転校初日

 高原市に来てから二日目。それはつまり、天乃原学園での高校生活初日を意味する。


 結局、昨日の午前中は町と山道を歩きっぱなし、午後は事前に寮に送った荷物の荷解きに追われて、一日が終わってしまった。本当なら昨日の内に学園内を回っておくつもりだったのだが、完全に予定が狂ってしまった。


 瞳子のやつがちゃんと迎えを寄越していたら、と思うべきか、瞳子の性格を読んで手を打たなかった、と反省すべきか、どちらが精神衛生的にいいのだろうか?


 そんな予定外の行動と生産性のない考えに追われ、体と心は疲れに疲れきっていたが、新しい生活への緊張のためか一睡もできず、結局眠りに落ちたのはもう朝といっていい時間帯だった。そのせいで記念すべき高校生活を寝坊で遅刻寸前という朝からせわしないスタートを切ることになってしまった。


 おざなりに掛けてあった制服を無理やり着込み、朝食を食パン一枚咥えて出るという今時どこのラブコメでもやらないであろう一場面を演じながらひとまず職員室へと大急ぎで向かう。


 寮を出て十五分ほどで着いた職員室では他のクラスの担任が出払っている中、ただ一人初老の男性が俺を待っていた。なんというか、窓際で定年までひっそりしてそうな──かなり失礼だが──印象で初日からギリギリまで来なかった俺を特に責めることもなく、淡々と教室へと向かう姿に正直かなり肩すかしをくった。道中、二言三言場繋ぎとばかりにたわいない質問を交わし、そうこうしている間に目的地である俺の編入した二年C組の教室に到着する。


 ──出席を取ってから紹介するからここで待っていてほしい。そう言い残し、教室にとっとと入っていった担任に従い、教室から聞こえる淡々とした担任のホームルーム進行をBGMに大人しく出番を待つ。


 余談だが、俺の転校時期はあまりタイミングがよろしくない。ファミレスでもそのことに触れたが、あと三日ほどで春休みなので編入してもあまり旨味はないからだ。目立つ云々もそうだが、春休みに入るとほとんどの生徒が帰省していなくなるため、調査もへったくれもない、というのも理由の一つだ。


 中途半端な時期の転校で悪目立ちする可能性を考えると、春休み期間中に転入すればよかったはずで、デメリットしかないのでは? とほとほと疑問だ。まぁ、俺にとって潜入時期はおろか目的そのものが二の次なので正直なところどうでもいいのだが、あまり仕事が出来ないというのもそれはそれで心苦しくある。


 そうこうしている内に出席が済んだのか入りなさい、とお呼びがかかる。その声に応えた声が震えてしまう。ここへきて、制服姿を大勢の高校生に見られるという現実が一気に襲ってきた。見た目の年齢幅が大きい時期であり、そもそも年をごまかして編入するなんて想像の外、まずバレることはない。


 しかし、バレないからといってコスプレだと自覚しながら衆目に晒されるのとは話が別だ。かといって立ち止まっていても状況がどうにかなるわけもなく、悪目立ちだけだ。逡巡は一瞬、悪態と共に捨て払い教室へと入る。


「失礼します」


 中に入ると当然ながら複数の視線がこちらに向けられる。視線はみな一様に無関心とわかる冷めたものだった。それが転入生が珍しくないことからくるのか、それ以外からくるのかはわからない。


 だが、なるほど瞳子が問題だと言ったわけがわかる気がする。その当人はすました顔で窓際後方にある席に座っていた。別段、驚きはしない。自分で監査役などと言っていたわけだし、同じクラスになるよう仕向けたのは想像に難くない。だが、わかっていたこととはいえ、すまし顔に少々イラっとする。


「……御村くん?」


 いつまで経っても無言な俺に不信なものを感じたのか怪訝な顔の担任になんでもないですと身振りで返し、自己紹介を始める。


「はじめまして、今日から二年C組の一員になる御村優之助です」


 そんな感じの出だしで始まった自己紹介は特に誇張することもおもしろくすることもせず端的に時宮という土地の出身であること、好きな食べ物が云々、果ては慣れない土地での生活に慣れるかどうか心配だのつらつらと並べていく。目の端で瞳子の体が慣れない土地の件で若干揺れた──たぶん笑いを噛み殺しきれなかったのだと思う──のを見て、これ以上は誰の得にもならないと判断した俺は、


「──これからよろしく」


 そう言って自己紹介を締め括る。そんな俺に向けられたお義理全開の短く、まばらな拍手がホームルーム兼転校生挨拶の終わりの合図となった。その後は用意された席(一つだけ開いていたのでそれが自分の席なのは予想がついたが、それが瞳子の後だったのは勘弁してほしかった)に座り、記念すべき天乃原学園、最初の授業を受けることになった。




「──こんな誰もいない教室に私を連れ込んでどうする気かしら? "転校生"の御村君?」


「打ち合わせだよ。"転校生"の当真さん」


 記念すべき初授業──といってもつい最近まで大学生だったわけでそこまで新鮮味のあるものではなかったが──からあけて初の休み時間、どうにか見つけた人気のない空き教室へと連れ込んだ瞳子の飛ばす頭が痛くなるような冗談をそっけなく返す。


 そんな俺にノリが悪いわねという表情を浮かべているが、こっちはそんなアホなやり取りをしている暇──話し合いにちょうどいい場所を探す道中でも白々しい小芝居が続いたせいでいらん時間をくっている──ない。とっとと話を進めたいところだ。


「休み時間だって無限にあるわけじゃないんだ。さっさと本題に入ろうぜ。お前だって、学園内でしょっちゅう俺に声をかけられるのは避けたいだろ?」


「……それもそうね」


 その一言で底意地の悪い同級生から当真家の責任者としての顔へと変わる。これでようやく実のある話に移れるというものだ。


「とりあえず学園に入り込めたわけだが、何から手を付ければいいんだ?」


「当面は生活に慣れてもらうために指示は設けないわ。まぁ、報告するような出来事があったら連絡は必須だし、明日いきなり何らかの命令を下す可能性があるかもしれないけれど、その時はその時よ」


「ずいぶんと適当だな」


「臨機応変といってちょうだい」


「……さいですか」


「あと、この先接触するのは原則禁止ね。連絡は寮の自室から通話かメールで。直接会う必要がある時は事前に決めた場所で会うようにする事。ОK?」


「ОKだ」


「それでどうだった? 久しぶりに体験する高校の授業は」


 切り替え早いな。話す事がこれ以上ないにしてもさ。


「その辺りはさほど感慨は湧かないな。中身は違えど授業自体は大学でも受けてきたわけだし、俺達の母校でもないからな」


「ま! 可愛げのないこと!」


 どことなく年寄り臭い仕草で口に手をあて心外とばかりにリアクションする瞳子。……おまえは近所のおばはんか。


「そういえば、ハルとカナは何組なんだ?」


「さあ?」


「さあ? って、お前……」


「だって、私はハルちゃん達に会うために来たわけじゃないもの。あくまで当真家の人間として学園内の問題を解決するのが目的。つまり、あなたとは優先順位が逆なのよ。退学にされるかもしれないというのも報告にそうあったからであって、具体的に何をしたかまでは知らないわ」


「ということは、あれか? 俺を信憑性があるかないかわからん与太話で煽るだけ煽って、あとは知らんと?」


「当真家が私に報告した内容よ。仮にガセや与太話だった場合、担当者は腹を切れって言われても仕方ないくらいの信憑性はあると思っていいわ」


「……信用するよ」


 瞳子個人ではなく、当真家の太鼓判だ。ガセだったら、報告した担当者が本当に腹を切らされるだろう。

「まぁ、そのあたりの事情は本人達に聞いたらいいんじゃない? いくら学園が広いといっても探そうと思えばできなくはないわけだし」


「そうだな」


 この学園に在籍していることには変わらないのだ、探そうと思えばいつでもできる。合間合間で他のクラスを覗きに回れば、すぐ見つかるだろう。


「まぁ、二人を探すのは当面禁止にするけどね」


「……何を言ってるんだ? おまえ」


 ついさっき、事情は本人達に聞けばいいと言っておいて探すのを禁止とは意味が分からない。


「下手にうろちょろされると困るの──わかるでしょ? 偶然会ってしまうのは仕方がないけれど、当分の間は普通の転校生として過ごして」


「転校生ならあたりを散策するのは不自然ではないだろう?」


「駄目よ。あなた結構迂闊な所があるから、普通だと思っていた行動が周りからするととんでもないことをしていることなんてしょっしゅうだもの」


「……信用ねぇな」


「ともかく学園に来たばかりだし、学園に溶け込めるように振舞って頂戴な」


 一理あるが、どことなくはぐらかされているような気がする。しかし、瞳子の方は話が終わったとばかりに教室から出ようとする。


「おい」


「次の授業の準備もあるし、話はここまで。とりあえず、なにかあるまでは現状待機でお願い。いいわね?」


 そう言い残して、本当に急いでいるていで──実際、授業を抜けるような真似はよろしくないが──俺の返事を待たず足早にこの場を去って行く。


「……」


 残された俺は、どうしたものか困ったが、ひとまず瞳子の言う通りにすることにした。


 唯々諾々と従うのは癪だが、学園に巣食う問題にしても、ハルとカナのことにしても、一日かそこらで解決するものでもないのだ、焦るよりも腰を据えてかかった方が得策だろう。


 そのためにまずは学園の状況をこの目と耳で確かめてからどう動くのか決めよう。そう結論付けるとタイミングよく休み時間の終わりを告げるチャイムが学園に響き渡る。


「(次の授業ってなんだっけ?)」


 ここから教室まで若干距離がある。ひとっ走りしないと遅刻になってしまう──そこまで考えてから、いくら高校生を演じる必要があるとはいえ、半ば本気で遅刻の心配をしている自分に妙なおかしさを感じながら慌ただしく教室を出ていく。もとより鍵がかかっていなかったとはいえ、放置しておくことに気が咎めながら。




 休み時間での手短な打ち合わせ以降、俺は授業を真面目に消化していく。学術都市として有名な高原市における教育の象徴である天乃原学園。学習内容はよほど特殊だと思われがちだが、その実、授業そのものは俺の現役時代と比べても生徒の授業態度以外の違いは見当たらない。


 そもそも、学園側は生徒達の学ぶことに対する集中力と忍耐力が入試の時点で学園側がほっといても受験や学校の勉強に支障をきたさないレベルであることを確認済みである。


 つまり学園側が掲げる生徒の個性と主体性の育成──生徒自身に学力を管理させることで主体性を伸ばす狙いがあるため、授業そのものに別段手を加える必要性がないということらしい。必要なことは自ら進んで学べということでも。


 強いて言うなら、国の定める学習指導要領(この時期、ここまで教えなさいよ、という基準)の範囲と大学受験対策用を効率よく授業時間内で進められるように工夫されているが、それが身についているかは全て生徒任せである。


 ならば、この学園の生徒達はここで学ぶ必要性があるのかと言うと結論としては"ない"。ただし、それは一般的に実施されている"学校の勉強"という意味で、である。


 天乃原学園は天之宮グループの教育機関。その学園に通う生徒は将来の社員であり、研究員であり、幹部候補なのだ。ならば大学入試を目的とした勉強よりも一足先に専門分野の知識と社会性を学ぶ方が生徒やその生徒を欲しがる受け入れ先にとってはメリットがあるというわけだ。


 つまり、天乃原学園や学園で学ぶ生徒達にとって、授業は生徒のプライベートな時間を"無駄な勉強をさせないため"にするものであって、重要なのは"選択授業"や"部活動"というていで行われる新人教育なのだ。部活動が全てそういう目的というわけではないが(天之宮の系列には社会人野球や実業団のある企業もあるので広報活動の一環と考えるなら完全に切り離すのは無理だが)、選択授業の方は完全に"それ"である。


 あいにくというか、本日組まれた時間割にはそれら特別なものはなく、ごく普通のなんの目新しさもない授業──といっても中身そのものはとてもわかりやすく一流の進学校にふさわしいものだった──を流していくにつれ次第に教壇で自己紹介した時のような緊張感が薄れていった。


 そのせいか、というかそのせいだろう。俺は初日早々、厄介ごとに巻き込まれてしまう(瞳子に迂闊だと指摘されたばかりの出来事でなんともバツの悪い話だが)。それは昼食のために寄った食堂でのこと……。




 天乃原学園の昼食──というより三食全てが──は自炊による弁当持参か食堂で注文するか自由に選ぶことができる。しかも基本的に立ち入り禁止以外ならどこで食べても自由だ。


 別にそれ自体珍しい話ではないが、その比率が一対九という極端な割合で食堂が支持されている。そのため、昼食時は食堂を除いて学園中どこも閑散としたものになるらしい。


 そんな学園の九割に支持されている食堂は当然と言えば当然だが、とてつもなく大きく、メニューも多彩だ。なんでも、ここの食堂で働く調理人はそこらの一流レストランにも匹敵する顔ぶれでウエイターなどのスタッフも質が高いとのこと。食堂ができたばかりの頃はどこにでもある普通の食堂だったのだが、入学してくる生徒──と、その親──の中には味やマナーなどにうるさいのもいるらしく、本格的にしたそうだ。


 その際、そういった感覚を学ばせるのもアリだろう、と教育の一環として授業に礼儀作法の科目が組み込まれている。スタッフ達はテーブルマナーの指導教員を兼ねており、そのため、普段の食事時でもチェックを入れられているような気がするので人によっては少し落ち着かないらしい。多分、その生徒達が弁当持参の一割なのだろう。閑話休題。


 この日も学園中のほとんどの生徒が食堂で昼食を摂るため、どこも満席である。食堂の席は上級生が下級生の席を横取りしないように学年による住み分けが暗黙の了解である程度決まっているそうだが、俺は学園のルールに慣れていないことから席の確保に失敗し、昼食を乗せたトレイ(ちなみに中身はカツ丼。食堂のメニューは多彩だと言ったが、洒落たフレンチ、豪華な中華から庶民的なカレー、果ては素ソバ・うどんといった安価なものまで取り揃えており、豊富なレパートリーを誇る)を手に空いている席を探してあちこち漂流する羽目になった。


「ん……空いてないな。いっそ、立って食べるか」


 そんな諦めムードの中でぼやきながら未練がましくもう一度見回すと、食堂のテラスに設置された席が十席ほど空いているのに気づく。あんな広々としていて、景色も良さそうなのに何人かが席の周りにいるだけで誰も席に座る気配がない。不思議に思うが、場所を確保し損ねた俺にとって渡りに船だ。


「まぁいいや。座るつもりがないなら座らせてもらうか」


 砂漠をさ迷い歩き、ついに見つけたオアシスのような気分だ。しかし、いざ座ろうとするとなぜか周りの生徒から睨まれる。いや、だっておまえら座らなかったじゃないか。


 すると周りにいた生徒の中で一番、神経質そうな男子生徒が俺に近づいてくる。なんか見た目、えんぴつにメガネを掛けさせた感じに似ている。一言で言うと委員長タイプみたいな感じか。どうやら、こいつがこの集団のまとめ役らしい。


「なにをしている」


「昼飯」


「ふざけているのか」


 こめかみをピクピクさせながら、ずれたメガネの位置を直す。


「どう見ても昼飯を食べようとしているだろ。見てわからないか? 腹も減ってるし、さっさと食べたいんだが」


「ここは生徒会専用の席だ。今から生徒会役員の方々がここで昼食を摂られる、よって貴様は邪魔だ。早くそこをどけ!」


「別に生徒会専用ってわけじゃないんだろ? いいじゃないか。あんたら使ってないんだし……それに生徒会役員ってあれか? 会長、副会長、書記、会計の。だったら、余るじゃないか。それとも役員ってのはこの席分だけいるのか?」


「いいからそこを──」


「──いったい、なんの騒ぎかしら?」


 その一言で俺の目の前で興奮していた生徒と、同じく剣呑な雰囲気を発していた周りの生徒が静まり返る。どうやら彼らの待ち人きたり、というところだろう。


 声のした方に目を向けると一人の女生徒を先頭に二十人ほどの生徒がこちらへとやってくる。例えるなら昔見た医療ドラマの院長の総回診みたいな感じ。昼の混雑する食堂でそれをやればヒンシュクものだろうに、誰も文句を言う気配がない。この状況と周りの反応、そして一人だけ特別仕立ての制服──察しがどう悪くとも先頭の女生徒が生徒会長であると間違うことはないだろう。


 その外見は腰まで伸ばした長く艶やかな黒髪と対比するように映える白い肌。まるで日本人形を評するような特徴だが、通う血潮によって帯びた温かみと赤のおかげか無機質さは感じられない。なんというか、人と人形のいいところ取りした風貌。


 その両端を固めるのは髪を短く切り揃えた女生徒と、長い髪を後ろの高い位置に結えた、いわゆるポニーテールの女生徒の二人。


 髪を短く切り揃えた方はすらりと長い手足に、こう、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだモデル体型を着崩した制服に収めているのが印象深い。なんというかところどころ目のやり場に困るが、だらしないというより動きやすさ重視を意図した格好はけして数合わせの取り巻きではないと一目でわかる。


 いわゆるポニーテールの女生徒は反対に控えめな体型かつかっちりとした制服の着こなしで、本人の凛とした雰囲気等も相まって、どことなく女剣士を連想させる。なにより彼女の左手にあるのは鍔を外し、鞘も黒一色と拵えをシンプルなものにしているが明らかにそれとわかる──


「──って、待て! なんだそれは!」


「なに? いきなり大きな声を出して。吃驚するじゃない」


 先頭の会長が迷惑そうに返す。


「それだよ! それ! そこの彼女が持ってる刀! 危ないだろうが!」


 そう、ポニーテールの女生徒が持っていたのは全長七十センチほどの日本刀。そりゃ、実際に持っているのだから女剣士のイメージがしっくりくるはずである。つーか、なぜ誰も突っ込まない!?


「心配するな。ちゃんと刃引きはしている」


「そういう問題か! ホントに聞いた通りだな。なんでもありかよ。ここの生徒会は!」


「いったい誰になにを聞いたのかは知らないけれど、だいたい合っていると思うわ。生徒会はなんでもありよ。……例え、それが一生徒の退学に関わることでもね」


「おまえがこの騒ぎの首謀者か?」


 生徒会長の台詞を引き継ぐように刀を持った子が質問する。声そのものはただ質問しているようだが、なんとなく詰問に聞こえるのは学園における立場が違うからだろうか。


「そこのやつらが勝手に興奮したんだよ。俺はただ昼飯を食べようとしただけだ」


「それは貴様が──」


「おまえはいい。私はそこの転校生に聞いている。……それで?」


 さっきの神経質そうな男子生徒が噛み付いてくるが、刀を持った子にピシャリと遮られてしまう。一度ならず二度も主導権を許されなかった男子生徒に同情しなくもないが、話が進まなくなるのは目に見えていたので促されるままに口を開く。


「よく俺が転校生だってわかったな」


「生徒会の者と揉めるのは大抵が事情を知らない転入組の生徒だ。それも一週間もすれば逆らおうとは思わなくなる。ならば、答えは一つ、この三月の中ごろにもかかわらず転校してきた珍しい生徒であると当たりをつけられる」


「そう、誰も私たちに逆らえなくなる。誰も……ね」


 会長がなんとも不吉なテイストを含ませて締める。さっきから悪いが彼女らが誰だかわからん──ということになっている──ためにどう呼んでいいのか悩む。このままずっと、その子とか、あの子ではややこしくて困るだろう。いい加減に自己紹介の一つでもやらないか? とばかりにこっちから名乗ってみる。


「俺は二年C組、御村優之助。今日からこの学園の生徒になった。……それで、そちらさんは?」


「生徒会役員の顔と名前を知らないとは無礼な! それくらい転校する前に調べておけ! いいか、この方々は──」


「──天乃原学園高等部生徒会書記、真田凛華さなだりんかだ」


 またも話をかぶせて、刀を持った生徒が名乗る。三度も話を中断された神経質そうな生徒が泣きそうな顔をしている。あそこまで見事にスルーされ続けると他人事ながらますます哀れだ。……そういえばこいつの名前も聞いてないな。


「……生徒会会計、桐条飛鳥きりじょうあすか


 短く切り揃えた方の生徒が──ぶっきらぼうにではあるが──真田凛華に続く。ここにきて初めて発したその声は無愛想な態度や口調(ついでに大人っぽいスタイル)に反して、意外とかわいい。どうでもいい話だが。


 他方、やや気にかかるのはその無愛想がこちらへの警戒というより味方であるはずの生徒会に向けられていそうであること。それが立場や役割からくるのか、単純に心情からくるのか、いずれにしても集団にあって一歩引いているように見える。


「そして私が天乃原学園高等部生徒会会長、天乃宮姫子あまのみやひめこ。こうやって、差し向かいで自己紹介するなんてめったにないわ。光栄に思いなさい」


 儚げな見た目に反して、なんだかものすごく偉そうに生徒会長がトリを務める。いや、会長だから実際に偉いわけだが、彼女の場合、そんなこととは関係なしに態度がでかい。なぜなら、この子の祖父がこの学園の創始者の一人だからだ。そして──




「──この子が学園最大の問題児、天乃宮姫子よ」


 またも時を遡ること一ヶ月前。ファミレスで俺がこの仕事を請けることを了承した後、瞳子がおもむろに取り出したのは一人の女生徒の写真。


「ということは、要するに学園のトンデモな噂の張本人ってわけだ」


 そして、当真家が内密で──しかも万が一の保険として、わざわざ部外者を送り込む羽目になった原因。その理由は苗字から明白だった。


「その通り。彼女が一生徒を退学に追い込んだり、生徒会でやりたい放題したい放題の生徒会長"様"よ」


 様付けするあたりに皮肉というバターがタップリ塗られていた。よほど反りが合わない、というか相性が悪いらしい……同属嫌悪?


「……なにか、すごく失礼なこと考えなかった?」


 相変わらずいい勘してる。手遅れになる前になるべく自然に話を戻す。


「そ、その上、学園の創始者の孫娘で、ひいては高原市の支配者、天乃宮グループのお嬢様ってわけだ。そりゃあ、さぞかし難儀な性格してんだろーなぁ?」


 ──少し、不自然だったか? 内心冷や汗が流れている俺の顔をジト目で見ていた瞳子だが、話の腰を折るつもりがないらしく話を再開させる。


「……まぁね。しかもただでさえ教師の立場なんてないに等しいのに、オーナーの親族が生徒会長なんてやっているものだから生徒どころか下手をしたら教師のクビにすることも可能なのよ。だから実質、学園で逆らえる人間はいないわ。さすがに、クビを切られた教師はいないけど」


 どうせ、教師のほうがクビにされないようにお嬢様がなにをしても見て見ぬふりでもしていたのだろう。


「んで、どうすればいいんだ? まさかこのお嬢様を倒せ! ……って、わけじゃないだろ」


「いい考えね。じゃあそれでお願い」


「おいおい」


 こいつ相手に冗談は冗談にならないの忘れてた。まるで出前を頼むような気軽さに苦笑いもできない。


「表向きには私との繋がりがないから"謎の転校生"が生徒会長を倒しても私には関係ないし、転校生をまた転校させれば事態は丸く収まるしね」


 相も変わらぬ黒さに内心ドン引きする。やはり瞳子の前には性格の悪さで評判? の生徒会長も負けるだろう。間違いなく。


「冗談よ」


 そこまで言っておいて、今更冗談とかねぇよ。


「それができれば話が早いんだけどね。でも、本当に生徒会長をどうにかしてしまったら彼女の家が黙ってはいないのよ」


 そりゃあそうだろう。自分の娘が学校で怪我をさせられたら、まぁ普通怒る。


「天乃宮家は私の家とは正反対の歴史を持つ家柄でね。私の家は武家出身で、天乃宮は公家出身。お互い時代の流れで身分も名前も捨てたけど、権力だけはそれぞれの世界に影響力を強めていったわ。私の家が裏の世界に顔が利くなら、反対に天乃宮は表の世界に顔が利くのよ。そんな家同士が協力して創設した学園はその実、微妙なバランスで成り立っている。もし、下手に暴れて優之助の素性を調査されでもしたら、私にまで手が及ぶ。そうなったら、両家の面子もあって一騒動が起こってしまう。その場合、もちろんあなたもあの子達も学園にいられなくなる。それが嫌なら……」


「大人しくしてろ、ってことだな」


 そもそも物騒なことを考えていたのは瞳子の方だ。こちらの想像の埒外を共通認識にされても困る。


「そうよ。絶対に騒ぎは避ける事。学園ではそれこそ定年間近の窓際社員のごとく振舞って」


 言いたいことはなんとなくわかるが、その例えは全国の働くお父さんに失礼だ。


「なんでもいいじゃない、例えなんて。そんなことより、いい? くれぐれも生徒会相手に揉め事を起こさないでね」




 この後もさんざん揉めるな(まるでそうするよう振っているんじゃ、と疑うほどのしつこさだった。……違うよな?)、と言われて一ヶ月前の回想終わり。


 まさか、一日で破ることになってしまうとは。あとで瞳子になんて言われるか、正直、それみたことかとなるのが億劫だ。この状況、なんとか誤魔化せないだろうか? そう思いつつ辺りを見回してみる。


「……あれ? 副会長はいないのか?」


 そういえば、紹介は三人だけだったな。役職一つ分足りない。


「副会長はいつも昼食に遅れてくるわ。いろいろ忙しい子だから……」


 会長のあんたは忙しくないんかい。そう突っ込みたいのを我慢していると(余計なことは言わぬが花だ)、会長達が来た方向から一人の生徒がやってくる。ん? あの子はまるで──


「どうやら来たようね──遅かったじゃない」


「待ち合わせた時間通りですよ。会長、後でいくつかの資料に目を通しておいてください。それから桐条さん、先日の空手部に対する粛清についてですが、部費の件で反抗した生徒の何人かが粛清の対象に入っていませんでした。今日中に執行しておいてください」


「そこまでする必要があるのか?」


 ところどころ物騒な単語が飛ぶなか、名指しされた会計の桐条が少しウンザリしたように反論する。けして、口調は激しいものではないが、その反対の意思は固い。


「すでに空手部には警告した。部費の縮小についても私が空手部のエースを叩きのめして、納得させた。これ以上やる必要はないはずだが?」


「勘違いをしているようですね、桐条さん。私があなたに"お願い"しているのは説得でもなければ、警告でもなく、粛清です。最近の空手部は生徒会に対して少し反抗的な態度が見られます。どうやら去年の全国で個人、団体共に全国行きしたという事がその理由であるようですが、たかが全国へ行った程度で生徒会に反抗するなんて愚かにもほどがあります。飼い主に吠える頭の悪い犬には躾が必要。今回の粛清はその一環です――理解できましたか?」


「なあ、あの子なんだけど……」


 一触即発といった空気が場を満たす。いくらなんでもこの状況であれこれ確認できるほど図太くない。さりとてただ突っ立っているわけにもいかず、俺は手近にいた神経質そうな生徒にこっそり話し掛ける。すげなく返される可能性もあったが、向こうは向こうで散々発言を遮られた鬱憤もあるのか、揉めた相手である俺に対しても嬉々としてまくし立てる。


「あの子とはなんだ! あの子とは! 副会長と呼ばんか! ……だが、いいだろう、教えてやる。あの人は副会長の平井要芽ひらいかなめさん。生徒会業務の大半を管理しているお方だ。いいか、業務の大半をだ。その経営手腕と徹底した管理から『氷乙女アイスメイデン』と呼ばれておられる。実質、天乃原学園高等部の運営はこの人なしにはありえない。本来、貴様のような一般生徒がお目にかかることすら恐れ多いのだ。光栄に思え!」


 二言三言余計ではあるものの、目的を達するに充分な情報を──なぜか小声で──教えてくれる男子生徒。おそらく、誰にも解説を止められないための措置だと思うが、小声で尊大にしゃべるなんて意外に器用だな、と妙な感心をしてしまう。


「(それにしても、『氷乙女』か……)」


 目の前で同じ生徒会役員を相手に鋭い舌鋒を披露する女生徒はたしかに『氷乙女』なんて冠もそう誇張ではない雰囲気を纏わせていた。だが、俺の知っている“あの子”は彼ら彼女らが抱いている印象と大きく違う。もちろん、時が彼女を変えることもあるだろう。それでもある種の核心と、変わってないといいなぁ、という願いを込めて氷と称される副会長に声を掛ける。


「──久しぶり! 要芽ちゃん」


 まるで妹の友達にするような馴れ馴れしい呼び声にピクリ、と反応する副会長。こちらを向いたその顔はさっきまでの『氷乙女』然とした鋭利さとはかけ離れた、かわいらしい驚き顔。その甘く柔らかい表情を彩った顔がさらに真っ赤に染まっていく。


「おっ、おおおおおおおおおおおおおおおお、久しぶりです。優之助さん!」


 そうそう、こんな感じ。本当に懐かしい。生徒会副会長である平井要芽。彼女はハルとカナの友人で俺とも面識のあるれっきとした地元の知り合いだ。


 最後に会ったのは三年前、俺や瞳子の高校卒業で集まったきりになる。それ以降は大学とバイトを掛け持ちする俺と受験を控えていた彼女との間で顔を合わせることはなかった。


 当時、彼女の進学先について知る機会はなく、この学園に入学していたことにも、このタイミングでの再会にも驚いた──彼女ほどではない──が、よくよく考えてみると、妹達と同様に成績優秀だった要芽ちゃんが最高の教育環境を求めて天乃原学園に入学していても不思議じゃない。


 久しぶりに会えた妹同然の少女について感慨深げに思い出していると周りが──生徒会の面々ですら──ひどく驚いた顔をしている。


「……ねぇ。あれ……なに?」


「……」


「……」


 目の端で映る会長達による三者“一様”のリアクションを怪訝に思うも、要芽ちゃんとの久方ぶりとなる会話に花が咲いてやがてどうでもよくなる。


「優之助さん、あの……」「ん?」「……制服姿……素敵です」「要芽ちゃんも似合ってるよ」「……(照)、あ、あの……、お昼まだですか?」「さっき食べ始めたところ。そしたらここは生徒会専用だ! とか言われて、それで少し揉めてた」「誰ですか! そんなことを言ったのは!」「あぁ、いいよ。別に気にしてない。というかそれを無視して食べようとしたから揉めたわけで」「ええ、優之助さんの好きな所で食べてください」「要芽ちゃんも今から食べるんだよね? 一緒に食べよう。再会を祝してここはおごるよ」「そんな! 結構です!」「嫌かい? 一緒に食べるの」「い、いいえ違います! 優之助さんにおごってもらう方です。優之助さんと一緒に食べるのが嫌なわけがないです!」


「──もうそろそろいいでしょう? 感動の再会は。いい加減、説明するなり、食事にするなりしない? 私としては両方お願いしたいのだけれど」


 痺れを切らした生徒会長が呆れ気味に言い放つことで俺と要芽ちゃんとの数年振りの会話はひとまず終了となる。予期せぬ再会で忘れていたが、素性を根掘り葉掘りされては困る身なので、会長の興味を惹いているこの状況はあまりよろしくない。


「……この人は私の地元の知り合いです」


 懊悩する俺に察しよく──まぁ、俺が学園にいる時点でなにかあると普通は気づくと思うが──差し障りのない説明で詳細をボカす要芽ちゃん。どうやら俺の正体については黙っていてくれるようだ。


「ふうん? さっきの会話を聞いていたらただの知り合いって感じには見えなかったけれど。……まぁいいわ、それはおいおいね。今はとりあえずお食事にしましょう」


 どうやら追及よりも食欲らしい。とりあえず助かった。


 その後、要芽ちゃんの計らいでいっしょに昼食を摂り、何事もなく──周りの空気はともかく──昼食を終えた。その去り際、要芽ちゃんが、


「あの……、私、なにも聞きませんし、誰にも優之助さんのことを話しません。いったいなにをするのかはわからないけれど、応援しています」


 と約束してくれた。だが、助けてもらっておいて事情を話さないというのは少し心苦しい。要芽ちゃんに事情を話してもいいかどうか瞳子にお伺いを立ててみるのもいいかもしれない。事情を知っている協力者は必要だし、その点、要芽ちゃんなら大丈夫だ。しかし、本当に驚いた。なんというか世間は狭い。



      *



「それにしても、さっきは本当に驚いたわ。まさか平井さんのあんな姿を見られるなんて。いつもあんな感じならモテるのに、もったいないわよ」


 昼食を終えて、生徒会室に戻ってきたこの私、天乃宮姫子は暇つぶしに食堂で起こった出来事をダシに副会長をからかう。もともと、私と副会長は精々生徒会の仕事で顔を合わせる程度の間柄だ。副会長として優秀なのを認めているし、その仕事も信頼しているが、正直、関係は良好とは言い難い。


 そもそも、副会長は生徒会で仕事をしている時以外でも、今のようなクールというかドライな態度で、憧れている生徒は多いが親しい生徒はいないはずだ。だから、昼での出来事は、からかい続けている今でも内心は新鮮な驚きでいっぱいだった。


「必要ありません」


 食堂の出来事とはうって変わって、生徒会が誇る喜怒哀楽の薄い副会長の淡々とした反応。直接見ていた私ですら、同一人物かと疑いたくなる。


「そっけないわね。御村優之助って言ったっけ? お昼を同席した男子生徒。あの男子の前でとは大違い。……あぁ、彼ひと筋ってやつね。健気ねぇ」


「そんなことより会長。後回しにしていた資料に目を通してください。会長のサインが必要な書類が山積みです」


 こうあっさり返されると面白くない。それならば、これならどうだ。


「桐条さん。あの転校生を"矯正"しなさい」


「!」


「……なぜだ?」


 私の発言に顔を歪ませる副会長と"お願いされた"桐条さん。そうそう、そうでなきゃつまらない。


「なんでって、凛華も食堂で言ったでしょう? この学園の生徒は一週間もすれば生徒会に逆らわなくなる。丁度いい機会じゃない。生徒会への態度を教育するのに」


「昨日今日、転校してきた生徒に対していきなり過ぎる。なにもしていないのなら尚更だ」


「じゃあ、昼の件で生徒会に反抗の疑いありということで……」


「ふざけるな」


 桐条さんの声に険が帯びる。普段から私の"お願い"が気に食わないからか、彼女が不機嫌だったことは、そう珍しくないけれど今日は特にそれが顕著だ。


「今日は特に反抗的ね。もしかしてあなたも御村ってのに惚れた?」


 私の再三のからかいに桐条さんの雰囲気がさらに剣呑なものへと変わっていく。とはいえ、私もそろそろ彼女を相手にするのに飽きてきた。


「桐条さん。いい加減ごねるのはやめてもらえない? いくら生徒会の人間でも私に逆らうのは許さない。これ以上、反抗するなら……」


 その先は言わなくてもわかっているようでさっきまでの勢いが幾分か失っている。とりあえず、これ以上の反発はなさそうなので話を続ける。


「改めて命令するわ。天乃原学園高等部生徒会会計、桐条飛鳥。重要危険対象として二年C組、御村優之助を粛清なさい。期限は二日、明後日の朝にある全校集会まで。粛清対象はまだまだ日に日に増えているんだからさっさとお願いね。そろそろ潰しておきたいのも他にいるし……」


「……」


「返事は?」


「……わかった」


「ん……態度がいまいち気に入らないけど、いいでしょう。これでも一応、あなたのことを認めているのよ? だからそんな態度でも許しているのだから」


 これ以上私と話したくないのか、さっさと生徒会室から出て行く桐条さん。多分、明後日と言わず明日の朝には報告してくるだろう。ゴネにゴネて実行に移るまで時間が掛かるのが玉に瑕だけど、いざ行動するとその仕事はとても速い。そういう所も彼女を認めている理由の一つだ。ただ、自分で命令しておいてなんだけど、副会長がベタ惚れしている男子を叩きのめしてしまうと、後でややこしいことになりそうだ。……個人的には面白いけれど。


「……かまいません。その代わり、どうなっても知りませんよ?」


 私の考えていることがわかっているようで先手を打ってくる副会長。でもどうなって、の件はむしろ私の台詞だ。


「本当にいいのかしら? 一度覚悟を決めたら桐条さんは手を抜かないわよ」


「あなたの気まぐれで起きたトラブルのフォローをしてきたのは誰だと? 今更、どうとも思いませんよ」


「そうじゃなくて! ……心配じゃないの?」


 副会長のあまりにも平然とした態度に本当に変な話だけれど、なぜか私の方があたふたする。普通は惚れた相手が危機に遭っていたら心配するはずではないか?


「? ……あぁ、そういう意味ですか」


 その可能性をまったく考えていなかったのか遅まきながら気づいたようだ。こう言ってはなんだけど昼食の一件から副会長が変だ。昼はもう恋する乙女といった感じで、普段の彼女を知っている生徒会の、いや学園の誰もが驚いたと思う。


 なのに今の彼女はあの転校生を心配する素振りを見せない。それどころかあんな命令をした私を止めようとしない。私は単に『氷乙女』が必死で止める光景が見たかったから言ってみただけで、本気でそんな指示を出すつもりはなかった。


 けれど、桐条さんの態度と副会長が特に止めるような素振りを見せなかったので本当に実行してしまったのだ。正直、転校生君には悪いことをしたかな、という気持ちもないわけではない。まぁ、そこは運が悪かったということで諦めてもらおう。そういう風に自己完結した私の考えに気づいているのか、いないのか副会長が続ける。


「心配……というより申し訳のなさなら感じていますよ。──、優之助さんが望まぬ方向に進んでいるという意味で、ですが」


「?」


 やはり副会長が変だ。変といえば、些細ながらもう一つ、なんとなく疑問に思ったことを口にしてみる。


「──ねぇ。どうして同級生にさん付けなの?」



      *



「──予想はしてたけど、もう生徒会とひと悶着おこしちゃったか」


 それが昼食での一件からその後、黙々と午後の授業を消化した俺の携帯にかかってきた電話の第一声だった。


 仕事用に手渡された端末から流れる声色から、通話先の表情が容易く想像できそうなくらいに悩ましげな瞳子に俺はなにも返すことができない。


 普段ならば、不可抗力みたいなものだと言い訳したくもなるが、事前に迂闊だと指摘されていては何を言っても見苦しいだけだ。……ん? 予想してた、だと?


「あなたのことだからね、面倒事を起こすのは覚悟してたわよ。でも、まさか登校初日でこれとは……正直、油断してた」


「油断してたのはこっちも同じだ。仕事内容を考えればもう少し目立たないように振舞うべきだったのにな。悪かった」


「ううん。多分、どうやっても生徒会とは揉めることになるんだし。その予定がちょっと早まっただけのことよ。気にしなくていいわ」


「おい、ちょっと待て。揉めるのはよかったのかよ!」


 ヘマした俺が言うのもなんだが、それはスパイとしてはどうなんだ? いや、それより生徒会と揉めさせるつもりだった、ってなんだ? まさか──


「──おまえ、俺をスパイとしてこの学園に呼んだってのはウソか?」


「望む、望まないに関わらず、あらゆる揉め事に巻き込まれるあなたが潜入・調査要員として不適格なのは、最初から織り込み済みよ」


 あっさりと俺の疑惑を肯定する。ここまでの前振りやら釘刺しやらはいったいなんだったのだろうか。唖然とするしかない。


「……報告によると、あなたが生徒会と揉めた切っ掛けは、昼食の席取りだったんですってね」


「あぁ。……それが?」


「混雑した中にあって、見晴らしのいい席だけが不自然に空いている。……普通、おかしいと思うわよ。この学園の異常性を知っていれば、なおさらね。なのにあなたは、なんの躊躇も気負いもなく、その席を使う──これで目立たないっていうのなら、どんなことをすれば目立つというのか、私が知りたいわ」


「ほじくるなよ。悪かったって」


「だから、責めてないわよ。そうなることをある程度予想していて、それでもあなたをこの学園につれてきたのはなんのためだと思う?」


 ここまで言われるとなんとなく理解する。それはつまり、


「生徒会を潰す気か? 瞳子」


 俺の素性は、表向きどこにも属さない一般生徒だ。生徒会に対して、仕掛けても、仕掛けられても、瞳子側には被害は出ない。


「それも可能性の一つではあるわね」


「……いい加減、どうして欲しいのか、はっきりしてくれないか?」


「そうは言っても、ここまで来て辞めるという選択肢はないわよね? なら、私の事情なんてどうでもいいじゃない。生徒会と敵対したって、問題はないでしょう?」


 たしかに瞳子が俺をこの学園に呼んだ思惑が生徒の更生のためだろうと、それ以外の理由だろうと、俺にとって大差はない。瞳子の言うように生徒会と事を起こしても、それ自体は俺が学園に来た理由と大きく外れてもいない。しかし──


「──わかっているだろ? 俺達は卒業して三年、場所も違えば、俺達がバカ騒ぎしていい時代は終わってるんだ。たしかにこの学園の生徒会はやり過ぎなんだろうし、調査なりなんなりを手伝うのはやぶさかじゃない。でもそれ以上となると話が違うんでないか?」


「……随分とものわかりのいい発言ね。妹達のためにわざわざ年齢を誤魔化して高校生を演じている人と同一人物とは思えないくらいよ」


 携帯越しで聞こえる瞳子の皮肉がとてつもなく耳が痛い。誘った張本人に皮肉られるという部分だけは釈然としないが。


「……まぁ、揚げ足取りはこれくらいとして。現実問題、なにもしないでいいというわけにはいかないの。動機や経過、ここに至る手段のきれい汚いはともかく今のあなたはこの学園の生徒。学園の出来事に当事者が介入してなにか問題があるかしら?」


「それは、まぁ……一理あるか。いやしかしな──」


「──それにあっちからちょっかいを出してくるわよ。早くて、今日中にも」


「今、なんと?」


「だから、生徒会が、早くても、今日中に、襲ってくるわよ」


「おい、なんか物騒になってるぞ!? なんでだよ!」


「露骨な反抗ではないにしろ騒ぎを起こしたのよ? あんな生意気なのを許していたら生徒会が舐められるというわけで……。実際、生徒会長の通行を少し阻んだって理由で先週も生徒数人が全治一週間のケガを負わされたし」


「信じらんねぇ……」


 チンピラじゃあるまいし、道を阻んだだけで全治一週間って。そんな調子なら、下手すれば偶然目が合っただけでも因縁をつけられそうだ。


「優之助。私は伊達や酔狂であなたをこの学園に呼んだわけじゃないわ。この学園は洒落にならない所よ。暴君のような生徒会、刀を持った生徒、特権による生徒間の摩擦、そしてそれ以上の大人との壁、挙げていけばきりがない。手に負えないとすら思っている。正直、こちらとしては奇麗事で解決できるとは思っていないのよ。だから、あなたを……御村優之助をこの学園に呼んだ」


「……」


「ひとまず、話はここまでにしましょうか。今のあなたとはいつまで経っても平行線にしかならないわ。優之助、あなたがこの学園の状況をもう少し知ってからじゃないとね。そうねぇ……、次に会った時にでも、答えを聞かせてもらいましょうか。生徒会、ひいてはこの学園をどうするかを……ね?」


 どうするか、の辺りでスピーカーから聞こえる瞳子の声が小さくなる。どうやら本当に話を打ち切るつもりのようだ。一方的に予定をまくしたてた瞳子からすれば、要件を済ませたつもりなのだろう。いつものことだ。諦めて、携帯を耳から離す。


「……優之助」


 携帯から微かに聞こえる瞳子の声に切ろうとした手を慌てて止める。


「なんだ? ……話は終わりじゃなかったのかよ」


「……本当にこのまま、ものわかりのいい兄でい続ける気かしら?」


「? まだそれを引っ張る? っていうか、なぜここで兄付け?」


「あら、筋金入りのシスコンだって自覚はなかったの?」


「……家族を心配してなにが悪い」


「その開き直りかたは昔のあなたっぽくて素敵よ。でもその気がないなら仕方ない、いつまで体裁が保っていられるか楽しみにしてるわ」


 そう言い捨てると、今度こそ、通話が切れる。残された俺は瞳子の言葉の意味を計りかね、立ち尽くす。あの腹黒女はなにが目的で俺をこの学園に引っ張り込んだのか、このまま穏当に収まりそうにない状況でなにをさせるつもりなのか、ただ一つわかることがあるとすれば──


「──あまりろくでもないことになりそうだってくらいか」




 唐突な話だが、携帯電話が浸透してから手紙を送ったり、貰ったりする機会がめっきり減ったと思う。それは流行や世事に疎い俺でも感じる大きな時代の流れの一つだろう。


 実際、メールの方が手っ取り早いので手紙を使用するのが少なくなるのも無理はない。自分に送られてくる手書きの便りは嬉しいものだが、やはり、メールの手軽さ、相手へと届く速さという魅力には逆らい難い。


 しかし、手紙の方が便利な場合も数少ないながら存在する。例えば、相手のアドレスを知らない場合とか。


「……今時、古風だな」


 瞳子との通話を終え、寮へと帰ってきた俺を待っていたのは下駄箱のなかに手紙が入っているという展開だった。ひと昔前のラブコメなら、すわ甘酸っぱい青春の一コマか? となるが……。


「どう見ても、ラブレターの類じゃないな……これ」


 ──今夜、十時に学園裏にある日原山ひはらさんの公園に来てほしい。


 あて名はなし──あっても誰だかわからない可能性大だが──、どこにでもある封筒と便箋(と言うか、コピー用紙だな)、これでラブレターだったら個性的でインパクトはあるだろう。うまくいくかは別として。


 まず第一に日原山の公園ってどこだ? 学園裏ってことは山をさらに登るのだろうか? ……夜の山道を。転校生なんだからもう少しわかりやすく、それでいて無難な待ち合わせ場所をお願いしたかった。

 そうは言っても相手が誰だか不明である以上、文句の言いようがない。まぁ、無視するって手もあるわけだが、どうだろう?




「──少し、遅刻だな」


 相手の子が手元の時計を確認しながら言う。昼に食堂で会った生徒会役員のうち、髪を短くしたモデル体形の会計だ。名前はたしか──桐条飛鳥。


「転校生なんだからもう少しわかりやすい場所を指定してくれよ。ここまで来るのに、結構苦労したんだぞ」


 あの後、寮の生徒に公園の場所を聞いたはいいが、説明だけで広大な学園の敷地内からすんなりと目的地に辿り着けるはずもなく、余裕を見て一時間早く出たのだが、結局間に合わなかった。


「まだ校舎の裏なんて行ったことないから、道なんて知らないし、それに夜の学園って印象変わるだろ? 暗くて、道に迷うのなんの」


「それはすまなかった」


「台詞ほどすまなそうには見えないんだが……。 まぁ、いいや、それで俺にどんな用事が?」


「夜の裏山なら邪魔が入らない。……これでゆっくりと話ができる」


「……なかなか意味深な発言だな」


 あの手紙だから真っ先にラブレター説を否定したが、もしかしたら、もしかするのか?


「──御村優之助、この学園から去れ」


 んなわきゃなかった。


「まぁ……そう期待してなかったけどさ」


「? なんの話だ。……いや、いい、それで返事は?」


 どうやらこっちの心境はあまり気にしないことにしたらしい。だが、相手の出方如何に関わらないのはこちらとて同じだ。


「断る」


「即答だな。……この学園に来るまでにいろいろと噂を聞いてきたはずだ。生徒会に目をつけられると大変なことになると」


「だからって、いくらなんでも転校初日の晩に学園を辞められるか」


「後悔するぞ」


「そもそも、昼に食堂で生徒会に会った時から厄介ごとの予感はしていたさ。そこそこ覚悟はしているよ」


 ホントは瞳子に言われたからだけどな、と心の中で舌を出す。


「……そうか。ならば、なにも言うまい」


 そう言うと桐条さんはファイティングポーズをとる。その構えは軽く拳を握り、やや前傾姿勢。右左どちらからでも攻められるように体をどちらか一方に傾けることなく、ほぼ平行に体の位置を保っている。空手やボクシングでよく見かけるオープンスタンス。報告通りの典型的な打撃中心の格闘スタイル。……って、ちょっと待った!


「この期に及んでいったいなんだ?」


 不思議そうな顔の桐条さん。


「それ、マズイんじゃない?」


 学校が終わってから寮に戻らずここに来たのだろう。桐条は制服のままだった。つまり──


「――見えちゃうんじゃない?」


 その、つまり、……スカートの中が。


「? ……あぁ、別にかまわない」


 俺の言いたいことをようやく察したのか、大胆にもスカートをめくる。そこには──


「──スパッツ?」


 スカートの中は見まごうもなくスパッツだった。めくった瞬間、布地の色が黒だったものだから、ドキっ! としたが、なるほど、それならばたしかに安心だ。……安心か?


「だから大丈夫」


 スパッツを露出させたまま答える。いや、もうしまってくれ。充分に目の毒だ。


「別に見られて困ることはないが……」


 スパッツが体操着の一部という認識からなのか、男の視線に無頓着なのか、妙に大胆な桐条さん。なんかこの子、昼に会ったときより雰囲気違うんでないか?


「せっかくの申し出だが、なんかダメな人になりそうだからやめとくよ」


 すでに別の意味でダメな人になってるけどな、とはもちろん口に出さない。というか、出せない。


「おかしな奴だ。今から自分が転校させられるかもしれない瀬戸際だというのに……」


「おかしくはないだろ! むしろなんで気にならない!?」


 スパッツだとわかっていても、スパッツだからこそドキドキするというか……いや、なんで自分の性癖を見つめ直さなならんのか。妙な方向に行きがちな思考と話題を首を振ることで軌道修正し、そして宣言する。桐条さんに、ひいては生徒会に。


「絶対に転校しないからな」


「……力づくで従わせる」


 従わせる、のあたりで少し楽しげなニュアンスを含ませる桐条さん。……もしかして軽くS入ってる? それにあわせて表情も心なしか、柔らかくなったような気がする。とはいえ、こちらも負けてはいられない。


「やってみな!」


 相手の強気な態度に触発されたようにこちらも攻撃的にそう言ってみる。その一方で内心少しだけ不安になる。……どうしよう……なんだか少し楽しくなってきた。


 なんとなく瞳子の計画通りに動かされているようで複雑な今日この頃だったとさ。




「──いくぞ」


 律儀にそう宣言しながら桐条さん──いや、桐条が滑るような足運びで間合いを詰めてくる。鋭い呼気とともに放たれる左ジャブ、そこからもう一度左、そこからジャブを戻す反動で右のロー。とりあえず相手の出方と力量を探ろうと攻める気がなかったのをお見通しのようで桐条に先手をあっさり許してしまう。


「ちっ」


 簡単に言えば、油断していたために容易く奪われた先制攻撃。これをまともに喰らったら、かっこ悪いにも程がある。とりあえず前に構えた両腕をジャブの迎撃にまわし、右のローは威力が乗る前に接近してダメージを減らす。


「……今のを軽く防ぐとはな。さすがに生徒を敵に回すだけはある」


 一旦、距離をとりながら、その表情に軽い驚きを浮かべる桐条。だが、むしろ驚いたのはこちらの方だ。


 昼に初めて桐条を見た時、その体つき──別にエロい意味ではなく──と会話からもそれは推察できた。だが、その中身は予想とは完全に別物だ。いわゆるフルコン系に見られるステップを挟む構えではなく、重心を低く保ちながら制御されたすり足は近代格闘とは概念の異なる技術体系に基づいている。つまり、


「……なんらかの古流をかじっているな?」


 これは確信。でないと、この若さでここまで見事な足運びの説明がつかない。


「よくわかったな」


「あれほどの動きを見せられればな。技の練度から見て、実家がそういう家なのか?」


「その通りだ。我が桐条家に代々伝わる武術──名は『古流・桐条式きりじょうしき』。……あくまで、手解き程度だがな」


 手解き程度なんて謙遜もいいところだ。ちなみに手解きとは、勉強や芸事などの基礎を教わるという意味であり、本来は柔道における初歩の初歩のことらしい。


「御村、おまえの方こそ何者だ? ……意に沿わない命令だったが、正体に興味が湧いてきたよ」


 昼間に見た不協和音の一端だろうか、桐条からの呼び出しは生徒会──会長である天乃宮姫子の意図したものらしい。だが、そんなことは分かりきっていた話、むしろそれ以外の可能性を見いだそうとする方が難しい。


「興味を持たれたのは光栄だが、ペラペラ話すような中身なんてないぞ」


「……ここであっさり喋るならそもそもこんな事態にはなっていまい。それくらいわかるさ。だが、あいにく望まぬ仕事でも張り合いを感じたところだ。力づくで口を割らせてもらう」


「それ、さっきまでとなにが違うのさ」


「そうでもないさ、すぐ終わる」


 不敵にも瞬殺宣言する桐条。せっかくの宣言、申し訳ないが、さすがにこれ以上、先手を許すつもりはない。今度はこちらから反撃に出る──つもりだった。


「──『瞬撃しゅんげき』」


 しゅんげき? 桐条の唇の動きを頭の中で反芻させる。その迷いは一瞬のうち、桐条が俺との間合いを詰める。その重心移動と挙動は俺の視覚をそれはもう見事に謀り、ガラ空きになる部位を狙撃せんと拳を走らせる。狙いは──後頭部。


「──今の反応、見えているのか?」


 必倒であるはずの攻撃を防がれ、半ば呆然とした様子で桐条が尋ねてくる。よほど自信があったのか先程の驚きとは比べものにならないほどのリアクションを浮かべる桐条と吐息すら皮膚をなぞる近距離で体と拳が交錯する。


「いいや、見えたわけじゃない。その意味ではさっきの技の術中だったさ。だが、あいにく、は俺の数少ない自慢でね」


 空間把握能力という言葉がある。読んで字のごとく、対象との距離を正確に測れる能力でボクシングではパンチ力よりこちらが長けているかどうかが重要視されるらしい。俺は視覚に頼らず、その能力と同等の効果を両手を通じて発揮することができる。


「……なるほど、


 桐条が誰を連想したのか不明だが、思い当たる節は間違いないだろう。それを証明するように桐条がその単語を口にする。


「──異能者。ある地域では超能力者や超人の総称をそう呼ぶらしいな。私が出会ったのおまえで二人目だ」


 異能者。俺や瞳子の地元である時宮ではそう呼ばれる人種が数多く存在する。


 今は昔、その力を恐れられ、疎まれた人々が人を寄せ付けぬ地で里を築き、同じく追いやられてきた同族を受け入れ今日まで永らえた末裔が時宮市民だ。土地開発や交通整備により隠れ里はまったく隠れられなくなったわけだが、迷信に振り回されぬであろう現代人ですら裸足で逃げ出す奇跡は今なお変わらずに行使することができる。


「昼間の立ち回りはただの蛮勇ではなかったというわけだ。私の『飛燕脚』を見切れるのだから」


 桐条的には感心しているようだが、瞳子に軽率だと指摘された部分を強調して追い打ちをかけられた気分だ。微妙な気まずさをまぎらわすように初めて耳にした単語をオウム返す。


「『飛燕脚』?」


「『瞬撃』のキモとなる桐条式の歩法――というより『飛燕脚』で接近してただ殴っただけの代物が『瞬撃』だというべきか」


 謙遜するように控えめな説明だが、ただ殴ったという部分は後頭部への襲撃──より正確に言えば俺の首を支点に巻き込むような延髄への手刀打ち──はそれだけでも高等技術の反則だろう。


 だが、やはり桐条の言うとおり『瞬撃』とやらが技として成立しているのは古流武術による特殊な動き、『飛燕脚』にある。結果的に防いだとはいえ、体軸を崩さず、予備動作なしで前進する移動術はまともに見ようとすれば視覚誤認に陥っていたはず。


 再び桐条が駆ける。ノーモーションで間合いを詰めるその姿は脳トレでおなじみのアハ体験を生で味わされているようなもの、と言えばわかるだろうか。景色との差異を俯瞰で捉えてようやく距離間を詰められているのに気づく。もちろん、悠長に見ているだけでは反応は間に合わない。相手に行動を読ませない──武術として、もっとも基本でもっとも理想で奥義とすらされる技術。それを直進のみとはいえ、苦もなくやってのけたのだ。異能抜きでは、とうの昔に沈められていただろう。


「──やはり、まぐれではないようだな。完全に私の位置を把握している」


「なにせ、自慢の“手”だからな。把握するのはお手の物……なんてな」


「なるほど、だが、私にはこれしかなくてね」


 俺の安い冗談を流し、苦笑とも微笑ともとれる表情を浮かべるのはどんな心境ゆえだろうか。その宣言通り、『飛燕脚』に固執する桐条。


 改めて、見事な技量だと思う。初動がまったくわからない。動いたことに気づいた時には、相手の攻撃をもらうところまで接近されている。ただし、それは視覚の上での話。例え近づかれても俺の手は桐条の位置を逃さない。また、挙動が読みにくくなった分、一足の幅はけして広くない。有り体に言えば、速さそのものは緩やか、いっそ遅いと言ってくらいだ。視覚と距離を誤魔化されなければ対応そのものは難しくない。桐条にもそれはわかっているはずなのだが、『飛燕脚』以外の選択肢を選ばない。まるでそれしか知らないように。


「──おまえの想像する通りだ」


 俺の表情から察したらしく、内心で立てた推理を肯定する桐条。それにとどまらず、油断なく距離を保ちながらこちらが聞きにくい事情を滔々と語り出す。技を見破ったことへの敬意か、もしくは一方的に呼びつけたことへの彼女なりの詫び代わりなのだろう。どちらにせよ、律儀なものだ。


「古流・桐条式歩法、『飛燕脚』は桐条式における基本一つであり、私が桐条式で唯一、再現できる技だ」


「……再現?」


 ニュアンスに微妙な引っかかりを覚える。


「手解きですらなかったのさ。父達の稽古を盗み見て、十年掛けて習得した」


 門前の小僧習わぬ経を読む、というやつだろう。だが、いくら環境が整っていたとしても、そこまでの技術を独学で得るなんて、すごい執念だと思う。しかし、それでは継承者であるところの父親に手解きどころか、一切、教わることを許されなかったらしい。


「──弟がいるんだ」


 ──あぁ、だから父“達”か。その声色は初対面で見受けられた硬質さはない。ただ、少し触れただけで淡く崩れそうに儚く響く。語る自分がどんな顔をしているのか気づいた桐条が取り繕おうとするが、なかなかうまくいかない。


「(……そんな表情をするくらいなら話さなくてもよかったろうに)」


 損な性分だと思う。出会って間もない相手が被った理不尽の詫びに自分の柔らかい部分をさらけ出すなんてどう考えても釣り合いのとれる話ではない。しかも自分自身、好き好んで手を汚しにきたわけでもないのだからなおさらだ。


 それでも身の上話を続けようとする桐条。その姿を見て理解する──こいつは似ているんだということに。


「──生まれながらに『桐条式』を継ぐことを定められ、それを受け入れた弟、自分の全てを息子へとただただ一心に受け継がせようとする父、そして、その二人を陰ながら支える母。ならば、かれらにとって私はなんなのだ? 昔からそう思っていた。……嫌になるほどな。『飛燕脚』を独学で得たのも、地元の学校で空手部に入ったのも、自分をどうにかしたい一心でだった。そんな私に転機があったのは、中二の冬のこと。私の空手で残した実績を知った天乃原学園から誘いが来た」


 瞳子からの情報によると、空手をはじめて一年足らずで全国へと行ったらしい。その中学空手界脅威の白帯として一躍有名となった桐条をスポーツ特待生として天乃原学園が勧誘したのは、極々自然な流れだったのだろう。


 他の私学の例に漏れず、天乃原学園でもスポーツや文化活動などにおいて、優秀な成績を収め、かつ入学後もその活躍が期待できる優秀な生徒や学生、いわゆる特待生の確保が積極的に行っている。また、この件に限らず、一般的な話として、学園側の了解と金銭面さえクリアされれば、親の同意・協力がなくても高校への入学は可能だ。桐条の場合、生活費の出所は不明だが、それほど荒唐無稽なケースではない。問題は、それを実行できるかどうか、のみである。そしていま現在、ここでこうやって話をしているということは……、


「皮肉だと思ったよ。家族に興味を持たれなかった私が全国でも有名な天乃原学園が目をつけたのだからな。だが、両親はなぜか天乃原学園への入学には反対だった。私に対して、初めて親らしい反応をしてくれたことが嬉しくて──それを嬉しいと感じた自分が情けなくて、なかば意地で反抗して、ほとんど家出に近い形でこの学園に入学した」


「(……実際にやったのだから、すごい行動力だな)」


 言葉にすると数分ほどの内容だが、その行動力といい、覚悟といい、並大抵のことではない。ここまで必死な自己主張も今や珍しい。だが、無理もないと思う。家族に甘えることができなかった桐条にゆとりなど皆無だったのは想像に難くない。


「だから、御村。私はここで引くわけにはいかない。望まない命令に従ってでも、他人を理不尽な目に巻き込んだとしても、まして死にものぐるいで会得した唯一の技が通用しないとしても、穏当な結末は許されない。 ──」


 そこで一度区切りを入れる桐条。浅く息を吐き、一拍。どこか吹っ切れた様子で清々しくも宣言した。


「──遠慮なく、私を打ち据えてくれ」


 もう言葉はいらなかった。桐条の両の足が“居つかぬ”ことで無駄な踏ん張りもなく前へ前へと距離を詰めてくるのが手を通じてわかる。指を舐めて風の吹く方向を感じ取る、誰もが一度くらい試した実験こそ桐条の動きを察知し得た正体。そして──


「『影縫かげぬう手』」


 ──桐条を止めるべく、“異能”を発動させた。



      *



 ──『影縫う手』


 御村優之助の両手に宿る異能の一つ。と言っても、そのタネは実にシンプル。手で“揺らす”ことで、触れた箇所の神経と筋組織を一時的に弛緩させ、行動不能にするだけのものだ。言葉ほど魔術的・超能力的な意味合いは含まれておらず、むしろ超絶技巧の部類──"頑張れば"誰でもできる──範囲の代物。あれではまだ足りない。


 ──私の"それ"には届かない。


「──やっと終わったようね」


 優之助が桐条飛鳥と決闘するという情報を掴んでいた当真瞳子は早い段階──優之助が指定の場所を探してさまよっていた時から──決闘の舞台が見える校舎の屋上を確保し、絶好のポジションで観戦していた。私達の地元である時宮の高校を卒業して三年、頻繁に会ってはいたものの、“普通”の大学生活を送っていた優之助が戦う姿を見るのはかなり久しぶりだったけど……、


「まさか、あんなにてこずるなんて……」


 いや、それは少し語弊があるかもしれない、と思い直す。桐条飛鳥の『桐条式』──その技法の一つである『飛燕脚』──はたしかに“私達”とも渡り合える代物だ。しかし、使い手である桐条飛鳥は正式な継承者ではなければ、実戦経験も大きな開きがある。本来なら優之助がひと撫ですれば済む──結果的にはそうなったが──相手だった。


 しかし、いちいちあの程度の相手に拘わっているようだと、この後の予定をかなり修正する必要がある。……心配? それはない。


「……もう二、三日様子を見るか」


 よぎった単語を飲み込み、今宵はこれまでと締めくくる。ふと公園に視線を戻すと優之助が桐条を抱えて──しかもなぜかお姫様だっこで──帰ろうとしていた。それを見て、私は少し呆れながら、


「相変わらず、そういうところだけは変わらないのね。……バカ」


 ──なぜか、少しだけ安堵していた。



      *



「……打ち据えてくれ──そう頼んだはずだが?」


 力なく地に伏せた格好の桐条がどこか不満気にそう呟く。


「不服ならとことんまで付き合ってもいいぞ。……立てるならな」


 その言葉に身じろぎするも、しばらくして諦めたのか、もともと腰砕けの体勢だった状態からさらに動かなくなった手足を投げ出しす桐条。


「……どうやら、無駄のようだな。まな板の鯉だ、好きにするといい」


「そんな捨て鉢にならんでも……」


 好きにしろ、と言われても狼藉をはたらくつもりはないので心外ではある。もっとも“無力化”させた手妻や、その最中に無心でいられたか、と指摘されると返答に困るが。


「何度も言うが、呼び出して一方的に決闘を申し込んだのは私の方だ。ならばこういう目に遭っても文句は言えんさ。“女だてらに武をふりかざしても後に残るのは何もない”──そう言われ続けてきたんだ。結末くらい覚悟している」


「(もしかして、それは──)」


 ──心配しているのではないか? 一言一句違わず刻まれた言葉に柔らかさはない。しかし、桐条が語った内容と受けた印象とがまるで逆転している。この学園の入学に反対したことすら過保護の産物かもしれない。そう思わせるには充分なほどに。


「……どうした? 多少無茶をしても文句は言わんぞ」


 こちらの態度を躊躇と受け取ったのか、桐条の“お誘い”が止まらない。いや、はたから見れば、たしかに変態扱いは免れそうにない光景であるわけだが、双方納得済みであるはずの決闘がどうしてこう締まらない決着になったのか疑問でしかない。


「……安心してくれ。これ以上、何もしないし、両手足もしばらく大人しくしていれば回復するから」


 まるで“お持ち帰り”しようと食い下がるような台詞だが、意図も立場も反対だ。


「スカートの中に興味があるなら“下”ごとずらしても──」


「──!」


 だからその妙な大胆さはなんなんだ? どういうわけか戦闘より疲れるやりとりの中、不意に桐条が目を丸くしてこちらを見ている。……今度はなんだ?


「いま、飛鳥と言ったか?」


「! ……あぁ、そうだな。つい思わず口に出た。馴れ馴れしかったなら謝る」


「謝る必要はない。家族以外で私をそう呼ぶことがないから新鮮でね」


「……こんな頭の痛くなりそうな掛け合いができるやつの発言とは思えないな」


「いろいろさらけ出せたのがよかったんだろう。……よかったのか?」


「俺に聞くなよ」


 それもそうだと桐条──飛鳥が控えめに笑う。手足の弛緩が抜けきれていないため、肩と胸を震わせるだけで難儀そうにしながらひとしきり感情のままに任せて。しばらくした後、ようやく落ち着いたのか相変わらずの無愛想な口調、しかしこころなしか親しみを感じる声色で飛鳥が俺に問いかける。


「……私はどうだった?」


「そうだな……俺と似てるかもしれない」


「は?」


「俺にもな、いるんだ。デキのいい妹がさ。それも二人」


 的外れな返答だと、呆気にとられていた飛鳥の表情が次第に変わる。少なくとも俺が“似ている”と言った訳を理解し、静かに続きを促す。


「俺の場合、桐条と違って妹達はよく慕ってくれていたよ。だけど、それが逆に疑問だった。『なんでこいつらは無条件に俺を好いてくれるんだろう』ってさ。……自慢じゃないが、勉強ができる方でもないし、他人に誇れることなんて何一つなかったから尚更な。あいつらと居ると慕ってくれて嬉しい反面、情けない兄貴という引け目はどうやっても消えることはなかった」


 家族への感情について差異はあるものの、理解できる節はあるらしい。こちらに注がれている桐条の視線が若干、共感を含んだものに変わる。


 俺の方も桐条の告白を聞いた時から彼女にシンパシーを感じていた。だからこそ、正体を探られるリスクがありながらもこんな話をしているわけだし、なにより、俺の二の舞を演じてほしくない。


「……そんなおまえはどうしたんだ?」


「ちょっとこじれて絶賛関係修復に奔走中さ」


「……本当に生徒会と揉めてる場合か?」


 親しみを通り越して胡乱げな気配を帯びた視線を咳払いで誤魔化す。いや、まぁ、ハルとカナ妹達に会うための試練と思えばいいだけの話だ。まったく無関係でもないようだし。


「そんなグダグタな俺と違って、十年も前からしがみついてきたんだ。似てるとは言ったが、敵わないさ。ただ意固地になるきらいはあるようだけどな、飛鳥」


「……それはつまり、この決闘は私の勝ちというわけだな」


「え、いや、それは……」


 あれ? そんな流れの話をだっけか?


「おまえは言ったじゃないか、敵わないと。それはつまり降参したということだろう?」


「……ああ、飛鳥の勝ちでいい」


「勝った」


 胸を張って勝利宣言する飛鳥。なんでもいいけど胸を強調した分、なんかエッチぃポーズに見えなくもない。……着やせするタイプなのな。特に胸のあたり。


「おまえは負けを認めた。ならば、私の言うことに従ってもらう」


 そういえば、賭け云々以前に最初にそんな話をしたような気がする。負ければ、勝った側に従う。それは暗黙の了解……なぜだろうか、瞳子を相手しているような既視感を覚える。どんな無理難題を吹っかけられるのか。内心、恐々としていると俺のそんな様子を見た飛鳥は少し笑いながら、


「私を寮まで送ってくれないか?」


 聞きようによってはすごく大胆な命令をするのだった。

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