春休み・五
*
「──いくぞ!」
自分の中にある空気を吐き切るように絞り出された声。慣れた腹式呼吸から出たのは空気だけではなく私の意志が乗っているのかもしれない。
知らず手に力がこもる『怪腕』が生み出す握力に負ける事なく付き合ってくれた刀は刀山剣太郎に刀身を短くされてもなお、私の手にあり続けてくれた。私はそれに応えたい。そんな感傷を抱いて今から挑むのは私にとって初めての自分の為の戦い。
一本指歩法で刀山剣太郎との距離を詰める。『怪腕』の筋力で行う加速は当真瞳子より速いと自負するが、近づく刀山の表情は動かない。落ち着いた動作で私との衝突する予測地点から手前の空間を薙ぐように振るう。得物がただの棒であってもそこに込められているのは本物の切れ味。そのまま進めば私の体は二つに分かれるだろう──この刀のように。
体を今まで以上に前傾させ、一本指歩法を維持する──当真流剣術、一本指歩法『不知火』。相手の膝辺りまで低く走る事で無造作に振るわれた攻撃をくぐるようにかわす。私と刀山の体が交錯し、何事もなく通り過ぎる。
「……かわされたか」
そう呟く刀山の声に外した事への悔しさはない。あくまで自分へ向かってくる私を追い払ったとしか思っていないのがわかる。事実、私を“斬ろう”したつもりはないのだろう。本当に“斬る”つもりなら、私がどんなにかわそうとしても斬る事が出来たはず。『不知火』でかわしたのではなく、刀山が何の気なしに出した剣を“ぶつからないよう”に避けたと言う方が正しい。
「お前の腕では届かない。それは理解していると思っていたんだがな」
「……あぁ、理解しているとも。だから手段を選ぶつもりはない」
「何? ──っ!」
瞬間、刀山あらぬ方向へ得物をかざす。ほぼ同時に舌打ち交じりの呼気を纏い、しなやかな突きが刀山の肩口を掠めていく。
「──あの距離まで近づいて肩の皮一枚が精一杯か」
刀山の反撃を警戒した分だけ、踏み込みが浅くなったのだろう。奇襲を失敗させた事を苦い顔でそう評したのは、同じ生徒会の桐条飛鳥。刀山への警戒を続けたまま、私へ向けて済まない、とアイコンタクトを送る。
「構わない。打ち合わせ通りだ」
私が先行して刀山の初太刀をしのぎつつ後方を確保し、刀山の意識をこちらへ向けさせる。その隙を突いて、桐条は刀山に奇襲を掛け、その成否に関わらず深追いせず、私とで刀山を挟み撃ちにする。少し離れた所では御村が篠崎空也が対峙したままこちらの邪魔をしないよう立ち回っている。私と桐条が刀山と相対し、その間、御村が篠崎を抑えるという形。
「俺の剣を知って、この戦況に持っていくとは──正気か?」
『優しい手』を持つ御村でなければ、勝負にもならないという事だろう。
「なんとでも言ういい。直接借りを返す為なら恥も外聞も捨ててやる」
啖呵を切る私を見て桐条がらしくないな、と苦笑している。
恥も外聞も捨てる。この戦いの少し前、刀山とどう戦うかを打ち合わせた時、御村にもそう言った事を思い出す。
──本当にいいのか? 『剣聖』について聞かなくて。会長にああ言ったんだが、手段を選ばないというのなら聞くだけなら損ではないと思う。
──構わない。手段を選ぶつもりはないが、それをお前に押し付けるつもりもない。……友人なのだろう?
──すまん。
──いいさ。その代わり、私が『剣聖』に勝てる、とはいかなくても一矢を報いる可能性を示してほしい。私に出来る事なら恥も外聞も捨ててでもやってみせる。
──わかった。ならまずは──
そして回想の御村と私の口元の動きが重なる。
「“飛鳥”! 『飛燕脚』で攪乱。ただし、深追いはするな!」
「了解!」
私の意図を正確に理解した桐条の体が風景とズレていく。使用者の挙動を完全に隠す『飛燕脚』ならではの現象。……いつ見ても凄いと思う。『桐条式』という武術も桐条飛鳥本人も。だからこそ信じて託せる──自分がやるべき事に集中できる。
──刀山剣太郎の斬撃を受けるのはまず無理だ。どんなになまくらだろうが、刃がなかろうが、その手に持てばあらゆるものを斬る事が出来る。斬りたい部分だけをピンポイントで狙って斬ったりも、な。そうめんの束で色がついている部分があるだろ? わざわざ一度抜き取って、真ん中の方に紛れ込ませたのにその部分だけ斬ってみせた時は驚きを通り越して引いたよ。……話が逸れたな。つまりどんなガードも無意味なんだ。剣太郎と戦う時は、どれだけ攻撃されないかが肝になる。そして、今回はそれを実現するのにピッタリの人材がいる。
『飛燕脚』を持つ飛鳥が前衛に立つ。それが、この作戦の前提であり、必須条件だった。
そして桐条はそれを迷うことなく引き受けた。一番危険な役割を、一番戦う理由がないにも関わらず、大して親しくしたわけではない私の為に。
なぜを問う私に桐条は迷いのない真っ直ぐな瞳で言う。
──優之助が私に頼むと言った。自分一人では出来ない事を頼み、任される。それに応えたいと思うのは当然だろう? それに、
──大切なものの為に戦うという気持ちはわかる。はにかみながら、そう言った桐条を私はどんな顔をして見ていたのだろう。
「……なるほど、優之助が任せるだけはあるな」
刀山の呟きには桐条への賛辞が込められている。『飛燕脚』で距離感が合わない為か私に向けて放った初太刀以降、刀山が仕掛けたのは一度もない。一太刀で桐条を捉えられなければ、桐条はもとより、私にも攻めを許すからだ。
ただ、桐条の方も攻勢に回る事はできない。触れれば斬られる刀山の攻撃は完全にかわせなければ致命傷となる為、得物が届かないギリギリの位置を常に意識して動いている。
この間、私に出来る事は刀山“だけ”を見る事のみ。当然だが、『飛燕脚』の視覚誤認は味方である私にも通用する。下手に俯瞰で見ると桐条の動きにつられ、いざという時、動けない。だから私は刀山だけを見続ける。それだけしかできない事に対するもどかしさに耐えながら。
今のところ、両者攻めあぐねている格好だが、刀山の構えは二対一という状況でありながらも揺らぐ気配がない。対して桐条は『飛燕脚』を常に使い続けている為、運動量は刀山とは比べ物にならないほど消耗している。このまま膠着が続けば、崩れるのは桐条の方が早い。
「っ!」
例えるなら、水泳の息継ぎのタイミングを間違えた時の様な呼吸の乱れ。大方の推測通り、それは桐条のものだ。そして、対峙する刀山にそれを見逃す甘さはない。手にある得物が剣呑な空気を纏わせながら、ゆっくりとさえ見えるほど自然に動く。
──今だ。
瞬間、私は飛ぶように走る。当真流剣術、一本指歩法『不知火』。桐条が前衛で攪乱し、刀山がそれにつられた時、私が強襲する。それがこの戦いにおける基本的なプラン。
「……ふん」
刀山がつまらなそうに鼻を鳴らす。二対一が前提の立ち合いで私が隙を突いてくる事など想定しているとばかりに。切っ先が私の方へと揺れる。
刀山の構えは正眼を基本に盾を持たない片手剣で戦う様な形。およそ斬るというには向かない構え、それが刀であるというのなら尚更だ。あれでは一寸斬れるかどうか怪しい。
ただし、それは普通の使い手ならという話。得物、対象を問わず斬れる『剣聖』にとって、むしろあの構えが自然なのだろう。もしかするなら『怪腕』で刀の重量を苦にせず戦える私が目指す先かもしれない。ただそれも後で考えるべき話。
短くなった私の刀が届く頃にはもう私の方を向いている。両手で構えるより小回りが利くという事。後は私の動きに合わせて斬るだけで済む――私が刀山を攻撃するならそうなる。
「はずれ、だ『剣聖』」
刀を片手に持ち替え、右半身を前に突きを出す。狙いは刀山ではなく、刀山の持つ“得物”だ。
──飛鳥が攪乱してから、ここぞというタイミングで奇襲を掛ける。ただそれだけだと剣太郎には通用しない。普段の刀で普通に剣太郎を狙えば、返り討ちだ。ただし、今の刀ならば、勝機はある。
──最悪、剣太郎の攻撃を止められればいい。徒手格闘の間合いで近付けるなら、その短くなった刀なら得物を取回す関係上、先手が取れる。……まぁ、そこまで近付くのが一番大変なんだが、飛鳥の『飛燕脚』を相手にすれば、いくら『剣聖』といえど、接近を許してしまう。そこから先は真田さん次第だ──今回の作戦目的“武器破壊”の成否は。
桐条のおかげで前提は達した。後は“当真流剣術を使えないという御村の勘違い”を正すだけ。講堂で使うつもりがなかったその技は──
「──『炎竜』」
『不知火』の加速を充分に後押しに放たれたその突きは、刀山の得物を狙い違わず命中した。
『不知火』から繰り出す当真流剣術の中でも珍しい刺突技。名を『炎竜』。竜が吐く炎に例えられたそれは、フェンシングの突きに近い。腰より低く走り、強襲する攻撃はいかな『剣聖』でも防げない──はずだった。
「……いい攻撃だ。守るのが精々なほどにな」
そう感心する刀山の手にある木製の柄は傷一つない。何故だ──そう言い放ちたくなるのを抑え、動く。“刀山剣太郎に攻撃動作を許してはならない”という御村のアドバイスから推察した結果、辿り着いた予想を実践されないように。
半分以上刀身を失った刀は刃渡りおよそ二十㎝ほど。お互いの手が届く距離まで近づいた今、まだ私の方に分がある。『炎竜』を習得した際、鍛えた突きを二度三度繰り返す。
「──ふっ」
その突きを刀山は手首を少し動かすだけでいなす。恐らく『炎竜』の時もこうやって防がれたのだ。
そして今現在、二度三度、さらに続けて何度も突きを繰り出していく内に嫌でも気付いていく。私の刀と刀山の得物が交錯した時、導かれるように力が逃げていく感触に。私の突きの軌道を先読みし、手の延長線上と化した木製の柄を繊細に操り、緩衝材が物体を包み込むように刃を受け止めていく刀山の技量に。
傷らしい傷すら見当たらない刀山の得物。次第に武器破壊より傷をつける事に目的が下方修正を余儀なくされ、躍起なった私の狭まった視界に刀山以外の動く物体──桐条だ。
「っ!」
桐条の狙いは私の攻撃を受け流す刀山の右手、右半身。律儀にも外側に回り込み、回避の難しい上腕部──最初の奇襲で惜しくもかすった部位──を攻める。
「(今度こそ捉えた)」
私だけではなく、桐条も思ったはずのその言葉は結果、現実となる事はなかった。
「甘い!」
そんな私達を叱責するような刀山の鋭い声。次いで、私の刀からわずかに感じた手ごたえが完全に消える。刀山が桐条に向かって肩ごしに体ごと突っ込んだからだ。桐条の攻め手が封じられ、同時に得物を抑えこんでいた私から離れる。刀山にとって逆転するには充分な隙。
「桐条!」
それは一瞬の出来事。刀山の持つただの木の柄が線を描いて走る。通った後に残されたのは糸の切れた人形のごとく崩れ落ちる桐条の体。
「──!」
あぁ、今の私は自分を止められない。声にならない叫びが辺りを満たす中、他人事のようにそんな事を考える。そんな矛盾を抱えながら、無謀にも刀山へと肉薄し、刀を間合いも測らず、技もなくただ振り回す。
『怪腕』が生み出す剣風が間近にいる刀山の髪をなびかせるが、その刃が刀山に届く事は決してなかった。
「それでは昼の時と同じだぞ」
刀山がさらに一歩私へと近づく。先程競り合った時とほぼ同じ、お互いの手すら届く距離まで。ここまで近づくと刀山の剣は繰り出すには窮屈で、反面、私の剣は短い分楽に取り回しが利く。
自分でも止められないほど荒れ狂う“私”がこの男を倒すと叫び、俯瞰で見ていた冷静なもう一人の“私”が 今がそうだ、と背中を押す。みっともなく振り回した体がバランスを崩したように前へ傾く。
「そうか──」
ここで刀山の目に理解の光が灯る。傾いた体は自然、つま先──特に親指──に力が集中する。極近接距離における一本指歩法の発動。腰だめに刀を構え、レスリングの低空タックルの要領で体ごと刀山に押し込もうとして──足から崩れ落ちる。腕も動かない。
「(いつ斬られた?)」
私の頭を第一によぎったのは自分がどの場面で詰んでいたのか。敗北による悔しさは湧いてこない。それだけ、完膚なきまでに“私達”は負けたのだ。
代わりに芽生えたのは桐条を犠牲にして挑みながらも、手傷はおろか、刀山の得物にすら一矢を報いる事の出来なかったという結果に対する申し訳なさ。
「──手足の腱を“一瞬だけ”斬った。後遺症はないが、しばらくは動けまい」
刀山の呟きに近いその声で思わず辛うじて動く首を桐条の方へ傾ける。崩れ落ちたままの桐条の体はピクリともしないが、かすか聞こえるうめき声から生存が確認できる。出血も見られない。
不意に当真瞳子に腹を刺された御村を思い出す。刺されば部位は痕跡すら残さず一日と掛からず塞がったと聞いた。当真瞳子以上の剣腕を持つ刀山なら一瞬で塞がるよう斬る事など造作もないはず。
斬りたい所だけをピンポイントで狙って斬る。それは部位に限らず、事象にも適用されるという事。その気になれば、どんな治療を施しても塞がらない傷を永遠に刻めるのだろう。この期に及んで、改めて認識する。これが『剣聖』。
「……この茶番はもうすぐ終わる。それまで休んでおくといい」
「それはどういう──」
問いかける私に刀山の当て身が腹部へ突き入れられる。手足が動かない私に抗う術はなく、眠るように意識を手放した。
*
時は遡って、およそ二時間前。日原山水源の大元である貯水池での事。
「──いや、だからいいのか」
とある可能性からそう思い直す。できるかどうかは真田さん次第だが、これなら一矢報いる事が出来る。とりあえずプランは固まった。後は──
「──後はおまえと話をする必要があるよな。空也!」
「あれ、気づいてたの?」
「そうそう人が立ち寄りそうにないこんな場所で人間大の何かが身じろぎすれば気付きもするよ。とりあえず、さっさと出てこい」
「ご挨拶だね」
貯水池を囲う木々の一部が震え、飛び出す人影。ついさっき、食堂で二年ぶりに再会した高校時代の友人、篠崎空也だ。
「改めて、久しぶり……だね」
「だな。久しぶり……っていうか、何で隠れてたんだよ」
「いやぁ、ちょっと驚かそうと思ってね。まさかあんなにあっさりと看破されるとは思わなかったよ」
道を使わずに追うの大変だったんだよ、とよくわからない理由で顔を膨らませる空也。知らんがな、である。……あと、その顔止めろ。かわいいから。
「それはそれとして、いったい何を悩んでたんだい?」
「あぁ、それはな──」
俺は真田さんが食堂で剣太郎と戦った結果、家族同然に大切にしていた愛刀を壊されてしまった事。真田さんが剣太郎に刀を壊された借りを返そうと再戦を希望し、自分もそれに協力するのを了承した事を空也にかいつまんで説明する。
「知らなかったとはいえ、真田さんって子には悪い事をしたね」
少々バツが悪そうな空也。仕掛けたのは天乃原側とはいえ、そうなるよう煽ったのは当真晶子だ。空也なりに思う所があるのだろう。こちらとしては、そもそもなんで当真晶子のお付きでこの学園に来たのかが気になる。
「そういう理由なら、再戦はなるべく早い方がいいよ」
「……どういう意味だ?」
空也達に抱いていた疑問がもう一つ追加される。知らず前のりになって問い詰める俺を空也が落ち着いて、と両手で制す。
「まったく、君は妙な所で積極的だよね」
「誤解されるような言い方止めろ。……それで?」
「うん。まず、なぜ僕と剣太郎がここにいるかだよね? 当真晶子と一緒に」
「ああ」
「当真家に頼まれたんだ。天之宮側に序列持ちクラスの異能者の強さを見せつける為にこの学園に行ってほしいって」
「なんで空也達なんだ? 今期の序列持ちに頼めばいいだろうに」
空也達が名乗り上げた序列は言葉通り、“時宮高校での”序列だ。当真家が管理する格付けと競争には当然ながら、中学、高校、大学・社会人をまとめた成年といった世代別のレギュレーションが存在し、各世代も学校別などさらに細分化されている。
そうは言っても、当真家は全ての住民を序列付けしているわけではない。あくまで当真家にとって将来の構成員候補――つまり、戦闘能力、異能を一定以上持った人間のみである。三月にランキングを作成し、上位二十名に序列を与える。その上位二十名が『序列持ち』であり、時宮での名誉や優遇措置を受けられるのだ。
当然、その序列に不満があれば、序列持ちと対戦し、倒す事が出来れば、倒した序列持ちの順位をそのまま引き継いで新たな序列持ちになれる。上位二十名に絞ったのはそういう競争を煽る為と、序列の希少性の保持と現実的な実数確保の妥協点が二十名という二つの理由からである。
毎年ランキングを更新しているわけだが、その度にリセットすると序列に対する執着が薄れるという危惧もあるので、卒業(三月にランキングを作成するのは卒業生と新入生が確定するから)で抜けた分だけ順位が繰り上がったり、序列を保持したまま競争に参加しない事による剥奪がない限り、基本的に序列が動く事はない。
逆に言えば、序列持ちが二十名を割る事がないのでわざわざ空也や剣太郎を(高校の制服を着せてまで)連れてこなくてもいいはずなのだ。
「初めはそのつもりだったらしいけど、序列持ち全員に断られたんだって。生徒会長になるくらいだから、そこそこ優秀で人望もあるはずなんだけどねぇ」
誰とは言わないけどね、と締めくくる空也。言ってるだろ、それ。まぁ序列持ちと言っても当真家が勝手に評価をつけ、勝手に優遇しているだけで両者に主従関係があるわけではないのだ。当然、断る権利はある。当真家に対しても、当真家に後ろ盾のある生徒会長に対しても。
「それにしても無茶な話だな。元序列持ちを引っ張り出すなんて大人げないにも程があるだろ」
「年齢を誤魔化して学園に入学した君が言うと説得力がないね。当真家から事情を聞いた時はさすがにビックリしたよ」
「確かにその通りだけど、話を持ってきたのは瞳子だ」
「でも話を受けたのは君自身だ」
そう指摘されると言葉もない。俺の事情はともかく、二人が当真晶子と一緒に来た経緯はわかった。今はそれでいい。それより気になるのはもう一つの方だ。
「んで、再戦を早くした方がいいとは何だ? まるで予定より早く帰るのが決まっているみたいな言い方だろ」
「うん、決まっているんだ。明日には急用ができて帰る事になる予定」
一泊二日か。急用をでっち上げてまで帰る理由は──
「──顔を合わせると困るからか。瞳子と」
昨日の朝、そう告げられたのを思い出す。案外、到着予定が早まったのも瞳子と時宮で合わないようにした為かもしれない。
「気付いていると思うけど、瞳子ちゃんと当真晶子は敵対しているんだよ。瞳子ちゃんの不在にこの学園に来たのもその一環なんだ」
「……後継者問題か?」
「なんだ、後数年で当主が交代するの、知ってたんだ」
どうやら理事長が話した内容に間違いはないようだ。正直、突飛すぎて半信半疑だったが、当真晶子側にいる空也からも証言が取れたのでほぼ確定した。
「当真晶子の目的は後継者選びに優位に立つこと。姉妹校提携はその為の手段というわけか」
後は本人が言った通り、会長が天之宮に便宜を図るよう仕向けてきた。瞳子に邪魔されないよう、当真家に呼び出された日を狙って。ただ、そこまでする意味があるのか、それが少々疑問だ。
理事長の話から当真家にとってこの学園がどういった価値を持つのかは理解している。次期当主が理事長を兼任する理由も同様だ。瞳子がこの学園に来たのも後継者問題に関わっているからだとも今は分かる。
だが、当真晶子側の提携話は後継者になる為にそこまでアピールできるかと言えば、若干弱いと思う。すでに天之宮学園には理事長である当真慎吾がいるように学園に深く関わっている。
対して時宮高校は市立の学校。仮に提携が実現しても今以上に当真と関わるわけではないのだ。生徒を支配したいなら、俺の様に直接学園に潜入させればいい。それこそ本物の高校生をいくらでも。
しかも今やっている事と言えば、提携交渉がうまく進むよう会長にそう仕向けているだけ、遠回りにも程がある。現時点で見れば、学園内で活動する瞳子の方があらゆる意味で有利。
「天之宮の経営に直接関わっていない会長に提携話をスムーズにいくよう便宜を頼んだって、どこまで効果があるかどうかわからないだろ。そんな遠回りをしてまで提携話にこだわる理由、それを覆す要素とは何だ?」
「ごめん、当真家が何しようと興味がなかったから聞いた以上の事情はわからない。僕達が当真晶子についてきた理由は久しぶりに会いたかったからさ」
「そうか……って、じゃあ連絡しろよ! ビックリするわ!」
「だから言ったでしょ? 驚かせたかったんだって」
「それはここで姿を見せなかった……いや、もうなんか力が抜けるからいいや」
「で、どうするの? 再戦の話」
「そこに話が戻るのかよ。何時に帰るんだ?」
「昼までには出ると思うよ。瞳子ちゃんと会わないようにするから、多少ズレるかもだけど」
「なら、今日の内にとっとと済ませた方がいいな」
「だね。その真田さんは剣太郎と戦うから僕は桐条さんなのかな? 優之助はどうするんだい?」
「いや、飛鳥は真田さんに助太刀してもらう。俺はお前と戦うよ」
今の真田さんでは再戦して剣太郎に一矢報いるのは難しい。かと言って、額面通りの二対一だと当真晶子が何を言うかわからない。三対二ならハンデという名目でまだ通りやすいだろう。そうなると空也を足止めする役が必要だ。
「だから、君が僕と戦うのか……。相変わらず、面倒くさい事に首を突っ込むのが好きだね」
いや、面倒くさい子が好きなのかな、と空也が茶化す。どっちも違ぇよ。
「うん。じゃあ、お手柔らかによろしくね、優之助」
「あぁ……その時はよろしく」
「──始まったようだね」
「そうだな。とりあえず、ここまでは順調だ」
高らかに吼える真田さんをちらりと見て、ホッと胸を撫で下ろす。飛鳥か凛華が共闘する事を良しとしなかったり、当真晶子がこの話に乗らなかったら、この状況に持っていくのは無理だった。頼まれた割に他力本願な部分の多い計画なので、あまり力になれず心苦しいのだが、結果的にはうまく回ってよかったと素直に思う。後は真田さん次第。そして──
「──そして俺はお前と戦うだけだ。心置きなく、な」
「……安心したよ優之助。君が腑抜けたって噂も耳にしていたから」
「その噂は間違っていなかったさ。ただ最近、少し考えを変えただけだ」
「それは?」
「遠慮するのは止めにするってな」
それは瞳子と戦って気付き、ハルとカナの前で約束した事。相手に遠慮せず、本気でぶつかる。それは成り行きからであっても、頼まれた事のついでだとしても変わらない。
「──ははっ! いいよ優之助、君はやはり変わっていない! 昔と変わらず素敵だよ!」
「それは光栄──『優しい手』御村優之助だ。よろしく」
「『空駆ける足』篠崎空也──こちらこそ、よろしくしてね」
まるで初対面のように、あるいは新しく出会い直すように、口上を交わす俺と空也。真田さん達に遅れる事、数分。“全てを制する手”と“どこまでも駆けていく足”との戦いが始まった。
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