第10話 そして彼と彼女の話をしよう

 魔獣の行方は気になるが、一度村に戻ろうという話になった。

その帰りの馬車の中でのこと。


「あの……フィオナ」


「うん」


 続く沈黙。

二人とも話したいことや尋ねたいことは沢山あった。

それでもこうして、何の心の準備も無しに対面すると、何から話してよいかわからなくなる。


 デメトリオスなら上手く誘導してくれるだろうが、あいにく馬車を引く身ではそれもままならない。


「俺が話しかけてもいいか?」


「はい。僕は大丈夫です。フィオナは?」


「このまま続けるよりはヘリオスの力を借りた方が良さそうね」


「ならば率直に聞かせてもらう。魔精霊化の浸食はどうなっている?」


「今のところ、まだ腕だけです。暴走も一瞬ですし意識もあまり途切れません。ただ……」


「頻度に問題があるのだな」


「そうですね。フィオナ。この腕の状態はまずいのか?」


「リアムもデルフォイで調べていたと思うけど、記録に残っているのとは随分違うわ。今までの魔精霊化は一瞬で魔精霊と本人の意識が入れ替わるか融合していたの。そういうわけじゃなさそうよね?」


「暴走する時は腕が熱くなって手から魔風が吹き出してくる。でも人の居ない場所に移動する余裕はある」


 ヘリオスが間に入ることで、お互いの意識よりも現状の把握を優先して話を進めてくれるので、その後は順序立ててこれまでの状況を知ることができた。


 まずは二年前。

雪割り谷から下り帝都へ向かおうとした時にそれは起こった。

 野営中に今までに無い熱を手に感じ、川辺に行ったところ右腕から這い出すように緑色の腐食の風が溢れだしたのだという。


 気を失ったリアムが目を覚ました時にはそこには毒の沼地ができあがっていた。

そして手の甲に闇緑色の不気味な痣が出現していたのだ。


 そこからはフィオナの予想した通り、雪割り谷に帰って治らなかった場合と、帝都でフィオナ達に知られることを恐れて一番雪割り谷の人間に知られない場所としてフォキス近郊の森を選び隠れ住んだ。

 それから半年。最初の発現以来何事もなく過ごしていた所でデメトリオスに出会った。


そこで騎士として修行を積みながら魔精霊化を食い止める手段は無いか調べるため、ミダス商会に出入りして様々な調べ物をしていたのだという。


「やはりデルフォイを出たのは商館長に見つかったからなのか?」


「いや、それは違います。商館長に言ったとおり夏には雪割り谷に帰るつもりだった。だけど……」


「あのリック・ヴィオラを名乗る魔人アトラスね」


「フィオナ! 彼に会ったのか!」


 まさに血相を変える勢いでリアムは叫ぶ。


「幸い何もされなかったけど……彼の正体に心当たりはあるの?」


「いや、僕にも彼は正体を明かさなかった。ただ、僕もフィオナも二人とも壁の向こうに連れて行くつもりだとはいっていた」


「私も?」


 それならばリアムの顔色が変わるのもわかる。

やろうと思えば何度でもフィオナを攫う機会はあったはずなのだ。

しかもそんな状態ならば雪割り谷に帰るのは自殺行為に等しい。

帰りたくても帰れるわけが無い。


「ああ。思えば僕の魔精霊化が進行するのを待っていたようにも思える」


 リックが最初に来たのが三ヶ月前。その後二ヶ月前に来た後に魔精霊化の進行が始まった。


「だから一月前に南を目指してデルフォイを出たんだ。どうしてもコリントス候にこのことを伝えなくちゃいけなかった」


「それは俺とフィオナが一緒に来るなんて予想外だっただろう」


「それはそうです。ヘリオス様に報告して奴らの拠点を叩きに行くつもりだったのですから!」


 さすがに呼び捨てははばかられるのか、様づけで呼んでいるが、ヘリオスの方が自分を探していたなんて全くの想定外だっただろう。


 だいたいの経緯が判明したところで今まで黙って話を聞いていたメディアが発現する。

 

「あのー。フィオナ先生。そういうことなら一刻も早く、ゾエさんの血を試して見た方がいいんじゃないでしょうか?」


「そうだわ。ゾエがあなたのために少し血を分けてくれたの」


「ゾエお嬢さんが。それは……もうしわけないことを」


「彼女だって心配してるのよ。少しでいいから試してみて」


 促されるままに小瓶の中に入った彩眼族イーリスの血を舐めると、見る見る腕の痣が縮小していく。


だが、それでも完全には消えずにあくまでも進行を遅らせる程度の効果しかなさそうだった。


「これでも駄目なのか」


「いいのよ。リアム。ゾエの決意も無駄じゃ無かった。少しでも抑えられるならその間に絶対に何とかする方法を見つけるわ」


「ありがとう、フィオナ」


 ずっと逢いたかったフィオナの言葉。それがこんなにも安心できるものだったとは。


「そろそろ村に着く。まずは二人ともゆっくり休んでくれ」 


 村に帰ると、ようやく綺麗な水が流れ始めたようで、まだ濁りはあるものの赤茶けた水面を切り裂くように青く清浄な流れができていた。


「待たせたな皆の者。水源の問題解決した。だが、まだ魔獣の問題が解決しておらぬゆえ、明日の朝もう一度森へ向かう。心配は無用である。歓待などは不要であるが一晩の宿を所望したい」


  魔獣という言葉に一瞬ざわめきが起きる。


「そうでしたか。殿下がおられるなら魔獣も恐るるに足りませんな。何も無い村ですがごゆるりとお寛ぎください」


 しかしコリントス侯家の強さは彼らのよく知るところである。


村人だけで手に負えねば領主の助けが必要になり、彼らを救うのはまさに目の前にいるヘリオス達だ。


 その後は村人達も各々の仕事に戻りようやく普段の平穏を取り戻していた。


「ヘリオス殿。まずはやらねばならぬことがございますな」


「そうだな。一度宿に帰ろう」


 この村には雪割り谷のような本陣は無いが、街道沿いの村であるので一軒以上の宿がある。

村の宿屋は酒場が併設され、宿泊客が居ない時は村人の憩いの場となっている。


 フィオナやリアムの生まれ育った本陣は、基本的に定められた者にしか開かれていないため、夜ごとに村人達が集まるということは余りない。

 

 村のすぐ南にはコリントスの入り口であるメガラの街が有り、特別な用事が無ければこの村の宿を利用する者はとても少ないという。今日は二階を借り切ることになった。


 これから大切なことを行わなければならないのだ。


「それでは始めます。ヘリオス様もリアムさんも準備はよろしいですね」


「よろしくお願いします」


 机の上に置かれた皇帝旗の分身にヘリオスと、リアムが手を乗せる。

騎士認証――それは帝国騎士を目指す者にとって最初にして最大の試練。


 メディアは紋章官のキトン、フィオナも普段と違い布を巻き付けたトーガである。


 男性も本来は古式ゆかしいトーガの着用を推奨されているが、現代は鎧姿で臨む事も多い。特に今回は二人の騎士は儀礼用も兼ねた鎧なのでヘリオスもデメトリオスも鎧姿。


『我は紋章官、メディア・ラプシス。神紋よ、我が問いに答えよ。心正しき者、心健やかなる者、心強き者の声を聞け。神域への門を開き裁定を下すべし、紋章よ。開け!』


 メディアの宣誓によって机の上の手のひらほどの紋章旗が浮かび上がる。

そして空中に小さな光の点が生まれ、宙に紋章を描いていく。


 これこそが紋章の解放。解放された紋章は神の奇跡をこの世界に現出させる。

空に刻まれた女神の似姿を背にヘリオスが宣言する。


「我らが偉大なる秩序の神よご照覧あれ! 我は女神の僕にして帝国の支柱となりし皇帝アウトクラトールの代行者、デルフォイ王太子にしてコリントス侯子、ヘリオス・ジェイソンなり。神の名の下にここに問う! 汝、リアム・ライアン。その身を帝国の剣と為し、盾と為し、鎧と為すことを誓う者か!」


「我は雪割り谷男爵、クレイグ・ライアンの子にして皇帝陛下と帝国の奉仕者、リアム・ライアン。神の名の下に、礼節、忠義、信仰、友愛。全ての善行をその身に宿し、その身を帝国の剣と為し、盾と為し、鎧と為すことを誓う者なり! 女神よ、我にその奇跡の力を授けたまえ!」


 リアムの誓いの言葉を聞き、フィオナが手に香油を塗る。

彼が紋章を受け継ぐに相応しい人物であれば、手に紋章が浮かび上がるはず。

 だが、フィオナの時と比べても紋章の裁定が下るには時間がかかっている。

皇帝旗自体が消えたわけでは無いので、不適格と判断が下されたわけでもない。


(まさか……僕では駄目なのか……)


 心の中に迷いが生まれる。これまでどんな絶望的な状況でも諦めなかったのはこの日のためではないか?やっとフィオナにも会えた。それなのに、紋章は自分を選ばないというのか? 


「リアム。自分を信じるのでござる」


 見届け人であるデメトリオスが思わず声をかける。彼だけがこの一年半の騎士を目指した少年の努力を知っているのだ。これで報われなければ意味が無い。


「そうよ。あなたが正しい人間であることは何より私が知ってるわ。だから自分を信じて!」


 師と婚約者、二人の言葉にリアムの心に灯が点る。

そうだ。例え魔精霊ダイモーンに憑かれようと、自分の心には迷いなどない!


 そう思った瞬間、手の甲に光が差し込む。

焼かれるような刺激とともに、リアムの手にヤマユリの紋章が浮かび上がる。


 神は彼を騎士として承認したのだ。


「おめでとう。そしてようこそ新たなる帝国騎士」


 ヘリオスの祝福。その言葉にしばらく呆然と自分の手を見つめていたリアムもようやく事態を理解する。


「ありがとうございます! やったよ! フィオナ!」


「うん……うん」


「ふぅ~良かったです。フィオナ先生もリアムさんも本当に良かった」


 紋章の解放にもかなりの精神力を使う。


 もしも認められなければ自分のせいなのではないかと、メディアも内心ではとても不安だったが、成功したことに安堵のため息を吐く。


「今日は拙者の奢りだ。みんな好きなだけ飲むでござるよ」


 デメトリオスも我が子のことのように喜んでいる。自分の初めての弟子が騎士になったのだ。これが喜ばずにいられようか?


 フィオナはこの一瞬が夢でないことを神に祈らずにはいられない。

ようやく失っていた時間が動き出した。


  その夜、新たな騎士の誕生を祝いささやかな宴が開かれた。

この村の名物だという沼縄ジュンサイをふんだんに使ったスープ。

そして森に住むイノシシ肉の香草焼き。


 特にここの沼縄は、フィオナの祖父であるダイアー・グレンが麓に移住を余儀なくされた村人のために栽培を推奨したこともあり、巡り巡ってこうして孫娘であるフィオナの食卓に上るのは奇縁といえよう。


「これって母さんの作った大豆スープだよな?」


「もちろんよ。家から持ってきたのよ。村を出てから全然食べてなかったでしょ?」


「そうか、もう二年も経ったのか。懐かしいと思うわけだ」


「さぁみんなも食べて食べて。そっちのお肉の香草は、クレイグおじさまが配合したものよ」


 フィオナは慣れた手つきで肉を切り分けスープをそそぐ。

その様子を見つめていたヘリオスは真剣な面持ちで語り始める。


「メディ、この料理の作り方はよく覚えておくんだ。コリントスの糧食として採用しよう」


「はい。このスープはイノシシのお肉と合う感じがします。それにお米との相性がバッチリです」


「残念だけど雪割り谷ではお米は採れないのよ。冬にはイノシシを鍋にする時に大豆スープを使うんだけど、そう言われるとお米が欲しくなるわね」


 今までは時々快活さを見せるものの、いつも思案がちだったフィオナは驚くほど明るく振る舞っている。


 久しぶりに故郷の料理を食べるリアムの顔を見ているだけで幸せな気分になるのか動きも軽やかだ。陽気なのはコリントス名物であるお米を醸造したお酒を呑んだせいかもしれない。

 

 足取りが軽い、というかややおぼつかないのはそのせいだろう。 


「しかし、こうしてみると確かに似合いの夫婦めおとでござるな。リアム、早く拙者に孫の顔を見せてくれないか」


「師匠、それは気が早すぎます。なぁフィオナもそう思うだろ?」


 恥ずかしそうに横を向いてしまうフィオナ。リアムの知っている彼女はこういう時にきちんと理詰めで、駄目な理由を説明してくれるのに様子がおかしい。


「えっと……。おば様からは二人ぐらい作ってもいいのよって……」


 それはあまりにも意外な返事。


「フィオナ! 僕はまだ未熟者だ。だからそういう話はもう少し先にしよう。そもそも孫って師匠はそんな歳じゃないでしょう!」


「そういえばデメトリオス様ってお幾つなのでしょう?」


「ん? 拙者でござるか。今年で32でござるな」


「ええっ! 落ち着いておられるのでもっと年配かと思ってました!」


「ケンタウロスは全く見分けがつかないからな。どちらかと言えばリアムの子は甥っ子だな」


「甥っ子と言えばヘリオス殿の祖母殿は我が国の王女殿下でござったな」


「その通りだ。我が祖母は今のマケドニア王陛下の妹にあたる」


 人馬族ケンタウロスは120年ほど生きるが、その大半を若者の姿で過ごすので、外見からその年齢を推測するのは困難だ。ヘリオスの祖母は80半ば。


 人馬形態にならなければ、ヘリオスよりも若く見えるのだという。

メディアが初めてコリントスに招聘された時にはヘリオスの妹のフリをしていたらしい。


 その後も、これまでのことが無かったかのように夕食は続いた。


 宵の口。

 

「こうして師匠やフィオナ達とご飯を食べられたなんて夢みたいだな」


「夢なんかじゃないわよ。絶対に」


 二人とも内心では二度と逢うことは叶わないのではないかと危惧していた。それだけに今晩のように楽しく語り合えるだけでも神の与えてくれた奇跡のような気がするのだ。


「そうだ。フィオナ。君にこれを渡しておくよ」


 リアムが取り出したのは、小さな牙のようなお守り。

その表面はオパールのように七色に輝いている。


「これは龍角馬ブーケパロスの牙ね。デルフォイで買ったの?」


「そうだよ。次に会うときに君に渡すために買っておいた」


「そういえば村のみんなはどこの家でも持っているものね」


 龍角馬ブーケパロスは人間族と混血が進んだ人馬族の子孫達である統馬族ラピテースの相棒として知られる魔獣である。


 頭に二本の角が生えたその姿は、とても美しく変身能力を失った統馬族も龍角馬と組むことで人馬族と遜色ない戦闘力を発揮する。


その龍角馬は気性の激しさ故に子供の頃に犬歯を切る習わしがあり、切り落とされた牙は一対のお守りとしてとても人気が高い。 


 これを旅人達は離ればなれにならないようにと、家族と自分で持つのだ。

特に雪割り谷の男達は、何年も家を離れるのが常なので人気が高い土産物となっている。


「もらってくれるかな?」


「当たり前じゃない。リアムもそっちは絶対になくなさないでね!」


 嬉しそうに首にお守りをかけるフィオナだったが、安心したら一気に疲れが回ったのか少しうつらうつたとしてきていた。


「そろそろ眠くなってきたし、今日は寝るわね」


「僕はもう少し……話をしたいけど、駄目かな?」


「やめておくわ。あんまり一度に話すとそれが最後になりそうだもの」


「おいおい、そんなこというなよ。もうどこにも行ったりしないよ」


「本当に心配したんだからね」


 リアムの肩に頭を預けてフィオナは呟いた。そしてたった今もらったばかりのお守りをぎゅっと握りしめる。


 そうなるとリアムにも、仕方のなかったこととはいえ自分のことを信じてくれていたフィオナを置いて雪割り谷を出た罪悪感が首をもたげてくる。


 そしてそのまま言葉にできない時間が過ぎる。


「くーーーー」


「フィオナ?」


 張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、それとも長旅で疲れたのか、もたれかかったままフィオナは寝息を立てていた。


 しばらくそのままにしていたが起きてこないので、リアムは彼女を抱えて部屋まで運ぶ。


「うわぁ、先生完全に寝ちゃってますね」


 部屋の中ではベッドメイキングを終えたメディアが帝国法の本を読んでいた。

紋章官にとって、帝国法は必須の知識だ。


 そして入ってきた二人を見て、実は二人を同じ部屋にするべきだったかと少し焦ったが、この部屋割りはリアムの提案だったことを思い出した。


「メディアさん。ここまでフィオナを連れてきてくれてありがとう」


 ベッドの上にフィオナを優しく寝かせると、リアムはメディアに礼を述べる。


「いえいえ、わたしなんか全然お役に立ててないですよ。他のみんなの御陰です」


「たぶん君がいなければフィオナはヘリオス様と一緒にいかなかっただろう」


「またまた~。フィオナ先生がそこまでわたしのことを信頼してるなんて」


 冗談はよしてくれとばかりに手を上下に振るメディア。


「そんなことはないですよ。僕に手紙を送るとき、フィオナはいつも君のことを書いていた」


「まさか!?」

 

 ぴたり。と手の動きが止まる。


 メディアはフィオナにとっては何十人もいる教え子の一人のはずだ。

それがそこまで気にかけられていたなんて初耳だ。


「君の努力する姿に励まされたから最後まで講師の任を続けられそうだっていっていた。どうか、これからもフィオナのことを頼みます」 


「はい! こちらこそもっと色々教えて欲しいです」


 リアムの言葉にメディアの口元が緩む。今までずっと憧れていたフィオナがそんなことを言っていたなんて教え子としてそれ以上に嬉しいことは無い。


「それでは僕は師匠とヘリオス様に相談があるので、これで」


「わかりました。先生のことは任せてください」 


 リアムが一階へ来た時、ヘリオスとデメトリオスは、コリントスの名物である純米酒を呑んでいた。


「フィオナはもう寝たのか?」


「はい。その……フィオナのことは本当にありがとうございました」


「気にするな。困っている者を救うのも誓約の勇者の仕事だ」


 リアムの礼に対しても、それが当然のことであるようにヘリオスは答える。

デメトリオスは階下に降りてきたリアムに真向かいの席に座るように促す。


「それにしても、お主も隅に置けぬ男でござるな。フィオナ殿は美しく、そして何より聡明だ。お主にはもったいないくらいでござる」


「それは、そうかもしれませんね」


 そういうと木の盃に、なみなみと注がれたお酒をグイッと飲み干す。


「家のこと、里のこと、いろいろなことがあって僕はフィオナを妻に迎えたかった。そして、そのためには強くならなければならなかった」


 ヘリオスにはその言葉に思い当たる節がある。


「それは、やはりフィオナの両親のことか」


「そうです。ヘリオス様が、というかコリントス候がフィオナに求婚しようとしたのと同じ動機です」


「どういうことでござるか?」


「デメトリオス殿は12年前のペルガモン会戦はご存じか?」


「たしか、オイディプス親王家と地方の小領主の会戦でござったな。たしかライアン家とグレン家が……ライアンとグレン。まさか!」


「そのまさかです。師匠。12年前フィオナの両親を暗殺したオイディプス親王家にアッティカの支援を受けた僕たちの家が会戦を挑んだのです」


「しかしあれは水利権を巡る果ての争いで、親王は流れ矢に当たって討ち死にしたのではござらぬか?」


 ペルガモン会戦は不思議な戦だった。本来なら絶対に勝ち目のないはずの小領主が帝国貴族の頂点ともいえる親王家に会戦を申し込み、数百人の騎士を擁する親王家を倒してしまった。


 奇襲による親王の死という偶然無くしてはあり得ない勝利だったのだ。


「表向きはそうなっている。だが親王は我が父、コリントス候の大審問の奇跡を受けて自害した」


「師匠、雪割り谷の領主は温泉代官ではありますが、もう一つ重要な役割を持つのです」


「それは各王族のための薬の調合や紋章旗による治療ではないのか?」


「それも僕たちの大切な仕事ですが、マケドニアの伝馬士と同じく薬の行商で帝国各地の情報を集めることが僕たちの存在意義なのです」


「しかしそれならなぜ、フィオナ殿の両親は死ななければなかったのか?」


「問題はそこだ。ダイアー・グレンはその豊富な知識を持って帝国の大宰相に抜擢されたが、その息子であるアーサー・グレンも若年ながら豊富な知識と決断力を持ち合わせていた」


 フィオナの父、アーサーは来たるべきアトラスとの戦いに備え、帝国の街道を整備し各国のギルドの利害を調整するなど堅実な仕事をこなしていた。


 そして、娘のフィオナが産まれる頃には、ダイアーの後を継ぐのではないかと噂されていた。そのために彼にはアッティカ大公国の伯爵の地位が与えられるだろうと目されていた。


「一番の問題は、アーサーおじさんに娘が、つまりフィオナが産まれたことだったんです。彼女がグレン家、いや……僕たちライアン家の娘だったことが不幸の始まりでした」


 それまで帝国大宰相は、ほぼテーベの親王家の独占的な地位だった。


 オイディプス親王もダイアーの知識には一目置いていたし、その大宰相就任には後押しさえもした。だが、その息子アーサーが伯爵の地位を持って大宰相に就任するとなれば話は別だった。


 ライアン一族は帝国の情報を集める密偵ともいえる役職も帯びている。


 その娘がもしもまかり間違って皇帝ヘルメス7世のアルゴス家と縁組みでもしようものなら、情報と政治を握るアルゴス家はテーベの親王家の中で独占的な地位――すなわち世襲の帝位――を得てしまうのではないかと邪推したのだ。


「いつしかオイディプス親王はアルゴス家が帝位を独占するという妄執に取り付かれ、グレン一族を亡き者にしようとしたのです。ところが暗殺決行の日、フィオナは急に高熱を出してダイアーお爺さんと屋敷に残ることになったのです。そしておじさん達は死んだ」


「つまりペルガモン会戦はその仇討ちの戦いだったということでござるか?」


「そうだ。表向きは水利権争いとなっていたが、実際にはアッティカ大公と我がコリントス候も含めた復讐のための戦いだったのだ」


 ダイアーの親友であり世界辞典を作ったアッティカ大公、ウーティス4世は甥も同然のアーサーを殺されて怒り狂い、兄弟弟子であったコリントス候も、その行為を許さなかった。


 ただでさえ魔人族アトラスとの大戦が近づく中、選帝侯同士の帝位を巡る争いがあったことは隠さねばならない。


 事実は闇に葬られ、一人残されたフィオナはダイアーとともに雪割り谷に隠棲することになった。

 そのことに深く責任を感じた時の皇帝ヘルメス7世も次代の皇帝はアルゴス家からは出さぬと、当時まだ9歳であったアルケイデス王子を廃嫡してマケドニアへと追放した。


 後年、マケドニアで成長した王子が帰還して皇帝ヘラクレス一世となるのだが、それは別の話である。


「ひとりぼっちになったフィオナは、子供の頃は本当に笑わない子でした。それでも少しずつ笑うようになったし元気にもなった」


「俺の父もグレン家のことは気にしていた。人間族の血を取り込むという話なら、自然にフィオナを保護できると考えたのだろうな」


「だけど、僕はもうフィオナを外には出したくなかった! 雪割り谷で畑を耕して薬草を採って、世界辞典を持って薬を売る。そんな変わらない生活があれば良かった!」


「そうか。それがお主がどうしても強くならなければいけない理由でござったか」


 デメトリオスも弟子になりたいという彼の願いは本気ではないと思っていた。ライアン家の本来の武器は弓と短剣。そこは小さい所領といえど騎士の子、その修練は年齢の割には進んでいた。


 それでもどうしてもという願いを聞き入れて弟子にした。


 最初はケンタウロスと同じ修練に音を上げるだろうと思っていたが、ついてこれないなりに必死で彼は修行を積んだ。


 テオドリックにも刺突剣を習い短鎗の腕は見る見る上達した。

まだまだ、ヘリオスやデメトリオスの足下にも及ばないだろうが彼は十分に強くなった。


「率直に聞く。コリントスを目指したのは俺に討たれるためか? そうすれば君は俺とともに魔精霊と戦い名誉の戦死を遂げたことにできる」


「ヘリオス殿!!」


「いいんです師匠。魔精霊化が止められないと分かった以上、それは覚悟の上です」


「リアム。残念ながらその願いには応えられない。なぜならば俺がお前達を助けるからだ」


 神妙な面持ちの二人を前に、ヘリオスはそういうとニヤリと笑った。


「ヘリオス様、フィオナに逢うまでは僕もそう考えていました。だけど、やっぱり僕は死にたくない。変えられるというならフィオナのために世界を変えたい」


 それが逃れ得ぬ運命だったとしても最後まで抗うことに意味がある。

ここまで来てくれたフィオナを見て、リアムはそう決意した。


「まずはライアンの旗を試す。それでだめならここからダフネ大森林の奥に進んで、そこで君の中にいる魔精霊を倒す。絶対に見殺しにはしない」


「拙者も力を貸す。みんなでお主を故郷に連れて帰る。それが師としての義務でござる」


「ありがとうございます。ヘリオス様、師匠!!」


 リアムは二人の手をガッチリと握る。

自分のためにもフィオナのためにも諦めるという選択肢はあり得なかった。

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