三日目・二

 ──次に会った時にでも、答えを聞かせてもらいましょうか。


 そう言った瞳子が目の前にいるのだから、「何の用か」なんて言葉ほど間抜けなものはないだろう。俺がどうしたいのか──誰の敵に回るのか──をはっきりさせるつもりなのだ。


 ただ、そんな問いが必要かというのもあるが、そもそもこの段になって舞台に立った瞳子の意図がわからない。


 会長達の真意を聞いた限り手段に差異はあれど目的の方向性は同じ。ならば協力した方がどう考えても効率がいい。しかし、このタイミングで出てきた以上、なかよしこよしでやりましょう、などと言いにきたわけもないだろう。


 長い付き合いでそれがわかっているが、それでも瞳子がなんでこんな立ち回りをしているのか、不可解というしかない。回らない頭の使い過ぎで知恵熱すら出そうだ。


「御村君、あなたはこの学園をどうする気なの?」


 一方、そんな俺をあっさり無視して話を進める瞳子。


「むしろ、こっちが聞きたいわ。その小芝居込みで」


「……あなたはたった一人で生徒会を敵にまわし、その結果、役員を倒して生徒会長をも退かせた。これは事実上、生徒会は一人の生徒に負けたといえる。そうなるとこの学園はどうなると思う?」


 まるで数日前の寸劇を彷彿させる瞳子の言動──特に会話の方はまったく噛み合っていない。こちらの態度や内心など端からどうでもいいのか、俺の返しも無視して、脚本どおりにと一方的に捲くし立てる。流れに乗るのも癪だが俺から折れない限り、話は進みそうにないようだ。渋々ながら、瞳子演出の舞台に付き合う。


「……新しい生徒会ができて、そいつらがうまくやるのでは?」


「そうなると本当に思う?」


「どういう意味だ?」


 さっきから答えをはぐらかされてばかりで徐々に苛立ちが増してくる。こいつは結局、なにが狙いだ? 少なくとも現生徒会の味方ではない。さんざん揉めるのを諌めておいて、言葉とは裏腹にその都度揉めるのを後押ししていたのは一度や二度ではない。


 こちらのそんな疑念や不信がわからないわけではないだろうに瞳子は相変わらず真意の読めない会話を続けていく。


「今の生徒会が打倒されれば、この学園の秩序は崩壊する、と言っているのよ」


「……それは穏やかじゃないな。冗談にしても笑えない」


「生徒会の課してきた圧政は生徒たちを追い詰めて続けた。その生徒会がなくなれば、生徒たちは今まで押さえつけられたストレスを開放するでしょう。そうなるとまず間違いなく、やりたい放題のしたい放題。学園は暴動になる、と……ここまで言えば、想像はつくわね?」


 直接的な表現は避けたが、言いたいことはわかる。


「代わりの生徒会? その生徒会には暴走した生徒たちを止められる力はあるの? それができなければ、ただの絵に描いた餅。理想だけではもうどうにもならないところまできているの」


 この学園をなんとかするために手段を選んではいられないという点では、いみじくも真田さんと同じ意見のようだ。この学園は両家の利害の一致で成り立っているのだから当然か。だからこそ、瞳子の一連の行動に疑問を持つわけなのだが。


「……じゃあ、どうすればよかったんだよ?」


 あまりの不可解さに頭痛がする。嘆息しながら瞳子を眺め見て、脇に携えているものに気がつく。それは鞘も拵えも全てが白い刀──瞳子の愛刀『紅化粧べにげしょう』だ。


「──御村優之助、私もあなたに決闘を申し込みます。あなたをこの場でう倒せば、勝者はいなくなり、生徒会は存続できる。そうすることでこの一連の騒ぎを終結させます」


 超展開過ぎて、ついていけない。この三日間ずっと、何度も思い続けてきた瞳子に対する感想が頭をよぎる。


「(……だから、なにがしたいんだ? こいつ)」


 だが、ただ一つだけ、わかったことがある。一応、確認のために周りに聞き取られないように質問する。


「なぁ、もしかして最初からこうするつもりだったのか?」


「その通りよ」


 あっさりと認める瞳子。


「じゃあ初日にやった校門での寸劇まがいは?」


 ──「この学園には外の常識は通用しない。一歩踏み出すともう後戻りはできず、あらゆる苦難が待ち受けるわ。それでも踏み出すというの?」


「じゃあ、帰るぞ」


「ちょっ、まった! まった! んもう、ノリが悪いわね。せっかく悪の巣窟に立ち向かおうする勇者の歓迎っぽくしたのに」──


「いい伏線でしょう?」


 つまり魔王黒幕は自分だと? 茶番劇から外れて素を見せる瞳子が小さく舌を出す。まるでイタズラのネタばらしといった風情だが、実際はそんなかわいいものではない。


 なにせ、問題児と名指しした天乃宮姫子はむしろ問題を解決に動いている側であり、その対処──暗に排除──を目的の一つとして天乃宮家に黙って俺を派遣したのが共同経営という味方のはずの当真本家の人間である瞳子だ。


 当然、生徒会の真意を知らぬはずはなく、それどころか、わかっていながら俺を生徒会にぶつけるのを良しとしたと白状しているに等しい。これが意味するのは──


「──天乃宮を出し抜こうとするつもりか?」


「……さて、どうかしらね」


 さすがに言質をとられると不味いのか瞳子のそれは、はぐらかすような物言いだが、それはもはや肯定しているも同義だ。


 この学園は両家の利害の一致で成り立っていると述懐したが、逆に言えば当真家と天乃宮家は利害でしか繋がっていない関係だ。そして利害とは頻繁に姿かたちを変える水のようなもの、水面下──水だけに──では有限である取り分をだいなしにしない程度には取り合ってきたのだろう。


 俺に仔細を話さず会長、ひいては生徒会と共同歩調をとらなかった。学園にはびこる問題を解決しようとする競合相手の足を引っ張りつつ、自ら解決に導いて学園における権力政争のイニシアチブをとる──少しずつではあるが見えてきた。


 自ら魔王と明言しないものの、勇者として歓待した俺の前に立ち塞がったのだ、戯れてはいてもまったくの冗談ではなかったらしい。すなわち、侵略と支配領域の拡大。妹達の件も含め、最初に聞いた話とは随分とかけ離れたものだ。


「よくもまぁ、でたらめ三昧で動かしてくれたな。こき使われるのはいいとして──いや、よくないが、さすがに家族をダシにされるのはさすがに愉快とは言えないぞ」


「……安心なさいな。あなたでなければならなかったのは本当だから」


 小芝居も悪巧みに満ちた素もはげ落ちた平坦な声が数少ない真実を語る。単なる旧家同士の利害で終わりかというとどうやらそれだけではないらしい。たしかにそれだけならば瞳子がこの場に出てきた理由にはならない。


 いくら歴史と権威のある本家の生まれとて単なる家の小間使いでいられるほど当真瞳子はやさしくない。この件に関わるのに充分な個人的事情がなにかあるはず。それが証拠に俺へと向けられる視線には高原に来てからはおろか、この三年間一度もなかったどこか懐かしい成分が込められている──それは血生臭さすら感じさせる狂気と暴力に彩られた“殺眼”。


「──構えなさい、御村君……いいえ優之助」


 その一言に冷たいものが帯びる。刀を持った瞳子はもはや別人。もはや、これ以上の問は答無用とばかりに斬りかかって来る。


「っ!」


 瞳子が携えた白木の鞘から一気に刀が抜き放たれる。(言っちゃあ、悪いが)真田さんとは桁違いの切れ味を帯びた斬撃が俺の胴へと殺到する。真田さんは"斬る覚悟"はあっても実際に斬った経験はまだないのだろう。


 しかし、瞳子は違う。息をするように自然にできるまで、人に向けて剣を振るった回数。その違いが斬れ味に圧倒的な差を生むのだ。


 人の胴体なんて簡単に輪切りにできるであろう中段への居合いを『優しい手』でガードする。一瞬でも気を抜けば、あっという間に斬殺死体の出来上がりだ。もはや周りの目なんて気にしてはいられない。



「最後に確認したいことがある」


「この期に及んで、なにかしら?」


「……ハルとカナのことだ。生徒会に反抗しているとして退学になるかもしれないってのは、結局嘘ってことでいいんだな?」


「天乃宮姫子が生徒会長になった理由は?」


「天之宮に不利益になると判断した生徒の見極めとその放逐……だろ」


「その通り。では桐条飛鳥はどう? 彼女は天乃宮姫子に反抗的だったけど、退学にされることはなかった──つまり、そういう事よ」


 ただし、私達の手を離れてやり過ぎなければ、の話。そう釘を刺すのを忘れない瞳子。


「少なくとも、今の所は退学の心配はないんだな。……安心したよ。おまえに振り回されてばかりで癪だが、そこだけは本当に安心した」


 仮にハルとカナが"本当に"生徒会に反抗していたとしても問題ない。二人には利用価値があるから──言外にそう含みのある瞳が雄弁に語る。瞳子の意図はともかく、降りかかる火の粉は払わなければならない。出惜しみなしで潰す。


「(……まぁ、さっき真田さん相手に使ってしまったわけだし、どの道遅いけどな)」


 そんな事を考えながら空いた手でカウンターを狙う。いくら瞳子が強くても『優しい手』なら一撃で行動不能にすることも可能だ。


 しかし、そこは瞳子、わかっている。自分の攻撃が止められた時点で早々に距離を取っていた。


「……ちっ!」


 当たり前だが、あっちは刀、こっちは素手、リーチでは明らかに分が悪い。いくら当真流剣術が接近戦でも強いとはいえ、こちらと同じ土俵に上がらずとも、あっちは問題なく手の届かない距離から攻撃できる。あっさりこっちの射程外へと移動した瞳子が名乗りを上げる。


「古流剣術・当真流皆伝、当真瞳子──推して参る」


 武家の末裔である瞳子は必然的に家に伝わる武術を修めることが習わしとなっている。瞳子の家に伝わるのは先の決闘で真田さんも使っていた古流剣術・当真流。


 しかし、白刃を抜き放った瞳子はいつもの明け透けで人を食ったような言動(これは俺がいつもやりこめられているからそう感じるんだろうけど)がなりを潜め、陰気で不吉な剣気を纏い別人のようになる。その状態の瞳子を知る高校時代の連中からは便宜上、"刀"子モードと呼ばれるほどの変貌ぶりだ。


 名乗りもそこそこに(剣を志すものとしては非常識な話だが)手に持ったままの鞘を邪魔とばかりに投げ捨て、改めて刀を構える。


 構える様は、同じ当真流の使い手であるはずの真田さんが正眼に構えたのとは異なり、体は半身、刀を下段に構えている。他の流派ではあまり見られない特異な構えだが、あれこそが当真流剣術の本来の構えだ。


 古流剣術・当真流は刀を下段に構え、腰に沿うように持つか、切っ先を相手の斜め下に突き出すように持つのを基本的な構えとしている。得物を低く構えるのは、構えに伴う保持の負担を最小限にしつつ、体捌きを妨げさせないというのがその理由。言うなれば、当真流は"剣で斬る技術"よりも"剣を持つ動き"そのものに重きを置いた技術体系である。


 また、剣術としては一見、非常識に思える鞘を捨てる行動も動きにくさを極力なくす一環としてだ。剣豪、宮本武蔵は巌流島の決闘で佐々木小次郎に「鞘を捨てるのは、刀を戻す気が無い=決闘に勝って刀を戻す気がない」的なことを言ったそうだが、瞳子は「相手を斬ってからゆっくり鞘を拾えば済む話でしょ」とのたまった。


 まぁ、武蔵も相手を挑発するために言ったのかもしれないが、偉大な剣聖の名言をそこまでないがしろにするのはどうなのだと思う。……以上、どうでもいい話終わり。


「──『流水りゅうすい』」


 ゾッとするような冷気の一言。しかし、それとは対照的にまるで舞を思わせるような華麗で見るものの心を打つ身のこなし。古流剣術・当真流の型『流水』。"刀"子の十八番だ。


 同じ古流武術でも、相手に挙動を悟らせない動きが特徴だった飛鳥の『飛燕脚』とは正反対。そんな魅せる動きの中に擬態された太刀筋が体に届く前に『優しい手』を割り込ませる。


 いかなる攻撃でも止められる『優しい手』だからこそ、間に合うタイミング。『優しい手』でなければ、刃が俺の腹部を抉られていた。


 真田さんの時と同じように、刀の切っ先は手のひらを傷一つつけられず、その前で止まる。しかし、今度の相手はお互いを知り尽くした当真瞳子。刺さらないのを逆に利用し、反動をつけて後退する。同時に、その勢いを次の動きへと繋げていく。


「──『不知火しらぬい』」


 今度は低く、速く、燃え広がる炎のように相手へ肉薄する当真流・一本指歩法『不知火』。優雅といってもいい『流水』から一転して荒々しく斬りかってくる。


 当真流剣士としての"刀"子は『流水』、『不知火』を始めとした緩急自在の動きで相手を幻惑し、一瞬の隙をつく戦い方を得意とする。そうこうしている間にも"刀"子の攻撃は続く。


 『不知火』の動きのまま、俺の周りを駆け巡る。その動きは野生の獣が獲物を狙うようにこちらの隙を伺っている。下手に守ればこちらが危ない。


 そう判断し、攻めに転じようとすると、今度は『流水』の動きへとシフトする。まるでこちらを誘うように──実際にカウンターを狙っているはず──舞う"刀"子にこちらの攻めようとする気が殺がれる。と、その瞬間──


「──っは!」


 呼気と共に弾丸のような速度で一直線に俺の眼前まで近づいてくる。そのまま下段に構えた刀が急激な角度から吸い込まれるように首筋へと斬り上がる──当真流『一ノ太刀・昇竜』。


 普通、下段から振り上げた刀が腕の力だけで相手を斬れるはずがない。それを可能にするのが『流水』や『不知火』といった当真流独特の体捌き。全身の筋力を体術によって斬る力に変換し、刀に伝える。正に全身全霊の一刀だ。


 そんな天へと昇るような太刀筋が首筋へと到達する前に再び『優しい手』が立ち塞がる。攻める"刀"子も守る俺も一歩も引かず、自然と『優しい手』と『紅化粧』による奇妙な剣戟が起こる。


「「──っ!」」


『優しい手』の特性ゆえに、両者の得物がかち合っても無音。お互いの吐息のみが講堂内を埋め尽くす。一合、二合と斬り結ぶにつれ、一刀の"刀"子に対し、双手である俺の防御が上回っていく。だが、いざ攻勢に回ろうとすると──


「『流水』」


 舞うような動きでタイミングを外され、攻め手が途切れる。……あまり美味くない流れだ。こうなると、リーチに余裕のある"刀"子の方が有利となり、俺は常に先手を許すことになる。仮にそれを防いで、反撃に転じたとしても、また取り逃がす、といった不本意な図式が頭の中で出来上がる。


「(畜生、相変わらずやり難いな!)」


 手数や、それに伴う速度はともかく、動きの多彩さで一歩も二歩も上手の"刀"子を捉えきれない。まるでここ数日の瞳子との遣り取りみたいだ。散々はぐらかされ、結論はおろか、まともな説明すら先送りで決着がつかない。


 ……どうやら、ストレスが自分で思ったよりも相当溜まっていたようだ。ジリ貧気味な今の戦況も相まって、瞳子への不満が我慢の限界を超えているのに気づく。


「……いい加減、色々とはっきりしてもらうぞ。瞳子!」


 踏み込まなければならない。


 ──もっと瞳子の間合いの内側へ


 ──その本心へ


 ──その奥へと

 

 ──おまえの真ん中を抉じ開けてやる!


 カウンターをもらいにいく覚悟で"刀"子の胴へと前蹴りを放つ。


 胴は人体の中心、一番攻撃が当たりやすい部位だ。対する"刀"子はその前蹴りを服の上からでもわかるくびれた腰でいなし、捻ることで回避する。捻りを入れた勢いは止まることなく全身を回転させ、突き出した俺の脚を巻き込みながら、独楽のごとく迫る。真田さんの時と同じような触れ合うほどの超至近距離。


 通常ならば、小回りの利く素手が有利、しかし古流剣術・当真流はこの間合いでも苦にせず相手を斬れる。


 その名は、当真流剣術、二ノ太刀──


「──『竜巻』」


 相手の懐に入り込み、その内側から小柄である特徴を利用し、自らを支点に巻き込むように相手を斬る『二ノ太刀・竜巻』。


『紅化粧』を逆手に持ち替え、お返しとばかりに胴を薙ぎにかかる"刀"子。もし、真田さんがこの技を習得していれば、俺は接近戦に持ち込みにくくなり、さらに苦戦していただろう。だが、しかし──


「──そう、くるだろうよ!」


 刀の軌道の先には、予め伏せておいた『優しい手』。カウンターが来るのをわかっているなら、相手がどう返すのか、その選択肢を狭めればいい。"刀"子の返し手の中でも『竜巻』は突く攻撃を返すのに特化した技。


 その内容は突きを受け流し、そのまま相手を斬る。その二つの条件から、攻撃が外れた場合、ボディを狙われやすい前蹴りをあえて選んだのだ。『優しい手』の防御能力を信じているからこそできる自らの体を餌にしたおとり作戦。そして、その利点はカウンターを破るためだけではない。


「っ……芸のない」


「それに引っ掛かってりゃ、世話ないさ」


 至近距離のまま動かない俺と"刀"子。──より正確に言えば、『紅化粧』を俺の手でガッチリと固定されて"刀"子は動くことができない。それは面と胴の違いはあるが、真田さんの時とダブる状況。当然、次に打つ一手もそれに倣う。


「『影縫う手』!」


 これで終わり。そう確信を持って放った、触れただけで相手を行動不能にする"必倒"の一撃は──


「(──これをかわすかよ!)」


 一瞬の躊躇いすらなく、かけがえのない"戦友"を手放すという判断を下した"刀"子(いや、手放したのだから瞳子か……)の数ミリ前の空間を削っただけ。


 迷いのない行動に虚を突かれて、反応が鈍る俺を尻目に瞳子は体操選手顔負けのバク転であっという間に追撃も届かない距離まで達する。


「流石、『優しい手』。当真流……いえ、当真"刀"子ではいまいち決め手に欠けるわね。そもそも、『紅化粧』を奪われたのだから、負けも同然か」


 安全圏まで離脱した瞳子に目を向けると、未だ戦闘の警戒が解けない俺とは対照的に気の抜けた調子でそう自己評価していた。今さっきまで、刀を振り回していたとは思えないほどの緊張感のなさ、独り言の内容からも瞳子に一見、戦闘続行の気がないように見える。


「ねぇ! "それ"返してくれない?」


「……負けを認めるなら、返してもいいぞ」


 そう、まだ瞳子はギブアップしていない。刀がこの手にあるのだから、絶対的に有利ではあるが、安心はできない。


 なぜなら、当真瞳子にとって、戦友『紅化粧』は気心の知れた友人にさえ滅多に触らせないほど大切なものだが、これがないと戦えないというほどには必要なものではないのだから。


 そんな内心の警戒に反して、返せ、返さないの傍から見れば滑稽な押し問答は続く。


 どれくらい時間が経っただろう。体に溜まっていた戦いの熱も冷め、周りが白け始めた頃、返せ、の声が途切れる。ルーティン気味に応えていた俺は、一瞬気づくのが遅れる。──やられた! 慌てて、瞳子のいた場所に視界を絞る。瞳子はそこに居た。一歩も動かず。ただ──


「(──笑っている……のか?)」


 まるで貴婦人がするように口元を優雅に手で覆っているが、手の隙間から笑みに歪んでいるのがかすかに見える。普段の瞳子ならともかく命のやり取りの最中にその感情の揺れ幅は明らかに危うい。現に瞳子の前に立っている俺の全身から悪寒が止まらない。


「と、瞳子……」


 恐る恐る声を掛ける。しかし、瞳子は忍び笑いのまま、応じない。代わりに重く、息苦しい、まるで深海の底に引きずりこまれたような空気が辺りを支配する。観客である生徒達も瞳子から発する空気に異様なものを感じたのか、我先にと出口へと向かおうとしている。


 だが、統率のとれていない集団が一気に行動していいことなど一つもないのは明白。案の定、避難するどころか、足の引っ張り合いから生徒同士の暴動にまで発展してしまっている。


 そんな阿鼻叫喚の光景があちこちで繰り広げられている中、生徒会の連中はどうやら出口に向かうより、巻き込まれないことを優先したようで無事だ。一応、見知った連中が無事なのは安心したが、正直、いつまでも気にしてはいられない。目の前の脅威がそれをさせてくれない。


「やっぱり、あなたといると楽しいわ、優之助。でも、そんな楽しい時間もおしまい。ここからは──」


 まるで張り詰めた風船が破裂しそうな緊張の中、瞳子の声はどこまでも穏やか。しかし、周囲の空気は反比例して、さらに冷たいものから痛いものへと変わっていく。


「──全力でいくわよ。優之助ぇ!」


 口元にあてていた手を優雅に動かし、まるでメガネを直す仕草をするように額へと押し上げる。その手の隙間から見える瞳に俺の中の警鐘が最大級に鳴り響く。ヤバイ! まさかこんなところで使うなんて。


 自らの警鐘に従い、逃げるようにその場から離れる。紙一重のタイミングで立っていた位置に棒状のなにかが通り過ぎていく。


 瞳子が俺に向けて放ったもの。しかし、瞳子は無手。刀は今や俺の手の中だ。そもそも、瞳子は戦いの最中、鞘を投げることはあっても、愛刀を手離すことはない。ならば結論は一つ、瞳子が棒状のなにかを作り出して俺に投げつけたのだ。俺は瞳子がそれをできることを知っている。


「──『殺刃』……か。久しぶりに見たよ」


 ──殺意を刃として形作り、相手に向けて放つ。


 言葉にしてみると『殺刃』の説明はそれだけで事足りる。トリックはない。暗器のような戦闘技術でもない。陳腐な表現ではあったが説明そのものに誇張を一切含んでもいない。文字通り、瞳子は無から刃を作り出し、俺に向けて放ったのだ。


 当真瞳子の瞳は言葉で意思を伝えるようにその視線だけで意思をこれ以上なく明確に伝える──殺意を。その視線殺意が使用者の象徴による最もわかりやすい形を持ち、視覚化された刃、それが『殺刃』だ。


 それは技という言葉では説明のつかない超能力・魔法と言われる領域。永き時に渡り時宮の地で集い、住まい、伝え、そして存在してきた“異能”。


 当真家は代々、その瞳になんらかの異能が発現する家系。生まれながらにして、異能の瞳を得た当真家の人間は名付けの際に目を意味する字を与えられ、同時に当真家を率いる立場が約束される。現代では直系の血筋ですらほとんどが異能を持たない中、本家の嫡子である当真瞳子が若くして当主候補の一人として将来を嘱望される立場にあるのも決して、不思議なことではない。


 見ると、瞳子の周りであぶり出しのように数十本もの刀が浮き出てくる。浮き出てきた刀が瞳子の狂気に呼応するように怪しくきらめく。ふと、観客席に目を向けると怒号が飛び交うほどの混乱だったはずなのに今は水を打ったように静まり返っている。


 俺や真田さんの場合はまだ誤魔化しようもあった。だが、瞳子の“それ”は見間違いかなにかで済ませられはしない。我先に逃げ出そうと暴動が起きてもおかしくないはずだが、その気配がないのは安易に逃走するリスクを判断する理性が働いたのか、それとも単に恐怖で竦み動けないのか。


「……」


 瞳子が俺を射殺さんとばかりに睨みつけてくる。それと同時に、瞳子の周りで浮いていた数十本の禍々しいほどに研ぎ澄まされた刃がこちらに向けられる──あちらさんの準備が完了したようだ。


 あんな状態の瞳子を相手に馴れない刀を持っていてもむしろ邪魔だ。そう判断した俺は『紅化粧』を丁重に地面へと置き、瞳子が拾えるようにその場から離れる。意図を察した瞳子は無言で『紅化粧』を手に取り、こちら側から刀が隠れるように半身に構える。当真流剣術が型の一つ、『月影』。


「……これでいい」


 第三者から見れば、俺の行動は敵に武器をただで返したバカにしか映らないだろう。だが、あの状態の瞳子が刀を持っても戦力は大して変わらない。危険であることには違いないが、それでも、瞳子の大切なものを蔑ろにしたくなかった。


 甘いのかもしれないが、これで俺は精神衛生的に引っかかりなく瞳子に挑める。お互い準備も覚悟も整った。そろそろ──


「──はじめますか」


 俺のその一言が合図のように瞳子の周りに漂っていた『殺刃』がこちらへと殺到する。瞳子の『殺刃』は自分の殺意を瞳(視──いや、"死"線か)を通じて相手に伝えることに特化した異能。そのが生み出した架空の刃は悪意や害意に弱い人の心と体をあっさりと切り裂くことができる。


 人は他者の何気ない一言でも傷ついてしまうほど、か弱く、デリケートな心を持つ。そんな存在である人間が視覚化させられるほどの殺意を喰らえばどうなるかなど、言わずもがなである。


 『目は口ほどにものを言う』なんて言うけれど、自分の殺意を視覚化させて伝えられるなんて無茶苦茶だ。物騒だが、これもある意味テレパシーと呼べるかもしれない。


 当然ながら下手な近代兵器よりも命中率は高く(その"死"線から外れない限り、いつかは確実に命中する)、数も御覧の通り俺を包囲してなお、余りある。


「うおっ……と」


 四方八方に飛んできた『殺刃』を死に物狂いでかわしていく。この広い講堂の中を縦横無尽に動く『殺刃』を止めるには大元の瞳子に喰らいつくしか手はない。しかし、


「……させない」


 瞳子もその数少ない選択肢を潰すべく『殺刃』を飛ばし、こちらの接近を許さない。


「だぁ! 危ねぇ!」


 間髪入れずに迫ってくる刃に思わずたじろぐ。くそ! こんな調子ではいくら近づこうとしても『殺刃』で動きを制限され、いつかはなぶり殺しの憂き目にあってしまう。


 そうこうしているうちにも次々と『殺刃』が飛んでくる。能力の性質上、中・遠距離は瞳子に絶対有利だ。そんな状況を打開するには今の俺の手持ちで一瞬でもいいから俺から狙いを逸らさないといけない。

 俺は牽制とばかりに『銭型兵器』(十円×十枚=百円分)で瞳子に向けて撃ち込んでいく。


「……無駄よ」


 牽制に放った『銭型兵器』(十円×十枚=百円分)が『殺刃』によってことごとく真っ二つにされていく。『殺刃』は瞳子の殺意の象徴――架空の刃だ。

 当たり前だが、こちらからの物理的な干渉を受けない。しかし、理不尽な話だがあちら側からは一方的に有機物・無機物に拘らず干渉することはできるのだ。ここまでくれば、もはや呪いだな。……だが!


「それはどうかな!」


 『銭型兵器』(十円×十枚=百円分)はあくまで牽制。ただ、『殺刃』の狙いをある程度でも逸らせればいい。その間に瞳子へと接近していく。瞳子もこっちの考えを読んだのか、『殺刃』の照準を俺に戻す。俺に近い位置にあった『殺刃』が何本か向かってくる。……これをかわすとその隙に瞳子に態勢を立て直される。真っ向から襲い来る殺意に向き直ると気を引き締め、『優しい手』を発動させる。


「はっ」


 構えた『優しい手』を向かってくる『殺刃』へと打ち込む。『殺刃』はこちら側の物理的な干渉を受けない架空の刃、普通のガードでは防御できない。しかし、瞳子の殺意に負けない心の強さを持って立ち向かえばある程度、ダメージを軽減することはできる。


 つまり、瞳子の"斬る"というイメージとこっちの"斬られていない"というイメージとの精神戦となる。特に『優しい手』は俺にとって、全てを守るという意思の象徴だ。『殺刃』の“斬る”というイメージを完全に"殺す"事ができる。


 『優しい手』に触れた『殺刃』がガラスの砕けるような音を立てて霧散していく。このまま瞳子に近づき、接近戦に持ち込んでしまえば勝機はある!


「……たしかに『優しい手』は触れたものをことごとく無力化させる最強の盾。私がいかに殺意をこめてもその手を斬り崩すことはできない──


 瞬間、悪寒が走る。悪寒の元は──地面?


「──その両手を塞いでしまえば問題はないのよ。優之助」


 遅れて目線を下に向けると『殺刃』が床から出現している。しつこいが『殺刃』は架空の刃。物理的な干渉を受けない。『殺刃』を床下に作り出し、待ち伏せさせていた? つまり、ここまでの流れは全部──


「──このための布石か!」


 駄目だ! 『優しい手』で割り込ませる余裕はない。まして『殺刃』をかわすことなど。


「っ!」


 冷たいものが腹を通るような感触、全身を駆け巡る悪寒と明確な殺意で磨かれた死の結晶。これら全てを振り払わなければ最悪、本当に死ぬ。だから、心から叫ぶ。斬られて──


「──ねぇよ!」


 相手のイメージを気力で振り払う。瞬間に上げた気勢が間に合い、被害は風邪の時に感じる悪寒程度(のようなもの)で済んだ。……危ないところだった。しかし、その隙に瞳子に態勢を立て直された。しかも、


「『殺刃』のダメージをそこまで軽減することができるなんて、たいした精神力ね。けれど……」


 いつのまにか、俺の周りに『殺刃』が取り囲む。さながら海のど真ん中で鮫に囲まれたようなシチュエーションだ。


「この状況……『優しい手』で防御を固めても、これだけの数の『殺刃』に囲まれてはいつまでも防ぎきることは不可能でしょう? ……どうする? 優之助ぇ~」


 優雅さと狂気が溶けたような声で瞳子が挑発する。絶対の優位からか嫌な笑みを浮かべる瞳子。だが、まだ打てる"手"はある! 狂気と殺意が入り乱れる中、指先に意識を集中させる。

「?」


 再び感じる空気の震えに怪訝そうな瞳子。


「……『制空圏』を展開し直した? でも、それになんの意味があるの? 『殺刃』は実体をもたない刃。『制空圏』では捉えきれないはずよ」


「……試してみるか?」


「……お望みどおりに」


 そのやりとりを引き金に、俺の周りを囲んでいた『殺刃』が前後上下左右、さらには緩急をつけて俺へと向かってくる。


 殺意で形作られた刃は瞳子の意思に応じ、その動きは不規則で数は視界に収まるだけでも十本以上。しかも物理的な制限がないため、互いの動きを阻害することなくこちらを追い詰めていく。しかし──


「(──切り抜けられる!)」


 逃げ場がなくなる前に『優しい手』で『殺刃』を迎撃する。数ある分だけ操作が困難なのか、たしかに太刀筋は不規則で一見、複雑そうだが、まるで素人が振り回しているように洗練されていない。迎え撃つのも、予測も可能だ。


 それでも、やはり数は力だ。あえて対処されるため『殺刃』を突っ込ませながら、こちらの不意を付こうといくつかの『殺刃』を死角へと移動させている。こちらは視界の外な上、目の前の『殺刃』への防御に忙しい。


 さっきも言ったが、いくら『優しい手』が触れただけで防げるといってもこれだけの数をいつまでも捌き続けるのは不可能。……ならば、かわすしかない。


「──まさか、『殺刃』の位置を『制空圏』で感知できるなんてね」


 呆れ気味に言う瞳子の目の前で殺陣やアクション映画のスタントのごとく全方向から飛んでくる『殺刃』をかわしていく。その台本通りに進行していく様は、全ての『殺刃』の動きを把握しているからできる芸当。つまり、『制空圏』が『殺刃』にも効果がある証拠でもある。


「『制空圏』を使えないおまえが知らなかったとしても無理はないさ。相手の視線や存在感っていうのはただの空気よりも“重い”んだ。だから、人は目で見えなくとも他者の気配を感じることができるし、相手の雰囲気の変化も感じ取ることができる。いくら実体を持たないといっても殺意のかたまりである『殺刃』は周りの空気より重いんだよ」


「『優しい手』は手に備わった超触覚を通じて周囲万物にシンクロすることができる能力。他者とは別の視点から実体をもたない『殺刃』を感知するのも不可能ではないということか……」


 絶対の状況下での攻撃を防がれたにもかかわらず、瞳子に焦りは見受けられない。『制空圏』を使用すれば『殺刃』を掻い潜り、瞳子の元へと近づくのはそう難しいわけではないと理解しているはずなのに。


「……で?」


「え?」


「それで? 『殺刃』をかわしながら近づいてその後は? 私を飛鳥のように行動不能にしただけで私の刃が──殺意が止まると思っているの?」


「それは……」


 瞳子の言う通りだ。たしかに、瞳子はその程度では止まらないだろう。だが、それ以上に瞳子は言外に殺すつもりでこいと言っているように聞こえる。


「──空手の正拳突きは、ね」


 唐突に格闘技の講釈を始める瞳子。脈絡がない……ことには違いないが、瞳子にとって、それは意味があるのだろう。語りを続ける瞳子を特に止めることなく、耳を傾ける。


「空手の正拳突きは、命中させる部分のさらに奥を打ち抜くつもりで放つ。……空手に限らず、あらゆる武術、あらゆる技には"見えているもの"の先を目標に存在している。それに対して、あなたの『影縫う手』は触れただけで絶大な効果を発揮するとても強力な能力。でも、その強力さ故に相手の表面をなぞるだけに終わってしまう。それでは相手の芯に届かない。それでは──」


 ──想いを貫けない。瞳子の唇がそう動いたように見えた。語気は淡々としているが、明らかに俺を糾弾している。俺自身が気づいていない"なにか"が足りていないと俺を責めたてる。


「──躊躇ったわね? そうでなければ、いくら私でも、あの距離、あのタイミングでかわせるわけがない。……ねぇ、優之助、改めて聞くわ。どうして、空いた右手を使わなかったの?」


 それは返し技で放たれた『竜巻』をカウンターでさらに返した時の事。俺のジレンマをピンポイントで突いた発言。


「真田凛華の時だけじゃない。桐条の時もそう。相手を極力傷つけないように配慮していたわね。余裕のつもり? ……それとも怖いの?」


「……」


 その通りだ。正直言って、今の俺に『優しい手』を使いこなせる自信がない。相手を痺れさせる『影縫う手』や按摩程度の使い方なら問題ないが、それ以上は……どうなるかわからない。


 そんな俺の逡巡を見抜いていた瞳子から今まで感じたことのないプレッシャーを感じる。さっきまでの禍々しい剣気よりも深く静かな“ソレ”にこの俺ですら怯む。


「……そんな覚悟で、この私に、この当真瞳子にィ、……勝てるかぁぁぁ──!」


 『優しい手』が起こす空気の振動よりも響く一喝とともに四本の殺刃を纏い突進してくる瞳子。古流剣術・当真流と自らの異能『殺刃』とを組み合わせた『異能剣術・殺刃剣舞』。


 さっきまでのような安全圏で殺刃を操る戦い方とは正反対の自ら死地へと踏み込まんとする戦闘スタイル。


 一見、こっちの射程まで近づいてきた分、さっきよりも勝算が出てきたように見えるが漫然と操作された数十本の殺刃よりも当真流の太刀筋を最大限に再現された瞳子の殺意の方が厄介だ。いわば、瞳子が五人に増えて同時に斬りかかられるようなもの。


 仮にもさっきまで数十本の『殺刃』を捌いていた『優しい手』でもこの猛攻を防ぎきれるか自信がない。


 全てを防ぎきれないと判断した俺は瞳子の刀を持つ手の動きのみに意識を集中させる。精神的に斬られても地獄だが、物理的に斬られれば、即ゲームオーバーだからだ。


「ひとつ」『昇竜』の太刀筋が、俺の首を食い千切り。


「ふたつ」『竜巻』が巻き込むように右足の腿を切り刻んでいく。


「みっつ、よっつ」激しい幻痛に苛まれながらも瞳子の白刃に意識を集中させた俺は左右に分かれた二つの剣閃を見逃さない。


 右に『殺刃』、そして本命の刃が左肩へと袈裟斬りの軌道で俺の胴体を狙っている。当真流剣術、双ノ太刀・『咬竜』。本来二刀で行うこの技を『殺刃』を一刀に見立てて再現する。


「(ここだ!)」


 両手の『優しい手』で瞳子の左右の斬撃を止める。


「(……よし!)」


 本命を止めた俺に一瞬の油断。今の瞳子はそれを逃さない。


「いつつ!」間髪入れずに最後の『殺刃』を繰り出す。……狙いは俺の背後。


「──!」


 油断から生じた無防備な背中に架空の刃が通る。瞳子の"斬る"というイメージと俺の"斬られた"というイメージが合わさり、俺の脳が痛覚を通じて誤認する。


 全身が悲鳴を上げたように痛覚が駆け上がり、その"痛み"にたまらず俺は無様に転げまわる。瞳子は間髪入れずに俺の横腹に蹴りを浴びせ、衝撃で浮き上がった両手に『殺刃』を虫ピンのように刺し入れる。偶然にもその姿は瞳子に土下座をしているかのように頭を垂れていた。


「……無様ね。それに嘘吐き」


 情けない姿で縫い止められた俺を見下す瞳子。俺を圧倒した激しさは引いているが、その瞳に宿る感情は未だ冷めていない。


「──『自分がハルとカナの近くにいれば、必ず不幸にしてしまう』──二年前、あなたは、そう言って二人の妹を半ば無理やりに天乃原に送り出した。二人の将来のためとかなんとも綺麗なお為ごかしでね。……わかっているのかしら? その結果がこれよ」


「……仕方がなかった。俺と違ってあいつらはもっといろいろな可能性がある。『優しい手』なんて名づけられた力を優しい事に使えない俺といるよりもここに居た方がいい。だから──」


「そんな諦念じみた言い訳しかできないなんて……ますます幻滅ね。その先にある答えを聞きたかったのに……」


 にべもない瞳子。糾弾も最後の方になると若干の憐みすら漂わせている。どうやら瞳子にとって、今の俺はそこまで堕ちた存在のようだ。


「それに、おかしいと思わなかった?」


「……なんのことだ?」


 これ以上なにがあると? ……いや、気づくべきか。全校生徒が揃ったこの場でこんな騒ぎを起こしてもなお、未だハルとカナの姿が見えないことを。


「いくら学園が広大といっても生徒会にも目をつけられているハルとカナが三日も学園にいたあなたとすれ違うどころか話題すら上がらないなんてありえないわよ。どうしてだと思う? ……留学よ。あなたが編入する一週間前から彼女達は海外にある天乃原学園と提携している学校へと移った。誰の意思でもないあの子達の意思で。これがどういう意味かわかる? ……避けられているのよ! あの子達に!」


「……」


「当然でしょ? あの子達からすれば自分達が捨てられたと感じても仕方のないことをしたのよ。……良かれと思ってしたのでしょうけど」


 俺はただ黙っていることしかできない。あんなに繋がっていると感じていた手が凍りついたように動かない。自分のものじゃないみたいだ。体も心も。それは『殺刃』で動けないのか、瞳子の言葉で動けないのか。


「……なまじ、過去が輝かしいのも考えものね。"大人になったはず"のあなたがやけにくすんで見える。──勘違いしないでね。それ自体はあなたの所為ではない。けれども、この三年間、失望させられ続けた私達は最早、我慢できないの。"もしかしたら失ったものを取り戻せるかもしれない"なんて希望に縋るのは疲れた。私があなたをこの学園に呼んだ本当の理由はね、あなたを殺してその苦痛を取り除くこと。そうすれば、私や……ハルとカナも前に進むことができる。だからお願い。そのために──」


「──死んでくれない? 優之助」


「(……マズイな)」


 自分でも驚くほどショックだったようだ。体が動かない。思考は上滑りして、なにも考えられない。瞳子がゆっくりとこちらへと近づいてくる。対して、俺は……どうすれば、いいのだろうか?


「……俺は……」


 自問は続く。いったいなんのためにここに来た? ハルとカナのために来たはずが二人に望まれず、避けられ、俺を学園に誘った瞳子の目的は俺を排除するためだったと告げられて。目的に因っていた二つの存在に拒まれた俺はどうすればいい?


 一歩、また一歩と俺と瞳子との距離が詰まっていく。殺意を纏う瞳子は正に“死”そのもの。立ち向かうなり、逃げるなりしないといけない。……そんなことはわかっている。けれど、いくら頭が状況を理解しても、目が眼前の危機を映していても心が動かない。まるでテレビの向こう側みたいだ……。


「さようなら、優之助……」


 殺意に満ちながら、その声は今から人を殺めるようには思えないほどとても穏やかだった。だが、その声とは裏腹に目の端で純白の刃がゆっくりと振り上げられるのが見える。


 狙いは土下座のままた俺の首筋。多分、傍から見れば、首をさしだしているような構図。……これで文字通りクビ斬りだな。そんなどうでもいいことが頭をよぎる。多分、俺のこの世で最後の思考。


 そして、今、その刃が幕引くように下りていった。


「──優之助!」


 刃が俺の首にかかる瞬間、誰かの叫び声が耳朶を打ち、弛緩していた俺の心が再び動き出す。同時に手のひらに血が通い、振動が自然に起こる。まるで心臓の音とリンクしたかのように力強く鼓動を放ち、俺の両手に力を与える。


 縫い止めていた『殺刃』を吹き飛ばし、振り下ろされた刃を無様に転がりながらも辛うじてかわす。……って、かわしていいんだよな。なにやってんだよ! 俺は!


 状況を確認しようと叫び声の正体を探す。声の聞こえた先は生徒会の連中がいるあたり。……誰だ?


「なにを呆けている! 私をこの学園から辞めさせたくないのだろう? 私を一人にしないのだろう? ならば、立て!」


 いつの間にか生徒会と合流していた飛鳥がさきほどよりも激しく叫ぶ。


「……そうねぇ……あなたが居なくなれば、生徒会は桐条さんの退学届けを受理しないといけなくなるわね……」


 その横で会長がそう補足する。


「……そういうことだ」


 真田さんまで……。


「私はおまえの事情をなに一つとして、知らない。当真瞳子がなにを言ったのか、知らない。それを聞いたおまえがなにを思い、感じて、……そんな泣き出しそうな顔をしているのか、知らない」


 飛鳥の言葉で思わず、自分の顔に触れる。自分の顔がどうなっているかなんて、それこそ知らないが、飛鳥は冗談を言うやつじゃない。


「おまえは私に言った。弱音を吐いてもいいと、我が侭を言ってもいいと……、そして頼ってくれとも言った……、だから今度は私からおまえに言おう!」


「優之助! おまえは……弱音を吐いていいんだ!」


 飛鳥がとてもよく通った声で宣言する。


「御村……おまえは我が侭を言っていい」


 飛鳥から引き継ぐように今度は真田さんがそう認めてくれた。


「……あれ? わ、私も言うの? ……うぅ~」


 流れからして、次は自分の番だと思ったらしい。会長はプライドと俺への借りとが、せめぎ合っているようにしていたが、なかば諦めたかのように叫ぶ。


「あ~、御村優之助! 天乃原学園・生徒会長である私、天乃宮姫子が断言してあげる! あんたは誰かを頼っていいわ!」


「……ついにあんた呼ばわりか。……まぁ、いいけどな」


 不思議な感じだ。この世で二人しかいない家族と長年の友人に否定されたというのに、会ってまだ二日にも満たない生徒会の面々に励まされ、立ち上がる力を貰った。それこそ、会長が感じているといった"借り"以上のものを。


「……ありがとな」


 生徒会のやつらにそう呟く。今は聞こえなくてもいい。こんな場ではなく、後でちゃんと言いたいから。だから今は、


「待たせたな。……瞳子」


 天乃原学園二年C組の転校生にして、この一連の黒幕を自称する高校時代からの友人に向けて歩を進めることにした。過去と現在、それぞれの決着を付けるために。



      *



「……と、ハッパをかけたのは、いいけれど」


「?」


 不思議そうに小首を傾げる凛華と桐条さん。……ちょっとかわいい仕草ね、二人とも。


「勝てるの? アレに」


 アレとはもちろん、殺意の刃だかを超能力よろしく操って、なおかつ不気味なほど白い刀を振り回す当真瞳子のことだ。


「優之助は勝つ。……私と約束したのだから」


 私の投げやり気味に言った呟きを確信と祈りとなぜか少し脅迫が混じったような重めの返答で返す桐条さん。おーい、どこから突っ込んでいいのやら。ほんと、いったいあの夜ナニしていたの? と聞きたくなる。……そんなことはしないけどね。それにしても、


「凛華を見ていれば、当真の人間が規格外の人材ばかりなのはわかるけど、まさか、オカルトか超能力の類まで存在するなんてね。……世界は広い、というところかしら」


 私だって、曲がりなりにも天乃宮家現当主の孫だ。私より年下で大学の教授になった天才少女、素手で虎を仕留める格闘家、天乃宮の一社員が気に食わないというただそれだけの理由で天乃宮グループ全体に喧嘩を売ってきたとある会社の窓際係長、そうした能力・性格が一般人とはかけ離れた、いわゆる逸材と呼べる人間を数多く見てきた。


 しかし、当真瞳子はそんな逸材達の中でも異彩を放つ。正に、逸脱した存在──異能者だ。


「天乃宮本家の人間なら知るべきです。……ああいう存在がいることを」


 こんな状況でも冷静な凛華が戒めるように言う。当真家から私を守るよう命を受けた怪腕の剣士はどうやら私よりも広い見聞をお持ちのようだ。……いや、皮肉ではなく。


「知らされなかったというのは、私がまだまだ未熟と見なされていたってことか。……腹立たしいわね、まったく」


 それが、家に対してか、自らの力不足ゆえかなのかはわからない──嘘だ。私を除け者にした全てが許せないに決まっている。


「……御村はともかく、あなたも当真家の人間だったとはね。私とあなたの仲じゃない、言ってくれればよかったのに。ねぇ? ……平井さん」


 いつからそこにいたのか私が苛立っている原因の一人である平井要芽に向けて言い放つ。傍から見れば、付き従っているふうにも見えるけど、軽口を叩いた私を含め、生徒会役員は──同じ当真家側である凛華ですら──誰一人として警戒を解けないでいる。


 これで無能ならとっとと始末できるが、有能だと切るに切れない。まったく、始末におえないという言葉がぴったりな人物だと思う。


 不覚なことに、あのファイルと見るまでは彼女が当真の送り込んだ生徒であると思わなかった。もちろん、天乃宮家でも当真家に内緒で入学させた生徒はいるけれど、実力で生徒会に入り、副会長として表舞台で派手な活動を行ってきた彼女がそうだったとは。


 そんな彼女は私の皮肉を受け流すと腹が立つほど丁寧に私の間違いを訂正する。


「優之助さんは当真家に協力してもらっているだけです。真田凛華のように当真関連の組織に所属すらしていません。……それに私が当真家の人間だということも知りません」


「へぇ? じゃあいったいどうやって知り合ったの?」


 なにげなく言った質問。だけどその答えに興味があるのか、凛華や桐条さんも話の腰を折ることなく続きを促す。


「……優乃助さんの妹と友人だったので」


「微妙に遠い間柄ね」


 平井さんが地元にいた時代だから遅くても中学時代。知り合ったきっかけが彼の妹とやらの友人ってことはクラスメイトですらなかった? 双子や義理ではない限り、妹は下級生のはずで、その妹自体と知り合う機会といえば、部活関係か?


 ただ、平井さんが当真の関係者ということは普通の学校生活を送っていたとは考えにくい。あんな常識外れの戦いを繰り広げている当真瞳子と真っ向から立ち向かう御村が当真の人間ではない(と、平井さんが言うことを信じるとして)なら彼の立ち位置はいったいどうなっているのだろうか?


 だたわかる事は御村と当真瞳子が尋常ではない間柄という事だけだ──それはともかくとして、彼女には改めて確認したい事がある。


「一応、念の為に聞くけど、"本当に"当真瞳子は当真の思惑でこの学園にきたわけじゃないのね?」


「はい。ファイルに紛れ込ませた報告書通りです」


 御村優之助の入寮手続きの書類一式に紛れ込まれていた平井要芽お手製の報告書。その内容は御村の正体だけではなく、当真瞳子の事についても言及されていた。


 これもまた不覚な話だが、当真瞳子に関して、私達天乃宮側は完全にノーマークだった。そんな馬鹿な話があるのか、と呆れられるかもしれないけれど、当真家側から通達が一切なかったこと(こちらも当真家に報告せず人員を送っているのでお互い様だけれど……)、本家に連なる人間が偽名も名乗らず堂々と編入試験を受けてきた為に同姓の一般人だと思い込んでしまった事、その二つの要因が絡み、平井さんの報告書を見るまでは当真瞳子をただの一般人だと気にも留めていなかったのだ。


 当然、当真に事実確認と抗議の為に問い合わせたが、応対した当真の人間──普段、生徒会の報告程度では直接応対する事のない天乃原学園の理事長がわざわざ電話口に立って──の話では、


 ──当真瞳子はたしかに本家の人間だが、入学に関しては本人の事情に因るところであり、当真の思惑は一切含みはなく、完全に個人的な理由である。


 ──その為、ただの一生徒として扱い、手続きもそれに準じている。


 と、にべもなく突っぱねられてしまった。それでは納得いかないと食い下がる私を、


 ──当真の思惑でない以上、一度学園が受け入れた後に何かあったとしても、生徒会の責任であり、こちらの感知するところではない。


 ──それに、こちらから天乃宮へ人事に関して抗議をした事は一度もない。


 痛い腹を探られるのはそちらだぞ──そう暗に言われてしまえば、私からは何も言う事ができず、泣き寝入りをするしかなかった。


 だた、当真瞳子は個人的な事情で動いているという事は二人の証言から自分なりに確証を得る事ができた。証言だけで妄信するのもどうかとは思うけれど、黙っていただけで嘘をついている感じではない。一連の行動に何の意味があるのかと気にはなるが、目の前に広がる光景を見てしまえば、御村がらみであることは一目瞭然だ。


「あの二人、どんな関係なの? ……もしかして、恋び──」


「違います」


「(返しにいつも以上の切れ味があるのは気のせいかしら?)」


 私の戯言を食い気味に否定する平井さん。そのやり取りからは『氷乙女』と畏怖される寒々しさは一切感じられない。姿かたちが劇的に変わったわけではなく、いつも通りのともすれば無機質にもとれる整った顔立ち。けれど、その瞳は一瞬たりとて逃さぬよう一人の男子生徒を捉えている。あんな風に見つめられたなら落ちない男などいないだろうとなんとなく思う。


 ふと気づくと、かすかに漂う薬と血の匂い。見れば両手には包帯が巻かれていて、ところどころ血が滲み出ている。いつの間に怪我をしたのか知るよしもないけれど、本人でも気づかない内に手をきつく握り締めて傷が開いたらしい。


「(……ベタ惚れね)」


 普段は真意を悟らせない彼女がわずかに──しかし、明確に見せる深い愛情を示すサイン。いったい何をどうすればそんな風になるまでことができるのか。いずれ多くを率いることになる身として御村に一つご教授してもらうのもいいかもしれない。もちろん冗句だが。


 それにしてもその惚れ込み具合のわりには平井さんと御村は少々恋愛に至りにくい関係だと思う。もちろん、どんな相手に惚れるかなんて外野が──ともすれば本人ですら──わからないものではあるけれど。


「(──何かを隠してる?)」


 ありえる話だろう。私と平井さんの間に全てをつまびらかにしあえるほどの絆や感情はない。それこそ、今も食い入るように御村を見る彼女の"濃い"ともいえるほどの──


「(──あれ? だとしたら、どうして──)」


 一連の疑問の対象である御村がらみだとどこまでも人間味を帯びる彼女に見ながら、別の疑問がよぎる。


 ──どうして私に御村の情報を売ったのだろうか、と。



      *



「……どうやら、投げ出すことは許されないらしい」

 刃を振り下ろしたまま、微動だにしない瞳子の背中越しに言う。その表情はここからでは窺い知ることはできない。


「瞳子。おまえの言う通りだよ」


 瞳子が聞いているかは、確かめようがないが構わない。届くまで待つさ。そう思いながら、独り言に似た告白を続ける。


「卒業してからの三年間、俺は自分の都合の悪いところを全て棚に上げて逃げたんだ。あいつらに迷惑かけるなんて言ってその実、トラブル起こして、それが原因であいつらに嫌われるのが怖くて自分から距離置いたんだ。生活費の為とか言い訳して、与えられた仕事をこなして、忙しさから目を背けて、さ」


「なにを今更……」


 瞳子は怒るでも、呆れるでもなく、慰めるでもなく、ただ一言。


「……まったくだ。しかも、なにから手をつけたらいいのか、取り戻すべきなのか、そもそも失ったものとは? おまえの言った"らしくない"ってのが俺の中のどれを指していたのか、どれ一つとして、俺にはピンとこない。自分探ししている暇もなさそうだ。……だけど、このままじゃ、大切なものなんて守れやしない、ってことだけはわかってる」


「ふぅ……口ではなんとも」


 ──シュッ────ズドン!!!!!


 なにもない空中を殴ったとは思えないような轟音が密閉空間に鳴り響く。……反響が凄いな。いやまさかこんなにデカイ音がするとは……。撃った自分が一番ビックリした。


「勘違いするなよ? おまえとの命の遣り取りは御免だが、"これ"を使わない事にはなにも──自分の身すら守れない。そう判断した」


 瞳子は無言。今まで余裕だった態度に初めて警戒が混じる。これこそが『優しい手』と呼ばれた異能の本領──運動エネルギーの完全制御。


 運動エネルギーとは中学・高校の物理で習う、質量と速さ×二乗のアレのことだ。身近な例だと、ボールを投げるためには足から肩、肘、手へと一連の動きがあるからボールを投擲することができる。それら一連の動作によって得られる、物体を動かした力、それが運動エネルギーだ。


 『優しい手』は本来発生させるのに必要な体の各部位の一連の動作を端折り、手の部分単体で運動エネルギーを発生させ、さらに増幅し、使用することができる。『優しい手』を発動した際の激しい振動は手の中で増幅され続けた運動エネルギーが作用された手を通じて、周囲の空気と連動して起こる現象だ。


「……"精密動作"や"超触覚"といった特技・特徴とは一線を画す真の意味での超能力。私の"瞳"と同じ領域の能力。この三日間、その片鱗だけは見せていたわね。桐条飛鳥を行動不能にし、真田凛華の豪剣を止めた、触れるだけで運動エネルギー──だけじゃなく、私の何で動いているのかはっきりしない架空の刃をも悉く無効化する無敵の盾──『絶対手護ぜったいしゅご』」


 補足するなら、真田凛華の『怪腕』による一撃と俺の手が触れた時、触れた刀から伝わる真田さんの攻撃の力の流れ──もう少し正確に言えば、物体を斬るのに必要な"押しつけて、引く動作"、その力の強度とタイミング──を瞬間的に読み取り、真田さんの『怪腕』が生み出す運動エネルギーを打ち消した。


 つまり、触れてさえいれば、その部分から相手の運動エネルギーをも制御することが可能なのだ。


 そして、『銭型兵器』も『優しい手』による恩恵を受けている。でなければ、『達人』ではなく『怪腕』も持ち得ない俺が、相手にダメージを与えるほどの硬貨打ちができるわけがない。『絶対守護』が停止の完全制御とするなら、『銭型兵器』は加速の完全制御というわけだ。


「──冷静に考えたら、おまえの意思は聞いたけど、ハルとカナについては人伝だ。例え、瞳子の言った通り避けているのだとしても、それは俺が直接聞かなければいけない事だ。その為には今、ここでおまえに殺されるわけにはいかなくなった」


「──少しは定まってきたようね」


「どうかな? まぁ、少なくとも、今の状況は案外悪くないとは思っているよ」


「……どういう意味?」


「たまに大ゲンカした方が長く続くって話」


「命がけで?」


「命がけだからこそさ」


「……私はまだあなたを許したわけじゃないわよ?」


「それでいい。言ったろ? 大ゲンカだって、俺達は本気でぶつかる必要があったんだ」


「その言葉、後悔しないでね──時宮高校|元(・)序列十四位、『殺眼』当真瞳子。望みどおり全力で斬り捨ててくれる!」


「……時宮高校元──いや、天乃原学園二年C組、『優しい手』御村優之助。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」


 殺気を凝縮させた四本の刀が怪しく光る。俺の『優しい手』を持ってしても防ぎきれなかった、『異能剣術・殺刃剣舞』。次はそれ以上の技でくるだろう。


 今の俺がそれを切り抜けることはできない。……はずなのに、なぜか俺の心の中はとても落ち着いていた。


 一方、瞳子は俺の知らない、新たな型を体現する。


「今こそ見せよう、当真流剣術と我が異能『殺刃』を融合させ、完成された剣技を」


 "刀"子を彷彿させる陰鬱さを帯びた重々しい空気。それが引き金となったように、纏っていた四本の『殺刃』を愛刀『紅化粧』に取り込んでいく。


「当真流の五つの型を同時に発動することで新たな型を生み出す。当真流"魔"剣術『秘剣・六道返し』」


 構えはいつもの下段ではなく、正眼の構え。殺意を纏う刀をそのまま中段に保ち、俺に向かってくる。最後の最後で当真流にらしからぬ真っ向勝負。


「望むところだ。……おまえの三年間をこの一瞬で超えてやる!」


 気合とともに、高震動を繰り返す両手を空手でいうところの『前羽の構え』のように構え、瞳子に相対する。その距離およそ六メートル。


 ──五メートル。瞳子が俺へと真っ直ぐに向かってくる。『一本指歩法』を使っているため、速さそのものは速いが、言ってしまえば、真田さんが最後に使った戦法と変わりない。そこにどんな意図があるのか不明だが、瞳子の放つ攻撃を破ることを考えるだけでいい。揺らぐな! 俺。


 ──四メートル。俺はその瞳子に受けて立とうと構えを固持し、山のように"待ち"の一手を計る。瞳子の攻撃を『優しい手』で流し、返す刀でがら空きの胴に俺の手を叩き込む。


「っ」


 ──三メートル。その手前で謀ったように見せる瞳子の声にならない笑い。瞬間、愚直なまでに真ん中に構えた『紅化粧』から、五本の『殺刃』が射出される。


「(……一本、増えてるじゃねぇか!)」


 いつの間に生成したのか知らないが、『殺刃』の本数が増えている。しかし、もうそんなことは問題ではない。俺の前方二メートルから散弾のように放たれた五つの当真流の太刀筋は俺の視界を塗りつぶしている。回避は……不可能。


「(上等だ! まとめて潰してやる!)」


 防御ができないなら五つの太刀筋全てを攻撃すればいい。左の『優しい手』を迫りくる『殺刃』に晒す──互いの距離は一メートル。


 ──ドン!


 高震動と異質な気配を纏った刃がぶつかり合う。現実に起こりえない二つの異なる空気が混ざり合い、溶け合って、まるで号砲のような重い音が講堂内を駆け巡る。音と同時に起こった風圧で視界が狭くなるが、間近にいる瞳子を見失うことはない。


「(そこだ!)」


 残った右手を瞳子に向けて振るう。……左手の感覚はない。いかな『優しい手』でも対象の運動エネルギーを相殺させずにそのまま『殺刃』に触れれば、こちらにも被害が出て当然だ。例えて言うなら、動かない刃物に自ら動いて斬られにいくようなもの。


 しかし、自らの左手を犠牲してでも止めないと『殺刃』の後にいる瞳子に隙を突かれてしまう。『優しい手』を防御にまわして自らの前進を止めたら、俺は瞳子に勝てない。


 この時、瞳子との距離は一メートルを切っている。俺が左手を犠牲にするとは思わなかったのか、瞳子の反応が遅れる。距離から考えると致命的な隙。間に合うことはない。瞳子の懐はがら空き、俺の手との距離は三十センチもない。あとは右手を前に出すだけでいい。


「(これで終わりだ!)」


 そう、これで俺の勝ちだ。……なのに、ほんの少し躊躇する。このままで本当にいいのか、と自分の心に問いかけてみる。瞳子の言葉を思い返してみる。


 ──なんの覚悟も持たないあなたが私に勝てるはずがない!


 覚悟。そんなものこんな変な学園に年を誤魔化して入った時点でやっている! 覚悟。それは自ら選び取ろうとすること。では、この状況は俺にとって望ましいものなのだろうか? そんなの言うまでもない。……このままでいいわけないよな?


「──『影ノ太刀・月白』」


 俺が躊躇した一瞬の間に体勢を立て直した瞳子が突きを狙う。交差する俺の手と瞳子の刀。


 ──トス……


 弾けた空気が音を奪い、耳鳴りすらしそうな講堂でやけにあっさりと響いてきた決着の合図。誰もがその結末に微動だにできない。……その中心にいる俺達以外は。


「──一つだけ思い出したことがある」


「……なにかしら?」


「この手は傷つけるために使うものじゃないって事をさ。おまえの言う覚悟なんぞ知ったことか」


「……馬鹿ね」


「そうか? 自覚はないな」


「馬鹿よ。……寸前で『優しい手』を解除するなんて」


 瞳子の腹部には俺の手が添えられ、……そして俺の腹には瞳子の刀が深々と貫いていた。


「ひどい……な」


 血が止まらない。貫かれた部分が熱くて、寒い。腹部から流れる血が刀身に伝って瞳子の手を紅く染める。――今、手を握ってたらあたたかいだろうな、ふとよぎるのは卒業式の帰り道。あの時、あたたかいと言った彼女の手を今、俺が温めている。それはとても素敵な事ではないかと、なんとなくそう思う。


「馬鹿だわ」


「……かもな。でも……」


 まるで心でも読んだとばかりに適切な一言がとても愉快だ。だが、いざ笑おうとすると喉の奥からあふれてくるモノが酷くうっとおしい。吐きだしてしまいたいが、さっきさんざん吐き出したのにまだ吐くのかと怒られそうだ。だから我慢する。……少し、口から垂れてきたけど、いいよな? それくらい。


「こ、これで…よかったと……思ってる」


 手を通じて、瞳子の鼓動が伝わってくる。それは優しい、とても優しい音。それが俺に後悔をさせてくれない。


 目が霞んできた。血を流しすぎたらしい。こんな霞んだ目じゃあ、わからない。瞳子かどんな顔をしているのかわからない。その目に映るのは白と、黒に近い赤の世界。そんな世界じゃあ、瞳子がどんな顔して泣いているのかわからない。それでもまだ微かに動く右手を瞳子の顔へと手探りで触れる。


「──私が県外の大学に決めた理由を憶えてる?」


 音すらも白く塗りつぶされそうな世界で瞳子の囁くような声が聞こえる。


「………あぁ、憶えてるよ」


 なぜ今その話が出るのか、それはわからない。だが、外から俺達を見てみたい、とどこか気恥ずかしげに答えた瞳子の様子と、その機を逃せば一生聞くことのなかったことを余さず聞けたという事実はとても印象深く記憶に刻まれていた。


 ──忘れるわけがない、そう伝えたくても声がかすれて伝わったかどうかわからない。そんな自ら発した声すら耳に届くか怪しい中、瞳子の声だけは、やけに大きく聞こえる。


「あの言葉に嘘はない。けどね、あれが全てじゃ……言わなかった理由は別にあるの。優之助、私ね──」


 その続きをあの時と同じく逃すまいとして、しかし、その意思に反して意識が遠くなる。それとは反対に強まっていく浮遊感。まるで谷底のふちを指一本で頼りなく支えているような中で、それすらも手放した俺が最後に"見えた"のはどことなく懐かしい空気を纏った二つの影だった。

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