エピローグ

 目覚めたきっかけはどこからか流れる風とそれに合わせるように明滅する光だった。仄かに伝わる暖かさを目の奥に感じて、あぁ朝なんだな、とぼんやりと頭に浮かぶ。


「(学校に行かないと……な)」


 億劫だ、と呟こうとして、自分がどの学校へ行こうとしたのか自問する。瞳子に休学させられた大学? それとも──


 そこで、ようやく脳が本格的に覚醒する。そうだ、“ここ”に来た理由。それは──


「……ここは?」


 いまだに重い目蓋を無理やり広げて見やると、この数日、寝泊りしていた寮の部屋ではないのはすぐにわかる。インテリアには統一感があり、一言で言えば、清潔感に溢れた内装。汚すのが躊躇われる綺麗さと言い換えてもいい。その清潔感は見覚えのない場所であることも合わさって、少々居心地の悪さを俺に感じさせる。


「保健室よ」


 俺の疑問に答えたのは、とても耳に馴染む声。顔を上げると聞き慣れた声とは裏腹に普段見かけない不機嫌な顔をした六年来の友人がそこに居た。


「……瞳子?」


 ええと、なんで不機嫌? というより……。


「保健室?」


 軽くあたりを見回すと個室であることがわかる。しかも頭に"上等"とつけられるクラスの個室。どうやらこの学園の保健室には個別にベッドが置いてあるようだ。しかもエアコンにテレビ、パソコン、冷蔵庫まで備え付けられている。……住めるな、ここで。


「忘れたの?」


「あぁ、そうか」


 俺、瞳子に刺されたんだっけ。意識を失う前後の記憶が整理されていく。命のやり取りまでいった二人が保健室で隣り合っているなんて、シュールな光景だ。


「……あれから、どうなった?」


「大変だったわよ、後始末が。あなたが倒れた後、緊張が解けたのか観客の生徒達が大騒ぎ──というか、恐慌状態になってね。そいつらを物理的に大人しくさせた後、動ける人間で、どうにかあなたを保健室まで運ばせて、なんとか一命をとりとめて、やっと、ひと段落ってところかな」


「……それはお疲れ様。」


 気を失っていて、修羅場を回避できたのは不幸中の幸いだったな。一歩間違えたら死んでたが。


「……あなた三日間、目を覚まさなかったのよ。怪我はともかく血を流しすぎたんでしょうね。体力回復のためなのか今の今まで昏睡状態でグッスリ。その間、私は騒動の事後処理でろくに寝かせてもらえなかったのよ。……処理に追われている間、ずっと考えていたわ。私はこんなにも忙しいのに、あなたは気持ちよさそうに寝ていると思うと、腹が立って、腹が立って……。あぁ、もう、憎らしい!」


 そう言われるとたしかに瞳子の目の下にはクマができている。これで結構、気にするタイプなのだ。高校時代でも体重が一キロ増えただけで機嫌が悪かったのを憶えている。寝不足でイライラしているのも相まって、不機嫌だったようだ。……自業自得だけどな。


「まぁ、落ち着けよ」


 いい加減、瞳子をなだめないと俺にどんなとばっちりがくるかわかったもんじゃない。慌てて、ベッドから起き上がる。


「……あれ?」


 起き上がってみてから違和感。妙な言い回しだが、なにもないことが違和感の正体。瞳子に刺されたはずなのにだ。一瞬、麻酔かなにかのせいかと思ったが、感覚も鈍っていない。正に完治している。


「そんなバカな!」


 着ていたシャツをめくり、刺された部分を確認する。そこにはうっすらと名残があるが、傷は綺麗にふさがっていた。腹から背中へと貫通した怪我がたった三日でふさがるはずがない。それどころか手術痕らしきものすらない。まるで本当は刺されていなかったように……。


「……まさか……おい、瞳子!」


 混乱した俺は瞳子を問い詰めようとする。しかし、いつの間にか瞳子がいない。入れ替わるように二つの気配がこの部屋へ。


 誘われるようにドアの方へ目を向けると、そこに立っていたのは所々個性が出ているが一目見れば双子だとわかる顔立ちをした少女達。この世で三人だけの大切な家族。


「……久しぶりだなハル、……それにカナ」


 双子の少女達の名は海東遥かいとうはるか彼方かなた。ハルとカナというのは二人がまだ小さかったころ、本名が可愛くないと二人が考え、呼ぶようにねだられた愛称だ。


 腰まで届く長い髪をおさげにしている方が姉の遥。あまり派手なのを好まないハルは意図して地味であることに徹している。しかし、その内面から滲み出す清廉な空気は隠し切れておらず、それは神の仕える巫女のような一種の神秘性を帯びている。


 一方、ショートボブに眼鏡を掛けた少女が妹の彼方。カナはその見た目に反せず、消極的な子であまり自分の意見を出そうとしない。そんなところが心配な反面、ここぞという時の決断は早く、その芯の強さは誰もが認めるほどだ。


 俺と苗字が違うのは、二人をこの学園に入学させる際、教育機関としての有用性は認めつつも、悪評を多少なりとも知っていた俺が、無用なトラブルに巻き込まないよう当真家に頼んで別の戸籍を用意してもらったからだ。その為、書類上、俺と二人は赤の他人ということになっている。


 補足するなら、海東は当真の傍流で家の本質ゆえにあまり大っぴらに表に出ることができない当真と表社会との橋渡しを担っている。その役割上、知る人ぞ知るレベルではあるが、社会的に上流と冠がつく家柄であり、当真が創設に携わっている天乃原学園でも多少の融通が利く。当真からすれば表向き関係ないように見えるので援助しやすい立ち位置といえる。


「……久しぶりですね。"兄さん"」


 定型通りの挨拶を交わすハル。その横で若干、ハルに隠れて一言も発しないカナ。二人の態度から、俺とのわだかまりが残っているのは一目瞭然だ。


「("兄さん"か。……もう"ユウ兄ぃ"じゃないのだな)」


 久しぶりの再会とは思えないほどの重苦しさ。挨拶もそこにハルとカナがぎこちなくこちらへと歩み寄ってくる。


「傷口の具合はどうですか? ……見せてください」


「あ、あぁ……」


 言われるがまま、怪我のあった部位をさらけ出す。シャツをたくし上げ、外気に触れる腹部をハルのヒンヤリとした手がその上を撫で回していく。その様子を見ていたカナもおずおずと手を伸ばす。


「……痛かったら言ってください」


 あくまでも事務的な口調でそう前置きしながら、二人の手が細い線にしか見えなくなった患部に触れる。刺されたところを中心にじっくりと丹念に。ふとした動きで傷が開かないか、この先、塗り薬が必要か、二人は自分達の応急処置が適切かどうかの、あくまでアフターケアのためだったのだろう。傷の経過を確認し終えるとさっさとベッドから距離をとる。さすがにそのまま帰ることまではしなかったが、俺と二人の距離がそのまま見えない壁のようでどう接していいか戸惑う。


「……ハル、カナ……あの……な」


 治療の時は素っ気ないながらも会話が成立していた。だが、やるべきことを終えた二人に対して会話のきっかけが見つからない。瞳子には堂々と啖呵を切れたのに、二人の前ではその一歩が踏み出せない。なにから話せばいいのだろうか? 二年間、ほったらかしにしたのを謝ることからか? それとも、これからのことを建設的に話し合うのか?


 どちらも大切で、しかし、どちらもしっくりこない。何から手を付けるべきか悩んでいる間も沈黙が続く。とうとうその沈黙に耐え切れなくなった俺はとっさに、


「……二人とも生徒会に反抗しているってのは本当か?」


 そのどれでもない別の質問をする。考えなしに口走った一言だが、俺は生徒会から二人を守るためにこの学園に来た。ひとまずこの学園にくるきっかけになったことから始めてみよう。


「……本当です」ハルが答える。


「なぜだ?」


「いくら生徒会長とはいえ、一生徒が生徒を退学に追い込むのは間違っています」


「その生徒に退学にさせられるだけの理由があったとしても?」


「私だって、生徒会長のやろうとしている意味くらいわかっています。ですが……」


 その言葉を引き継ぐようにハルの後に隠れていたカナが初めて発言する。


「……だからといって、生徒の尊厳を無視した生徒会は間違っています。あれでは退学にした生徒と変わらない。こんなことで学園が変わるなんて、私達は思わない。だから、私達がこの学園を変える」


 控えめながらも意志の強さがその声から伝わってくる。テコでも動かない頑固さとも言えるかもしれない。俺やハルの後に隠れてばかり──いや、今も隠れているわけだが──だったカナがこんなにも自分を主張するとは……。


 強くなったと思う。カナだけでなくハルも。二人の目を見てそう思う。その瞳の奥にある真っ直ぐな光がとても誇らしくて、その光に手を伸ばす。


「強くな──」


 ──パシィ!


 瞬間、乾いた音が場を支配する。同時に引きつるような吐息は誰のものだったのか。無数の刃を凌ぎきったはずの『優しい手』が、ハルの振り払う手に反応できない。驚きのあまり視点が定まらず、ハルの後で顔を背けているカナがぼやけて見える。


「……私達はまだ許していません。この二年間のことを」


 ハルが硬い表情で拒絶する。カナもハルと同じ意見なのか、こちらを一顧だにしない。

「……そうか」


 俺がいくら過去の過ちを悔いたとしても蔑ろにされたハルとカナからすれば、俺が許せない存在なのだろう。当たり前だと思う。そんな客観的な感想の一方で、もう呼ばれることのない愛称。大切な存在に拒絶されたことがこんなにも悲しいものだとは思わなかった。それは瞳子の剣で刺し貫かれた時よりも鋭く、鈍く、胸の奥を抉られていく。


「(痛いなぁ)」


 この痛みをハルとカナがこの二年間ずっと感じていたのかと思うと自分がさらに許せそうにない。


「それでは……」


 もう話すことがないのか、単に居辛いのか二人とも部屋から出ようとしている。


「……待った」


「まだなにか?」


「約束するよ。俺はもうおまえ達を離しはしない。これからはずっと一緒だ」


 まさか、この期に及んでそんな台詞を吐くとは思わなかったのか、目をむく二人。……たしかに空気は読んでいないな。自分でも思う。


「もう昔のような関係には戻れません。今になって、そんなことを言われても迷惑です」


「と、言えば、俺が退くと思ったか? 例え、おまえ達に嫌われてでも離れん」


「……最低ですね。そうまでして自分が放り出した絆に縋りたいのですか?」


 まったくだ。これではただの往生際の悪いクソガキである。しかし、それでも今の俺はそんな言葉では退かない、退いてはいられない。


「あの時、みんなで笑いあい、泣きあい、そしてぶつかり合った日々がハルの言う絆ならばな。俺はずっとみんなと一緒にバカをやっていたかった。だから、幸福だったあの時を取り戻すために今からでも抗ってみようと思ったまでさ」


「……それをみんなが望んでいなくてもですか?」


「生きていれば、どうやってもエゴは入るし、お互いぶつかりもする。そりゃあ、相手の意思を無視して自分の意見を押し付けるのは褒められるものじゃないけど、周りがそれでいいって納得するまで足掻くのはアリだろ? おまえ達がやろうとしていることと一緒だよ」


「変わりたくないがために相手を変える。そんな我侭と学園を良くしようとする私達の行動が一緒だと?」


「良くするって、それはおまえ達の尺度で、だろ? ……っと、睨むなよ。俺だって、不毛な問答をしたいわけじゃないんだ。俺が言いたいのは、あくまで約束だ」


 これ以上は険悪な言い合いにしかならない。表情が強張ってきたハルとカナを制して、そう結論付ける。


「……ハル、カナ。俺な、瞳子との戦った時、ずっとあいつの言う覚悟ってやつを考えてた。覚悟ってさ、何かを選んで、その結果、それ以外を捨てるってことだと思う。つまりは、選択だな。ということはあの時、俺は瞳子に選択することを促されたんだ」


 ここで、一旦区切る。二人とも険が抜けてはいないが、どうやら最後まで聞いてくれるようだ。


「瞳子は多分、命のやりとりを望んでいた。その果てに得るであろう“何か”を求めたんだろうな。そんな瞳子を前になにも選ばないなんてことはあり得ない。絶対になにかを捨て、選び取らなければいけない場面だった。じゃあ、あの場でなにを選べばよかったのか? 仮に、瞳子の選択に乗ったとしよう」


 最後に当てるつもりだった右手に力を込める。『優しい手』の運動エネルギー操作。手のひらにある程度、力が収束するのを待ってから窓の外へ力を解き放つ。空へ向かって放たれたエネルギーは大気を押しやり、磨り潰すような音を残し、霧散する。


「……俺にとって、瞳子を失って得るものってなんだ? その得るものは俺にとってそれだけの価値があるものなのか? ……ないよ、そんなもの。どこにもさ」


「だから、もし、必ずなにかを選択し、捨てなければいけないというのなら、そんな悲しい選択をしなくて済む道を選びたい。選択の末、捨てなければいけないものがあるのなら、今までのような言い訳だらけの楽をしてきた道を捨てよう。イバラの道を進んで自らの血と苦難の果てにある理想を得よう」


 その結果、俺は死の淵に立つことになってしまったが、こうして二人とも生きている。妹達とも向き合うことができた。命を張った甲斐があるってもんだ。


「……」


「でもな。それだけじゃ駄目なんだ、って気づいた。それじゃあ、おまえ達を蔑ろにした三年前の選択と変わらない……とも思った」


 二人の吐息の音が部屋を包む。俺は自嘲しながら、刺された部分に触れる。傷跡がきれいさっぱりなくなっていて刺されたという事実すら幻のようだ。


「瞳子の刀が俺の体を通っていったあの時、おぼろげに見えていたよ……。血相を変えてこっちに飛んできた二人の女の子を」


 驚きのためか、二人の吐息が再び途切れる。気付いていたのか、そんな表情の二人にかすかにだけどな、とともすれば独り言とも取れる返し。薄れゆく意識の中でそれだけが色付いて見えた──ほんの一瞬だったが、だ、見間違いようがない。


「あんな顔見せられたら、『ああ、俺って全っ然! 見てないんだなぁ』って、痛感させられた。逆の立場だったら俺は耐えられない。おまえ達が傷つくなんて……な。だけど、俺の根本は多分、変わることはないと思う。これ以上、失わないために。そして、おまえ達を守る──少し、違うか。今度は支え合うために。そうなるための道を俺は"選んだ"……それで怪我して、結果心配させてりゃ世話ないんだろうけどな」


 それでも、この先も……ずっと、ハルとカナに心配掛けてばかりになるんだろうって予感――どころか、それを超えた確信がある。なのに、それがわかっていても、俺は俺が行こうとする道を止められない。


「……俺を許さなくていい。おまえ達の言うように、俺は二年間ほったらかしにしておいて勝手なことを言う最低な兄貴だ。そして今、また自分のエゴを押し付けようとしている。恨んで当然だ。……でも、俺はもう、遠慮し合って、わざわざ後悔するとわかっている道を選択するのはごめんだ」


 一ヶ月前、瞳子から今回の件を始めて打ち明けられ、俺は「ハルとカナに会えない」と、そう言った。そんな俺に瞳子は"意地っ張り"と評した。……まったくだと、今なら素直にそれを認めることができる。その心境に至るまでまた随分と遠回りとすれ違いを重ねたことに苦笑すらしたくなる。


 だからこそ、どんなに不細工なものだとしても、俺は自分なりに出した答えを今ここで示さなければいけないのだ。


「だから、身勝手で、最悪だとしても、みっともなくて、情けなかったとしても、自分の内なる声を――俺の素直な気持ちを伝えるよ。一緒にいて、そばで見守っていてほしい。そして、もし、今までのように、すれ違うようなことがあったら……俺が道を誤ったと思うなら、その時は殴ってでも止めてほしい。二度と同じ轍を踏まないように。"一人と二人"なら無理でも"三人"でならできるはずだから。ははっ、やっぱり最低かな? ……悪かったな、呼び止めて」


 自分で言っておいてなんだが、これはないだろう、とは思う。ハルとカナは独白し終えた俺を見届け、扉へ向かう。二人がどう受け止めたかはわからない。しかし、今の俺の正直な気持ちを全て言い尽くし、それを最後まで聞いてくれた。今はそれだけで充分だ。


「……失礼します」


 部屋から退室していく二人を見送って、しばらくして気づく。一つ、言い忘れていたことがあったのだ。


 しかし、もう遅い。二人はもう出てしまっている。どうしようか──って、悩んでいても仕方がない。大きく息を吸い、両手を拡声器代わりにまだ廊下にいるであろう愛しき妹達に礼を言う。


「ハルぅ~、カナぁ~。助けてくれてありがとなぁ!」


 廊下の端から端まで届くようにありったけの声量を吐き出す。自分の中にある全ての酸素を声に変えるようにそれこそ酸欠寸前まで振り絞ったため頭がクラクラする。それに、


「あたっ、あたたたた……」


 瞳子に刺された部分に激しい痛みが走る。傷は跡形もなく塞がったけど、体に残る痛みの記憶みたいなものは「まだ治ってねぇよ! 無茶すんな!」と、訴えていた。


「しょうがないだろ……、忘れてたんだからさ」


 痛む腹にそうささやく。妹のためだと説得したら少しは納得したのか、痛みが和らぐ。


 今度こそ、言うべきことを言い切り、満足していると廊下の方から──


「兄さんのバカ」


 ──そう聞こえたような気がした。



      *



「──ちょっと、演出が過ぎたかな」


 遥、彼方と入れ替わりに病室を出る。なんとはなしに携帯を手のひらで滑らせると、メール受信の知らせと送り主の名前が見える。遥──ハルからだ。


「……別に返信しなくてもいいのに、律儀というか、なんというか」


 私が出した空メールに対して、ほぼ直後に返された“今から行きます”の文字。そう、これは事前に示し合わせてのことだ。優之助へのサプライズに彼女達との再会を計画し、タイミングを逃さないよう付きっきりで貼り付いていた──けして心配したからではない──が、どうやらそれは成功したらしい。わざわざ覗くような真似などするまでもなく、扉ごしにもれ聞こえる優之助の様子でわかる。


 だが、あまり劇的なのもそれはそれでおもしろくない。私とのやり取りが霞んでしまうからだ。


「(……まぁ、いいか)」


 この三年間ほとんど会わずじまいだったのだ。久しぶりに家族水入らずで過ごした方がいい。私らしくない気の使い方だというのは百も承知だが、今の優之助には必要なことだと言い聞かせてこの場を離れる。しかし、その出鼻をくじくように私の進行方向に一人の女生徒が立ち塞がっている。


「……瞳子様」


 天乃原学園生徒会副会長にして、当真家が真田凛華とは別に用意した監視役。そして不本意ながら私の分家筋にあたる親戚、平井要芽――本名、当真要"目"。

 おそらく、ハルとカナあの子達と共にここへきたのだろう。なんの用だ? ……いや、むしろ都合がいい。聞きたいことがあるのは私の方だ。


「まさか、生徒会に提出したファイルに優之助の情報を紛れ込ませていたとはね」


 今となっては私に知る術はないが、私がファイルをチェックした後、情報を混ぜたはずだ。生徒会の動向と当真家が把握している要"目"のスケジュール。両者のタイミングを考えればそこだろうとカマをかける。

「あなたに一度確認を頂いた後、即生徒会に回しました。タイミングはわずかでも割り込ませるのは簡単でした」


 悪びれもせず、あっさりと認める要"目"。何かをやりかねないという警戒から報告や確認は念入りにしたはずだったが、それを逆手に取られた形だった。それにしても大胆な話だ。ただ正体をバラすだけならあんなマネをしなくとも、もっと早い時期から直接言えば済むのだから。


「……それで、どこまで流したの?」


 バラしてしまったのなら仕方がない。諦めて、今後の対策のためにバラした範囲を聞かなければ、手の打ちようもない。


「瞳子様が当真の当主候補の一人である事。優之助さんが当真家の依頼でこの学園に潜り込んだというところまでです」


「他には?」


「それだけです」


「それだけ?」


「はい。瞳子様と優之助さんが年齢を誤魔化している点。優之助さんが彼女達の兄である点。優之助さんの目的など。優之助さんに関するその他全ての情報は伏せています」


「ならどうして、生徒会に情報を流したの?」


「こちらで情報を流しておけば、今後、優之助さんが生徒会に疑惑を持たれることがなくなるからです。少なくとも桐条飛鳥を倒した時点で優之助さんの正体を疑われるのは時間の問題でした。その為、優之助さんと当真家との関係をこちらで流し、それ以外の致命的な真実を探られるリスクを極限まで抑えようとしました」

 それが、当真家の依頼云々の話ということか。


「でも、優之助が当真の関係者である事と当主候補の私という組み合わせは無用な詮索をされるような気もするけど?」


「真田凛華が当真から派遣した人材にもかかわらず、生徒会に与しています。それは当真家から天乃宮姫子を守るよう指示されているからです。同じように優之助さんは当真家の指示でこの学園を調査するために派遣されたという一点で押せば問題ありません。あちらにも思惑はあるでしょうが、瞳子様が個人的な事情で動かれている以上、詮索に意味を持つ事はないでしょう」


「ふん……」


 私に黙ってやったことは気に食わないが、一応、的を射ている。むしろ、私から提案すべき方策だったかもしれない。あくまで手段の一環として考慮しておく、くらいではあるが。


「まぁ、いいわ。過程はともかく、結果的には今後の計画に都合がいいわ」


 そう、今の状況は悪くない。優之助の正体を学園の人間(特に生徒会の連中)に知られず、当真家の関係者として堂々と接することができるからだ。


 もし、優之助を普通に天乃宮側に紹介していたら、妹であるハルとカナも当真家と天乃宮家が起こす騒動に巻き込まれる。生徒会といざこざを起こすくらいならば問題ないが、それはあまりよろしくない。


 そういった状況を作り出さないために優之助は二年間、妹達と離れて暮らすことにしたのだ。理由の大半は別にあったのだが、原因の一つには違いない。それだけ優之助は能力、性格、二人に対する思い入れ、いずれの観点から見ても騒動を呼ぶ天才(天災か?)で、あの子達の立ち位置はいろいろと狙われやすい存在なのだ。あれほど、相性の悪い兄妹も珍しい。


「でもね……」


 言いつつ、要"目"を見やる。最大級の威圧を込めて。


「あんなふざけた真似は今回が最初で最後。破れば……」


「……殺す」


 睨むだけのつもりが自分の瞳から殺意が漏れ出すのがわかる。……少し、制御が甘くなっている。自らの不快に瞳が応えた格好だ。


「……わかりました」


 表情を硬くさせた要"目"を見て、溜飲を下げる。それと同時に瞳の制御が楽になった。……部下の動向で制御が左右されるなんて私もまだまだだ。


「ならいいわ」


 内心、自嘲しながら、要"目"の横を通り過ぎる。これ以上の会話に意味はない。騒動の後始末がまだ残っている私はその場から微動だにしない要"目"を残し、今度こそこの場を離れようとする。しかし──


 ──ズキ!


「……っ」


 不意に脇腹が痛む。後ろにいる要"目"は気づいていない。気づかれても困る。この三日間誰にも悟られることなく振舞ってきたのだから。


 痛む部分を比較的、負担の掛からないように動き、いつも通りに歩み去る。

「("アレ"を喰らって、折れていないのが幸いか)」


 優之助と交錯したあの瞬間、優之助の攻撃は寸止めになったが、行き場のなくなったその有り余る破壊力は衝撃波となって私の胴を貫通していた。……もし、直撃していたらどうなっていたことか、想像するだけで今でも背中から冷や汗が流れる。一歩間違えば当真の計画も私個人の思惑もすべてご破算だったのだから。


「──命を秤にするとしても、あんないきあたりばったりで、もののついでみたいな場で果てるなんてまっぴらごめんだわ」


そうぼやく私から遠間で圧し殺した悲鳴と慌しく響く靴音が徐々に離れていくのが聞こえる。生徒か、職員か、人気のない廊下で私に出くわして逃げたみたいだ。


計画といえば、その反応についてもだろう。優乃助が生徒会を追いつめたことへの収拾に躍り出た私は結果的にお咎めは──当然だが──なかった。しかし、真田凛華以上に刀を振るい、その刀以上に物騒な異能を振るった私を見る目は──これも当然だが──変わった。いうまでもなく悪い意味で。


別に私は血を見なければ均衡を保てない破綻者でなければ、人を人と思わない異常者でもないのでそんな風に扱われるのは心外の上、後々の活動に支障をきたしそうで少々頭が痛い。


「……まったく、人を何かと勘違いしてるわね」


あなた達有象無象の命を奪って──それを厭わないほど睦み合ってなにが楽しいというのか。これでも一途だとらしくないながらに自覚している。誰でもいいというほどふしだらなつもりはないのだ。


その肝心の相手はなかなかその気にはならないし、こぶつきーー若干意味合いは違うが抱える感情と事情は同じだーーなのがその腰の重さに拍車をかけている。


「(──パンダの交配にかかるお膳立てとどちらがマシかしらね)」


 自分でも馬鹿な比較と思いつつ、今度は“こぶ”の方へと考えを巡らせる──果たして、あの判断に間違いはなかったのかと。


ハルとカナをこの学園に呼び戻した(より正確に言うなら三日前のあの瞬間に居合わせるように予定を組んだ)本当の理由。それは本気を出した優之助の攻撃で私が死なないよう保険を掛けるためだ。悔しいけれど、今の時点で優之助を止められる事ができるのはあの二人しかいない。


 本音を言うなら優之助にあの二人を再会させたくはなかった。しかし、優之助の腑抜けっぷりは私に手段を選ばせてはもらえず、命懸けでぶつからない限り、その目を覚ますことはないという結論に至った。だから、渋々ながらではあるが、始めからギリギリで再会させるという筋書きを書いたのだ。


「出会って三年、つかず離れずで三年か──まったく、優之助があそこまで腑抜けていたなんてね」


 この数日で何度目になるかわからないボヤキを口にする。結果として、保険は優之助に使われることになったのだから無駄ではなかったのだが、優之助が最後にあんな決断をするとわかっていれば、二人を戻さずにそのまま転校させるよう動いてもよかったのだ。どこまでも私の思惑を斜め上に狂わせてくれる男だ。


「……でも、まぁ」


 ある意味、優之助らしく、そして、うれしくもある選択だったとも思う。再び交わる次の三年――いや、二度目の高校生活これからの一年がとても待ち遠しい。それにしても──


「──優之助のやつ、聞いてなかったわね」


 まぁ、あの状況で意識をしばらく持たせていたというのはさすがだし、それをやったのは自分なのであまり言えた義理はないが、折角の告白──卒業式当日まで進学先を伏せていた理由──を、その核心を伝えようとした矢先に気を失ったのは理不尽とわかっていながら肩透かし感は否めない。


 ──私が平然と保健室で目を覚ますのを待っていたと思うのか? 意識を取り戻したあの時、思わず逃げようと腰を浮かせたなんて言ったらどんな顔をするだろうか? おそらく私のこの気持ちと同じくらい複雑に歪めただろう。


「……言えるわけないじゃない。ハルとカナより私を選んで欲しかったなんて」


 県外の大学進学は私自身の意向とは別に当真家の事情も多分に絡んでいる。私がその気はなくともまず断ることはできない。優之助に告げた言葉に嘘はないとはいえ、だからといってハルとカナを放っておけないと私の進学先について毛ほども考えずに地元の大学に即決したのは少し──そう、ほんの少し傷ついた。この私が、気のない相手に進学の援助をするわけがないのだから。


「もう金輪際、私から言うつもりはないわよ──優之助」


 だから、今度はあなたから聞きにきなさいな。あの時のように。



      *



「――だだ、優之助さんの情報を会長に流せばあなたは躊躇なく私を殺す」


 一人、保健室棟の廊下に佇む私は独白を続ける。当真家当主候補である当真瞳子はもうここにはいない。おそらく、天乃原学園理事長──当真瞳子の叔父──の元に今回の後処理を手伝いにでも行ったのだろう。


「しかし、あなたを経由して情報を流せば、気づかなかった自分のミスを責め、私を罰することはない」


 計画通りだ。ああ見えて当真瞳子の本質は(優之助さんの前ではおくびにも出さないが)、他人から下に見られるのを嫌う性格で、あの生徒会長以上にプライドが高い。


 要するに自分を出し抜いた私をただ処分しても傷つけられたプライドが修復できないから、その行動を不問にする寛容さを示すことでなかったことにしたいのだ。


 とはいえ、この手も一度きりの手段。本人が言うように、もう一度やれば、今度こそ私は消されるだろう。だが、そのリスク犯した甲斐があった。


「(これで優之助さんが学園内で動きやすくなる)」


 この先、優之助さんには当真家の支援が必要になる。しかし、天乃宮家の承認がなければ表立って協力することはできない。


 いろいろイレギュラーがあったが、なんとか目的は達せられた。私は達成感で胸がいっぱいになる。


「……んっ」


 私を突き動かすのは優之助さんへの想い。私が動く理由、私の存在意義、私の……全て。


 ──ん? 名前?


 ──ずいぶんと個性的だな。


 ──たしかに親の中には、変な名前つけるやつ、いるよな。って、ゴメン、ゴメン。悪かったって! そう睨むなよ。なんか俺のクラスの女子に似ているよ、おまえ。


 ──お詫びっちゃあなんだけど、俺がおまえに名前をつけてやるよ。あれ? なにその目。心配するなって! 悪いようにはしないからさ。


 ──どうかな? かわいいと思うけど。もとの音自体はいい響きなんだから一文字いじるだけでいい名前になるんだよ。


 ──まんざらでもなさそうだな。えっ、うれしいけど、そういう問題じゃないって? あれ? 自分の名前が嫌だってことじゃなかったっけ? ……違うのか。


 ──でもさ。名前は気に入ってくれたよな。それなら今度からそう呼ぶよ。まぁ、読みそのものは変わらないんだけどさ。じゃ、今からな。


 ────要"芽"ちゃん。


「守って見せます……この世のあらゆるものから。あなたの笑顔とその暖かい手のためなら、この命すらいらない」


 それは私の誓い。誰にも──あの時、あの場にいた優之助さんですら知らない、私だけの誓い。



      *



 後日談というか、その後のことをいくつか。


 瞳子の『殺刃』によって串刺しにされた腹部は結局のところ、怪我をしたことによる後遺症も一切なく完治した(というより、もともと治療するまでもなく勝手に塞がっていた)。


 少し前に振り返って『六道返し』と『優しい手』がかち合ったあの時、その衝撃波によって瞳子の手から『紅化粧』を吹き飛ばしていた。その後、俺が躊躇していた隙に『殺刃』を形成し、俺を刺したというわけだ。本来、架空であるはずの『殺刃』が起こす物理的干渉──結果として無傷だったが、あの時、俺は間違いなく"刺されて"昏倒したのだ。


 達人級の腕前と業物の両方が揃えば、物体の細胞を破壊せず切断し、そこからもう一度くっつけることが可能らしいが、物理的な厚みを持たない刃に刺されてもうまくすれば同じ現象が可能ということなのだろう。また、妹達の応急処置が適切だったことも幸いしたらしい。俺に駆け寄るやいなや、刺された箇所をすぐに固定してくれたおかげで感染症を起こすことなく細胞がきれいに癒着していた(……もっとも、流れ出た血が多いために三日間も昏睡状態だったわけだが)。


 怪我そのものはともかく、大量に失った血とそれに比例して落ちた体力を取り戻す為、その後一週間、俺はあの保健室と称されたVIP待遇の個室の世話になることになった。転校三日目でいきなり入院生活ってどうなんだと思うのだが、まぁ、それも俺"らしい"のだとなんとなく納得した。


 瞳子との戦いがきっかけで失ったものを痛感したものの、やっぱり、その正体が何なのか今でもはっきりせず、まだまだ取り戻すのは先かと少し苦笑する。けれど、今はただ、少し懐かしいと想う心のままに流されるのも悪くはない、そう思うことにした。


 入院──保健室に泊り込むのもそういうのかは、はたまた謎だが──していた一週間は妹達や瞳子をはじめとして飛鳥や真田さん、果ては会長まで見舞いに来てくれた。あいにく要芽ちゃんは忙しいらしく、いけなくて申し訳ないとわざわざ会長に言付けてくれていた。その辺はやっぱり律儀な子だ。件の後日談はメッセンジャーとなってくれた会長からいろいろと話を聞くことになった。


 まず、そもそもの原因だった飛鳥の退学に関してだが、取り止めとなった。思い留まった飛鳥と辞めさせたくない生徒会側とが一致して、めでたく飛鳥は生徒会に戻ることになった。見舞いに来た飛鳥が帰り際に「今度は負けないぞ」と言ったその顔を見て、ひとまず一件落着だと安心した。


 次に生徒会に真っ向から対立した俺の処分。これも、一先ず保留となった。会長曰く、このまま俺を追い出せば勝ち逃げされたままのような気がしてプライドが許さないらしい。つまり、俺を負かすまでは逃がさないってことのようだ。スパイとしてこの学園に来た俺としては、なんともグダグダな話ではあるが、ありがたく甘えさせてもらうことにした。


 留学を名目に"避難"していたハルとカナは今でも天乃原学園に在籍している。瞳子の計らいでの一時的なものだったので本格的な留学ではなく、どちらかといえば、見学みたいなものだったらしい。お互い離れて暮らしていたので少し固いがそれもおいおい解決していけばいいなと思う。


 講堂での一件の前と後でもっとも変わったのが瞳子だろう。ただの転入生と思っていたのに殺意と剣気を振りまくとんでもない存在だとわかったため、教師ですら斜め上から見下していた生徒達が瞳子の前では借りてきた猫のように大人しくなったそうだ。


 どんなに理屈をこねくり回しても結局、本能の根源にある恐怖の前には敵わないということなのだろう。もしかしたら、瞳子は生徒としてこの学園に来るよりも教師として潜入した方が意外に解決の道が近かったのかもしれない(どんな生徒も一睨みで黙らせるって感じで……)。


 俺との決闘に対する処分についても、直接的な被害は生徒会に反抗した俺だけでその他に実害がない為、騒動を終結させようとした最低限の必要な措置としてお咎め無しとなった。


 まぁ、理事長の姪なんだから本当に退学処分になることはないだろうが、瞳子が理事長の姪であることは秘密のようで──この時、初めて知ったのだが不正や防犯の関係、そして当真という旧家の性質上、理事長の素性を知っているのは一握りの人間らしい──学園のほとんどの人間にとって、瞳子は後ろ盾の無いただの生徒という認識だったそうだ。言われてみればたしかに当真の名を知るなんてよほど後ろ暗い事をしていないと知り得ない家名を知っている事自体稀である。


 そんな隠れお嬢様──言ってて違和感だらけだが──である当の瞳子は某八代将軍や桜の刺青をしたお奉行様のように正体を隠して生徒を演じたかったとのこと。


 それでも舐められるのは嫌だったらしく、自分の"素"を出すまでの間、かなりストレスが溜まっていたらしい。なんというか俺は"素"を出すためのきっかけ──つまりダシに使われたようだ。なんとも風情も雅もない話である。


 さて、怪我の影響から回復した俺は明日から学園に復帰する。これから先、ハルとカナはこの学園を変えるために生徒会に真っ向から対立することになるのは想像に難くない。そして、ハルとカナが心配でこの学園に来た俺は共に生徒会と小競り合いをすることになるのだと思う。


 それに加えて、瞳子もなんらかのアクションを起こすのだろうし、今のところ生徒会によって大人しくしている生徒達もそのままというわけではないだろう。スパイとしては三日で終了というつまずきもあったが、まだまだ騒動は終わらなそうだ。そう思うとため息をつきそうになり、止める。ここはため息をつくところじゃなくて笑うところだ。なぜか、そう思う。


「さぁ、夜ももう遅い。早く寝ないとな」


 心が浮き立つせいか、思わず吐いた独り言が自分のものとは思えないほど軽やかに響く。転校初日に遅刻しておいて復帰初日も同じ失態を繰り返していては笑い話にもならない。そう思い眠ろうとするものの、なかなか寝付けない。まるで遠足前の子供のような気分だからだ。

 

 ──ああ、明日が待ち遠しい、と。

 

 次の日、怪我から復帰した俺は意気揚々と数日間仮宿だった保健室に出てから気付く。


「……今、春休みじゃん」


 どうやら本格的な学園生活とやらは当分先になるらしい。

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