第12話 決着~勝利の代償

 リュカオンの大きく開けた口からは砕けた薄金鎧の破片がこぼれ落ちる。

何とか繋がっているとはいえ、デメトリオスのダラリと垂れた腕からは絶え間なく流血している。


「なるほど……拙者が大鎗と投げ槍を同時に使えぬようにでござるか」


「師匠!!!」


「なぁに案ずることはござらん。これでも壁くらいの役割は……」


ズガァァァァン!! 


 だが、言い終わる前に空中からのリュカオンの降下による衝撃がさらに何度も大地を揺らす。

防戦一方となった二人も辛うじて迎撃するも、ことごとくがリュカオンによけられていた。


 投石機カタパルトの弾が意思を持って襲いかかるようなその攻撃は、繰り出されるたび木々をなぎ倒し、大地を抉り幾重もの土砂を降り注がせる。


「フィオナ!! これでも僕は戦っちゃいけないのか!!」


「リアム。貴方の中にいる魔精霊なら奴とも戦えるかもしれない。でも、これは貴方を守るための戦いなのよ……」

 

 フィオナとメディア、二人を抱きかかえたままリアムは拳で壁面を叩く。

 満身創痍になりながらもヘリオスとデメトリオスが外で戦っている姿を見て、騎士であるはずの自分が何もできないのが悔しい。

 人間の何倍も丈夫とはいえ機動力を封じられた人馬族ケンタウロスでは人狼族リュカオンには勝てないだろう。当たってからでもかわせるという言葉の通り、あらゆる攻撃は回避されてしまう。

 

 打って出たところでリアムの実力ではリュカオンを視界に捉えることすら難しい。

もちろん彼が弱いのではない。


 リュカオンが強すぎるのだ。


「リアム。今は二人を守るのがお前の責務だ。なに、いざとなれば俺にも勇者の奥の手というものがあるさ」

 その気持ちを察したのかヘリオスは場違いな程明るくそう告げた。

 勇者ヘリオスは諦めない。

 どれほど速かろうと軌道さえ読めれば迎え撃てる。その自信はある。

それに……相手が魔人王の一人ならば勇者の力を使う覚悟を決めるのも当然のことだ。

口調こそ軽い物だが、さすがにその顔には疲労の色が見える。


 気力が尽きたとき。すなわち加護障壁が尽きる時まで彼は一歩も引くつもりは無い。


「その心意気、さすがは誓約の勇者といったところでしょうか? 降伏するならこちらはいつでも受け入れますよ」


 致命的な一撃を繰り返しながら、リュカオンは問う。

風よりも早い無敵の怪物の口ぶりは、まだまだ余裕を感じさせる。


「俺は最後まで戦う」


 その様子にメディアも立ち上がり精神の集中を始める。


「ヘリオス様、限界までわたしも戦います。」 


「だめだ。二人を守るんだ。いざというときはメディたちは逃げてくれても構わない」


「命令でもそれはできません。わたしはヘリオス・ジェイソンの紋章官です。ごめんなさいフィオナ先生、わたしが倒れないように支えてください」


 抱きかかえられていた無言で支えようと寄り添ったフィオナは、彼女が震えていることに気づく。


 そうだ。他の4人とは違いメディアは2年前までは普通の少女だったのだ。

 

 フィオナはどこかに感情の鈍さを抱えていることは自分でも自覚している。

そんなメディアが伝承に語られるような最強の魔人アトラスと戦うなんて恐いに決まっている。


「なにを話しているのかは存じませんが、そろそろ諦めてはいかがですか? あなたがたがどれほど足掻こうとも、この人間族ヘレネスの世は始めから不完全だったのですよ。変化の神が望むように世界は完璧に作り替えなくてはいけません」


「その完璧とは随分と安いものでござるな。勝利のためなら平気で信念を曲げるなど人馬族ケンタウロスであれば追放ものの大失態よ!」


「黙りなさい! 裏切者ケンタウロス


 人馬族ケンタウロスには飛礫による攻撃は効かぬため、再び音の壁を生む前足の一撃が振り下ろす。

 それはデメトリオスの狙い通りだ。タイミングをあわせて前足を斬り落とそうとするヘリオスの一撃を、リュカオンは慌てて飛び退いてかわす。


「あなたたちが王都アルカディアを去り、七つの丘にただ一人残された我らの始祖こそが父神アトラスの世界をやり直すという大義を守ろうとしたのです。その志を理解なさらないのであれば、不本意ですがここで死んでいただくしかありません」


 1500年、気の遠くなるような長い時間、帝国と世界とを滅ぼすために人狼族リュカオンは存在してきた。今の帝国にいる6人の王が彼らが守護する七つの丘を捨てた後、残された魔人族と人間族を束ねて君臨した帝国全ての敵。それが人狼。


 その圧倒的な力を持つ化け物が、仕切り直しとでも言うように、積み上がった岩の上でまさに睥睨といった様子で、こちらを見下ろしていた。


「大丈夫よ。必ず私が勝たせるわ」


 なおも震えるメディアを抱えながら見上げるフィオナ。

ほんのわずかな違和感が小骨のように思考の端に引っかかる。


 自分は何かを見落としてはいないか?


「はい。あのヒュドラーがいたら大変でしたけど、敵は一人です。一騎打ちならヘリオス様は絶対に負けません。それにデメトリオス様もわたしたちだっています」


「そうよね。あのヒュドラーと挟み撃ちにでもされてたら、こちらは手も足も出なかったかも……」


 フィオナは自分の言葉に今まで以上の違和感を覚える。


「ちょっと待って。リアムなら人数が少ないことを承知で、味方を殺すような真似をする?」


 メディアを支えるフィオナを更に後ろから支える形になっているリアムに問う。


「リュカオンは僕の紋章の力は知らない。それならばヒュドラーをけしかけるか、殺して毒を撒いた方が僕たち相手に有利に戦えたはずだ」


「どういうことでござるか?」

 

 腕に応急処置用の布を巻き付けながらデメトリオスが問う。

メディアに止血してもらえれば、まだ少しは戦えるはずだ。


「こちらに毒が効かないこと知らないのにわざわざ毒を出さないようにヒュドラーを殺す意味はないわ。それにいきなり馬車を狙ったのも、もしも私たちが狙いで無かったとしたら?」


 リュカオンは力を見せつけるため、すなわち脅迫の材料としてヒュドラーを殺した。ケンタウロスの機動力を封じるために敢えて信念を曲げて皇帝戦車を狙う作戦に切り替えた。


 それはとても一貫性のある戦術に見える。


 しかしリアムのいう通り、ヒュドラーを殺すことで有利にならないのなら、ヒュドラーの巣に誘い込んで挟撃すれば良かったはず。

 

 それはつまりヒュドラーを殺しデメトリオスを狙うことにこそ意味があるのだ。


「メディア、デメトリオスさんの治療が済んだら、奴に魔法を撃って!」


「え? でもリュカオンはあらゆる魔法を弾き返すことができるのでは?」


「撃つのは破壊の魔法じゃ無いわ」


 耳元で囁かれた魔法の名にメディアは驚きの表情を浮かべる。


「わかりました。先生を信じます」


 聖印を握りしめ、止血の祈念を始めるメディア。

 

フィオナは世界辞典マグナ・コスモスを手繰り、古い人狼の記録を呼び出す。

 

 そうだ。人狼は過去に倒されている。

このわずかの間に他にも不自然さを見落としてはいないか?

その事実を武器にして、逆転の一手とする。


 この思考こそが戦う力を持たないフィオナの刃。

この局面を打開するためには正しい答えを突きつけなくてはならないのだ!


「それでは……そろそろ終わりにさせていただきましょう」


 リュカオンは鍵盤楽器でも打ち鳴らすかのように両前足を大地に叩きつけた。

その足下からは渦を巻いて吹き上がった岩石による暗闇の天蓋が現出する。


「アァァァァァァッァ!!!オオオォォォォォォォォォッッッ!!!!」

 

 落下するよりも早く岩石の天蓋をまといリュカオンは突進する。

 聞くだけで士気が挫けそうな遠吠えとともに叩きつけられる魔獣の巨体と石の嵐。


「まだまだよ! 当てられなければ迎え撃てばいい!」


 手持ちの馬上鎗の力で大地を壁に変えながら、デメトリオスも降り注ぐ岩塊をものともせず、果敢に相手に捨て身の体当たりを繰り出す。


 猛烈な勢いで飛び出したリュカオンは、そのまま跳び上がり空中で魔獣から人狼の姿へと戻る。


「今度こそ倒させてもらう!」


 声は更に上から響いた。

ヘリオスは降り注ぐ石の雪崩を駆け上がり、リュカオンを待ち構えていた。


「まさか、いつ!!!」


 後悔の叫びを終えるよりも早く、必殺必滅の一撃がリュカオンを頭から真っ二つにする。

そしてそのまま剣戟で生じた音の壁が敵を押しつぶす。


「やったか?」


 掛け値無しに渾身の一撃。

ガクリと膝をつき立ち上がろうとするが、ヘリオスは全身の筋肉が軋み起き上がることができない。


「ヘリオス殿、大丈夫でござるか?」


 血は止まっているとはいえかなりの傷を負っているデメトリオスがヘリオスに駆け寄る。


「ああ、何とか……」


 ドガァァァァァァン!!!!


 その時再び巨大な鉄球を叩きつけるような音が響き、ヘリオスの身体が跳ね飛ばされる。


「ヘリオス殿!」


 デメトリオスが受け止めるが、その耳元にパリンッと破滅を告げる音が響く。


「今の攻撃は予想外でしたよ。人馬族ケンタウロスの連携力を甘く見すぎたようです。二度ならず三度までもこの身を斬られることになるとは。ですが、もう障壁は消えましたね。あと一撃で終わりです」


 リュカオンの言うとおり。

ヘリオスを守る加護障壁は消失した。

つまり……リュカオンの攻撃が当たればヘリオスはこの世から消え失せてしまうだろう。

その言葉に嘘偽りはない。

 

 だが、予想された一撃はすぐには来なかった。

今までと違い、完全な再生に時間が掛かっているのだ。


 こちらの攻撃は確かに効いていた。ただそれ以上にリュカオンは頑健だ。


「お主も口ぶりほどの余裕は無さそうでござるな」


「それでも二人殺すくらいなら造作も有りませんよ」


 本当に軽やかに、踊るような勢いでリュカオンは爪や足を繰り出してくる。

 ヘリオスを庇うように鎗を突き出してその攻撃をデメトリオスは防ぎきる。


『命ずる。【明示せよ】輝きを持って秩序ならざる御業を!』

 

 自在に跳ね回るリュカオンの身体がメディアの呪文の詠唱とともに青白い輝きを放つ。突然の事態に、彼は自分の身に降りかかった魔法を打ち払おうと手で振り払う。


「紋章官。私の身体に魔法とは、主を殺されそうになり気でも触れましたか?」


 主の危機に少しでも注意を逸らすために破壊で無い魔法を撃ったのか?

リュカオンの身を包む青い光は吸い込まれるように消えた。


「ほんの一瞬の時間稼ぎにはなったようですね。他愛もない」


 自分の身体に魔法が効果を現していることに一瞬たじろいだが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「そうでもないわ」

 

 馬車の中でフィオナは確信する。

 

 僅かに相手の足が止まった一時。


 このわずかな一瞬が人狼族の無敵ともいえる不死の秘密を明らかにした。

世界辞典が示した答えは、彼らが決して不死身の化け物でないことを告げていた。


「メディア、『紋章』を使うわ。リアムも『紋章』を準備して。出るわよ」


「はい。先生」


「わかったよ。フィオナ」


 自分の紋章には戦う力が無いことはわかっていてもリアムは何も聞き返さない。

さっきまでは絶対に表に出るなといっていたフィオナが、今度は二人で一緒に出るという。

 

 それならば、フィオナを信じることに躊躇ためらいなどあろうはずもない。


「ええ。私たちで奴を倒すのよ。メディア、ここに手を置いて」


「はい。これは?」


「契約よ。私が倒れたらあなたがこの本の継承者よ。以前にも伝えたけれどこれは人が大魔法を行使するための魔道書でもあるわ」


 倒すためには皇帝戦車の外に出なければならない。二人の身が無事で有る保証は無い。

この戦力でリュカオンを止めるには複数人での詠唱が必須の第二階梯正法が必須の条件だ。


 その奇跡を可能にするには世界辞典マグナ・コスモスの力を借りるしか無い。

二人を傷つけさせるようなことはさせてたまるかと思いながらも、メディアは世界辞典に手を乗せる。


世界辞典マグナ・コスモスよ。フィオナ・グレンの名に置いて命ずる、我が弟子メディア・ラプシスにその力を貸し与えたまえ』


 世界辞典に刻まれたフィオナの名前の下にメディアの名が浮かび上がる。


「デメトリオスさんは奴の動きが止まったら岩石で相手を包み込んでください」


「承知した。足止めにしかならぬが良いのでござるか?」


「ええ、それでいいわ。ごめんヘリオス。もう一撃だけがんばって」


「相変わらず無茶をいう。だがやって見せよう。リアム。しっかりフィオナを守るんだ。わかったな?」


「わかりました」


「全くさっきから何をゴチャゴチャと。もう逃げ回るだけしかできないでしょうに」


 言葉と共に大地を抉る強烈な回し蹴りが放たれる。

開け放たれた皇帝戦車の扉にも容赦なく飛礫は襲いかかるが、それはリアムが鎗で振り払う。


「そうでも無いさ。リュカオン。今度は僕がお前を止めてみせる」


「それは……紋章!? 降る気はどうやらなさそうですね」


 リアムの手に紋章を確認しリュカオンは慌てて距離を取る。

そのまま戦況を確認し、もう一度魔獣の姿へと変わる。


「そうなるわ。貴方は当然知っているわよね。『人狼族リュカオンは死ぬときに死体を残さない』。

世界辞典は教えてくれたわ。歴史上、倒されたリュカオンの死体は一度たりとも確認されていない。それが不死身の秘密を明らかにするきっかけだったわ」


「それがどうしたのいうのです? 我らは魔人アトラスの王、部下が持ち去ったかもしれませんし、貴方たちの前で死ぬ姿を見せなかっただけではないのですか? そんなもので我らが不死を打ち破れるはずはありません」 


 思えばリュカオンは最初から身体的優位を基に計算され尽くした攻撃をしていた。


 彼が最初にヘリオスを襲ったのは、ヘリオスの技を知らなかったからだ。


 それがある程度実力を見た後で今度はデメトリオスに襲いかかった。

もちろんそれにだって理由が有る。


「そうでもないわ。貴方は昨日一人でいたリアムを襲う機会があった。だけどそれはできなかった。そのためにわざわざヒュドラーを追い立てるなんて真似をして私達をおびき出した。そしてここからが本題」


 どこを攻撃しようか逡巡しゅんじゅんしながら、リュカオンは守りを固める。

その行為すらもフィオナの推測を確信に変えるには十分だ。


「ヒュドラーを襲ったのも皇帝戦車を狙ったのも理由は同じ。貴方たちリュカオンの不滅の肉体は魔力を吸い上げて肉体に変換している。つまり人狼族のその姿は獣に変身しているのでは無いわ。いうなれば自分自身を破壊の魔法に変えている。だから魔力を得るためにあんな真似をしたのね」


 そう。人狼の死体は残らない。今までの歴史の中で人狼が倒されたと言われているのは、多くの場合、弾き返せないほどの大魔法の直撃を受けた場合のみ。


 魔法同士がぶつかった場合、威力の弱い方が消滅する。

 

「そんなもの推測にすぎませんよ」


「最初に斬られてみせたのも私達に不死身だと思わせるための作戦。それを理由により多くの魔力を消費する魔獣の姿では貴方は一撃も攻撃を受けていない。それに……言ったわよね? 『そんな攻撃は当たってからでもかわせる』。それができるなら、斬られる必要性は皆無よね?」


「それも証拠になりませんよ。かわす必要性は私が決めるものです」


 その予想を確信に変えるための策も実行済み。

人狼が魔法を弾き返すことが可能なのは、並の魔法であれば等質の威力で打ち返していたのだろう。

そう、魔法は効かないのでない。それも証明した。


「そこまでいうなら教えてあげるわ。リュカオン。さっきメディアに撃たせたのは『魔法感知』本来は魔法を掛けられた物を探す魔法。それが貴方を『魔法』であると認知したわ」


「クッ。フハハハハハハハハハ!!」


 フィオナの指摘にリュカオンは心底嬉しそうに笑い声をあげる。

先ほどの青い光は自身が魔法として認識された光。


 さらに図らずもその魔法力を吸収したことでフィオナの言葉が真実であると証明してしまった。


「フィオナ・グレン。ますます貴方を連れ帰りたくなりました。その知性、観察眼。こちらの世界に残しておくには惜しい人材ですよ。私の作る新しい世界に是非とも必要な人間です」


 一気に距離を離し、前衛の間合いの外に離れるリュカオン。


 そうだ。彼はこの後には確実にこちらに向かってくる。


『我は紋章官、メディア・ラプシス。神紋よ、我が問いに答えよ。心正しき者、心健やかなる者、心強き者の声を聞け。紋章よ。開け!』


「今よ! リアム!」


 フィオナはリュカオンに背を向けリアムの名を呼ぶ。


『応えよ! 我が紋章旗! 神より賜りし奇跡を示せ!』


 掲げた左手の紋章が輝く。


「残念! やはり紋章の力を使わせる訳にはいきません」


 炸裂音。


 予想通り! 

 

 リュカオンは未知の紋章の発動を警戒していた。

 

 だからわざわざ飛び退いた。ヘリオスの剣よりも、デメトリオスの鎗よりも一瞬でも早く紋章を使うリアムを抑え込める間合いに退いたのだ。


 いつだってリュカオンは圧倒的な力を持ちながらも、一番勝率の高い手を選んでくる。


 そこにこそこの怪物を止める勝機がある。


 左手ここにあるのは、彼がその存在を認知していないたった一つの想定外。


「アオォォォォォォォォォォォッッ!!!」


 勝利を確信し歓喜の叫びと共に飛来するリュカオンは空中で信じられない物を見る。

こちらを振り向いたフィオナの手に輝く紋章。


 眼前の空中に展開された紋章もフィオナのものだ。


『我、フィオナ・グレンが祈念する。神威顕現・矢避けの加護よ来たれ!!』


 グレン家の紋章の力、それは飛来する兵器を突風によって弾き返す矢避けの加護。

投石機の一撃すら防ぎきる奇跡の効果は、もちろん飛礫をまとって飛来するリュカオンすら弾き返す。


「これしきの風など、どうということはありません」


 浮き上がる身体を回転させ、猛烈な向かい風の中で体勢を立て直すリュカオン。


「だが俺には十分すぎる時間だ!」


 瞬きするよりも短い時間であろうと、ヘリオスには千載一遇の好機。

上下左右、全ての方向から放たれる連撃がリュカオンの身体をズタズタに切り裂く。


「グオォッ!」


 フィオナの予想通り、体内の魔力を消耗し肉体の維持が難しくなったリュカオンに、その身を引き裂く痛みが襲いかかる。


「グオオオオオオオオォッ!」


 森に響き渡る苦悶の叫びは不滅であり不敗であると謳われた人狼神話の終焉を意味していた。


  なぜだ? どこで間違えた?

生身に近くなったことで全身から吹き出す己の血を眺めながらリュカオンは思考する。


 矜恃きょうじを捨ててフィオナを人質に取るべきだったか?

駄目だ。フィオナがいなければヘリオスがリアムを殺していたかも知れない以上、そんな愚かな選択肢はありえない。


 それでは多頭龍ヒュドラーをけしかけて疲弊したところを狙うべきだったのか?

駄目だ。人馬族ケンタウロスを追走するために魔力を消耗しすぎた。ここで魔力を補充していなければ戦うこともできなかった。


 ならば、先にヘリオスかデメトリオスを殺すべきだったか?

駄目だ。優勢に戦いを進めていたはずだが、紋章官が恐ろしいほど手強かった。

一人で全ての術の系統を使える術者など、それこそ奇跡のような存在ではないか?

 それに魔法だけであれば魔人アトラスの足下に及ばないが、すでに3~4人分の術を行使しているはず。


 真に恐るべきは驚嘆すべき精神力だろう。


 では、観念してここで負けるのか?

アトラスの継承者にして、全ての魔人の頂点である人狼族リュカオンが、無様に屍をさらして死を迎えよというのか?


 駄目だ! 駄目だ!! 駄目だ!!!

 

 それだけは絶対にあってはならない。

 

 今からでも勇者か人馬ケンタウロスに食らいつけば肉体は再生する。

見たところ、勇者は立つこともできず、人馬も駆け回り投げ槍を放つことはできないはずだ。


 一撃、わずか一撃で形勢は逆転できる。


『土塊よ! 我が意に従え!』


 死力を振り絞り踏み出したリュカオンの周囲に、デメトリオスの作り出した土の壁。

それは人狼の身体を包みこむように展開された。


(こんなもの……足止めにも!!)


『唱和せよ 我らが呼ぶは神の蔵 唱和せよ 我らが呼ぶは神の鍵』


 余裕を持って対処しようとしたリュカオンは、響いてくるメディアの詠唱に戦慄する。


(馬鹿な……第二階梯祈念。しかもこれは!!!!!)


 彼の明晰な頭脳がこの後に訪れる事態を予期し、同時に絶望感に包まれる。


「貴方ですか!! フィオナ!! 貴方が!!! 貴方こそが敵でしたか!!!」


 口をついて出る叫び。


紋章官が唱えているのは本来であれば何の脅威でも無い祈念。

解呪されない限り取り出すことができない施錠と保護の祈り。


しかしそれは中に『魔法の物品』をしまうためもの。


すなわち全身が魔法に置換されたリュカオンにとっては恐るべき牢獄となる。


逃れるには人狼化を解くしかない。

だけども、その場合は人間の肉体の限界を超えた傷は即座に彼の命を奪うだろう。

敵は二人の強力な騎士とみなし、何の戦闘力も無い小娘二人と侮った彼の敗北は明らかだった。


『我 ここに奇跡を祈る 不朽の神蔵 来たりて宿れ!』


 体表を覆った岩塊が祈念によって結合していく。

己の敗北を予感したリュカオンは、その右手に意識を集中する。


 戦場いくさばにおいては自分には負けられぬ誇りがある。

そしてフィオナも騎士であるとわかったからには、遠慮の必要すら無い。


 このまま最期の一撃を放ってもリアムならかわすだろう……。


そう……リアムなら……。


「フィオナ・グレン。騎士としての貴方の戦いに敬意を表し最期の一撃は貴方に差し上げましょう。これで私の敗北は無くなります」


 岩の牢獄に捉えられたリュカオンは不敵な笑みを浮かべたまま右腕を振り下ろした。そしてそのまま火花と轟音を立てる封印の牢獄に捕らえられる。


 リュカオンから放たれた最期の一撃は打撃。紋章の力を透過してフィオナに襲いかかる。


「嘘っ!! そんな!!」


 必死で意識を集中し、障壁を維持しようとするもリュカオンの攻撃は容赦なくそれを削る。

人間族の血の濃いフィオナの障壁は強いといっても、それはあくまでも普通の人間と比べてだ。


 ヘリオス達のように強弱を操ったり、瞬間的に強化するような使い方はできない。

度重なる呪文の行使で、さすがのメディアも精神力が尽き、ヘリオスも立ち上がれないほどの傷。

 意識の集中が途切れれば人間など跡形も残らぬ無慈悲な攻撃がフィオナを砕く。


「フィオナ!! くっ……うわぁぁぁぁっ!!」


 動けるのは自分だけ。考えるよりも先にリアムは飛び出しフィオナを抱きかかえていた。

パリン、パリンと二人の障壁が割れる音が響き、フィオナに襲いかかるはずだった人狼の爪が容赦なくその身を引き裂く。


「リアム。私のことはいいから離れて!! 貴方が死んじゃうわ!!」


「そんなことできるわけないだろ。ここでフィオナが死んだら僕が今日まで生きてきた意味が無い」


「そんな!! 私だって同じよ!!」


 そんな二人の前に大きな黒影が立ちはだかる。 


「いかん。リアム、ここは拙者に任せろ!!」


「師匠!」


「デメトリオスさん!!」


 封印のために岩を操っていた騎兵槍を放りだし、さらにデメトリオスがリアムを庇う。

せっかくリュカオンを倒しても、ここでリアムが致命傷を受ければ全てが水の泡だ。


「ぐあぁぁぁぁぁぁっ」

 

 デメトリオスの苦悶の声。


まともに受ければ人馬族といえども無事では済まない。

フィオナとリアム。二人の障壁で緩和されているとはいえ、両腕の骨は砕けその体躯にいくつもの穿孔が穿たれる。


「ぐがあぁぁぁぁぁぁっ!!」


 リュカオンは負けは無いと言ったのはこのことだった。

フィオナを狙うことで、普通であれば避けられた一撃をリアムが受け止めねばならず、さらにリアムに致命傷を負わせないためにはヘリオスかデメトリオスが庇わなければならない。


目の前に転がる物言わぬ岩塊となったリュカオンの狡猾な攻撃だったのだ。


 大地を揺らす衝撃が止まり、デメトリオスの巨体がドウッと倒れ込む。


「師匠! しっかりしてください。師匠!!」


「なぁに。大丈夫。これくらいでは拙者はくたばらぬでござるよ」


 自らも大怪我を負いながらもリアムは自分たちを庇って倒れた師を助け起こす。

怪我をした割には何故か身体が動くのでそのことは容易だったのだが……。


「リアム! 腕が!」


 フィオナが柄にも無く悲鳴を上げる。


「これは……」


 指さされたリアムの右手全体が暗緑色に染まっている。

彼の傷は彼の中に宿る魔精霊ダイモーンが再生させていた。


それは再び浸食が始まったことを意味する破滅の合図だった。 

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