春休み・二
学園の裏にある公園を通り、コテージを目指す生徒会役員の面々+1(もちろん+1は俺の事)。学園の裏と表現したが、もう少し正確に言えば校舎と寮を結ぶ道の分岐を通り、校舎を大きく迂回するのでどちらかと言えば校舎と寮を両辺とした三角形の頂点に位置すると言った方が正しく、むしろ裏側にあるというのは語弊がある。いちいち指摘するほどでもないというわけで学園の人間は"校舎の裏にある"で通じるのだが、学園に来たばかりの時、飛鳥に決闘の場所として指名されたここになかなか辿り着けなかったのは記憶に新しい。
決闘以来、立ち寄る機会はなく、待ち合わせを優先していた為あまり意識していなかったのだが、改めて足を踏み入れてみると広場がいくつかあり(飛鳥と決闘したのはその内の一つ)、それを繋ぐ遊歩道が緩やかな斜度で整備されていて、これまた公園というより、ジョギングコースという方が近い。
遊歩道はそのまま頂上に繋がっていて、そこで小休止の後、反対側へと向かう道を通ってコテージへ向かう。昼食はコテージで採る予定なのでだいたい2~3時間くらいか。つまり、それまで──
「……」
「……」
「……」
「……」
──この沈黙に耐えなければならないというわけだ。
時折、会長と真田さんが二言三言言葉を交わす以外、会話らしい会話がない。飛鳥が会長と揉めた時も思ったが、生徒会の面々の仲はあまり良くない。一番関係がまともそうな会長と真田さんにしてもビジネスライクの域は出ないだろう。どう控え目に評しても和気藹々という感じがしない。
それでも今までそのスタンスで生徒会が回っているのならそれも一つの形なのだと理解できた。しかし、現状の空気にさらされているといくらなんでも度が過ぎると思う。一言で言うなら警戒しているというのがしっくりくる。だが、何に対してだろうか? 何にしてもこの息苦しさは勘弁願いたい。とりあえず現状を打開すべく、今も俺の手をとったままの要芽ちゃんに話しかけることにする。
「そういえば、食堂で再会した時以来だよね」
「……優之助さんが怪我をしたというのに一度も顔を出さなくて、すみませんでした」
血の気が引いたのだと一目でわかるほど顔を青くさせ、いきなり俺に謝る要芽ちゃん。どうやら俺が入院した時に顔を出さなかったのを責めていると勘違いしてらしい。動揺しているためか、徐々に挙動がおかしくなる彼女に対して、慌てて否定する。
「あ、いや、要芽ちゃんが忙しいのは何となくわかるし、会長に言付けてくれたじゃないか。気にしないでくれ。むしろ一連の騒ぎでいらん仕事増やした俺の方が謝るべきだ」
フォローする為に思わず口にしたが、実際俺と瞳子が引き起こしたことは学園、ひいては生徒会に迷惑と混乱をこれ以上ないほど振りまいたはずである。仮に俺が顔を出さなかった事について不義理だと言おうものならお門違いだと非難されるレベルである。要芽ちゃんが謝る必要は一切ない。
「だから、改めて言わせてほしい。俺達のせいで要芽ちゃんに迷惑をかけた。……本当にごめん」
要芽ちゃんに向き直して頭を下げる。そんな俺を見て、頭を上げてくださいとか、優之助さんは悪くないとか、違うとか、俺に罪はないのだとほとんど悲鳴に近い声が要芽ちゃんから聞こえてくる。最後の方は嗚咽が混じってきている。視線を上げると、目に涙を浮かべ、号泣寸前まで表情を歪ませた顔を左右に振っていた。
やばい、と思ったがすでに時遅し。今度は要芽ちゃんの方が頭を下げた。……下げたというか、泣き顔を隠すようにその場にしゃがみ込んだという方が正しい。
「か、要芽ちゃん?」
「……見ないでください」
しゃくり上げた涙声で途切れ途切れになりながらようやくそう言い切る。どうすればいいのか悩む一方で、前にもこんな風に泣かせてしまった時の事が頭をよぎる。思えば、その時も俺が悪いにもかかわらず、俺のせいではないと言い続け、しまいには泣いてしまったのだ。場面は憶えているのだが、何が切っ掛けか忘れてしまった。
憶えているのは彼女が泣き止むまで傍にいた事と、涙を貯めに貯めたその目が水に浮かべた宝石のようにキラキラしていた事。陳腐な表現だが、そう錯覚してしまうほど綺麗だった。一度見れば、多分忘れることはないと思う。あんな──
「──って、現実逃避してんじゃねぇよ!」
思わず、そんな自虐が口にでる。突然の大声のせいか、それとも自虐が非難に聞こえたのか(おそらく両方だろう)、小さく丸まった体が竦む。
「違うからね! 今のは自分に言ったんだよ」
なんか負の連鎖だなとげんなりしながら、さっきから会長達の存在を忘れていたのを思い出す。先行しているはずの会長達の方を見ると、俺達の所から十数歩先の距離にいつだったか前に見たような感じで三人とも硬直していた。当たり前だが、今までのやり取りが全部丸見えの筒抜けなのでとても気まずい。何とも言えない視線を真正面から受け止める度胸はなく、さりとて要芽ちゃんを見るのも躊躇われ、どこを向けばいいのか迷う。
「……とりあえず、休憩しようか」
逸らした視界の先に偶然映った頂上へ指さし、なんとか言葉を絞り出す。幸いな事に反対する意見は出なかった。
*
「──想像しなかったわけじゃないけど、実際見ると結構クる光景よね」
「そうですね」
「……そうだな」
誰にと言わずに呟いた私を律儀に返したのは凛華と桐条さんだ。この場にいるのは私を除けば、凛華、桐条さん、平井さん、そして御村の四人。その内、私の呟きに返答しなかった二人は私達からわずかに離れた後方で手を繋ぎながら私達に続いていた。手を繋いでいると言うと恋人同士みたいに聞こえるけれど、実際は父親の手を引いて歩く娘という構図──親子関係に近い。回りくどいがあれは──
「──平井さんなりに甘えているのよね。……多分だけど」
「……おそらくは」
珍しく自信なさげに断定を避ける凛華。補佐としての立場ゆえか、それとも手札を無闇に晒すをよしとしないのか、凛華は基本結論をはぐらかす。決定権は会長である私にあるので、提案はするが、自分の意見はあまり言わないのだ。それでも言葉の端々に毒が混じるので、真田凛華の根底にある自信、言い換えるなら独特な個性は隠しきれない。
そんな凛華ですら、今の平井さんをどう相手すればいいのかわからないのだと思う。私も無理だ。これなら御村と当真瞳子とを戦わせるよう暗躍していた時の方がずっとマシだと言える。
一方、桐条さんはチラチラと御村達を見ては表情を硬くしている。なんというかとてもわかりやすい。……わかりやすいのだが、平井さんとは別の意味で扱いづらい。
これがただの三角関係なら内輪で好きなように、と言えるのだけれど、この関係に絡んでいるのは恋愛感情だけでもなければ(それが大半なのは否定しないけれど)、一般生徒同士でもない(生徒会役員と理事会関係者)。下手に火が付くとどう暴発するかわからないが、こちらにとばっちりがくるのは確実である。ただでさえ、これから先の展開に頭が痛いというのに、これ以上は勘弁してほしい。
「……先方は夕方に着くようです。話し合いは夕食の後でしょうね」
「だから、読まないでよ!」
本当に油断できないわね、この書記は。平井さんや桐条さんはもとより、頼もしいけれどクセがあり過ぎる。……人選間違えたかしら?
「──あ、謝らないでください」
突然の叫びに思わず身を固くする。声のする方を見ると、なぜか頭を下げている御村に対して、平井さんが何事か言い募らせている。泣き声が混じるので聞き取りにくいけれど、要は御村が下げた頭を上げさせたいらしい。
中々折れない御村にいよいよどうすればわからないのか、いやいやしながらしゃがみ込む平井さん。……どこの乙女だろうか? 明らかに普段の平井さんがやる行動ではない。今度は御村の方がどうすらばいいのかわからず、気まずそうに視線を彷徨わせている。ややあって、私達を見るが、すぐに逸らし、かと言って無言という訳にもいかなかったのだろう、取り繕うように頂上を指さし休憩を提案する御村。
最初からそのつもりだと言うのはお互い承知であるけれど、それをわざわざ指摘するのも躊躇われる。ただ一言、そうね、と返し、あまり御村達の方を見ずに先程よりも歩く速度を上げて頂上に向かう。上げた速度の分だけ、先程より距離が開いているはずなのに御村の励ます声と鼻をすする音が聞こえてくる。御村が手を引いて平井さんをエスコートしているのが見てもいないのにその光景浮かんでくるようだ。
平井さんをどう対処すればいいのか、御村をどう扱えばいいのか、ひいては学園をどうしていきたいのか、考えれば考えるだけわからなくなる。それは凛華も桐条さんも御村も、そして平井さんも多分わかっていない。いや、わからなくなってしまったのだと思う。だから、私達はコテージに向かう。どうすればいいのか決める為に。
今更よね、と自嘲しつつ、今は段々と先々に広がっていく景色を楽しむことにした。
*
「──到着よ」
辿り着いた頂上で休憩を(要芽ちゃんをなだめつつ)とった後、出発する事一時間と少し、相も変らぬ気まずい空気のまま俺達一行はようやくコテージに到着した。
コテージと言っていたのでログハウスみたいなものを想像していたのだが、鉄筋コンクリート構造のいわゆるデザイナーズマンションってやつだった。見たところ大きさは学生寮の四分の一ほど(千単位の生徒が寝起きする寮の、である)、周りには木造平屋建ての建物がぽつぽつと点在しており、資材置き場や予備の住居など、細々した用途で使うらしい。……金ってあるところにはあるもんだな。
「……予定より早く着いたな。会長、その会ってほしい人とやらはもう来ているのか?」
「いいえ、夕方かららしいわ。肝心の話し合いも夕食後よ」
「だいぶ先だな。その間何すりゃいいんだ?」
現在時刻は十二時少し前。昼食はこれからとるにしても、五、六時間は空く計算だ。要芽ちゃんのように本でもあればよかったのだろうが、生憎暇を潰せそうなものは持ってきていない。
「とりあえず、荷物を置いてきたらどうかしら? 凛華に部屋を案内させるわ。一時に昼食があるからその間散策してきてもいいし」
「手伝わなくていいのか?」
「一応、あなたはゲストよ。もてなすのは生徒会の仕事」
「電化製品がないから男手がいるって言ってたろ?」
少なくとも昨日はそう聞いた。ただ、目の前にある建物に電化製品がないとは思えない。……屋根についてるの、テレビ受信用のアンテナだよな?
「電化製品を置いてないのは小さい建物の方だけよ。管理棟──あぁ、この大きな方ね──は最新の家電を取り揃えているからかなり快適よ」
「……わざわざコテージまで足を延ばす意味がないな。家電に頼らず過ごすもんだろ普通は」
「オリエンテーションの狙いとしてもね。でも文明の利器に頼ってばかりなせいか、キャンプ生活ができる生徒が年々減っているの。去年のオリエンテーションなんて、あまりに酷かったんだから……」
聞きたい? と珍しくげんなりした顔の会長。遠慮しておくよと首を横に振る。
「だから、老朽化していた管理棟を建て替えてキャンプができない生徒を受け入れるようにしたというわけ。一応、課外学習の一環だからコテージを利用した生徒には成績の優遇措置がとられるわ。仮に途中でギプアップしたくなった場合、管理棟に回せるし、できなくても途方に暮れる事のないよう配慮も万全よ」
普段できない体験で得るものもあるだろうし、そういうフォローが受けられるなら安心というわけか。ちなみに先程から俺と会長以外の姿がいないわけだが、要芽ちゃんと飛鳥は昼食の準備へ(普段から自炊している飛鳥もそうだが、要芽ちゃんも料理がうまい。何度か手作りのお弁当を作ってもらったことがあるので知っていた)、真田さんはというと──
「──改めて見るとすごい光景だな」
俺の視界の隅で明らかに重そうな段ボールの箱を軽々と運んでいく真田さんの姿が映る。冷静に考えれば、『怪腕』の真田さんにとって力仕事は苦にならない。つまり、力仕事云々とやらは俺をここへ連れてくる方便というわけだ。
そうまでして俺を引っ張り出したいという事に少々引っかかるものがあるが、ついてきた以上、ない頭を絞って考えても仕方がない。そして管理棟の入り口で立ち話し続けているのも同様だ。だが、案内役の真田さんの手は当分の間空くことはないだろう。
「なぁ、真田さんに案内してもらうのはどう見ても無理そうなんだが?」
「そのようね。掃除をお願いした生徒達が勘違いして、別の棟に資材を運んでいたらしいわ。終わるのにもう少し時間がかかるんじゃないかしら? ……それで?」
「……手伝ってきていいか?」
「駄目よ。こちら側のミスの尻拭いをもてなす側にお願いするなんてあり得ない。それを許せば、生徒会のやってきた事はおままごとに成り下ってしまう。あなたは女子生徒に力仕事をさせて自分は何もしないという事に耐えられないのでしょうけれど、それはあくまで感情論よ。個人としては好感がもてるわ。でも私達のそれは筋道の問題。だから──」
──口出ししないで頂戴。そう締めくくる会長。生きた日本人形と評してた容姿も相まって、妙な凄みを感じる。初めて体に触れた時(マッサージした時の話だ。念のため)もそうだが、悪戯っぽい言動を見せる一方で、考え方がすでに大人だ。それも人の上に立つ。天之宮の生まれである事を過不足なく自覚し、驕ることなく、自分のできることをやろうとしている。
だから、天乃原学園の生徒会長として、学園を変えようとしてもがき、生徒会活動が遊びでないという事を今も示している。ハルとカナが自らの信念や矜持で学園の現状を見過ごせないように、会長もまた、天之宮家の人間として学園に対しての責任があるがゆえに動くのだろう。立場は違えど両者はとても似ていた。そして瞳子とも──
「ならさ。会長が案内してくれないか? 見たところ暇そうだし」
不意によぎった感傷を振り払うように冗談めかして、そう提案する。そんな俺を見て、先程の空気はどこへやら、きょとんとした表情を見せる会長。そのまま少し考える素振りに変わり、ややあって、
「……それは思いつかなかったわ。意外と頭が回るわね、あなた」
と、感心する会長。どうやら本気で考え付かなかったらしい。……人を使う事が染みついてやがる。末恐ろしいな。凄みを感じた時以上の戦慄を覚えながら、会長を先頭に管理棟の中へと入っていった。
「──少し、肌寒いな」
会長の案内で用意された部屋に荷物を置いた俺はお言葉に甘えて周囲を散策する事にした。といっても、すぐに昼食なのであまり遠くへ行けないのでコテージ近くにある水場をブラブラするのが関の山である。水場は日原山を流れる川を利用していて、川を遡ると頂上の近くまで伸びている。その根元はちょっとした滝になっており、頂上で休憩した時、遠目で見たそれは木々で隠れていながらも、はっきりとわかる位に大きな滝だった。昼食の後、時間はたっぷりとある。暇潰しに行ってみるのもいいかもしれない。
「──相変わらず、しまりのない顔だな。御村優之助くん」
背後から掛けられる失礼な言に振り返ると四、五十代の男性が立っている。上は長袖シャツにベストを羽織り、下は速乾性の高そうな長ズボンに長靴、肩にはクーラーボックスを掛け、見た目は完全に渓流釣り目的のおっさんだ。だが、日原山は天乃原学園の私有地、一般人は入れない。つまり、ここにいるのは学園の関係者しかあり得ない。
「……面接の時以来ですね。その節はお世話になりました"理事長"」
いったいどういう風の吹き回しなのか、あまりにも唐突に姿を見せたのは、瞳子の叔父であり、俺の直接的な雇用主の天乃原学園理事長、当真慎吾だった。
「学園にいらしてたんですね。瞳──姪御さんから時宮に戻ると聞いていたのでてっきり一緒だと思っていました」
瞳子と言いかけたのを誤魔化しつつ(この人が瞳子を溺愛しているのは半月前に嫌というほどわかっている)、疑問を口にする。多くは語らなかったが、わざわざ俺に「時宮に戻る」と言ったのだ。学生が週末に実家へ戻るのとはわけが違う。当真家当主候補の一人として、何らかの集まりに出席する為だと考えるのが自然だろう。
「私に出席する資格はない──わかるだろう?」
質問の返しとしては要領を得ない言葉にどういう意味だ、と質問を重ねようとして気づく。あぁ、そうか──
「──集まりは本家の"ごく一部"だけだからですか」
それは質問ではなく、確認。瞳子の叔父である理事長は本家筋の人間だ。ただし、当真慎吾は今回の集まりに参加できない。なぜならば、その名に目、瞳を意味する字を与えられていない──異能を発現できない──からだ。例え本家筋の人間でも異能を持たなければ、一族内の立場は低いのだと聞いた事がある。代を重ねるごとに異能を使う者の量と質が徐々に減ってきた現代で次世代に異能を伝える為の措置なのだというのはわかるが、それだけに固執するのは正直納得できない。むしろ愚かしいとすら思う。
「(……まぁ、こんな"手"を持っている俺が言っても説得力はないな)」
そんな自嘲を滲ませながら、新たな疑問が浮かぶ。
「だとしても、キャンプ場にいるのはなぜですか? まさか本当に釣りに来たわけじゃないですよね?」
高そうなスーツを隙なく着こなしていた初対面の時とは打って変わってカジュアルな装いで身を固めた理事長は当たり前だが、大分印象が違う。だが俺を見る目、その一部だけはあの時と変わっていない。当真家特有の異能は伝わらなくてもその目力の強さだけは充分に受け継がれているようだ。むしろ落ち着いた感じすらある口調や声音も、趣味を満喫しますって格好も、その強烈さに負けて不機嫌さを隠しきれていない。
「そんなわけないだろう。顔だけではなく、頭の中も緩いようだな」
あくまで会話の接ぎ穂として聞いたみただけなのに……。どんだけ瞳子を溺愛してんだよこのおっさん。ストレスで胃が空きそうな錯覚を感じながら、どう話を進めていいのか悩んでいると、あちら側もそれ以上、無駄な会話をするつもりがないのか、軽いため息を吐く(ため息を吐きたいのはこちらの方だ)と肩に掛けたクーラーボックスを置いて、そこに腰を下ろす。どうやらまともな会話ができそうだ。こちらも適当な大きさの石を見つけ、それに倣う。
「なぜ、あの子が時宮に戻ったのか。その理由はわかるな?」
「……この学園で騒ぎを起こした事が原因ですか?」
「さすがに気づくか」
そりゃあ、タイミング的にそれしか思いつかない。どんだけ馬鹿だと思われてるんだ?
「だが、どうしてその件の集まりに本家のごく一部だけが呼ばれるのかはわかるまい」
「それはまぁ……そうですね」
当真家としての問題なら集まる人数が絞られ過ぎるし、理事長が呼ばれないはずがない。瞳子への個人的な叱責だとするなら瞳子本人のみ、あるいは俺を含めた数人の当事者だろう。本家筋に連なる他の異能者を呼ぶ必要がない。
「なぜですか?」
「あと数年経てば、その"ごく一部"の誰かが学園の理事長に就くからだ。当真家当主としてな」
あまりにもあっさりと自分の任期が残り数年だと匂わせる理事長。そして同時に当真家当主が代替わりする事も。……あれ? これってかなり爆弾発言なのではないだろうか。
「あ、あの理解が追い付かないんですが……。つまり、もしかすると瞳子があと数年で当真家当主になる可能性があるという事ですか?」
「そうだ」
なんの衒いもなく肯定する。その態度にたちの悪い冗談という可能性は完全になくなり、今度こそ俺は掛け値なしの驚きを近年出したことのない(病室で妹達に感謝を述べた時以上の)大声で表現した。
「──落ち着いたか?」
「……えぇ、まぁ」
俺のリアクションを特に咎める様子もなく、淡々と聞いてくる理事長にようやくそれだけ返す。時宮の土地とそこに住む人々、そして異能者達の未来を守り、次代へと引き継がせていく。当真家の当主になるという事はそういう事だ。
時宮に生まれた者からすれば、自分達の生活に直結する分、国の首相が変わるよりも重大なニュースと言える。なにせ、その舵取り次第では最悪、生き死にも関わるのだから……。もちろん俺も例外ではない。そんな立場に瞳子がなるかもしれないのだ。驚くなという方が無理な話だろう。
「たしか理事長も現当主も還暦はまだ、かなり先のはず。こう言っては何ですが、いくらなんでも早すぎませんか?」
何より瞳子が当主候補だという事が問題だ。俺の知る中でもかなり優秀ではあるが、軍隊に劣らない戦力を持つ集団を束ねるにはあまりにも力不足(少なくとも今は)。年齢の若さも相まって、担ぐ神輿にしてはあまりに露骨。他の候補を立てる可能性も高く、最悪、当真家が割れる。
「急に変わるわけではない。当主としては降りるが、当分は後見人として支える立場になるだけだ。……私も含めてな」
その位の事など想定しているとばかりに先手を打つ理事長。まぁ、俺程度が思いつく展開など端から読んでいるか。どの道、当真家の決定に俺が口を挟めるものではない。気を取り直して、質問の切り口を変えてみる。
「……そうまでして当主交代を早める理由はなんですか?」
「当真側における天乃原学園の役割を知っているかね? もっと言うなら学園創設にまで関わろうとした理由だ」
「いえ……」
「有り体に言えば、表社会での肩書が必要になるからだ。当真家の存在を知るのは世界の裏側を知るごく一握りのみ、それは請け負う仕事が褒められたものではというのも理由の一つだが、それ以前に当真は異能者を束ねる一族だ。日の元に出れば迫害を受ける。だからこそ、表に出ない、いや、出る事が出来ない」
迫害という言葉に妹達との事がよぎる。俺が距離を置こうとした理由の根幹がまさにそれなのだから。
「だが、我々はあまりにも隠れすぎてしまった。末端ですら当真の存在を知る者は少なくなりつつある。今、手を打たなければ方々への影響力を維持できない」
真田さんへ瞳子に関する情報が下りてこなかったり、代々付き合いがあるはずの天之宮家当主の孫である
「その為に全国区での知名度がある天乃原学園卒業生という肩書を足がかりに表社会での居場所をつくる。卒業生に会社を設立させ、天之宮を相手に表の仕事をする。実を結ぶのはそれなりに時間が掛かるだろう。だからこそ、今なのだ」
「表への影響力ならば、地元の市議や県議にもある程度顔が利くはずでは?」
当真家は時宮の実質的支配者。下手な名士よりも発言権は上のはずだ。その気になれば市政くらいは関わろうとすれば出来るはずなのだが……。
「向こうにとって、当真は影響力はあっても得体のしれない集団だ。こちらとしても取り込んでその正体に踏み込まれれば破滅への道は免れない」
そうならないよう関わりを絞ってきたはずが、今になって裏目に出るとは皮肉な話だ。
「当真家当主は後数年で替わるのはもはや決定事項。で、ある以上、当真はその数年の間に天乃原学園における悪評の元を断ち、時宮の人間、特に異能者が学園に適応できるのかを見定めねばならない。ゆえに計画の立案、進行にあの子を含めた次期当主候補が関わり、実行者兼適応実験のテストケースとして君に白羽の矢が立った。今回の呼び出しはその任命責任の追及が主だろう。なにせ君を推したのはあの子だからね」
「……ようやく、説明らしい説明を聞いた気がします」
「一から十まで話して構えられても困るからな。何も知らないからこそ自然なデータを採ることができる。……まさか、目立つなと言われてあそこまでの大騒ぎになるとは思わなかったがね」
理事長の視線に皮肉が混じる。返す言葉がない俺としては恐縮しきりで縮こまるのが精一杯だ。それはそれとして、今思えば、昨日食堂で瞳子ははぐらかす事なく話そうとしていた。同様に理事長がここでバラすのはある程度データを確保できたからだろう。
「──まぁ、あの子のやる事は私もおおよそ知っていたわけだし、想定の範囲内だ。本人も
「……そういっていただけると助かります。ただ、この後、俺はどうすればいいですか?」
「無論、今の生活を続けてもらう。継続的にデータを採る必要があるからな。いろいろあったが、今日はそれを言いに来た」
「そうですか……」
そう言った瞬間、俺の携帯から着信が鳴る。ディスプレイに表示された見慣れない番号に困惑するものの、理事長に断りを入れ、とりあえず出てみる。
「はい、もしも──」
「あなた、どこにいるの! 一時に昼食と言ったはずよ!」
通話が成立するやいなや、そうまくし立てたのは会長だった。番号はおそらく要芽ちゃん伝いで知ったのだろう。自ら言ってやらねば気が済まないとばかりに苛立った声は、理事長にも聞こえるのではと思うほど周囲に響く。思わず耳を離しモニタの時計を確認すると一時を三十分以上回っている。なるほど、お怒りはごもっともだ。
「すまん。すぐに戻る」
慌てて立ち上がり、携帯をしまう。だが、一方で理事長の話をここで打ち切っていいものか迷う。それを察したのか、理事長はまるで猫か何かを追いやるようにシッシと手を振るう。
「あぁ、いい。話はだいたい終わった。私がここにいると知られるのも面倒だから、ここでの話を内密にできるなら問題ない」
「すみません。それでは失礼します」
走ってどうにかなるものでもないが、待たせる時間を少しでも短くしたい。なんとかそれだけ言うと、取りも直さず、管理棟まで一目散に駆ける。
「……そう、計画は動き出した。全てはあの子の望むままに」
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