第7話 破滅を告げるもの

 デルフォイ聖堂図書館。


 まだこの国がフォキス候国であった時代の、デルフォイ修道院を改装した石造りの建造物である。

 翡翠河が運んできた岩で作られているため、その壁は所々翠色に輝くモザイク模様になっている。

 この建物の中央の大きなアーチの中を貫く道。ここを渡れば日輪宮。

反対側は町の正門であるイアソン記念門。


 一直線に続く目抜き通りを持つのはマケドニア系の都市の特徴である。

 

「あの藁焼きもやはり男爵夫人に教えていただいたんですか?」


「元々はあの夏告魚カツオも、干して調味料にしてたの。新鮮なお魚が食べられるのは、ハンナおば様のお陰ね」


「あの削って大豆スープの出汁とってた奴ですね」


「うん。保存が利くし便利なのよ」


フィオナとメディアの二人は、ミダス商会からここまでの道を歩いてきた。

そういえば、こうして二人で歩くのは初めてなんじゃないだろうか?

 フィオナも不安であると知り、メディアはなるべく明るい話題を選ぶ。


「でも、初めて来ましたけど、デルフォイってすごいですよね」


「もしかしてここに来るのは初めて?」


「そうなんですよ。この一年は帝国でも南の方ばかりいってましたから」


「あれ? それならヘリオスと一緒に日輪宮に行かなくて良いの?」


 そろそろ図書館の入り口も見えて来た。橋を渡ればヘリオスのいる日輪宮だ。


「あー、それはまた今度でも大丈夫です。今回は王太子としての正式な訪問でもないですし」


 誓約の勇者はデルフォイの王位請求権者であるため、その称号を持つ者は自動的にデルフォイの王太子となる。この500年で初代のデルフォイ候ヒューペリオ1世を除いては、コリントス候になってしまったので、今回のように勇者とコリントス候が別々の場合は、自動的に勇者である方に継承権が移ることになる。


「それならいいのだけど」


「それよりも先生、もう図書館ですよ」


「いよいよね……」


 覚悟を決めたような表情で、フィオナはそう呟いた。


 図書館の中では、修道士服の男達がせわしなく行き来している。


 彼らはこの図書館の管理と写本の作成を行う修道司書だ。

彼らは正法教会の修道士であるとともに司書であり、図書司祭とも呼ばれる。

帝国内にある様々な書物の写本の作成と収蔵が主な仕事である。


「ご苦労様です。ヘリオス・ジェイソンの名代として参りました紋章官のメディア・ラプシスです。以前よりのお問い合わせの件で伺いました」


「これはこれは紋章官殿、よくいらっしゃいました。私が神官のレオです」


「お世話になります。早速ですが、ミダスの使いの者はどの書庫を使用したかわかりますか?」


「ああ、あの少年でしたら、ちょうどこの入り口の反対側の書庫によくおりましたな」


 この図書館では、貴重な書物は鎖で繋がれており、利用者には案内と監視のために神官が一人づつ担当することに決まっている。


 基本的に利用者ごとに担当司書は決まっており、ミダス商会はレオの担当だ。


「そちらの本が世界事典マグナ・コスモスですか。後で拝見してもよろしいか?」


「ええ、私が所有しているとはいえ、この書物の知識はみんなの物です」


「それはありがたい。ダイアー・グレンとアーサー・グレンの旅行記は我々修道司書の憧れの的だ」


 祖父と父の名を聞き、フィオナの表情も少し緩む。

雪割り谷ではいつでも閲覧できること。

 帝都の魔法学院には彼女の叔父でもう一冊の世界辞典の所有者ハニエル・グレンがいることを伝える。


 彼は優秀な魔導師で世界辞典を魔道書として使用している。


 かなりの偏屈者だが、フィオナからの紹介ならば無碍むげには扱われないだろう。


「そういえば門の東側には入り口が無いんですね?」


「それは書物を盗まれぬためですな。アーチの向こうの塔では火も厳禁です」


 一度登ってもう一度降りるアーチの上を通る階段の向こうには鉄を敷かれた床がある。いざとなれば完全に締め切って蔵書を守る構造だ。


「それでは私はここに居りますので、ご自由に閲覧ください」


 閲覧用のテーブルに腰掛けたレオ神官に見送られ、二人は書庫への階段を降りる。

書庫の入り口の紐を引くと上で木札が回転し、閲覧者がどこにいるかわかる。

リアムが閲覧していたのは最下層だという。


「ごめん、メディア。少し手を握っててくれる?」


「はい。わかりました」


 何故とはメディアは問わない。緊張のために汗ばんだフィオナの手をギュッと握る。

 

 たいした距離でも無いはずなのに永遠に続くような階段を下り最下層についた時、メディアは気がついてしまった。


 むしろメディアだから理解できた。

 

 一層強く手を握るフィオナの顔は蒼白で、彼女の最悪の予想が的中したことを確信していた。


「ねぇ、メディア。グレン家の紋章の誓紋術は?」


 ようやく確認するように彼女は尋ねる。


「グレン男爵の誓紋術は【毒と病の治癒】……です」


目の前の書架には所狭しと医学書が並んでいた。

死に至る病以外はどのような病も取り除き、あらゆる毒を防ぐという秩序の神の奇跡。

その神の業が通じぬ病を調べていたこと、そして雪割り谷に現れた誓約の勇者ヘリオス


 加えてあの山小屋で見た、毒の沼。それら全てが繋がる。


魔精霊ダイモーン


 それがフィオナ・グレンの婚約者、リアム・ライアンを襲った災厄の名前。


魔精霊ダイモーン。そんなっ!」


「信じたくはない。だけどそれ以上に納得できる答えはないわ」


 魔精霊ダイモーン。それは、1500年前の戦いの時、変化の神が生み出した最悪の魔物。

魔人アトラスや魔獣をも上回る災厄と言われている。


それらは全て自然を司る根源精霊アルケーが、変化の神によって歪められて生じたという。

 ダイモーンは神々が世界を作るために用いる、その力を暴走させ、人間の体に埋め込んだ存在。


 一度倒しても500年の間に世界から根源力を吸い上げて意思を持った人間として転生する。


 秩序の神が遺した虹の壁と同じように、変化の神が遺した最悪の呪いである。


 それゆえに世界は、ある地域は溶岩と噴煙に覆われ、またある地域は赤茶けた砂漠が広がり猛烈な風に襲われ、さらにある地域では、滝のように天から降り注ぐ雨と人の侵入を拒む密林に覆われている。


 現に帝国の辺境ではその過酷な環境ゆえに、有角族タイタンや、翼人族ニケー、それに人馬族ケンタウロスといったアトラスの種族しか生存できないような過酷な環境が広がっていた。


帝国も辺境にまで紋章官や司祭を送る余裕はない。

帝国領内に住めなくなった犯罪者やならず者が多く逃げ込んでいるともいう。

 

 ミダスやテオドリックも、その辺境の出身である。


「先生、大丈夫ですか?」


「さすがにこうやって現実を突きつけられると苦しいわね」


 メディアの手に爪が食い込むほどきつく手を握る。

無理もない。魔精霊と化した人間は殺すしかないとされている。


 そうなった時点で、それまでの記憶は失われ……。


「あれ? 先生、ちょっと待ってください。一月前まではリアムさんはリアムさんだったんですよね?」

 

「みんなの話を聞く限りでは、そうみたい……そうなのよね?」


 驚いた表情を浮かべるフィオナ。まだ事態が飲み込めていない。

半信半疑でメディアに訪ねる。


「はい。一月前までは魔精霊ではなくて、リアムさんだったんです。それって伝承と違いませんか?」


「そ、そうね。調べてみるわ」


 フィオナは世界辞典を起動し、過去の魔精霊の伝承を検索する。


【1500年前、魔精霊と化した人間は変化の神の命ずるままに世界を破壊した】


【1000年前、虹の壁の崩壊とともに魔精霊は目覚め暴れ出し討伐された。言葉は通じたが意思の疎通はできなかった】


【500年前、魔精霊達は自分たちの意思で、魔人アトラス側の将として戦った。アトラス王アキレウスに率いられた四人の魔将、地の魔精霊・アガメムノン。火の魔精霊・パトロクロス。風の魔精霊・アイアース。水の魔精霊・ペンテシレイアの四人である。アガメムノンはミケーネ王であったが突如乱心し魔精霊として目覚め、ペンテシレイアはアキレウスがアトラス王となるときに女人族アマゾーンの女王を殺害し、魔精霊を埋め込んだといわれているが、詳細は不明である】


 フィオナが概要を読み上げるたび、二人は違和感を覚える。


「これって、伝承がずいぶん違いませんか?」


「これだけでは確信が持てないけど、出現のたびに存在が変質しているようには見えるわ」


 過去の皇帝や勇者は、魔精霊が出現すれば即座に対処してきた。

その存在がどういうものかは、倒した時の状況からしか推測できない。


「でも、メディアの言う通りかもしれないわね。少なくとも魔精霊化の兆候が現れてから二年は彼は彼のままだった」


 ようやくいつものフィオナらしい回答。


「でも、それならなんでリアムさんは雪割り谷にも帰らず、帝都にもいかなかったんですか?」


「だって帰ればクレイグおじ様が気がついてしまうし、帝都には二冊も世界辞典があるのよ」


「そうか、魔精霊だって気がつかれたら……」


 そう、リアム・ライアンにとって最大の不運は、雪割り谷に帰ればライアン家の紋章の力で病ではないことを気がつかれてしまい、帝都に向かえば婚約者フィオナかその叔父の持つ世界辞典で魔精霊だと気がつかれてしまう。


 そうなれば彼を待ち受ける運命は皇帝か勇者による討伐。すなわち処刑だ。


「だから彼は伝承と自分の身に起きたことの違いから、未知の病を疑ってここに来ていたのよ。一縷の望みを繋ぐために」


「それでも、フィオナ先生には伝えておいた方が良かったんじゃ?」


「彼はそれだけは絶対にしたくなかったと思う。私のことをよく知ってるから」


 その事実を聞かされていればフィオナは絶対に自分で解決したくなる。

どんなに危険でも、リアムについて行く道を選んだだろう。


「あいつってば、本当にバカなんだから……」


 彼は逃げたのではなかった。たった一人で戦っていたのだ。

生きてフィオナの元に戻るために必至に!


 デメトリオスやテオドリックに師事したのも未来を諦めないためだったろう。


 それにデメトリオスなら、途中で魔精霊化したとしても対処できたはずだ。

だけど、その苦しみや恐怖はどれほどのものか想像もできない。

 この町からいなくなったということは、もうあまり時間は残されていないのかもしれない。


「メディア、ヘリオスにもこのことは確認するわ。だからリアムを助け出すのを手伝ってほしい」


「当たり前です。先生のお役に立てるのなら、わたしも嬉しいですから!」


 不謹慎かも知れないが、フィオナの役に立つことも、メディアの望みなのだ。


 念のため閲覧記録にも目を通す。


これは閲覧者の確認のために記すものだ。

そこにはミダス・テオドリックと名前があり、毒と病に関する本を中心に読まれていた。


「ミダスさんもテオドリックなの?」


「そうなりますね。騎士であるシニス・テオドリックの弟と言うことで、騎士団というか商会の運営をしてるんです」


「騎士であれば街道の関所も簡単に通れるものね」


 帝国法では紋章旗を掲げた騎士。それに聖職者は関所での審査はされないか最低限で終わる。


「まあ、そういうわけでリアムさんは関所のある街道は避けるでしょう」


「たぶん経路に関しては薬師の道を使ってるわ。行きに来た山越えの道みたいなところね」


 今回のように華学術による荷物の軽量化がなければ、薬売りの旅は過酷だ。

背負子しょいこに乾燥させた薬草を背負い数ヶ月も旅をすることになる。

 そのために今は使われていない旧街道や、猟師や木こりの整備した山道を薬草を補充しながら進むことになる。


「それと魔精霊ダイモーンの力が完全に発現すれば大惨事よ。人の多い地域は除外してもいいわ」


「と、なると南の大森林か北の辺境でしょうか?」


「そこはヘリオスとも相談してみるわ。このまま日輪宮にいきたいところだけど、魔精霊ダイモーンのことがばれたら大事だし、まずは商会に帰りましょう」


 メディアもその意見には同意し、その場で紹介状を書き上げてレオ司祭に渡す。


「急ぎの用であれば仕方がありませんな……」と、司祭は羨ましそうに世界辞典マグナ・コスモスを眺めていたが、理由は聞かないでいてくれた。


 足早にミダス商会への道へ向かう二人だったが、不意に呼び止められた。


「これはこれはフィオナさん。そちらはこの前の恥ずかしがり屋のお嬢さんでございましょうか?」


 フォキスであった時と同じ、やたら丁寧な言い回しの銀髪の男。毛皮商人のリック・ヴィオラだ。

 

 いくら賑わいを見せる雑踏の中とはいえ、あまりにも唐突に彼は現れた。

少し面食らったような様子でメディアは深々と頭を下げる。


「初めまして、過日のご無礼をご容赦ください。わたしはコリントス候子ヘリオス・ジェイソンが紋章官、メディア・ラプシスと申します」


「ほう……噂に名高い誓約の勇者殿の紋章官であらせられましたか」


 琥珀色の目を細め、値踏みするようにメディアを見るリック。


「リックさんもご商売でこちらに?」


 左手の前に右手をのせフィオナは尋ねた。


「そうでありますね。貴方がたの顔を見て、そろそろ国に帰る時期が来たかと考えておりました」


 穏やかな口調。その割には何か納得がいったというような顔でリックは語る。


「夏にかけてはコリントス地峡では獣達の繁殖期ですものね」


「さすがはフィオナ殿、よくご存じですね」


 やはり穏やかな笑顔でフィオナがリックを見つめていた。

山小屋でもフォキスでも気が動転していたが、今度は何一つ見逃すものかと、落ち着いて観察する。


 彼はここでまた逢おうと言った。そして、フィオナならわかるとも。


それならば理解わからねばならない。このリック・ヴィオラは何者であるかを。


「今回は落ち着くだけの時間もありましたからね」


 それは嘘だ。魔精霊の話を知ったからには平静でいられるはずは無い。

だけどそれでも冷徹なまでに次の一手を考えることだけが、フィオナに唯一できる抵抗。


 だから戦わなければいけない。


 メディアはどうにもちぐはぐな会話の真意を図りかねていた。

どうして、リックは二人の顔を見て国に帰りたいなどと言い出したのか?


「北の方では夏の間は繁殖のために大草原地帯に獣は移動します。それに……」


「それに?」


「リックさんは鷲獅子グリプスをよくご存じなかったでしょう? 知ってたらあんな低空を飛ぶ状態で近づきませんもの」


「ですから、前の日には近づくことができなかったんですよ。あの後川沿いでいた鷲獅子の死体を見ましたが、あれが原因だったのでしょうか?」


「結果としてはそうです。でも警戒状態の鷲獅子の縄張りに近づくなんて自殺行為ですよ」


 一瞬、リックは何を言われたのかわからないような表情を見せる。

二、三度瞬きをし、ようやく納得したように言葉を続ける。


「教えていただきありがとうございます。次に参りますときは供回りのものも連れてこなければなりませぬね」


「それでは、私たちは急ぎますので申し訳ありませんが、これで」


 とにかく一刻も早く帰りたい様子で、フィオナはメディアの手を取る。

リックはそれを見て何かを悟ったのか、少しだけ距離をとった。


「フィオナさん、貴方のご指摘の通り私は南から来ました。リアムには何か困ったことがあったらダフネ大森林にある私の家を訪ねるように伝えてあります。きっと彼は困っているでしょうね」


 こちらがデルフォイを出ることを知っていたかのような言葉。


「それと次こそは誓約の勇者殿にも、お目にかかるのを楽しみにしております。そしてフィオナさん。私こそは貴方の力になれるものだと確信しておりますよ」


 リックは頭を下げてその場を去る。


「先生、今のリックさんは何者なんです?」


「間違いなく魔人アトラスよ。リアムと私たちをずっと監視してたのでしょうね」


「ちょっと待ってください。つまりあの森からずっとですか?」


「そういうことね。私たちがミダス商会から出るのを待っていたのよ。武器も持たずにあの森に入るなんて毛皮商人ならあり得ないもの……」


 フィオナのいうとおり、リックは今も腰にナイフを一本差しているだけだ。

 

 それも武装というよりは作業に使うようなナイフだ。

その軽装であの森にいたのなら、鷲獅子のいない地域。それこそ帝国南部の出身としか考えられない。


 しかしそうであるならば、毛皮商人を名乗る彼はあまりにも北方の動物を知らなすぎることになる。


「すみません。ミダス商会まで!」

 

 フィオナは手を上げて辻馬車を止める。


 見えないだけで、もしかしたら他にも間者はいるのかもしれない。

もう一度、こちらを見送るリックの姿を見る。


 にこやかに微笑む銀髪の優男の瞳は、確かに笑ってはいなかった。

あの余裕はどこから来るのか、それだけがとても不安だった。

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