第10話
ターニャ・デグレチャフは軍人であり、魔導参謀将校であり、戦闘団長である。
しかしそれ以前に、前々世界よりの経済人であるという自負がある。
健全な経済活動こそ人類資本の根本である事を自明と確信する資本主義の信奉者。そして合理的な経済原理はその他の社会活動へも同様に有益であると信ずるシカゴ学派の徒である。
ゆえに、周辺地域の情報収集の過程で行商人ロン・バーロンや巡礼者オズワルドからもたらされたある由々しき情報は聞き捨てならないものだった。
「街道に匪賊の跳梁だと?」
「はい、珍しくもない事ですが、近頃は国境沿い特に多いとか」
オットーの聞いた噂に対して、オズワルドも同じ話を聞くと同意した。
治安がどれだけ保たれているかという事はその国家の国力に如実に相関している。一応国家を代表する人物に生活を依存しているターニャとしては憂慮すべき。
それでなくても、自分が住む地域において当然の安全確保がなされていないというのは由々しき事態だ。
「取り締まりは行われていないのかね?この国にも隣国にも騎士とやらはいるのだろう?」
当然の疑問に対して、二人は顔を見合わせて肩をすくめるばかり。どうやら騎士とやらに期待は全くできないらしいという事が、そのしぐさからありありと伝わってきた。
「領地が襲われたならともかく騎士様が商人ごときの為に動いてくれるはずはありません。僕らは所詮、賤業ですから」
ため息交じり自らをそう卑下してみるロンに対して、ターニャは眉を顰めて舌打ちをした。びくりと二人が震えたが、二人に対していら立ちを向けても仕方ない。
「はぁ。大地を耕さず、物を売り買いして儲ける商人は賤業が、まさに前近代的価値観、いや暗黒時代的というべきか」
前近代といえ商業が発展していた例はいくらでもある。ヴェネチアしかり、江戸しかり、長安しかり。戦国時代の第六天魔王ですら、財政基盤を安定させるために楽市楽座を敷き関所を廃していったほどだ。商取引の健全な発達は健全な経済発達の基礎の基礎なのだ。
「…それに隣国では傭兵くずれが騎士に取り立てられたとも聞きます。昔馴染みの副業に手を染めているのでは」
オズワルドから追加されるのは更にどうしようもない情報。
上に立つものが、治安維持という文明社会に必要不可欠なものすら提供できないどころか、積極的に略奪行為に手を染めるとは。
神聖不可侵なる私有財産権に対する冒涜に等しい行為には、不快を通り越して嫌悪に近い感情を抱かざるを得ない。
これは戦争以前の問題だ。
文明人、文化人として、そして一人の経済人としての尊厳に関わる大問題である。
ゆえにターニャは直訴せずはに居られない。
その足で王へ拝謁を申し出、王の間に案内されるまで長々と待たされた後に、ようやく拝謁が叶うとターニャは開口一番、単刀直入にこう言った。
「どうか匪賊討伐のご許可を」
玉座に座る王に跪き、粛々と自分の聞いた商人や旅人たちの窮状を説明し、その解決を嘆願する。並べる立てるのは、あくまでも正論、王道に沿ったまっとうな
「戦力はどうする?親衛隊を軽々しく動員するわけにはいかんぞ。国庫にも限りがある」
その直談判に対するヴァルド王の反応は、頭ごなしの否定ではなくコスト意識の確認。暗黒時代的環境の中では望外といって良いほど上等な部類の上司であると言えよう。
であれば経済人たるターニャとしては相手に利益をちゃんと提供できるという事を行動で示すのは当然の事。
「お任せください。すでに陛下より人員は頂いており訓練も施しております。このうえは有益な働きができるとお見せする時かと」
いくら正論と高説を並べ立てても、行動を伴わない言説に説得力はない。ビジネスには有言実行あるのみである。
「ほう、たったあれだけでか。それも諜報戦とやらの一環か?」
「はっ。おそらく戦力としては私一人で十分以上かと。であれば、如何に効率的に匪賊を補足し逃さず仕留めるかの問題。鍵を握るのは情報です」
「…面白い考え方だ。よかろう許可しよう」
ヴァルド公王は鷹揚にターニャの提案を裁可した。
頭を下げながら、ターニャ・デグレチャフもまた歯を牙のように剥きだしてニヤリと嗤った。
「ありがたき幸せ。朗報をお待ちください。必ずやご期待に応える事を約束しましょう」
「よろしかったのですか?」
ターニャが去った後にヴァルド王にそう確認したのは、国務を預かる大臣の一人、アルベール侯爵だ。ドラグニアの東に位置する侯爵領の領主だが、領地の管理は後継ぎ息子に任せてヴァルドの右腕として働いている。
ヴァルドからの信頼は篤く、執務の際には同席して補佐を務める事も多い。
「構わんだろう。わが国の民を襲う匪賊の討伐が有益である事は確かだ。それに、アレが一体どの程度の代物か興味がある」
「しかし、国境付近であまり派手に動くとハルガル王国と揉める可能性があります。今かの国と事を構えると、面倒なことになりかねませんが」
「匪賊討伐という名分があるなら構わんだろう。むしろ感謝されても良いはずだ」
懸念点を挙げるアルベール侯爵に対してヴァルドは肩をすくめて、それに、と付け加える。その表情には笑いは含まれない。
「アレはわが国の騎士でもなければ宮廷魔導師でも親衛隊でもない。勇者という器でもなかろう。ならば何かあっても俺が事を収める必要もない」
ヴァルドは公国の王として楽観的で、ある意味冷徹だった。もともと、召喚術式等というのはイチかバチかの物。いざとなれば切り捨てればよいのである。
だがしかし、二人はまだ知らない。
ターニャ・デグレチャフがいかなる人物かという事を。
世界に関たる帝国の英邁俊英が集結する参謀本部においてすら、とびきりの劇物として扱われる代物。
そして皮肉な事に、二人は身をもって知ることになる。
ターニャがまさに指摘した、事前に正確な情報を知っているという事の大切さを。
「さて諸君、匪賊討伐だ。陛下よりじきじきに拝命した」
ターニャは部下たちを睥睨しながらそう宣言した。
訓練の成果もあって、彼らはターニャの前に直立不動の姿勢を崩さない。指揮統制はなんとか形になったというべきだろう。
「冒涜的な犯罪行為を働く集団を発見し次第、これをこの世から駆逐していく。我々は陛下に食わせて頂いている身だ。ちゃんと
はっ、と声を揃えて威勢の良い返事が返ってくる。
しかし、匪賊討伐と聞いて目が泳いでいる事を隠しきれていない者もいる。
もともと戦闘要員としての訓練は行っていないのだから、ある意味当然かもしれない。
「おっと、しかし任務に関しては言葉の定義をしっかりとしなくてはな。匪賊討伐というとまるで我々が戦闘をするかのような誤解を諸君に与えてしまう」
ターニャは以前の教訓を活かしてちゃんと補足を入れる。
いわゆる戦闘行動の予定はないのだ、と。
「……あの、戦いにはならないと?匪賊を討伐するのでは?」
「ふむ、なるべく正確にいうのであれば、害獣駆除とでも呼ぶべきかな?単なる平和的社会貢献活動だよ」
「は、はあ」
メイド娘の疑問に対して、ターニャはにこやかに心配無用と答える。
軍隊がいない事になっている某国の役所言葉で言えば、これは非戦闘地域における治安維持活動。暴力装置たる軍隊というよりどちらかというと治安維持機構たる警察のお仕事の範疇。懐かしき士官候補生の演習課題くらいの代物。
とはいえ、あまり気を抜かれても困るので、ちゃんと喝も入れておく必要がある。
「ただし諸君、いくら簡単な
ターニャはぺろりと舌を舐めた。その口からは少女の無邪気な笑みが隠せない。
「
歯向かえない哀れな羊の肉を貪る事しか知らない駄犬どもめ。精々肥え太っているといいのだが。
秩序に敬意を払わない野蛮な野良犬と、
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