第23話 薄暗い檻の中で
黴臭い臭さと嗅ぎ慣れた鉄錆のような独特の臭い、身体どころか心さえも凍てつくような寒気の中で、スレイは覚醒した。後頭部に残る鈍い痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと身体を起こしていく。
身体に掛けられていた魔術学園のブレザーがずり落ちていくのを手で受け止めて、未だに感覚の鈍ったままの身体に活を入れながら、周囲の状況を確認する。
「ここは…牢屋か?ということは、無事にエルの悪夢に潜り込めたって事か」
岩を削って作られた薄暗い部屋。鉄格子の先に見える長い廊下には、僅かな魔力灯に照らされて、ホラー映画さながらの不気味さを醸し出している。
「スレイさん、目が覚めたんですね」
「起きてすぐに可愛い子がいるなら、こんな場所でも悪くない目覚めだ」
軽口を叩くスレイに姉と同じように口元に手を当てながら苦笑するエル。
強張った様子はなく、どこかリラックスしているようにも見えるが、いつもなら一人の悪夢に同行者が居るということが彼女の緊張を解しているのだろう。
身体に掛けられていた彼女のブレザーを返却したスレイは、衣服についた埃を軽く払いながら、鉄格子に近づいていく。
「このタイプの鍵ならすぐに解除できそうだな…」
スレイが、バックパックからロックピックを取り出そうとすると、
「その鉄格子の鍵ってかかってないんですよ」
エルの言葉に思わず、固まってしまうスレイ。
見せ場を失い、宙に浮いたまま固まっていた右手を仕方なくポケットに突っ込むと、空いたままの左手で鉄格子の扉に手を掛ける。
ギシギシと金属の軋む不快な音を立てながら開け放たれた鉄格子を抜けて、廊下に出るスレイとエル。
「なんというか、あれだな。気が抜けすぎたというべきかなぁ…」
ほんの少しだけ恥ずかしい思いをさせられたスレイは、どこか拗ねる様に言い訳をする。その姿にエルは微笑ましい笑顔を向けながら、お礼を告げる。
「いつもは、こんな寒くて怖い場所に一人きりだったんで私も気が抜けちゃったのです…スレイさん、緊張を解いてくれてありがとうございます」
エルは、服の裾を掴み、スレイの背中に隠れるようにお礼を告げる。
その行為は、スレイに彼女が丸々三ヶ月以上、この異常な場所に閉じ込められてきた事を理解させるには、十分過ぎた。
「個人的に今のは、なかった事にしてほしい…牢屋で、鍵が空いたままなんて思わないじゃないか。…さて、エルちゃんここの内部構造はどれくらい知っているんだ?」
「ふっふ…そうですね。…ここの構造は、地下にここと同様の収容施設があって…上の階へ続くようなルートには、おかしな化け物が徘徊しているのです」
「件の人間をつなぎ合わせて作った人型のような化け物ってやつか?」
「あの化け物には、攻撃が通用しません。そのルートを通ろうとする人間を捕まえて何かを吸い取ろうとする…感知能力も高くて、普通の人間なら相手をする事も困難なのです」
「…ただの魔物ってわけでもなさそうだし、やっぱり呪術によって作られた生物辺りが濃厚か?何かを吸い取るってところが気になるが、そいつ等にとって必要な行為なのは確かだな」
スレイは、足音の響く廊下を歩きながら、牢屋の中へと意識を割く。閉じ込められているのは何れも二十歳にも満たない十五歳半ばと思わしき少年・少女達。壁に背を預けながら顔を隠すように俯いたままだ。
「あの、彼らは…」
エルの静止に首を振るスレイ。
状況がわからない状況で大人数の連れて行動する事はできない。
「悪いな。まだ何もわかっていない状況で、彼ら全員を連れて行く事はできない…本当なら君も残ってほしい所なんだが…エルは止まらないだろ?」
「わかっちゃいますよね…私はここに残るつもりはないのです」
「リーザロッテに頼まれてるんだから、なるべく離れてくれるなよ」
「はいです!」
エルの力強い返事に彼女の頭を軽く撫でたスレイは、長い廊下の先にあった扉の前に立ち、その扉を極力音の出ないようにゆっくりと開けながら、周囲の様子を伺う。黴臭い臭さと嗅ぎ慣れた鉄錆のような独特の臭いの他に饐えた臭いやアンモニアの混じった臭いが混じりだす。
「オークの巣とは違ったベクトルの臭さだ」
長い廊下を抜けた先は、巨大な地下水路を無理に牢屋として拡張して作られた一種の収容施設。牢屋の中には、すでに皮と骨だけになったような人の成れの果てのようなものや発狂しながら鉄格子を叩き続ける者、ある意味この世の不を濃縮したような光景が広がっている。
「ここから先は、例の化け物が徘徊しているエリアです。極力、気をつけて進んでくださいね!」
エルの言葉に腰に下げた新しい武器の柄に触れながら頷き返す。
もっとも、この武器が果たして役に立つかは別の問題だがとスレイは心の中で呟きながら、片手でエルの身体を抱き寄せる。
妙に頬を赤く染めたエルを連れ、手馴れたように剥き出しになった岩肌に身を隠して通路の先の状況を確認しながら、少しずつ歩を進めていく。
下水路と思わしき脇を通るたびに異臭が襲い、時節牢屋の中の光景に吐き気を催す少女の背を擦りながら、心身を獲物を狩る狩人に切り替えたスレイは、前へと進み続ける。
「エル、止まれ」
小さく少女に用件を告げたスレイは、腰を低くして岩陰から薄暗い廊下を徘徊する赤黒い影に視線を向ける。複数の人体を強引につなぎ合わせ、構成されたその肉体は、四割ほど肌がなく露出した筋肉がそのままになっている。
見るからに不気味なありさまをした化け物は、覚束無い足取りのまま廊下を無作為に徘徊している。
「歩く人体模型もいいところだな…嫌な気配が尋常じゃない程伝わってくるぞ」
思わず呟いたスレイの声にエルは、スレイの身体にしがみついたまま、人体模型ってなんでしょうと頭を捻る。その姿に思わず、説明しようかと思ったが、すぐさまなかった事にして、岩陰から様子を伺い続ける。
ふと、化け物が牢屋の中に入っていく。同時に大きな悲鳴声が上がるが、その声も時間が立つに連れて徐々に小さくなっていく。
叫び声が収まった頃には、化け物は腹部を膨らませながらフラフラとした足取りで牢屋の中から出て行き、また廊下を徘徊し始める。
さしずめ、食事といったところだろうかとスレイは、心の中で呟きながら、徘徊する化け物の様子を伺っていたスレイに不意に悪寒が走る。まるで、存在に気がつかれ、五感の全てが警戒の鐘を鳴らしているような感覚。
体験した事のない未知の恐怖が迫ってきている。
すぐさま視線を逸らしたスレイは、エルの身体を包み込むように自分たちの存在を極限まで隠蔽させる。
時間が何倍にも引き延ばされていくような錯覚。
知覚していた気配が遠ざかっていくことを察したスレイは、岩壁を背にして座り込み、嘆息する。
「冗談じゃねえな…あの人間モドキ、視線向けただけでこっちを認識するなんて洒落にならないぞ」
スレイは、舌打ちしながら先ほど遭遇した化け物について分析をした結論を抱きかかえたままの少女に告げる。
「えっと…それって、どういうことなのでしょう?」
腕に包まれながら困惑気味に視線を向けるエルにスレイは、頭を掻く。
暫しの沈黙の後、スレイは返答を返した。
「あいつらは、こっちの視線を読み取って襲い掛かる。知覚が鋭いのは、それが原因。つまり、正真正銘の化け物って事だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。