帰省

 一通り泣いてすっかりと落ち着きを取り戻した僕は、アカリと二人でゆっくりとセーフティゾーンに向けて進み出していた。僕たちはすっかり奥まで戻ってきていたようで、見覚えのある道を無言のまま、でも気まずいといったことはなくひたすら歩いていた。

 ところどころで再出現したモンスターが出てきたりしたが、今の二人には何の障害にもならず、ほんの数手でモンスターたちを去なしていく。

やがて魔除けの花が二人の視界に入り込み、やっと二人の沈黙が破られた。


「やっと戻ってきたわね。なんだか、ここが自分の家みたいな感じがしてきたわ。帰って来たって思うなんてね……」


 アカリは苦笑混じりにそんなことを言った。でもその気持ちはわからなくもない。ここに来ると家に帰って来たような、ホッとした気持ちになる。今もこの場所にたどり着いた瞬間、緊張がほどけたのか、急激な疲労が僕を襲っていた。


「アカリ、悪いんだけど、少しだけ寝かしてくれないかな?僕、かなり疲れちゃってるみたいで、身体の節々が痛いし、眠くて仕方がないんだ。ダメかな?」


「いいんじゃない。私も、さっき目が覚めたらあんたがいなくて、思いっきり走ったから、すっかり疲れちゃったわ。さすがにこんなコンディションであいつと戦っても勝てないだろうから、しっかり休息を取りましょう。食糧はまだまだあるから、急ぐ必要も無いしね」


 僕はアカリのそんな提案に素直に頷いて、すぐに腰を下ろして座り込むとそのまま倒れ込むように仰向けになって地べたに寝転がる。

 そのまま目を閉じようとしたのだが、顔の近くの気配に気が付いてそちらに目を向ける。

 そこにはアイリスが何かを訴えるような眼差しで、しかしいつものように煩く口を動かす様子もなく、僕の隣に立ち尽くしていた。

 彼女が何を言いたいのかは大体予想がついていた。それについては、どれだけ言葉を尽くして誤っても足りない気がする。

 だって下手をすれば、僕のせいで僕もアイリスもこの場に存在すらしていなかったかもしれないのだから。だけど僕は多くの言葉を用いるよりも、ただ一言だけこう告げた。


「ありがとう……」


 謝罪の言葉ではなく、感謝の言葉を……。それを聞いたアイリスは無言で僕の方を眺めた後ゆっくりこちらに歩み寄り、僕が投げ出すようにして広げていた腕にもたれかかって、それを枕にするように寝そべった。アイリスは決してこちらを見ようとはせず、無言のまま天井を眺めていた。

 アイリスとそんなやり取りをした僕は瞼を閉じて、眠りについた。




 ジリリリリリ……。いつもの目覚ましの音で、僕は目を覚ました。椅子に座ったまま眠ってしまったせいか身体の節々が痛い。

 まだしっかりと覚醒していない僕は、何も考えることなく、デジタル液晶の目覚ましの上部のボタンを押して音を消す。窓からはまだ角度の浅い太陽からの陽の光が差し込んでおり、眠気眼を優しく撫でて覚醒へと誘う。

 そして、徐々に脳が覚醒していきようやく僕は一つの結論に辿り着く。


「あれ?やっぱり、あれは夢だったのか……」


 目が覚めた自分の視界には、アイリスもアカリもユナンも存在しない。いつもの、テレビや漫画、ゲームなどが置いてある僕の部屋だった。

 ただ、どうしても違和感を拭えない。だって、どう考えたって夢にしては記憶がはっきりしすぎている。昨日の急激な眠気で眠りに落ちてから、先程目を覚ますまでの全ての出来事を鮮明に思い出すことが出来る。こんなの夢であるとは思えない。

 しかし、今自分がいるのは紛れもなく自分の部屋で、その異世界での記憶は間違いなく、僕が眠ってから目覚めるまでの間に起こった出来事だった。それを夢と言わずに、何というのか……。

 僕は腑に落ちない感情を抱えたまま、朝食をとるために部屋を出る。僕のあの冒険は一体……?

 その日も昨日と同じように、川沿いを歩いていく。だが始業式でもない今日は、昨日みたいに早く登校することはない。始業の十五分くらい前に到着するように家を出ていた。

 桜は少しずつ散りゆき、川沿いの道を桜色に染め上げる。昨日とは違って、川沿いの道は学校に登校する人たちで埋め尽くされていた。

 しかし友達のいない僕は、そこで誰かを探すこともなくひたすら昨日の夢について一人思考を巡らせていた。


「本当に昨日の夢ってなんだっただろう?ってか、本当に夢だったのかな……」


 僕は誰にも聞こえないような小さな声で呟きながら、花びらで埋め尽くされた桜色の道を、一人で歩いていく。

 実際夢でよかったと安堵している自分と、折角の冒険が夢だったとがっかりしている自分との両方が存在している。

 それでも、まだ冒険をしたいと思う自分が心の中の大半を占めていたのは事実だろう。だってこれから憂鬱な学校に行くっていうのに、僕はどこかウキウキしながら通学路を歩いていたのだから。

 何事も無く僕は学校へと到着した。二年になって新しくなった僕の席に向かい、高まったままの気分を押し殺しながら、僕は机の横にかばんを掛けて顔を腕の中に埋めた。

 この世界は本当に窮屈だ。いや、これまでの自分の行動がこの世界を窮屈にしたのかもしれない。でも、これまでの人生に後悔があるかと言われれば、意外とそんなことはない。

 だってあくまでも好きなことをして過ごしてきたのだから、それでこの世界が窮屈になったのなら、そもそも僕とこの世界との折り合いが悪いのだ。

 しかしたまに自分がオタクでなければどうなっていただろうかと思ったりすることはある。いや、少なくとも小さい頃はそういう時期もあったのだ。

 その時は友達もいたし、こんな窮屈な思いをしたことはなかった。特に隣の女の子とはよく遊んだものだ。今ではすっかり疎遠になってしまったけれど、僕にも幼馴染ってやつがいたんだ。

 だからこそ、僕はあっちの世界では間違えないように頑張ろうとした。最初に出会った冒険者に勇気を振り絞って話し掛けたり、その彼女に嫌われないように精一杯気を遣ったつもりだ。

 でもそれが結果的に彼女を泣かせることになってしまった。それでも、今のところは上手くやれているつもりだ。こちら側の自分を隠し、少しでも明るく振る舞い、ちゃんと自分の敵と戦った。

 あの世界は僕の贖罪であると共に、もう一度僕という人間をやり直すことが出来るチャンスでもあるのだ。しかしあれがただの夢なのだとしたら、何の意味もなさないのだが……。

 そんなことをツラツラと考えていると、やがて始業の時間になり、担任が教室に入ってきて軽く連絡事項を告げた後すぐに一限目が始まる。

 あっち側の世界と違って何も起こらない、何も起こさないように過ごす、平凡で憂鬱な一日が始まった。

 いつも通り、張り付くように一度も席から離れることなく三限目までの時間を過ごした。ここから六限目が終わるまで、ずっと同じように過ごす予定だった。

 しかし四限目が始まった辺りで身体に急激な違和感が走った。昨日の夜と同じような急激な睡魔が僕を襲ったのだ。

 授業中に寝ることは、先生に目を付けられ、その後いつもの男子生徒たちにも目を付けられるので、どうしても避けたい。だからこれまで、どれだけ眠くても授業を聞いている振りをしながら起きていた。

 だから僕はその睡魔に必死で抗った。しかしその抵抗も空しく、僕は深い眠りに落ちていった。




 目が覚めると魔除けの花が放つ光が僕の瞳を刺激する。いつの間にか、学校ではなく魔除けの花が咲き誇る例のダンジョンの中にいた。アイリスは僕の腕を枕にして眠っていたはずなのに、気付けば僕の横腹の辺りまで転がって眠っていた。いくらなんでも寝相悪すぎだろ……。

 それにしても、そろそろどちらが夢かわからなくなってきたな。どちらの世界も意識がはっきりしすぎていて感覚がごちゃ混ぜになってしまう。

 そんなことを考えていた僕は、違和感に気付いてハッと辺りを見回した。アカリがいない……。

 あれだけ一緒にいて欲しいと言っていたアカリが先に行ってしまうということはあまり考えられない。もしかして、アカリの身に何かあったのではないか……。

 僕は飛び起きてアカリの姿を探す。しかしこの辺りには誰の影も見当たらない。


「アカリ……、アカリ、どこにいるんだ。いたら返事をしてくれ」


 焦りによって急激に冷や汗が溢れ出してくる。僕はせわしなく辺りを見回しながら、セーフティゾーン中を必死で探しまわる。しかし目に付く場所にはどこにもアカリの姿はない。

 焦りに焦った状況で僕は完全に記憶が飛んでいた。僕は目に付いた茂みを掻き分けて、その先へと足を踏み入れた。

 その先に何があるのか僕は完全に忘れていたのだ。少し考えれば、この先に足を踏み入れたら何が起こるのか容易に想像できそうなものだったのに……。

 僕が茂みの先に足を踏み入れると、そこにはどこかで見たことがあるとても澄んだ色の水でできた池が広がっていた。そしてその中央辺りに、一糸纏わぬ姿のアカリが顔をこれ以上ない程紅潮させながらこちらを見ていた。

 アカリはまるで時が止まったかのように硬直し、片手でその首の下あたりの割と大きな膨らみを隠している。

 服の下からでも彼女のスタイルの良さは十分に分かったが、服の無い生身の身体は更にそのスタイルの良さを強調する。

 引き締まった腰なんてもう芸術品のようだった。無駄な肉は一切ついておらず、しかし、痩せこけて骨が見えているような不健康そうな身体という訳ではない。

 というか、こんな状況で僕は何をしっかりアカリの身体を観察しているのだろう……。


「あっ……、えっと……、その……」


 凄まじい勢いで脳を回転させて言い訳を考えたが、最早何も思い浮かばない。というか、回転させようとしても頭が回らない。こんな状況で落ち着いて会話をできる訳もないし、何より言い訳を思いついたところでその言い訳がアカリに通じる訳がない。

 僕は何を思ったのか、咄嗟に頭に浮かんだ言葉を口にしていた。


「そ、その……、良い身体だね……」


 そう言った僕の目線は、完全に片手で隠された部分を見ていた。男なら、そこに膨らみがあったら、どうしたって目が行くよね。これは、男の性だから仕方がないよね。

 などという僕の心の中の言い訳が聞き入れられるはずもなく、アカリはもう片方の手で水底にある割と大きな石を拾うと、ブツブツと口を動かす。すると、いつの間にか手に持っていた石が風を纏っていた。


「ちょ、ちょっと待って…。落ち着いて、そんなの喰らったら僕死んじゃ……」


 僕の言葉が最後まで綴られる前に、僕の頬を、風を纏った石が凄まじい勢いで通り過ぎた。その石が巻き起こした風が、僕の髪を大きく揺らし、その威力を暗に告げる。やばい……、これ喰らったらマジで死ぬ。

 僕が恐怖で固まっていると、アカリは更に水面に手を突っ込んで次の武器を準備しようとしていた。

 その時の僕はもう、アカリに焦点が合っていなかった。さっきまで、あんなにガン見していたのに、それどころではなくなっていた。

 アカリが次の武器を放つ前にこの場を離れようと、僕は必死に茂みの中に戻ろうとする。


「逃げるな、死ねえええええええ」


「さっきと言ってること全然違うじゃん」


「黙れ、大人しく私に殺されろおおおおおおおお」


「ぎゃああああああああああ」


 僕はなんとかアカリの砲撃から逃れて茂みの向こう側へと抜け出した。

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