二日目

 決闘の後、動けない飛鳥を女子寮までエスコートする役目を光栄にも仰せつかったこの俺、御村優之助。当然ながら、寮には門限が取り決められており、決闘が始まるくらいから門限は超えていた。


 玄関は閉じられているが、普段の飛鳥なら寮監に見つからないよう裏口から入るなり、木を伝って二階か三階の窓から侵入するなり、その手段に困ることはなかっただろう。


 しかし、飛鳥がまともに動けない以上、必然的に俺が運んで飛鳥の部屋まで誰にも気づかれることなく送り届けるという運びとなった。


 ある意味、自業自得で起こした一連の流れ。男なら夢のシチュエーションだと喜ぶべきなのだが、実際には見つかれば大事だとヒヤヒヤしながら寮内を歩き回るのはそれほど色気のあるものでもなく、むしろ飛鳥の手足が回復するのを待ってから送った方が楽だということに寮を出た後で思いついた。


 そんな自分の気の回らなさと女子寮でのチキンぶりにかなり凹みながら部屋に戻ると久しぶりの学園生活の疲れからか制服のままベッドへダイブ。即、泥のように眠った。そして、転校二日目。寝坊で盛大に遅刻してしまった。俺はすでに三時間目まで消化している教室へと駆け込んでいく。


 今さら無駄な努力とわかっていながら、大目玉をくらう覚悟で教室に入ってみると昨日の焼き増しように無機質な授業が行われていた。遅刻を謝罪する俺を担任はそうですか、の一言で状況終了とすると淡々を授業に戻る。


 あまりにもあっさりとしすぎていてどうしていいものか悩んだが、だからといって立ったままでいいわけもなく、大人しく席につく。クラスメイト達はそんな俺に昆虫でも見る様に一瞥すると何事もなかったように黒板へとその視線を戻す。まぁ、おまえらはそうだろうよ、と呆れる気すら湧いてこない。


 そんな気まずい中での授業が終わり昼休みに入る。昨日の今日で食堂へ行くのもかなり気が引けるのだが、起きてから何も口にしていない。このままでは午後の授業に身が入らないと言い訳し、教室を出ようとすると制服の中の携帯がメールの着信を知らせてくる。開いてみると送信主に瞳子の名前。これまた昨日の今日で少々会うには微妙な相手だな、と内容を見てみると、


 昨日の教室で待つ。すぐに来なさい。


 と、簡潔な文面。その気まずさから授業中あまり目を合わせないようにしてきたのだが、そんなこちらの逡巡などお見通しとばかりのタイミング。


「……いくしかないよな」


 足取り重く、待ち合わせ場所へ向かう。なんか最近こんなんばっかだな。


「──これを生徒会室までお願い」


 待ち合わせ場所である空き教室に入るや否や、そう言って俺に分厚いファイルを手渡す瞳子。何かあるまでは現状維持じゃなかったのか? そんな軽口も叩く間もないくらいあっさりというか、まるでこの学園の空気に染まってしまったかのような事務的、無機質な対応。


「これは?」


「入寮の手続きよ。寮の管理も生徒会の範囲だから書類の提出も生徒会宛てになるの」


「……こういうのって、事前に提出するものじゃないのか?」


「入学や編入といった外からの対応は学園の領分。入ってからの対応は生徒会の領分、つまり寮の手配までは学園側の範囲だけど、実際の手続きは入学してから生徒会でする必要があるのよ」


「それって効率悪くないか?」


「学園内の自治を生徒会が一任されている以上、仕方のない部分よ。生徒会に外への対応を任せるのは流石に拙いけれど、一旦学園内に入ってしまえば生徒達は郷に従わざるを得なくなる。そもそもある程度わかっていて入学したのだから、"そんなつもりじゃなかった"なんてのは通用しないし、させない。運営の面では効率が悪くても、学園の理念や対外的な対応の面では理に適っているわ」


 なんか悪質な契約みたいな話だな。


「そういうのを売りにしたつもりはないって言わなかったか?」


「したつもりはないわよ。ただ、この学園ではそういうシステムだったというだけの話。所詮、効率がいい、悪いは個人の物差しよ。それとも、世の中にある全てのシステムが効率的だとでも? それ以前に効率が絶対の価値だと誰が決めたの?」


「いや、わかった! 俺が悪かった!」


 こいつ相手に口で勝てるわけがないのに懲りないな俺。


「とりあえず、これを生徒会に渡すのはわかったが、……生徒会室に行けばいいのか?」


「ええ、そう。簡単でしょ?」


「んで、生徒会室ってどこにあるんだ?」


「生徒中心のこの学園で最も権力を持っている生徒会の部屋よ。当然──」


 そう言いながら、おもむろに天井を指差す瞳子。


「──この建物の一番高いところにあるわ」


「屋上か?」


「青空教室じゃないんだから」


 鼻で笑われた。


「とりあえず、上に向かって行けばたどり着けるわ」


 そんなアバウトな。


「本当に大丈夫なのか?」


「上を目指していけば嫌でもわかるわよ。ほら、さっさと行った、行った」


 しっし、と追い払うように手を振る瞳子。


「……わかったよ。じゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃい。……くれぐれも生徒会と揉めちゃ駄目よ」


 生徒会室に向かおうとする俺に瞳子が思い出したように釘を刺す。昨日と言っていることが違うぞ。というか、残念ながらその保障はできない。なぜなら──


「──もう生徒会に目をつけられているはずだもんな」




 入寮手続きのために生徒会室に向かうことにした俺。とりあえず上の階を探したわけだが、結局たどり着いたのは屋上だった。


「絶対、ここじゃないよな」


 屋上には備えつけのベンチが置いている以外、特になにもない。


「……屋上はどこの学校でも変わらないな」


 当然といえば当然の話だ。屋上に個性を求めても仕方がない。何気なく景色を見ているとふと気づく。


「あれって、昨日の夜、俺と飛鳥がいた場所だよな」


 学園は日原山の中腹あたりを切り開いて建てられている。その屋上から見る景色は右手には一面の海と高原駅を中心とした天乃宮の系列会社が展開する巨大ショッピングモールが、そして左手には飛鳥と闘った舞台である学園裏に整備された公園を含めた日原山の山頂部がなにに阻まれることなく一面に展開される。まるで一枚の絵画のようだ。


 そもそも、なんでこんな山の中に学園を建てたのか。それは教育とは外界から離れた場所で行うのが理想的というのが理由らしい。


 外の世界と切り離し、環境を強く意識させることで学校が本来持つ学び、競い、そして育まれるという効果を引き出すのだそうだ。だから、日原市にある天乃原学園の姉妹校もここの様に、都市部として開発されていない地域に建ててあるとのこと。……不祥事があっても、もみ消しやすいとも。まぁ、これら全て瞳子の入れ知恵なので、あぁそうとしか言いようがない。


「しかし、もったいないな。こんな景色で昼メシなんて最高だろうに」


 高原市は海と山に挟まれ、その間には適度に発展した都市という絶妙なバランスを保っている。田舎のように自然は多いが不便だということもなければ、都会のように便利だがどこか気疲れすることもない。ここはそんな場所。


 その瑞々しい自然とそれに調和した都市を望める屋上はとても魅力的なスポットだ。ここで昼食が食えるなんてとても贅沢だと思う。しかし、昼休みであるにもかかわらず生徒が一人もいない。


「それは屋上が一般の生徒の立ち入りを禁止にしているからさ」


 後ろから誰かが俺の独り言に答える。振り返って見るといつの間に来ていたのか、飛鳥が屋上の入り口に背を預けていた。どうやらここで昼食をとるようでその手には弁当がある。


「……弁当?」


「あぁ。普段は一人で昼食を摂っているんだ。ああいう集まりは苦手でね。昨日だって生徒会の強制参加さ。……ん? これでも家事は一通りできるぞ。中でも料理は得意なんだ」


 意外だ。


「意外そうだな」


「……頼むから、無表情で睨まないでくれ。かなり怖ぇよ!」


 ビビリが入る俺に、冗談だ、と短く返すと備え付けのベンチに腰掛け、弁当の包みを広げる飛鳥。弁当の中身はきんぴらごぼう、玉子焼き、ほうれん草のお浸し、鳥そぼろご飯。空腹のせいか、敏感になっている嗅覚が恨めしい。嫌でも美味そうな匂いを嗅ぎ取ってしまう。見た目からして美味そうな出来栄えだとわかる昼食を黙々と口へと運ぶ飛鳥の一挙手一投足から目が放せずにいると、さすがに視線が気になるのか、箸を置いて俺の方へと向き直る。


「それで……、どうしたんだ? こんなところで」


「入寮の手続きで生徒会室に行くところ……なんだけど、どういう訳かここまで迷ってた。なぁ、飛鳥。生徒会室って、どこにあるんだ?」


「上に行けば、わかるはずだが?」


 それ、瞳子も言ってたよ。


「それじゃあ、わからないんだって!」


「……そうか、おまえは昨日転校したばかりだったな。ならば、知らなくても無理はないか」


 そう言うと、飛鳥は自ら背にしている屋上の入り口――正確には、その少し上を指差した。指された方に目を向けると一階分のスペースがある。景色に見惚れていてまったく気がつかなかったが、どうやらあそこが生徒会室のようだ。


 瞳子の雑な指示はともかく、なるほどたしかに上へ上へと目指していけば候補は絞られ間違いようがないだろう。屋上に出た時点で景色だけではなく、少し周りに気を配っていれば見つけられたかもしれないとすると迂闊と取られても仕方がない。


「だけど、この屋上に続く階段以外にそれらしきものなんてなかったぞ。この屋上にも建物へ上るための手段がなさそうだし」


「生徒会の権限が強いこの学園では一般の生徒だけでなく教師ですら立ち入りを生徒会が禁止している場所がいくつかある。その一つが生徒会室だ。生徒会室には専用のエレベーターからしか入室できず、生徒会関係者に配布されたカードキーを使わなければ、エレベーターも動かない」


「じゃあ、ダメじゃないか」


 そんなカード持ってないし。


「いや、用事があるなら話は別だ。エレベーターには直通の通信機器があるから用件を伝えるだけで事足りる。それに入寮の手続きといっても書類を窓口に渡すだけだから、入室すら必要ない」


「そうなのか?」


「ああ。……すまないな。本来ならついて行くべきなんだが、そういうわけにもいかないんだ」


「気にしなくていいって。とりあえず、行ってみるよ」


 わざわざ昼食を中断させてまで、ついて来て貰うほどのことでもないし、カードキーを他人に貸すなんて信用問題だ。当然である。


 さて、急がないと俺も昼メシにありつけない。飛鳥に感謝しつつ屋上を出ようと入り口へ向かう。


「……待て」


「?」


 振り返ると飛鳥がこちらを真っ直ぐ見つめている。


「異能者であることを隠してこの学園に来た理由を詮索するつもりはない。だが、気をつけろ。生徒会にはもう一人戦えるやつがいる」


「それは彼女のことか?」


 その言葉で思い当たるのは、昼食の時に飛鳥と共に会長の脇を固めていた銃刀法違反の女生徒ただ一人。むしろあんな物騒な子が非戦闘員だったら、そっちの方がビックリだ。


「そうだ……生徒会書記、真田凛華」


「なんで教えてくれるんだ?」


 生徒会の人間なのに。


「デキの悪い兄と姉のよしみといったところだ。あるいは昨日の夜の借りを返す代わりでもいい」


「借りって、女子寮まで送った件か? いや、あれはある意味役得──」


「そっちじゃない。……身の上話を聞かせた上に負かされて、さらには慰めのおまけ付き。借りの山からようやく一つ返済のめどをつけたんだ。遠慮なく受けるのも男の甲斐性だぞ」


 俺の戯言をさらりと訂正する飛鳥。なんのてらいもなく恩義と感謝を込めた好意を示す彼女を前に、バカな発言をしかけたのも相まって無性に気恥ずかしくなり思わず目を逸らしてしまう。


「……そんなもんかね?」


「そんなもんさ。……頑張れよ」


 そうどことなく不敵に笑む飛鳥に俺は軽く片手を挙げ屋上を後にした。




 飛鳥と屋上で別れてから、飛鳥の助言通りにエレベーターを探してみる。屋上から見た位置から考えると階段の近くにあると思ったので少し周りに目を向けると、それはすぐに見つかった。


「これか」


 エレベーターと聞いていたので俺はてっきりマンションやデパートにあるような無骨というかシンプルな感じのやつだと思っていたが、まるで一流のホテルにあるような豪華というのか、悪趣味にならない程度に金がかかっていそうなエレベーターだった。


 利用する者に圧迫感を与えさせない気遣いの設計からか、ドアはステンドグラス風のガラス張りにされていて(当然、強化ガラス)、そこから薄っすらと見える内部はかなり広く、バク転しても十分に余裕があるスペースがある。いや、中に入ってもやるつもりはないが。


 外側もガラス張りでそこから見える山側の景色は屋上から見るのとはまた違った趣がある。一部の生徒だけが使うエレベーターにしてはかなり贅沢な造りだ──などと、いつまでもモノローグしている場合ではない。さっさと用件を済ませようと思い直し、エレベーターに備え付けられたインターホンで呼び出してみる。


「いったい、なんの用だ? このエレベーターは一般生徒の使用を禁じている。さっさと立ち去れ」


 こちらが用件を言う前にいきなりの門前払い。いくらなんでもこの応対はないだろう。多少、カチンとくるがここで揉めても仕方ないと思い直し、マイクに口を寄せる。


「入寮の手続きにきた。生徒会室に取り次いでくれ」


 言葉と共に本当に用事があると示すべく、監視用に設置されたカメラから見えるようにファイルを差し出す。だが、なぜかあちら側の反応が鈍い。


「それがどうした?」


「それがどうした? って、入寮の手続きは生徒会の仕事のはずだが?」


「ただの一生徒の分際で意見するとは生意気な! いかに学園が受け入れをしたとしても入寮を認めるか否かは生徒会の領分だ。つまり今この瞬間、お前は寮に入る資格はなくなった。わかったらさっさと帰って、寝床を確保することだな」


「……おい、そこのカメラ越しで偉そうにしてる生徒A」


「なっ、なんだと!」


「おいおい、この程度、悪口にもならねぇぞ。たかが一生徒の一言くらいで熱くなンなよ。底が知れるぞ? というか、さっきから妙に偉そうだけど、いいのか? 勝手に客を追い返して。お前にそんな権限あるのかよ。つーか、そんな権限ある奴がいくら生徒会室直通のエレベーターとはいえ、応対係に回されるとは思えないんだけどなぁ。で? 実際どうなんだよ。カメラのレンズ越しで偉そうにしているその他A」


 散々言い倒してから素に戻る。……うわっ、俺、大人げな! 数分前に揉めないよう自戒したのは誰だったのか。この期に及んで生徒会にケンカを吹っかけるのを躊躇しているわけではないが、少なくともこれで完全に生徒会室に書類を通してはくれないだろう。寮のことを瞳子になんて言い訳しようか、と内心頭を抱えていると、


「──なにをしている」


 聞き覚えのある神経質そうな声と上から目線の言い回し。振り返ってみると、そこには昨日、食堂で揉めた男子生徒(そういや、名前聞いてないな)と刀を持った生徒──生徒会書記、真田凛華がいた。


「……たしか転校生の御村だったな。このエレベーターは生徒会関係者しか使用を許可していない。一般生徒は階段を使うように。……それとも生徒会になにか用か?」


 男子生徒とは対照的な落ち着きがありながらも相手の気を引き締める声質で問う真田凛華。この子も飛鳥に負けず劣らず個性的な生徒のようだが、レンズの先にいるデクの坊や横のヒスよりは話がわかりそうだ。

「あぁ、入寮するための書類を提出しに来た……ん…だけど……」


 そこから先は一応、生徒会側の人間である彼女に話していいものか迷うが、俺が言いよどんだ理由に察しがついたようだ。


「……なるほど。部下が門前払いしたようだな。部下の非礼を謝罪しよう。……すまなかった」


 そう言うと、無駄のない動きでこちらに向かって頭を下げる真田凛華。自分とは無関係であるはずなのに潔く謝罪できる彼女に少々うろたえる。だが、そんな俺以上に驚いていたのは隣にいた神経質そうな生徒(名前を聞いてない)だった。


「さ、真田さんっ! なんでこんな一般生徒に頭を下げるのですか! こんなのにそんな必要はありませんよ! 大方、応対係が不審に思って通さなかったのをこいつが一言余計なことを言って、話がこじれただけです」

 ……こいつ、意外と勘がいいな。


「例えそうだとしても、生徒会の人間による高圧的な言動は最近、度を越えている。それが元でのトラブルも少なくない。まして、生徒を管理するためにあるはずの生徒会が入寮の手続きに来た生徒を追い返すなんて生徒会の窓口として問題外だ」


 おぉ、まともな意見だ。生徒会にも話のわかる子もいるんだな。


「ついてこい。生徒会室に案内しよう」


「いいのか? 手続きというか、提出するだけでいいって聞いてたんだが。生徒会室には一般生徒は立ち入り禁止になっているんだろ?」


「そうですよ! そもそもこいつは生徒会に対する態度に問題があります! それに副会長をあろうことか“要芽ちゃん”などと! 要芽ちゃん! あぁ、なんてうらやまし……いやいや、なんという侮辱! こいつは生徒会の──」


 神経質そうな生徒(名前を聞いてない)が割り込んでまくし立てる。だがそれを──お約束とばかりに──無視して、学生証を取り出すと電子マネーで会計を済ませる要領で脇にある読み取り機にあてエレベーターの扉を開錠させ、そのままエレベーターに乗り込む。


 ──先ほどの対応、どういうつもりか後で聞かせてもらうぞ、と監視カメラの先にいる応対係へひと睨みした後、よほど恐れられているのか、ひぃ、などと喉を引き絞ったような声が聞こえる──その視線を乗らないのか? とばかりにこちらへ向ける。……ここで遠慮しても話は進まないか。待たせるのも失礼だしな。


「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 恐縮しつつエレベーターへ。神経質そうな生徒(名前を聞いてない)にまたなにか言われるのかと身構えたが妙に静かだ。見れば、さっきまくし立てた位置から一歩も動かず、なにやらブツブツ言っている。


「要芽ちゃん……いやいや、恐れ多い。要芽さま……要芽さん……要芽ちゃま……要芽っち……要芽……要芽……要芽!」


 呼び捨てにしだしたよ! しかも、なんか悦に入ってるよ! そんな神経質そうな生徒(名前を聞いてない)を置き去りにエレベーターの戸が閉まる。


「……いいのか? あれ」


 色んな意味で……。


「……なんのことだ?」


 存在すら無視したよ! ……まぁ、いいけどな。

 いろいろあったがこれでやっと当初の目的を果たせそうだ。生徒会へと続くエレベーターはその高級そうな見た目に反せず、スムーズに窓の隅から見える屋上を越えて、およそ二階分の高さを昇っていくとこれまた音一つ立てずに止まった。どうやら生徒会室がある階に着いたようだ。


 エレベーターから出るとこれまた別世界のような内装の廊下が姿を現す。エレベーターが高級ホテルのような造りなら、生徒会室のあるフロアはまるでどこかの宮殿だ。

「おぃおぃ……」


 もう笑う気も起きない。言っちゃあ悪いが、金銭感覚おかしいだろ……これ。


「生徒会室はこっちだ」


 予想がついているのか、こっちのリアクションに取り合うことなくスタスタと先へ行く真田凛華。


「クールだ……」


 彼女の背にはそんな感想がしっくりくる雰囲気が漂う。……本当にこの子、高校生か? 高校時代の俺や瞳子より、ずっと大人っぽいな。


「っと」


 いつまでも立ち止まっていては、置いてけぼりをくらいかねない。慌てて、に追いすがる。……やっぱり、情けないな、俺。


 そんな俺に構わず、先に進んでいた真田さんは、数ある部屋の中でも一回り大きい扉の前で立ち止まる。どうやら、そこが生徒会室らしい。生徒会室のドアは一応、どこにでもある普通の作りだった(と言っても“普通”の高級住宅での扉という意味で)。だが、なぜか真田さんはドアを開けようとして、そのまま止まっている。


「どうしたんだ?」


「……」


 なにか真田さんの機嫌を損ねたのか? と、不思議に思い、俺が近づくのと同時に真田さんが背を向けたまま俺の方へ歩み寄る(というか後ろに下がった)。俺と真田さんが互いに近づき、そしてすれ違う。


 つまりは、それぞれの立ち位置が入れ替わり、今度は俺が生徒会室のドアの前に立ったわけだ。丁度いい、このまま生徒会室に入らせてもらおう。ドアをノックし、ノブに手をかける。


「失礼しま──っっぶ!」


 突然、生徒会室のドアが開き、中から誰かが出てくる。入り口の前に立っていた俺の顔面にドアの角が直撃。あまりの衝撃にたまらず、のたうち回る。


「っ──」


「そこに立っていたら危ないぞ」


 真田さんが俺に向けて言う。遅いよ! あー、目がチカチカする。涙出てきた。


「うっ……」


 涙で滲んでよく見えなかったけど、出てきたのは女生徒のようだ。──これはスカートで判断できた──女生徒は俺を見て驚いていたようだが、きびすを返してそのまま俺達が来た方へと走り去る。……なんなんだ、一体?


「騒がしいわね」


 生徒会室から声がする。この声は聞き覚えがある。これは──


「生徒会長」


 目を向けると生徒会室の奥の席でくつろいでいる女生徒。……この学園の暴君とされる天乃宮姫子。


「あら? あなた。……たしか御村優之助だっけ?」


 あまり人の顔を憶えていなさそうなタイプだが(←かなり失礼)、さすがに昨日の今日だったためか憶えていたようだ。


「……無事そうね」


 これのどこが無事なんだよ。それはさておき──


「──さっきの子はどうしたんだ? なんか泣いてたけど」


 そう、さっきの女生徒、涙でよく見えなかったけど、泣いているように見えた。


「最近、体のあちこちがこっているからあの子にマッサージを頼んだの。そうしたら、全く効かなくて、この役立たず! って、言ったら出て行っちゃった」


「おいおい、マッサージくらいでそこまで言わなくてもいいだろ」


 というか、一女生徒にマッサージさせんな。


「なに言っているのよ。あの子、そのためにわざわざこの学園に呼んだのに」


 ……なんですと?


「あの女生徒は有名なエステティシャンの娘で、本人も幼いころからその道に進むことを選び、その技術を若くして叩き込まれたその道の有望株だ。それを聞いた生徒会長がこの学園に入学させた。させた、と言っても無理やりにではなく、この学園の施設を提供し、そこで一般生徒を相手にエステの営業を許可した。本人に経験を積ませるためと将来の顧客の獲得の二つの利点であちら側も了承している」


 後ろにいた真田さんがそう注釈してくれる。そういう問題かよ! というか、エステってあんた、若いんだからいらんだろ。いや、そもそもいくら技術があるっていっても、ああいうのって医療かなんかの知識なり、許可なりが必要じゃなかったっけ? 頭の中で様々な突っ込みがよぎるが、


「いくらなんでも役立たずは言いすぎじゃないのか?」


 と、無難なことしか言えない俺はやっぱり腑抜けなんだろう。


「そのために呼んだのに期待外れなら仕方ないでしょ? ……結果、退学になってもね」


 意地悪くそう嘯く生徒会長。俺をからかってその反応を見て楽しもうとしているのが、嫌みなくらいに明らかだ。だからからこそ、俺が打つべき手は一つだ。

「それじゃあ、こういうのはどうだ? もし、俺が君にマッサージをして満足したなら、さっきの子を許してあげる──ってやつで」


 さすがにこの申し出には予想外だったのだろう。生徒会長は驚いたように目を見開いていたが、再び意地の悪い笑みを浮かべる。


「……じゃあ、もし私が満足しなかったら?」


「後ろの真田さんにボコられる、ということでどうだ?」

「それじゃあ、つまらないから胴を輪切りにされてね」


 つまり、死ねと?


「はいはい、わかったよ。とりあえず俺に任せてみろって、これでも結構自信がある」


「相当な自信ね……」


 俺の妙な落ち着きが気に食わないのだろう。まるで『売られたケンカは買ってやる!』と言わんばかりに反発する生徒会長。……予想通りの反応だ。


 その勢いのままを返し、その先に用意されていた寝台──おそらく、さっきもここでマッサージを受けていたのだろう──へとうつ伏せに寝転がる。


「先に言っておくけど……」


「なに? 言ったそばからもう言い訳?」


 にべもない調子の会長。望ましい展開にはなったが、こんな喧嘩腰では折角のマッサージも効果を成さない。よって、体の方には黙っていてもらおうか。


「……今からマッサージを始めるわけだが、少しの間、体が動かなくなると思う。だから、問題はない、と言っておく──よ!」


 おもむろに下ろした手が腰の骨を探り当てると、両手を添える。


「なにを言って……えっ、う、動かない」


 添えたを中心に肩、太腿、肘、膝、手首、足首、そして指先、爪先。触れた箇所に近い部位から麻酔が効いていくように会長の意思を離れ、機能を停止させていく。


「だから、そうなるって言ったろ? 筋肉を強制的に脱力させただけだ。心配するな」


 料理で言えば、下ごしらえのようなもの。丁度、肉を柔らかくさせる作業なので、その点ではピッタリな表現かもしれない。


 軽く小突き、身じろぎほども抵抗できないのを確認してから、ようやくマッサージを開始する。炎症を起こしかけていた筋繊維の腫れを沈静化させ、同時に、患部を刺激させないようコントロールしながら、滞った血の流れを全身に行き渡らせる。昨日の夜に飛鳥に施したのと同じ要領で、会長の体に溜まる疲労や炎症から回復させていく。


「ん……そういえば、どことなく体が楽になったような」


 どうやら、納得してくれたらしい。唯一動く口も大人しくなる。


「しかし、会長って」


「……なによ」


「意外と苦労しているな」


「どういう意味かしら?」


「会長の足の筋肉、かなり酷使されている。……相当歩き詰めている証拠だよ。腕も腱鞘炎一歩手前って、ところかな。なにをしているかは知らないけど、かなり無茶しているのがわかる」


 ここまで疲労しているのならマッサージを頼みたくなるのも無理はない。しかし、いくら有望といっても経験の足りない子に頼むのはちょっと荷が重すぎた。会長はそういうレベルまで体にムチ打ってきたというわけだ。


「……ふんっ!」


「それはそうとして」


「……なによ?」


「どうだい? 具合は」


「まあまあね」


「それって満足してないってこと?」


「…………意地悪ね」


「素直じゃない妹が二人もいるからな……。素直じゃない子には意地悪したくなるんだ」


 ガキ大将じゃあるまいし、自分で言ったことに苦笑するしかない。


「……続けてちょうだい」


 あまり受身な状況は好まないようで、先ほどから少々不機嫌というか、不貞腐れている感じの会長。横柄さは相変わらずだが、微妙に可愛らしくもある。……こういうのをサラリと受け流すのが大人の対応だよな。


「ではお言葉に甘えて……」


「変なところを触ったら、凛華が斬るわよ」


 後ろで真田さんが刀の届く範囲に立っているのはそういうことですか。


「……気をつけるよ」


 俺だって、そんな理由で斬られたくない。気を取り直して──雑念を振り払いつつ──マッサージを続ける。


「んっ……んんっ……っは……」


 凝り固まった部分を解きほぐしてやる度、気持ちよさそうに声を上げていく会長。マッサージを施している側としてはうれしい反応ではあるけど──


「ぅん……だっ大丈夫よ……変な事は……っ……されてない……」


 その一言で誤解の解けたため、大人しく鞘に戻っていく。刃と皮の間にひとすじ流れるのは冷や汗か、それとも血潮なのか、怖くて首元を見る勇気がない。


 ──まぎらわしい、真田さんの唇からため息混じりの呟きが聞こえる。……俺、なんも悪くないよね?


 その後も会長さんがくぐもった声を出すごとに後ろの真田さんが"わかりやすく"鍔鳴りを響かせるものだからこっちとしては生きた心地がしない。そんな俺とは対照的に今や完全にリラックスし、マッサージを堪能している会長が少しだけ憎い。


「その調子でお願い。……ああ、それと、御村優之助。あなたに聞きたいことがあるの」


「なんだ?」


「桐条飛鳥さん……憶えているわね? 生徒会会計の。あの子、さっき生徒会室にやって来たと思ったら、いきなり"生徒会を辞める"なんて言い出して、生徒会の支給品一式を返しに来たのだけど……あなた、何か知らない?」


「……なんだと?」


「だから桐条さんが、生徒会を辞める、って言ってきたの」


「……」


 そんな……、さっき会った時には何も──


 ──すまないな。本来ならついて行くべきなんだが、そういうわけにもいかないんだ──


「──あれはそういう意味か」


「多分、知っていると思うけど、昨日の放課後にあなたを"矯正"するように命令したの。だから、辞める理由を知ってそうなのはあなた位なの」


 悪びれもせずに言いやがったよ。


「桐条さんのことだから、昨日の晩には行動を起こしたはず、でもあなたも桐条さんも怪我らしい怪我をしていない。……それが不思議なの。一体、あなたどうやって桐条さんを退けたの? 説得? 懐柔? それとも平井さんのように誑し込んだ?」


「おい」


「冗談よ」


「あす──桐条はどうなるんだ?」


「このままじゃ生徒会どころか学園も辞めることになるかもね」


「どうすればいい?」


「そうねぇ……なら──」


 その後に続く会長の要求に、当然ながら呑むしかない俺は一にも二にもなく頷いてみせる。まるでドミノ倒しのように次々と、あるいは徐々に巻き込まれているのを肌で感じながら。




「──いいのか?」


 あの後、会長へのマッサージを一通り終えて、生徒会室から出ようとする俺を律儀にも外まで見送ってくれた真田さん。その道中での|“いいのか”(問い)にわざわざ付き添いがついた理由を察して頷く。


「いいもなにも、飛鳥のことは俺にも責任があるし……」


「会長が桐条を退学させるつもりも、生徒会を辞めさせるつもりもないのにか?」


「それでもだよ」


 会長はあの時、辞めさせるとは一言も言っていないし、そもそも生徒会を辞める=退学というわけではないのだから、俺への挑発だということは明らかである。しかし──


「飛鳥は自分の決めたことを簡単には曲げない。会長にそのつもりがなくてもな。このまま話がこじれたら最悪、本当に飛鳥は自ら退学しかねない」


 この学園に来た経緯を知っている俺としてはむしろ、そちらの可能性が高いと踏んでいる。


 それに対して真田さんは、そうだな、と一言。どうやら、ある程度の事情は知っているらしい。


「その決断を曲げさせるにはそれ以上にこっちが真っ直ぐに行動する必要がある」


 正確に言うなら真っ直ぐに──ではなく、なんとも強引なやり口なのだが。しかし、こっちが辞めさせないように行動を起こせば自分より他者を大切にする飛鳥は自分から辞めるという選択はしない。ズルイ取引ではあるが、むざむざと飛鳥を辞めさせるよりかはマシだ。


「それで、あの条件を呑んだということか」


 真田さんが呆れがちに言う。


「別にそう無茶な要求でもなかったしな」


 条件の対象となる相手を前に挑発する。


「なるほど、もう始まっている、ということか……いいだろう。それでは明日」


 そう言って、生徒会室へと戻っていく真田さん。一部の隙もなく去っていく真田さんを少し見てから俺もエレベーターへ乗る。


「あぁ、それと……」


 エレベーターの扉が閉じようと動いたその時、思い出したかのように振り返る真田さん。


「いつの間に名前で呼ぶようになったんだ?」


 絶妙のタイミングで扉が閉まり、下の階へと動き出す。……わざとですか真田さん?



   *



「……言うだけの腕はあったわね」


 ウソみたいに軽くなった体を解しながら山積みされた今日の分の報告に一つ、一つ、目を通す。御村に無茶と言われたけど、休んでいる暇はない。


 こう見えて──これでも他人からどう見られているかくらいわかっている──この学園の生徒会長は忙しい。生徒会室だって、伊達や酔狂で監視付きのエレベーターでしか入れないようになっているわけじゃない。生徒会役員にはそれだけの責任と機密がついてまわるのだ。


 内容のチェックを八割ほど終えた頃、生徒会室にノックの音が響く。会計が戻ってくることはない、副会長はノックをしない、と推理せずともタイミング的には一人しかいない。


「ただいま戻りました」


「どうだった?」


 御村を律儀に見送りに行った凛華にそう声をかける。


「どうとは?」


「いろいろあるけれど、とりあえずは本当に条件を呑むつもりかどうか……かしらね」


 売り言葉に買い言葉ってこともあるし。


「見た限りでは、少なくとも約束を軽んじるような人物とは思えません。そういう意味ではまず間違いなく受けるでしょう」


「でも、あれ、かなり冗談入っているわよ? 特に桐条さんを辞めさせるってあたり」


 生徒会としてもあれだけの人材をみすみす辞めさせるつもりはないし、私自身、本当に桐条さんを気に入っている。


「御村は気づいていたようです。それでも話は受けると……」


「なんで?」


 それはおかしいのでは? だったら、条件を呑む必要がないはず。


「例え、私達が桐条を辞めさせるつもりがなくても桐条本人が納得しないと……。本人を納得させるには自分が辞めさせないように行動するしかないと言っていました」


「へぇ、他人のためにわざわざ自分を困難な道へと踏み入れるなんてね」


 今時珍しい、実を言えば私が桐条さんを気に入っているのはそういうところだ。どうやら御村も同類のようだ。


「でも、条件を呑むってことはかなり自信があるってことよね?」


「そのようですね。私を前にそう無茶じゃないと言ってのけました」


 表情は平静だけど、目は笑っていない。……ちょっと怖いわよ、凛華。


「凛華の強さを知らないから言えるのか、相当に自信があるのか、……あぁ、そういえば」


 私は思い出したように手元にあるファイルを凛華に見せる。


「それは?」


「御村が持ってきた入寮の手続きの書類よ。……それだけじゃ、なかったけれど」


 ファイルの中はたしかに入寮手続き一式だったのだが、それに紛れて昨日の夜にあった出来事が報告書として挟まっていた。誰の差し金かは置いといて、当事者に持ってこさせるなんてかなり性格が悪い。


 報告書によると、やはり桐条さんは昨日の晩に行動を起こしていたらしい。詳細はわからないけれど、御村は桐条さんと一戦を交え、そして勝ったらしい。一見したところ、怪我らしい怪我を負った様子もなく。つまり、御村もかなりの使い手のようだ。でも、そんなことはどうでもいい。むしろ、その後に書かれていることの方が重要で、それ以上に不可解だった。


「──!」


 さすがの凛華にも驚き──というよりは困惑か──が見て取れる。私も同じ感想なので、その気持ちは嫌でもわかる。


「まったく、どういうつもりよ──平井さん」


 ファイルに入っていた報告書。その報告書には、にわかに信じられない報告と共にわが副会長のサインが入っていた。

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