春休み・四

「──見事な足さばきだね。回り込まれたの全然気づかなかったよ」


「それはどうも。……こちらも近寄る前に気づかれるとは思わなかった」


「こんな騒ぎを起こしているのにキッチンから出てこなかったらおかしいと思うよ。後は攻められると困る方向に声を掛けただけさ──要は勘だね」


 そんな遣り取りを交わす篠崎と桐条さん。凛華の時のように真っ向から迎撃するかと思えば、今の所桐条さんから一定の距離を保とうと逃げの一手のみ。そんな篠崎を桐条さんはコマ送りに見える動き、桐条式・『飛燕脚』で追う。


 机や椅子が障害物として動きにくいにも関わらず、体の初動を悟らせずに攻め続けられる桐条さんはすごいけれど、その桐条さんから同じ条件下で逃げ回れる篠崎もかなり不気味だ。そんな芸当が簡単でない事くらい素人の私でもわかる。


「……いつまでもこのままはマズいなぁ」


 にこやかな表情に少し物憂いものがよぎる篠崎。現状、逃げ回っているだけなので当たり前といえば当たり前の話。けれど、篠崎からはどことなく余裕らしきものが見て取れる。桐条さんも同感なのか単純に攻撃する為というより、自分が攻撃できるギリギリの距離を維持している為に追っているのだと思う。追うのを辞めた瞬間、遠距離から攻撃される可能性を危惧して。相手が素手だとしても油断はできない。私達はそれが出来る人間がいる事を知ってしまったのだから。


「わかるよ。君、離れた所から攻撃されるのを警戒してるね? ……瞳子ちゃんを見たからかな。"若いのに"侮れない経験を積んでいるね」


 よくわからない感心をしながら、ついにその足を止める篠崎。桐条さんはそれを見ても一気に距離は詰めず、徐々に相手に肉薄する事を選択。よりよい位置、タイミングを計るつもりだ。


「……乗ってこないあたり冷静だけど、こっちから行く可能性を忘れてないかな?」


 篠崎が呟きと共に飛ぶ──3m以上ある天井まで。別に驚きはしない。凛華だってそれくらい飛べるのだから。そのまま天井に着地? すると桐条さんの後方へ向けてさらに飛ぶ。着地するとさらに天井へ飛ぶ。解説するのが馬鹿らしくなるくらい一連の動作をとても柔らかく静かに繰り返していく。


 凛華や当真瞳子の使っていた『一本指歩法』のような爆発的な加速を感じないが、貼り付くというニュアンスが似合う蹴り足は天井や壁はおろか細い縄や小さな石の上にも狙って飛び跳ねられそうだ。


「(つまり、あれも何らかの"異能"でしょうね)」


 篠崎は包囲するように桐条さんの周りを柔らかく静かに跳躍を続けている。その囲いも気づけば、少しずつ狭まっているように見える。いつの間にか先程とは立場が逆転していた。まるで真綿で絞められたように仕組まれた攻防の妙、その起点となったのはあの跳躍──正しくはその柔らかさだった。


 柔らかさ、それは力感がないと言い換える事ができる。3m以上飛んだというのに力がどこかに集約された形跡が見られなかった。それはもう不自然なくらいに。凛華の跳躍は『怪腕』と言われるほどの筋力を『一本指歩法』で集約し飛ぶ。飛ぶ際の動作(特に初動)は弓を引き絞る様を連想させるし、それは『一本指歩法』の精度で明らかに上の当真瞳子も例外ではない。なのに篠崎は軽やかに飛ぶ。まるで無重力の空間に居るように。


「(案外、本当に重力を操っているのかもね)」


 そんな馬鹿な事を考えている内にも状況は桐条さんにとって不利に動いていく。『飛燕脚』は制圧にも迎撃にも優れた、まさに距離を制する技。しかし、相手が自分より数段速く動ける場合、自分に向かってこない場合はその限りではない。速さはともかく、ああも周りから周りへウロチョロされると攻めるにしても守るにしても桐条さんがイニシアチブをとるのは難しいはず。まして、相手は上段も届かないような高い位置へ移動できるのだ。地に足をつけて戦う以上、想定外のはずの真上を。


 そんなことは使い手であれば百も承知だろう。篠崎の包囲網によっていよいよ端の方へ追いやられているにも関わらず、桐条さんの表情に悲壮なものは見られない。食堂の構造上、当然ながら端の方が机も席も多く配置されている。いくら障害物を苦にぜず『飛燕脚』で動けるといっても限度があるはず。……何か狙ってる?


「少し早いけど、そろそろ幕引きかな?」


「……あぁ、こちらもそのつもり──」


 ──だ。皆まで言わず、そして篠崎の終了宣言に動じず、手近に置いてある椅子を篠崎に目掛けて投げつける桐条さん。


 樹脂と細いパイプで構成された食堂の椅子はその気になれば私でも振り回せるくらいに軽い。それを遠慮のかけらをみせず、続けて二つ三つ遠心力を伴わせながら篠崎の天井へ飛ぶタイミングに合わせ、勢いよく飛ばしていく。ああも大胆な判断ができたのか、驚きと感心が半々の私と篠崎を意にも返さず、地面に退避した篠崎を『飛燕脚』で間合いを詰める。


「シッ」


 打撃系でよく耳のする呼吸音があたりに響く。少し遅れて肉と肉が鈍くぶつかる音が聞こえた気がする。幻聴ともとれるその音はしかし私には決着を確信させる。


「──くっ」


 漏れた呼気と共に膝を折る。理解が追い付かない。なぜ、あそこから桐条さんが打ち負けるのか?


「タイミングを計っていたのは彼女だけじゃないって事さ」


 茫然とする私にそう声を掛けたのは勝者である篠崎。そう、勝負はついてしまったのだ。私にわざわざ解説できてしまうほど、覆しようもなく。


「彼女──桐条さんだっけ?──の足運びは見事だったよ。僕でも初動を捉える事は最後まで出来なかった。だから地形的に動きにくくなる端へ追いやろうとした。……そこは気づいていたよね?」


 『飛燕脚』を見切れなかった事に少しの悔しさを滲ませながらも、その説明は澱む事なく進む。


「障害物を上手くかわしながら動きは維持していたけれど、それは椅子に限った話さ。さすがに机はかわしきるのは無理がある。……当たり前だよね、物理的にすり抜けるわけじゃないんだから。なら左右に机があるこの場所まで誘導すればいい。そうして追い込んでからタイミングを計って地面に着地すれば、桐条さんは一気に間合いを詰めてくる。それに合わせてしまえば簡単だよ。いくら動きに誤魔化されても来るのがわかっているからね」


 まるでその時を再現するように、しなやかな前蹴りが空気を裂いて突き出される。跳躍そのものに力感がなくても、その蹴りは間違いなく相手を容赦なく沈める威力を秘めていた。打撃が主戦場の桐条さんが一撃で倒されてもなんら不思議ではないと思う。


「──それはそれとしてあちらもそろそろ決着じゃないかな」


 そう言って指差す篠崎。目まぐるしく動き回る桐条さんと篠崎に気を取られ、もう一方をまったく見ていなかった事を今更思い出す。指差された先を追うと息も絶え絶えに辛うじて立つ凛華と得物を無造作に構え、泰然とした立ち姿の刀山剣太郎(得物がモップの柄なのがなんともシュールだけれど)。


「『剣聖』を相手によく持った方です」


「……知っているの?」


 こんな風に話し掛けるのは平井要芽一人しかいない。目くじらを立てる事すら煩わしい私は本題を促す。それにしても、御村が近くにいるけど大丈夫なのだろうか。……どうでもいいけど。


「『剣聖』刀山剣太郎はその名の通り、剣の術と理を超えた聖人です。異能とは別種の奇跡を体現する時宮でも特異な存在。正直、当真晶子についてくるとは完全に予想外でした」


 平井さんの声に珍しく緊張が混じる。御村を目の前にした時とは違い、私が平井さんに感じているような警戒の成分が多分に含まれているのが手に取るようにわかる。ここまで私に無防備を晒すというだけで、刀山剣太郎がいかに凄まじいのかが伝わる気がする。


「────っ」


 凛華が声にならない気勢を上げ、自らを奮い立たせる。それに呼応して『怪腕』の握力に耐えられるよう特注で拵えられた刀の柄が不自然に軋む音が聞こえてくる。あれでは剣を持つというより、鉄の棒を握り締めているようなものだ。剣術としては決して褒められない行為。


 ただ、凛華の場合、下手な斬撃より開き直ってかかった方が防ぎようもないのも確か。まして相手はモップの柄なのだからかわす以外の対応に想像がつかない。むしろかわせなかった場合、控え目に言っても人体はバラバラになる心配の方が強い。


 そんな心配などお構いなしとばかりに凛華の踏み込みが刀山との距離を一気に詰め、勢いそのままに刀を振り下ろす、技もへったくれもない不恰好な攻撃。それでも唸りすら聞こえるその一撃は防げない。至近距離まで近づいた凛華に棒立ちの刀山。


 もはやかわせるタイミングをすらない状況に思わず、あ、死んだ──そう喉から出かけ、そのまま飲み込む事になる。なぜなら──


「……あれ?」


 ──なぜなら、今、私の目に映るのは、一瞬前の予想に反して五体満足で体を入れ替え交錯した二人の姿。代わりに出たのは拍子抜けし、間が抜けた声だけ。やや遅れて、一歩間違えば人死にが出た可能性を思い出し、背筋に冷汗が流れ落ちる。最近いろいろな事が起こりすぎて感覚が麻痺していたらしい。


「(……どうも周りに流され過ぎているわね)」


 人を率いる身としては褒められた気構えではない事に軽い自己嫌悪に陥る。ただ、それは今でなくてもいい。今は──


「──真田凛華の持つ得物を見てください」


 反省を脇にやり、目の前の疑問に答えたのは平井さん(……相変わらず内心を読まれているのも後でいいわ)。促されるまま、凛華の手元を見る。


「……切っ先がない」


 凛華の得物は刃渡り七十はある打刀。その刀身が曲がったわけでもなく、折れたわけでもなく、あざやかな断面を空気に晒しながら根元近くからいた。


「あれは刀山がやったの?」


「えぇ」


「丸みのあるモップの柄で?」


「基本、得物は選ばないそうです。……気に入る、いらない、はあるようですが」


「つまり、どれを使っても出来るのね。あんな芸当が」


 その斬った張本人は軽く得物を二、三度手首の返しだけで振ると背後の凛華を置き去りに一足先に戻っていた篠崎と当真晶子の元へ向かう──勝負はついている。そういう事だろう。


 一方、凛華は茫然としたまま、固まっている。戦闘続行の意志がない事は明らか。誰がどう見ても刀山の勝ちで決着しているのだ。


「勝負ありましたね」


 当真晶子が事もなげに言い放つ。勝って当然という体は桐条さんと凛華を苦もなく退けた二人の実力を知っていれば納得できる。


「これでわかったはず。天乃原学園を御しきれなかったのはあなたをはじめとした生徒会の力不足が原因だったという事を」


「……私が未熟なのは重々承知よ。なにせ、あなたの安い挑発に思わず乗ってしまうくらいだもの」


「そんな皮肉交じりの自嘲では誤魔化せないわよ。一連の問題を解消できたのは異能を含めた"武力"だという事実は覆りはしない。集団の長である生徒会が私達に敵わなかったという事も」


「……」


「この事実を両家に報告すれば、懐疑的だった天之宮側も態度を軟化するでしょう。姉妹校提携の話も同様にもう少し好意的に見直されるはず」


「……それがあなたの目的というわけね?」


「その通りよ」


 さして隠す様子もなく肯定する当真晶子。生徒会は学園内の自治はもとより、学園の舵取りもある程度介入できる。ただし、その権力が及ぶのは天之宮内のみという注釈がつく。要するに部活の大会日程や開催場所を天之宮学園の都合で決めたりはできないのだ。


 特に今回の提携話は学園運営のみならず、ひいては天之宮、当真両家の思惑が交錯している。当真家側からすれば、天之宮本家を相手にするより、学園内の権力を一手に握る私達をつついた方がはるかに効果的なのだ。


「天之宮さん、あなたにも協力して頂ければ話は早いのだけれど、どうかしら?」


「どうかしら? とは?」


「天乃原学園現生徒会長であり、天之宮当主の孫娘のあなたが、口添えすれば、提携交渉はさらによりよいものになるでしょう。そもそも今回の話は両家ともに利がある。あなたもそれはわかっていたはず」


 そう語る当真晶子の物腰は今までの態度を一変させたように柔らかく、友好的だった。しかも突いてくるのは感情論ではなく、純粋な利害の部分。たしかに、提携の話は天之宮にも利があり、断る理由はなかった。ただ事を性急に進めようとするより、段階を踏んだ方がいいと判断しているだけ。


 当真家に終始イニシアチブと取られる事に抵抗があるのも否定できないけれど、天之宮に基本、否やはない。ないのだけれど──


 改めて当真晶子に向き直る。その顔はにこやかに整っているが、見方によっては勝者としての余裕──勝ち誇っている──ようにも取れる。そんな顔をされれば、叩き潰したくなるし、仮に負ければ、腸が煮えくり立つ。なのに当真晶子の勝ち誇る顔(と決めた)を見ても、桐条さんも凛華も負けたという事実を目の当たりにしても、悔しさが一切湧いてこない。……御村の時はあれほど苦い思いをしたのに。


「そうか……それでか」


「なに?」


 不利な立場でありながら動揺を見せない私に当真晶子が不審めいた視線を私に向ける。ただそれも一瞬の事。まだまだ取り繕ったものを引き剥がすには足りない。現時点ではあちらが絶対的に有利なのだから。


「あなたにも立場はあるのだし、結論は急がなくてもいいわ。でも──」


「──交渉の肝は両者の落としどころを見極める事。だが、当真のやり口はその判断基準に武力を絡ませ、優位に立とうとする。今、会長がやられているのがそれだ。わざわざ煽って交戦に持ち込み、勝利して、相手の抵抗心を削ぐんだ。煽られたとはいえ自分から仕掛けた喧嘩に負けたら、その後の冷静に顔を合わせるなんて無理だろ?」


 私を絡めようとする当真晶子をよく通る声が唐突に遮る。ここへきて、第三者が口を挟むとは思えなかったのか。当真晶子の顔がにこやかなまま固まる。


「見てみろよ、当真晶子を。どう見ても"私の思う通り事が運んでちょろい"って顔だ」


「……気付いているわよ」


「だよな。普段似たような顔してるし」


「失礼ね。あそこまで露骨じゃないわよ。ま、本人は下手に出て誤魔化しているつもりでしょうけど」

「なっ!」


 なにを言っているのか? あるいは、なんて失礼な! だろうか。当真晶子が何事かを言おうとして、言葉に詰まる。今までの流暢さはどこへやら、だ。たった一度の思わぬ乱入でペースを保てないなんて、こういった論戦に慣れていない証拠だ。同じ当真でも当真瞳子ならこんな醜態は晒さない。


「会長。俺はここで"頼まれた事"を果たそうと思うんだが、いいだろうか?」


 私達天乃原学園側の中で唯一の部外者、御村優之助はそう私に告げた。


「えぇ、お願いするわ」


「……どういう事かしら?」


 先程から私と御村に主導権を握られ置いてけぼりを食った格好の当真晶子。その表情は少し前の会話の中心とは思えないほど余裕を感じられない。剣呑とすら感じる彼女を御村は大して気にした風もなく、質問を投げかける。


「なぁ、当真晶子。おまえ、さっき言ったよな? "天乃原学園が長年抱えていた問題の一つが解決したのは、異能による圧倒的な恐怖という形"だと」


「そうよ。間違っているかしら?」


 おまえ呼ばわりされた事に苛立ちはあっても、その程度で話の腰を折るつもりはないらしい。当真晶子は無愛想ながらも続きを促す。


「違うな。天乃原学園の問題、つまり天之宮グループを利用しようとした連中が学園を去ったのは、"異能に対する恐怖"からではなく"表向き無関係の第三者が異能そんな力を持っていたから"なんだよ」


「何が違うの?」


「察しが悪いな。いくら未知への恐怖が拭えないものだとしても、ある程度の理性は働くって事だよ。そんな力を大っぴらに使えるはずがない、ってな」


 御村の当真晶子を見る目が皮肉抜きで呆れているのだとありありと見て取れる──それでも異能者を束ねる当真家の者なのか、と。


「そうでなくても学園側の立場は微妙だ。体罰に対する世間の見方が厳しい現状で下手に力に訴えれば学園はただでは済まない。強権を誇る生徒会でもそれは同じだ」


 そう、生徒会も無制限に力を振るえるわけじゃない。桐条さんが当時対抗勢力だった空手部をルールの元で立ち会ったように、幾重もの前提があって初めて相手に強権を発動できるのだ。外からは簡単に見えても、どれだけの手順を踏んで問題の生徒を放逐してきた事か。知らずため息が出る。


「連中はそれがわかっているから、いざとなれば弱者を装うだけでいいと高をくくっていた。力の大小は関係なく効果を発揮するからな。つまり異能者がただその力を振るっても意味がないんだ。なのに講堂での出来事を期にそういった奴らが自ら転校を申し出た。なぜか? 力を振るった生徒が生徒会とは"表向き"関係ない立場だったからだ」


 ここで御村が"表向き"と強調した理由は二つ。一つはそのままの意味、御村が天之宮とは関係のない一般生徒として転校してきたから。


 そしてもう一つは生徒会に明らかな敵対行為を働いた御村がなんのお咎めも受けていないから。いくら尋常な立ち合いとはいえ、生徒会が何もしないのは裏で繋がっているのでは? 御村の言う"連中"はそう考える。そして想像がこう飛躍する"表向き繋がっていないという事はこれから先、いくらでも自分達を排除できる"と。


 天之宮と転校生との繋がりを証明できない以上、弱者の立場から天乃原学園を追及する事は不可能。結果、切り札を使えないと判断した"連中"は学園を去った。春休み開始前後で起きた大量転出にはそういった背景がある。


「力による支配ができないのがわかったと思うけど、これを聞いてまだ天乃原学園を支配するなんて言うつもりか?」


「そ、それは……」


 当真晶子の返答は弱々しい。代案を出すのが難しいのはわかるが、ここで弱気を見せては駄目でしょう──そう言いたくなるほど今の彼女は頼りない。本当に用意されたレールの上でしか勢いを感じられない子ね。


 例え、絶望的な状況でもこの子に学園を任せられない、といよいよ確信する。御村はそんな私を見て、自分の役割が終わろうとしているのを理解したようで、話を締めにかかる。


「……というわけだ。会長、俺からの結論を言うぞ。当真晶子の器は組むに値しない。当真との協力は必要だろうが、もう少しマシな人間に頼むべきだとな」


 これは事実上の決裂宣言。天之宮側が本来言うべきものを御村に言われたからか、当真晶子の目に今までにない敵意が帯びる。


 ──戦闘再開かしら。側から聞けば他人事みたいな物言いだけれど、あいにく生徒会に戦力は残っていない。桐条さんの意識は戻らないままだし、凛華も今は戦えない。平井さんはそもそも計算外。続けるならあなた一人でやりなさいよね、と目で訴えてみる。その視線を御村はまかせろとばかりに軽く手を挙げて受け止める。……本当にわかっているのかしら?


「……ついでに言うならな」


 どこまでも場の緊張にそぐわない御村が無防備にも私に向き直る。


「あんたが踏ん張ったから天乃原学園は一つの問題にケリをつけられたんだ。講堂での出来事は数ある切っ掛けの一つでしかない。だから、あんたは当真に負い目や無力を感じなくていいんだ」


「(……いったい何を勘違いしているのかしらこの男)」


 そんな事は言われなくてもわかっている。もし私が無力に嘆いているように御村が見えたのならお門違いにも甚だしい。


 私はただ悔しいだけ、当真晶子にいいようにされかけた事がではなく、御村を頼りにするのをさほど嫌と思わない事がだ。どうやら私もいつの間にかそれなりに御村を評価していたらしい。


「(その判断に納得できないから凛華の評価にも疑問だったけれどね)」


 自分の事ながら未だに納得できないけれど、それでも今の私にできるのは御村の背中を見守るだけしかできない──意外に逞しく広い背中を。


「なによ。ちょっと格好いいじゃない」


 そう普段の自分がきいたら、正気を疑われる呟きが漏れる。やはり流されやすいのはどうにかしないといけないようだ。



      *



「──さて、どうする?」


「……どうするとは?」


 飛鳥も真田さんも戦えない状況の下、時宮高校との交渉を決裂させた責任から当真晶子の立ちふさがる決意をした俺はここから先は俺と時宮高校との喧嘩だとばかりに自ら矢面に立つ。


 ──そういえば、瞳子ともこんな感じで戦ったんだよな。少し前の講堂での事を思い出しながら相手をなるべく煽れるよう嗤って見せる。


「だからさぁ、このまま戦闘を再開するのかって聞いてるんだよ。なんなら、こっちは三対一でも構わないんだが。──まぁ、仮に戦っても意味はないんだけどな。万が一、そっちが勝ってもうちの会長はお前らと交渉する事はない。目的はすでに頓挫している」


 ──そちらに意味はなくてもこちらには意味があるんだけどな。内心でそう呟きながら当真晶子を挑発していく。


 理事長の言が正しいなら、時宮高校との提携は次期当主の選定に大きく関っているイベントだ。瞳子が当主になりたいかどうかはともかくとして、瞳子がいない状況で出しゃばってきた以上、当真晶子は間違いなく瞳子の敵だ。雇われた身の上、友人である俺としては少しでも当真晶子の足を引っ張っておきたい。


 ただ、それがどこまでできるかは疑問だ。当真晶子の後ろに控える二人をちらりと見やりながら思う。当の二人は、一方は笑顔を崩す事なく、もう一方はしかめたような顔のまま(本人としては一応、普通にしているつもり)で特段、動く気配はない。とはいえ、二人がその気になれば一瞬で間を詰め、仕掛ける事なんて容易い。結果として、出方がまったく伺えず、厄介な事には変わらないのだ。


「……」


 当真晶子の方も、二人がいれば戦闘そのものはどうとにでもなる事を理解してか、二度三度と二人の方へ視線を向けている。……俺に悟られないようにしているつもりのようだが、バレバレだぞ。


「会長、今日の所は引いた方がいいと思いますよ。今日から三日間は顔を合わせる予定ですし、ずっとギスギスしていたら身が持ちません」


 さすがに見かねたのか、笑顔を張り付かせた生徒──篠崎空也が当真晶子にそう耳打ちする。所作は耳打ちのそれだが、こちらに聞こえるような声の大きさ。このあたりが落としどころだというあちらからの提案だろう。


「……そうね。着いたばかりで泊まる部屋の確認もしていないし、このままというわけにはいかないわね。……お願いできるかしら?」


 耳打ちでどうにか持ち直した当真晶子は会長に向かって、部屋の案内を依頼する。いや、たしかにホストは会長だろうけど、わざわざ目の前の俺を飛び越して会長に話しかけなくてもいいんじゃね?


「それでは私がお連れします」


 軽く挙手して、案内を買って出たのは要芽ちゃん。会長はそんな要芽ちゃんに微妙な反応を示すが、少し考えて渋々了承する。多分、案内できるのが要芽ちゃんしかいなかったからだろう。飛鳥は食堂の椅子を並べた即席ベッド──会長が真田さんの戦いを見ている間、俺と要芽ちゃんとで用意した──の上に寝かされたまま意識が戻る気配はなく、真田さんも断たれた刀を手放さなさずに茫然としている。会長の許可を得た要芽ちゃんはテキパキとした動作で当真晶子達を先導し、あっという間に食堂の人口密度は半分になる。


「もうひと悶着あると思ったんだけれど……」


 拍子抜けした、と会長の独り言が寒々しく響く。こっちとしてもそのつもりだったので、正直耳が痛い。そんな肩透かしの感覚と沈黙で構成された気まずい空気が食堂を覆う。


 いよいよ沈黙に耐えきれなかった俺は食堂がしっちゃかめっちゃかになっている事を思い出し、いそいそと片づけ始める。幸いにというか物が壊れている様子はなくあちこち散らばっている椅子を直すくらいで大して労力は掛からない。


「……ねぇ」


「ん?」


 黙々と椅子を並べていく俺をしばらくただ見ているだけだった会長だが、やがてそれも飽きたのか口を開く。


「序列って何?」


「言葉通りだよ。当真家が将来の構成員の暫定的な格付けと生徒間の競争を推奨する為に敷いた時宮高校におけるランキング制度。もちろん測るのは|主(・)|に(・)戦闘能力。つまりあの二人は 時宮高校の主力というわけだ」


 数年前の、だがな。とはもちろん言わない。


「知っているの?」


 質問している風だが、確認のニュアンスが強い。俺と二人の目線か何かで察するものがあったのかもしれない。


「まぁな。有名だし」


 嘘ではない。はぐらかしてはいるが。


「……そういう事にしておきましょう。とりあえず、情報が欲しい。知っている事を吐きなさい」


「……お手柔らかに頼むよ」


 ちょうどよく椅子が並べ終わった。腰を落ち着けて語るのも悪くないだろう。そういえば、飛鳥が当真晶子達の分の茶を用意していたな。会長に飲み物を取ってくる、と伝えキッチンへ向かう。


「──さて、どこから話せばいいんだろうな」


 少し冷めていたお湯を温めなおし席に戻ると会長だけでなく真田さんも席についていた。一時のショックから立ち直ったらしく、弱々しくはあったが、目の焦点はしっかりと俺を捉えている。少なくとも話を聞く程度はできるだろう。一方、飛鳥の方はまだ目を覚ます様子は見られない。頭を強打したわけではないので深刻なダメージはなさそうだが、カウンター気味に蹴りが入ったのだ。無理に起さず、安静にした方がよさそうだ。茶を配り終え、一服しながら席に座る。


「あの二人の素性からでいいでしょ。もう一度戦う可能性もあるわけだし」


 とは会長。可能性などと言っているが、再戦は確実だろう。ここで降りるようなしおらしさがあるなら、そもそも当真晶子に煽られた程度で戦端は開かない。


「じゃあ、飛鳥と戦った方から。名は篠崎空也。本人も言ったが、序列七位の『空駆ける足スカイウォーカー』だ」


「『スカイウォーカー』?」


「空をも踏破できる足って事で名付けられた異名だ。戦闘は足技中心のスタイル、どんな態勢からでも蹴りが飛ぶから要注意な。投げ技、絞め技のような密着戦闘対策にムエタイを集中的に習っているから不用意に懐に入るのも厳禁。ほら、ムエタイの試合であるだろ、首相撲ってやつ」


 首相撲とはボクシングでいうクリンチの事だ。しかし、攻撃から逃れたり、体力を回復させる為に行う目的のクリンチとは違い、首相撲は組んでから肘打ち、膝蹴り果ては投げにまで発展する組み技といっても過言ではない代物であり、実際の試合でも攻防の開始は首相撲から始まる事が多い。


「足技に特化しているから投げたりはしないが、その分、膝は強烈だ。──だから、次戦う時は、不用意に攻めるのは気を付けた方がいい」


「──あぁ」


「起きていたの?」


 会長と俺が見つめる先には意識を取り戻した飛鳥がストレッチをしていた。椅子を並べただけのベッドに寝かされていたのだから当然と言えば当然か。大きく伸びをしてストレッチを締めた飛鳥はテーブルの脇にあったカップ(飛鳥が目覚めた時に渡せるように俺が用意していた)を取り、起き抜けの一杯とばかりに紅茶を注ぐ。その間、なんとなく話を中断し飛鳥を見ていたが、こちらに気にせず話を続けてほしいと言う言葉に甘えて、再開する。


「そして、真田さんと戦ったのが時宮高校序列三位『剣聖』刀山剣太郎。その異名が示す通り、剣に関する事なら最強。古流剣術当真流、皆伝の当真瞳子も確かに凄腕だが、次元が違う。『剣聖』は形のないもの──瞳子の『殺刃』すら斬れるからな。瞳子と互角以上に渡り合える奴はごまんといるが、『殺刃』を正面切って対処できるのは俺の『優しい手』かあいつの剣くらいだよ」


「とんでもないわね」


「あぁ、とんでもない。同じ剣士だから嫌でも比べられてしまう。たしか瞳子の序列は十四位だったかな。判定は当真家がやるから細かい所で異論も出るが、仮に剣太郎がいなければ、五つくらいは上がっている計算になるな。……まぁ、それだけ剣太郎が凄いと見られているって事さ」


 とりあえずはこんなものか。すでに空になったカップを見てちょうどいいと判断した俺は追加のお湯を用意する為に再度キッチンへ足を伸ばそうとする。


「──待ちなさい」


 そんな俺を会長が呼び止める。おかわりの催促かと思ったが、探るような会長の目を見て、どうやら違うのだと悟る。


「まさか、今ので終わりってわけじゃあないでしょうね?」


「……たしかに俺は意図的に話していない部分はある。あちら側が会長達を知らないというのに手の内を全て話してしまうのを躊躇っているのはたしかだけど、何より知ったところで防げるものじゃないから言わないんだ」


「どういう事?」


「あいつらは付け焼刃でどうにかなるほど甘くはない、って事だよ」


「対策に協力するつもりはないってわけかしら」


 会長の俺を見る目が敵に対するそれに変わる。


「そうじゃないよ。あいつらとも戦うし、教えるべきことは教える。ただ、一から十まで聞いて仮に勝ったとしても会長達はすっきりしないだろ?」


 生徒会の面々は基本的に全部自分達で解決しないと気が済まないタイプだ。知り過ぎて自分で解決しようとする部分をむやみやたらと奪いたくない。それが俺の偽らざる気持ちだ。


「例えば、『剣聖』刀山剣太郎に当真瞳子は勝っている。これは話せる」


 その台詞に一番反応したのは先程から無言の真田さんだった。顔を俯かせたままだったが、耳は興味津津とばかりにピクリと動く。


「あなた、剣の腕は当真瞳子とは比べ物にならないとか言わなかったかしら?」


「言ったな。ついでに異能も苦にしないとも、序列の上でもかなり開きがあるとも言った。それでも勝つ時は勝つさ。勝負ってそんなもんだ」


「どうやって勝ったの? ……それも言いにくい事かしら」


 ネタバレか、と確認する会長に俺はいや、と返答する。


「瞳子の時は『殺刃』を全方位に展開して押し切った。俺と戦った時、あれで包囲したみたいに。俺の場合は『制空圏』でかわしきったけど、剣太郎は全て切り落とそうとして、途中の一本に引っかかって負けた」


 当時を思い出して、答える。思わず、“剣太郎”と言ってしまったわけだが、揚げ足を取るつもりはないらしい(そういえば、さっきも言っていたな)。特に気にした様子もなく質問が飛ぶ。


「攻撃はともかく、守りは弱いという事?」


「というより、相手の攻撃も全部斬るつもりだから、結果守る必要がないって考えた方がいいな。その気になれば、かわせるし守れるよ。そうでなければ、真田さんの打ち落としの刀身を狙って斬る事なんてできない」


 空になったカップを弄びながら会長の発言を訂正する。かの有名な宮本武蔵は自分の額に貼り付けた米粒だけを斬ったなんてエピソードがあるらしい。優れた剣士はそれだけ目がよく、武器を自分の手足のようにコントロールできるのだから相手の攻撃を同様に制する事も可能だろう。


「……どうすれば勝てる?」


 ともすれば聞き逃しそうなほど小さな声で真田さんが俺に教えを乞う。会長達がいる前でなりふり構わずアドバイスを求める彼女を見て、よほど悔しかったのだと改めて伝わってくる。


「なぜそこまで……」


 俺との勝負に負けた時でさえサバサバしていた彼女がこうまで落ちるのか、ふと見ると真田さんの手には刀が添える様に置かれている。


 ……理由は“それ”か。


「この刀は私が『怪腕』を制御できず、物に触れる事すら怯えていた時期に当真家から渡された大切な品だ。触れるだけで壊しそのせいで孤独だった当時の私にとって、この刀は私が初めて傍にいていいと許してくれた唯一の救いであり、家族のような存在だった」


 当時を思い出しているのか真田さんが斬られた部分を撫でる。まるで痛くて泣いている我が子をあやすように、愛おしそうに患部を撫でる。


「……この刀を損ねたのは私が弱かったから、それは認める。だが、そのまま泣き寝入りはできない。だから、御村──」


 ──私に力を貸してほしい。絞り出すような声はもしかしたら、嗚咽だったのかもしれない。思わず目を逸らしてしまった俺には真田さんの顔を確認する術はない。……しなくていい。ただ俺は、


「わかった」


 そう答えるだけで充分だと思った。



 当真晶子との交渉を決裂させた責任と家族も同然の相棒を失った真田さんの頼みという理由を背負い、いよいよ旧友を敵に回す事が確定したわけだが、いざ行動するとなるとどこから手を付けていいものか途方にくれてしまった。


 会長達に時間が欲しいと言い残し、管理棟を出た俺はとりあえず気分転換にと水場の川を遡って見る事にする。元々、昼食までの時間潰しに立てたプランだが、理事長との話し合いでそれが叶わず、遅刻の言い訳に使っただけだった。この機会に再度目指すのも悪くはないだろう。


「……と、いうわけで着いたわけだが」


 昼に行こうとした時は早々に呼び止められたので今回初めて川の根元を辿ったわけだが、ちょっとした探検を想像していた道のりは、本当にただ川に沿って歩くだけというなんとも味気ないものだった。いや、空気はうまいし、ちょっとしたウォーキングといった感じの適度な傾斜はとてもいい気分転換になったのだから、文句を言うのは罰当りとは思う。ただ単に容易く目的地に着いたのが、我がままにも拍子抜けしてしまったというだけだ。


「それでもこの滝を見るとやっぱり来た価値はあるよな」


 日原山のあちこちに流れる川の全ての支流を引き受けるだけあって、幅100m、落差60mをそれぞれ超えたちょっとした規模の滝だった。


 そこから吐き出される大量の水はそのまま川に流れればあっという間に洪水を引き起こしそうなほどだが、滝の落下点はキャンプ場の水場より大きい天然の貯水池となっていて、よほどの事がない限り川が危険域まで増水する事はないらしい。


 天乃原学園はこの貯水池の近くに浄水施設を建て、生活用水に利用しており、その事からも日原山の水源はかなりの規模である事を示している。


「さて、どうするかな」


 と言っても、ここで遊ぶ予定を決めかねているわけではなく、時宮高校側の戦力──二人の旧友についてである。当真晶子に従っている理由は不明だが、元々権力への執着のなさでは一、二を争う二人だ。少なくても天乃原学園にいる間だけでも大人しくしてもらうくらいならそう難しくない。真田さんの一件がなければ、穏便にできた。


 しかし、戦う理由が出来てしまった。真田さんを止める事はできないし、俺の方も戦う気がないなら、安請け合いなどしない。ただ、戦力差を考えると、かなり分が悪い勝負になるのは避けられない。だから頭が痛いのだ。


 特に痛いのが、真田さんの刀についてだ。あまり深く考えていなかったが、『怪腕』である真田さんの握力に耐えられる刀だ。そうホイホイと代わりのあるわけがない。おそらく当真家が真田さんの為に用意した特注品なのだろう。つまり、真田さんは素手で剣太郎の相手をしないといけないのだ。


 厳密にいえば、刀身はまだ残っている。ただ断ち割られたわけではなく、剣太郎の技量で斬られた刀だ。おそらく残された部分のダメージは皆無、そのまま武器にできなくはない。まぁ、使うと言っても、刀身そのものは柄よりも短くなっている。あれならコ○助の刀の方がまだマシだ。


「……いや、だからいいのか」


 とある可能性からそう思い直す。できるかどうかは真田さん次第だが、これなら一矢報いる事が出来る。とりあえずプランは固まった。後は──




「──まさか、再戦する気があるとは思いませんでした。しかもこんなにも早く」


 空から夕日の名残がいよいよ夜に塗りつぶされていく、いわゆる黄昏時。管理棟で寛いでいたところを捕まり、唐突な再戦の申し出にまだ逆らう気力があったのか、という疑問を口にする当真晶子。


 食堂で戦ったのが三時少し前、現在、五時をまわったばかり。差し引き二時間弱からのリベンジ宣言は、皮肉交じりとはいえ向こうが早いと感じるのは無理もないだろう。


 そんな当真晶子の反応を受け流し、再戦の否やを問うたのは仕切りたがりの会長ではなく、真田さんだった。会長もさすがに今の真田さんを押しのけてまで出しゃばる事はせず、後ろの方で大人しくしている。……見方によっては当真晶子は部下で充分という体にも見えるけどな。


「……まぁ、いいでしょう。すでに優劣をつける意味がないとしても、降りかかる火の粉は払うのは当然。お受けしましょう」


 天乃原との交渉決裂を恨みがましく皮肉る当真晶子だったが、勝負そのものは受けるようだ。向こうにとって、明らかに格下の挑戦を逃げるなんてあり得ない。むしろ昼の一件の憂さ晴らしをする腹積もりだろう。それでも……


「(……受けちゃったよ)」


 自力に大きな開きがあるのはみな承知している、戦った飛鳥も真田さんも、会長もそして、俺もかなり厳しいとわかっている。だが、それでも、勝負はやってみないとわからない。特に彼我の差を理解し、その上で勝つ事を諦めない奴を相手にする時は警戒の一つもするもの。当真晶子のそれは強者の余裕ではなく、安請け合いの類だ。


「それで勝負はいつですか?」


「今からだよ。場所はキャンプ場の広場でいいだろ? ここから近いし、多少暴れても気にしなくて済みそうだしな」


 場所をどこにするか決めていないのを思い出し、真田さん達に確認しながら俺が言う。


「……今からですか?」


「別に不都合はないはずだが? どうせ、ここにいる限り暇な事に違いないわけだし問題ないだろ。ま、晩飯の前の軽い運動って事で」


「……まるであなたも加わるみたいな口ぶりね」


「? そのつもりだが何か?」


「……ほう」


 当真晶子の後ろで会話に加わる事のなかった剣太郎が初めて反応を見せる。


「そんなに意外か? 一応、昼の時も戦おうとしたのを忘れたのか“刀山剣太郎”」


「そういえば、そうだったな“御村優之助”」


 にこりともしない表情の中でも特に手強そうな口元がほんの少し歪む。あれで笑ったつもりらしく、無愛想さは相変わらずのようだ。横の空也も肩をすくめている。──懐かしいでしょ? そう言ってみせるように。


「昼の続きという事は三対一で戦るつもりか?」


「そこまで自惚れてねぇよ。三対三だ」


「剣太郎。一応、雇い主なんだから、頭数にいれるの禁止。三対二だよ。それでいい“御村”くん?」


「それでいい。今回は真田さんのリベンジマッチがメインだ。最悪、お前がいるなら問題ないよ──“刀山”」


「待ちなさい!」


 俺達の打ち合わせに割り込んだのは二人の雇い主である当真晶子。自分を蔑ろにするのは許せないのか、明らかに苛立っている。


「篠崎、刀山、あなた達は私の補佐として連れてこられたはずよ。立場を弁えなさい」


 まるでしつけの悪いペットにするような叱責を二人に向けて言い放つ。それに対して空也が申し訳ありません、と頭を下げ剣太郎を連れて、二、三歩後ろへ引き下がる。当真晶子を立てた格好だ。


 ……面倒くさい奴だな。会長も真田さんから雑な扱いを受けた時も大概だったが、それとは訳が違う。下がった空也が当真晶子から見えない位置から困ったように手を挙げる。気にしなくていいと目線で返し、何事もなかったように当真晶子に向き直る。


「何か問題がありましたか? 当真晶子さん」


「わざとらしい謙虚さはやめてもらえるかしら。礼儀知らずより、よほど不愉快だわ」


「皮肉だよ。分かりづらくてごめんね」


 当真晶子の睨みが先程より二割増しになる。礼儀知らずの方がマシと言わなかったか?


「……御村、暗くなる前に済ませたい、話を進めてくれ」


「……すまん」


 真田さんに無表情で窘められた俺はそれ以上当真晶子に食って掛かる事はせず、時間、場所に不都合がないか確認する。当真晶子はそれに了承し、二時間ごしの再戦がきまった。


再戦の場所に指定した広場は管理棟とコテージを繋ぐ位置にある為、夜間緊急時に双方が連絡できる必要性とその際の安全面の観点から等間隔に電灯が配置されており、ほとんど日が落ち暗くなった周囲をその光が淡く照らしていた。


 広場には俺、飛鳥、会長、真田さん、当真晶子、空也、剣太郎の七人。要芽ちゃんは晩飯の用意でこの場にはいない。


「──御村」


「なんだ? 真田さん」


「先に礼を言っておく。世話になった、……ありがとう」


 剣太郎を見据えたまま、俺に感謝を伝える真田さん。……ありがとうって言葉にされると不思議と気恥ずかしいな。


「まだ早いだろ」


「いや、ここまでお膳立てしてもらえれば充分だ。後は私次第、それでいい」


「間違えるな、真田。私達次第だ」


 飛鳥が真田さんの言葉を訂正する。そういえば、この二人が会話する所をあまり見た事がないな。生徒会がお世辞にも和気藹々とは言えない集まりなのは重々承知しているがこんな調子で大丈夫かと始まる前から不安になる。


「心配しなくていい」


「飛鳥?」


「目的は一致している──向こうに借りを返すと言う、な」


 借りを返すべき相手、空也と剣太郎はすでに準備完了と言う感じ。剣太郎の手には昼と変わらず、モップの柄。……緊張感が削がれるなぁ。しかし、そんな俺とは裏腹に飛鳥と真田さんの戦意に翳りは見られない。


「(こちらも準備万端という事か)」


 むしろ二人の仲を見当違いにも心配していた俺の方が準備不足だったらしい。


「それじゃあ、手筈通りによろしく」


「あぁ」


「任せろ」


 真田さんの愛刀が短く、控え目ながらも電灯の光を反射させ、飛鳥の呼吸が深く鋭く辺りの音に浸透する。俺達から少し離れた場所には見届け人の会長と当真晶子。講堂で真田さんと戦ったようなデモンストレーションじみた見世物ではないから、盛り上げ役のMCは必要なく、二人はただ決着を待つ。そして、これは試合ではない、当人同士が納得した時こそ決着。


「──いくぞ!」


 真田さんがそう叫ぶと同時に一本指歩法で剣太郎へと駆ける。それに置いてぼりをくわないよう俺も最初の一歩を強く蹴り出し、向かっていく。


 天之宮、当真の企みで集められたはずの連中が起こした両家の思惑とは関係ない私闘はそんな風に始まった。

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