幕間二

「──少し寒くなってきたな」


 換気の為に空けた窓から吹き込んでくる思いの外強い夜風に首を竦める。考えてみれば山を切り開いて建った建物のそのまた最上階の角部屋だ。街で吹く風とは一味違うという事なのだろう。


「……予定より早いが閉めるか」


 角部屋のリビングという構造上、併設されたベランダはL字型で長方形の内の二面が窓になっている。両方をわずかばかり開けて風の通り道にしたわけだが、想像以上に冷えてしまった。一人暮らしでよくある無意識の独り言に気づいて苦笑しつつ、リビングの窓を閉めにかかる。まずは街を見渡すのに最適な南側の窓に鍵を掛けていく。


 高原市の北側にある日原山に建てられた天乃原学園の施設は基本的に南側を正面として建てられている。見晴らしの点もそうだが、高低差のある山でわざわざ高くなる他の方角を正面玄関にするわけはないので、当然と言えば当然の話。反対に山を挟んで学園のある位置に建てられたキャンプ場の施設はその大半が同じ理由で北側を正面としている。


「?」


 もう一方の窓を閉めようとして、止まる。理由は。風に舞ったカーテンごしに映ったのと、ここまでのモノローグと行動に既視感を覚えたからだ。


「──何してんだ? 


 今度はさほど間をおかずに問う。誰を真似たのか、ベランダから侵入してきた元同級生に向けて──



「──いやぁ、瞳子ちゃんに聞いたよ。ちょっと前に二人で飲んだんでしょ? 面白そうだから、僕らもやりたいと思ってね」


 瞳子とうこと間延びしたイントネーションで呼び、手に下げたコンビニの袋をさりげなくこちらに手渡してきたのは、件の元同級生その一である時宮高校元序列七位、『空駆ける足』篠崎空也。


 たまに性別のわからなくなる容姿と所作から想像出来ないが、空中戦のスペシャリストにして360度フルに利用する三次元戦闘法『空間殺法』を駆使する唯一の異能者だ。また、俺を比べて頭一つ分低く華奢な体格とは裏腹に運動神経や馬力といった身体能力にも優れていて、思わず受け取った袋の重量からもその片鱗を伺わせていた。というか、どんだけ買い込んだんだ? これ。


「……まぁ、そういう事だ」


 と、空也に任せっきりだった俺への説明を締めくくったのは、空也と共にベランダから侵入したもう片方(つまり元同級生その二)である──時宮高校元序列三位、『剣聖』刀山剣太郎。


 こちらは鋼に例えられるほどお堅そうな見た目に反してマイペースな性格で、人の部屋から漫画やラノベを借りに来ては好き勝手に読み漁っていく──あとついでに飲み食いもする──のが日課になっていて、今も慣れた手際で部屋の本棚から漫画を抜き取り、ベッドでくつろいでいる。


 ここだけ聞けばただのだが、『剣聖二つ名』にふさわしく古流剣術当真流師範である瞳子以上の剣の使い手で、こいつにかかれば、棒切れで鋼鉄を斬る事も、逆に斬ったという事実を“なかった事”すら出来る(斬られた相手は当然死ぬ事はないが、逆に言えば手加減の必要はなく相手によっては斬撃をしこたまくらい死んだ方がマシをいうところまで追い詰められていた。その場合、だいたいがそいつの自業自得だったが、実際に目にしてみると多少同情しない事もない)。つまり、斬るという事象を自在に操る、まさに“聖人”と呼ぶにふさわしい奇跡的な剣技の持ち主だ。


 そんな屈指の戦闘力と奇跡ともいえる異能を持つ二人は、呆れと非難がない交ぜになったこちらの視線などどこ吹く風という様子。付き合いはそこそこ長いので図太いのはわかっているし、あれよあれよと部屋に入り込んでくるのを今更目くじらを立てるつもりもないが、それでも一言言ってやらなければ気が済まない。


「だからって、毎度毎度ベランダから侵入するのまで一緒にするこたないだろ?」


「酒瓶下げたまま寮の廊下は歩けないでしょ? だったらベランダから入るしかないじゃない」


 手渡された袋は四つ。内二つは空也の言うように酒瓶やビールの缶といったアルコール飲料類が、残り二つにはサラミやらスルメといった酒のの文字やらイラストが踊るパッケージがそれぞれ見え隠れしている。先日、瞳子が持ち込んできた時はアイスの箱でカムフラージュしていたので中身を仕分けるまで気づかなかったが、今は持ち手が張り詰めるほど伸びた袋から少し覗くだけでそれとわかるほど自己主張している。まして袋の数も倍だ。これではたしかに寮内を歩けたもんじゃない。


「つうか、こんな量、いつ、どこから仕入れてきたんだ?」


 飲みに誘うくらいなので、言い出しっぺである向こうが酒を確保しているのは道理だが、それにしても随分と用意のいい事だ。生徒の大半は寮住まいで平日、休日問わず校門を開放している時間は極端に短く、また許可もいるので外出できる機会そのものが少ない(そもそも学園が山の中腹にあるのでバスによる通学が基本だ)。一応、休日の外出やそれ以外の出入り用にこじんまりとした通用口があるが、そちらも許可がなければ通れないし、当然、手荷物はチェックされるので普通に入っても没収されるのが関の山である。


 ちなみに俺の私物にあるような漫画やゲーム類といった娯楽品は没収の対象になっていない。持ち込みのチェックはあるが、高校生活──未成年が持つには著しく不適切な物以外は学生の自主性を重んじるという学園の原則ゆえに所持を認められている。


 反面、校則の順守に関してはかなり厳格だ。これは学生の自主性──言い換えれば権力を誰よりも行使できる生徒会が同時に校則の番人も担っているからだ。自らを律することができるからこそ大人外部に介入されずに自治を保てるのだから、それはもう手抜かりは許さない。特に現在の生徒会長である天乃宮姫子からすると学園の原則を揺るがすということは創業一族としての沽券にもかかわる。二重の意味で不祥事はご法度。当然、袋がはち切れるほど大量の酒を寮どころか学園内に持ち込むなんて普通に無理だ。


「『空駆ける足能力』でひとっ走り行ってきたんだ」


 会長が聞けば目眩すら覚えそうなことをしでかしておきながら、空也があっけらかんと手口を言い放つ。なるほど、学園が日原山の中腹にあるといっても、空中を走れば麓の街まで直線距離で数キロといったところだろう。体力的にも能力の負担カロリー消費の面でも空也なら容易くこなせてもおかしくない──異能の無駄遣いと思わなくもないが、それも今更な話だ。


「まぁ、明日は授業ないし、別に飲むのは構わないんだけどさ。瞳子の奴はどうしたんだ?」


 ベランダからの侵入からここまでのやり取りの間、俺と空也、たまに剣太郎の三人だけで瞳子の姿はない。瞳子の事だ、もし誘われなかったと知ったら、(俺が)どんな目にあわされるかわからない。最低でも厭味ったらしい小言を延々と聞かされる羽目になる。


「誘ったけど、用事があるって出て行っちゃった」


「出ていった? こんな時間に?」


 時計を見ると、夜の10時を回っていた。出掛けるにしても学園から出られない──という事もないが、どこに行くというのだ? しかも明日は休日、正式な手続きを踏めば外出するのに問題はない。よほど急を要する事でもあったのだろうか?


「あの様子だと、時宮へ、かな? 誰々との連絡が取れないとか、受け入れの準備がどうのだとか携帯で話していたよ。時間的に考えて今日中には戻らないだろうね──早くて明日の朝じゃない?」


「──なら仕方ないか。それはいいけど、飯はどうする?」


「──優之助、知ってる? お酒って何かお腹に入れてからじゃないと体に悪いんだよ」


「つまり食べるって事でいいんだな? この前開けた餅があるけど、それでいいか?」


「あと、おつまみもあるよ」


「そういや、そうだったな」


 手から伝わる重さから察するに一晩中酒盛りしても不足はない。なのでまぁ、そういう事になった。……とりあえず一言は言えたんだ。だから、いいんだ。



「──ん?」


 瞳子の時と同じくオーブントースターを運んでいると、ベルの音を模した電子音がリビングに響く。来客が部屋の前まで来ているのを知らせるチャイムだ。


「こんな時間に訪問とは珍しいな」


「だね」


「おまえらがそれを言うか?」


 と、突っ込んでみたものの、たしかに二人の言う通りだ。そもそも俺の部屋に来る人間なんて数えるほど、しかもベランダからしか来ないので二重の意味で珍しい(それだけ非常識な連中というわけだが)。


 そんな事を考えている間にも二度三度と続けざまにチャイムを鳴らす訪問者。──せっかちな奴だ。早く出迎えろと催促されているようで少々腹立つものがあるが、放っておいたとして止まるわけでもないだろう。それに急ぎの連絡という可能性も全くないとは言えず、空也と剣太郎に準備の続きを頼み、玄関まで足を向ける。


「はいはい、もう鳴らさなくてもいくから待ってろ!」


 防音が利いているので聞こえるわけはないだろうが、なんとなく声にしてみながら、扉を開ける。そこにいたのは──


「遅せぇよ。とっとと中に案内しろや」


「夜遅くに済まないな、優之助。改めて再会の挨拶に来た」


 ──そこにいたのは、時宮高校元序列五位、『王国』王崎国彦と、元序列十位、『皇帝』月ケ丘帝。先日の入学式でしのぎを削った相手、つまり敵陣側にいるはずの二人だった。



「よお、空也、剣太郎」


「あれ、国彦? どうしたのさ? ──『皇帝』も」


 出迎えた俺を押しのけんばかりに部屋に入ったかと思えば、先日の敵である空也と剣太郎にあっけらかんと挨拶する国彦。対する空也と剣太郎のリアクションも虚を突かれたという感じだが、それは突然の訪問についてであって、物騒な方面へと展開しそうな気配はない。敵味方の立ち位置が頻繁に変わる時宮では昨日の敵は今日の友(その逆も含め)なんて珍しくないからだ。本能や信念に従い、この世界に向けて我を通す者同士だからこその恨みっこなし──それが異能者が他者と付き合う際の指針だ。


「強いて言えば引っ越しの挨拶だ」


 帝の物言いはそっけないが、こちらも普段通りで敵味方の別はない。仮にも砲弾じみた蹴り足を向けてきた空也を相手にしても。


「へぇ、入寮したんだ? 入学式以降見かけなかったからてっきり高原の街のどこかに住む所を用意したものかと」


「通学が面倒でね、寮にしたのさ。入学式の時点ではまだ手続きが終わってないから、数日ホテル暮らしだったがね」


「あぁ、夕方の頻繁な出入りの理由はそれか」


「……そうだったか? 全然気づかなかった」


「優之助が気づかなくても無理はないよ。僕だって、部屋の斜向かいで荷運びしていたのを偶然見ただけだからね。そこに国彦達が入るとは思わなかったけど、要は近かったから気づいただけさ」


「それは僕個人の部屋だ。『王国』は『剣聖』の隣だ」


「相部屋じゃないんだ」


「この男と同じ部屋は遠慮したいのでね、別の住人に穏便な交渉で他へと移ってもらった」


「へぇ、よくもまぁそんな無茶を聞いてもらえたもんだね。本当に穏便なのかな?」


「少しが交渉の範囲内だ。当真瞳子じゃないんだ、一学生をどうこうするわけがないだろう──それくらいの常識と良識くらいは弁えている」


なんて発想がすでに常識外れだと思うけどね」


 ──こんな会話だが、別に険悪だというわけでは、ない。気にせず、袋から中身を取り出す。缶ビール、ワインボトル、梅酒の紙パックにソーダ割用の炭酸、質より量を重視したという以外、特に目につくところのない無難なチョイスだ。つまみは外から見えた通り、スルメやサラミといった酒飲み用のものが多く、菓子類はない。それらと合わせて、すでに運んだ餅焼きの為のトースターがテーブルの中央に鎮座する光景は、どれから手を付けようか始まる前から心が浮きたってくる。


「なんだ、今から飲む気だったのか?」


「ん? そのつもりで入ったんじゃないの?」


「気配がしたんでな、空也と剣太郎おまえらにも顔を合わせようとしただけだ──しかし、飲み会とは面白そうじゃねぇの、俺も混ぜろ」


「え、おまえも……」


 国彦の参加表明に俺や空也だけでなく、剣太郎でさえ固まる。『王国』の燃費の悪さは同級生の間で周知の事実だ。当然そこに起因する大食も同様に知れ渡っていて、卒業後は武装集団『王国』の暴れっぷりに加えて大酒飲みの噂もついでに広がっていた。飲む量が食う量と同程度ならテーブルにある分だけでは到底足りない。


「心配するな。てめぇの分くらいてめぇで持ってくる。取りゃしねぇよ」


 そう言い残し、一度部屋へと戻る国彦。その背中がいつもより大きく見えるのは本人の器によるものか、単に現金でみみっちい俺の器がそう見せるのか。正直、国彦の飲み食いを心配しなくていいというのは助かる。


「──そうなると、僕も何か用意した方がよさそうだな」


「その手にあるのでいいよ。何かはわからんけど」


 手ぶらで来た国彦と違い、帝は再会の挨拶に上等な包み紙でラッピングされた箱を携えていた。たかだか住む寮が同じになっただけで土産とは水臭いと思うが、それをつまみの一つにすればちょうどいい。


「残念ながら、中身は引っ越しそばだ。あまり気を使わせるのも、と思って定型通りなものを選んだつもりが……失敗だったよ」


「なら、それが参加料代わりでいいさ。国彦ならともかく、帝一人くらいならありもので充分賄える」


 ──だから気にするな、と言った俺をしばらく見、ようやく自分の中で決着したのか首を縦に振る──肯定と感謝の意だろう──帝。


「(──まだ難しいか。無理もないけど)」


 人の好意(というほど大したものでもないが)に慣れていないせいで不器用な友人に内心苦笑しながら、そばの箱を受け取る。さすがに今茹でて食べるわけではないのでキッチンの棚にしまい、入れ替わりに一パック1kgの餅袋を追加分として取り出してリビングに戻ると、すでに国彦は戻っていた。やけに早いが、ダンボール二つ分を平然と抱えているのを見るに、持ち出して来たのは間違いないようだ。


「あ、国彦、ソファー使うなよ、ベッドも駄目だ。地べたにしてくれ」


「あん? 充分座れるサイズだろうが。ケチケチすんなよ」


大きさサイズの問題じゃなくて、重さの問題だ!」


「なんだ、安物か」


「普通の家具はエレベーターにお断りされるような重量を想定してねぇよ! おまえんとこの特注品と一緒にすんな! 床ずれするような繊細な作りしてるわけでもなし、別にいいだろ」


 まぁな、とおざなりに返す国彦。机近くの適当な場所にダンボールを縦に二つ重ね置き、その横に腰掛ける。2m超のガタイがそこにいるだけで1人では余るはずのリビングが一回り小さくなった気がする。


 そんな国彦がどちらかと言えばソファーに近い場所を占拠し、対面のベッド側には空也と剣太郎がそれぞれ座る。入学式の日の午後この前、会長達と遅めの昼飯を食べた時と構図は似た感じか。会長達の側に国彦と、自然、座る位置が限られ仕方なく国彦寄りを陣取る事になった帝、彼らと対面の空也と剣太郎の中間のスペースを座る俺で全員の席が確定する。


「──それじゃあ、始めますか」


 準備が完了したのを受け、宣言する。トースターに餅を投入する者、それを見て開封したスルメを横から突っ込み炙ろうとする者、見慣れないパッケージをためつすがめつする者、フライングして一升瓶を煽る者、各々の視線がこちらに集中し、了解のサインを示す。


「見事にバラバラだな」


「いいんじゃない? 僕ららしくてさ」


「そもそも敵味方に分かれて立ち位置が違う。合わなくて当然だ」


「味方の中ですら統一性がない、と優之助は言いたいのだろう。敵対している身としてはお粗末さを見せられて少々複雑だよ」


「おまえも酒の席でわざわざケンカ売ってんなよ。別にここで好き勝手したって結果は変わらねぇさ──どうせ勝つのは俺なわけだしな」


「とかいいつつ、火に油を注ぐなよ。せっかくだし、乾杯の一つくらいやろうぜ」


 手近にあった缶ビールの六缶パックから帯を外し、一缶ずつ回す。配り終えた五つのプルタブが炭酸を開放するのを見て全員の手が届きそうな高さに缶を持ち上げると示し合わせた様なタイミングでアルミの淵同士がぶつかり、くぐもった音を立てる。


「(──合わないと思えば、こういう風に合致もする。相性がいいのか悪いのか本当にわからんよな)」


 そんな事を考えながら、汗が滴る缶ビールを傾け、流し込んだ液体に喉を鳴らす──何日かぶりの酒は疑いようもなく旨かった。



「──で、ったのか?」


 それはほどほどに酒が回ってきた頃、国彦が唐突に出した質問だった。唐突かつ主語がなさすぎて、どうにも要領を得ない。


「やったって何をだ?」


「とぼけんな。瞳子とをだよ! 一対一サシで飲んだら流れでそうなるだろ、普通」


 ようやく意味を思い至り、自分の顔面が急速に熱くなる(酒を飲んだ状態で頭を使い、結果的に血の巡りがよくなっただけであって別にそれ以外の理由はない)のを感じる。いったい何を言い出すんだ、このデカブツは。


「その手の話もつまみの一つだろ。ケチケチしないで教えろよ。瞳子がくみしだかれるところなんて想像つかんが、だからこそ面白そうだ」


「──たしかに瞳子ちゃんのそんな姿は想像できないね。むしろ、尻に敷くタイプっぽいし」


 国彦が始めた下の話題に空也が興味津々とばかりに追従する。瞳子がくみしだかれる云々を想像できないのは俺も同じなので、残念ながら提供できるものはない──って、そういう問題ではない。


「あ、アホか! 二人きりだからってそうとは限らんだろ! 空也も乗るなよ! 後で瞳子に言いふらすぞ!」


 その一言が利いたのか、これは失言とばかりに口を抑える空也。さすがに瞳子を正面から怒らせるのは得策でないと気づいたようだ。だが、尻に敷くなどとある意味失礼な発言をしているので手遅れだと思う。表向き酔っていないように見えるが、不用意に口を滑らすあたり、意外とているのかもしれない。


「なんだ、ってねぇのかよ。つまらねぇな」


「つまらないけど、予想通りだとも思うよ。優之助が今まで据え膳を何度スルーしたと思ってるのさ」


「つまるもつまらねぇもあるかよ! 仮に何かあったとして、なぜ、おまえに娯楽を提供しなきゃならんのだ? ──あと、空也。やっぱ瞳子に言いふらす」


 はっ、と吐き捨ててそっぽを向く国彦。思いつく限りの単語を駆使して罵倒したいが、興奮した分さらに深まる酔いも手伝って、うまく頭と呂律が回らない──それはそうと据え膳とは何の話だろうか?


「なら、帝、おまえはどうだ? あれだけ。手ぇくらいだすだろ」


 懲りずに下ネタの提供を望む国彦はその矛先を今度は帝に向ける。瞳子を怒らせる可能性を提示しても堪えないのだから誰も国彦を止められない。そして現状、雇い主である帝にも遠慮が全くない。


「(こいつ、懲りてねぇ……。というかマズいな、帝はその手の絡み方は──)」


 権力のおかげで恵まれているという誤解、その内の一つがロイヤルガード少女達であるという嫉妬、どちらも帝にとって逆鱗に触れかねない、言わば"悪手"だ。帝の過去において地雷トラウマの最たるもの、月ケ丘の家と土地の両方で散々味わってきた"嫌がらせ"を目の前で再現され、酔いで体が熱いはずなのに奥の方が冷える。


 半ば本気で苛立ちを覚えながら、どうやって止めさせようか思案し、違和感に気づく。──もしかして国彦は帝のトラウマを知らないのでは? と。いくら国彦が傲慢と粗忽と大雑把で出来ているような奴とはいえ、ここまで無体ではない。


 考えてみれば、帝を中傷していた手合いが国彦の周りでわざわざ妬み嫉みの混じった嫌味を言うはずがない。国彦だってそんな連中には興味がないだろう、高校時代を組織に誘う人脈作りと言って憚らない男がその価値もない人間など眼中の外だ。


 ただ、それはそれで問題だ。さすがに正面切って本人の前でトラウマを指摘するのは気が引けるし、婉曲に言ったとしても国彦に察しろというのは難しい。


「なぜ、貴様に話す必要がある?」


「固いこと言うなよ。酒の席だぜ? つか、その言い方はヤった事あるんだな?」


 フォローしようにも下手に口を出せないジレンマで躊躇う間も、傍から見れば綱渡りのような会話が続く。そうして生まれたのは帝にしては迂闊な返しだった。挙げ足を取られ、しまったとばかりに舌打ちを鳴らす。


「え、あるの?」


 らしくなく取った不覚もそうだが、暗に肯定し、またそれを取り消さない帝。それはつまり事で、今日どころかここ最近の中で最も唐突かつ、意外な言動に思わず国彦に便乗してしまう。ほとんど反射的に発してしまった言葉に帝は目を丸くするが、こちらが弁解や謝罪を重ねる前に、自らの体験を語る。


「──僕が当主になる少し前の話さ。曲がりなりにも当主である以上、世継ぎが必要になる。だがら生殖機能が正常かどうかの確認として、適当に宛がわれただけで期待するような色気のあるものじゃない。反応はするが、情緒もなにもない──実験みたいなものだったよ。感想からして酒の肴には向かない、むしろ場を白けさせるだけだと思ってね。遠慮したというわけさ」


「──帝、それ以上はいいよ」


 ことさら淡々と話す帝を見ていられず、ようやくそれだけを絞り出す。吐き出した分、喉が渇くのか手にしたワインを一気に煽る帝はどこか遠くを見るようで俺の言葉が届いているのか怪しい。


「そうそう、あれはさすがの僕でも困ったよ。ただ生殖機能を確認するだけなら体液を採取すれば済むだろうに、本当に実施しているか直接確──」


「もういい! 止めろ! ──充分、。だからいいんだ。なぁ?」


 ようやく焦点のあった帝と珍しく決まりの悪そうな国彦、双方に向けて確認する。それに対して国彦が、おう、と短く返す。悪気は──なかったのだろう。己自身が成り上がる先には、当主の立場は、どんな景色が見えるのか? ただ単純に知りたかっただけなのだ。


 そこに帝が味わってきたやっかみや嫉みといった含みはなく、無遠慮ながらも相手を知ろうとする──繋がろうとする想いが行動の裏にある。そして、いくら『王国』が異能者で一等頑丈さを誇るとはいえ、王崎国彦という男は"痛み"に鈍感ではないのだ。仮にそうだとしたら、集団の長として誰もついてきてはいない。いくら時宮の人間が変人・奇人の集まりとはいえ、尊敬に値しない奴の下につくほど酔狂ではない。


 ──すまない、誰が誰へと送ったのか小さな謝罪がリビングにする。しばらくの間、液体が器を満たす音と、口へ運ぼうと身じろぎする音とが場を支配した。


「──必要はなかったが、義理は果たしたぞ『王国』。これで問題はなかろう?」


「……あぁ」


 いまだ調子が戻らないのか、国彦の声には精彩が欠けている。そんな気まずい空気を振り払うきっかけを作ったのは、トラウマを抉られた当人であるはずの帝だった。


「なら、湿っぽい態度は止めてもらおうか。酒が不味くなる。おまえは今まで通り、図々しくしていればいい。普段ならともかく、今は酒の席だ。多少の無礼には目を瞑ってやる。暗黙の了解での無礼講に腹を立てるほど、狭量だったつもりはない」


「なら今度は俺の──」


「それは遠慮しておこう。おまえの発情話と同列扱いにされるのは無礼講の枠を超えて不愉快だ」


「ごめん、僕も耳にしていたことあるからいいや」


 しおらしくしてもやはり国彦は国彦というわけか、微妙にあさっての方向な気遣いを見せる。だが、それが功を奏してか、帝だけではなく空也も会話に割り込んでいく。もはや、さっきまでの重苦しい雰囲気はなく、にべもない拒否を受けた国彦が二人に食って掛かる。そして今まで動かなかったこの男まで、思うところがあるのか"爆弾"を投下する。


「──気にしなくていいぞ、『皇帝』。俺も似たようなものだ」


「は?」


 唐突な剣太郎の同類宣言に意図が読めない。それは帝だけでなく、空也と国彦も同様らしく、リアクションに困っているのがわかる。


「僕と似ているとはどういう意味だ?」


「言葉通りだ。異性に興味が薄いのでは? と心配されてな。わざわざ証明させられた」


「──?」


 動揺のあまり、変な合成単語が生まれる。"あるのか"と"なんだって"──返答の確認と、聞き違いがないのかの確認。二つが混ざり合い、癖の強い地方の様になってしまった。


「ね、誰誰? ……いや、だいたいわかるんだけどさ」


 空也が弾むテンションのままに相手を聞き出そうとする。いや、多分、だろうが、相手の名前まで剣太郎自身に言わせたいのだろう。今更だが、容赦の全くない空也に戦慄すら感じる。


だ」


 だが、剣太郎はそれをあっさりと凌駕する。国彦の口笛と空也の歓声、帝ですら唖然とした様を取り繕うのも忘れて剣太郎を見ている。どちらか、ではなく両方。つまりどっちも正解なのだ! ──なのだ! ってなんだ?


「ねぇ、どっちが先だったの」


「? どちらから挿入れたかは覚えていないな。あの時はたしか、が──」


「え、なに、それって3──」


 思わず空也の顔にクッションを投げつける。直接表現は個人的ジャッジでNGだ。


「んで、どうやって迫られたんだ? おまえからってのはキャラ的にねぇだろ? ──詳しく話せや」


 空也の追及に乗ったのはこれまた興味津々の国彦。帝相手にやらかしたのもなんのその。酒の肴にはもってこいとばかりに続きを催促する。剣太郎は別に構わないらしく(というよりはじめから話すつもりだったのだろう。隠す気があるならそもそも自分から言い出したりはしない。これもまた剣太郎なりの気遣い)、記憶をさらう様に首を傾げては時系列に沿って断片的ながらも語り出す。


「たしか──」


 ──ここから先は剣太郎の微に入り細に入りといった感じの説明の為、割愛させていただく。



「──多分、抜け駆けを牽制しあって疲れたんだろうね。足の引っ張り合いでチャンスを棒に振るくらいなら嫌いな相手と手を組んででも既成事実が欲しいって、ね」


「生々しい思考のトレースお疲れさま。とりあえず、その辺で勘弁してくれ」


 武士の情けはないようで、乙女の心理を身も蓋もなく分析する空也に白旗を振る。なまじ知り合いでイメージしやすい分、剣太郎の赤裸々な告白によって胃もたれしそうなほどのインパクトを受けた後なので色々限界が近い。なにせ誰にも見せた事のない部分の感想やら反応やらを性教育の授業でもしているみたいに照れもなく淡々(帝の時とは別種の)と話すのだ。聞いているこっちの方が恥ずかしいし、ネタにされた二人の事を考えるとまである。


 何気なく時計を見ると、日付は変わって一時の半ばまで回っていた。もうかれこれ三時間は飲んでいる計算、胃が重く感じるのは気のせいでも比喩でもないようだ──他はどうだろうか?


 それぞれに目を向けてみる。先ほどまで話題を提供していた剣太郎はあらかた話尽くしたとばかりに一人つまみを炙っては食べ炙っては食べを繰り返し、目の前の空也は時折ケタケタ笑いながらそれでもペースを落とさずアルコールを摂り続け、国彦も同様に酒をなみなみと注いでは水でも飲み干すように流し込んでいる。そんな中でただ一人、帝だけは床に突っ伏したまま動く気配がない。剣太郎がトースターを占拠する前までは辟易しながらも一緒にの話を聞いていたはずだが……。


「ちょ、帝? どうした」


「──完全に酔いつぶれているな」


 様子見に屈み込んだ俺を帝ごと覆う影──国彦だ。俺の体越しに帝の状態を確認してはどこか納得した風に表情を崩す。わかりづらいが苦笑だろう。


「飲み慣れてなさそうだったもんな。途中からピッチも早かったし、無理もない」


「あまり苛めてくれんな。これでも悪かったと思ってんだからよ」


 無茶な飲みの原因が自分にあるのを理解してか、獣じみた厳つい顔には苦さしか残っていない。俺としては帝が許した以上、いたぶるつもりはない(第一、俺も乗っかってしまったので、結果後押ししたといえる。国彦と同等に責められても文句は言えない)。ただ、それを弁解するのも面倒。つまみを口に含む事で適当に誤魔化す。


「──こんなでも一応、雇い主だ。もう少し気を遣えばよかったか?」


「らしくない言いぐさだな、国彦」


「俺をなんだと思ってやがる? ──こいつに手を焼かされるのは一度や二度じゃねぇよ」


 ──割自体はいいんだがな、という国彦の苦労性アピールはともかく、雇い主に頭を痛めているという点は嫌というほどわかる。特に後半、俺と瞳子にそのまま置き換えられそうだ。そのくせ、辞退するという選択肢がないところも、金で動くが金に使われるわけではなく、譲れないものの為にもがくところも、似ている気がする。


「──だから、まぁ、ここはひとつ部屋まで運んでやるのもサービスの内かと、な。その後はロイヤルガードあいつらに介抱を任せればいいんだからよ。どうせ部屋で待機してるだろ」


 さっきの気まずい質問の詫び(ついでにやけ酒に近い飲み方をさせた事に対する)としてか、国彦がいつになく殊勝な事を申し出る。というかこちらが有無を言う前に帝の体を軽々と肩で支え、足を抱え込む──いわゆる俵担ぎというやつだ。


「……酔ってる人間を運ぶのにそれはマズくないか? ──いや、こちらを向くな! から!」


 力なく垂れ下がる帝の上半身が振り子の様に左右に動く。それに合わせてくぐもった呻き声が国彦の背中あたりから聞こえるのは決して気のせいではない。


「何か言ったか?」


「いや! もういい! 変に振り向いたりせずに行け」


 怪訝そうにこちらを一度振り向いたが、特に抗弁せず帝の部屋へと(心なしか慎重に)歩を進める国彦。普通に考えれば背負った方が双方にとって(特に帝側)いいはずだが、2mある国彦に背負われた場合、入り口でつっかえる可能性もある。いつもより気を付けていそうだが、万一勢いよく通りでもしたら大けがしかねない。帝の胃が逆流する前に辿り着ければいいんだが……。


「──あれ? 『皇帝』も途中退場リタイヤかい?」


 国彦の背が玄関へと消えたのを見ていた空也が俺に声を掛ける。かすかにアルコールの匂いを纏わせ、それなりに"出来上がっている"はずだが、一見するといつもと変わらないように見える。


「帝?」


「剣太郎がね、先に戻るってさ」


 空也の言葉で気づく。国彦とどっこいで全く酔いを感じさせない鉄面皮で餅やらつまみ類やらを手あたり次第炙っては口に放り込んでいたはずだが、空也の言う通りその姿が見えない。玄関は国彦と帝以外通っていないので当然(?)ベランダから自分の部屋に戻ったのだろう。


「……一言くらい言ってからでもいいだろうに」


「携帯で呼び出されたっぽいよ。会話の内容まではわからないけど、多分青山からじゃないかな、あれ」


「……青山から、ね」


 今までなら気にも留めなかったが、あんな話を聞いた後では妙な想像を掻き立てられて仕方がない。


「国彦はともかく剣太郎まで……か」


 帝の場合は除外するとして、少し会わないうちに先を越されると普段意識していなくても──むしろ、意識していなかったからこそ、そういう事を考えてします。もしかして、このまま経験できないのでは──


「──安心して、優之助。僕もだから」


「そ、そっか、だよなー。でも別におかしくないよな」


 考えていた事がまるわかりの俺に空也がフォローを入れる。いかん、動揺して、いろいろ取り繕えていない。自分でも言ったんだ、遅くもないし、おかしくもない。大丈夫だ、あいつらがちょっと特殊だっただけだ。俺はでも問題ない。


「──だからさ、済ませちゃおうか」


「? 何を──」


 だ、という語尾は空也の吐息に紛れて消えてしまった。ち、近いよ、近い! なんかいい匂いがする。香水とは明らかに違う、体温すら伝わりそうな空也本人の体臭だ。頭の奥が痺れそうなのをこらえて空也の肩を掴む。


 ──って、ちっせぇ。こいつこんなに小柄だったか? 高校卒業してから体格なんてそう変わるものではない(腹や横幅ならともかく)、覚えている限りこんなではなかったはず。


 よくわからない種類の困惑に苛まれている事、ほんの数秒(だと思う)。はたと気づけばいつの間にやら。いわゆる一つのマウントポジションというやつだ(というより、騎じょ──)。体を寄せて近づかれる分、後じさったので上体が逸れた隙を突かれたと遅まきに理解する。格闘は格闘でも寝技という特殊な方面の手練手管、立ち技主体──特に蹴り特化──の空也相手の食らうのは互いを知っている分、面を食らう。いくら酒に酔っていたとしても殺気や害意を込めて襲われれば対処のしようもあるが、じゃれるように迫られれば押し返せない──いや、なんで、押し倒されてんの? 俺。


「──を、さ」


 ぐるぐる回る思考をさらに加速させる空也の声。少し品のない言い様が普段とのギャップを感じて、妙にる──てしまった。このままだと俺は空也こいつと──


挿入れられるの初めてだから、優しくしてね?」


「あ、あぁ」


 肯定してしまう。そうだよな、初めてだもんな。挿入れられるって……あれ? ? 挿入れるではなく? ……いや、合ってるか。俺がなんだからおかしくない。あれ、でも攻め受けこういうのってちゃんと話し合う必要が……じゃなくて! 挿入それはどうでもいいんだ! よくないが、俺が挿入れる方だから問題ない。だから違う、そうじゃないんだ。ほら、あれだ、社会的なだ! 最近は寛容といっても何かいろいろややこしいい事に──方々で怒られるような気がする。


「(──あれ?)」


 とっ散らかった頭の中を冷静にさせたのは自慢の両手、その触覚だ。正確には触覚が伝える感触──皮膚と筋肉の間にうっすらと収まる脂肪と乳腺の反応だ。いや、乳腺は誰にでもあるのでそれ自体はおかしくない(ちなみに乳ガンは男でもなるらしい)。だが、これはとは違う……気がする。、俺の前にいるのは空也であるのも間違いない。"超触覚"は例え酔っていても狂わない。でもそれって、どういう──



「──わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 自分の素っ頓狂な声で。夢か、などと言葉にするまでもなく、深く寝入っていたと自覚する。遅れて寝汗で張り付いた部屋着の感触と、アルコールの残り香、そして、そこら中に転がった容れ物で徐々に記憶をよみがえっていく。


「あー、昨日、飲んでたんだっけか」


 いつお開きになったのか? 頭の中を探ってみるが、よみがえった記憶からもそれらしいのは拾えないので、どうやら途中でリタイアしたらしい。少なくともリビングには寝こけていた俺しかいない。


「まったく、ちょっとは片づけて行けよ」


 変な態勢で寝ていたせいか、体の節々が痛い。寝ていたというか、ソファーにもたれ掛かっていたといった方が正しい。あの夢の最後と同じ態勢に──


「──いや、まさかな」


「なにが、まさか、なのかしら?」


「うぉ!」


 背後からの声に驚いて、まどろんでいた頭が覚醒する。振り向くと体どころか心臓すら飛び出しそうな俺を冷ややかに見ている瞳子の姿。ここは男子寮で俺の部屋だ──というこちらの抗議は今更無駄だろう。不機嫌そうな瞳子を前にすれば、それどころではないのだが。


「ど、どうしたんだ? 朝っぱらから」


「──仮にも学生が酒盛りとはいいご身分ね」


「い、いや……空也達が、な。一応、おまえも誘おうとしたらしいんだけど、忙しそうだからって」


「その通り、時宮に戻っていたのよ。緊急でね。いろいろあって徹夜の上、頭の痛い報告もあるからと真っ先に伝えようと思って来てみれば──」


 その先が怒りのせいか尻すぼみになる。──あぁ。これは駄目なやつだ。出来る事は一つ、嵐が過ぎるまでひたすら凌ぐしかない。


「さて、報告については後にするとして、どうしてくれようかしら」


「──好きにしてくれ」


 もう、そういうしか俺の生きる道はなかったのはいうまでもない。そして、大抵がであるように、夢の細部がどうなったのか、気がついた頃には思い出そうとする事自体、泡と消えた。

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