三日目
*
なんだかんだで翌日。決闘の場として生徒会長が指定したのは、一般生徒にはサプライズとして企画された(実際には昨日急に決まった話なので厳密にはサプライズというより突発イベントか?)全校朝礼の席でのエキシビジョンマッチだった。
全校朝礼と言っても、三学期終業式と兼ね合いで行われるれっきとした年間行事(まぁ、それも朝礼に毛が生えたものらしい)で、行事の進行をいきなり変えるなんて勝手し過ぎではないかと思うのだが、強制参加の行事ではない為(極端な話、昨日で三学期は終了だという認識)、昨日の今日でねじ込めたということなのだろう。
普通、そこまでいけば秩序はなくなるんじゃないかと思うが、校舎や寮から少し離れた場所に建てられたドーム型の講堂へと大勢の生徒が次々と入っていく。全校朝礼にはまだ一時間も余裕があるにも拘わらずだ。俺の時代はかなりギリギリまで集合することなんてなかったような気がする。
「今の学生はそれだけ時間にうるさいってことかな?」
「お目当てはおまえと真田の決闘だからな。できるだけいい席を確保したいのだろう」
「……飛鳥」
昨日の再現のように、飛鳥が俺の背後に立っていた。……なぜ俺の背後に回りたがるんだ?
「おはよう」
「おはよう──って、今、なんて言った?」
「お目当てはおまえと真田の決闘だからな。できるだけいい席を確保したいのだろう」
一言一句どころか、発音までも再現しようとしたのか、微妙にさっきよりもぎこちなく、棒読みっぽくなっている。いや、そこまで正確にリピートしなくてもいいんだけどさ。それより──
「──なんで知ってる?」
「会長の目的は反乱分子への見せしめにある。それならば、事前に決闘のことを周囲に広めた方が効果的だろう。事実、お前と真田のことは昨日の放課後にはもう全校生徒に知れ渡っていた」
「当事者を置いてけぼりに随分と盛り上がってるようで……。それにしても、生徒会自らが拡散するなんてな。自分達が勝つことが前提なんだから、すごい自信だ」
「あぁ、生徒会最強の生徒だ」
「……そんなに強いのか?」
たしかに瞳子の実家が"用意した"生徒だし、只者とは(性格も含めて)思えなかったが飛鳥にここまで言わせるとは。俺の疑問を読み取ったのか、あるいは武術家の娘としての矜持からなのか飛鳥が続ける。
「私は桐条式を『飛燕脚』しか再現できない上に、対武器の技術も習得していない。……悔しいが、今まで一度も真田凛華に勝ったことがない」
なるほど、確かに対武器の技術は格闘技とはかなり別物だ。付け焼刃の空手やボクシングでどうにかなるものじゃない。
「考え直すなら今の内だ。真田凛華は手加減をするような奴じゃない。……下手をすれば死ぬぞ」
今までのやり取りからわかると思うが、会長の出した条件は生徒会書記・真田凛華と決闘して勝つこと──それが飛鳥を生徒会からも学園からも辞めさせないための条件だ。
飛鳥に勝った時点で、いつか真田さんと闘うという流れになるということは予想していたが、飛鳥がここまで言うのなら、真田さんはやっぱり強いのだろうし、命がけになるのだろう。しかし、
「もしもの話、この学園を辞めたらどうするつもりだったんだ?」
「そうだな。"もしも"学園を辞めたら、まずは家に帰り、勝手に家を出たことを謝る。そして、話し合ってみようと思う。どこかの同類がくれた"借り"がきっかけで自分を見つめなおした答えだ。……例え、どんな結果になろうと後悔はしない」
吹っ切れたように飛鳥が語る。いい傾向だと思う。だが、せっかくの決意を申し訳ないがその目論見を達成させるつもりはこちらにはない。
「……悪いが、家族と向き合うのはもう少し後にしてもらうぞ……卒業まで」
「?」
「俺はおまえをむざむざ辞めさせるつもりがないんだからな」
「優之助……おまえ」
絶句する飛鳥を押し留め、さらに言葉を重ねる。
「山ほど借りがあるって言ったのは飛鳥、おまえだろ? なのに、後で会長から生徒会を辞める決意してたなんてことを聞かされて、面を食らったよ。……そんなに俺が信用できないか?」
「……」
「いいんだよ。誰かに弱音を吐いても、我が侭を言っても。そしてさ、俺を頼ってくれよ」
などとそれっぽいことをまくし立ててみたが、要は勝手に借りだと感じておいて、それを返してもらう前にいなくなるのが納得できないだけだ。
そんな俺の怒りを見て取った飛鳥が少し気まずそうだ。……また熱くなりすぎたか?
しゅんとしてしまった飛鳥を見て、冷静になる。飛鳥は俺を心配してくれたんだ。こんな風に責めるのはお門違いだろう。
「いや、しかし……」
なおも食い下がろうとする飛鳥を手で制す。
「まぁ、見ててくれ。こっちにだって勝算がないわけじゃない。これが終わったら、屋上でメシでも食べよう。……約束だ」
さすがに諦めたのか、ため息をつく飛鳥。そうそう、諦めが肝心だぞ?
「……頑固だな」
「お互い様だよ」
講堂の中はステージを中心として周囲に席代わりの段差が設けられていた。
ドーム型の建物であったから、室内の構造はそういうものじゃないかと、ある程度予想していたが、外から見たドーム型の建物から地下へと降りていった先が肝心のステージだった。その地下は台形を上下反対にして地下に埋めた感じといえば分かりやすいかも知れない。
内装はファンタジーっぽい感じがして、例えて言うならば、中世のコロシアムのようだ。いや、中世のコロシアムなんてそんなに詳しくは知っているわけじゃないが、イメージ的にはそんな感じ。
単純に講義の場として利用するならば、いささか不便そうだが、そんなものは二の次である。周り三百六十度見られながら発言するのは、相当度胸がないとできそうにない。要はそれができるかどうか、そんな生徒を一人でも多く生み出せるか、である。
たしかにこんな中で緊張することなく立てるなら、どんな状況でも臆せず、ありのまま振舞えるだろう──そう、今その壇上で朝礼を取り仕切っている生徒会長のように。
「──以上で、生徒会からの連絡を終わります。さて、いつもならここでみなさんには校舎に戻ってもらうところですが、予定を変更してもう少しだけお付き合いしていただきます」
その一言で生徒達の空気の一変する。まるでなにかに期待するように、熱い視線が生徒会長へと降り注がれる。
「……どうやら、みなさんもご存知のようですね?」
「(しらじらしい。昨日の生徒会室でした約束なんてそっちが言いふらさなきゃ広まるわけないだろうに)」
そう思っていると、館内の明かりが落とされ、隣も見えないほど暗くなる。と、思いきや瞬間、周囲に強烈な光が差し込んでくる。その瞼の裏からでもお構いなしの光に目が慣れると、どうやらスポットライトが俺に向けられているのがわかる。
「ったく、大層な演出だな」
そう呆れているのをよそに、俺に向けられた以上のスポットライトを浴びて、今もステージに君臨している生徒会長のパフォーマンスは続く。
「あの一条の光にいるのが、今流れている噂の中心人物。たった三日間でわが学園が誇る生徒会に楯突いた命知らずの転校生、二年C組──御村優之助!」
いつの間にか、俺の周りで座っていたはずの生徒達が生徒会によって人払いされていた。俺との間に見えない壁のように区切られたそれは、ステージまでの道となって綺麗に整備されている。……上がって来いって、ことか。
「この無謀な挑戦者を迎え撃つのは、わが生徒会会計にして、天乃原学園最強の剣士、真田ぁ~凛華!」
俺がステージに上がると、すでに反対側に真田さんが抜き身の刀を携え(この時点でかなり殺る気満々なのが怖い)、待ち構えていた。つか、会長ノリノリだな。
「派手だな」
「私もそう思う」
「なんか恥ずかしいな。こんな風に観客に見られて闘うのは初めてだから」
「意外ね。これ位で緊張するようなタイプには見えないけれど」
会長が会話に割り込む。
「なんだ、まだ居たのか」
「失礼ね! 私はこれでもこの決闘の立会人としてこのステージに立っているの。……心配しなくても横槍は入れないし、ちゃんと公平な立場でこの決闘を見届けるわ」
「それだけ真田さんを信頼してるってわけか。でも、危ないぞ?」
「大丈夫よ。凛華が負けることはあり得ないし、凛華に負けそうだからって私を人質にしようとしても無駄よ」
負けるつもりも、そんな卑怯なことをするつもりも更々ないが、とにかくすごい自信だ。飛鳥もそうだが、我が道をゆく典型の生徒会長からここまで信頼されているってのは、よほどのことだ。
「さて、話はここまで。そろそろ始めましょう」
「……そうだな」
てか、あんたが仕切るんだな、会長。
「こちらもかまわない」
当事者なのに一番控えめだな真田さん。文句の一つくらい言ってもバチは当たらないだろうに。ほっとくと会長がさらに付け上がるぞ。……遅いか。
「ルールは特になし、武器もあるなら自由に使って結構、戦闘不能かギブアップで決着のバーリトゥードよ。質問はないわね? ──それでは、真田凛華対御村優之助のエキシビジョンマッチを始めます」
ルールは俺と真田さんに、後のは観客に向けてのものだ。
「では──」
真田さんが緩やかな動きで剣をこちらに向ける。その構えは相手の、あるいは目の高さに合わせた中段の構え、剣道・剣術でもお馴染みの正眼の構えだ。
強いとは聞いているが、闘い方は全く聞いていない。そんなことに今更気づく。
そもそも剣術は武術の中でも特に女性には向かない部類に入る。刀が重量のわりに槍や薙刀ほどのリーチがないためである(一般に刀はだいたい六十~八十センチほど、対して槍や薙刀は短いものでも一メートルはある)。リーチの長い得物は重量があっても技術次第で女性の腕力でも扱えるが、竹刀ならともかく、女性が刀を扱うには、体格と腕力が足りないのだ。
刀が戦に持ち込まれた時代はもっぱら大男が振り回すものだったし、確立された剣術においても大雑把に言えば、基本は上段に構えて甲冑ごと斬る技術と、腰を落とした構えから甲冑の隙間や急所を狙う技術の二つに大別される。どちらにしても、一定以上の腕力のある男性向けの武術であるため、女性が剣を持つことの絶対的な優位性はない。
真田さんも身長が百八十を超える俺よりも二十は低く、その腕も俺と比べれば一回りは細い。決して、刀を振るうのに適した体格ではない。西洋剣術で真っ先に連想されるであろうフェンシングならばともかく、女性の刀使いはかなり珍しい。
そういう意味では真田さんがどうやって刀を操り闘うのか、全く想像できない。少なくともしょっぱなから剣を抜いたということは居合いではないようだが……。
「──始めようか」
飛鳥の時もそうだが、律儀にそう声を掛けてくる真田さん。だが、すぐに攻めることなく、すり足で徐々に間合いを詰めてくる。武器持ちの優位にも拘わらず、安易に攻めないのは、こちらの出方を探っているのか、あるいは後の先を狙っているためなのか……どちらにしても素手の俺にはかなり攻めにくい状況だ。
剣術における後の先の戦法は単純にカウンターとしてだけでなく剣を護身、つまり盾代わりとして使う流派が洋の東西に限らず存在している。そういった目的で作られた剣もある位で、もし下手に攻めればカウンターどころか、相手の受けた剣で怪我をする可能性が高い。
真田さんの戦闘スタイルは護身を中心としたカウンター型か? それならば、ある程度納得がいくが──
「こないのか? ……ならば、こちらからいくぞ」
攻めあぐねている俺を見て、あっさり“待ち”を解除し、すり足から跳ねるように大きく一歩、まるで飛ぶように一気に間合いを詰める真田さん。そのまま切っ先を振りかぶり、垂直に剣を振り抜く。
「うお!」
あわてて後ろに下がる。……今の、まったく迷いなく振り下ろしやがった。人であることも、まして素手であることなど関係なしに放たれたその一撃に冷や汗が吹き出る。
間合いの測り方、剣を振り抜く一連の動き、それらを集約した今の一撃で真田さんが人を斬る技術に達していることがわかっただけでも収穫といったところか。……というか、刃引きしてるんじゃなかったっけ? ありゃあ、肉も骨も断てるぞ。
「……ほんとに容赦ないのな」
「私が剣を使うことはわかっていたはず。私が斬れるはずがないと判断したのなら、それはおまえの覚悟のなさが招いたことだ。同情の余地はないな」
「真田凛華は生徒会長である私を護衛するために用意した人材よ。持っている刀が飾りということはないわ。彼女が斬ると言ったら躊躇はしない。というか、なに? 今更怖気付いたの?」
「いや……、怖じける云々以前に、もし俺が斬られたら血がどぶぁ~っと出るぞ? 一般生徒が見たら引くと思うんだが……」
「もし、あなたが斬られても今の高校生はどうとも思わないわよ。自分と無関係ならね。……それに例え、死人が出ても天乃宮で揉み消すから」
会長、横から出てきて根本的に安心できないフォローをありがとう。
「あくまで確認だよ。実際に見てないとわからないしさ。まぁ……でも、安心したよ」
「安心?」
「準備が無駄になりそうになくて──だよ!」
会話の隙をついて、真田さんへと正拳を繰り出す。真田さんが相手では、いくら不意を突いても、逆に迎撃されるのがオチなのだが、そこはそれ、俺なりに狙いがある。後の先のデメリットは相手の動きに併せるため、行動が後手にまわる──というより、意図的にまわす──点だ。いや、まぁだから後の先なわけだが……。
「苦し紛れか? 逃げていては勝てないぞ」
「心配するな。ここからはずっと俺のターンだ」
不意打ちの正拳は攻める気だった真田さんにあえて後の先にまわらせることで真田さんを足止めし、その隙に距離を稼ぐためのものだ。
──そう、俺に必要だったのは距離。素手はおろか、刀でも届かないほどの間合いだ。
「さぁ、防げるものなら、防いでみろ!」
学園指定のブレザーの懐から、"それ"を取り出し、真田さん目掛けて弾く。
「!」
まさか、俺が離れた距離から仕掛けてくるとは予想外だったのか、真田さんの反応が少し遅れる。しかし、そこは学園最強の剣士。飛んできた物体を刀で斬り落とす。
「これは……」
真田さんが真っ二つにした"それ"を拾い上げる。
「十円玉……か?」
「あぁ、正真正銘、日本銀行が発行した硬貨だよ」
「……指弾か」
「その通り! ……いくらなんでも、刀を持った相手に接近戦に持ち込む勇気はないさ。これでも手先は器用でね──こういうマネもできるって、ことさ」
昨日の今日での決闘の準備──時間的な制約、常識の範囲内という縛りがある以上、手近にあるものではこれしかなかった。
「本当は硬貨よりもパチンコ玉の方がよかったんだが、学園内で手に入る代物じゃないしな……。その点、硬貨は集めるのも苦労はないし、中でも十円玉は硬さ、大きさ、コストのバランスがいいから、代用品としては悪くない──これぞ名付けて『
「うわっ、ダサッ!」
聞こえているぞ。生徒会長。
「……なるほど。どうやら本当に手加減する必要はなさそうだ」
こういう時、茶化さない真田さんのクールなところはありがたい。単にスルーされただけかもしらんけど。
その肝心の真田さんは俺の『銭型兵器』相手に距離を取る愚を悟ったのか、一歩で刀が届き、かつ、『銭型兵器』に対応できる範囲ギリギリの距離を保ちつつ攻めてくる。
「させるかよ!」
「──っく!」
遠距離からの攻撃を受けにくそうにする真田さん。対する俺の方も近づかれると一転して不利になる。そうさせないように十円玉を撃ちまくる。
しかし、そこは学園最強の剣士。向かってくる十円玉を薙ぎ払いながら俺との距離を徐々に縮めていく。
「硬貨を破損させるのは犯罪だぞ!」
「そっちこそ。そんなにばら撒いていいのか? 見たところ硬貨を大量に持っているようには見えないが」
たしかに用意しやすいとはいえ、限りはあるし、そもそも小銭をそう多くは持ち運べない。今の手持ちはだいたい八十枚ほど、たしかに無駄撃ちし続けていれば、すぐに底をつくが──
「心配無用」
新たに『銭型兵器』を放つ。しかし、俺の撃った『銭型兵器』は真田さんから横に大きく外れている。「暴投か?」と多分、みんなは思ったと思う。
「? どこに撃って──」
真田さんの呟きが途中で止まる。外れたと思った『銭型兵器』が俺の元に戻ってきたからだ。手元に戻ってきた硬貨は五十円玉。そして五十円玉と俺との間を繋ぐものを見て、真田さんが理解する。
「──『銭型兵器・バージョン5.0』」
「今度は五十円玉か。──しかもヒモを括りつけて回収できるようになっている」
「ヒモじゃなくてピアノ線な」
『バージョン5.0』はピアノ線がかさ張るために予備を含めて数枚しか持てないが、回収できるため弾切れの心配ない改良型だ。5.0なのは当然、五十円玉だから。……って、そこ、ネーミングが安直って言うな!
そして、『バージョン5.0』の特性はそれだけじゃない。もう一度、『バージョン5.0』を真田さん目掛けて狙い撃つ。
「ふっ!」
さっきのように自分目掛けて飛ぶ『銭型兵器』を斬り落とそうとする。軽やかに剣を振るい、線となって見えそうなほど綺麗な軌跡を描く斬撃は、しかし目標を外し空を切る──正確には目標の方から逃げていった。五十円玉に括りつけたピアノ線をこちらで操作して五十円玉の軌道を変える。
「……飛び道具というより、鞭か、分胴のようだな」
「硬さは充分。あとは“速さ”さえあれば五十円玉の重さでも武器になる。……真田さんの言う通り鞭や分胴のようにな。試してみるか? 宮本武蔵と宍戸梅軒の決闘が再現できるぞ? ……鎌は持ってないけどな」
「その場合、おまえは頭から唐竹割りにされるはずだが?」
「あー、そうだったな。たしか」
「双方、私語を慎むように……って、……えっ? ……わっ!」
俺達の会話が決闘に似つかわしくないと思ったのか、間に入って注意しようとした会長に危うく俺の投げた『バージョン5.0』が当たりそうになる。そういや、審判の存在を忘れていた。
「危ないぞ」
『バージョン5.0』振り回しているからな。
「投げてから言うな!」
いや、俺と真田さんの間にいるのが悪いだろ。
「下がってください、会長」
さすがに警護対象であるところの会長に決闘の只中に立たれるのは気が散るのだろう。真田さんの意識が一瞬だけ会長へ逸れる。その隙を見逃さず、『バージョン5.0』を振るう。狙いは刀の鍔元。
「そこだ!」
狙い通りの軌跡を描き、真田さんの刀に五十円玉を括りつけたピアノ線が絡まる。このまま手繰り寄せて刀を奪取する。──"これ"がただの分胴ならば、な。
「力づくで刀を奪い取るつもりか。しかし──」
「問題! 『バージョン5.0』の反対側の端はどうなっているのでしょう?」
いきなり俺が叫んだもんだがら、驚くというより、唖然とする真田さん。
「正解は──これだ!」
ほぼ、ノータイムの正解発表。手の中に隠していたもう片方の部分を真田さんに見えるように晒す。それは今、刀の鍔元に絡まったのと同じく括りつけた五十円玉。その五十円玉を野球でいうところのサイドスローのモーションで投げつける。
俺の手を離れ、飛んでいく五十円玉は刀に絡まった片方を支点として弧を描くように真田さんの周りを駆ける。遠心力も加わり、二枚の五十円玉を結ぶピアノ線が刀を挟みつつ、腕ごと真田さんを巻きついていく。
「今だ!」
懐からありったけの『銭型兵器・バージョン5.0』を取り出す。ピアノ線の両端に五十円玉を結わえた"それ"を遠心力を掛け、"丸ごと"投げつける。
「これは」
気づいたようだが、もう遅い。一投目の後に時間差で投げた複数の"それ"がさらに二重三重と交わり、絡め取っていく。
「『銭型兵器・バージョン5.0──モード・ボーラ』……これが『バージョン5.0』の正体だ」
ボーラというのは、狩猟民族が使う投擲武器だ。構造は紐の両端に石を括りつけたものを鳥や獣の足元を狙い、投げつけることで身動きを取れなくするというシンプルな作りだが、石の重量と遠心力で広がった状態で回転しながら飛んでいくボーラを回避するのは難しい。
狩猟以外でも戦で騎馬に対抗するための武器として採用されるなど応用が広く、その効果のほどは今も真田さんを拘束していることからもわかるように絶大だ。
「どうだ? そんなに絡まっているなら、剣では斬れないだろ。いくら学園最強の剣士といえども、こういう搦め手で攻められたことはないと思ってな……」
事実、過剰に距離を取ろうとする(身も蓋もなく言えば、逃げ回ること)俺を相手に真田さんはやり難そうに後手に回ることが多かった。相手のペースを崩すのは戦術の基本だが、正統派の剣士である真田さんにはこれでもかというほど嵌ってくれた。
「指弾による遠距離戦や『バージョン5.0』とやらを最初にただの分胴として使って見せたのはこのための目くらましというわけか」
「指弾で決着がつくならそれに越したことは無かったけど、な……」
それでも準備が無駄にならなくてよかった。今や、真田さんの上半身は腕が畳んだ上にピアノ線が絡みに絡まって動けない状態で、まるでミノムシかなにかに見える。あれでは満足に斬ることはできないだろう。
「降参してくれないか? 腕がまともに動かせないその状況じゃあ、無理だろ。当然、ピアノ線が解けるのを待つつもりはないよ」
「断る」
「即答か。とどめってのは、あまり気持ちのいいものじゃないんだが……」
そう言いつつ、どことなく引っ掛かりを覚えながらも真田さんへと近づく。奇妙と言えば、会長が大人しいのも気になる。公平な立場だからか? いやいや、会長は俺が負ける姿を特等席で見たいだけだ。……やはり、なにかがおかしい。
「──真田に近づくな! 優之助!」
気の進まないまま真田さんに近づこうとする俺はその声に内心、驚く。声のした方を向くと飛鳥が必死になにかを伝えようとしている。普段、大声を上げることのなさそうな飛鳥が(事実、決闘の時でもあそこまで取り乱すことなんてなかった)あんな風に焦る理由はなんだ?
「……確かにこう縛られては腕が動かせないな。せいぜい動かせるのは指くらいか」
さほど大きな声でもないのにそんな呟きが聞こえる。呟きの源は前にいる真田さん。
「──しかし、指一本でも動かせるなら充分だ」
手、いや指に近いピアノ線を一つまみすると、そのまま指の力だけでピアノ線を千切っていく。なんか見た目、茹でる前の素麺の束を手折るように軽々と……。
「おぃおぃ……アリですか?」
俺の小賢しさを嘲笑う圧倒的な腕力。……なるほど、会長の余裕の根拠はこれか。
「小さい頃から人一倍、力が強くてな。腕力、特に握力はご覧の通りさ。昔は力加減が難しくて苦労したよ。なにせ触れるもの全てが砕けたり、壊れたりで周囲に迷惑をかけてばかりだったからな」
当時のことを思い出しているのか自嘲的に笑う。人の身では持て余し気味になる“異能”を振るう光景とその表情を見て、飛鳥が同類と評したのを思い出す。瞳子が学園に人材を派遣したとも。つまり、生徒会書記、真田凛華は正しく俺や瞳子と同じ存在──異能者だ。
「どうやって、力加減ができるようになったんだ?」
平然を装うも、声の震えが止まらない。小柄な真田さんがピアノ線を引き千切る様はムチャクチャ怖い。
「書道だよ。筆の強弱をつけて字を書くことはとてもいい練習になった。あれを習ってなければ、もしかしたら今でも自分の腕力を制御できなかったかもしれない。自慢じゃないが賞を取ったこともある」
なるほど、それで生徒会『書記』だったわけか。
「書道のおかげで制御はできるようになったが、この腕力を存分に振るう機会なんて皆無に等しい。今度は平穏な日々そのものに対して持て余すようになった。制御の次は自分の腕力の使い道で悩むことになったというわけだ。だが、ある時、とある機関にスカウトされた。何処から聞きつけたかは知らないが、自分の腕力を活用してみないかという誘いに私は一にも二にも無く頷いたよ。剣術はその機関の勧めで習うことになった──古流剣術・当真流をな」
古流剣術・当真流はその名の通り、瞳子の実家に伝わる剣術だ。当真家は裏の世界に通じる旧家。そこから派遣された真田さん当真流の使い手であるのは、ありえる話(今のところ、披露していないが)。瞳子の敵である会長についているのもそういう命令だということで納得がいく。
ただ意外だったのは天乃宮の要請で派遣されていた人材が生徒会書記なんて役職についていたこと、俺のようにもっと目立たないポジションだと思い込んでいた。
真田さんが当真の人間であることや異能者であることは伏せられていたのはいくら同じ当真の手先でも任務が異なるがゆえの守秘義務がかかっていたのだと今ならわかるが、瞳子が真田さんの素性を知らないわけはないはずで一言口添えしてくれていたらもう少し穏当に話を進められたのでは、と思わなくもない。
だが、ここまでは問題ない。尋常ならざる腕力も、戦い方も、何一つ知らされることなく今日を迎えたのも瞳子の性格が最悪なだけで、本当に何の問題もない。問題なのは、それを俺に話したということ。つまり──
「──俺が当真家の依頼でこの学園に入学したというのを知っているというわけか」
「その通りよ」
ひと段落したと思ったのか、会長がまた俺達の間に入ってくる。さっき危ないって真田さんに注意されたばかりだろ。いいから下がってなよ。
「この学園には私と同じく当真家の命令を受けている生徒や教師が多数、配置されている。正式な数、具体的な命令内容はさすがに不明だが、お前に関しては信頼できる筋から情報提供があった」
誰のことだ? 知っている人間は限られるが、全員、生徒会にリークするような性格、あるいは立場でないはず。
「ちなみに凛華が当真家から受けた命は生徒会長である私を守ること。まぁ、これは私の実家からの要請を当真家が受けたんだけどね。つまり、同じ当真家から命令を受けた者でも事情は千差万別、内容が重複することもあれば、逆に対立することもあるの」
「そういう場合ってどうするんだ?」
「どちらかの命令を遂行するのみさ。……ただ、命令を遂行できなければ、当真家からペナルティがある。だから対立すれば、互いを潰し合う。当真家からすれば競争の意味もあるのだろう。どうせこの学園での出来事なんて当真家からすればだいたい雑事だ。言うなれば、当真家にとってもこの学園は人材を育てる修練の場だ」
「そこは普通に学校でいいんじゃないのか」
「というか、私の護衛って、雑事?」
おっと、会長。聞き逃さなかったか。
「……御村優之助。さっきも言ったがお前が当真家の命令でこの学園を調査しているのはわかっている。何を調べているかは知らないし、それはどうでもいい。お前が取るべき道は二つ。生徒会に従うか、学園を去るかの二つに一つだ」
……スルーしたよ。でも今はそんなことより、
「どっちか……かぁ」
正直な話、どっちでもいい。勝っても負けても正体がバレている以上、この学園には居られない。
例え、生徒会が俺を退学にしなくても瞳子が俺を学園から撤退させる。瞳子の目的は未だによくわからないままだが、俺が生徒会と揉めることが織り込み済みということは俺に学園を調査させるのが目的というより、俺と生徒会とを対立させて生徒会を潰すのが本当の目的かもしれない。
ならば、正体がバレた時点で瞳子の目論みはご破算、俺は罷免という流れなわけだ。妹達と再会すらできずに学園を離れることになるのはなんとも業腹だが、自分の不甲斐なさを棚に上げるわけにはいかないだろう。この場合、三日間の給料は出るのだろうか?
「俺……、どうなるんだろうな」
「そう悪いようにはしないわよ。どんな命令か知らないけど当真の人間だということなら事情を考慮する。……退学にはしない。約束するわ」
「……」
どの道、『バージョン5.0』で確保する手が通用しないのではもうこちらにやれることはない。ここで詰みかな……って、待て!
「そうだ! なんで気がつかなかったんだ!」
「ど、どうしたの? いきなり……」
いきなりの大声で会長が面を食らうがそんなことは今はどうでもいい。
「真田さん!」
「なんだ?」
「さっき、真田さんは当真家から派遣されたって言った。それはつまり、真田さんの腕力の存在を知っているはずだな?」
「……言ったはずだ。私の腕力を知って、当真家は私をスカウトしたと」
「だよな!」
瞳子は真田さんの腕力を知っていながら、俺の作戦を止めはしなかった──ならば、手段は一つ。
「……続行だ」
「?」
「選択の三つ目だよ。この決闘に勝って、生徒会を退ける」
俺のいきなりのテンションの変わりように余裕すら漂わせていた二人に警戒と緊張が走る(っていうか、引いているだけだな、これ)。そんな二人にかまわず続ける。
「よくよく考えたら、この決闘って飛鳥を思い止まらせるために呑んだ条件だ。負けたら、飛鳥は自分でこの学園を辞める。だから、降参なんて最初から論外だ」
「まるで私に勝てるような発言だな」
「勝てるって言ってるのさ」
「……そうか」
さっきのやりとりの間に拘束していたピアノ線を全て取り払っていた。足元にはピアノ線の残骸、ピアノ線を捻じ切る握力で抓られでもしたら腫れるどころでは済まない。誇張なく"捻じ切られる"だろう。
「改めて、名乗ろう。天乃原学園生徒会書記、『
「『怪腕』?」
「私の腕力からそういう名が付いた」
「女の子につける異名じゃないな」
「……私の腕力を見て、そういう暢気な感想を言ったのはおまえが初めてだ」
「なんか俺がバカみたいだな」
「凛華! いつまで話をしているつもり!」
「……はい」
苛立ちの混じる会長の言葉を受け、脇に落ちていた刀を拾っては構える真田さん。『怪腕』の存在を知って、改めて納得する。当真家はあの腕力があるからこそ剣術を学ばせたのだと。圧倒的な力で振りぬいた剣がどれだけの威力か想像がつかない。正に、豪剣ってやつだろう。
「それでは──」
真田さんの周りの空気が張り詰めていく。それはまるでギリギリまで張り詰めた弓を向けられたような緊張感を与える。
「──いくぞ!」
矢を放ったような瞬発力を発揮し、俺へと迫る。一歩、一歩が速く、そして重い。その爆発的な加速は筋力の恩恵が決して腕のみではないことを証明している。
しかし、なにより凄いのは真田さんの足元の動きだ。飛鳥のように挙動が読めないわけじゃないが、踏み込む足そのものが接地した瞬間、まるでバネ仕掛けのように跳ねるため、動きが捉え切れない。その足元を注視すると気づく。
「(足の親指のみで走ってやがる。まさか、あれは……)」
「これぞ、当真流『
高らかな真田さんの声が講堂に響き、その特殊な歩法によって得られる速力は俺をかく乱する。
特殊な歩法──『一本指歩法』とは足の親指で走る当真流の極意だ。着地、踏み出し、蹴り上げる、といった歩くためのメカニズムを足の親指一本で賄うことで最速・最短の移動を可能にしている。理屈はわかるが、脚力を足の親指一本に凝縮させて走るなんて、生半可な鍛え方でできることじゃない。
そんな歩法を実戦で使う真田さんが古流剣術・当真流の使い手であるのは疑いようがない。そしてもう一つ気づいたことがある。それは──
「──飛鳥がきみに勝てないと言った理由がわかったよ」
飛鳥の『飛燕脚』は相手に動作を悟らせないように動く。だが、実際に速度が上がるわけじゃない。
つまり、真田さんに初っ端からあの速度で動き回られると、『飛燕脚』そのものはともかく、技の性質上、『瞬撃』によるカウンターは使えない。現時点での切り札を封じられた飛鳥が自分の攻撃手段では真田さんに届かないと理解したからこその発言というわけだ。
そもそも誰でもそうなのだが、自分より速く動ける相手は大なり小なり不得手だ。俺も例外ではなく、あの速さは脅威だ。もはや『銭型兵器』では捉えきれない。
ここへきて、ようやく理解する。真田凛華の剣は見た目とは裏腹に圧倒的な力と速さで相手を斬り伏せる、とても強引な剣だ。もし半端な実力の相手にその剣を振るえば、相手はたちまちトマトが破裂するがごとく五体が弾け飛ぶだろう。
腕力、脚力、『怪腕』と渾名されるほどの筋力全てを込めて戦う。文字通り全力を尽くすという真田さんは俺をそうするに相応しい相手と認めてくれたようだ。あの豪剣が相手ではどんなに実力を持っていたとしても、万が一にも当たれば、かなり凄惨な死に様を晒すことになる。
「納得は済んだか? ……ならば、その目に焼き付けるがいい。『一本指歩法・天狗翔』」
圧倒的な加速で走る真田さんが今までの横の動きに加え、高く跳ねる縦の動きを見せる。速さと高さ、どちらも俺では真田さんに敵わない。このままでは俺は真田さんに一方的にやられてしまう──このままでは。
「だけど、俺にだって"手"がないわけじゃない」
そう、この自慢の"手"ならばこの危機を打破することができる。軽く呼吸を整え、構えた両手に意識と感覚を集中させる。
「──『制空圏』」
瞬間、俺の手が激しく震えた。
*
「──だけど、俺にだって"手"がないわけじゃない」
瞬間、なにかが高速でブレたような音がする。
──『制空圏』、同時に遠目から優之助の口がそう動くのが見える。それが意味するところは──
「(──優之助のやつ、『制空圏』を展開した!)」
ここで言う『制空圏』とは武道の達人が使うようなものではなく、イルカや蝙蝠が使うような生物的なセンサーに近い。優之助の手に宿る特徴が可能とする“異能”だ。
優之助から雰囲気の変化を感じたのか、真田凛華が遊びなしの『一本指歩法』で優之助に接近する。速度だけでなく驚異的な跳躍力。あれならば、回避も反撃もさせずに攻撃することができる──今までの優之助が相手ならば、だが。
「よっと」
真田凛華の突進をまるで先読みしたかのようにかわす優之助。真田凛華がいかに速く動いたとしても今の優之助にはその切り裂いた空気を感知し、相手の動きが手に取るようにわかってしまう。
「俺の目は誤魔化せても、俺の"手"は誤魔化せない。いくら速くても『制空圏』の中ではどんな動きも筒抜けだ」
これで、真田凛華の戦法が通用しにくくなった。あれでは『一本指歩法』の速さで圧倒しても絶対的な決め手にならない。というより、はっきり言って勝ち目はない。あれなら──
「先日よりも『優しい手』が安定していますね。一目でわかります。──あれなら、この後のことにも支障はないでしょう」
私の心をなぞったような解説が背後から聞こえる。背後を取られた上、今からすることに水を差された屈辱から、後ろにいる女に"らしくなく"感情を露にする。
「要“目”、学園での接触は禁止のはずよ」
「申し訳ありません」
いつの間にいたのか平井要芽がそう謝罪する。それが言葉通りではないことはその目を見ればわかる。それを見て私の中からさらに怒りが膨れ上がるが場所と状況を思い出し、冷静さを取り戻す。なおも湧き上ろうとする感情を押し殺し、目の前の少女に問い質す。
「それでなんの用? わざわざこんな所で私に話しかけるなんて……」
転校生と生徒会役員。共に天乃原学園の生徒である以上、接触そのものは不自然ではないが慎重に慎重を重ねてやり過ぎということはない。優之助の時はからかう程度で済ませたが、本来は致命的な行為だと言っていい。
「真田凛華と優之助さんの決闘で誰も私達には気づいてはいません。例え、気づいたとしても私達の関係に辿り着くことはないでしょう。そして、用事は……これです」
要目は私の叱責を反省もなく流すと、布袋に包まれた筒を私の前に差し出す。
「──っ!」
それを見た瞬間、目の前が焼ききれた画面のように真っ暗になる。……怒りで。
「……そろそろ必要になるかと」
暗転は一秒掛からず回復する。色の戻った視界には、顔色を変えない要目と、血塗れの手に握られた筒の中身。
被っていた布袋はズタズタに切り裂かれ、もはや包みの体を成さない。ところどころ見える"それ"は滴る血の赤に映えて見事な白を私の網膜に焼き付ける。
「……私が“使う”のか、試したわね?」
「なんのことでしょうか?」
「白々しい」
相変わらず気に入らない。優秀なのは認めるが、全てを見透かしたような物言い、ぬけぬけと私を試すその態度、私の"戦友"を無断で無神経さ、その一つ一つどれをとっても私を苛立たせる。
──そしてなにより、その"目"が腹立たしい。
「あまり出過ぎたことはしないことね。それでなくても私はあなたが嫌いなの」
「承知しております。分家筋の私が次代の当主候補であるあなたに逆らうことはいたしません――瞳子様」
天乃原学園生徒会副会長、平井要芽。本名、当真要目。私とは親戚──本家と分家筋の娘──というだけの間柄だ。いや、それどころか、その能力と扱っている任務がなければ、とうに排除している。
「……いいわ。取りに行く手間も省けたしね」
楽しみにしていたデザートを野良犬に食い散らかされたような気分の悪さを感じたが、この後のことを中止にするつもりはない。タイミング的にこれ以上の演出はない。
さっきまでのやり取りを意識の外に追い出し、優之助に集中する。これからやることを他の何者にも汚させはしない。
今もまだステージで戦う彼は真剣を相対しているのにも関わらず、楽しそうに戦っている。本人は気づいていないだろうが、少し前までウジウジ理屈をこねていた時より何倍も魅力的だ。
「……そろそろ黒幕の登場といきましょうか」
そして、私も混ぜて欲しいとばかりにステージへと向かって歩いていく。ふと、口に手をやると少し緩んでいた。……やっぱり、見る阿呆より踊る阿呆よね。
*
「俺の目は誤魔化せても……俺の"手"は誤魔化せない。いくら速くても『制空圏』の中ではどんな動きも筒抜けだ」
「……なんだと」
自身の攻撃をかわされ続けた真田さんがなかば呆然と呟く。
「真田さん。きみは強いし、速い。だが、当真流を使いこなせていない」
当真流剣士としての真田凛華はその才能と実力、共に五年前の"あいつ"より上かもしれない。……だけど、今の真田さんでは俺はもちろん五年前の"あいつ"にも勝てない。
「……たしかに私の攻撃はどういうわけかおまえにかすりもしない。しかし、どうやって私を倒すつもりだ? まさか、私の『一本指歩法』よりも速く動けるとでも? ……よしんば、速く動けたとしてもそれだけでは私に勝てない」
俺の揺さぶりにも冷静にそう返す真田さん。先ほどから自らの攻撃が当たらないことに対しても動揺は見られない。やはり簡単には乱れてくれない。なにより……、
「(真田さんの言うとおりだ……)」
いつまでもかわしていても事態は解決しない。そう、真田凛華を"制圧"しない限り、決着はない。
「たしかに俺は真田さんより速く動けない……。だけどな、別に速く動く必要がないんだよ。俺には"この手"があるからな──来るがいい真田凛華。この『優しい手』が相手をしてやる」
「戯言を!」
『一本指歩法』による加速がさっきまでとは比べられないほど爆発的に上がる。あちらさんも決着をつける気だ。
その動きは今までのような俺の周囲を飛び回るものではなく、ただ純粋に、愚直に突進してくる。相手へと突進するのは実のところ、回避や迎撃が最も難しい攻撃の一つだ。自らの豪剣と『一本指歩法』による突進を組み合わせた真田凛華、最速・最強の攻撃。
「これで終わりだ!」
正眼に構えた切っ先が弾かれたように上段へ。基本に忠実な面打ち。天に伸びた剣が圧倒的な速さを持って振り下ろされる。その唸りを上げる剣に俺はその手をかざす。
「!」
一見、無防備ともいえるその行為に真田さんの剣に瞬間、躊躇いが生じる。しかし、もう止められないし、止める気もないだろう。それが真田さんの覚悟。俺の差し出した手を切り飛ばしてでも成し遂げようとする想いの表れ。そして俺の方も引く気はない。
「(……失敗すれば、痛いじゃ済まんな)」
迷いなく向かってくる真田さんを目の前にぼんやりとそう思う。真田さんには感謝しなくちゃいけない。そのあからさまな脅威のおかげでようやく俺は衆人環視の元で使う覚悟ができた。
「(大丈夫だ)」
タイミングは『制空圏』を展開している今ならわかる。あとは自分を信じること。俺に向かってくる真田さんを前に目を閉じて、瞑想するように呼吸を正す。……恐怖はない。
そして、ついに、
手のひらと真剣──両者の覚悟と覚悟がぶつかった。
振り下ろされた剣が左の掌底へと接地する。肌に触れた鉄は肉と骨を断とうとするが、その皮膚にすらくい込むこともできず、まるで接着剤で貼り付けられたように密着して、それ以上動かない。剣が進まないことに違和感を覚えた真田さんが距離を取ろうと剣を引いていく。
「逃がすか!」
刀が手からすり抜けていく前に剣の腹を挟み込む要領で掴み取り、逃げられないようにする。
刃筋が通り、触れただけでも斬れそうな刀身(しかも、最も斬れる部位であろう切っ先)は、しかし俺の手を傷一つ、つけることができない。そのまま掴んだ刀を引っ張り、反動で自分の体を相手に寄せていく。密着状態では無手の方が速い。刀を手放されたら『怪腕』の脅威が待っているがその時は刀を奪ったまま逃げてしまえばいい。
空いている右手を目釘(刀身を柄に収めると柄を固定する部分)の辺りを握る真田さんの左手へ──『影縫う手』。
「──しっ!」
手から伝わる感触が相手の筋力を弛緩させたのを理解する。刀の持ち手は利き腕でしっかりと持ち、利き腕を柄の端っこに添えることで剣をコントロールする。いかな『怪腕』とはいえ、端の方を軽く握ることしかできない──それこそ生卵を潰さないくらいの感じで──以上、綱引きで負けることはない。
「とりあえずこの物騒なものを手放してもらうか」
そう意気込むまでもなく、少し捻るだけで思いのほか簡単に真田さんの手から刀がすっぽ抜ける。奪った刀を遠くへやり、格闘戦へと持ち込む。
「くっ!」
どうやら剣術だけでなく素手での戦い方も心得ているのか、刀を失ってもその闘志は失われることのない真田さん。まだ自由に動く右手で空手の正拳とも柔道の掴みともとれる突きを繰り出す。
どちらにしても『怪腕』なら逆転可能な一手。だがしかし、無力化させた左手側を支点に回り込むこちらの動きに対応できず、狙いが定まらない。
真田さんのぎこちない反撃を片手でいなし、右手、右足、左足の順に『影縫う手』を当てていく。両足に力が入らず、腰砕けになる彼女の体を頭から落ちないように支えつつ、抵抗ができないように組み伏せる。逃げられないように制圧しているため、両者の体と体が近い格好だ。
「……なぜ、私の渾身の一撃を止められた?」
俺の下で拘束された形の真田さんの声が引きつり気味に呻く。冷静を保とうとしているが、自分の豪剣を素手で受け止められ、身動きがとれない今の状況では震える声から内心の動揺が見て取れる。
「……今更、勿体振っても仕方ないか」
もはや、当初の目的はとっくの昔に頓挫している。隠す必要がない以上、教えるのはやぶさかではない──と、その前に。
「……っ」
「おっ、……と」
組み伏せたまま俺の下にいる真田さんが窮屈そうに身を揺らせる。床に張り付いていたままではお互い話し辛い。油断は厳禁、と注意しながら、真田さんの上半身を少し浮かせることで逃がさない程度に開放する。
「……助かる」
いえいえ、と目で答え、解説を始める。
「……真田さんが『怪腕』と呼ばれるように俺にも、……なんていうか、通り名みたいなものがあるんだ。『優しい手』っていう、な。能力は"超触覚"と"精密動作"。簡単に言えば、俺の手はむちゃくちゃ体感覚──触覚が鋭くて、むちゃくちゃ器用ってわけだ。……ここまではいいか?」
「あぁ、……それで?」
「能力のうちの一つ、『制空圏』は“超触覚”で触れた部分を通じて対象の硬さ、速さ、どのような力が働いているか、その他諸々の情報を瞬時に得ることができる。飛鳥の古流武術の動きや真田さんの『怪腕』を駆使した速さを捉えられたのは、空気の流れに“触れる”ことで間接的に動きを予測したからだ。ちなみに索敵範囲はだいたい半径五百メートルほど。それ以上は脳が把握しきれないのかできない……かな。悪い、感覚的な部分だからうまく説明できない。まぁ、全方位に目があるってくらいの認識でいいよ。……とはいえ、真田さんの敗因は俺が『制空圏』で動きを先読みできた、というだけじゃない」
「"当真流を使いこなせていない"……か?」
自分でも心当たりがあるのか、真田さんからすんなり出た答えに首肯する。
「当真流剣術は非力な女、子供のために編み出された剣術の中でも異端の剣だ。当真流ならば他の流派、というより剣術自体が苦手とするこの触れ合うほどの超至近距離でも相手を斬ることができる」
「……」
「きみは『一本指歩法』を俺に見せた。──当真流の技をな。しかし、実際に振るったのは打ち下ろしのみの単純な剣だった。まぁ、大上段で振りかぶった方が単純に使い易いっていうのもあるだろうけどさ。でも逆に言えば、当真流の速度と跳躍力に振り回されてそれしかできなかったという見方もある。下は当真流で、上はただの剣道……その“噛み合わなさ”が結果的に敗因の一つとなった」
「なるほど、私が未熟ゆえの綻びというわけだ」
「……降参してほしい。この超至近距離なら『怪腕』よりも、『一本指歩法』よりも俺の手の方が速く動ける。もはや、真田さんに勝ち目はない」
今度こそ真田さんには打つ手のない、いわゆる"詰み"の状況だ。そのはずなのに……、
「断る」
しかし、真田さんはこの期に及んでも頑なに固持する。
「なせだ……」
なぜ、そこまで……。真田さんも飛鳥みたいになにか事情があるのか?
「私……いや、会長はこの学園に必要な存在だからだ」
俺の困惑を見て取ったのか、語り始める――ただし、周囲に聞かれないように密やかに。
「おまえが当真家から派遣されたということは、この学園の事情を知っているな?」
「あぁ、生徒の質が最悪だってことだろ?」
関係者ですらない世間の連中でも知っていることだがな、と皮肉も忘れない。そんな身も蓋もない俺の言いように──こんな状況でも──苦笑する。
「生徒会が退学にしたのは、その傾向が特に酷かった生徒だ」
「……なんだと?」
「こういう言い方をすべきではないのだろうが、上流階級の子女の価値観というのは社会的に見ると非常識の塊だということさ。しかも、ただの世間知らずならともかく、女性蔑視や選民思想、その他多くの人格を蔑ろにする価値観を退学した生徒達は持っていた。そして、そんな連中を増やしてきた原因はこの学園の売りである、生徒に学園の自治を任せたことにあった」
「生徒に入・退学の権限を持たせたのは、やはり無理があったのさ。入試はともかく、編入は歴代の生徒会がやりたい放題してきたからな。結果、似たり寄ったりの価値観を持った人間が集まり、逆に価値観にそぐわない、或いは生徒会の下す命に従わない生徒は、例えなんの咎がなくとも──いや、従わないことそのものが大罪とばかりに退学にしていった。それが現在の質の低下を招いた最大の原因だ」
当然の流れだな、と思う。なんのことはない、天乃宮グループの懸案事項がそのまま縮図として天乃原学園に降りてきただけの話なのだ。しかも、グループ内では持ち得ない生徒会という名の権力が自由に振るえる分、さらにタチが悪い。
軽く相槌を打つ程度に止め、聞きに徹する俺を真田さんもまた、どこか穏やかな眼差しを向けるだけで、再び含みを一切排除した語りに戻る。
「しかし、天乃宮側はそれを逆手にとり、天乃宮姫子をこの学園に入学させた。いくら民主的にとはいえ、周りは天乃宮本家の娘である天乃宮姫子を生徒会長に据えないはずがない。そして、一年から生徒会長になった彼女は権限を使って何人もの生徒をこの学園から放逐した。その選定は当真家からもたらされる情報を天乃宮家が判断し、天乃宮姫子が実行する。彼女は生徒会長の職を三年間全うし、彼女が卒業しても理事会は天乃宮家の息が掛かった人間を生徒会長に据えようとするだろう。天乃宮家は生徒側からこの学園を支配する気なのさ」
「……強引だな。いや、強引なんてものじゃない。それは、ここの生徒がやってきたことと同じじゃないのか?」
他者を認めないこの学園の生徒と、天乃宮家の意向で生徒を退学にした現生徒会。この二つに違いがあるとは思えない。
「私もそう思う」
真田さん自身もそう感じているのか。あっさりと俺の糾弾を認める。
「だが、必要であることには変わりない。奇麗事でどうすることもできない以上、毒には毒を、さ」
「……」
掛けるべき言葉が見つからないというのはこういうことなのだろう。そもそも、年齢を偽ってこの学園にいる俺には、何も言う資格などない。
「……それで?」
「うん?」
「私の最初の質問だ。……なぜ、私の『怪腕』による渾身の一撃を止められた? それに、『怪腕』の私が組み伏されたまま、振り切れないこの状況。今までの話からでは、それらのカラクリに全く触れられていない。それにも答えてくれるのだろうな?」
「あぁ、それは──」
「──いつまで、そうしているつもりなの? 離れなさい」
不意に降り立った声が決着で緩んだ空気を弛緩させる。それは俺でも生徒会でもない第三者がゆえの警戒。声の主であるところの我が友人であり、クラスメイトでもある当真瞳子がいつのまにかステージ上まで上がっていたからだった。
会いたいと思っていた相手が向こうからやってきたのだ。これほど都合のいいことはない。だが、それよりもまず……、
「(たしかに……これはマズイよな)」
言われてみれば、今の俺と真田さんは、ほとんど抱き合う位置まで接近(というか真田さんの薄い胸に当たるほど密着)したままだ。
当事者からすれば、油断しないための措置だし、真田さんも承知の上なのだが、周りからすれば、俺が真田さんを押し倒してセクハラしているようにしか見えないだろう。というか、こんな大勢の目が集中する舞台のど真ん中で、しかも微妙な距離間の体勢でよく冷静でいられたな俺たち。自分の事ながら不思議だ。……単純にそこまで頭が回らなかっただけか。
真田さんの方も同じ考えに至ったのか、少しばつが悪そうだ。とりあえず──今更だが──真田さんから飛び退く。
お互い少々気まずいが、今はそれどころではない。まずは真田さんと、ここに至っても、まだ下がっていなかった会長相手にこれからのことについて交渉する。
「会長、真田さん、すまない。この場は退いてくれないか?」
「それは、私に負けを宣言しろと言うのかしら?」
むこうっ気の強い会長が瞬時に噛み付く。やはりそういう反応か、ってくらいには予想している。しかし、こちらとしても、はいそうですか、と言うわけにはいかない。できるだけ低姿勢で説得を続ける。
「貸しにしてくれていい。だから……」
「会長。ここは御村の提案に乗る方がいいかと」
「凛華?」
そう会長に取り成したのはこの場で最も中立的な当事者(学園での立場は生徒会、本来の所属は当真家、そして俺のフォローに回れば、全ての立場に絡むからだ)である真田さん。いつの間にか刀を回収し、その手にあるが戦闘の意思はとうにないらしく、その刃はこちら側に向けられることはなかった。
「会長がここで退けないのはわかっています。……ですが、状況はあまり好ましくありません。御村、当真瞳子、そして生徒会。もし、戦闘になれば、真っ先に倒れるのは間違いなく私達です。ここは名より実と取る方が重要かと……」
俺では説得が困難な会長に対して、どこまでも冷静に理を説く。……参謀としても優秀だな、彼女。
「……そうね」
本人にとって苦渋の決断なのだろう。余裕、或いは、意地の悪い面しか表したことのないその顔に初めて屈辱の相が浮かぶ。
「悔しいけど、ここで負けたら生徒会が崩壊する」
「はい。私も御村に押し倒されまま、この場を引くのは屈辱ですが……」
はは、ここでジョークが言えるなんて結構洒落っ気があるんだな真田さん。……ジョークだよね?
「……そうね」
会長の視線が痛い。真田さんに助けを求めたいが、今度のは援護射撃は期待できそうにない。何事もなかったかのごとく平然としている。むしろ、若干スルー気味なのが怖い。
「御村優之助。私達生徒会はこの場を撤退するわ。これからあなたと当真瞳子がなにをしようがこちらは一切、関知しない。……あなたもそれでいいわね?」
「! あぁ、助かる」
「ふん! 貸しにするだけよ。いずれ返してもらうわ」
言葉通りの事情でないのは、自分でもわかっているのか機嫌が悪い。こちらを見ずにステージから降りていく。そんな会長に追従する形で真田さんも退場する。
「……これでいいのか?」
「あぁ。……本当にありがとう」
この場から引いていく真田さんへ、すれ違いざまに礼を言う。
「礼には及ばない。会長も言ったが、これは貸しだ。……もっとも、こっちが返す方だがな」
「いや……それは……」
「当真瞳子の乱入がなくても、おまえは私をどうにでもできた。……あの勝負は私の負けだ。会長もああ言っているが、本人が一番わかっている。“借り”ができてしまったと」
「……」
「会長はワガママで、性格も悪いが、馬鹿じゃない。受けた貸し借りを返そうとする度量もある。そういう意味では決して悪い人物じゃない」
度量の件はともかく、仕える対象に割と言いたい放題だな。
「きみも難があると思うけどな」
主に、性格の方面で。
「……衆人環視で押し倒されたのだ。訴えたら証人には事欠かないな……」
「ボソりと怖いことを言わんでくれ!」
「……それが嫌なら」
「うん?」
「負けるなよ」
もはや、言いたいことはないと俺の言葉を待たすに去っていく。その後姿を見て、やはり思う。
「(クールだ……)」
本当に年下かと疑いたくなる。そんな彼女はとっとと先に下りてしまった会長と合流し、その場に居た部下達になにやら指示を送っている。おそらく、俺達に手出しするな、とか、そのあたりだろう。一般生徒の方も特に目立った動きはない。仕切り役だった会長がステージからいなくなっても終わったとは思っていないようだ。
「(……邪魔されなければいいか)」
そう結論付け、悠々とこっちへ歩み寄ってくる瞳子を見据える。
「……いったいなんの用ですか“
真田さんとの決着に水を差された格好の俺はいつぞやのごとく皮肉交じりに瞳子を睨んだ。
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