第9話 転機

 オークとの交戦場所から離れた流星とエルフの姉妹の一行。

流星は、極僅かな魔素の乱れた感覚を感じるが、すぐにそれも収まりを見せる。召還後のトラブルで大気中の魔素の変化にほぼ影響されない体質になってしまった流星だが、魔素を感知する感覚までは失われているわけではない。


「なるほど、これがエルフお手製の結界の中ってところか」


 村の周囲を高密度と低密度の入れ混じる何十にも張られた霧状に大気に溶け込んだ極めて薄い魔素の壁が、結界内に入った対象の魔素を掻き乱し、その場の認識を狂わせる。前を歩いていたつもりなのに元の道に戻され、最悪自分のいる方位を見失って迷い続ける。

 森との調和を果たすエルフの自然を利用したある意味では究極の自然結界。


「結界の内側にいるって言うのに随分余裕そうね。その調子だと補助はいらないと思うけど…問題ないわよね?」


 少女の問いに頷く流星。

 初見では、看破することが難しい魔素の壁だが、突破法が分かれば答えは簡単に見つけられる。単純にエルフの補助を受けるか、大気中の魔素に自分を合わせるか、その場の魔素をかき乱して破壊する事でむりやり結界をこじ開けてしまえば突破が可能。

 

 オーク達は、この結界を数の力で無理矢理大気中の魔素を掻き乱して、結界を突破しようとしていたようだろうと流星は分析する。


「さて、どうして人間がエルフを助けたかって質問だったが…どこから話そうか。まずは俺がここにいる理由から話そうか?」


 流星の質問に彼女達は警戒しながらも無言で頷く。

 そんな彼女たちの視線の先には、ハルバートを突き立て、切り株に腰掛けながら、武器の整備を始める余裕すら見せるこの場でただ一人の人間。エルフの彼女達には、目の前の人間の見せる行動が理解できなかった。


 エルフの結界の中ということは、すでにエルフのテリトリーだというのにまったく余裕を崩さない態度と行動。それは、今まで会った事のある人間とは、別の場所で生きているようにも感じさせる。


「昨夜、村の安全を確保するためにオークの巣を潰したら、偶々オークの通った後を辿ったら君たちがいたってところだ。ここまで質問はあるか?」


 流星は、ハルバートを赤黒く染めた汚れを拭いながら、エルフの少女達に視線を向ける。


「あの炎と煙は、あなたの仕業なのね」


 流星は、どこか納得するような姉の態度に僅かに驚きを見せる。話が長続きするだろうと考えていた為、エリナと呼ばれた彼女の反応は、意外だった。


「その、あれだ。人間の話を信じるのか?」


 やや言葉を濁すようにに返事を返す流星に少女は続ける。


「あなたの戦い方は、下手に魔素を流すことで、自身の得物の消耗を早めるような人間にありがちな短期で野蛮な戦い方じゃない。多数を相手にしても乱れることのない洗れ…いえ、戦い慣れているのかしら?傍で戦ったからこそ、ただの人間じゃないのは分かるわ」


 予想外の好印象を与えていた事に内心、腕が訛ってなくて安堵する流星は、少女に借したショートブレードを確認して、苦笑する。視線の先にあるショートブレードは、歪みや刃毀れもなく自身の血が滴った以外は、貸した時と同じような状態を保っている。


「それをいうなら、君のショートブレードの扱いも悪くないがな」


 余程刃物の扱いに慣れていなければ、他人の貸した武器をここまで綺麗な状態で返す事はできない。


「お姉ちゃんの流れるような動き、かっこよかったよね!」


 目を輝かせながら姉の活躍を自慢げに語るエルフの少女の姿が、もう思い出せない誰かと重なる。


「よしなさい、ミリシャ。その話が本当だとしても、エルフを助ける理由にはならない」


 ほんの少し表情を緩めたエリナは、妹を軽く窘めながらさらに質問を続けていく。


「理由…理由ねぇ、最初は交渉でもしてから借りを作ろうと思ったけど、目の前で泣きそうな顔されたら見ちゃいられないから手を貸した。それだけだな」


 目の前にいる流星は、言いたいことだけ言うと手持ちの武器の手入れを終わらせて、バックパックから取り出した干した果実を齧り始める。そんな、どこか飄々としたその態度にエリナは苛立ちと困惑を隠せない。


「それで…その見返りに何を求める気?」


 どんな無茶な要求をしてくるのか見当もつかない。せめて、妹の身だけは必ず守ると誓ったエリナは、腰に差した小さなナイフの柄に触れながら、その解答を待つ。


「お姉ちゃん…」


 姉妹の姿を見ながら、食べていた干した果物を飲みこみ、流星はゆっくりと口を開く。


「面倒だから考えてなかったわ。そういうことは、うちの支部長様に任せてる」


 目の前の姉妹は、あっけにとられた顔をしている。貸しでも作ろうと思った人間が、突然内容の事をまったく考えていなかったと答えれば当然のことだ。


「い、意味が分からないわ。他人任せだなんて…」


 本人は、助けた貸し借りという面倒事を支部長のヴァイスに全部押し付けて、狩ってきた食料を食べよう程度にしか考えていない。そんな微妙なリアクションの所為で、少女たちには流星が何を考えているか分からなかった。


「あ――考えなしに飛び出した愚か者ってところだな。さて…俺は、あれだ。えーっと、この先の村にあるアスタルテ支部所属の冒険者スレイ。あー…新人たちのこと言えないわ」


 未だに慣れない偽名の自己紹介をぎこちなく済ませる流星。そんな目の前の男に警戒しても無駄と判断したのかエリナは、ナイフの柄に触れた手をゆっくりと下ろしていく。


「あなたみたいな変な人間初めてよ。私の名前は、エリナ。真意はどうであれ、さっきのお礼はしておくわ。助けてくれてありがとう」


 エルフの好むチュニックタイプの衣服を身に纏い、乾燥させた蔦を編みこんで作ったベルトで短剣や小瓶などの装備品を括り付けた服装。透き通るようなエメラルドグリーンの長髪と瞳。エルフ独特の上に尖った特徴的な耳と人間と比べると異質と呼ぶべき芸術的な美しさ。サリナと比べると多少控えめなボディーラインだが、妹よりも身長の高くスラッとしたモデル体型。オークに捕まった時に破れた衣服から露出した白い柔肌が少女の魅力を強調させている。


「私は、エリナお姉ちゃんの妹のミリシャだよ。さっきはお姉ちゃんを助けてくれてありがとう!」


 姉と似た服装の上に薄手のローブを身に纏い、身の丈ほどある長い杖を持った少女。姉と違い肩で揃えたセミショートの髪を揺らしている姿からは、アクティブな雰囲気を漂わせている。


「どういたしまして」


 彼女たちの感謝を告げる姿に軽く口元を緩める。どこの世界でも姉妹という生き物は、似て育つ生き物のようだ。18歳と14歳程度の若い年齢に見えるが、エルフとしての特徴や魅力はよく出ている。


「しっかし、オークが二か所に巣を作ってエルフを襲う…ねぇ。なにか心当たりはあるのか?」


 椅子代わりにしていた切り株からゆっくりと立ち上がり、ため息をつく。

 オークという種族の特性上、巣が近隣のエリアに作られるということは、巣同士で狩場の抗争を行いかねない。近隣の2箇所に巣が作られている今回のケースは、魔物の繁殖期である大氾濫でも見ることがないような極めて稀なケースだ。


「私達の村は、この辺りに移住したばかりよ…その時に目を付けられていたのかも知れない」


 表面上は平静を装いながら、ためらうように返事を返すエリナ。


「移住?森に定住する住民のエルフが移住なんて、なにがあったんだ?」


 流星が、どこか陰りを見せる少女たちの姿に思わず話題に踏み込むと、彼女たちを襲った悲劇のその一端をエリナは語りだす。


「私たちの森が死んでしまったの」


「随分物騒な表現だな」


 森の死。

 一般的には、山火事や災害で森に住めなくなるような状況で止むを得ず森を捨て、移動してきたことになるが、魔素の濃度の高い森林地帯に住むエルフたちにとって、基本的に山火事や災害は殆ど無縁の関係。この世界の魔素濃度が通常よりも高い場所は、自然環境をより強靭な物へ変化させる傾向がある。

 流星は、疑問を浮かべながらエリナに続きを促す。


「文字通りの意味よ。私たちは、フィルマードの森に静かに暮らしていた。そんなある日、突然森の魔素がどこかに奪われるように減少していった」


 フィルマードの森といえば、王国北西部に広がるエルフの住む緑豊かな森。

その豊富な魔素は、エルフに王国でも手が出せないような強力な守護と恩恵を与え続けていた。その森の魔素が急激に減少して、死の森へ変化する。明らかに自然現象では、起こりえないような出来事に流星の中で一つの仮説が浮かび上がる。


「もっとも近い王国に助けを求めた私達だったけど、当然の如く拒否された。使者に出た私の父が帰った時には、頭だけ」


 王国は、人間至上主義の強く、人間以外の亜人系種族に風当たりが強い土地。

 異世界召還から呼び出される異世界の住人も人間に限定されている辺りも人間至上主義に関係しているのだろう。つまり、ヴァイスの言っていた王国の陰謀説もあながち間違えではないように思えてくる。


「残った私たちは、王国の兵士に森を追われながらも、なんとかこの森にたどり着いた。ようやく疲弊した皆の傷も癒えはじめた時なのに王国の次は、オークに村を狙ってるなんて…」


「お姉ちゃん…」


 嗚咽交じりの声で、語るエリナをそっと支えるミリシャ。

流星は、多くの同胞の屍と苦難の道を乗り越えてきたであろう彼女たちの姿にどこか自分を重ねてしまう。

 

 流星も彼女たちと同じように奪われた苦しみを背負って生きている。冒険者としてだけでなくこの世界を生きるスレイとして、ここで手を引く選択肢はなくなった。


「元よりオークの討伐は、俺の仕事だ。後は任せて、村に戻って守りを固めてな」


 確かに流星には、あの時、あの場所で、彼女たちを見捨てた後にオークにとって楽しいパーティ会場を襲撃して楽をすることもできた。


「お兄さん1人で戦うんですか!?」


「さっきの数の倍はいるのよ。そんなの無謀よ…」


 彼女たちに手を貸した理由は、きっと誰かが残していった正義感と彼らが誇りにした冒険者の維持や騎士の精神の残滓。叩けば壊れてしまうような薄っぺらい理由だが、自分と同じような絶望感を抱いたエルフの為にこの獲物を振るうのも―――存外悪くないかもしれない。


「無茶と無謀は、昔から仲がいいんだ」


 どちらにしろ、巣を破壊しなければいずれアスタルテの村への脅威になる以上、見逃すわけにはいかない。流星――もとい、スレイにとっての理由は、それで十分すぎる程だ。


「えーっと、エリナとミリシャか。オークの巣の場所は、分かるか?」


 スレイは、未だ不安げに目を向けてくる少女たちに視線を向けて問いかける。雰囲気の変わった目の前の男にわかったと静かに頷いて、エリナはオークの巣のある方向へ指を指す。


「ここから真っ直ぐ向かった先にある森が切り開かれた場所よ」


 エリナの説明を補足するようにミリシャが木の枝で地面に簡単な図を書いて補足をはじめていく。周囲は切り倒された木々で壁を作り、二箇所ある見張り台が巣の全体をカバーするような楕円形の形をした一種の砦。

 


「こんな感じで切り倒した森の木を使って、一種の砦みたいになってて、中の様子は分からないけど…多分さっきの数の倍はいると思うの」


「となると流石に一度戦力を立て直すか…」


 その規模は、先ほど迎撃した数では収まらないだろう。オークに近寄られなければ、対処の仕様は幾らでもあるが、戦力差が大きすぎるとスレイは顔を顰める。


「村を狙われているのは、私達エルフよ。これは、私の仕事でもあるから同行するわ」


「お姉ちゃん1人だけに行かせるのは、心配だから私も同行するよ!」


「ミリシャは残りなさい!」


 突然の妹の行動に驚きながらもすぐさま止めに入るエリナ。そんな姉の心配はいざ知らず、ミリシャは得意げに話を続ける。


「はいはい、お姉ちゃんは黙ってて!ということで、これで3人。多少の戦力差でも怖いもの無しだよ!」


 ブイサインを送るミリシャは、エルフにしては、大分というかかなりお転婆な少女のようだ。隣で頭を抱える姉の苦労が、見て取れるが、戦力差を考えると先程の魔法は心強い。

 詠唱に時間はかかるため連射はできないが、森というエルフにとって最高の環境に後押しされる攻撃力は、サリアの光魔法を凌ぐ。


「そいつはありがたい話だが、いいのか?」


「問題しかないけど、やるしかないでしょ」


 折れない妹に折れる姉。

 やはり、この世界でもこの構図はよくあるのだろうか。昔読んだ本の中出てきた姉妹も同じような行動をしていた。


「でも殆どのエルフは、未だに疲弊してる状況。戦えるのは実質私たち二人だけよ」


 スレイの顔をチラッと確認しながら、神妙な表情を浮かべながら手持ちのカードを晒すエリナ。俯き、自嘲気味の語る彼女の表情を窺うことはできない。


「…生憎日も大分落ちてることだし早めに決行しよう。エルフの村に攻めてくる前に敵陣を落とす必要もあるからな」


「村に戻れば、私の準備はすぐに終わるわ。使い切った矢を補充するだけよ」


「なら、ここで合流して出発だな」


「…それじゃ、すぐ戻るわ」


 駆け足で、魔素に包まれた霧の中を進んでいくエリナ。姉の姿は、霧で見えなくなるが、ミリシャは着いて行かないようだ。


「一緒に行かなくてよかったのか?」


「ん、スレイさんとお喋りでもしておこうかなって」


「なら、試しにこのカードを握って多めに魔素を込めてほしいだけど、頼めるか?」


 話題作りの為、バックパックに仕舞ったままにしていたミスリル銀で加工されたギルドカードをミリシャに手渡しする。投げ渡そうかと思ったが、流石に昨日の今日で大事にしろと念押しされたギルドカード。

 一応、大切に扱ったほうがいいだろうとスレイは普段よりも多少丁寧に扱った。


「これってギルドカードだよね?しかもミスリル銀ってこんなカードあるんだー」


「なんか、特別性らしいから面白い仕掛けでもあると思うぞ」


 ヴァイスの腕が確かならば、おそらく魔素に反応する仕掛けがあるだろうと冒険者としての勘が告げている。爆発とかしなければいいのだが――引き攣った表情を浮かべながら、ミリシャとギルドカードの行方を見守るスレイ。


「えぇ?うーん…よく分からないけど、折角だから試してみるね!」


 ミリシャが、魔素を送り込むと表面に薄く刻印され、保護されていた術式が徐々に発光しながら姿を現す。


「わっわ、光ってる!」


 内心爆発しなくてよかったと安堵しながら、カードに展開された見覚えのある魔法陣を見つめるスレイ。確かに便利な機能。


 魔素を放出できない自分では、一人で使えないカードを渡す辺り、遠まわしに信頼できる仲間を早く見つけろと言わんばかりの悪意を感じるが、突破口に繋がるならば今だけは、目を瞑ることにした。

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