春休み・六
篠崎空也、二十一歳。時宮高校卒業後、いろんな所を回りたいと日本各地を放浪。卒業式の三日後に時宮を出てからつい最近まで戻る事がなかった為、月に一、二度家に届く絵葉書が安否と滞在先が確認できる唯一のツールとなっていた(ちなみに携帯はあまり好きではないようで持っていない)。
ここからもわかる通り、空也にとって旅は趣味を通り越してもはやライフワークである。ただし英語の成績がよろしくなかったせいか海外へ出た事はなく、これから先も日本を出るつもりはないらしい。
見た目は身長170㎝の割にほっそりしつつ所々丸みを帯びた体格と綺麗と評される整った顔付きは女だと言われれば納得するほどで、その正体を知らない男子生徒から告白されたケースが何度かあった。卒業から二年経った今でも、変わらずその仕草に妙な色気を感じる。……一応、ノーマルを自負する身としては危うい境界線上に立っているような気になるのが、この友人に対するただ一つの悩みと言えるのかもしれない。
そんな一見、戦闘には縁のなさそうな容姿の空也だが、時宮高校時代、序列七位を冠しただけあって、実力、戦闘経験共にトップクラスを誇る。あの瞳子が当時、序列十四位だったので迷惑度も込みで“あれ”以上だと当真家から評価されているというわけだ。
そして、その瞳子以上が今、俺に対して全力で蹴り込もうとしている。
「よっ──と」
どことなく呑気な掛け声と共に正面切っての押し出すような上段蹴り。そんな大技を華奢な体格の空也がやってもあまり良い手とは思えない。こちらが体格で勝るのを幸いに蹴り上がった片足をわざと受けてそのまま抱え込む。後はそのまま押し倒せば終わり──しかしそれで済むなら序列七位を背負えるわけがない。
「ふっ!」
掴まれた方の足を支点にもう片方の足が俺の頭を襲う。と言っても狙いは蹴りではなく、両足を使った挟み込みからのフランケンシュタイナー。真っ二つにせんとばかりに力が込められた空也の両足は簡単には外せそうにない、そう判断した俺は投げられるのに身を任せ、地面に叩きつけられる前に『優しい手』を発動し接地した際の衝撃を殺す。
手ごたえ(この場合は足ごたえか?)から失敗した事に気付いた空也はあっさりと固定していた足を離し、バク転で俺から距離を取る。
「勘は鈍ってないようでなによりだよ」
「そっちはらしくないな。こんな回りくどい攻め方なんてしなかっただろう?」
「なに、いきなり本気出すとつまらないと思ってね。ちょっとしたテストさ」
「……あぁ、そうかい。なら、いつまでも本気出さないまま沈んでろよ」
俺の戦意に反応して『優しい手』が激しく振動し、振るわせた空気が波紋となって辺りを満たす。起こした波の反響で得られた周囲の情報を手のひらの鋭敏な触覚が貪欲に吸収していく。『制空圏』による空間把握だ。
「そういえば、こないだ|と(・)|お(・)|こ(・)ちゃんと戦ったんだっけか。……ごめんね、優之助。確かに舐めていたみたいだ」
間延びした独特のイントネーションで瞳子の名を挙げる空也。数週間前の一連の騒動で削ぎ落としたブランクと解禁した戦闘能力──とりわけ『制空圏』は超触覚を併用する事で初めて効果を発揮する能力。お互い手の内と性格を知っている分、異能を発動させた俺がどれだけ本気か理解したらしい。
表面上はにこやかなまま、空也の周囲に漂う空気が変わった事を超触覚を通じて伝わってくる。空也が打つ次の一手はあいつの本領を否が応でも見せてくるだろう。
「(──来る)」
もはや『優しい手』に頼らなくとも、少し注意深く見るだけで遠目からでもどこか浮かされた表情が満面に出ているのがわかる。感情の種類は違えど、異能を発動する前の瞳子とどこかダブって映る。普段使えない全力を出せる、大なり小なり異能者ならば理解できる感情。溢れ出すものを止められず、もう我慢できないとばかりに空也が高らかに宣言する。
「いくよ優之助──『空駆ける足』!」
クラウチング気味の前傾姿勢から飛び出すように走る。“それ”が起こったのは空也が三歩目を踏み出した辺りから。例えるなら見えない階段か坂道を上るがごとく足の裏と地面との間が離れていく。陸上の三段跳びのように踏み切って飛んだわけではなく、あくまで走り続け加速する空也。
飛鳥と食堂で戦った時は室内だった為、一歩分位しか使う事がなかったが、あれこそが真田さんの『怪腕』に匹敵する跳躍を発揮できた理由。その能力を天井や壁などの仕切りのない屋外で使えば一切の制約なく駆け抜けていく。体力の続く限りどこまででも。それが空也の『空駆ける足』。
「(……見ようによってはかなりシュールだろうな)」
俺の肩あたりの高さを維持して走る空也と戦う光景は傍から見れば、ジャンプしたまま降りてこない相手と対戦する格闘ゲームみたいに映るかもしれない。ただ、ゲームと違う点は、俺にはまともな対空攻撃の手段がない事だろう。
しかも、都合よく小銭など持ってきていないので『銭型兵器』が出来ないし、手頃な小石が転がっているわけでもない。掴んで引きずり落とすのが精々だが、当然警戒されている。遠距離で架空の刃物、近距離で実物の刃物だった瞳子も大概だったが、本当に戦いにくい。
「──それ!」
サッカーボールを蹴る感じで俺の頭を狙う空也。目の前で爪先が唸りをあげて襲ってくる事に若干の恐怖を覚えながらも、上体を傾けてなんとかかわす。フリーキックでボールを空振りしたような恰好。普通ならバランスを崩してコケるという笑い話で終わるが、何もない空間を踏破できる空也にとっては次の攻撃動作にできる。
「よ!」
からぶった勢いのまま、ボード競技で使うハーフパイプの上を走る様に“縦に”半回転し、両足で踵落とし。咄嗟に『絶対手護』で守りに入るが、それに気づいた空也は両足を踏み込んで“横”に飛ぶ。イメージとしては空中で背泳ぎしている感じ。その意味では踏み込みはターンみたいなものか。
一気に俺との距離を離れた空也は腹筋の要領で上半身を起こし態勢を整える。能力も厄介だが、その能力を十二分に引き出しているのは本人の平衡感覚や瞬発力、持久力といったフィジカル面だ。先ほど披露した上下左右天地がわからなくなる戦い方など、例え俺に『空駆ける足』が使えたとしても到底真似できない。
そんな感心をよそに空也が再度、俺へと向かってくる。今度は中空からの飛び蹴り。端っから宙にいるわけなのでどちらかと言えば、スライディングに近いその攻撃は、ただの飛び蹴りとは違って、着地点が読めない(というよりそもそもない)為、単純に後ろや横によけても追撃が来る。
ならば『絶対手護』で守りつつ、カウンターの機会を待った方が万全な態勢で迎え撃てる分、旨味がある。そう判断した俺はよけるつもりがない事を見せる為、腰を落として構える。仮にまた逃げられても成功するまで続けていけば、いつかは捉えられるだろう。
「──駄目だよ、優之助」
もはや激突は避けられない両者の位置から見えた空也の口がそう形作る。動いたのは口だけではなく、今まで大して使わなかった手──その内の右手の方をおもむろに横へ突き出す。まるで何かを殴った反動を受けたみたいに空也の体が横に流れ、その勢いを利用して放った横回転からの|右回し蹴り(ソバット)が俺の背中を襲う。『優しい手』を差し込もうにも迎え撃とうとした分、前に構えてしまって間に合わない。
「しまっ──」
がら空きの背面から受けた衝撃に言いかけた台詞も途切れるほど呼吸が止まる。空也はその隙を見逃さず、出した蹴り足をそのまま空中で踏み込んで高く飛ぶ。ダメージを受けて前屈みになった俺にとって頭上は死角だ。空を舞う鳥が水中の魚を狙いすますようにほぼ垂直で落下しながら蹴りが放たれる。
「──僕も迂闊だね」
空也の狙いは首筋。『制空圏』で攻撃の軌道を読んだ俺は『絶対手護』を展開し、割り込ませる。空也の足を掴む好機だが、そこまで許すほど甘くはない、『空駆ける足』でもう一度空中へ離脱していく。空也は自分の迂闊さを反省していたが、それはこちらも同じだ。空也の異能の正体を知っていて、正面から引っかかったのだ。むしろ受けたダメージより、精神的ショックの方がデカい。
空也の異能は分類すると力場干渉の一種。しかし、瞳子の『殺刃』みたいに硬貨を切り落とすような強力なものではなく、拳大の固まりを一瞬だけ生み出す程度で時宮の異能者の中でもその力はとても弱い。
だが、扱う力が小さいおかげか負担が少なく、狙い通りの位置に何度でも生み出せる。空也は生み出した力場を足場にする事で規格外の動きを再現し、自分よりも強力な異能者を屠ってきた。異能の希少性も判断基準の一つに数えられる序列評価において最低ランクの異能者である空也が七位という高位者である理由はそこにある。
しかも力の使い方は飛び蹴りの軌道を無理やり変えた時のように足場である必要はない。元々高い身体能力を組み合わせる事で変幻自在の動きを全方位からの強襲する空中殺法ならぬ、“空間殺法”を実現できるのだ。
「……本当に厄介なやつだな」
「そっくりそのまま返すよ、優之助」
日が完全に落ちて星が見える空を背に空也はそう言って笑う。それに呼応するように『空駆ける足』による足さばきが一段と激しさを増していく。
今度は上下だけではなく横の動きが加わり、俺の隙を突こうと周囲をせかせかと動く。意図的に高さのみを見せてからの回し蹴りという奇襲が凌がれた以上、隠す必要がないからだろう。ますます捉えるのが難しくなった事態に蜻蛉や蜂にまとわりつかれるとこんな気分なんだろうな、となんとなく思う。
「──本当に厄介だ」
何度も頭に浮かんだ言葉が空也の口をつく。視界の外で動いている為、その顔は分からないが俺と同じ表情をしているのは想像に難くない。
「優之助、君は本当に厄介だ。こんなに君から見えないよう動いているのに君は少しも焦りはしない。『制空圏』による絶対的な空間把握能力がそれを許さない。僕にとって『絶対手護』よりも“超触覚”の方が手強いと感じるよ」
俺から見て、左後ろ斜め下。急降下から再び上昇する動きを伴う蹴りが風を切り裂きながら襲ってくる。それを最小限の動きで体を捩り左の『優しい手』でガード。圧倒的な加速に乗った下から持ち上げる蹴りの衝撃も『優しい手』は完全に殺す。
構わず空也はもう片方の足で俺の頭を蹴り抜こうとする。最小限に半分しか空也に向いていない分、右の『優しい手』で止めるには少し窮屈。そう判断した俺は右の『優しい手』を空也のいる位置とは正反対の何もない空間に翳す。
「くぁ──」
かすかに聞こえる苦しそうな吐息は俺か空也のどちらからなのか。『優しい手』の運動エネルギー増幅能力で生み出された衝撃が空也を巻き込んで体を押し上げる。
いくら『空駆ける足』が自在に動けると言っても蹴りのモーションに入った状態からの離脱は難しい。体をもつれさせながら地面を転がっていく俺と空也。口に砂が入って不快な思いをさせながらもどうにかマウントポジションを確保する。随分と不恰好な手段だが、これで空に逃げる事は出来ない。
「大人しく──してろよ!」
まるで悪役の様な台詞を吐きつつ、運動エネルギーを込めた『優しい手』を今度は空也に向けて放つ。『影縫う手』でチマチマ動きを封じている余裕なんてない。空也なら腕や足の一本止められても平気で反撃してくるからだ。中国拳法の発剄に通じる『優しい手』の打撃を、ただ手を伸ばすだけで当たる戦闘不能へと誘う一撃を当てれば勝てる──そう、当たればこの戦いは終わっていた。
「(──こういう使い方も出来るのか)」
『優しい手』を振るわんとした手が途中で止まる。原因は肩のあたりに突如現れた“見えない拳大のなにか”の感触。大きさで正体に気づく──空也の仕業だ。
『空駆ける足』の力場干渉、正確な場所に発生させるその能力を俺の動きを止める為に使ったのだ。止められたと言っても体の一部に障害物が引っかかった程度の影響でしかないが、空也はそれによって生まれた一瞬さえあれば充分。俺の首を両手でキャッチし左右に揺さぶる。
──密着戦闘対策にムエタイを集中的に習っているから不用意に懐に入るのも厳禁。ほら、ムエタイの試合であるだろ、首相撲ってやつ。
そう会長達に講釈を垂れていたのを思い出す。本来、寝技からでは充分な効果を得られない首相撲だが、近接での攻防術においての有用性の全てが失われるわけではない。高速で揺すられた首を守ろうと空也から首へ意識が逸れ、空也の体を押さえつけていた重心がわずかに緩む。
「──『空駆ける足』!」
力場干渉で作り出した足場を“壁”に見立てて横に跳ねる空也。抑え込みが不完全な状態ではそれを止める術はない。一足飛びで離脱しながら態勢を整え、俺が立ち上がった時にはすでに軽やかなステップを踏んで高度を維持していた。せっかくの好機をふいにしてふりだしに戻った事にため息が出る。
「……まさか僕が君にした奇襲をまるまる返されるとは思わなかったよ」
空也が力場を殴って無理やり方向転換したように、俺が運動エネルギーを放出させて距離を詰めた事を言っているのだろう。異能を使って推進力を得たという意味ではたしかに似た様なものだが、所詮俺のは空也の二番煎じの上、効果は一瞬しかないまがい物、ただの苦し紛れに近い。
「むしろ、お前の力の使い方に恐れ入ったよ。手の内を知っていたつもりの自分が恥ずかしい」
「……あぁ、さっきのか。君を相手に僕程度の力場干渉じゃあ盾代わりにもならないからね。ただの苦し紛れさ」
「苦し紛れは俺の台詞だ。謙遜するなよ」
そんな会話の間にも空也は抜け目なく俺の隙を伺っている……お互い様だが。
「(逆に言えば、仕掛けるタイミングを計りあぐねているって事だよな)」
空也に『殺刃』の様な遠距離から攻撃する方法はない。圧倒的な機動性でどんな距離からでも戦う事が出来るが、近付くのを避けられない。先手は譲るがあいつが360度どこから攻めてきても『制空圏』で把握している以上、対応は不可能ではない。
「(……そうか、出来なくはないんだ)」
空也を捉える方法が不意に閃く。ただし、その手段では『絶対手護』は使えず、かなりのリスクを背負う事を避けられない。
「……当たり前だろ」
思わず漏れた独り言に空也が怪訝な顔をする。何でもない、と誤魔化し、手のひらの感覚に意識を集中させる。『絶対手護』による防御がない状態で空也の攻めを切り抜くには『制空圏』による読みが今までより重要だ。そのためには──
「──目を閉じた? 『制空圏』の読みに賭けるつもりかな」
空也の“音”が『優しい手』を介して聞こえてくる。感覚が人並外れて鋭いというのは、必ずしもいいとは限らない。絶対音感の持ち主がごく微小の不協和音をことごとく拾ってしまうように“超触覚”も触れることで得られる膨大な情報を処理しきれずに神経がまいることがある。例えるなら常時敏感な部位を弄られるか、あるいは傷口に刺激物を塗りたくられるようなものだ。
その為、日常では“超触覚”の感度を落とす自己暗示の一種を掛けているわけだが、それを応用し、触覚から得た情報を触覚を他の五感に紐付けしている。視覚も、味覚も、嗅覚も、そして聴覚も。空也の声を俺に伝えたのは音すら“手に取る”ように掴む“触覚”だ。
「……そこまで集中していると下手に攻撃したら勝てないな」
空也の足がさらなる高みを求めて空中で跳ねる。空也のフィジカルは高いスペックを誇るが、それでも筋力の面で『怪腕』を超える事はあり得ない。
それでも超人的な跳躍を発揮できる要因は『空駆ける足』が生み出す力場が空也の跳躍と加速を補助しているからだ。力場は地面と違い、とても柔らかく、反発力が強い(しかも強弱をコントロールできる)。イメージとしてはトランポリンが近いだろう。
そして今、生み出された力場はとても力強く、動きを読まれても俺が反応する前に倒すという空也の意志が“超触覚”を通じて明確に伝わってくる。俺から離れる時に二度ほど見せた壁を蹴って横に飛ぶ動き、水泳のターンに例えたそれを今度は逃げるのではなく、俺を的に飛ぶつもりだ。
「(俺が体当たりした時の比じゃないな)」
加速を伴う助走は反発力を増した力場を一歩踏んでいくごとに速度が増していく。いくら自分で足場をコントロールしているとはいえ、一つ踏み外せば大怪我では済まない。だが、ここでも空也の運動能力がその失敗を許さない。つくづく相性のいい能力だな、と場違いな感想が漏れる。
「『空駆ける足』──コメットストライク」
──人ひとりに向けるには充分すぎる加速を纏い、空也の体が星となる。
「──幕切れは呆気なかったな」
「あぁ」
「──なぜかわせた? いや、なぜかわす必要があった?」
「たしかに『絶対手護』と『制空圏』を組み合わせれば初弾は防げる。が、その後逃げられるにしても追撃が来るにしても同じことの繰り返しになるだけだ」
「──だから、『|空駆ける足(力場干渉能力)』の発生直後を狙ったというわけか」
「見えてたのか?」
「──初弾が外れた後、離脱しようとした空也の態勢が崩れたからな。お前が何かしたと考えるのが自然だ」
「正直な所、力場が発生する瞬間を感知するのに集中した分、『絶対手護』を使う余裕がなかったんだ。『殺刃』と違って本当に一瞬、本当にわずかな反応だからな」
「──まだまだ未熟だな」
「ほっとけ! それでそっちも決着がついたってことだよな? ──剣太郎」
「──思ったより手こずられた。未熟なのはお互い様だ」
元時宮高校、序列三位『剣聖』刀山剣太郎がモップの柄を肩に担ぎ、悠然と立っている。三対二で始まった戦いは一対一に変わり、戦いは終局へ至ろうとしていた──会長と当真晶子の存在を半ば忘れつつ。
刀山剣太郎、二十一歳。時宮高校卒業後、空也と同じく日本全国を放浪する為、時宮を出る。空也と違う所はライフワークが旅ではなく修行である点。つまり本人にとって旅は目的の為の手段でしかないのだ。
いまどき武者修行で全国を回るなんて、時代錯誤だと笑うのかもしれないが(あるいは変な人扱いか? どちらにしろいい感情は向けられることは少ない)、剣太郎自身からすれば、流行り廃り、まして他人の理解を得るためにやっているわけではないと、言葉にしないが言っている。鋼に例えられる背中が、瞳が、生き方が――振るった剣が。
そんな見た目からして鋼と言われる位なので基本、無愛想というか取っ付きにくい所は否定出来ない。ただ、頼ってくる手を払う真似はしないので年下に慕われやすく、意外に面倒見がいい。
特に弟子だか、取り巻きだかよくわからない後輩が三人もいてどこへ行くにも引っ付いているのをよく見かけた記憶がある。頼んでもないのに追ってくる後輩達に対して邪険に扱ったのを見た事がないのでやはり面倒見がいいのだろう。かく言う俺も高校時代、その面倒見の良さから幾度となく手助けされたクチで、共闘した数など両手、両足の指では足りない。
一方で、敵味方の立ち位置が頻繁に変わる時宮での日々から考えると、かなり珍しい話(瞳子と天乃原学園の講堂で戦った様に、時宮では意見が対立すると自らの証明の手段として敵対するのを躊躇う事はない)だが、敵として剣太郎と戦った事はなく、周囲から俺の『絶対手護』とただの棒きれですら切れ味を帯びる剣太郎の“剣”どちらが上かという議論(というより、ただの世間話のネタとして)は尽きず、その検証に周りから囃し立てられるのは一度や二度ではなかった。
結局、その後の高校生活において、ついに実現することはなく、もし、それが成されるとしたらもう少し劇的な場面だと思っていたがまさかここでとは夢にも思わなかった。
「──真田さんと飛鳥は?」
高校時代には実現しなかったマッチメイクにある種の感慨にひたりながら、口に出たのはもう一方の戦いの結果について質問だった。こういう時、気の利いた事が言えない自分に内心苦笑が漏れる。
「心配しなくていい、眠っているだけだ。少しすれば目を覚ますだろう」
「……まぁ、お前ならやり過ぎる事はないと思っているよ。単なる確認だ」
二人には悪いが、剣太郎相手にそこそこ手こずらせただけでも奇跡に近い。地元びいきが全くないとは言い切れないが、目の前にいる序列三位が負ける所など想像がつかず、個人的には順当な結果だったと思っている。何気なく二人の様子を見ようとするが、辺りにそれらしい姿はない。そういえば、と半ば忘れていたが会長が妙に大人しい事に気づいて、これまた周りを見渡すが、同じく姿が見当たらない。
「会長を知らないか?」
「そちらの会長なら向こうのベンチで寝かせた二人を見ている。彼女にもじきに目を覚ますと言ってあるが、放っておけないらしい」
ベンチと言うのはここへ来る通り道で見かけた東屋に設置されているやつだろう。二人が見かけないはずである。おそらく砂だらけで寝かせた張本人の剣太郎が面倒見の良さを発揮してそこまで運んだらしい。剣太郎がやり過ぎる心配はしていないが、俺と剣太郎が戦って巻き添えを食うかもしれない、と言う意味では気になっていた。これなら多少暴れても問題ない。
「さて、戦るか」
『優しい手』が俺の戦意に反応して再び激しく震える。獣が唸る声に似た音が一瞬、辺りを駆け抜けていく。イルカのセンサーに例えられる『制空圏』の展開音だ。
対する剣太郎は気負いなど一切見せず、佇んでいる。構えらしい構えすら見せない剣太郎の鷹揚とした姿勢に懐かしいものを感じながら、その余裕をすぐに崩してやろうと一層、気合が入る──そんな俺を見て、剣太郎が一言、
「いや、戦らんぞ」
と、どこまでも落ち着いた声で制止する。
「は? 今、なんて言った?」
おそらく、今の俺はとても間抜けな顔をしているはずだ。聞き違いの可能性を否定できず、聞き返してみる。剣太郎はそんな俺の前に手にした得物(ただのモップの柄)を翳す。多少使い込まれた感はあるが傷らしい傷のない木製の棒はその瞬間、思い出したかの様に真ん中辺りからひび割れ、広がり、そして砕けた。
「さすがに横着し過ぎた」
そのただ一言で理解する──思ったより手こずられた、と言ったのは真田さんと飛鳥に向けた掛け値なしの賛辞だったという事に。そして戦わない理由に。
「これではあの二人に勝ったとは言えん。言えば『剣聖』の名折れになる」
今更、そんなものにしがみつく必要もないがな、と少しだけ口の端が歪む──笑ったのだ。剣太郎なりに不器用に。
剣太郎とって、『剣聖』という肩書に対する興味や未練などかけらもない。だが、真田さんが俺に力を借りようとしてまで一矢を報いようとした相手が弱いわけがなく、また弱い相手に真田さん達は負けたわけではない。剣太郎が興味がないといいながら、その名を背負うのは対戦相手を必要以上に貶めない為だ。だから、矛盾と知りつつ勝ったとは納得していない。『剣聖』が選んだ得物を失した事実がそれを許さない。
「……なんだよ。初めてお前と戦うかも、って覚悟したんだぞ?」
少し冗談めかして言ってみるが、それは紛れもない本心。
「残念だが、得物がなければどうにもならんな。それにこんなついでのような戦いは本意ではない」
そうだろう? と剣太郎。俺が妹達の事を切っ掛けに動いたように、瞳子が己の心のままに友人と対立する事を厭わないように、剣太郎も自分を賭けるに値する戦いにしか剣を取る事をしない。
真田さんや飛鳥と戦ったのも当真家とは関係なく、二人に感じるものがあったのだと思う。ただ火の粉を払うだけならもっと早く、容赦なく蹴散らしているはずだ。逆に言えば、あの二人同時に相手をしてそんな器用に立ち回れる事に改めて剣太郎の凄さが伺える。……普段、あんなに無愛想なのにな。まぁ、馴れ馴れしい剣太郎なんて想像もつかないが。
「なら、これで終わりだな。とりあえず管理棟に戻るか」
少々気の抜ける締めだが、これ以上戦う必要がないならここにいる意味はない。春とはいえ、三月の夜はなんだかんだで冷えるし、二人がまだ目覚めていないなら起こすなり、運ぶなりする必要だってありそうだ。それに夕食だってまだ口にしていない。心持ち足早にもと来た道へと足を進める。だが、そんな俺の後ろに剣太郎が付いてくる様子はない。
「? 何してんだ。いくぞ」
しばらく歩いてみても、一向に気配を感じられず振り向く。
「……俺はともかく、相手はまだ残っている」
「誰だよ」
「当真晶子だ」
「……それはない」
剣太郎が挙げた名を即座に否定する。これでもそこそこ修羅場をくぐってきた身だ。強い弱いは別にして“戦えるかどうか”というのは一目見ればわかる。少なくとも、当真晶子は戦う器ではない。
「そうだな」
剣太郎はそれを否定しない。何の冗談だろうか? それとも言葉遊びか? どちらにしても剣太郎らしくはない。
「だが、何かを起こすとしたら一人しかいない」
「起こすといってもなぁ……。そういえば、その当人はどこだよ?」
うちの会長もそうだが、この戦いが始まってから異様に大人しかったせいか途中からはまったく気にも留めていなかった。会長の場合は真田さんを尊重していたからだと分かるが、当真晶子にそんな殊勝な感情はないだろう。だからこそ、姿が見えないのを多少不気味だとも思えるし、剣太郎が“頭数”に入れた理由に足りるのかもしれない。そう考えると、引っかかるものがあると認めざるを得ない。
「当真晶子なら天之原の会長を一緒にいるはずだ。運んだ時に付いてきたのを見ている」
「一応、雇い主なのに扱いが雑だな」
「呑気な事を言っていていいのか?」
今の所、何かをやらかす最有力である当真晶子が会長と同席している事を警戒すべきだ。剣太郎はそう言いたいのだろう。しかし──
「──いくら会長が素人でも、どうこうできるようには思えないんだよなぁ。それに意味がないのもわかっているだろうに」
ここへ来た当初はともかく、ただの力押しで学園を抑えられるなんて考えでは無理だと理解はしているはずだ。そんな中で、真田さんや飛鳥、俺といった下っ端や部外者はいざ知らず、会長──組みたい相手先である天之宮の人間を害そうとするなんて意味はないどころか最悪、天乃原学園から全面的に手を引かなければならなくなる。そんな馬鹿な真似は──
──ズンっ!
何か重いものが崩れた音が響く。会長達がいるはずの東屋がある方角から。
「……今のが流行りのフラグってやつなのかな」
おそらくかなり間抜けな表情のまま固まっている俺に剣太郎が一言。
「……流行なのか? それは」
「──音の正体はこれか」
音のした方向を辿ってみると、東屋の近くに設置されている電灯の一本が何か鋭いもので切られていた。
倒れた電灯は塀を巻き込んでおり、その被害を拡大しているが、東屋とは別方向に倒れたので怪我人がいないのは不幸中の幸いといった所だろう。ただし、“いるはずの人間がいない”という事が新たな問題をとして浮上していた。会長と当真晶子がいないのだ。
「寝かせておいた二人は無事だ。ひとまず空也も隣に寝かせておくが問題ないだろう」
空也を背負って東屋まで運んでいた剣太郎が真田さんと飛鳥の無事を俺に告げる。
少し離れた広場からでも聞こえる物音でも起きない嫁入り前の娘さんの横に空也を寝かせるのはいろいろな意味で問題では?と思わなくもないが、今はいない人間について考えを巡らせるべきだろう。
「……やっぱり、当真晶子なのか?」
会長がこの場にいないのはもとより、電灯を倒した事も含めて。
「たしかに信じられんが、他にいないだろう?」
ごもっともである。この期に及んで、未知の第三者がいきなり状況に加わったというよりかはまだ筋が通っている。それにしても当真晶子に会長を連れ去るなんて芸当が能力、度胸のどちらともあるとは思わなかった。
「……どうやら、“フリ”だったようだな」
昼間の食堂や先程のやり取りを思い出してみる。俺に指摘された程度で勢いを失って密かに剣太郎達の方を見たり、妙な所で出しゃばってみたりと油断させる為の演技としては少々、芸が細かい。というか、やる意味があるのか怪しい。
次期当主の選定に絡む天乃原学園の運営、ひいては天之宮家に侮られかねない立ち回りをするのはむしろマイナスのはずだ。まぁ、裏の裏をかくという考え方もあるわけだし、案外俺が気付かないだけで何かしらのメリットがあるのかもしれない。
「いや、あれは“フリ”ではない」
そう言って、俺の考えをあっさりと一蹴する剣太郎。……この何秒かの想像を全否定かよ。
「雇い主の──何だったかか──も最近酷くなったと漏らしていた。身内がわざわざ俺達に愚痴る位だ、間違いない。それがなくてもあの迂闊さが“フリ”とは誰も思わん」
「何だったか、ってなんだよ」
「俺達を雇った当真の対立候補だ。名前を聞いたはずだが思い出せん。たしか当真の叔父だか甥だかだったな。空也に丸投げしたから詳しい話を聞きたいなら空也にしてくれ」
「叔父と甥だとだいぶ違うぞ」
「親戚には違いあるまい。……それより、追いかけなくていいのか? まぁ、どっちへ行ったかは知らんがな」
「いまやってるよ」
「……あぁ、なるほど」
剣太郎の目が俺の両手に留まる。『制空圏』による探査は傍目に映らないが、剣太郎なら運動エネルギーの流れかセンサー代わりにこちらで操作した気流の乱れに何かしら気づくものがあるのだろう。
瞳子や空也の異能とは違い、視覚的に地味な能力なので発動しているのがわかる剣太郎には気づいてもらって嬉しいととるかそんな些細な事も見逃さない感覚を警戒すべきか判断に迷う。
「──つかんだ」
展開した『制空圏』で二人分の動きを文字通り“把握”する。会長と当真晶子は広場に来る前とは別の道を使って管理棟を迂回しつつ下山していた。要芽ちゃんに鉢合わせしないよう管理棟を迂回するのは理に適っているし、コテージからでも人里に下りる為の道が整備されているから道なりに行けば夜でも迷う事ないだろう。もしかすると逃走用の車をすでに手配しているのかもしれない。
初めから狙っていたのか、誰かの差し金なのか所詮当真家から見て部外者である俺には知る由もないが、まったくの考えなしで動いているわけではなさそうだ。少なくとも目的に向かって行動しているのだと一連の流れが示している。……まぁ、俺にとってはそのあたりの背景などどうでもいいのだが。
「……夜は冷える。あの三人は俺に任せてくれていい」
剣太郎が事もなげに現状の後始末を買って出る。俺の後顧の憂いを断つように。言葉少なく唐突だが、それがむしろ剣太郎らしいと口の端がわずかに緩む。
「すまん。任せた」
「あぁ」
短い遣り取りの末、会長と当真晶子を追う。速度は決して速くはないが、半径500m内を把握する『制空圏』のほぼ外側に反応があり、随分と離れてしまっている。それに速くないと言っても、当真晶子が会長を抱えているわけでもなく、会長が抵抗しているわけでもない。状況はわからないが、どうやら会長は大人しく当真晶子に従っているようだ。あまりグズグズしていると間に合わなくなる。
「──優之助」
「なんだ?」
「当真晶子が闘う器ではないというのは間違いない。だが、強力な武器を与えられた時、その器がどう変わるかは誰にもわからない。気を付けろ」
「おう!」
剣太郎の確信めいた忠告を噛みしめて今度こそ走る。確信に至った根拠など聞く必要はない。例え剣太郎達が何かを言い惜しんでいたとしても問題はないのだ。どうせこの先に進めば嫌でも知るのだから。だからこそ今は──
「──追跡開始だ」
*
「急いでください」
「私なりには急いでいるわよ」
何度目かなど数えるのが馬鹿らしくほど繰り返す当真晶子の言葉に辟易しながらも我ながら律儀に返す。
凛華達とは違い、一般の高校生と変わらない体力の私が無理に走った所で劇的に速度が上がるわけもなく、むしろ結果として遅くなってしまう。ならば、ほどほどの速さを維持しながら下りる方が効率がいい。
当真晶子もそれがわかっているはずだけれど、今みたいな繰り言は止む事はなかった。おそらく釘を刺しているのだと思う──手を抜く事は許さない、と。
「(それこそ、言われなくてもわかっているわよ)」
東屋の電灯を切り落とした張本人を一瞬横目で見ながら私の足は山を下りる道を(私なりではあるけれど)順調に進んでいる。
天乃原学園生徒会がコテージを目指した時、学園から頂上を経由したルートを利用したが、当然ながら反対側の麓からでも目指す事はできる。現在、私達が通っているのは数あるルートの中でもジョギングに特化したコースで他より遠回りになる分、傾斜はなだらかで夜でも利用できるよう電灯が所々整備されている。
「(それに──)」
他よりも車道に一番早く辿り着ける。こんな強硬手段に出たという事は車の用意をしている(というより、ここへ来た時の足をそのまま待機させていたという方が正しいと思う)はずだ。
手際の良し悪しはともかく、行き当たりで出来る事ではない。明らかに事前の打ち合わせの上で計画されている。……計画するなら私を走らせるようなプランは立てるな、とは思うけれど。
「ねぇ! 仮に私を連れ出せても意味がないのは御村も言ったでしょう? ここまで来て言うのもなんだけど、無駄になるわよ」
「黙って走りなさい」
当真晶子は言葉少なに私を追い立てる。彼女、こんな感じだったかしら? と、首を傾げたくなる。昼──いや、広場に着いた時と比べて様子がだいぶ違う。
見下しているのがバレバレの外面と容易く言い負かされる割に前へと出ようとするつまらないプライドとおよそ上に立つには向かない印象しかなかったけれど、今はあの迂闊さと組みしやすさが微塵もない。と言ってもしたたかになった感じではなく、単になりふり構わなくなっただけなのかもしれない。
外面を取り繕う事なく、妙に無言な当真晶子をもう一度視界に入れながらそう思う。何にしても癪ではあるけれど、今は従うしかない。当真瞳子と同じ芸当ができる彼女と真正面からやり合うつもりのは無謀でしかない。徐々に息が上がる感覚を味わいながら、“あの言葉”を思い出す。
──もうすぐこの茶番は終わる。何もしなくても優之助が終わらせる。
東屋に凛華と桐条さんを運んだ刀山剣太郎がなぜか同道していた当真晶子に聞こえないように告げた一言。おそらく刀山はこうなる事がわかっていたようだ。ただ、わざわざ私に漏らしたのだから当真晶子の味方というわけでもないらしい。
背景はわからずとも、妙に信用したくなる言葉を残し刀山は広場へと戻り、これもおそらく予定に組み込んでいたであろう当真晶子が電灯を切り落とすデモンストレーションをもって、目を覚まさない凛華と桐条さんを盾に私を無理やり同行させて今に至る。
「(……助けに来るのなら、なるべく早くお願いしたいわね)」
いくらなだらかと言っても、下り道を走るのは肉体労働に向かない私の足には相当な負担になっている。呼吸も維持し続けるのが難しくなってきた。正直な所、出来れば休みたいが、後ろにいる当真晶子がそれを許さないだろう。
意外にも私とは対照的に息を切らす様子もなく、平然と付いてきている。どことなく講堂の時の当真瞳子に似た目は私が妙な真似をしないよう油断なく見据えている。改めて本当に先程とは別人だと思う。
そうこうしている内に、コースの外側には足元を照らしているものとは別の光が等間隔に並んでいるのが見える。車道が近いのだ。
「……もう少し、もう少しで……」
かすかに聞こえるのは当真晶子の呟き。抑揚のないが、どことなく熱に浮かされたようなその声に危ういものを感じて、ますます“あの時”の当真瞳子とダブる。けれど、一方で違和感も残る。
うまく言えないが、当真瞳子は自ら進んで取り込み乗りこなしているが、当真晶子の“それ”は振り回されている風に見える。……いずれにしても迷惑である事には違いないが。
「──悪いが、そちらの思い通りにはいかねぇよ」
さほど大きくないがよく通る声が私の乱れた吐息を押しのけて耳へと届く。次いで私の腰に包み込むような感触。横から抱えられ、持ち上げられたと気づいたのは私の体が地面と平行になっていたから。見た目、丸めたカーペットを担いだ感じに近い。
「……助けられて言うのもなんだけど、もう少し見栄えのいい方法はなかったの?」
「わかっているなら文句を言うなよ。不恰好なのは理解しているんだから」
肩越からでは表情は見えない。見えるのは地面と相手の腰、抱えたはいいが、どこに持っていけばいいか少し戸惑っているのがわかる手のひら。
「今の状況ならどこに手をやっても事故で済むわよ」
「……というか降りろよ」
油断なく当真晶子を牽制しながら御村はぶっきらぼうに返す。どこで付けてきたのかいくつかの葉と花びらを落としながら。
「今更、私の扱いをどうこう言うつもりもないけど、もう少しマシな助け方はなかったのかしら?」
「仕方ないだろ。動く対象を横からかっさらうには体割り込ませて担ぐ位しか思いつかなかったんだから。それともなにかお姫様抱っこで助けろと?」
「……柄じゃないわね」
だろ? と御村が肩を竦め、動いた分だけ連動して私の腹部をくすぐる。突然の出来事で感覚が麻痺していたけれど、よくよく考えてみれば坂道を走る私に体当たりしたようなものにも関わらず、どこも痛んだ様子がない事に気付く。強いて言えば、御村が付けてきた砂埃で服が少々汚れたくらいだ。
対して、淡い電灯が照らす御村の体に目を向けるとさっき落ちたのとは違う種類の葉が所々纏わりついている。舗装された道を通っていれば絶対に付く事のない汚れ。見た目の扱いはともかく、御村が色々配慮しているのがわかる。
「……一応、礼は言っておくわ」
「それはどうも」
私がどう返すのかわかっていたのか、御村は気分を害した風もなく私のぞんざいな謝意を鷹揚に受け取る。あしらわれている事に引っ掛かりはあるが、助けられた側である今の私にはどうにも分が悪い話である。当真晶子がどう動くのかを警戒してしながら、私を手早く肩からおろし、昼の食堂であった時の様に自らを矢面に立たせる御村。完全に彼のペースだ。
「どうしてこうなったんだ?」
「それは私が聞きたいわね。凛華と桐条さんを運んだ刀山がいなくなったら、一緒に山を下りろと脅されたのよ」
「電灯を斬ってか?」
「電灯を斬ってよ」
おそらく御村が私の口から確認したかったのはその部分だったと思う。つまり“誰”が“どうやって”電灯を斬ったのか。もはや理由を求める事に意味はない。後始末は天之宮や当真の領分。この場をどう凌ぎ、切り開くのかで御村は動いている。
「原理はわからない。けれど彼女はやってのけた──当真瞳子と同じ事を」
その時、当真晶子の唇がわずかに笑みで形作られるのが見えた。
合わせて、当真晶子の周りの風景が歪む。蜃気楼でできた粘土をこねた様に“それ”は丸め、引き伸ばされ、その姿を表していく。半透明ながらもはっきりとわかる長柄の刃物──いわゆる薙刀──の形に。
「“あれ”よ。電灯を斬り倒したのも、護衛がいなくても余裕を保っていられる根拠──いえ、あまり頭のいいとは言えない手段に打って出た理由と言い換えればいいのかしら?」
「どう見ても危ない状態の相手にそういう挑発はやめろよ。標的になるの俺なんだから」
次々と新たな薙刀を生み出していく中、私のからかいも御村の緊張感のない態度も眉一つ動かさない当真晶子。もしかすると私達を気にも留めていないのかもしれない。どこを見ているかわからないその目には生み出した架空の薙刀が放つものと同じ怪しい光が映る。
薙刀の光が反射しているのか、自身の目から発しているのか、どちらかは定かでないけれど、その二つが一連の事象によるものだとはもはや疑いようのない。
「……どう思う?」
「どう思うとは?」
当真晶子に聞こえないよう声を潜めて(今の当真晶子に意味があるのかはともかく)、現状についての意見を御村に求める。だが、当の御村は間抜けなオウム返しで目の前の当真晶子に対して妙に歯切れが悪い(というより察しが悪い)。
「(考えてみれば、こっちも変よね)」
私を当真晶子から引き離してから今まで、御村の態度がどうも軽い。いや、緩い。先程も私の挑発に乗っかったのではなく、単に素の反応だったのだと今になって気付く。
「ちょっと! 今の状況わかってる?」
「と言われてもな。とりあえず会長確保できたし、問題ないんじゃないかな?」
私が焦っている事を理解しているが、何に焦っているのかわからない。当惑している理由を御村はその声が余さず私に伝える。意思の疎通はこれ以上ないほど良好なのに、どうしてこうも隔たりがあるのか、軽い頭痛を覚える。そんな遣り取りの間にも薙刀の数は増えていく。
その数は当真瞳子が生み出した時より多い。そんな大量の刃が私達を包囲しつつあるにも関わらず、御村は気にした風もなく、その態度が揺らぐ事はなかった。
「──天之宮姫子を置いてここを去りなさい」
当真晶子の感情のこもらない冷えた声が取り囲む刃の代わりに私達の耳に切り込んでくる。それは交渉の余地はなく言わば命令。少し前の彼女に対してなら鼻で笑う所が、今は背中に冷や汗が流れるほどの緊迫感に包まれていた。
「……御村、癪だけどここは引いてもいいわよ」
自分のものとは思えないほど、重々しい声が夜の山道を通り抜ける。御村が負けるとは思っていないが、私を守りながらではまともに戦えないのは目に見えている。そう、勝てるはずの相手に私と言うハンデがある為に要求を飲まざるを得ない。私が力及ばず負けるのならともかく、私が原因で他者に負けを強要する。それが私の気持ちを重くさせる。
「……」
御村は答えない。私を庇うように立っていて、その背中越しからでは表情は見えないが、下がる様子もない。迷っているのだと結論付けた私は自ら当真晶子へと歩を進める。私の選択にも当真晶子の表情に浮かぶものは見当たらない。これで勝ち誇るなら、つけ込む隙の一つくらいうまれるものだが、それもなさそうだ。
「(……まぁ、どうにかなるわね)」
そんな後ろ向き気味のポジティブ思考に浸りながら、御村の横を通り抜け──ようとして足が止まる。腕をつかまれたからだ。
「何?」
「少し、落ち着け会長」
腕をつかんだまま放さない御村を知らず睨む。だが、御村は怯まない。それどこか聞き分けのない子を諭すように私に語り掛ける。
「なぁ、まさか俺が彼女に負けると思っているのか?」
御村が言いながら指差したのは当真晶子。気負いのないその態度に頼もしさを感じるが、そういう問題ではないと、私は首を横に振る。
「私の存在を忘れてるわよ。この状況で守り切れるわけないじゃない」
当真晶子の生み出した薙刀はすでに道の両端を十重二十重と敷き詰め、立ち塞がっている。戻る事も、突っ切って先に進む事も、御村がしたように道を外れて怪我を承知で坂を下る事すらできない。この包囲網を御村一人でならともかく、私を守りながら突破する事は無理だ。だが、そんな私を御村はため息交じりに再度諭す。
「……よく見ろ。あの薙刀を。瞳子──当真瞳子の“殺刃”を見た時と比べてどう思う?」
「どう、って……」
「当真瞳子の“殺刃”がなぜ刀の形だったのか。それはあいつにとって、殺意や害意、相手を攻撃する為のものをイメージした結果、それが一番身近なものだったからだ。古流剣術当真流の師範であり、真剣を肌身離さず手にしてきた。そんな瞳子だったからこそ、“殺刃”の形は刀だった。じゃあ、“あれ”はなんだ」
御村が再び指をさす。今度は当真晶子の生み出した薙刀へと。
「薙刀だ。見ればわかるよな? でもあれが当真晶子にとって、身近で最も殺意をイメージしやすいものだったように見えるか? 俺には見えない。当真晶子が武道をやっているようにはな。あれが瞳子と同列に語れるわけないだろう!」
次第に御村の言葉から、熱のようなものが伝わってくる。私を真っ直ぐに見ながら。そんな御村は当真晶子から見れば明らかに無防備だったからなのか、私を引き渡さない時点ですでに決まっていたのか、架空の薙刀が御村に向けて斬りかかる。
御村の背後から矢のごとく飛ぶ“それ”を見て、私は御村に危機を伝えようとするが、咄嗟の事で声にならない。目を背ける間もなく御村に殺到する薙刀の群れをしかし、御村は退けていく──『優しい手』と呼ばれるその両手で。
「──な? この通りだ」
今この瞬間にも、薙刀は息つく暇すら与えず御村を狙い飛んでいくが、一つすら傷つける事なくガラスが砕けるようなどことなく儚い音を残し消えていく当真晶子の殺意の形。時折、私の横を掠め御村の死角を突いていくが、それも容易く薙ぎ払われる。それでも気が遠くなるほどの数を未だ残す中、御村は飛んできた薙刀の内の一つをあっさりと掴んで私に言う。
「“殺刃”だったら、こんな風に掴む事なんて出来ない。仮に柄を持っても手を切るだろうよ。なぜなら、あいつの“斬る”という意志が込めれているからな。見た目からして、持ち手の方が大きい薙刀を大して思い入れのないにも関わらず、こうやって形にしている。どういう事だと思う? ──刃を遠ざけながらも自らの手で操りたい。そんな当人の心象を表すのに近い形が薙刀だった。ただそれだけの話なんだよ!」
御村が掴んだ薙刀が砕けていく。力を込めて握った様子はなく、御村の気迫に負けた様に見えた。周りを囲う他の薙刀もそれに圧されてか動きに精彩を欠いていく。
「──たし、は……わたしは……」
薙刀の動きに動揺が見られるという事はその大元にも同じ事が言える。薙刀が不自然に揺らいでいく個体をそのふり幅が大きくなる順に追っていくと、その先には当真晶子がいた。浮かべた表情にはやり込められた時よりも彼女の本質に近い“生”の反応が見て取れる──それは誰かに対する劣等感だった。
「──私は“姉上”より数多く生み出せる! 私は“姉上”より長く大きいものを生み出せる! 私は、私は──“姉上”より強い!」
「──“姉上”とやらは知らんが、それはない」
いつの間にか当真晶子に手が届く距離まで近づいていた御村がその両手を振るう。武の手ほどきどころか、心得すらない当真晶子にそれを防ぐ術はなく、まるで憑き物が落ちたようにその体が沈んでいく。
「……たしかにどうにかなったわね」
「だろ?」
自ら倒した当真晶子を地面に激突させないよう受け止めながら、御村がどこか自慢げにこちらを振り返る。それを見てなぜか胸のあたりがざわつく。……運動不足かもしれない、そう結論付けた私は当真晶子を背負った御村と共にコテージへと足を向けた。
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