解任要求当日・六

 振り返ってみれば、得物を手にしても漫然と遊ばせていただけで積極的に使うどころか、素振りすら見せていなかった。ここへきて初めてその素振り──ここでいうなら当真流における構え──を披露する当真瞳呼。


 そう大仰に表してみたが、薙刀の穂先を水平からやや地面側、腰だめに構える姿は長柄の武器を扱うなら何の変哲もないものだった──ただ一点を除けば。


 その、ただ一点の特徴、薙刀得物と心中するかのように上半身を柄に添わせる姿は、見た目、ビリヤードにおいて手球を打つ直前に似ている。だが、あくまで見た目は、という話。直に立ち会ってみるとそんな健全なものとはほど遠く、凶器を構え、対峙する姿は地に伏し獲物を狩らんとする虎のようだ。


 その見た目、印象に共通するのは、力を溜め、一瞬のうちに事を成すという意思を連想させる点。不意に真田が刀山相手に見せた『火竜』という突き技を思い出す。あの時は短くなった刀だったが、身長ほどもある武器を使った場合、その速度と長さは戦場の何処へでも届き得るだろう。いくら成田に『リニアステップ』という移動手段があったとしても、今までのように逃げ切れるものではないかもしれない。


「──なぜ当真は『絶槍』を使わない?」


 と、もどかしげな月ヶ丘清臣。本人の申告通り、戦闘に関しては専門外なのか当真瞳呼の考えを図りかねている様子。月ヶ丘も武家の流れを組むと聞いたが、その家の出身とはいえ誰もが明るいと限らないらしい。


「月ヶ丘が武で生きてきたのは昔の話だ。完全に廃れたわけではないが、ごく一部でしかない。むしろ当真のように表裏問わず生業としてやっていける方が珍しい」


 私の視線から察したのか(あるいは似た反応に慣れているのか)月ヶ丘清臣の説明はあらかじめ用意していたように淀みがない。ともすれば開き直りに近い釈明だが、言われてみればそう納得しないでもない。


 そもそも身分制度が廃止された後も組織体系を維持できる事自体がだ。その意味では月ヶ丘家の存在も充分に脅威であり、当真家や天乃宮家を相手に仕掛けられるだけはある。


 とはいえ理屈に合ったから何だというのだ。月ケ丘清臣が戦闘に明るくなかったとして私が律儀に教える義理はない──ないのだが、向こうの性分からとはいえ──しかも不愉快な主観を伴った──解説を受けた以上、無視を決め込むのはそれはそれで憚れるものがある。そう思い直し、返礼代わりにと口を開く。


「──成田が『紫電装』を展開したからだ。例え体術が素人の“それ”でも触れただけで逆転もありえる以上、万が一にも間違いは許されない。ならば半端に選択肢を用意して意識を欠くよりも、これと決めた技一点に集中させるのが正解だ」


「『絶槍』なら『紫電装』を解除出来るはずだが?」


「当たれば、な。忘れたか? 成田には『リニアステップ』がある。『絶槍』に当たらないよう速く動き、当真瞳呼に触れる──言葉ほど簡単ではないが、考えはシンプルで済む」


 ただ、それで成田が有利に立ったかと言えば、少々頷きにくい。『紫電装』の展開中は遠距離攻撃が出来ないと平井から聞いているからだ。その時点では勝ちの目だと思っていたが、立場が変わった今、不安要素へと真逆の感想に落ち着いてしまっている。


「これで互いの遠距離攻撃は封じられた。後は成田が異能で技術の差を埋めるか、当真瞳呼が技術で異能を完封するか──どちらにしても、次で決着するだろう」


 おそらく成田はそう。いくら施設のコンセントから充電出来るとはいえ、ほんの数分ほどで全快するものでもないだろう。当真瞳呼への意地で戦況をどうにか五分まで戻したに過ぎないのだ。


「──始まったか」


 もはや外野に差し挟める余地などないだろう、どちらからともなく二人が間合いを詰めていく。一歩一歩近づくごとに互いの異能がその意思を示さんと世界の理を歪めながら。


「『プラズマ・フィスト』」


 先手は成田から。纏った『紫電装』を両の拳へと集約させる。触れただけで相手を焼く『紫電装』だが、相手が素手ならまだしも『死化粧』を装備した当真瞳呼の攻撃を物理的に防げない。ならば、と残った力を『リニアステップ』と『プラズマ・フィスト』とに振り分けた判断は、限られた選択肢の中においても絶対に勝つという決意のあらわれだ。


「──今までで最も速いわね」


 かすかに聞き取れる当真瞳呼の独り言。声音には先ほどまでの親しさは欠片もなく、事実を淡々と分析している様子は当真瞳子の"それ"とタブる。


 その冷静然とした言葉通り、成田の攻撃は速かった。速すぎてやや動きが直線的ではあるものの、先ほどまでとは打って変わって機動力の面で当真瞳呼を完全に圧倒している。


 だが、当真瞳呼とてなすがまま後手に回ったわけではない。成田の動きから二手三手先の行動を予測し、攻勢に移る。火の這うに例えた足運びから天へと駆ける跳躍──一本指歩法『天狗翔』。平面では分が悪いと、立体高さで勝負だろうか? 身長の倍以上は飛び、『死化粧』を背中越しに振りかぶると着地点の近くにいるであろう成田へと打ち下ろす──頭を頂点に股下まで唐竹割りにする気だ。


 その跳躍力、空中で薙刀を打ち下ろす腕力と体軸の強さは瞠目するが、見え見えの攻撃をくらってやるほど成田はお人好しではない。唐竹割りの届かない角度から『リニアステップ』と同じく磁力の反発を利用して高く飛ぶ。ステップは二度、空中でも磁力の足場を張り微調整しながら当真瞳呼に迫る。小回りは効かなそうで動きがやや不恰好に映るが、小回りどころか身動きの取れない当真瞳呼からすれば詰みの一手になるはず──だった。


「──なっ!」


 『プラズマフィスト』の貫手が空を切る。理由は簡単だ、『死化粧』の石突を始点にその体で大車輪を描き、本来動けないはずの空中で体を入れ替えやり過ごしたからだ。二人が交差する一手前、唐竹割りが空振りに終わった『死化粧』の切っ先は舞台を深々と貫き、固定されている。支えが一本でもあれば、当真瞳呼の運動能力ならそれくらいやってのけてもおかしくはない。


 だが、とっさの反応であんな回避に打って出たのか──いいや、違う。あからさまな跳躍からの唐竹割りまでの手際全てが布石。成田を飛ばせる為の"誘い"だ。


「例え磁力で足場を作れても『空駆ける足』ほど空中戦は得手というわけではないのでしょう?」


 一足先に地上へと降り立った当真瞳呼はすでに追撃の構えを取っている。初めて見せた時と同じ、虎が伏すが如く。狙いは体を入れ替わった際に生じた隙を無くそうと成田が当真瞳呼へ向き直ろうとする瞬間だ。背中を見せただけならまだ逃げようもあるが、向きを変えるタイミングを突かれれば、体術の素人である成田はまず防ぎきれない。


「──誘ったのはお互い様だ、年増」


 それは負け惜しみとは思えない響きを持たせた成田の呟き。背を向けたままで表情は見えないが、言葉通りなら、してやったり、と皮肉めいた笑みを浮かべていただろう。


 当真瞳呼はそれに取り合わない。もはや駆け引きの段階ではなく、手札を見せ合うだけだからだ。成田の方も弁えていて、磁力による滞空はほどなくして終わりを告げる。


 ──空気が割れるような音が私の鼓膜を叩いたのは、爪先が舞台に届こうとしたまさにその時だった。


 再び見せた当真瞳呼の加速。ただ、破裂音を生み出すほどの一歩目は、火を這うような、などと比喩するにはいささか足りない。もはや爆発と言い換えてもいい。遠目からでもわかるほど『死化粧』が。その衝撃をまともに受ければまず命はない。にもかかわらず、成田はまだ振り返っていない。私や当真瞳呼の想定を超えて。あれでは背中から──


「(──まさか、)」


 素人には振り返りざまに襲われたら何も出来ない。背を向けたままでも同様だ。だが、武術の心得があればどうだろう。私は実際に"それ"を見なかったか──他でもない成田がされていたのを。


 その動きは今までの成田とは一線を画すものだった。間違いなく素人なはずの成田が見せる達人に匹敵する動きのキレ。対武器戦闘にも適応できる交差法の正体は平井が生徒会室で見せた渾身の入り身、つまりの動きだ。


 それが成田の異能と組み合わさり、当真瞳呼の突きを軽やかにかわしながら相手の内側へと潜り込んでいく。──


「それ以上行くな! 成田!」


「──電位が見えるから賭けだったけど、どうやらうまくいったようね」


「あぁ……」


 私の静止はむなしく響くだけで結果が覆る事はなかった。背面からの入り身は見事に当真瞳呼の内側へと至ったが、攻撃に移る瞬間、当真瞳呼の足運びと腰の捻りだけで返り討ちにあい、成田はあえなく倒されてしまう。腕を使わず、成田を転ばせたのは交差法のさらに返し──合気と同種の技術だ。

「正直、驚いたわ。今の動きは間違いなく当真流合気『転』だった。おそらく神経の伝達信号をも操って、イメージするだけでその通りの動きが出来るのね」


 当真瞳呼の口調が元に戻っている。それは決着が揺るがぬものとなったという何よりの証左。


「でも、残念ながら、技単体のキレは異能で再現出来ても、修練や経験がものをいう駆け引きは素人には無理よ。そうでなくとも、脳の無茶な命令に付き従う体の負担は相当なものでしょう? 頻繁に出せる芸当でもなさそうだし──ね」


 成田の腕を取り、特に力みを見せず立たせる当真瞳呼。素人が達人の技を再現するという想定外の奇襲にも動じず、また知り尽くしていたからこその対応も敵ながら見事だが、『プラズマフィスト』を解除せしめた手段はそれを上回る。まさか──


「──自分ごと『絶槍』で貫くとはな。正気の沙汰じゃない」


 地下に潜り込んだ『絶槍』を見破った成田がその実、どう見えていたのか、当人ではない以上わからない。わかるのは攻防の寸前、当真瞳呼は自らの体を囮と隠れ蓑にして『絶槍』を後方に展開していた。そして、入り身によって詰め寄ってきた成田をそのまま自身ごと貫いたのだ。


 物理現象に干渉できるほどの狂気じみた殺意──例え生み出した本人といえど何の影響がないとは思えない。それを躊躇わず、身を晒す。これが正気で出来るというのか?


「……こぉの、アマ──」


 異能を封じられ、強い負担のかかった体は満身創痍、それでもなお、成田の戦意は相手に屈するのを良しとしなかった。歯を食いしばり弱弱しくもその手を振り上げる。


「この期に及んで、まだ抵抗の意思を見せるなんて──」


 皆まで言わず、成田の腹部に重い中段突きを入れる当真瞳呼。成田はそれに抵抗出来ず力尽き、当て身を入れた張本人に体を預けてしまう。


 『絶槍』で止まらなかった強靭な精神力も、肉体の機能を遮断されてはどうしようもない。神経伝達をも操作できる異能も、扱う意識を元から断たれては言わずもがなだ。


「──本当に可愛がり甲斐があるわね。向こうに着いたらゆっくりと解り合いましょう、


「成田!」


 わけもなく恐怖を感じて叫ぶ。その感情に突き動かされた手はすでに最前列の欄干へと伸びている。あとは身を投げ出すだけで舞台へ──当真瞳呼の前に立ち塞がる事が出来る。


「止めた方がいい──そう言ったはずだ」


「──邪魔をするな、月ケ丘清臣」


 私を押し留めたのは、体温の感じない二対の腕──『シャドウエッジ』と二人に命を下した月ケ丘清臣だ。


「その二人を軽くあしらえないようでは、君が一人飛び出したところでどうにもならないぞ」


「天乃宮と衝突するのは避けたいなどという本音に付き合うつもりはない。二度目だ、放せ」


 そんな遣り取りの間にも当真瞳呼は成田の体を抱いてここから去ろうとしていた。私の事など歯牙にもかけない、そもそも認識しているのかすら怪しい当真瞳呼から成田を引き離すにはこんなところで足止めを食っている場合ではない。


 だが、月ケ丘清臣はともかく『シャドウエッジ』に、観客化してはいるが『新世代』の連中もいる。明らかに多勢に無勢、突破するだけでも至難の業だ。


「(だからどうした)」


 逡巡は無意味、気勢をあげ『シャドウエッジ』の腕を振り払う。空手の息吹による呼吸法からの瞬間的な筋力強化で拘束を脱すると『飛燕爪』を懐から取り出し、装備する。


「仕方がない──出来るだけ傷はつけるな」


 月ケ丘清臣の指示が『シャドウエッジ』を私と当真瞳呼との間に分け入らせてくる。内容に対する引っ掛かりはともかく、手加減が入るなら付け入る隙はあるはず、『新世代』達に囲まれる前に切り抜ければ──


「──親戚なのは百歩譲ったとしても、そういう性癖を目の当たりにされるのは勘弁願いたいわね」


 わずかな可能性を算段していた私の耳と講堂にどこか人を食った女の声が駆ける。


 次いで何かが跳ねた音、それは出入り口から座席にそれぞれ一回、三回目は私と『シャドウエッジ』の間を抜け欄干に、そして四度目は金属同士がぶつかる音に紛れて舞台上へ。


 数えて四歩で当真瞳呼に辿り着いたのは、暗がりでも映える白木拵えの刀をその手に携え、天乃原学園の制服を身に着けた女性。ただし、刀を薙刀で受け止めたとは違い、こちらは正真正銘この学園に籍を置く女生徒──断言していいものか迷うが一応、味方だ。


「そんなでも一応、私の後輩なの──置いていってもらうわよ」


「──そうね。業腹には違いないけれど、成田稲穂彼女を連れていかれては困るわ。


「その声は──」


 刀を持った女生徒とは別の声。それは生まれついての資質を土台に、普段から大勢を前に立つ事に慣れている為だろう、さほど強い声量ではないにもかかわらず周囲の耳目を集める。本来、ここにいるはずのない存在──少なくとも。だが、なぜを問う前に気づく。彼女はこの学園の支配者、例え戦場を異能者に譲っても、全てを委ねたりはしない。


「──だって彼女、今日付けでこの学園の生徒だもの。連れて帰る気なら誘拐犯として対処させてもらうからそのつもりで」


 天乃原学園生徒会長、天乃宮姫子は集まる視線に動じる事なく、よく通る声でそう宣言した。




    *



、ちょっとしたパーティーみたいね……別に開いたつもりも招待したつもりもないけれど」


「──最近、愚にもつかない独り言が多くなりましたね。誰の影響とは言いませんが」


「そっちこそ、遠慮のなさに拍車がかかってない? ──誰のせいでもなさそうだけれど」


 私の軽口を凛華が婉曲にたしなめる。生徒会における上役兼護衛対象にするとは思えない言い様に反射で言い返してみたけれど、そこにどんな感情が込められているのか、寄せられる各々の意識を前に軽口を叩きたくなった性分は否定出来ない──出来ないけれど、だからといってやるべき事をおろそかにする気はない。


 その為にはまずおおよその反応を知らなければならない。私は大勢の前で発言する際の前提セオリーに従い視線を辿っていく。天乃原学園の制服に身を固め、円周の壁沿いに囲うよう配置された男女の集団。生気を感じない二人の女性を侍らせた長身痩躯の男。そして、刀を振るう女生徒──当真瞳子──の攻撃を片手に携えた薙刀でいなす、これまた生徒に扮した女。


 それらを見るに、深く考えず滑らせたパーティーという単語はあながち的外れではなさそうだ。半分以上は部外者の上、見かけ通りの年齢かどうかも怪しいのでパーティーといっても仮装が頭につきそうだが。


 ただし、そのパーティーはほんの少しのきっかけで別の方向へと盛り上がっていきそうな気配を漂わせている。このままお開きにするか、鉄火場に変わるかは私次第──そう、ここから先は他の誰でもない私の戦場だ。


「このような体勢で失礼します天乃宮姫子さん、私は──」


「社交辞令は結構よ、当真瞳呼。そこの黒幕とやらから聞かせてもらったわ。あなた、異能者以外は人と認識してないのでしょう? どう見えようが関知しないけれど、外面を取り繕われても不愉快だわ」


「──なるほど、君は“カナリア”というわけか」


 黒幕と嘯いた男、月ヶ丘清臣が察しよく桐条さんを見る。それにあわせて証明、もしくは種明かしとばかりに上着の内側を開く(スタイルのよさをひけらかしているようにも見えるけれど、彼女に限ってそんな意図はない……はず)と当真家から支給された武装を収納するホルスターが懐に。距離を考慮すると目を細めればおそらく集音マイクが付いているのが見えると思う。つまり、桐条さんが講堂に入ってから全ての会話は私に筒抜けだったというわけだ。


 ちなみに月ヶ丘清臣が桐条さんを“カナリア”と例えたのは、その昔、炭鉱での作業における毒ガス検知に件の鳥類が使われていたからだろう。常に鳴いているから先行させ生きていればガスはなく、反対に鳴き声が聞こえなくなれば死──行き先にガスが発生しているという証となる。


 炭鉱を講堂、毒ガス検知を当真瞳呼達の調査と換えるなら、言い得て妙だといえなくもないが、私は桐条さんを使い捨てにするつもりは毛頭ない。けれど実際は、彼女ただ一人で潜伏先向かわせるという危ない橋を渡らせるしかなかった。一方で別行動をとってまでやらなければならなかった事、それは──


「──成田稲穂を天乃原学園に転校させる、私達生徒会が打てる手段の中で最も効果的なものを選ばせてもらった」


 集音マイクから聞こえてくるのは、月ヶ丘清臣に手の内を明かす桐条さんの声。その締めくくりに用いた“私達”という単語が私をそう悪くない気分にさせる──ただ、出来れば私にその役を譲ってほしかったというのはこの場合無粋だろうか。



 成田稲穂を天乃原学園に転校させて味方に引き込む──その提案自体は比較的早い段階から挙がってはいた。しかし、手続きや事前の根回しといった実現への難度、心情面、共に採用を即決出来るものではなく、仮にこちらが過去のしこりを振り捨てて手を組もうとしても成田が首を縦に振るとは到底思えなかった。


 とはいえ、実現するかどうかを除けばこれほど効果的な策はない。実行犯である成田稲穂の取り込みは生徒会室襲撃に関して“確たる証拠”を得たに等しいからだ。背後にいる存在が一刻も早く居場所を突き止め、直接勧誘する必要があった。


 その手がかりは個人的な因縁がありありと見える平井さん。彼女なら居場所に心当たりはあるだろうし、海東姉妹が動く今日なら接触する可能性が高い。桐条さんには授業を全て欠席して張り付いてもらい、その間私と凛華は同じく授業を休んで成田稲穂の学籍を今日付けで天乃原学園によう、時宮高校そして当真家への根回しに奔走していた。


 成田本人の意思を後回しにして学籍を天乃原へ移すなんて事後承諾の手法がすんなり通るとは思っておらず、当然、反発も覚悟していた──むしろ、成田の気性を考えるとそうなる未来しかないはず──がそこはどうにか交渉で納得してもらうつもりでいた(時宮の出身者なら何人かいるし、なんとなくうまくいく気がする)。


 その結果、大方の予想通り平井さん繋がりで成田の遭遇に成功し、大方の危惧通り潜伏先敵地と化した講堂へと桐条さん一人、足を踏み入らせた。まさか、成田も平井さんを狙っていたのは想定外だったものの、なし崩しに共闘に至ったので手間が省けてよかったといえる。


 保険にと桐条さんに持たせた集音マイクも功を奏した。状況や居所を逐一把握し、最悪、桐条さんを敵のただ中に放り込んでしまったとしても、マイクの存在を露見させれば、正面切って敵対の意思を見せなかった相手の事だ、桐条さんに手出しするのは控えるだろう──虎の威を借る狐というべきか、そういった駆け引きを桐条さんが望まなかったので、“ネタばらし”は最後になったが。


 しかし、そのおかげで敵を知る事が出来たので結果オーライというところだ。本音と建前が蔓延る権力の世界では、例えば相手の本心がわかっていても確証がなければ動けず歯がゆい思いをするのが大半だった。けれど今回はその心配はいらない。



「──人を犬猫扱いする女にそれに与する男、どちらも交渉の余地はないわ。ここは天乃原学園で仕切りは生徒会長である私。そしてあなた達はただの部外者──それも不法侵入。わかったらとっとと彼女を置いて消えなさいな」


「──だそうよ。いつまでも片手で防ぎきれるわけでもなし、その荷物は早めに手放すのを勧めるわ」


 当真瞳子と当真瞳呼、それぞれの得物同士が油断なく互いを探る。一見、両手を自由に出来る当真瞳子が有利、しかし、当真瞳呼も薙刀を片手から肘、脇にかけて固定させ(長い柄の利点で触れた部分の体積が大きいほど掛けられる力が強い)拮抗へと持ち込んでいた。


 力なく抱き抱えられたままの成田稲穂は目覚める様子はなく、小柄で大人しく寄りかかる寝姿は一種の保護欲をそそられそうではあった。這いつくばらされた挙げ句、頭なり肩なりを足蹴にされた身としては、全く思わないのであくまで客観的にそうなのだろうという話。


「そういうわけにはいかないわ。稲穂には私の事を存分に知ってほしいもの」


「本人が寝ているのをいいことに随分な物言いね。勝手な名前呼びは嫌われるわよ?」


「話せばきっと許してくれるはずよ。だって私は誰よりも異能者彼女の事を案じているもの。その証明としてこうやって刃の前に立っている」


「気に入っているというのは本心でしょうけど、表に出てきた理由の全てではないでしょう? がいるから確実に──、どうも回りくどいと思ったら、そういうわけか」


「あら、得意の裏工作でも思いついた?」


「──いいえ、残念だけど脚本に割り込む余地がない事に気づいただけ。私もあなたもエキストラの一人でしかないわ。あぁ、でもあなたはちょっと違うかも──ねっ!」


 抜けば魂散る氷の刃──刃引きされていない本物の凶器を幾度となく打ち合わせ、その度に魂──命──ではなく軽口と火花を散らせる二人。もはや引き金となった私や成田稲穂の存在など意識の外と言った様子だ。


「私はいいけど、成田の方は大丈夫かしら? 仮にもうちの生徒を死傷されるのは困るわよ」


「──心配する事ないよ。瞳子ちゃんならうまくやるさ」


 緩いイントネーションで友人を庇うのは、中性的な容姿が特徴の篠崎空也。その隣にいる刀山剣太郎ともども成田がどうこうされるとは露ほども思っていないらしい。


「あなた達の常識やつきあい方を多少なりに見ていると頷きにくいのだけれど……」


「うーん、つきあいって意味だと、瞳子ちゃんとなりちゃんは相性悪いからね。……たしかに言われてみるとちょっと不安かも」


 妥協から生まれた微妙なセンスの呼び名(成田が下の名前で呼ばれるのを嫌うからだろう。馴れ馴れしさではどっちもどっちだと思うが)と、言ったそばから下り坂の信用に頭が痛くなる。とはいえ、いくら悩ましさを抱え込もうとも私には釘を指す代わりに恨めしげな視線を送るしか出来そうにない。


「──心配は無用だ。双方、異能を使うほどには全力ではない。あれでは何十と斬り合えども“間違い”は起こらないだろう。それに俺も空也もいる、成田を取り戻すだけならさほど苦労はない」


 珍しく(というより初めて)、刀山が二言三言を超えて言葉を紡ぐ。普段、多弁ではない分、硬質な音の響きは独特の説得力があり、不思議とその気にさせられる。狙ってではないだろうけれど。


「『新世代』とかいう連中は?」


「ものの数にも入らない。質はある程度個人差があったが、それなりにやれるなら成田がとうに排除しているはずだ」


 凛華の問いにも刀山の返しは淀みがない。因縁の相手に思うところはあるはずの凛華は刀山と傍観しているだけの『新世代』を交互に見、愚問だったとばかりに抗弁する事はないようだ。


「なんにせよ、おまえ達の敵は『新世代』でも当真瞳呼でもない。天乃宮が学園の責任者として戦う相手は別にいるはずだ」


「それもそうね。交渉するつもりはないけれど、この落とし前をどうするか弁解してもらわないと──この一連の騒動、月ヶ丘としてはどういう腹積もりなのか。聞かせてもらえるかしら? 月ヶ丘清臣


「仰せのままに。天乃宮の姫君よ」


「──姫君、ね」


 月ヶ丘清臣の気障ったらしい表現に鳥肌が立つのを感じつつ、表向き鷹揚に受け流す。名前と掛けたつもりだろうけれど、自分の名前にコンプレックスがある身としては全く響いてこない。──上手い事を言ったつもりか、そう叩きつけてもよさそうだが、それはそれで大人げない気もする。まぁ、どう呼ぶかなんてどうでもいい。それよりも──


「──それで月ヶ丘としての弁明は? 聞く耳はあるつもりだけれど、返答を間違うとしかるべき手段を即座に実行するつもりよ」


「いささか過激かつ挑発的だったのは言い訳しようもございません。ですが、私達月ヶ丘に弁明を問われるのだとすれば答えはただ一つ、“売り込み”です」


 差し向けた水に逆らう気はない、という事か、月ヶ丘清臣の態度は成田や桐条さんを相手にした時とは違い、その様は鳴りをひそめている。しかし、本人の言葉通り、目的もも穏当とはほど遠い。


 何を売り込みに? ──と聞くほど察しが悪いつもりはない。月ヶ丘がこの学園で見せたものは一つしかない。


「人工的異能者『新世代』。月ヶ丘家は再び“武家”として生きる為、その力を誇示しに来た──今日はそのお披露目というわけです」


「つまり、天乃宮を相手にした営業というわけね」


「そう受け取ってもらって差し支えありません」


 ──天乃原学園人の敷地を散々踏み散らかしておいてよくものたまえるものだ。 話し半分も聞く価値はない、そう結論に至った私の機微がわからないわけではないだろうに面の皮が厚いのか、月ヶ丘清臣の姿勢は崩れない。


「──あながち、丸々が嘘というわけじゃないのかもしれないよ」


「どういう意味かしら、篠崎空也」


 滞りがちになりそうな会話の間を縫って添えられたのは篠崎が発した月ヶ丘清臣の言い分を肯定する一言。あまり接点がない(どころかほんの少し前まで敵だった)篠崎がまるで私を手助けしている風で少しばかり困惑する。ただ、意図はともかく話の継ぎ穗がありがたいのは事実。妨げる事なく、続きを促す。


「月ヶ丘の主な事業は学校経営なんだよ。うろ覚えだけど、たしか小中高大の一貫校で規模は大きいし、その方面で手広くやっていたはず。でも結局はただの一私立校だから、自治体に影響をもつ当真と比べると少し落ちるかな」


 それでもすごいんだけどね、と細々しいフォローが入る。学校経営に同じく携わる天乃宮と比べなかったのはどこに向けた配慮なのか、それでもなるほどと、お家事情は透けて見える。


 元より隣人であったはずの当真家は地元に多大な影響力を持ち、権力・暴力問わず現代でも通用する一方で、月ヶ丘家は学校経営で財を成したとはいえ聞く限り武家の本質は失い、社会に通用する影響力も微々たるもののようだ。婚姻で結ばれたわりには──いや、そうして地続きになったからこそ、両家の格差は何かしらの影をおとしたのかもしれない。


「見たところ、そういう俗っぽい事には興味なさそうなのに意外ね」


 月ヶ丘清臣を見ながら言う。目の前の学者然とした男からは良くも悪くも金目や権力、旧家同士のしがらみといった社会的ながしない。それらの価値に興味がないのは短いながらも察するのは容易い。


「武士は食わねど──というわけにもいかぬものでして、ね。霞だけで生きていける異能者に心当たりがないわけでもありませんが、月ヶ丘家も現状の事業だけでは先が見えているのでそういった俗も必要なのですよ」


 率直さが半分、あと半分は皮肉を混ぜた私の感想に温度を感じさせない受け答えが時折聞こえる剣撃に紛れて消える。初耳の情報もあって篠崎の注釈はたしかに傾ける部分はあったが、月ヶ丘清臣はもとより月ヶ丘本家、果ては『皇帝』や『王国』をはじめとしたこの一連の騒動に関わった全ての異能者がそんな理由で動くのか? そこのところがどうしても釈然としない。だからこその残り半分の皮肉だったわけだが、表向きはともかく、天乃宮に心からへりくだったわけではないとありありと分かるだけでも今のところは充分だろう。


 少なくとも“それ”がなければ、天乃宮の息のかかった学園で研究成果『新世代』の実戦テストなどとふざけた真似をするはずがない。つまるところ、あるのだ。私相手くらいなら言い逃れ出来る──出来ずとも困らないだけの理由が。逆に言えば、その理由は私にとって有益である可能性も──


「──やるね。ちゃん」


 特徴的なイントネーションに思考が現実へと還る。私が皮算用をしている間にも当真瞳子と当真瞳呼、それぞれがちらつかせている刃が手加減の気配なく空間を削る。いったい幾度目の攻防だっただろうか、篠崎の言葉の意味が私の目から見ても納得の形となる。当真瞳子が均衡を破り優位に立ちつつあるのだ。


「──一位? ──十四位? いったいいつの話かしら? 今の私は純粋な剣技だけでも剣太郎剣聖相手にそこそこやれるのよ」


 ──まぁ、まだそこそこ止まりだけどね、と冗談混じりに悔しさをこぼす。ただし、そのほどは白鞘の刃から伝わる剣撃の重さが内心を表している。剣に詳しいわけではないのだけれど、案外そちらは正直なのかもしれない。かすかに漏れる吐息は刀山の苦笑か。負けず嫌いだ、とばかりに見る目はすでに当真瞳子の勝ちは揺るがないという見立てだろう。


 たしかに当真瞳呼の逆境は演技ではなさそうだ。かたや息をつかせぬ連撃、かたや防戦一方でどうにか追い払っている印象、その防御もほんのわずかではあるが反応が徐々に遅れている風に見てとれる。


「でもそれはあなたに関係はない。本当にどうでもいい話。──だからとっとと返してもらって終わりにしましょうか」


 当真流剣術の構えがさらに低くなる──そこから繰り出される技といえば、私の知る限り、一本指歩法『不知火』からの刺突、『火竜』。しかし──


「──本当に大丈夫なの?」


 ただならぬ構え、様相に疑いようもないけれど、ここまで当真瞳呼は半歩ほどしか動いていない。武器の特性を込みにしても圧しているのは間違いなさそうだ。


 しかし、切った啖呵の割りに手の打ちようもないほど追い込んでいるとは思えない。それでも篠崎、刀山の二人にこれといった動きはない。完全に観戦を決め込んでいる。そうこう考えを巡らせていると──


「──!」


 ひときわ強く跳ねる金属音。それに比例して上へと弾かれていく白木拵えの日本刀──当真瞳子の得物だ。やはりというべきか、当真瞳子の爆発的な加速にのった突きをピンポイントで捉え、返り討ちにしたのだ。地下を半円にくりぬいた講堂の天井は同じく丸みを帯びたドーム型の作り。つまり下手な建物よりも高く作られているけれど刺さるのではないかというほど上がっている。腰を支点に運用された馬力はそれだけに恐ろしいということ。


「ちょっ──」


「──誘ったね」


「あぁ」


 抗議に放り向いた私に被せる篠崎と刀山の台詞。言葉の意味を忖度する間もなく、聞こえるのは強く踏み込む音。当真瞳子のものだ。


「そうそう、薙刀が相手ならなおのこと内へ入っていかないとね」


 暢気にうそぶく篠崎。どうやら“誘った”とは得物をあえて弾かせる事で逆に隙を作ったという意図らしい。


 たしかに長柄の分取り回しは難しく小回りも比較的効かない上、一方で身軽になった当真瞳子は内に入れば入るほど勝算は高くなる。だがそんな簡単な話でもないはず。


 当真瞳呼も弁えているとばかりに体軸をコントロールし迎撃した薙刀を引き戻すと、近寄りつつある当真瞳子に対して横へ文字通り薙いでいく。たかが柄とて侮れない。人を害する為の作りは総じて頑強に出来ている。そのままいけば当真瞳子のわき腹は粉砕されかねない。仮に腕で受けても無事では済ます、最低でも足は止まる。そうなればじり貧──いや、もはや詰みだ。


「──とうこちゃんなら大丈夫」


 それはもはや予定調和の一言だった。私があれこれ心配する間もなく答えがでる。当真瞳子の空いた両の手のひらが迫る柄を受け止めんとばかりにわき腹のあたりに添える。まるで誰かの異能を連想させる光景。


 しかし、効果はもちろん違う。突き出された薙刀の勢いをむしろ手助けするように後ろへと流れていく。威力は増したが切っ先の向こう側には当然ながら誰もおらず、虚しく空だけを突いて斬るだけ。端から見れば引っ張られたに近いがその程度で当真瞳呼は揺らぎはしない。だが、受け流した方の当真瞳子の腕は伸び、その分だけ内側、当真瞳呼の懐へと進んでいく。


「当真流合気、『ながし』。ま、つまりは入り身の事だよ」


 手繰るように伸ばされた腕が長柄の手元、さらに反対側へと届く。反対側と言えば、腰に回す形で成田を抱き止めた右手。その手首を取るとわずかに外側へ捻る。たいして力をいれた感じではないけれど、そこは柔、いや、合気の妙だろう。成田を固定していた空間が開かれ、支えを失った成田の体が崩れ落ちる。


「救出成功──だね」


「──あぁ」


 そういいながらいそいそと準備を始める篠崎と刀山。


「ちょっと、どうする気!?」


「俺達が付き合うのは成田救出までだ」


「元々付き合う義理もなかったんだけどね。多少なりともサシでやらせないと瞳子ちゃんの機嫌が怖いんだよ」


 相変わらずの端的な物言いと、緩いイントネーションでそう言い残すと、二人がこちらが止める間もなく飛び出していく。


「──ここまでかしら、ね」


 ひとりごちる当真瞳呼の声色にはどことなく諦念がみてとれる。どちらにしても当真同士の剣劇に決着がつけばどうなるか理解していたという事か。それでも薙刀の切っ先は近づく者を許さじと、間合いに侵入する敵を斬り捨てようと動く。だが、真っ先に迎撃に向かった相手が悪過ぎた。


「ソードウィップ」


 不自然に曲がる刀身がカーボン素材の柄を音もなく断ち割る。重力に従って落ちる薙刀の先はさすが名刀いうのか舞台にその切れ味を発揮し深々と沈んでいく。


「(──正直、当真瞳呼に同情するわ)」


 桐条さんと成田が『新世代』に囲まれた時ですら感じなかった居心地の悪さが鎌首をもたげる。私が何をするでもなくどうにかなりそうなのはもちろん、悔しくも同盟相手が頼もしすぎるからだ。だが、そこにとらわれるほど余裕があるわけもなく、決して依存しないよう心に留め置いて、今はただ勝ち馬に乗る。


「しばらく寝てなよ──当真瞳呼」


 当真瞳子同音の友人にするような間延びした調子は失せ、冷めた物言いの篠崎が自身の間合いまで詰める。『空駆ける足』での回避・反撃が困難な位置取りからの、変則的な軌道──ブラジリアンキックだったか──の蹴りが当真瞳呼の肩甲骨あたりを目掛けて振り落とされていく。

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