第6話 つかの間~平穏の日々
あれから数日、リアムの行方を調べる日々が続いていた。
ヘリオスとデメトリオスは今後の旅の準備のため、毎日城に詰めている。
デルフォイの王城は
各施設は放射状に伸びた回廊で結ばれていて、全体がさらに大きな円形の土台の上に在る。
元々川の中州であった場所にあり、周囲を大きな堀に囲まれていて、街と日輪宮は一つの橋でしか結ばれておらず、極めて籠城に適した作りになっている。
「つまりデルフォイの都は完全に計画された都市というわけね。帝都なんて拡張するたびにアテナイの街との境が曖昧になっちゃってるから」
「帝都ってそんなにゴチャゴチャしているんですの?」
ミダスの義理の娘であるゾエは
人目につく場所は危険なので、普段は屋敷の外には出ないようにしている。
それだけにフィオナに聞く外の世界の様子には興味津々といった様子だ。
フィオナは逗留の条件として、ゾエの家庭教師を請け負った。
そこでヘリオス達の向かった日輪宮の話題になったのだ。
「元々は街と離れた丘の上に帝国の主要施設を作っていたの、ところがこの1500年間で、アクロポリスは下に、アテナイは上に拡張しちゃたから大変なことになったわ」
「だからテーベなんかはテバイ以外に別々に都市を造ったんですよね?」
「その辺りは前にメディアには教えたわね。テーベは帝国の規模をそのまま小さくした感じ。5つの主要王家が普段は独立して領土を統治しているわ。ゾエ、その5王家はわかる?」
「アルゴス家、カドモス家、テセウス家、ミケーネ家、オイディプス家の5つですね」
「正解。それら5つがテーベ王位の請求権を持つボイオーティア王家。その当主は親王の称号を与えられているわ。もっともミケーネ家の本家の方はミケーネ王になっちゃったから、現在は4王家と解釈することもあるわ」
「テーベの王も皇帝みたいに選挙で選ばれるのですか?」
「そうではないわね。テーベの王位は一貫して先王からの指名制。成人した親王の中から一番相応しいものを選ぶの。これはテーベ王はそのまま皇帝になる可能性が高いからなのよね」
本来ならば家庭教師をつけても良い年齢であるが、他者の目を欺くためにゾエは表向きは奴隷だ。
この屋敷の人間は後に騎士としての教育を受けたテオドリック以外は元はならず者というか、はみだし者ばかりでそこはミダスも悩みの種らしい。
「ゾエさん、テーベ王は帝国皇帝旗を継承できる人間と定められています。他の貴族と違って分家といえど基本は別の紋章を持たないんです」
「うん。さすがはその辺りは紋章官のメディアの専門ね。秩序の神から与えられた皇帝旗は他の旗と違って分割することができるの、では皇帝旗の誓紋術は?」
「ええと、騎士や貴族を選定するのですのよね? お義父様が前にそうおっしゃってました」
「貴族だけでも1500家、騎士は数千人もいる。その全ての資格者を一人で見るのは大変だし、資格者が帝都に来られないこともあるわ」
「たぶん見た方が早いですね。ゾエさん、これがその分割された皇帝旗です」
フィオナの説明を聞いて、メディアは短く呪文を唱え、女神の似姿の紋章が描かれた手のひらほどの大きさの小さな旗を出現させる。
帝国旗は世界の守護たる龍をモチーフにしているが、皇帝旗は人類に紋章を授けた秩序の女神が描かれている。
「今回はこれを使ってヘリオス様が騎士認証を行います」
「へぇ……こんな小さくなるものなのですのね」
感心したように大きく息を吐きながらゾエはマジマジとその旗を見つめている。
「そういえばテオドリックさんの紋章は……見せてもらってないわよね」
騎士である以上はその左手にデメトリオスと同じように単純な図形の騎士紋を持っているはずであるが、普段は頑なにそれを隠しているのだという。
「はい。テオドリックは自分の過去を気にしているようですわ。わたしもお義父様もそんなことは全然気にしない。というか、そのお陰で今があると思うのですけど」
「シニス・テオドリック。『悪辣なるシニス』といえば、ある意味すごい有名人よね。そりゃあ名前も隠したくなるのもわかるわ。特に私には……ね」
悪辣なるシニス、盗賊とも傭兵ともつかぬ有名な悪党である。今から15年前当時の皇帝ヘルメス7世によって討伐された。
その時に山中に逃げ込んだために、追撃したのは雪割り谷の人間だ。
ミダスは元々辺境の鉱山でならず者達に宝石を作る奴隷として働かされていた少年をテオドリックが戦利品として手に入れ、面倒を見ていた。
つまり、最初は主従は逆だったのである。
敗北後の逃走中に敵対的な傭兵に捕らわれたテオドリックを、ミダスが当時の全財産をはたいて買い取ったのだという。
以来15年、心を入れ替えミダスの代わりに騎士の地位も手に入れたテオドリックは、ミダスと二人三脚で商会を大きくしてきたのだ。
「自分が奴隷だったからでしょうね。お義父様は売られそうになっていた
ヘリオスの言葉ではないが、実際に目にしないとわからないこともある。
ミダス商会は元々ならず者の集団だったために悪評も高いが、だからこそ法や帝国の仕組みからこぼれ落ちた人を救う網にもなっている。
「ふぅ……朝からずっとお勉強で疲れましたわ。少し休憩にいたしましょう」
「へぇ……こうなってるのね。釜は外の煙突のところよね?」
ミダスの屋敷は、屋敷の敷地内に堀から直接引いた用水が流れていて、その水を二機の水車でくみ上げて分配している。
この建物に入る時に使用人の姿が見えなかったことから、浴場には外で沸かしたお湯を供給しているように見える。
「我が家の浴場は、そんなに珍しいものなのでしょうか?」
ミダスの屋敷の浴場は
一人一人がすっぽりと入れるような椅子のような浴槽。腰の辺りと足下に湯が溜まる場所がある。
ただ、この浴槽は以前に帝都でフィオナが見たものとは違い、肩口から自動でお湯が出る仕組みがありこれは珍しいものだ。
都市部にある、いわゆるヒップバスには湯桶で湯を運び体を洗う給湯師(日本でいう三助に相当)がいるのだがここにはいない。
なにより壮観なのは壁一面にきら星の如く輝く宝石。
ミダスにとっては病の副産物かもしれぬが、使い道のない屑石といえども浴場の壁に所狭しと並んでいれば、それだけで壮観な光景だ。
「すごいわね、この規模の浴場を個人で所有するのはなかなかできることではないわ」
「そうでございますわね。お義父様も水の豊富なこの街でないと無理だと」
「雪割り谷の役目を考えたらお風呂のことが気になるのは当然だと思います。でもでもですね……さすがにそれははしたないですよ~!」
その仕組みに興味津々なフィオナは、へばりつくように浴槽を眺めてはどのような構造か調べている。
そのたびに隣でくつろいでいたメディアは、フィオナの大きな胸や形の良いお尻が目の前で揺れる光景を目の当たりにすることになり、目のやり場に困ってしまった。
「いいじゃない。誰も見てるわけではないのだし。それより雪割り谷の湯量ならこれは再現できそうね?」
「ええ、はい。って、そういう問題じゃありません。こうなれば実力行使です!」
旅の途中でも感じていたが、こういうときのフィオナは危険だ。
目の前に何があろうと目的を完遂する、知性を持った猪並に厄介なのだ。
メディアは、なおも浴槽を調べ続けるフィオナに強引に大きめのタオルを巻き付けた。
「そこまで気にすることはないと思うけど、ありがとうメディア」
渋々と言った感じだが、それでもフィオナは礼をいう。
「私は気にしませんけど、ゾエさんも気になると思います!」
「そんなことはございませんわ。殿方も居られませんし、メディア様も気にしすぎなのでは?」
ゾエは特に気にもとめていない様子。そんなゾエの肢体は同じ女性のメディアから見ても美しい。
イーリスだから美しい顔なのは当然なのだが、それに加えてお椀を横にしたような柔らかそうな胸。
肉はつきすぎているわけではないが、艶やかで弾力のありそうなお尻。
透き通るような石膏のような白い肌。身体まで全部美しいとか反則じゃないだろうか?
フィオナだってきちんと化粧でもすれば、相当な美人の部類だ。
そのまま浴槽にがっくりと腰を落とし、メディアはうなだれてしまう。
「うん。わたしが気にしすぎてたのかな。世の中は不公平です」
なかなかに複雑なメディアの心境を知ってか知らずか、フィオナはなおも思索中だ。
「これ、お湯のくみ上げは水車を使うのね。石臼を挽くのと浴槽への湯の供給ができて、さらに蒸気は向こうの蒸し風呂に有効活用。ミダス商会は公衆浴場を始めてもいいんじゃない?」
「いえいえ、あくまでもこれはお義父様とテオドリックの趣味のようなものですし、それに……ミダス商会は世間からは恐れられておりますもの」
「残念、それはもったいないわね。ここ、リアムもすごい興味をもってたでしょ?」
「ええ、リアム様は自分から進んでこの浴場を清掃しておりましたわ」
「おそらく図面に起こして、石の材質とか書き留めていたのでしょうね」
ゾエの返事に何度かうなずきながら、フィオナは浴槽を優しく撫でる。
「うふふ。その通りですわ。宝石を眺めてはフィオナがいればってボヤいておられましたもの。正直、妬けてしまいました」
「ええっ!! そうなの?」
思わぬ告白にフィオナの手がピタリと止まる。
「はい。フィオナ様とご婚約なさってなければ、是非とも
「ごめん。ほかのことはいいけど彼を譲るのだけは無理だわ」
珍しく顔を真っ赤にしてフィオナは即答する。
「いえいえ、確かにリアム様は素敵な殿方ではございますが、フィオナ様もとっても立派なお方ですもの。諦めざるおえませんわ」
虹色の瞳をキラキラと輝かせながらゾエはそういった。
「そういえば疑問だったんですけど、先生はリアムさんのどこがそんなに気に入ったんです?」
「ああ、それ話さないとだめ?」
「知りたいです!」
「
「そうね。簡単に言えば私にとっては雪割り谷とライアン家の人が全てだからよ。両親は幼い頃に亡くなってしまったし、祖父も多忙だったから私にとってはそれだけが全てだったの」
「それじゃあ、小さな頃からリアム様とはずっと一緒だったのでございますね」
「私にとってはあいつは弟みたいなものだったわ。リアムからすれば自分の方が兄だっていうでしょうけど……三年前までは半年離れたことはないくらい側にいたわね」
その時のことを思い出すかのように、フィオナは目を閉じた。
「ところが三年前に祖父が亡くなって、そのあとグレン家の濃い人間族の血を求めて、とある貴族から縁談の申し込みがあったのよ」
「ヘリオス様から聞いています。コリントス候家がヘリオス様の奥方にって申し出たんですよね?」
「勇者様のお嫁さんにフィオナ様が? 本当なのですか?」
「フィボス元帥も祖父の教え子の一人だったし、アトラスの血が濃くなり過ぎていたのは事実だしね。もっともそんな理由がわかったのは雪割り谷に来たヘリオスに、この前初めて聞いたんだけど」
「でも、そうならなかったんですよね?」
「そう、その話を聞いたリアムはそれならば自分が。と、先に私に結婚を申し込んだの。最初は驚いたけど、見ず知らずの、しかも大貴族の家に行くよりはよっぽど良かったから……」
「兄弟同然に育った幼なじみと結婚なんて、とっても素敵なお話ですわね」
「そうなのよ。それなのにあいつってば、帝都にこなかったのよ! そりゃあ、やむにやまれぬ事情があったんでしょうけど、せめて連絡くらいは欲しかったわ!」
「それももうじき解決ですよ、写本を作りにいってる司書の方が帰ってこれば、リアムさんの失踪の原因もわかるはずです」
「うん。それまではゆっくりさせてもらうことにするわ。ゾエにももっといろいろ教えるわ」
「楽しみにしておりますわ。ですが勉強慣れしておりませんので、お手柔らかにお願いいたしますわ」
ちょうど担当だった司書が写本の受け取りのために出払っているらしく、帰ってくるまであと数日はかかるという。その間は二人に勉強でも教えながら身体を休めるしかない。
それからしばらく二人の思い出話や、この町での様子などの話が続いたのだった。
数日ぶりに日輪宮に出向いていたヘリオス達が帰ってきた。
今日はしばらく修練を怠っていたヘリオスが模擬戦を行うことになった。
ミダスの屋敷の中庭は広く、三人が暴れても問題は無い。
「石畳も張り替え時です。多少は壊しても構いません。それにここなら外からも見えぬでしょう」
義理の娘のゾエに手を引かれて、珍しく外に出てきたミダス。
使用人に運ばせた椅子にどっしりと腰を据える。
「今回はテオドリック殿と拙者、二人がかりでいかせていただく」
すでに半人半馬の姿になった
実戦さながらに
人の背丈の二倍はあろうかという騎兵槍を携えている。
「さすがに勇者様とはいえ、大丈夫なんですの? こういってはなんなのですが、テオドリックもとても強いのですわ」
いつもの執事服に刺突剣を構えたミダスの家令、テオドリックに駆け寄りながら、ミダスの義理の娘であるゾエは心配そうにヘリオスに語りかけた。
「俺も誓約の勇者。達人二人がかりに負けるなら、それは修練が足りていないということだ」
ヘルメスは肩に背負うように両手で剣を構え、二人を誘い込むように待ち構える。
「お嬢様、私ごときの剣は勇者殿の足下にも及びませぬよ」
ゾエを安心させるようにテオドリックはいうが、目は真剣そのものだ。
「模擬戦とはいえ、お怪我などなさりませぬよう。お祈りいたしますわ」
今日ばかりはテオドリックも革手袋を外し騎士の紋を露わにしている。
彼が普段と違うのはその左手に固定された五角形の盾。
中央に填め込まれた宝石はミダスが精製したもので、大変に純度が高い。
これはすなわち、障壁強化の術が施されていることを意味する。
ヘリオスの鎧と同じく見た目以上の防御力を秘めている。
傭兵時代は大将狩りで名を馳せた彼の剣は徹底して対人戦に特化したものだ。
手練れが使えば、刺突剣は相手を殺すにも無力化するにも優れた武器となる。
「ご安心くださいお嬢様……私ごときでは足止め程度の役割しかはたせませんよ」
その割には口元の笑みを隠そうともしない。
彼とてかつては戦場を荒らし回った傭兵。己の実力を試したいと願うのは当然だ。
お互いに準備ができたことを確認し、ミダスは片手を上げる。
「それでは、始めぇ!」
ミダスの合図の声と同時に颯爽とデメトリオスが前足を振り上げる。
「参りますぞ! ヘリオス殿!」
ズドンと大地に大岩を落としたような音が二度響く。
彼方にあった巨体が、すでにヘルメスの眼前で槍を振りかぶっていた。
間違いなく50ペーキュス(約25m)は離れていたはず!
それでも
何も考えない正面からの突撃ですら人間など容易く蹴散らす威力がある。
「チェェェェイッ!!」
ヘルメスの足下を狙った足払い。
それを予測していたヘリオスは軽く後退し、空振りさせる。
「まだまだぁ!」
振り上げる途中で四肢を踏ん張ると、そのまま怪力を生かして突きに移る。
「やはりケンタウロスの速さは恐ろしいな」
予想よりも早い刺突を火花を散らし剣で払いのける。
押し返しきれずに騎兵槍の二撃目が襲う。
「ならば……受け流すまで」
「その意気や良し! せいぜい潰れぬようになされよ」
反撃するには鎧の障壁で突きを防ぎ、そのまま槍の上を滑らせるようして剣を叩きつける。
剣の柄から左手を離し、正面に意識を集中。
手の平に円形の紋様が浮かび上がり、命中寸前の槍がヘリオスの障壁に防がれた。
対アトラスへの鎧の障壁力は、魔獣相手の時とは威力が違う。
剣と障壁でデメトリオスの槍を完全に防いだかに見えたが……。
それでもデメトリオスも流石は帝国の誇る騎兵団の一員。
完全に受け流すことはできず、つばぜり合いのような形になり、わずかに足の動きが止まる。
「殿下。私を忘れていただいては困ります」
槍に気を取られている隙に、馬体に隠れて間合いを詰めていたもう一つの影。
足下からわき上がるように、腰だめに剣を構えたテオドリックの姿。
「それも、予測のうちだ」
二対一の戦いならば、動きを止めればこうなることは最初からわかっていた。
状況を打破するには、突きを誘い込んでテオドリックを盾にし、デメトリオスから間合いを取る。
それを実現するためにはギリギリまで引きつけてかわさなければならない。
しかし、それこそがテオドリックの狙いだ。
「いささか油断なされましたかな? 勇者殿」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、想定していたよりも手前で刺突を放つ。
体勢の保持を諦め後ろに飛び退こうとしたヘリオスの『鎧の宝石』をテオドリックの剣が貫く。
「くっ、その手があったか!」
跳ね飛ばされ、ゆっくりと宙に舞う宝石を見ながらヘリオスはそのまま倒れ伏す。
「せぇぇい!!!」
そこへ響く馬蹄の音。
槍と四本の足を自在に使う人馬族の前足が振り落とされる。
断頭台に振るわれる斧のように、一発、二発、三発。
踏みつけるたびにビリビリと大地を震わせる蹄の響き。
転がることでなんとか逃れようとする。
だが、いつまでもかわしきれない。
腹に鈍い衝撃が走り、あっという間に視界が歪む。
空の青と土の茶色が目まぐるしく入れ替わる。
ヘリオスは自分が騎兵槍か前足で放り上げられたのだと悟る。
鎧の障壁が弱れば
本気で無いとはいえ、腹を押しつぶされるような重圧と痛みが走る。
それでも彼は空中で体勢を立て直すと、何とか両足から着地する。
「さすがです。と申し上げたいところですが獲らせていただきますよ」
それはまさに死神の一撃。着地点に刺突剣が突き出される。
「まだだ!」
躊躇せず左手を剣先に叩きつける。
そのまま剣を斜め上に切り上げる!
が、テオドリックもその攻撃を左手の盾で受け止める。
嵐のような連携が止まり、ようやく間合いが離れた。
「くっ……初めて連携を組んだ割にはすごいじゃないか」
素直に褒めたつもりだったが、二人の顔は不満そうだ。
「これで獲れぬとは、さすがに勇者様でございますな」
「そうでござるな。しかしテオドリック殿に、攻撃を任せて正解だったようでござる」
人馬特有の速さと手数を生かした突撃を囮にし、足が止まったところで正確無比な暗殺剣を打ち込む。
テオドリックもデメトリオスも戦場に長くいた経験を持つ。
その経験が敵を仕留めるのに最適の連携を導き出した。
それでもその猛攻をしのぎきるのがヘリオスの卓越した技量である。
「やはり簡単には勝たせてはもらえないか……」
練習用の剣とはいえ突かれた左腕は痺れて動かない。少なくとも回復するまでの時間は必要だ。
そこからはヘリオスは防戦一方となった。
デメトリオスが槍と四本の足で進路を塞ぎ、そこをテオドリックが突く。
予想以上に苦戦することになったのはテオドリックの左手の盾だ。
ヘリオスにも流れるアトラスの血に反応し、スクトゥム(タワーシールド)並の障壁を展開するのだ。
盾で抑えられている間にデメトリオスの得意の間合いに持ち込まれる。
鳥籠に閉じ込められたように防戦を強いられる。
何度も攻撃がかすめるが、なんとか紙一重でふせいでいた。
そしてようやく痺れが取れ、彼がもう一度両手で剣を構え直す。
「よし、反撃開始だ」
ミダスとゾエは目の前の攻防を固唾を呑んで見守るしかない。
嵐のごとき槍と刺突剣による軌道の檻の中で、それでもヘリオスは立っている。それだけでも奇跡といえる。
その奇跡を平常に変える程の修練こそが彼が誓約の勇者たる所以である。
今まで防戦一方だったヘリオスは正面に構えていた剣を下げ、下段に構え直す。しかも右下に大きく手を広げ、正面はがら空きである。
「では、今度はこちらから行かせてもらうとしようか」
「まずい! デメトリオス殿、攻め続けねばやられますよ!」
「承知!」
二人は即座に構えの変化した意味を理解した。
防御を捨て全力攻撃に切り換える。
そうすることで今まで二人が組み上げてきた刺突の檻を突き破るつもりだ!
「では、行かせてもらうとしよう」
ガキンッ!!!
石畳を踏みつける音と同時にヘリオスはふわりと浮き上がり後ろに飛び退く。
遠ざかろうとするその姿に、対峙する二人には焦りが生まれていた。
勇者相手に攻守が逆転すれば勝ち目は無くなってしまう。
「拙者が追う!」
どれだけ離れようと
騎兵槍の射程と空中でも自在に動くことのできる身体能力で機先を制す!
「ヘリオス殿。空に逃げたところで人馬の速さに勝てるとでも?」
槍の射程から逃れるためか、壁を駆け上がり続けるヘリオス。
だが三階程度の高さではすぐに逃げ場は無くなるはずだ。
「そうだな。とても勝てないな」
そういった瞬間、デメトリオスの視界からヘリオスが消える。
「だがな。今は攻めているのは俺の方だって忘れないでくれよ」
自分の馬体の下から聞こえる声に叫びを上げる
「ぬかったわぁぁぁぁぁっ!」
これこそがヘリオスの狙い。
自分には圧倒的に不利な空中にデメトリオスをおびき寄せ、壁の反動を利用して降下する。
そしてそのまま地上のテオドリックと乱戦に持ち込む腹づもりだ。
「私の方が与しやすいと見たか? それでも剣同士の間合いであれば……なにぃっ!」
先ほどとは逆に自分の間合いの外からせり上がってきた敵を串刺しにするべく、刺突剣を構えたテオドリックは自分の顔面を捉えようとする籠手の輝きを見て慌てて避ける。
さらに構え直す前にそのまま体当たり。
当たる寸前、ギリギリで刺突剣を逆手に持ち替えて突き刺す。
ヘリオスはその刺突をくぐり抜け後ろ回し蹴りを放つ。
「これではどちらが悪党かわかりませんな」
「それはどうも。
剣を使わず超至近距離での連撃。
軽装のテオドリックより身軽な体術。
超密着状態での戦闘は、刺突剣以外で鎧を着た相手を倒す方法はそうそうない。
驚くべきことに組討ちの腕も戦場で鍛えたテオドリック以上だと理解した。
ここまで密着されては同士討ちの可能性もあり、デメトリオスも手を出せない。
変身を解いて槍だけならば戦えるが、それでは人馬族の優位を捨てることになる。
「やれやれ、やはり一対一で勝てませんか」
テオドリックは剣から手を離す。
そのまま自分の左手首をつかむと全ての精神力を盾に集中。
「それでも……これで我々の勝ちにさせていただきましょう」
これでヘリオスの身体が触れれば、障壁で動きを止めることができる。
障壁さえ展開していれば一撃ならデメトリオスの攻撃にも耐えられる。
「ああ、待っていたさ。ここしか俺の勝ち目も無かったからな」
待っていたのはこの時。テオドリックは勝利のために容赦なく剣を捨てると踏んでいた。盾による押さえ込みの下をくぐり抜け首元に剣を突きつける。
「我々の負けでござるか。お見事にござる」
デメトリオスも槍を納め変身を解く。両手を挙げてテオドリックも降参する。
「正直危なかった。少し前の俺なら負けていたかもな」
フィーと大きく息を吐きヘリオスは腰を下ろした。
「やはり最初に仕留められなかった時点で勝ち目はありませんでしたね」
「いやいや、勇者殿相手によく戦った。私もゾエもお前が家族で鼻が高いというものだ」
「そうですね。こんなに熱くなったのは久しぶりでした。ありがとうございます」
「なぁに、礼をいうのは俺の方だ。久々に戦いの勘を取り戻せたよ」
テオドリックが差し出した手をヘリオスが強く握り返す。帝都でもコリントスでも、彼レベルの剣の使い手はそうそうはいない。
そんな中庭の様子をフィオナ達は屋敷の中から見つめていた。
「フィオナ先生、あのお二人もヘリオス様相手にすごかったですね!」
「あれが見えてるなんてメディアも十分にすごいわよ」
ヘリオスに是非にとせがまれて厨房でメディアに料理を教えていた。
「でも、やっぱり私抜きで模擬戦なんて、足手まといなんでしょうか?」
「そうじゃないわ。たぶん私に気を遣っているのよ」
かまどの上でモクモクと煙を上げる藁。串を刺した
実際に戦いとなれば隣の少女の補助を受けて戦うのだから、彼は更に強さを増すだろう。
メディアは自分を未熟といっているが、魔法に正法、さらに紋章の解放までできることは脅威である。
今の戦いなら、二対一、さらに鎧を破壊された状況でもメディアなら戦況を一変させられる。
「先生に? …………あっ!」
その意味に気がつき、口に手を当てるメディア。
「そうよ。あの二人の技を同時に使う人間はこの世に一人しかいないわ」
「でも、おかしいじゃないですか! なんでヘリオス様がリアムさんと戦わなければならないんです?」
その一人はフィオナの婚約者である
「考えたくは無い可能性だけど、私には一つだけ心当たりがあるわ」
「まさかヘリオス様は最初からそれをご存じだったんですか?」
「それはないわ。あくまで可能性の一つとして考えていたのでしょうけどね」
そう、あの時山小屋で明らかに様子がおかしかった時、フィオナは何かに気がついたのだ。だからヘリオスはメディアに側にいるように命じたのだろう。
「真実を知るには心の準備が必要よ。だからメディアが側にいてくれると、とても助かるわ」
おぼろげながらもフィオナはリアムに何があったのか推測できていた。世界辞典が示すのは最悪の結末。それでも、メディアやヘリオスが居てくれるのはとても心強い。
「それは絶対です。フィオナ先生のためなら何だってします!」
メディアも、もう三年も前からそう決めていた。
魔法学院での修業時代、魔法の才能が無くて挫けそうだった時、剣も魔法も使えないフィオナは誰にも恥じること無く誰にも臆すること無く教壇に立っていた。
その姿に心を打たれたからこそ、頑張れた。今ここに居られるのはその時にもらった勇気のお陰だ。
「ありがとう」
煙のせいで外はよく見えても、隣にいるフィオナの表情はわからない。
でもきっとフィオナはいつもより優しい顔をしているに違いないとメディアは確信する。
「それにまだ本当に最悪の結果だってわけじゃないし、今はお料理しましょう」
「まあ、ミダスさんにもお世話になってるし、みんなもお腹をすかせてるでしょうしね」
「でも先生。このお料理のソースも大豆なんですね?」
「雪割り谷では何でも大豆で作るわ、いつも飲んでるスープもそうだし、煮詰めてにがりで固めたりもするの」
「麦やお米が収穫できないって本当に大変なんですね」
「だからこその交易よ。それがあるから、こうして珍しいお料理もだせるわけよ」
「はい! フィオナ先生!」
表面が十分に燻された
もうすぐ真実が明らかになる。
その時、フィオナはどのような決断を下すのか?
そして主であるヘリオスはどうするのか?
メディアは何があろうと二人を支えるのだと、決意を新たにするのだった。
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