第8話 それは、三度目の…
「さて、一通りの話はすんだね」
紅茶で騒いでいたヴァイスは、ふと思い出したかのように冷静な顔を取り戻す。
「ヴァイス、彼らの出発までにこの村でやることは何だ?」
一通りの話を終えた流星は、渋い顔をしながらヴァイスに尋ねる。
緊急依頼を終わらせた為、村の中の依頼をこなすぐらいしかギルド内の依頼はないだろう。
しいて言うなら、宿屋に食材を持ち込むことや昨夜の戦闘跡での見回りぐらいの筈だ。
この地で放置した魔物死体の腐敗速度は、1日で骨に変わるほどの速度だ。
詳しくは現在も調査されているようだが、大気に魔素が放出されることで肉体を維持できずに崩壊するという特異なプロセスを挟んでいるようだ。
魔物の死体は、魔素を注ぎ肉体の崩壊を食い止めながら行うか、特殊な処理を施された処理場に持ち込み、然るべき処理を行わなければいけない。
グラージボアのような大型の魔物ならともかく、オーク程度の体格では、すでに大気中に散ってしまっているだろう。
「彼らの出発までに君にやってもらいたい支部からの依頼は、主にこの村の安全の確保だね。別件だと食料の確保もしてもらえるとなにかと都合がいいのだけど…」
口元に手を当て、何かを考え込むヴァイス。
また、何か妙なことを企んではいないだろうかと疑ってしまう辺り、大体この男のパターンが分かってきた気がする流星は、僅かに苦笑する。
「昨日の残党がいないかの確認と周辺に妙な魔物が住み着いていないかの確認。ついでに長期行動に向けての保存食の確保ってところか?」
ヴァイスは、笑いをこらえるように追加のオーダーを流星に提案した。
「ついでに彼らに与える依頼がなくなったら、また"子守"も頼むよ。なんせ、私もいろいろと忙しくて中々見てやれていないからねえー。頼りにしているよ!」
その言葉に昨晩の食料たちに起きた悲劇がフラッシュバックしていく。
あの時、目の前で、サリアの魔法で精製された光の槍が、食料たちを貫いていき、灰にしていく悪夢のような光景を思い出して、げんなりとした顔で嘆息する。
「サリアが、また食材を灰にする光景が浮かびそうだ…」
「君って食に関しては、根に持つタイプなの?」
「美味いんだぞ?」
ヴァイスの言葉に思わず即答する。
特に変異体のような特殊な固体は、無駄な肉がより削ぎ落とされて美味しく頂ける貴重な肉。
塩コショウなどの香辛料をガンガン利かせて串にして炭火焼にしても美味いし、鍋にして煮込んでもトロトロになった部位の旨みが濃厚。
この世界の魔物に不味い魔物はいないのではないだろうかというのが、流星の持論だ。
「変な話かもしれないが、生き残りがいるといいねえ…いや、支部としてはいない方が全然いいんだけどね」
ヴァイスの例え話に苦笑しながら、頷く。
妙な話ではあるが、食料がいないことに越したことはない。
いっその事、羽の生えたトカゲもといドラゴン辺りが出てくればいいのだが、偏狭の村の山の中じゃ、でかいトカゲには期待できそうもない。
「オークくらいなら探せばどこにでもいそうだけどなぁー…んじゃ、東の森の警戒に当たってくる。早ければ夕方にでも戻る予定だが、なにかオーダーはあるか?」
椅子から立ち上がり、ヴァイスの返事を聞くこともなくそのまま支部の出入り口へ歩き出していく。
「よろしくねー。あ、獲物が取れたら宿屋へ頼むよ。今夜の夕食はそれに決まりだ」
「まて、保存食の話はどこへいった?」
「なーに作る分は、ちょっと残しておけばいいのさ」
まったく悪びれる様子もなく、返事を返してくる。
やっぱり、こいつ肉食べたいだけなんじゃないんだろうかと思った流星は渋い顔をしながらドアを閉じるとドア越しに聞こえてくる肉々という声にため息が漏れた。
流星がギルド支部から離れたことを確認したヴァイスは、宝玉を取り出し、魔素を喚起させていく。
「さてと、自分から繋ぐ時はめんどくさいんだよねえ…」
思わず愚痴を漏らしながら、喚起した魔素が宝玉に伝わり、淡く光を放ちながら宙に浮き、距離を越えた通信が繋がれる。
「さてと…やぁ、カレン久しぶりだね」
『まったく、いったい何の用だ?こっちは、めんどくさい書類の山ばかりで全然外に出してくれないんだ。お前のその…変な冗談を聞く暇はないんだぞ』
「また、結婚してくれとかじゃない。君の聞きたかった朗報だ」
ヴァイスは、通話相手の行動に思わず、本人が見えもしないのに両手を全力で振りながら否定する。
通話越しに嘆息が聞こえてくるのが、あえて触れない。
通話の相手を怒らせると何が飛んでくるか分からないことは、自身がよく理解しているからだ。
冷や汗を流しながら、ヴァイスは、彼女に伝えるべき内容を語り始める。
「君が探していた一人の話をしようかと思ってね。そう、私たちにとっての切り札の話だ。事前に君から聞いていた情報よりも随分時間はかかったようだけど、彼が見つかった」
流星から預かったギルドカードへ視線を向けたヴァイスは、傷だらけのギルドカードから、彼起こった出来事を静かに語っている。
決して脆い素材ではないギルドカードが傷だらけになるような状況。
魔術師であるヴァイスにとって、それは理解のできない世界でもあるが、通話相手なら流星の過ごした時間を理解できるのだろうか。
『そうか…彼が見つかったか。従兄弟から死体が持ち去られていたという噂や彼を名乗る不届き者の話は聞いていたが、やはり生きていたんだな』
通話越しにほっと胸を撫で下ろす声に彼女も今まで連絡がなかった事を少々焦っていた様だとヴァイスは分析する。
思わず頬を緩めながら彼女の"勘"と強運を引き寄せるセンスに脱帽する。
「君の"勘"ってやつも相変わらずのようだね。流石は我等の取りまとめる長にして、ギルド最強の戦乙女って所か」
少しだけ茶化すヴァイスにやや怒気を込めた通信相手。
『次にその呼び方をしたらぶん殴る。そういう呼び方をされるのは、嫌いって知ってるだろ。たくっ、ヴァイスはわざとやってるのか?』
「私は事実を言っただけに過ぎないが…ま、謝罪はしておくよ」
『それで、話の続きは?彼が見つかったにせよ、ギルド…いや、オレ達に協力するとは限らないだろ。オレも人伝にしか彼の存在を聞いたことがないからなんとも言えないが…交渉はうまくいきそうなのか?』
「保護されるつもりなんて元よりない彼は、共に動いてもらうことにしたよ。君から届けられたギルドカードは、多少機能を拡張して彼に渡しておいたよ」
『流石、オレの見込んだ策士。普段は胡散臭いのにこういう時には頼りになるな。……なぁ、ヴァイス』
「なんだい?」
彼女が名前を呼ぶときは、決まって弱気な姿を見せる時。
その姿が容易に想像できたヴァイスは、静かに瞼を閉じて続きを促す。
『オレたちは、世界を変えることができるのかなって、たまに不安になる。やっている事が本当に正しい事なのかってな…』
彼女に対しては、気の聴いた言葉をかけるよりも"らしくない"と答えた方が、効果があると判断した策士はすぐさま行動に移す。
それは、お互いに信頼関係があるからこその行動。
だからこそ、彼が彼女に策士と呼ばれ信頼関係が築けているのだろう。
「らしくないね。ギルドの緩やかな腐敗に改革を起こした戦乙女の言葉とは、思えない言葉だ」
私だから聞かせられる言葉とでも受け取ってかまわないかいと心の中に付け加えながら、言葉にできなかった自身を自嘲する。
『たくっ、態々強調するように言う事はないだろ。この世界はこのままにしておいちゃいけない。私の"勘"って奴はよく当たる。だが、今回の件は流石に大きすぎる…』
「君の言う事ももっともだ。だけど、私たちは、自分たちの手で終わらせて自立しなければいけない。この召還というシステムで成り立つ今の歪な世界を」
『…くっそ、真面目な事を言ってる時には、まともなのに』
戦乙女の小さな呟き声は、策士には届かない。
それは、術式が認識できない程の本当に小さな呟き声。
「ごめん、もう一度言ってくれないか?きちんと音声が乗らなかったようだが…」
『あ、悪い。通信状況悪い』
どこか気恥ずかしくなったギルド最強の戦乙女は、通信を無理やり切断した。
その言葉を最後に発光を止めた宝玉は、ゆっくりとヴァイスの手に落ちていく。
「えっ、ちょっと待ってくれ。あー!切れた!また切られた!!」
支部の中で一人叫び続けるヴァイスは、やがて力尽きて不貞寝を始めた。
「それで、なんで二人とも付いて来ているんだ?」
宿屋に戻り装備を整えた流星が、東の森へ向かっている最中に合流して来た新人たちを見ながら、流星は問いかける。
彼らは、村の中の依頼をこなす予定ではなかったのだろうかという疑問にサリアが答える。
「ヴァイス先輩が、今日はこっちに回れって指示を出したんです」
「依頼表が何も貼ってなかったんで、驚きましたよ…なんか不貞寝してましたけど」
不貞寝してたってどういうことだと疑問が浮かんだが、ヴァイスの行動をいちいち気にしていたらきりがなさそうなので、触れないことにした。
「ということは、二人とも一体どんなペースで依頼をこなしていたんだ?」
「私たちは、依頼が貼られるたびに全部こなしてましたよ」
恐らく、村の依頼の大半を二人でこなしてしまったのだろう。
小さな偏狭の村ということもあり、依頼の数も少ないだろうが彼らができる依頼となれば、その数は少なくもなる。
ヴァイスのことだからなんだかんだで、二人で数日かけてこなせる依頼を用意していたのだろうが、それを超える二人の処理能力。
思わず、呆れながらも返事を返す。
「なるほど、ヴァイスの想像以上に二人が働きすぎたってところか」
「あんまり褒められてはいない気がしますけど…」
「先輩としてのアドバイスは、休むことも覚えましょうってところか?もっとも、村の中の依頼だけに限定されていたようだし、依頼を全部こなして、支持を無視して村の外に飛び出しても仕方ないか」
サリアに視線を向けるとどこか居心地の悪そうな顔になっているのを見て、苦笑する。
「うぅ…あんまりその話は蒸し返さないでくださいよー」
「それは気が向いたら蒸し返してくださいという前振りだな。サリアの所為で忘れるところだったけど、二人ともヴァイスから何をするか聞いているか?」
「ま、前振りじゃないですし!それ私の所為なんですかーーー!」
もちろんですという笑顔を向けて、肩を叩くとサリアが顔を真っ赤にしながら足を止めてしまうが、リオンと共に東の森の奥へ足を進める流星。
突然足を止めた彼女を待つ人間はここにはいない。
「正直なところ、依頼もないからスレイさんについて行けって言われて追い出されたんですよね」
脳内で、サムズアップする胡散臭い支部長に思わず、嘆息が漏れる。
思わず、果実酒を飲みすぎて用意するのも忘れたんじゃないかと勘繰ってしまう。
「さて、今からする事だが…昨日の残党がいないかの確認と東の森の安全の確保ってところか」
「巣も壊したのに打ち洩らしっているんですかね?」
リオンの疑問ももっともだが、打ち洩らしは稀にある話だ。
一般的に巣を破壊された魔物は、人里に近寄らずにその場所を離れていく。
リーダー格の魔物が生き残っていると生き残りを纏めて攻め込んでくる話もあるが、それは特殊なケースだ。
「まぁ、たまにいるけど本命は、安全の確保だな」
「ちょっと!!!リオーーン!!スレイさーーーん!!!!なんで置いて行くんですか!!!」
後ろから賑やかな声を上げながらサリアが迫ってくるが、すかさず後ろに回りこみそのまま抱きかかえる。
「ひゃあっ!!ちょっ…スレイさん!?」
少女一人を軽々と持ち上げて、なだらかな山道を進んでいく流星。
彼にとっては、昨日のオークの群れを灰にした意趣返しのようなものだ。
もっとも、担がれて運ぶ少女としてはたまったものではないだろう。
「よーしリオン、このままいくぞー」
「わかりました。サリアは、そのまま運ばれて行ってねー」
「うぅ…これ、昨日と同じ構図だよー」
「灰にした罪は重い。ちなみにあれ、然るべき場所で換金すると二人がもらった腕輪分以上になったりもするから仕方ないな」
荷物のように運びながら、獲物の素材について講義を続けながら森の奥へと足を進める一行。
もっとも、真っ赤になった少女がどこまで話を聞いていたか、隣で笑顔を浮かべていたリオンだけが知っている。
流星の先導で、元オークの巣だった場所までやってきた一行だったが、サリアの魔法と液体燃料で派手に炎を上げたこの場所は、その原形すら留めていない。
「中に入るまでもない。この分なら近いうちにここを崩しておくだけでも十分だな」
流星の目には、外側から洞窟内の様子を伺っても、黒焦げになった巣の残骸が残っているようにしか見えない。この分では、中に入ったとしても危険なだけで何も見つからないだろう。
「サリアどんだけ火力籠めたのさ」
「私はそんなに火力籠めてないから!えっとほら…多分」
サリアは、反論しようとするが、途中からその声は小さくなり、そのまま視線を逸らした。リオンからしてみれば、いつもの彼女の"悪い癖"が出てしまっただけだろうと察しながら苦笑する。
「あー…多分、液体燃料と魔法で想定以上に燃えただけだろうな、うん」
思わず助け舟を出す流星だったが、途中から面倒になり、サリアから視線を逸らしてほかの場所の探索を始めた。
「リオンにもその気遣いを学ばせてくださいよー…」
まだ、未熟な彼らを連れている以上、特に警戒するほどの魔物がこの辺りに住んでいないだろうが、最低限の警戒を怠るわけにもいかない。なにより、索敵を怠って敵の接近を許す情けない事は流星のプライドが許さなかった。
探索を始めて10分。
未だに弄られてコロコロと表情を変化させるサリアに苦笑しながら探索を続けていると、洞穴から少し離れた位置には、なにかを引きずるような痕が森の奥まで続いている。
「…これは?」
流星は、なにかが通った際に残された痕に眉をひそめる。
それなりの大きさのなにかを引き摺りながら持ち去った際にできたであろう地面に刻み込まれた痕跡。
「なんですかね、この痕?武器を引きずっていくような…」
昨晩戦ったオークたちは、それなりに連携もしており偽装工作もでき、村の戦力を測るために斥候を出すような知恵も持っていた。
斥候とは、つまりオークの本陣を出す前に送る偵察や警戒を行う仕事。
手馴れた変異体を送り込み、戦力の削られた村から出てきた残りの冒険者を斥候がジワジワと追い詰めていくような戦術を行えた相手。目の前の不自然すぎる痕を辿れば、待ち受けるのは、オーク…あるいは、別の何かだろうかと訝しむ。
「2人は先に戻ってろ。ここからは俺の仕事だ」
有無を言わせぬ流星の言葉に静かに頷き返すリオンとサリアは、目つきを変えて村への撤収準備を開始する。撤収準備を始める二人に手持ちの装備品のいくつかを預けて、ハルバードを覆う布を剥ぎ取り、外気にその刃を晒す。
日の光に晒されたハルバートは、鈍い光を刃から放ちその存在を主張する。
「スレイさん、気をつけて」
心配そうな視線を向けてくるサリアの頭を軽く小突いて、視線を森の奥へ向ける。
「サリア、俺の荷物を頼む。後、リオンは支部長によろしく言っておいてくれ」
「分かりました!僕らは、非常時に備えておきます」
「責任もって運ばせてもらいます!」
僅かに頼もしさを感じさせる二人に軽く手を振り、痕跡の続く森の奥へと歩を進めていく。進んでいくたびに何かが通りすぎた時に折れた枝や抉れた地面の痕が続いているのが、はっきりとしている。
「これは…大分めんどくさい事になってたりするのか?」
更に痕跡を追っていくと流星の索敵に何かが引っかかり、即座に身体が警戒態勢に切り替わる。
ガサッ。
音が響いた瞬間、限りなく地面と水平にうつ伏せになり、素早く自身の存在を隠蔽し、近付く脅威から身を隠す。自然を知り、調和する事で自身の存在を極限まで隠蔽すると同時に周囲の情報を自然から受け取る技術。
それが、流星の隠蔽術の基本だ。
「ナンノオトダ?」
「ドウシタ、ダレモイナイゾ」
どこか曇った様なオーク独特の喋り声が辺りに響く。
流星は、身丈が十分隠れるであろう林の中へとゆっくりと匍匐で移動して、声の主の様子を伺う。普段よりも甘くなっていた索敵に内心舌打ちするが、目の前のオークたちは、昨日戦ったオークたちよりも洗練、もしくは敏感のように感じさせる。
昨日までなら一筋縄ではいかないが、手元に握った獲物があればどうにでもなると僅かに口元を歪ませ、ハルバートを握る拳に力を籠める。流星には、ショートブレードよりも攻撃力の高いこの
「キノセイカ?」
「オマエ、クスリノツカイスギダ」
雑談を続けるオークを這い蹲りながらやり過ごし、周囲を警戒しながらオーク達の後をつけて行く流星。
優れた肉体を持つオーク。
その聴覚は人並みだが、その音を判別するだけの知能が足りていない。そのため、人間よりも遥かに優れた肉体を持つオークだが、一度視覚から外れてしまえば隠れてその場を乗り切ることも容易い。
「キノウ、トナリノスガモエタナ」
「エルフノムラ…オソウニンズウヘッタ」
「アイツラツカエナイナ」
薬、エルフの村いくつかの単語から想像するにいくつかに拠点を分けて同時にエルフの村を襲う算段だったようだ。それにしても、オークの使う薬となると少々不味い事になるかもしれない。容易に想像出来る可能性にハルバードを握る手に力が入る。
オークの精製する薬と言えば、肉体強化薬。
その本質は、主に生存本能を増幅することで、耐久性や筋力を一時的に増幅させるブーストドラッグ。人間なら少量の摂取で廃人にしてしまう程の劇薬。
肉体的にも人間やエルフよりも強固なオークが使うことで、生存本能を刺激させ、一時的にその力を更に高めることができる。新人達の使う防壁程度ならば一撃で抜いてしまうだろう。
森を知り尽くしたエルフと言えど、薬で強化されたオークを前にしては、クマの目の前で吊るされたハチミツといったところだろうが、あまり面白い事態ではない。
流星は、早速面倒事かと内心舌打ちをしてしまう。
下手に人間が手を出すことで、余計なトラブルを招くことになるかもしれないが、交渉事にも優秀そうな参謀もいる。ここで、エルフに借りを作るのも悪くないだろうと結論付け、林に身を隠しながら移動を続けていると、ヒュッという風切り音が響くと同時に先頭を歩く1匹のオークの足に突き刺さる一本の矢。
その矢は、エルフとの戦闘に巻き込まれたことを意味する。
思わず勘弁してくれと内心呟きながら、手早く状況を確認すると自分の隠れている場所は、矢の放たれたであろうポイントとオークとの間で完全に板ばさみ状態にされてしまっている。
オーク達から少々離れたい位置から弓を使った狙撃をしたエルフは、森の中を疾走しながらオークに向かって矢を放ち続けている。どちらの勢力も刺激しないようにその場を抜け出すのは、少々厳しい状況だ。
「エルフダ!ツカマエロ!!」
周囲に散らばっていた薬で強化されたオーク達が、傷を負いながらも矢を放ち続けるエルフを徐々に追い詰めていくが、それを見越したかのように隠れていたもう1人のエルフが、強力な魔術を放つことでその数を減らしていく。
質で攻めるエルフと量で潰すオーク。
どちらも譲らない戦いを繰り広げているが、エルフ二人に対して、オークの数は、すでに十五匹を超えている。近辺にかなり大きな巣がある事を確信した流星は、醒めた瞳で目の前の光景を見守り続ける。
「ミリシャ、まだ!?もう、矢がもたない!」
「お姉ちゃん、まだ待って!」
透き通るようなエメラルドグリーンの長髪を揺らしながら、2人のエルフの少女たちは、果敢にも迫るオークに挑み続けるが多勢に無勢。質がよくても、圧倒的な量が僅かな希望も無残にひき潰して行く。
弓を使いオークを足止めしている姉の矢が尽きた時、オークに捕捉されてしまった姉は、抵抗する間もなく悲鳴を上げながら片手で持ち上げられてしまう。宙吊りになる形となった姉のエルフは、ずり落ちる服を片手で抑えながら、小さなナイフで必死に抵抗を続けているが、彼女の抵抗も無駄な足掻き。
ナイフを握る手をオークに軽く握られ、握力を奪われたその手から小さな希望は零れ落ちた。
「エリナお姉ちゃん!!」
「ナエドコ、ツカマエタ」
宙吊りにされた姉は、必死に全身を動かして、なんとかオークの拘束から抜け出そうとするが、その行為はオークを更に刺激し、数匹のオークが彼女の元へと迫っていく。布越しにそそり立つそれが彼女の恐怖を煽らせるが、妹の為に手の震えを握り締め、最後の気力を振り絞る。
「逃げなさいミリシャ!早く逃げて!!…こっちを見ないで 走って逃げなさい!」
捕らえられた姉を救おうと術を展開している妹に向かって強く叫ぶ。
これから行われるであろう行為から妹を守る為、自身に行われるであろう光景を妹に見せない為に姉は叫び続ける。
「お姉ちゃんを置いてはいけないッ!」
反論して術を編み続けながら闇雲に術を行使する妹にも徐々にオークが迫ってきていた。彼女に与えられた選択肢は、姉を救うか、術式を中断して逃げ出すか、自分も捕まるかの三択しか残されていない。
そう、あくまで少女には。
「それは見ちゃいられないな」
突如、エルフを捕らえていたオークを宙を舞うように回転するハルバードの凶刃が襲いかかる。肉体強化された身体と遠心力で破壊力を増したハルバートの無慈悲な一撃が繰り出され、滑るようにその胴体を引き裂き、着地と同時に腕を切断されたオークは、自分の身に何が起きたのかも理解できずに絶命する。
「っと、危ない危ない」
力を失った腕から零れ落ちたエルフを空いた片腕と身体でしっかりと受け止めて、エリナと呼ばれた少女を地に下ろす。
「に、人間がどうして…」
突然現れた人間に命を救われたエルフの少女は、困惑しながらもすぐさま自身の武器を探そうと辺りを探るが、大型の刃を持ったナイフは、崩れ落ちたオークの下敷きになってしまっている。
「それは、ここを切り抜けてからだ。とりあえず、武器がないならこれを使え」
エリナに自身のショートブレードを鞘ごと投げ渡すと同時に身体強化術式を走らせ、手近にいたオークとの距離を詰め寄り、ハルバードの先端を頭部に突き立てる。鋭い槍は、眼球を貫き、その先も抉っていく感触が手元に伝わるが、すぐさま手元に引き寄せ、そのまま斧部で叩き割るように頭部を破壊する。
「礼は言わないわよ、人間」
突然奪われた同胞の命と開放されたエルフの片割れに動揺するオークだが、すぐに体勢を立て直し、自分達の狩りの邪魔をする新たな敵へと襲い掛かる。
「お姉ちゃん大丈夫!あ、後、誰か分からないですけどありがとうございます!」
警戒すると姉とは、対象的に魔法を展開しながらも例を告げるミリシャと呼ばれた妹の態度に思わず苦笑しながらもオークを片付けていく。薙ぎ払い、突きたて、武器を絡めとり、ハルバートを自身の腕の延長のように扱いながら時に音もなく宙を舞いその数を着実に減らしていく。
「なんなら火を吐くような空飛ぶトカゲが追加で出てきてもいいぞ?」
狩場は逆転した。
足りなかった前衛の守りを流星が受け持つことで、劣勢であった状況は大きく好転する。元よりエルフの力を存分に振るうことができる森という環境と魔法の詠唱まで、確実に足止めすることができる腕前を持つ前衛。
生存本能を高めて耐久性の高くなったオークといえど、量を勝った圧倒的な質に勝てる道理もなく、次々にその数を減らし続け、森に静寂が訪れる。
「人間がエルフを助けるなんて、何の真似?」
背後から首元に自身のショートブレードを向けながら、ゆっくりと流星の正面に回りこむエリナ。彼剥き出しの敵意と探るような警戒心を見せながら、冷ややかな視線を送る彼女の姿にやはり、こうなったかと溜息をつきながら視線を返す。
「こっちに敵意はないから場所を移さないか?全部片付けたとは言え、暴れすぎた。この場に残ると次のオークが来る。話はそれからでもかまわないだろう」
「その時は、足を切り裂いて、この子を連れて逃げるから安心しなさい」
「エリナお姉ちゃん、助けてもらったのにそんなのダメだよ!」
非難するミリシャの意見にどこか渋るような表情を見せながらもエリナは、自身の意見を崩さず、ショートブレードの刃を流星に向け続ける。
「いくら妹の頼みでも、これは譲れない。人間が私達にした仕打ちを考えたら当然の事よ…」
エメラルドグリーンの髪に似たその瞳から、静かな闘志を感じさせる彼女の過去に何があったのか分からないが、このままの状態では、埒が明かないだと判断した流星は、素早く行動を移す。
「なら、こうするまでだ」
左手に持ったハルバードを投げ捨てると同時に左足を軸に身体を僅かに屈ませて、ショートブレードの根元を右手で掴み取り、彼女の行動を拘束する。肉が裂け、血が滴り落ちることも躊躇いもない流星の行動にエルフの少女達は、驚きを見せる。
「は、離せ!」
根元を捕まれてまったく動く気配のないショートブレードを必死に動かそうとするエリナ。流星は、そのままショートブレードをひねり取り、ハルバードの落ちた傍まで放り投げる。
「武装解除だ。悪いが、俺もこんな場所でやられるつもりはない。場所を移してくれないか?」
「っ――」
肉が裂け、滴り落ちる拳を突きつけた少女達は、思わず口を閉ざしてしまう。
正気なのか狂人なのか分からない突然の行為。
オークを目の前にした時に感じた生理的険悪感による恐怖よりも圧倒的な強者を目の前にした恐怖や緊張感が二人を包んでいく。強気な表情を崩さない流星に対して、少女達は緊張した面持ちで口を開いた。
「…わかったわ。一旦、安全な場所まで案内する」
「あぁ、この状態で連戦なんて御免だぞ」
強気な表情を崩し、苦笑いをしながら左手で武器を拾う姿。
少女達には、自分達を硬直させるだけのプレッシャーを放った人間と本当に同一人物なのかと顔を見合わせながら困惑してしまうが、その場を離れるために手早く歩き出した。
「あの、手の怪我は大丈夫ですか…?」
流星の隣に来て赤く染まった右手を心配そうに見つめる。折れない姉を動かすために自ら負傷した命の恩人に対しての罪悪感が、逸早く彼女に行動させた。
「まぁ、見てな」
そんな彼女の行動に苦笑しながら、水筒の水を使って血を洗い流した後に乾いた布で拭いとり、彼女に右手を見せ付ける。
「この程度なら自前で直せるから大丈夫だ」
少女に見せた右手の怪我は、すでに塞がっていた。
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