第2話(2)

「はっ、動けるハズがあるまい? 『魔声(セイレーン・ヴォイス)』のキィコを甘く見ていたな。

 俺を捕まえるなら、俺が口を開く前に、捕らえるなり斃すべきであったな!」


 『魔声』。まさか、このキィコが普通に話す言葉の中に、ミリ秒単位の間隔で、可聴領域外の聴覚を刺激する超高速言語の催眠暗示が含まれていたとは。

 広告手段として今は禁じられているが、『サブリミナル広告』と呼ばれるものがある。

 映像の中に一瞬、一コマだけ、異なった映像を挿み、それを間隔を置いて行く度も繰り返し挿み込むと、その異なった映像は、人間の耳や目では知覚し切れない刺激となる。観賞者の潜在意識にその刺激が植えつけられる事で、購買関心の刺激となる広告である。

 もっとも現在では、そのような効果には科学的根拠が無い事は確認済みである。いわゆる都市伝説であった。

 しかし大脳生理学において、人間の知覚は意識下では認識できないが、無意識に認識する「無自覚の知覚」というものが存在する。

 人間の聴覚では認識出来ない、可聴領域外の音階も実は、多少なりとも人間の脳に影響を与えているという研究報告がある。

 キィコの『魔声』は驚くべきかな、人間の知覚限界を凌駕する超高周波領域の音声を発し、相手の潜在意識に暗示を掛け、自在に操るのである。

 キィコを追い詰めた美丈夫は、その術中にはまり、立ちつくしたまま沈黙していた。


「然しもの凄腕も俺の前では歯が立たぬか。『時次元監理局』の航時管制官全員だけで無く、管制用バイオ・コンピューターの記録装置からも、俺達が密航しているという情報を全て消し去った俺の『魔声』は伊達ではないわ、ふっ」


 失笑するキィコは、美丈夫の鼻先を指し、


「俺の『魔声』は、只、相手を眠らせるだけではない。

 仕掛けられた相手が最も恐れている者、或いは大切に想っている者に襲われる夢を見させて、相手の精神を破壊する事も出来る。

 たとえお前の様な凄腕でも、恐れている者、守るべき者ぐらいあろう。最も浮かばれぬ死に方で、精神を殺されるが良い!」


 勝利を確信して浮かべたキィコの笑みの、何と禍禍しい事か。

 術中にはまった美丈夫はこのまま立往生するだけ、と踵を返して、先にある『航時機』の許へ駆け寄ろうとした。


「……逃げても無駄だ、と言ったハズだ」


 その声は確かに、驚いて振り返ったキィコの後方から聞こえた。

 精神が崩壊しているハズの男の口から、それは洩れたのだ。

 

「何っ?!」


 全く予想外の事に、愕然とした貌をやにわに後ろへ向けたキィコは、その視界に、立ち尽くしていた美丈夫を捕らえた瞬間、全身を襲った無数の閃光のラッシュに弾き飛ばされた。

 五メートルほど吹き飛ばされた後、キィコは背中から地面に激突した。


「ば……莫迦…な……!」


 精神、肉体の両方に凄じいダメージを受けたキィコは、朦朧とする意識の中、闇色の視界の奥から滲み出た白い影を見た。


「き……貴様……『魔声』が………聞こえていなかった…のか……?」

「お前の『魔声』は、間違いなく僕の耳に届いていた」

「…何……だと?」


 今にも力尽きようとするキィコの貌に、僅かに驚きの色が広がる。


「……恐れを…知らず………守るべき……者も…無い……貴様…本当に人間か……?」


 喘ぎ喘ぎ尋くキィコに、しかし白い影は何も応えず、沈黙したままだった。

 そんな敵に、キィコは何を悟ったか。


「…へっ…哀れな……男よ………」


 僅かに憐憫の情も伺える、呪詛の様な侮蔑の声を漏らした後、キィコは力尽きた。

 白い影は無言のまま、その場に立ち尽くしていた。

 斃した敵を、只、見下ろしている美丈夫の胸に、果たして今、何が去来しているのか。

 闘いの終った静寂なる闇の中、独り佇む白い影――市澤未来(いちざわみらい)は、暫しの沈黙の後、自らの左手首に巻いてある腕時計のボタンを押し、内蔵されている亜空間通信機を作動させ、応答して来た『時次元監理局二十世紀支部』のオペレーターに、任務完了の旨を淡々と伝えた。

 

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