第4話(1)

 市澤は、深雪とデートの約束をした日の事を思い出しながら、何故あの日、深雪を煩わしく思わなかったのだろうか、と考えていた。


「ねえ、未来、タコ焼き貰うわね」


 当の深雪は、そんな市澤を気にもしていない様子である。

 深雪は市澤に連れられて、文化村通りに面した雑居ビルにある居酒屋に入っていた。

 余程お腹が空いていたのか、深雪は、プラスチックのバスケットに入っていた通しのポップコーンを殆ど一人で平らげていた。

 そして、最初にオレンジジュースと一緒に注文していたタコ焼きが漸くやって来ると、その香ばしさに、すっかり周りの事など眼中に入らなくなり、タコ焼きの皿を半ば強引に手元に引き寄せて、独り占めにした。

 深雪は、タコ焼きの皿に一緒に添えられた竹串で刺し、プスッと潰れてホカホカの湯気を上げた丸い塊を一気に頬張る。

 口内一杯に広がる美味しさと熱さで、深雪は複雑そうに喜悦した。

 そんな深雪を見て思わず破顔した市澤は、無闇に訝る事を一旦止めにして、自分のコップに注がれているビールを口にした。


「……なあ。深雪君は前にも、他の誰かと居酒屋に入った事はあるのかい?」

「当ったり前じゃない。伊達に、この街で遊ンでる理由じゃないんですからね」

「じゃあ、飲酒は?」


 市澤に訊かれて、深雪は、先刻店員がタコ焼きの隣に置いて行った、シーフードサラダを抓もうとしていた箸を止めた。


「あ……あるわよ、当然じゃない」


 何故か深雪は、ばつが悪そうな顔をして答える。

 そんな深雪の表情に何を知ったのか、市澤は、にやっ、とした。


「何よぉ、その笑い?」

「いや、何。――飲酒の経験がある割には、居酒屋に入っても未だアルコールを注文しないから、不思議に思ってね」

「何よぉ~~未来、未成年にお酒勧める気?」


 深雪は、むすっ、と膨れてみせ、


「大体、あたしは高いカクテルしか飲まないんですからね。スクリュードライバーとか、バカルディとか、ダイキリとか。こんな大衆居酒屋にあるチューハイやビールみたいな安酒なんか、とてもとても」


 深雪が名を挙げた物は、何れもアルコール度数の高いカクテルである。特に、スクリュードライバーに至っては、度数が40~60%と、かなりアルコール分の強いウオッカを、オレンジ・ジュースで12%程度に薄めている(ビールは3・5%、清酒・ワインでも20%程度。それら穀物や果実を酵母で発酵させた醸造酒を蒸留し、熟成させて出来る蒸溜酒であるウイスキーやブランデーは43%もある)が、口当たりの良さに騙されて、つい飲み過ぎてしまい易いので、『Lady-Killer(美女殺し)』の異名が示す通り、昔から女性を酔わせて落すのに最適なカクテルとされている。

 

「……今挙げたお酒は、自分で頼んだ物かい?」

「うぅん。相手が勧めてくれるの」


 深雪が頭を振ってそう答えると、市澤は憮然となる。そして、何か考え込んでいるかの様に、暫く沈黙した。


「デートで、未成年にアルコール度数の高い酒を平然と勧める野郎にはロクな奴が居ないから、もう相手にしない方が良い」

「……何よ未来、もしかして妬いてんの?」

「そう言う理由ではない」

「あっさり否定するのね。つれないの」

「済まない。一寸腹が立ったので。相手を酔わせてモノにしようとする、さもしい下心を持った野郎は大嫌いでね」

「何、おっさん臭い事言ってんのよ、未来」


 深雪は肩をすくめて見せた。


「未来が軽蔑する様な人は、今まで居なかったわよ。皆んな、お酒飲んで終わり。

 大体、どっかの恋愛ドラマみたいに、誰も彼もそうホイホイと身体を許すなんてコトしないわよ。

 時々、週刊誌が造っているヤラセ記事や、漫画やドラマの演出と、現実の区別が出来ずにそんな勘違いをして、図に乗る莫迦がいるんだよねぇ。――まさか未来、あたしをそんなふうに見ていたの?」


 急にトーンを下げて問い質す深雪に、市澤は、手に持つコップをテーブルの上に置いて黙り込んだ。


「……済まない。そんな意図はなかったが、そう思わせてしまったのは確かに失礼だった。この通り、謝る」


 市澤はそう詫びて、テーブルの上に両手をついて深雪に頭を下げた。

 あまりの潔さに、深雪は返す言葉を無くしどうしたものかと苦笑いしながら、もう良いよ気にしてないから、と、市澤に頭を上げる様に言った。

 頭を上げた市澤は、未だ消沈としたままであった。

 そんな市澤を元気づけようと、深雪はビール瓶を持ってビールを勧めた。

 市澤は、コップに残っていた気の抜け掛けたビールを一気に呷り、空になったそれに、深雪の酌で新たにビールが注がれた。

 黄金色の上にかかる白い笠が、コップの縁を越えて溢れ掛けると、市澤は慌ててコップを口元に持って行き、ぐいっ、と呷る。

 半分程一気に飲んでコップを口から離すと、漸く晴れた顔になり、ふぅと溜め息を洩らして、残り半分を一気に飲み干した。

 市澤が気持ちよさそうに飲む姿を、頬杖を突いてじっと見ていた深雪は、市澤の手に持つコップを見て、


「ねえ、ビール、って旨いの?」

「飲んだ事が無いのかい?」

「高いお酒しか飲まない主義なのよ」

「何が高いのだか。――うん、余り好きではないが、まあ、馴らし運転のつもりで飲んでいる」

「あたしも飲みたいな」

「駄目。未成年だろう。俺は勧めない」

「ケチぃ、そんなの今更じゃない。少しぐらいい~じゃん」

「時には我慢する事が必要だ。そうしないと将来身体がボロボロになるぞ。僕の知人で、若いうちから羽目を外していた男がいるが、その結果、24にもなって2度目の水疱瘡に罹るわ、今では尿管結石でピーピー言っている体たらくだ」

「あたしなら大丈夫よ。あたしら女性は、男と違って、20歳前に立派な女になるんだからね」

「おう、過激な事を言うなぁ。――まあ、確かにそうではあるが」


 ふむ、と合点した市澤は、深雪にビール瓶の口を向ける。深雪は飲んでいたグラスのオレンジ・ジュースを飲み干し、空けたそれに少しだけビールを注がせた。


「おっとっとっと……おニイちゃん、なかなか話が判るねェ」

「ちょっとだけだぞ」

「充分。いっただきま~す!」


 深雪は、底に白い笠が掛かったグラスを口元に寄せた。

 グラスに注がれたビールを口にすると飲むと、深雪は突然、グラスから口を離し、顰めっ面を市澤に向けた。


「――ニッガ~~い?!何これ、良くこんなの飲んでいられるわね?」

「会社からストレスをお持ち帰りするサラリーマンのおじさん連中は、これが最高に旨いと言っているが」

「げぇぇ。やっぱ、おやぢ、ってディープだわ。――あら?」


 深雪は突然、眩暈を覚える。照れるつもりは無いのに、顔は一気に真っ赤になった。

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