森の狩人

荻雅康一

水遊び

 狩人は深い森の中を進んでいた。

 空には太陽が天頂間近に登っているが、陽の光を我先にと伸ばしている木々の葉により夜明けのような薄暗さが森の中に広がっていた。

 湿り気のある空気を吸いながら狩人は手に持った草切り用の直刀で進行の邪魔をする雑草を切った。狩人はこの森の異変を感じていた。

 平時ならば気にもしないようなことであった自分の腰ぐらいに伸びているまるで森の奥へ行くのを防いでいるような雑草のことであった。


 ――――異様に多い。


 そう、この腰ぐらいに伸びている草たちは、この一、二週間で成長し、行く手を阻んでいたのだ。

 彼の住んでいる村は、この森の入口になるようなところにあり、森のめぐみのお陰でほそぼそと暮らしていたのだ。狩人のこの男もその村の人間であり、森に潜む小動物や時には、人里近くまでやってきた熊をも相手にし、村を守りながら暮らしていた。

 そして、ここ一週間の間に彼はある噂を耳にしたのだ。

『森に魔女が住みついた』

 と、そんな噂であった。

 狩人はこの噂を聞いて村の民たちと同じように恐怖したが、しかし熊をも相手にしたことのある彼には、それはとても興味深いものでもあった。

 魔女とは、村の伝承によると人を惑わせ、子供をさらい、闇の獣達を多く従えていると言う話であった。

 彼は数人の仲間といつものように動物の罠を仕掛けたあと、彼は一人残りこうして森を歩いていたのだ。

 子供の頃から親しんでいた森が奥に進むほど不気味な気配を漂わせているのを感じながら彼は進んでいった。

 しばらく森を探索していると鬱蒼とした雑草が減っていき、景色は古代がから生えていると言われる巨大な古木が立ち並ぶようになっていた。森はより一層陽の光を地に降ろさず、葉の間を伸びる光線がどこあ神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「だいぶ奥まで来たな」


 男のつぶやきが木霊するような静けさが森を覆っていた。

 その静けさに一度あたりを見渡して何もいないか確かめる。静けさに一つ雑音が混じっているのに気がつく。

 ぴちゃぴちゃと音を立たているのが狩人の耳に響く。湧き水があるところがあるのだろうと、一息をつくために音のする方角へ足を向けた。

 しばらくすると、その音の正体が明らかになった。

 森の中に大きな池が存在し、そこから流れ出ている小川が響かせている音であった。狩人はその近くまで進み、あたりに何かいないか確認してからしゃがみこんだ。

 手をおわんようにして両手で透き通った水を掬い、口をつけた。

「このような、おいしい水が湧き出るところがあったのか。村に戻ったなら仲間たちにも教えてやろう」


 その時であった。

 先程よりも大きな水の跳ねる音が森に響いたのは。小川からではなく、見るに古木の裏側のようであった。狩人は腰に付けた剣を静かに抜き古木に少し距離を持つようにして近づく。音を立てないように慎重に移動する。

 近づくほどにぴちゃぴちゃと立てる音は大きくなり、何モノかがいることがわかっていた。角度により正体はまだ見えなかったが、音からするに大きさはそれほどでもなく子鹿程度だろうと推測を付けた。相手に悟られないように動き、あと一本というところまで近づくことに成功した。

 音は、さっきよりも激しくなっていたが、そこ得妙な音を聞いた。子供の笑い声であった。楽しそうに笑う声で女の子だということがわかる。

 しかし、これは何かの間違いではないかと狩人は感じていた。なぜなら狩人をやっている自分でさえ今までしならなかったような天然の池で遊ぶ子供など考えられないからだ。村では子供が成人する十七の年を超えるまで森に入ることを禁じているし、そもそも子供の体では大の大人が苦労するようなあの雑草たちを抜けてこんなところまでやって来られるはずがないと狩人は考えたからだ。

 何者かは分からないが、相手が子供なら手を焼くこともないだろうと狩人は、素早い動きで古木から出て子供がいるであろう方向へ飛び出した。


「おじちゃん、だれ?」


 狩人は目を見張った。

 そこにいたのは、玉のような白い肌に薄い金糸の長い髪。目鼻立ちも整っており、まるで直接見たことはないが、都に暮らすお姫様のようだと枯木の根により小さな水たまりにになっていた場所で水に浸かっていた幼い少女に狩人はそう感じた。少女はいきなり現れた狩人に驚いたようにその落ちそうなほど大きな蒼色の瞳で凝視していたが、狩人が動きを止めているのを見て小首をかしげ、質問をした。


「お、俺はこの森を西に抜けたところの村で狩人をやっているものだ」

「わぁ! かりうどぉ!」


 少女は、びしゃんと音を立てながら水たまりの中から立ち上がった。彼女を包んでいた白いワンピースはべったりと水を含み、彼女のまだ女性には成りきれていないその寸胴な体にまとわりついていた。しかし、彼女はそんなことお構いなしのようで何が面白かったのか、きゃらきゃらと笑い喜んでいた。


「かりうどはなにをしているの?」


 無邪気に笑う少女は唐突に狩人に聞いた。狩人はそのあまりにも無邪気で無防備な姿に戸惑ったが質問に答えた。


「少し森の様子を探っていたところだ。きみはこんなところで何をしているんだ?」

「ノーイはね、ママをまっているの! ここでお遊びしながら!」


 狩人の問に何の疑問をいだいた様子もなく少女――ノーイとは自分の名前であろう――は元気に答えた。濡れた金糸の髪が葉の僅かな隙間を縫うように進む陽光を反射し、輝いているかのように見えた。


「なんでこんなところで……。ママはどこに居るんだい?」

「ママがここでお遊びしてまってなさいっていったの。いまはどこにいるかわかんない」

「わからない、か。でもここは、怖い獣や化け物が出るかもしれないんだよ? キミ、ノーイだね。ノーイは、怖くないの?」

「どうして? だってママがまもってくれるもん! だからだじょうぶなんだぁ~!」


 『ママが守ってくれる』ことがよほど嬉しいのか、にやァと顔を緩ませながらノーイは答えた。

 狩人は、この時とある疑念が頭の中に生まれていた。

 ここは、大人の鍛えている方である自分でさえ苦労して入ってきたのだこんな小さな子供があの森を抜けることができるであろうか? いや、無理であろう。いかに母親がいたとしても所詮は女。体力的にもこんな小さな子を連れてあの森を抜けるのは、あまりにも不可能であろう。

 そして、この森には今、『魔女』が来て――――。


「あら、お客さん。ノーイ」

「ママッ!」


 逃げなければ! そう狩人が感じた瞬間であった。彼は二つの双眸に捉えられた。ノーイと同じく、玉のような白い肌、黄金色の金糸の髪。瞳の色は紫だった。人形のように整えられたその美貌は、狩人の足を止めるのに十分であった。そのママと呼ばれた美女はノーイと同じく純白のドレスを着こみ方には紫色の半透明なストールをかけていた。

 狩人は逃げようとした自分は何だったのかと思っていた。この絶世の美女が『魔女』であるはずがないとそう思っていたのだ。


「なんと美しい。ぜひ、私の嫁に来てはくれないか」

「あら、大胆なお人ですね。あったばかりの女に求婚だなんて。でも、嫌いじゃないわ。だけど、ごめんなさい。私にはノーイがいますので」


 美女はクスクスと右手で口元を抑えるようにしながらその場に膝をついて申し込んだ狩人の求婚を拒否した。森の奥から突如現れた美女のもとに走って向かったノーイは、美女に抱きつきながら嬉しそうにしている。


「それは大丈夫だ。俺はその娘とあなたぐらいなら養うぐらいができる!」

「いいえ。お断りしますわ。そういうのではないのよ」


 クスクスと微笑を浮かべる美女は、困ったような楽しそうな表情で狩人を見た。


「でも、いいわ。ノーイの遊び相手になってもらっったみたいですし、あなたにプレゼントあげましょう」

「それは……」


 美女は、首にかけていたストールを右手で引っ張って左手を覆い隠すと次の瞬間には、箱のようなものが彼女の手の中にあった。そしてそれを狩人の方へ放物線を描くように投げた。

 狩人は、手に突然現れた不思議な現象に驚いたが、空中に放り投げられた箱に目線を写した。そしてその箱をキャッチしてもう一度、美女の方へ目線を向けるとそこには何も存在せず、子供の笑い声さえ聞こえなくなっていた。


「なんだったんだ……」


 しばらくぼうっとくらい森の奥を眺めていたが、気づいたようにハッと手に握っていた箱を見つめた。あれは幻想ではないと狩人はその箱を見て確信した。

 箱の形状は見事な正方形であり、どの面にも切れ目一つない。特殊な塗料で真っ黒に染められていた。正方形の一面に『封』と書かれた紙が貼り付けていた。狩人は美女のことが忘れられず、たまらなく思った。

 美女のくれた箱を見ると美女が思い出される。美女と少女、ノーイが何者かは分からない。けれど、彼女らの表象への信奉があった。

 手に取る箱の『封』と書かれた紙を破る。

 すると、箱がパカリと開く。中から紫色をした霧が吹き出す。狩人はその霧を顔に浴び思わず、箱をその場に落とす。

 霧が彼の周りを包み込む。危機を感じた狩人はそれから逃れようと走った。木の根に引っかかり転げてしまう。振り返り霧を見た。

 先ほどいた美女ではない。しかし、彼の思う絶世の美女がいた。


「君は――――」



 その日、狩人は村へ帰らなかった。

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森の狩人 荻雅康一 @ogi_ko1

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