カニ光線

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カニ光線

 カニ光線を浴びた人間はカニになる。

 最初の兆候に気づいていたのは事件や事故に関する統計をまとめる部署に勤めていた笹鎌という職員で、彼は全国における行方不明の届出が昨年あたりから少し増加してきているように感じていた。しかしそういうこともあるのだろうと思って特に取り立てることもなくほうっておいた。

 それから今から半年ほど前に大手新聞の一面に行方不明者急増の文字が大きく示された。

 このころになると人口の多い街に住んでいる人間ならば一度ぐらいはどこそこのだれそれが行方不明になったという噂を耳にするようになってきた。

 更に今から一ヶ月ほど前のことである。インターネットに突如としてカニウェブと銘打たれたウェブサイトが開設され、そのトップページにはカニ光線を浴びた人間がカニに変化する顛末をつぶさに収めた動画が掲載されていた。

 目隠しと猿ぐつわをされて後ろ手に縛られた男性が椅子に拘束されている。男性は何事か必死に訴えているようだが音声は記録されていないらしく何も聞こえない。

 動画が始まって十秒ほど経つと画面右端から二足直立歩行のカニがおもむろに現れる。これはカニ怪人と呼ばれるようになった。男性との比較による画像解析によれば背丈は百六十センチメートル前後ということらしい。

 カニ怪人は男性の訴えになどまるで頓着する様子を見せず、といってもカニの微妙な表情だとか機微だとかがだれにもわからないためにそう判断しただけであって、実際にはカニ怪人にもさまざまな葛藤なり考えなりがあるのだろうけれども、ともかくカニ怪人は男性に暗い赤紫の甲殻によるハサミを向ける。開いたハサミの隙間がぼうと赤く光り、その先にいる男性は赤い光に照らされる。すると男性はカニになる。

 画像解析の専門家から玄人はだしに多くの一般人による徹底した調査にもかかわらず、動画には演出や編集が入っている形跡などは一切見当たらず、ともかく赤い光に照らされた男性の姿は消え、あとには唐突に掌ほどの小カニだけが残る。小カニはわずか目をきょろきょろとさせるが、すぐにカニ怪人に慈しむように拾い上げられて、カニ怪人とともに画面から去っていく。

 動画はここで終わっている。合計で一分もないほどの場面も切り替わらない短い動画である。しかしカニウェブは存在が確認されてから瞬く間に人々の間に知れわたり、あの動画はトリックではないのか、イベントとか映画とかの宣伝ではないか、しかしもし本当にカニ怪人がカニ光線を浴びせるのであれば――。

 そうこうしているうちに判明した情報によれば、動画に映っている男性は実家から離れて一人暮らしをしていた大学三年生の所田信夫でほぼ間違いなく、そして彼はちょうどカニウェブ発覚二週間前ほどから行方不明になっていたとのことであった。

 同級生たちは、目隠しと猿ぐつわのために所田の顔をよく確認できなかったことと、所田とさほど交流がなかったこと、大学生が二週間程度音信不通になるなどそう珍しくないこと、しかし本当にあの動画の人物が所田だろうかという素朴な疑問のために今日まで言い出せずにいたそうである。

 所田の実家の両親はパソコンを使えず、取材にやってきたマスコミ関係者が持ち込んだ数葉の写真を見て今日になってようやく確認したとのことである。さすがは肉親、その写真を見てたちまちのうちに我が子であることを確信するや否や、ひどく取り乱して泣き崩れてしまった。

 かかる一部始終は何度となくテレビで伝えられ、もはやカニ光線の存在はあまねく人々が知るところとなった。

 動画の人物が特定されると事件はにわかに真実味を帯びてきたようで、あの人もこの人もカニ怪人の手でカニにされたのではないかという届出が警察へ殺到した。

 当初から警察の対応は鈍いものであった。動画の真贋が依然として確定的ではない、事件がはなはだばかげている、カニ怪人がどこのだれどころかカニウェブの運営状況すら全く手がかりをつかめずにいたからである。

 そのうちに街中でカニ化する人の目撃例が相次ぎだした。道を歩いている人間が突然赤い光に照らされたかと思うと、その後には小カニだけが残されるのである。

 もはや事態は一刻の猶予もならないようであるが、しかし有効な対策などだれにも立てようがないまま月日は過ぎていった。

 カニ化する人間は老若男女を問わず、だれもが平等にねらわれているようであった。カニとなった我が子を手に乗せながら涙ながらに取材に答える母親が、次の日には同じくカニにされて、父親の右手に小カニ、左手には小小カニ、ということすらあった。

 家の中、部屋の中とて安全ではないらしく、朝になってみると枕の上にはカニしかいなかったという話はいくらでも出てきた。

 外でカニを踏み潰しそうになった人間が、そのカニの恋人であるという人間に殴られるという事件が起こった。殴られた人間はその拍子で転倒し、頭の打ち所が悪かったらしく死んでしまった。

 かくしておれは裁判にかけられた。おれは弁護士に情状酌量を主張して、弁護士もその旨を裁判で強く訴えたのだが、くそまじめな顔をした裁判官はおれの戯言になどいっこう耳を傾ける素振りも見せず、少し腹を立てたような顔と口調で死刑判決を出してきた。

 後で聞いた話によれば、その裁判官は人間がカニ化するなんてばかげた事態を全く信じたくなかったらしく、依怙地になって極端に走ったそうである。

 ともかくおれは死刑にされちまうらしい。ばかげた人生だ。

 拘置所で本当にばかげた人生だったなんて壁にもたれてぼんやりとしていると、不意に手の甲にちくりとしたものを感じた。

 驚いて見てみるとどうやって忍び込んだのか智美が、おれが智美を間違えるはずがない、いた。

 智美、ご飯はきちんと食べているのだろうか、甲羅は乾いていないだろうか、寂しくしていなかっただろうか。おれが智美を見つめると、智美は小さなはさみをひょこひょこと振り上げた。

 おれはもう何もかもが嫌になってきた。

 そうだ、カニになろう。おれはカニになりたい。カニになって、智美と一緒にカニ歩きをして、ときどき泡を吹いたりしながら死んでいきたい。

 瞬間、おれの視界は真っ赤に染まった。

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