第6話 彼女には誰も勝てない

 立ち止まった足元に手にした種を落とした。

 揺らめく闇の中心で種は、小さな芽を出した。




「朝か…」

 

 二度、三度瞬きをしながら、窓から差し込む僅かな朝日を忌々しそうに手で遮り、未だに目覚めの悪い体を起こす。冷え切った部屋の冷気が身体の熱を奪っていく。

 よくよく考えれば、こんな冷気の中を野宿してアスタルテに来たのだから笑うしかないなと苦笑する。


 この村に来るまでの道のりは、氷点下の気温のせいで、ろくに眠れもしない上に魔物や野生生物さらには、王国からの追っ手にすら目を向けなければいけなかった。

 1人で行動するということは、身を守ってくれるものは自分の感覚。

その感覚に自信があったからこそ、こうして屋根も壁も布団もある宿屋で熟睡できるのだろう。


 体温の残る布団を抜け出し、クローゼットに投げられた自分の生命線と仕事道具を点検を始める。防具に破損箇所はないか、刃に刃毀れや歪みが出ていないかじっくりと時間を使う。

 野宿では、基本的につけっ放しの武器や防具。

 当然、簡単な手入れなどはするが、入念なチェックをして警戒を緩めるわけにはいかない。


 単独の旅は、野外の危険と隣合わせであると同時に武器や防具と相談しながら、いかに戦闘を回避するかというセンスも求められる。


「新しいものを買い直したほうがいいのかもしれないな…」


 目の前に並べた戦友達は、いずれも長い間共に戦い身を守ってくれた愛着のある品だが、いずれもどこかにガタがきていた。留め具一つとっても命取りになりかねない世界の前では、道具への愛着で命が助かるほど単純な世界ではない。


「旅費が思ったより高く付き添うになるが、どこかでいい依頼でも見つけないとお話になりそうにないな」


 ため息をつきながら、普段から防具の下に着込む動きやすい服装に着替えて、着替えの貯まった籠を持ち、部屋のドアを開ける。部屋よりも詰めたい空気に足が止まりかけるが、そのまま一階に下りて、外の井戸水を使い、貯まっていた洗濯物を手洗いしてまだ何も干されていない洗濯竿にかけていく。


「あぁー…息白いし、手は真っ赤だしやだねえ」


 冷え切った手に息を吹きかけて、擦って摩擦熱を起こすが、あまり効果はない為、止むを得ず、体内の魔素を廻して多少の暖を得ていると背後から近寄ってくる足音。


「あれ?スレイ君もう起きてたんだ…冒険者さんは朝が早いんだねー」


 振り返るとエミリーが眠そうな顔をしながら、近寄ってくる。

その手には、ずいぶん大きな釜を持っているが、恐らく朝食の為に水を汲みに来たのだろう。元の世界と比べると水道や下水の技術がどれだけ利便性を秘めていたのか嫌でも思い知らされる。


「長旅で、洗濯物貯まってたからな」


 洗濯竿1本丸々使いきった洗濯物の山に指を差す。

バックの中に詰め込んだ衣服の大半が掛けられている筈だ。


「うん、凄い量だね…今日は晴れそうだけど乾くかなぁー」


 エミリーの言葉に思わず同意するが、ふと便利な魔法が使えそうな後輩の姿が頭をよぎる。魔素の豊富な彼女ならば、乾かない洗濯物に温風を掛けて乾かすことも簡単なのではないだろうか。


「その時は、サリアの魔法で乾かせばいいんじゃないか?」


「サリアちゃん便利屋扱いだ!乾かない時は依頼出さなきゃー!」


 その言葉に思わず、納得したのか手を叩くエミリーを見て、思わず苦笑しながら、彼女の持つ釜に井戸水を注ぎ込む。


「ありがとね!サリアちゃんならどこでも水作って注げそうだよねー」


「ちなみに魔術で生成された水って、井戸水とかと違って飲んでも美味しくないぞ」


「えー…サリアちゃん洗濯物を乾かすことしかできないんだ」


 散々な言われようだが、きっと食材を灰にした彼女が悪いということにしておこう。本人が聞いてたら、涙目で洗濯物乾かす以外にも火とか付けられますからと必死になりそうだ。


「それじゃ、部屋に物を取ってくるから一旦戻るよ」


「はーい、朝食楽しみにしててね!」


 手を振る彼女に見送られながら、一旦自室に戻り、壁に立てかけておいたハルバードを手にする。懐かしさを感じさせる重量感が、命がけの日々を再生していくようだ。巻きつけた布を剥ぎ取りながら、その刀身を晒していく。回収されてから随分長いこと放置されていたであろうハルバートには、刃に随分と特殊な細工が施されている為、放置されていた時間を感じさせない。

 貴族の好むような観賞用の美しい装飾もなく、堅実的で戦闘を突き詰めているようだ。


「この武器を作った鍛冶師も使っていた人間も中々いいセンスをしている」


 機嫌よく宿屋の外に出るとすでにエミリーは宿屋の中に戻ったようだ。調理場の煙突から白い煙が上がっている辺り、朝食の準備でも始めているころだろう。


「さて、始めるか…」

 

 手にしたハルバードを薙ぎ払い、突き、そして振り下ろす。久しく握っていなかった武器と記憶の中にある獲物とは、間に存在する違和感を埋めていくように一連の動作を何度も繰り返して行う。


 朝日が完全に昇りきる頃には、整備するまで抜けないであろう埋め難い違和感と多少落ちた筋力を除くとかつての勘を取り戻しつつあった。


(自己加速術式…)


 自身の数少ない切り札を使い、新たな獲物を存分に振るい、手元に躍らせていく。

 かつての武器と比べると僅かにずれた重心など気になることばかりだが、その手にある重量感こそが、かつての友の帰還を告げる。


 新たな名前とかつての獲物、そして昨夜のヴァイスとのやり取り、徐々に無くしたもの、奪われたものを取り戻していく事実が、流星に微かな高揚感を与えてくれる。


(後は、"アレ"を取り戻すだけだな)


 薪置き場から拝借して来た大量の未加工の薪を足元にばら撒き、最後の調整の準備を整える。多少乱れた呼吸を整え、静かに瞼を閉じる。瞳から得られる情報を遮断することで、ほかの神経を研ぎ澄ましていく。


「いくか」


 小さく呟いた言葉と同時に大量の薪を蹴り上げながら、あらゆる神経を研ぎ澄まし、宙を舞う薪をハルバートで両断していく。あるときは、突き上げ、切り上げ、切り捨て、切り払い、時に柄で殴りながら、全ての薪を両断するまで薪を蹴り上げ続けていき、足元から薪が無くなる頃には、周囲に大量の両断された薪がばら撒かれる。


「終わったな」


「お疲れ様です、スレイさん」


 宿屋の入り口で、見学していたであろうリオンから濡れたタオルを受け取り、礼を告げ、ハルバートを立てかける。朝日に当たった彼の癖毛の強い色素の薄い茶色の髪が、彼の雰囲気をガラリと変化させている。


「礼ならエミリーちゃんに言ってあげてください。僕は見ていただけなので」


「それでも礼くらい言うさ、助かる」


 リオンの手を借りながら、散らかした薪を片付け終わると彼を連れて食堂へ向かいエミリーに斬り終えた薪の報告をしてから、席に座る。


「ところで、サリアはどうしたんだ?」


「あー…いつも通りですね。そろそろ来るとは思いますけど」


 タイミングを合わせたように、二階から響くドタバタとした足音。ため息を突きながら軽く頭を振るリオンの姿からは、相方にずいぶん苦労していることが伺える。


「苦労してるんだな」


「慣れですよ、これも」


 彼の指した指先が食堂の出入り口を指すと同時にブロンドカラーの髪を揺らしながら同年代の少女よりも随分発育のいい少女サリア。


「お、おはようございます…!今日は間に合ったよね!!」


「よかったね、サリア。今日は朝ごはんが食べれるよ」


 茶化すようなリオンを気にせず、どこかほっとした表情を見せているところを見る限り、よっぽど切羽詰って降りて来たのだろう。


「サリアちゃんももうちょっと早く起きなきゃダメだよー?それじゃあ、みんな集まったし朝食の時間だよ!」


 一人ずつパンとスープとプレートを手際よく配膳していくエミリーの姿に感心する。プレートにのせられた熱々のソーセージとスクランブルエッグ、ベーコンと野菜を煮込んだスープにパンが朝食のようだ。

 随分張り切って動かした身体が、失ったカロリーを求めている。


「それじゃあ召し上がれ!」


 早速、スープに硬いパンを千切って、柔らかくして食べると野菜の甘みとベーコンの旨みのよく効いたスープの染みたパンが美味い。俗に言う粗末なパンで、始めてこの世界に来た時には、食べ方がわからずに苦労した記憶が懐かしくも感じる。


「そのソーセージは、この村で作ってるものだよー」


 彼女の言葉に反応して、すかさずフォークを握り、口にするとパリッとした皮とジューシーな中身に舌も心も躍り出すようだ。所謂、フランクフルトに近いであろうボリュームのソーセージは、まるで中身の詰まった宝箱でも持っているような錯覚すら与えてくれる。

 さて、次はどれに手をつけてくれようかと考えていると目の前のトト…もといトマトソースの付けられたスクランブルエッグに釘付けにされる。


「エミリー、この玉子は何の卵だ?」


「それは、ルフの卵だよ。私がちっちゃい頃に拾ってきて、飼育してるんだよー」


 ルフといえば、大型の鳥で人間を襲うような野生の鳥だったはずだが、ヒナの頃から育てると一応ちゃんと飼育ができる生き物であると聞いたことがある。

 滅多に姿を見せないことから捕獲が難しく、その卵も素材も貴重品だ。


「えへへ、4匹はいるから玉子料理は、いっぱい作れるんだよねー」


 目の前の少女の発言に戦慄を覚えながら、同じ物を食べている新人達に目を向けると案の定固まっている。貴重品と知ってか、知らずの発言か分からないが、目の前の少女も父親と同じようによく分からない存在だと結論付け、ルフの玉子のスクランブルエッグを食する。


 玉子の持つ強い甘みとそれを強調させるトマトソースが実に美味い。鶏などの卵とは、違うふんわりと蕩ける様な触感で、未知の食体験とでも名付けるべきだろうか。

 これでケーキを作ったら、とろけるスポンジケーキのようなよく分からないデザートが作れそうだ。


「これ、すっごく美味しいよ!実家でもこんな玉子料理出てこないよ!!」


「ヴァイス先輩の支部に来れてよかったねー」


「そういえば2人ともいつまでこの支部にいるつもりなんだ?」


 食事を続けながら、疑問に思っていた滞在期間を尋ねる。流星は、2人の滞在期間しだいでは、調査と装備の修復と新調のために一度、学園都市まで向かうついでに護衛として、着いて行く気でいた。


「えーっと、支部の応援が来るまではこっちに滞在する予定ですね」


「もう暫くは、ここにいるってことか」


「なら、ちょうどいい。お前たちの学園の帰還に俺も護衛として同行しよう」


 突然の言葉に顔を見合わせる新人と看板娘。

それもその筈だろう。支部の専属になった男が護衛として、支部を離れると言い出したのだから、その反応も当然だろう。


「ええっ!?ここの支部の専属になったんですよね!!」


「色々あって学園都市方面に用事を片付けないといけないことになったからな。ヴァイスの使いみたいなものだから安心しろ」


 彼らの背後にゆっくりと忍び寄る影に確認の視線を送るとサムズアップが返ってくる。どうやら、本人確認も問題ないようだ。


「そういうわけだ。君たちには、優秀な護衛を付けるから、帰りの道中は安心していいと思うよ?」


 背後から声をかけたヴァイスに三人が三様に驚きを見せる中、一人箸を進め続ける。キツネのようにモフモフとしたケモノ耳をピンと立てたエミリー、思わず椅子を引いて倒れかけるサリア、そして固まるリオン。愉快な光景ではあるが、やられた方はたまったものじゃない筈だ。


「さて、スレイ。君には、別件で話を纏めておきたい事があるからこの後、時間をもらえるかな?」


「あぁ、昨日の件を纏めるんだろ?」


「その通り。さてとー…エミリー、私にも朝食貰えるかな?」


「朝からビックリさせてくるような支部長さんには、朝食抜きです」


 根に持ったらしいエミリーの朝食抜き発言に固まるヴァイスだが、自業自得というやつではないだろうか。サリアとリオンだけならよかったが、エミリーがいたことがヴァイスの最大の誤算。

 流星は、手元のグラスに注がれた冷たい水を飲み干すとそっと呟いた。


 エミリーには、誰も勝てそうもないな。

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