第5話 デルフォイ~強欲のミダス
「そうなんですね。あの時の商人の方がもう着いておられたと」
「そのリックとかいう商人、リアムは拙者には何も話してはおらなんだ」
「向こうもデメトリオスさんのことは知らなかったようです」
リアムは、そういうことは話しておく方だと思ったのだが、どうにもそこが引っかかる。
「なに、デルフォイ市中では何もできないさ。それよりも、もうじき街が見えてくるぞ」
ヘリオスは特に気にとめるでも無くその話題を遮った。
もしやフィオナの考えすぎとでもいうのだろうか?
フォキスの町からデルフォイまでは馬車を使えば半日ほどの道程だ。
デルフォイの町は帝都アクロポリスが陥落した場合の副首都と位置づけられており、計算し尽くされた都市計画を元に建設されている。
ここには正法教会の神殿や帝国大学、医学院、など様々な施設が集められており、それ故に賢者の王国とも呼ばれる。
元首はデルフォイ総主教、デルフォイ市長、帝国大学学長、医学院長の四人の中から選挙で選ばれるデルフォイ副王が努めるという他の国とは違う統治形態を取っている。
二重の城壁と堀に囲まれた市街地へは、街道から続くイアソン記念門を通って侵入する形となる。
外壁部をぐるりと周り内堀との境目にある大きな屋敷がミダス商会。
内堀の向こうは城壁と物見のための尖塔であり、町の中でも最も王宮から遠い場所となっている。
館の周りは人の背丈の倍ほどもある壁で遮られているため、市中に別の城壁があるような印象を受ける。
「こちらにおわしますは、デルフォイ王位請求権者ヘリオス・イアソン・コリントス4世であらせられる。ミダス商会会頭、ミダス殿への面会を要請するものである」
紋章の刻まれた左手を高々と掲げたヘリオスの前で、メディアが白紙の命令書を読み上げる。
略式ではあるが、こうして紋章官を通じて正式に訪問したという事実が、相手にとっては栄誉として目に見えぬ利益になるのだ。
「少しお待ちいただきたい。今すぐお取り次ぎいたします」
「これはまた、拙者達の時とは大違いでござるな」
「そうなんですか?」
「拙者も念のためと思い伝馬士を送っておいたのだが、ずいぶんとあちらの建物で待たされた」
「やはりそこは騎士と貴族の違いなのでしょうね。形式上とはいえこの国の人間はコリントス候に忠誠を宣誓しているわけですから……」
デメトリオスが指さしたのは商談などを行うであろう離れ。雪割り谷でいえばフィオナの家のような場所ということになる。
「デメトリオス殿、あの男は何者だ?」
手を掲げたままのヘリオスが振り返らずに、デメトリオスに問う。
「この家の家令でござるな。拙者も名を聞いたことはござらぬ。頑なに名乗らぬところを見ると、名の知れた
奥から現れたのは執事風の壮年の男性。口の周りを黒々としたラウンド髭に覆われ、装いは黒の上下の執事服。手だけは真っ白な皮の手袋。
だが、腰に帯びた奇妙な剣は彼が普通の家令ではないことを示していた。
ヘリオスが使うような幅広の長剣とは明らかに違う。槍よりも細いそれは刺突を目的とした剣にみえた。
「ようこそおいでくださいました。ヘリオス王太子殿下。デメトリオス様。そしてフィオナ・グレン様に紋章官のメディア殿ですな」
強面からは想像もつかない満面の笑顔と穏やかな声で、家令は歓迎の意思を示す。
「こちらに世話になっていたリアム・ライアンの件で尋ねたいことがある。フィオナ殿とミダス殿との面会をお願いしたいのだが、よいだろうか?」
「その件につきましては、我が主ミダスに直接お尋ねください」
そういうと懐から鈴を取り出して人を呼ぶ。その合図と供にメイドやフットマン達がわらわらと現れる。あっという間に荷物などを持って行かれ、あれよあれよという間に屋敷の中に導かれる。
家令の男はその様子をやはり喜色満面で見送っていたが、その目は笑ってはいなかった。
「思ったよりは暗いんですね。それにこの匂いはお香でしょうか?」
「おそらくクレタ産の香油よ。この家は玄関からアトリウムに繋がっている典型的なドムスね」
ここは大商人が住むに相応しい邸宅といえる。玄関ホールを入って目の前の中庭には池。
奥にはおそらく館の主の執務室があるのだろう。
ミダスは自分の姿を見られることに抵抗があるようで、照明類が一様に暗いのが一目でわかる。
すぐに新鮮なフルーツ類が用意されて、先ほどの家令がそっと後ろを通り過ぎる。
そして奥からずるりずるりと岩の塊のような生き物が這い出してきた。
「よぐぞ……おいでぐだざっだ。でんがをおぶがえじでみにあばるごうえいにございばす」
ジャリジャリと岩を砕くようなささやき声。全身を溶けた岩のような鉱石に覆われ、錦糸で彩られたローブを着たその男。頭部には
ロバを思わせる毛むくじゃらの耳に頬の半ばまで裂けた大きな口。
普段は
戦闘の際に周囲の鉱物と融合して巨人の姿を取る有角族のできそこないのような外見だ。
「ようこそおいでくださいました。殿下をお迎えし身に余る光栄にございます」
そう告げたのはミダスに寄り添うように立つ一人の少女。
「ヘリオス様!」
その姿にメディアが思わず叫び声を上げる。
無理も無い話だ。少女は目隠しをされ、服というのもおこがましいぼろ切れを身にまとっている。
メディアでなくても目を背けたくなる光景に違いない。
「どういうことでござるか? 殿下の前で奴隷を使うなどさすがに無礼ではござらぬか?」
「ミダス殿。自らお迎えいただき感謝いたすが、デメトリオス殿の申したとおり、奴隷の所持は帝国法により禁じられている。どのようなおつもりか?」
「そこは私がお答えいたしましょう」
そういって前に出たのは先ほどの家令。
「ご存じの通り、ミダスは手に触れたものを何でも石に変えてしまいます。故に身の回りの世話はこのように奴隷に行わせる他ないのです」
「つまり、誤って触れてしまってもいい人間ということでしょうか?」
フィオナは問う。
「ぞうだ。じようじんもりっばなざいざん。ぶれればごわでるがぞれはいがぬ」
「そうだ。使用人も立派な財産である。触れれば壊れるがそれはいけない。奴隷であれば替えが効くということです」
自分の命のことなのに、奴隷の少女は平然とそういった。
触れれば壊れるなら服もぼろ布で良いと言うことか?
いや……何かがおかしい。
「フィオナ、ミダス殿の言葉は真実か?」
ヘリオスからの問いに、フィオナは熟考して結論を出す。
「いいえ。ミダス殿は嘘をついています」
ミダスは嘘をついている。フィオナはそう断言した。
「ぼぼう。わだじがぶぞをづいでぼるど?」
「ええ。その通りです。そちらにいるのは奴隷などではありえないからです」
「お待ちくだされ、フィオナ殿。あれはどこからどう見ても奴隷ではござらぬか?」
「では、デメトリオスさん。今までにあの人を見たことは?」
「いや、それは初めてでござるな。話には聞いておったが見るのは初めてでござる」
「それなら、そちらの家令殿だけも良かったはずです。特にヘリオス殿下をお迎えするのであれば、衣装だけでも良いものを用意できたはずでは?」
「で、でごどりご、いやテオ……ドリッ……ク。どおが?」
「ミダス。人前で名前を呼ばないでいただきたい」
よほど名前を知られるのが嫌だったのか、テオドリックと呼ばれた男は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。
「まあ、話を戻しましょう。先ほどもお話した通り、ミダスは触れたものを何でも石に変えてしまいます。他の使用人ならともかく身の回りの世話をする奴隷の服ならぼろ切れでも十分ではないですか?」
「では尋ねます。そういうことならなぜミダスさんはそのような上質な服を?」
「それは館の主である以上、壊れるにしてもミダスの服は良いもので無くてはなりません」
「それならば、もう一つ。なぜそちらの女性は目隠しをしておられるのですか?」
その言葉に、まるで彼女を隠そうとするかのように、明らかに慌てた様子でミダスは立ち上がる。
「ぞ、ぞでばばだじがびにぐいがだだ! ごのずがだごびだでだぐだい!」
醜い自分を見られたくないからだと、今まで小さく聞き取りにくい声で語っていたミダスが声を荒げた。
「これで間違いないわね。やはり彼女は奴隷じゃ無いわ」
「つまりどういうことだ?」
「ミダスさんは彼女を見られたくないから、あのような格好で側に置いているのよ」
「拙者が尋ねた時にいなかったのは?」
「単純に危険だったからよ。だって、本気の
「その通りですな。この距離なら一突きでござる」
「この間合いなら俺でも一息に詰められるぞ。俺たちは騎士だからここで取り押さえることもできる。そんな危険なことをする意味は?」
「それは彼女に語ってもらうしか無いわね。貴方はなぜ奴隷のフリをしているのかしら?」
「すごいですわ。すごいですわ!」
「ぞ、ぞえ……」
驚くほど無邪気にぼろ布をまとった少女は喜んでいた。
「お
「まったく……だから私はお止めしましたよ。ゾエお嬢様」
ゾエとミダスを交互に見つめ、やれやれとため息をつくテオドリック。
「だって、一目見ただけで全てわかるなんて魔法みたいですもの。本当かどうか確かめたくなりますわ!」
「先生。どうしてわかったんです?」
「私だってわかってたわけじゃないわ。だけど、この屋敷に入ってから少しでも汚れたものがあった?」
メディアはここまでの情景を思い出すが、驚くほど清潔な屋敷の様子しか思い出せない。
下働きのものに至るまで、上質な綿の衣服を用意しているのだ。ミダスに至ってはビロードのローブである。
そんな中でただ一つ、ゾエだけが美しくないものとしてそこに在った。
「それにね。私は多少、
「おいおい。フィオナも俺たちと一緒に来たのだし、そんな仕込みする時間はなかっただろ?」
「そうです。ずっとわたしの隣にいたじゃないですか」
「ぞでばばだじもじじだい」
「お義父様も知りたいそうです。一体どういう仕掛けなのです?」
「簡単な話よ。もしも本当に奴隷を使っているなら、うちのリアムだったら絶対ぶん殴ってるもの」
それが当然のことであるようにフィオナは言い切った。
「ぷっ、ハハハハハハハハッ。こいつは傑作ですね。ミダス、フィオナ殿は実に彼のことをよくわかっている」
「ブフォフォフォフォまっだぐだ」
フィオナの意見にミダスとテオドリックはお腹を抱えて笑い出す。
ゾエも口元に手を当てて必至に笑いを堪えていた。
デメトリオスは納得したように肯いていたが、ヘリオスとメディアはあっけにとられていた。
まさかゾエの正体をそんな手段で見破ったとは!
「うふふ。ごめんなさい。こういう理由があるので普段は人前には出られないのです」
口元に笑みを浮かべたままゾエはゆっくりと、目隠しを外す。
彫像のように端正な顔は人目を引くが、最大の特徴はその瞳だ。
虹色の瞳を持つ美しい一族。その血は
「
「そうです。ゾエお嬢様はイーリスなのです」
だが、身体的な強さは他のアトラスの種族に比べて脆弱で、少し修行を積んだ人間にも負けてしまう。
そしてその血の持つ特性故に人目を避けて逃げ続けなければならない。
もちろん表向きは帝国の域内であれば保護されることになっているし、ここにいる二人の騎士ならば法を破ることも無いだろう。
しかし人は弱い生き物だ。
自分が死へ至る病に冒された時に、それを癒やす手段があれば、それでも正気を保つのは難しいだろう。
だからこそ、人目を避けて生きなければならず、この少女は幻の種族なのだ。
「お義父様は売られそうになる
「お、お嬢様。おやめください。私などこちらのお二人に比べれば取るに足りません」
「あ、もしかしてミダスさんがお金で買ったと噂されている騎士って……」
「左様。私めにございます」
悪びれもせずにテオドリックはいう。
「だけどお金で買ったわりには随分と仲が良いように見えるのだけど?」
「テオドリックはお義父様のかけがえのない
「二人とも、それで間違いないのか?」
「ばじがいございばぜん」
どうも二人を見る限り、世間で言われているような悪党にはとても見えない。
特にゾエなど平気で売り渡しそうなイメージだっただけに意外だった。
「お義父様、ちょうど良い機会ですし今月の薬の時間にいたしましょう。お口を開けてくださいませ」
ゾエの言葉に嫌々ながら口を開けるミダス。
ゾエは自分の指の先を小刀で少し切ると、滴る血をミダスの口に注ぐ。
ほんの数滴流し込まれた時点で、ミダスはその手を掴んだ。
「ゾエ。それ以上はやめなさい。私は血を絞り取るためにお前を娘にしたのではない」
先ほどまでのジャリジャリとしたささやき声とは違い、低く明瞭な声でミダスはいった。
これがイーリスの血の力だというのなら、ミダスのこの身体は呪いなどでは無く病だということ。噂に違わず、わずか数滴の血でここまでの効果が現れるとは!
「ミダス殿! 言葉が! それが
「その通りです。デメトリオス殿。私は貴方がたにご協力する見返りとして、ゾエの身の安全を保証していただきたいのです」
「それならば俺がコリントスの……いや、デルフォイの名においてそれを保証しよう。だからリアム・ライアンについて知っていることは何でも教えて欲しい」
「承知いたしました」
そしてミダスの口からデルフォイでのリアムの動向が語られることとなる。
元々ミダスは身体を鉱石で覆われていく病に冒されていた。
そのためかはわからないが、手に触れたものも徐々に石になり、それが石であれば宝石に変えることができるのは世間に語られている通りだ。
ただしそれは魔法のようなものであり、無制限に使える力では無い。
病のため身動きが取れぬので友人であるテオドリックと一緒に商会を立ち上げたのだという。
ミダスはライアン家とは先代のイントッシュ男爵時代からの付き合いがあり、ゾエを養女にするまでは雪割り谷から薬草を買っていた。
だから下働きをさせて欲しいとリアムに頼まれた時は喜んで協力を申し出たのだという。
「それでだいたいの事情はわかりました」
「フィオナ様。たったそれだけでわかるものなのかしら?」
「リアムは徹底的に自分が何かしたという証拠を隠したがったのでしょう。『ミダスの使い』の立場なら調べ物も買い物も何でもミダスさんの名前でできるでしょ?」
「そうか。考えたな。デメトリオス殿さえ黙っていれば、自由に動けるのか」
「商館長がたまたま町で彼を見かけなかったらお手上げだったわね」
「ここ一月ばかり姿を見かけないが、彼の身に何かあったのでしょうか?」
テオドリックは心配そうにいった。彼はテオドリックからも剣を学んでいたらしくデメトリオス同様に弟子の行方が知れないという事態を憂慮していたのだ。
「私にも心当たりはあります。もしよろしければ、しばらくこちらにお世話になりたいのですがよろしいでしょうか?」
「歓迎しよう。フィオナ・グレン。ちょうど娘にも勉強を教えたかったところだ。屋敷にいる間はゾエの家庭教師をお願いしたい」
「フィオナが世話になるなら、俺たちも世話になっても良いか? どうにも城の中は広すぎて落ち着かないんでな」
「殿下がこちらに逗留なさるなど身に余る光栄です。こちらからお願いしたいくらいだ」
「ああ、そうだ。貴殿の異名だが、話を聞いた限りでは醜きミダスではあまりだろう。だからといってゾエや貴殿の身を考えれば、虚仮威しも多少は必要なのは間違いない」
「そうで……ございますな」
「故にこれからは『強欲のミダス』と名乗るがいい。なかなかにはったりがきいているだろう?」
「ハハハ。全くですな。私はゾエやテオドリック。それに商会の皆を手放したくは無い。これからはそう名乗るといたしましょう」
話を聞く限りでは、ミダスは強欲とは縁遠い人物のようにも思えるが、良くも悪くも世に流布する自らの悪評をも身を守る手段としてきた彼のこと。意外にもその提案には乗り気だ。
「まぁ、そういうわけだ。当然デメトリオス殿にもつきあってもらう」
そういって懐から取り出したのは召喚状。
ヘリオスはそこににこやかにデメトリオスの名を書き込んだ。
「これよりしばらくはデメトリオス殿には我が騎士団の一員になってもらう。よろしく頼むぞ!」
「なんと!」
フィオナの時とは違い、有無を言わさず召喚状を使った。
一見すると乱暴な行為にも見えるが、弟子の身を心配するデメトリオスが本来のマケドニア騎士団から離れて行動するためには、これはどうしても必要なことなのだ。
それだけに驚いた声とは裏腹に、デメトリオスも笑顔を浮かべていた。
ようやくリアムのいた場所に追いついたのだ。
後は彼を見つけ出すだけだ。
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