『王国』の五位、剣太郎の三位の上にたつ、黄金と呼ばれた世代の序列一位──少なくとも当時はそうだった」


「なんでそれが向こうについたの」


「ちまたにいるでしょ? ナチュラリストだとか、ミニマリストだとか、古くはベジタリアンかな。自然主義を生活に組み込む面倒くさい連中が」


「──この際、言葉尻は問わないけれど、想像は出来るわ。要は主義に凝り固まったタイプね」


「あの女は極端に偏った状況を嫌うの。絶対に勝つ、負けるっていうのをね。その負けそうな陣営について、世の中の公平を保った気になっている痛い女よ」


「つまり、私達が有利って事?」


「どうかしらね。加わった時点で厄介だし、おの女、昔優之助に振られた事があるから腹いせもあるんじゃない? いるでしょ? 普段から守っているものを都合よく解釈して破るタイプ」


「優──御村が?」


「といっても、絶対的不利な状況であの女が手助けしようとしたのを振り払っただけなんだけどね。気にくわないってさ──私も同感よ。好きでも嫌いでもなく、ただのシステムとして共闘するなんて。ある意味、己が信念に動く異能者らしい考えだけど、無機質が過ぎる」


 私としてはどちらも面倒くさそうな精神構造だと思うわよ、とはもちろん言わない。


「『調停者』というのは行動に関して名付けられた異名。──られた、といっても実際はそうなるよう『調停者』本人がそう仕向けたって言う方が正しいわね。まぁ、『王国』と違って自分は知らないみたいに振る舞っていたけど」


 語尾が歯切れ悪いものとなったが、その先は皆まで言わなくても分かる。そんな酔狂がまかりとおるほどあったのだろう──実力が。当時の事がよほど業腹だったらしく当真瞳子の口元は苦みでひきつっている。


 一方、『調停者』はといえば、当真瞳呼と入れ替わる形で無造作にこちらへと歩を進める。まるで空を征する足も、奇跡のような剣腕も、まして殺意を形作る瞳すら自分の前では無力と言わんばかりだ。


「すごい自信ね。少しは謙虚さってものを覚えた方がかわいげがあるわよ。そういう振りではなくね。取り繕っているつもりでしょうけどにじみ出ているわよ──高慢さが」


 ──だから敬遠されるのよ、と当真瞳子の舌が棚にあげたままなめらかに動く。しかし、その軽口とは裏腹に『調停者』を冠する(自称か)女に対して油断なく身構える様は当真瞳呼と対峙した時ですら見られなかった“緊張”のようなものが感じられる。


「──それほどの相手なのか?」


 同じく目線を『調停者』達に照準を合わせながら奇しくも私の内心によぎった言葉を凜華が問う。


 その腕の中にはいつの間に当真瞳子から受け取ったのか、未だにぐったりとしたままの成田がその身を預けていた。この後の事を考えれば、『怪腕』任せた方がいいという判断に間違いはないけれど、どうにも邪魔で押しつけられたとみるべきか。


 それでも任された役割に違いはなく、状況からすればこの上ない適材適所と言える。それを理解してか、たまに見せる痛烈な混ぜっ返しを表に出さず、口調に淀みはない。


「まぁね。絶対に勝てない、とは言わないけど、あれでも序列一位だったからね。──それに前よりやりにくくなってる」


 と、篠崎。


「と、いうと?」


「彼女、能力の制御はかなり大雑把だったんだよ。昔なら当真とう──向こうのだよ──当真のおねーさんを巻き添えにしていたはずさ。だから近接に持ち込めばどうにかできたし、今みたいに不意をつかれても下がろうとは思わなかったんだけど……」


「手持ちの情報を鵜呑みにして安易に近寄るには危険が過ぎる。空也の判断は妥当だ」


「けれど、離れていたのでは結局同じではなくて?」


「仮に射程が延びていたとしても大なり小なり威力は減衰するし、君やそこに月ヶ丘の人もいるわけだし、制御できるといってもみだりに使わないでしょ。もし、攻撃してくるにしても、それはそれで情報になるさ」


「(つまり私や月ヶ丘清臣は盾代わりか)」


 顔に似合わず発想が汚い。普通なら腹の一つでも立てようというものではあるが、真正面からこうもあっさり言われると腹も立たない。それに──


「──戦わない、というわけではなさそうね」


「「「当然──」」」


「──よ」

「──さ」

「──だ」


 語尾は違えど、その戦意に優劣の差はなく序列一位に対峙する当真瞳子達。私の扱いがどうであれ、結局のところ矢面に立つのは彼ら彼女ら異能者だ。仮に私が倒れたとするなら、その前の順番にいる存在だ──そして今も。


 双方を隔ててあるのは舞台と座席とを分ける欄干を腰の位置ほどの段差のみ。距離も先ほどからゆるゆると近づいていた『調停者』とは各々の射程範囲内まで狭まっている。戯れ、気まぐれでもそれぞれの能力を振るえば攻撃が成立する、まさに一触即発。


「一応、確認しますが、本当にいいのですか──私と戦っても。どうせならもう何人か待ってからの方が良いと思いますよ?」


「相変わらず、清々しいくらいに上から目線ね」


「それにすっごく嫌み。待つ気なんてこれっぽっちもないくせに、さ」


「お前の御託に付き合うつもりはない。さっさと“出せ”」


「──ふふっ」


 微笑そのままに『調停者』の足元──正確にはその影が厚みと平面の両方が拡大していく。いくら薄暗い講堂内とはいえ、光源は一定の位置で固定されている以上、あり得ない。


「あれに触れちゃダメだよー。なるべく離れて見てね」


 巻き添えを気遣ってか、こちらに忠告する篠崎。あんな得体の知れないものにほいほい近づくと思われているのが心外だけれど抗議するどころではない。能力の余波によって講堂内は既に影響が出始めているからだ。


 『調停者』を中心に軋む音、それはまるで舞台が呻き声をあげているようでもある。その正体は重力、それも光を歪ませ、影と錯覚させるほどの高出力──あれが序列一位の能力。


「お手並み拝見といこうか」


 それはいったいどちらに対してなのか、取り繕いのない月ヶ丘清臣の呟きは期せずして戦端を開く合図となった。


「時宮高校元序列一位、『調停者』──嫌われたものですね。名乗りすら許されないとは」


 見せ場を邪魔された、というところだろうか。しかし、手のひらをかざしながら行った『調停者』の抗議は言葉の割にさして惜しむ様子は見られない。


「──ふっ!」


 名乗りを阻んだ小柄な体躯がどこか艶かしくも鋭く声を漏らす──篠崎空也が息を吐ききった音だ。反動で空になった肺が取り込んだ酸素を運転エネルギーに転換し、身体中のバネを駆使して後ろへ飛びずさる。


 踏み台にしたのは空中。けれど、その現象はいつものように篠崎自身の異能によってではなく、手のひらをかざした『調停者』の方からもたらされたらしい──そう、“阻んだ”という意味においては、むしろ先制攻撃を失敗させた『調停者』側が適切だろう。


 それは、例えるなら弾丸だった。しなやかに走る足は減速することなく数歩で宙を舞い、勢いそのままに蹴り足に変えて『調停者』へと投げ出した。一瞬の躊躇も許さない速攻劇。だが、『調停者』はただ手を前に出すだけでその速攻を防いでみせた。


 そこだけ切り取れば、優之助御村の「優しい手」とやらに似ているが、触れた瞬間に無力化させる“それ”とは違い、実際に目にすれば篠崎の足が触れる前に押し戻した風にとれる。能力が重力操作なら本来下へと作用するところを横にするのは理屈としては──頭に異能者の、がついてくる理屈だけれど──可能。おそらくはそれだ。


「|今度(・・)は逃がしませんよ」


 当真瞳呼の分から数えて二度目の攻撃失敗、見方を変えれば下がる篠崎を追撃するのもまた二度目になる。今度は逃がしませんよ──『調停者』がそう言い切る自信の根拠が篠崎を襲う。


 光を拒み黒に染まる空間。『調停者』が生み出した重力はもはや影というより、黒い液体が奔流となって見えるほどに成長していた。


 同時に舞台から聞こえてくる重苦しく軋む音も合わさって際限なく拡大していく。『調停者』の支配圈内は勝敗どころか命の保証すら出来ない。


 気づけば凜華が私の少し前に立ち位置を変えている。SPやボディーガードが護衛対象の動きを阻害せず、かつ、とっさの危険から護る為のやや斜め前の位置取り。自ら戦線に立つわけでもなく、成田が私を狙った様に直接害が及ぶわけでもないただの“余波”による被害を警戒して彼女が動くのは初めてだ。


「(三人揃って切った啖呵はよかったけれど、本当に勝ち目があるのかしらね)」


 心情とは別の部分からの冷静な声に人知れず苦いものがよぎる。そもそもの話、いくら当真瞳子達が強くても相手はそれより強いとされる序列一位。昔と違うと言っても(どれほど前かは知らないが)、多少の期間でたやすく入れ替わりが起こるほど甘い査定を当真家が下すとは思えない。


 現に最初の奇襲に近い横槍はともかく真正面から行って返り討ちにあっている。仮に超えたと思えるほど強くなったとしても『調停者』の成長はそれと同等かそれ以上だったとしたら、比較するのも億劫だ。簡単に超えられないがこその格上。人が下克上に熱くなれるのは滅多に起きない──奇跡だからだ。


「(──なのに)」


 なのに、なぜ、彼らの戦意は衰えないのか。なぜ篠崎と刀山は“そんな”口を叩けるのか。


「君に出来るかな? 『空駆ける足』の名は君に捕まえられるほど安くはないよ」


「──俺の『剣聖』もな」


 篠崎が走り、刀山が木刀で追いすがる“影”を散らしていく。いったいどうすればあんな芸当が可能だろうか? 距離も対象も関係なく斬る刀山の剣技はいつみても理不尽な代物。思えば、最初の速攻の際もそうだった。結果的に篠崎の蹴りを止めたが、当たる寸前まで接近を許したのは展開途中の“影”を二つに割った刀山の斬撃が原因だ。そして──


「“見えて”いるのにむざむざくらってあげる道理はないよね、『調停者』?」


 ──そして、やはり速攻を成立させた最大の要因は篠崎の動きだろう。成田の雷のように目にも止まらぬ速さではないけれど、空間を余すことなく使い自在に動くのをたとえ目で追えたとしても反応が追い付かない。


 また、篠崎に言われて気づく。黒く見えるほどの高重力、たしかに強力で捕まればひとたまりもないが薄暗い講堂の中ですら一目でわかる以上、当真瞳子の能力とどこまでの違いがあるだろう。むしろ物体地面をすり抜けて見せた分、当真瞳子の方が厄介だ。そして違うと言えば速度もだ。


 想像だが、光を屈折させるほどの重力など一方向の作用で起こるとは思えない(出来るのならこの講堂など、とうの昔に崩壊しているはず)。“影”となるほど精製するにはおそらく様々な方向から圧をかける必要がある。その為か影の動きが当真瞳子の能力と比べて若干鈍い。


「なら、まずは動きを止めるところからはじめましょうか」


 瞬間、篠崎の動きが目に見えて重々しいものになる。当真瞳呼に蹴りを加えようとしたときと同じだ。いったい何をされたのか、今ならわかる。目に見えるほどの高重力ではなく、篠崎の体をほんの少し重くする程度の重力をまとわせた、ということか。成田も見るだけで異能を行使できたように、おそらく目に見える空間の重力を制御できるらしい。しかも雷と違い、視認するのは困難。別の意味で回避は難しい。


 そして身動きが鈍る篠崎に容赦なく襲いかかる影。いざそうなるとまばたきも許さない瞬間の出来事だった。全身を高重力にさらされる想像に私の喉がひきつって鳴く。


「──いや、だ」


 いち早く気づいたのは桐条さん。影の一部が波打つように震え、その中心から何かが突き破って飛び出てくる──言わずもがな、篠崎だ。しかしまたどうして高重力の中を無事でいられたのだろうか? 一瞬でもその身を中にさらして無事で済むとは到底思えないが……。


「そうか、力場干渉能力か」


 ひとり訳知り顔で呟いたのは『シャドウエッジ』による手堅い警護を受けている月ヶ丘清臣。納得の表情をそのままにこちらを見、失礼しましたと軽く会釈するのが少々勘に触る。


「解説は御入り用ですか?」


「えぇ、お願いするわ。それくらいしか頼める事はなさそうでしょうし」


「──では、僭越ながら。『空駆ける足』篠崎空也の能力は力場干渉能力。その字の通り、物体を動かす要素──力──を含んだ空間に干渉出来る異能です」


「優之助の能力とどう違う?」


 とは桐条さん。なるほど、たしかに運動エネルギーの完全制御とやらとニュアンスは似ている気もしなくはない。


「概念そのものはかなり離れているが、たしかに系統としては近い。講釈が長くなるので割愛するが、少なくとも力場干渉能力にエネルギーを増幅させる力がないのはたしかだ。この一点だけでも別物であると言えるし、また御村優之助の異能が規格外だとも言える」


「──そうか」


「(なぜそこで桐条さんが誇らしげになるのかしらね? まぁ、いいのだけれど……)」


「だが、情報では篠崎自身の才覚の問題から握り拳一つ分の範囲しか干渉出来ず、使い道も足場にする程度だったはず。にもかかわらずあの“影”に飲み込まれてなおも脱出したという事は干渉出来る範囲が昔より広がったのか、あるいは『調停者』の重力圈“影”そのものに干渉し無効化させたのか──計算外だな」


 推察に対する能力の真相も、解説から自問へと移り変わった月ヶ丘清臣もさておいて、どちらにしても『調停者』の重力操作異能に対抗出来るという事実は揺らがない。能力に制限などはじめからなかったかのように篠崎が今まで以上に鋭く、軽やかに空中を舞う。もはや高重力の“影”も低出力による不可視の枷も捉えきれない。


 あんな真似が出来るなら出し惜しみせずやればいいものを──そんな感想は篠崎の顔を見て彼方へと飛んでいく。


「君さ、自分がどれだけの事をしたか覚えてないのかい? 僕らは違う。あの時、君のやったことで全てが台無しになった事を忘れていない。誰が君を尊重なんて出来るものか──ここで何者でもないまま、沈むがいい」


『調停者』に切り込む前もたしかにとはいえない雰囲気だった。それでもこちらを見るくらいの冷静さはあったように思う。しかし、今の篠崎は──


「──平井の“氷”の比ではありませんね」


 平井要芽の『氷乙女二つ名』のゆえんは寒気すら覚える視線。それ以上の冷気だと凜華の声が認める。その感情を灯す引き金は篠崎の意味深な物言いにあるのも嫌でも気づく。


 しかし、それはいったいどれほどの事があったのか。敵味方のいれ代わりが激しく、ある種達観しているともいえるほど、こだわり以外にはこだわらない──それが時宮の、異能者のあり方ではなかったか。いったいマイペースな彼らが何をしたらあそこまで根の深い怒りを宿すのか?


「(いったい過去に何が──)」


「──面白そうな会話を邪魔するものではないわよ?」


 その言葉で我に返ると思考で狭まった視界が何を指しての事かを映し出す。当真瞳子が『調停者』の死角をつく格好で刀を横に払い、それを当真瞳呼が刀身の失った薙刀の柄で防いだのだ。今の今までその存在をすっかり忘れていたが、それも作戦の内だろう。篠崎空也で撹乱し、刀山剣太郎で道を作り──想像だが刀山は篠崎のフォローで“影”を斬ったのではなく、当真瞳子を内へと入り込ませる為。篠崎単体ならおそらく逃げ切れた──、当真瞳子が手堅く仕留めに入る。


 およそチームワークなど意にも返しそうにない個性的な面々が成立させた連係は嫌みの入る余地などなく見事だ──見事だからこそ先程の疑問がさらに深くなる。私には当真瞳子達が敵が多少手ごわい程度でとは思えない──むしろ嬉々として一対一を望むのではないか?


 そもそも『調停者』へ向けた嫌悪感情に嘘はなく、それが証拠に当真瞳子達の戦意がいつも以上に高いのは明らかだ。『調停者』が過去に何かをした事が因縁となっているのは間違いない。そして変化があるのは『調停者』の側も同じ。


「──ふふっ、あはははははっ──」


 篠崎のらしくない語りにどういう意味があったのか、それでもリアクションはあった。『調停者』の肩が小刻みに震えるのが私いる位置からでもわかる──それは哄笑だった。声そのものは楽しげであるはずが、どこか欠落している。それは元から無かったのか、あるいはあっても育つ機会が無かったのか、どちらにしても無いという事実は揺るがない。


「──聞いていると不安になりそうな笑い声ね」


「どんな笑い方でも変わりませんよ。『調停者彼女』は終わらせる気のようです」


「──まずい、『せかいはひとつザ・ワールドイズオールワン』! 剣太郎、いける?」


 珍しく切羽詰まった様子の当真瞳子。何かを仕掛けようとする『調停者』を妨害する意図はわかるが、その度合いが少々超えている。そこまで危険な事が起こるのか? この地下で。


「──っ、腕が振り切れん。向こうも弁えているな」


「なら」


 短く吐き捨てた当真瞳子の目が剣呑さを帯びる。異能によって生み出された殺意の具現化『殺刃』だ。実体を持たない架空の刃ならこの重力下でも狙えるだろう。しかし、


「させないわよ」


「くっ、『絶槍』か」


 状況を問わないという意味では同じく『絶槍』にも当てはまる。『調停者』へと向かう刃を当真瞳呼が次々と迎撃する。篠崎も力場干渉能力とやらをフルに使い、『調停者』を阻もうとするも同様に『絶槍』の妨害を受け実行出来ない。重力を防御出来ても異能を解除する穂先には分が悪いらしく、目標の周辺を迂回する様に飛び回り隙をうががうにとどまっている。


「──なに、あれ」


 『調停者』の“影”が主のもとへ戻るように収束する。形は奔流から球体──いいや違う、あれは“穴”だ。空間の歪みによって不自然に出来た“穴”は強力な引力をもって不足を間に合わせようとする。真っ先に巻き上げられたのは空気や砂ぼこり、遅れて文庫本が面積の小さい穴にあっけなく吸い込まれていく。


 篠崎の忠告通り下がった私も凜華に掴まっていなければ踏ん張りがきかずどうなっていたかわからない。だが、それも時間の問題か。頑強に固定されているはずの照明設備や座席が嫌な音を立てている。退避しようにも吸われない様にするのが精一杯でまともに動けない。八方塞がりだ。


「──やれやれ、なんて様だ」


 その時、複数の風切り音を伴った何かが──それがとわかるのは後の話──飛来する。“穴”の引力で漫然と吸い込まれるものとは違う意図が込められた投擲、それは重力によって生じた引力が荒れ狂う講堂内にあって普通ではあり得ない軌道に沿って『調停者』の背後をとり、“穴”と目掛けていく。


 当然、間に挟むのは『調停者』自身、引力に乗って殺到する物体を無視できず『調停者』はやむなく防御に回る。しかし、それは『調停者』の意識が、能力の矛先が別へと向かったという事。自由になった刀山の剣が今度こそ“穴”を斬り、能力の発動を阻止する。


「遠視・透視を併用した目を使い、重力の流れを見極め、なおかつ着弾を計算出来るとは──さすがですね」


「増援はいっこうに構わないのだろう?」


 そので見ていたらしく、『調停者』の台詞を混ぜっ返す。その相に浮かぶのは篠崎と同様に好意とは真逆の感情。長々と絡むつもりはないと目線をそらし当真瞳子達を見る。


「えらく早いお着きね」


「貴様らの段取りが悪いからそう感じるだけだ。にやっている。一緒にしないでもらおうか」


 あくまで一方よりマシというところか、そのやり取りに友好さはなく、むしろ剣呑な雰囲気。それでも──


「まぁ、いい。お互いの利害が一致しているのなら是非もない。そこの『調停者』共々片付けるぞ」


 ──時宮高校元序列十位『皇帝』月ヶ丘帝は当真瞳子達との共闘をそう宣言した。



「“予定通り”ねぇ……やっぱりそういう事か」


 突然姿を見せ、味方につくと言い放った月ヶ丘帝の言葉をどう咀嚼したのか、さしたる反応を見せず(そして疑う素振りすらなく)当真瞳子は受け入れる。当然のように私の存在を横に追いやって話がまとまろうとしている訳だが、はいそうですか、で済むはずがない。


「──そういう訳知り顔で勝手に納得しないでもらえるかしら? 私は何一つ理解も了承もしたつもりがないわよ」


 ともすれば、この段になって何をでしゃばるのかと感じるかもしれないけれど、そういうわけにはいかない。月ヶ丘帝は海東姉妹の──生徒会に対して解任要求を突きつけようとする勢力の協力者だからだ。


 たしかに成田や当真瞳呼、そして『調停者』の異能はどう贔屓目に見ても生徒会の手に負える代物ではなく、成田をこちら側に引き込む工作しか打てる手だてはなかった。協力者であるはずの当真瞳子達ですら『調停者』との不可解な因縁といい、今の展開といい、よくも学園人の庭で好き勝手にやってくれるものだと改めて思う。


 しかし、それら全ては究極的に私の一存でどうとにでも出来るのだ。当真瞳呼達には不法侵入で公権力の介入を、当真瞳子達には学籍に準じた処分を、それぞれ科してしまえばどんなに強力な異能を持っていても(少なくとも社会的に)倒す事は不可能ではない。そもそも天乃宮と当真、両家の関係をないがしろにする事を誰も──当真瞳呼ですら──望んでいない。


 それを今やらないのはひとえに海東姉妹を確保出来ていないから。今日だけ、今日さえ、解任要求を止められるならいかようにもやりようはある──これはそういう勝利条件の盤の上だ。


 生徒会海東姉妹解任要求という弱味があり、海東姉妹解任要求には当真異能者がいなければ目的を達成するには足りず、当真異能者がいくら強く何を成そうとも天乃宮の意志一つで簡単に茶番に成り下がる、そんな三竦みと言い換えてもいい。


「その抗議は学園の最高責任者としてか、それとも天乃宮の一員としてか、天乃宮姫子? いずれにしても今回の一件に関しては天乃宮はおろか、月ヶ丘、当真全ての家とは関係のない話だ。おとなしく隅にでも下がっているといい」


 一切の問答を受け付けないとばかりの態度は月ヶ丘帝のもの。異能の厄介さやそれなりに複雑そうな生い立ちは優之助御村から聞いていたものの、初めての面識とは思えないほど刺々しい。正ににべもないという言葉がしっくり来る排他具合だ。これで本当に一血族の長だろうか?


「ならば、他所でやってもらえる? この学園で好き勝手を私は許した覚えはなくてよ」


 売り言葉に買い言葉だと思いつつ間髪入れず言い返す。そういえば月ヶ丘実家やその血筋を嫌っているのだったか、御村の言葉を不意に思い出す。月ヶ丘清臣の建前に満ちた言動を好ましいとはどう間違えても思わないが、月ヶ丘帝は月ヶ丘帝でにべもない。


 いや、それはともかく、どの家とも関係がないとはどういう意味か? 現に当真瞳呼や月ヶ丘清臣はここにいる。成田の確保はに当真瞳呼の個人的な意図が込み入っていてもおおよそは家の(総意までとはいかなくとも)思惑によって動いているのは確実だ。


「(あるとすれば、海東姉妹、もしくは平井さん、か)」


「僕としても不要な要素のあるここでどうこうする意味のなさは承知している。抗議がしたいなら“向こう”にすることだ。もっとも──」


 そこで月ヶ丘帝は言葉を区切り別のものへと視線を(といっても私の方を一度とりとて向いたわけではない。失礼な話だけれど、当真瞳子を不機嫌そうに見た以外は別方向ばかりを見ていた)いくつか走らせる。『新世代』の集団、『シャドウエッジ』、そして月ヶ丘清臣だ。


「──もっとも、こちらとしては片付けておきたい人物要件ばかりでね。悪いが君の用事は後回しだ」


 剣呑さを一切隠す事ない月ヶ丘帝の意を汲み、彼に付き従う少女達──『ロイヤルガード』──が四方に散らばる。そして展開、拡大する高く鈍く響くそれぞれ何かが破壊される音。時折混じるのはその中にあって切り取られたかのようにはっきりと聞こえる会話の数々。


 ──それは、穂先が失われたカーボン製の長柄を杖術のごとく操り当真瞳子に対峙する当真瞳呼。


 ──それは、一網打尽に失敗した『調停者』へと再び切り込む篠崎と、再度“影”を斬り払いつつ刀身を異様に伸ばし今度は本体を狙う刀山。


 ──それは、浮き足立つだけで烏合の衆と化した『新世代』を規則的な連携で追いたてる『ロイヤルガード』の面々。


「──さすが月ヶ丘当主が指揮する近衛、せっかくの研究成果も形無しですよ」


「物言いも物腰もあらゆるものが白々しいな、清臣。僕に提出したカタログスペックが全てではない事ぐらい“見なくとも”わかるぞ。大方、僕の能力射程外にある地で本命の調整中だろう?」


 そして最後に残るのは私、凜華、桐条さん、人形のごとく意に従う『シャドウエッジ』とここまで騒がしくあるはずなのに目覚める気配のない成田、そして、数メートルを挟んでお互いから目を離さない月ヶ丘の二人。


「──その様子では場所も絞り混んでいるようだな」


「長老衆にを付けている。探るのは容易い」


「あいからず抜け目がない。まぁ、ご老人がたの手を借りなければならない時点でいずれそうなるとわかっていたことだがね」


「(もしかしなくても、どうやら敵同士のようね。それも相当に根が深い間柄の)」


 月ヶ丘清臣の言葉遣いから当主に対する振る舞いが消えると、まるで同世代の親戚同士のやり取りに聞こえる。けれど、物理的な距離が表すように両者の間には隔たりが見え隠れしている。井戸の底のごとく静かに、そして奥深く。私にも天乃宮の中に政敵がいないわけでもないがここまでではない。いっそ、当真瞳子の毛嫌いぶりの方がまだまともに見える。


「貴様が表立って動いたという事は、目的にある程度の目処がついたらしいな」


「その通りだ、帝。君の方は変わらず不毛の道を進むだけだな」


「そうでもない。ここで取り戻せるならいくらかは満たされる──返してもらうぞ」


「──出来るものなら」


 その言葉を引き金に動いたのは月ヶ丘帝の『ロイヤルガード』達。すでに『新世代』を片していたのか、講堂内に五体満足で立っている『新世代』は一人もいない。今までの会話はその為の時間稼ぎだったらしい。


 だが、その先制攻撃に立ちはだかる一対の影、月ヶ丘清臣を守る『シャドウエッジ』だ。幽鬼じみた雰囲気とは裏腹に異様なほど機敏な動きで倍以上の手勢を返り討ちにしていく。


「──妙ですね」


「──妙だな」


 ほぼ同時に呟く凜華と桐条さん。声のハモり具合に微妙に顔をしかめながらも感じたものに確信を得たのか桐条さんが続きを述べる。


「『ロイヤルガード』の動きが明らかにぎこちない。あれで本当に『新世代』を短時間で制圧したのか疑わしいほどにな。そもそも先日や今日も含めて優之助達とも数度小競り合いもしていたはず。あの程度の動き、まず手こずるとは思えない」


 言われていればたしかに『ロイヤルガード』の動きはおかしい。戦闘は門外漢で説明が難しいが、例えるなら叩こうと手を振り上げるがわざと当たらないよう下ろす感じ。合理的かつ効率的に攻撃を加える『シャドウエッジ』とは対照的だ。あまりに不自然で滑稽な動作に八百長か何かと勘繰りたくなるが、それにしても、もう少しうまくやろうというもの。そもそもそんな事をする意味がないし、『ロイヤルガード』──月ヶ丘帝の敵対心は疑うまでもなく本物なのは見ればわかる。なればこそ、ますます不可解な話。


「──当然ですよ、天乃宮さん。『ロイヤルガード』はその名の通り一族を害する事が出来ないよう調整されています。例え月ヶ丘当主の命であっても月ヶ丘に連なる者への攻撃はおろか抑え込みも禁じられている。同士討ちもご覧になったとおり」


 余裕のつもりか、変えようのない性分からか、補足を続ける月ヶ丘清臣に辟易するがひとまずの疑問は解消されたので押し黙る事にする。話を聞くに『シャドウエッジ』は『ロイヤルガード』とは別の調整とやらを受けているらしく、同類を認識している『ロイヤルガード』を遠慮も手加減もなく攻撃していた。


 月ヶ丘帝は手助けに動く気配はなく(あっても戦闘力はないらしいのでどうにか出来るとは思えないが)、ただ見ているだけ。性分か余裕かはともかく月ヶ丘清臣が晒した情報にさしたる反応を示さなかったのは周知の事実としてはじめからわかっていたという事。ならば、なぜ──


「月ヶ丘帝! なぜ『ロイヤルガード』を引かせないの。このままだと彼女達が──」


「君らは後だといったはず。二度も言わせるな──隅で固まって動かず、そして黙っていろ」


 主の命令を愚直に従う『ロイヤルガード』に居心地の悪いものを感じて思わず上げた声を冷たく切り捨てる月ヶ丘帝。曲がりなりにも名家を背負う同じ立場と思う分、相容れないやり口に不快感は増すばかりだ。


「この──」


 思わず月ヶ丘帝へと掴みかかろうとする私を桐条さんが腕を引く事で止める。振りかぶり彼女を見ると落ち着けとばかりに首を横に揺らし、ある一点を指差す。


「気持ちはわかるが、月ヶ丘の言葉に従った方がいい。仮にも優之助が認める男が無意味にあんな真似をさせるとは思えない──それに」


 それ以上はみなまで言わず、私の腕をゆっくりと離し、空いた手である一点を指し示す。桐条さんが差した指の先、そこには黒の手袋をはめた月ヶ丘帝の両手が皮を突き破らんばかりに強く握りしめ震えているのが見えた。

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