第12話 聖誕祭のミサ

 その夜は特別な晩だった。

 凍えた空気、乾いた冷たい風。いつもよりもはるか遠く感じられる夜空には、満天の星がきらめいている。

 果たしてその中のどれが、そのただひとつが、あの遠い遠い昔、三人の賢者を我らが嬰児の元へと導いたのだろう。

 最初に赤子を見つけた羊飼いの少年の気持ちを思うと、ウィレムは不思議と……柄にもなく、ひどく切ないような、はるか手の届かないところにある尊い幸福を垣間見たような気分になる。きっと彼がまだ子供だった頃、母に聞かされた歌が心に残っているのだろう。

 母は歌がうまかった。今でもウィレムが知るかぎり、女では最高の歌い手だと思っている。彼女は聖夜が近くなると、いや、真昼の灼熱の午後でも、よく歌ってくれたものだ。

「僕が見つけたんだ、あの小さな尊い方を。僕は嬉しくて太鼓を叩いた、そうしたら美しいマリア様は、こちらを向いて笑ってくださったんだよ。だから僕は太鼓を叩き続けるよ、あの方がいなくなってしまわれても。天から見守っていてくださるから、そこまで聞こえるように太鼓を叩くよ」

 聖母子を讃える歌だ。賛美歌ではない、庶民のコロスだが、それでも神のための歌だ。だが。

「そしたらいつかきっと、マリア様はまた笑ってくださるよ。いつかまた笑ってくださるよ」

 これは恋の歌だと、ウィレムは思っている。不謹慎なことは百も承知で。

 偶然出会ってしまった美しい人、再び永遠に出会えないことが分かっている人へ捧げる、初恋の歌だと。

 こんな話は誰にもしたことがないが、多分両親には……そしてあの二人の兄には、自分のこういうどうしようもない浪漫主義的な弱さは伝わっていることだろう。だから彼らは、自分に船乗りになることを許した。

「天の星の床を踏むには、我が一族はいささか罪を重ねすぎているから、天国の門は開かないかもしれぬが。そのかわり、この世の海に映る星の上ならば、いくらでも渡っていける。さあ、お行き。お前の船だ、船長」

 初めて船長と呼ばれたとき。『銀の狼』号が生まれたとき。いつもなら絶対に、私的なことすら口にしない次兄が、一度だけかけてくれた、優しい言葉だ。

 きっと二人の兄は……カイルとジルは、俺が海で死ぬと思っているだろう。そして、それならば悲しまないだろう。きっと誇りに思ってくれるだろう。

 もしかしたらそれだけが、ウィレムの望みなのかもしれなかった。

「船長様は、星がお好きですのね?」

 美しい声に思いを遮られて、ウィレムは不意に我にかえった。

「ああ、いや」

 振り返るとそこには、既に良く見知った顔……天使だと言われても今なら誰も疑わないであろう貴婦人が立っていた。真っ白なアルプス山羊のフードのついたマントを纏い、真珠の首飾りと耳飾りを付け、手には銀とベネチアガラスのロザリオをかけている。

 ジュリエット・キャピュレット・エスカラス・デ・ヴェローニア。

 ヴェローナ大公エスカラス公爵家継息夫人、キャピュレット準女男爵(セミ・バロネス)、貴種の中の貴種、そして口さがない庶民の中では、「悲劇の姫君」と呼ばれる美女。

「姫様、こんなところにいたらお体に障る。パリスに怒られますよ、中にお入りなさい」

 平静を装って言ったつもりだが、うまくやれた自信はなかった。

 まったく特別な夜という奴は、自分らしくもないことを考えるものだ。

「中の方が暑くて嫌なんだってさ」

 だが、彼女の後ろからついてきたパリスは、友人がいささか動揺していたことには気づかなかったようだ。ただ真剣に、病身の夫人の身を案じただけだと思ったのかもしれない。

「彼女に星の話でもしてあげてよ。退屈しのぎにさ」

「畏まりました、閣下」

 表情を誤摩化すためにわざとらしく一礼してから、ウィレムは彼にとって最も馴染みのある星を指し示した。

「夜空を見るのが船乗りの癖ってものでさ。北極星と、あの柄杓の形の星。あれでいつでも北が分かる」

 それは天の中央にある、さほど強く輝くわけではないが、船乗りにとっては最も価値のある星だ。

「北極星は動かない星なんだろ?」

 パリスが学のあるところを見せたが、それはあくまでも文書から得た知識だ。本職が経験から身につけた秘密を、今夜だけは特別に披露することにしよう。

「そう思うだろ? 普通は……多分世の中の千人のうち九百九十九人まではそう思ってるんだよ。だが、本当は違うんだ。それに騙されると、最初はほんのわずかなずれだが、最後には氷山の塊に突っ込むことになっちまう。俺の船には一等最新の羅針盤と星座盤があるって言っただろ? そいつを使うと、あの北極星が少しだけ、毎日ほんの少し動くのが分かる。そこを計算して進路を決めるんだ。だから俺の船は星にだって騙されない。俺の船は決して迷わない。俺の船は最高なんだ」

 ウィレムは堂々と言い放った。

 自慢ではない、これは自負だ。

「俺がどれだけ家族に甘やかされたか、俺はよく分かってるぜ。こんな出来損ないのぼんくらを船乗りにするためだけに、俺の家族は俺のために最高の船を作ってくれた。『銀の狼』は俺の船で、俺の棺桶だ」

 物騒なことを笑いながら言うと、パリスがそっと耳打ちしてきた。

「誰かに渡すくらいなら沈めてしまえ、だろう?」

「ああ。俺とお前は、そこだけは似てるよ」

 奥方には聞こえないように、ウィレムも小声で返した。

 本当に、そういうところだけは似ている。

 するとそのとき、二人に天使が話しかけてきた。

「お二人とも、神父様がいらっしゃいましたわ」

「おっと、なら中に入らないとな」

 ウィレムはさっさと靴音を立てて教会の中へと向かった。

 パリスは紳士らしく妻の腕を取り、庶民に開放された正面玄関ではなく、貴賓用の通路の方へと歩いていく。いくら仲が良くても、身分の違いはどうしようもない。教会のように人目につく場所だからこそ、親しげに隣に座ることなどできるはずもなかった。平民と貴族では、座るべき席がくっきり分けられている。


 そのとき、聖セバスティアヌス教会には、ほぼ全てのヴェローナの市民が集まっていた。人々は老若男女を問わず、聖なる子の誕生を祝い、彼ら彼女らの心は、罪なき人をこの世にお遣わし下さった神への感謝の祈りに満ちていた。

 祭壇の前に立ったマティアス神父は、いつもの黒い法衣ではなく、純白に金の刺繍をあしらった祭服を纏い、手には羊飼いの象徴である木の枝を象った銀の杖を持っている。実に立派な姿で、教皇庁お墨付きの威厳と品格が漂っていた。 こればかりはさすがと言わざるを得ない。

「ではお集りの皆様。この麗しきヴェローナの民、信心深き善良な魂の持ち主たちよ。これより、天なる神が子として遣わされた尊い御方のお生まれのとき、星のお導きによって齎されたこの聖夜を祝い、感謝を捧げるミサを、共に始めましょう」

 彼が厳かな口調で述べると、人々は頭を垂れ、手にしたロザリオを握ったり、古ぼけた聖書を胸に抱いたり、めいめいに祈りの姿勢になった。

「本日は、イエス・キリストがお生まれになった日です。まずは、神にお祈りを。西の天使ウリエル、東の天使ミカエル、北の天使サリエル、南の天使ガブリエルよ。どうぞ、我らが神の庇護の翼で、わたくしどもをお守りくださいますように。アーメン」

「アーメン」

 教会に集まった人々が詠唱するのを、マティアスは祭壇の上から満足げに見下ろし、親しみやすいが気品を失わない絶妙な匙加減で、クリスマスのミサを開幕した。

「さて、皆様。今夜、このミサでばかりは、私も率直に申し上げます。私は、時に忘れてしまうことがあります。まわりを見渡すことを。自らのまわりにいる人々を思うことを。そこに常にあるのが当然のことだとばかりに、自らが神の恩寵を受けていることを忘れてしまうのです。自らが苦しんでいるとき、自らが悲しんでいるとき、そのような人は往々にして自らのことをしか思うことができません。皆様はいかがですか。悲しみに打ち拉がれ、苦しみに悶え、この世の希望を失った心持ちのとき、あなたは神の存在を感じるでしょうか」

 ただ決まりきった聖句や聖書の一文を儀礼的に口にするのではない。あたかも集まった信者たち一人一人に語りかけているかのようだ。

「それは恐らく、困難を極める仕業です。どんなに救いを求めても、主がお応えくださらないように感じて、絶望の縁に追い込まれるかもしれません。しかし、それがあなた一人のことではないとしたらどうでしょう。実は、あなたの親しい友人や家族や、愛するひとが、あなたと同じように嘆きの川面を見つめていないとは限らないのです」

 集まった信者たちは、誰しもがマティアスの説教に聞き入っている。

「ですから、皆様。時折、ふとまわりを見渡してみてください。あなたの傍らに常にある人が幸福であるか。悲しんではいないか。苦しんではいないかと。そして、そのような人にこそ、手を差し伸べましょう。その人の手を取るとき、私たちは神の恩寵を感じるでしょう。我々は皆一様に迷い、悲しみ、苦しみの中にある。嵐の中の子羊のようなものです。どこに行くべきかも分からない」

 マティアスの言葉には、確かに人の心に訴えかける力があった。感激の涙を流している者も大勢いた。

「さあ、そのようなときにこそ思い出すのです。尊い神の子が、自らをなんとお呼びになったか。『我は神の子羊』とイエス様は仰った。そしてまた、我らこの世のすべての人々も、同じ名を持つ子羊であると」

 次第に彼の声は熱を帯びていく。人々は彼の一語一句に酔いしれた。

「我らは無力で無垢な、爪も牙もないか弱い子羊です。しかし、子羊は迷い苦しみながらも、決して光を見失うことはないのです。天からお見守り下さる神のまなざし、それこそ光です。朝の訪れを告げる夜明けの光も、宵闇の中のかすかな星の輝きも、今夜のような美しい月の蔭も、全てが等しく、神が子羊を導かんとして灯してくださっている希望の光です。月も星もない暗い夜には、こうして蝋燭を灯しましょう。そんな明かりすらもない暗い世界であろうとも、誰も我々から光を奪うことはできません。光は常に心の中にもある。さあ、ご自分のその胸に手をお当てなさい、そこには必ずあるはずです、希望という光が。夢という光が。そしてまた、愛という名の光が」

 彼は自らの左手を胸に置き、また右手で聖書に触れながら、ついにミサの最高潮へと信者たちを導く。

「それこそが神の恩寵であり信仰そのものです。無垢な子羊であることは幸福です。無垢であることはすなわち、それだけたくさんの光を、たくさんの愛を、たくさんの恩寵を受け入れるだけの幸福の中にあるということです」

 両手でロザリオを握りしめ涙する人々に、マティアスは静かに笑いかけた。

「さあ、皆で神の子のお生まれになった日を祝いましょう。そして共に祈りましょう。アーメン」

 信者たちが口々に祈りの言葉をつぶやく。

「アーメン」

「アーメン」


「アーメン」

 高貴な身分の人々が座る席からはかなり離れた、というよりほぼ最後列に座ったロザルド家の三兄弟は、一応は形だけの祈りの姿勢をとりながら、互いにかすかな笑みを交わし合った。

「あの男、巧いな」

「ああ」

「さすがは教皇庁から派遣されてきただけのことはある。見事なものだ」

 マティアスを初めて間近で見たジルベルトは、氷のような視線を神父に送りながら言った。

「これほどまでに儀式を盛り上げられる手腕の持ち主は、正直なところ貴重だ」

「だけど俺、あいつ大嫌い」

 ウィレムの不敬極まりない言葉に、長兄のカイラスは優しい口調で、まるで子供をあやすように言った。

「まあ、そう言うな。どうせすぐにこちらからはいなくなってしまわれるのだから、それまでの辛抱だよ」

 カイラスは人好きのする柔和な顔で、だが目の奥にだけは冷たい光をかすかに宿して付け加えた。

「使い勝手が悪くなったら、巡礼でも布教でも、こちらでお送りすればよい」

 やはり兄も、ロザルドの一族の男だ。

 長兄の言葉に、ウィレムはにやりと笑って頷いた。


 神父の尊い言葉が一段落し、聖歌隊が賛美歌の支度をしている間、ジュリエットは美しい天井のモザイク画を見上げて、不安げに訊ねた。

「あの……わたくし、この教会で結婚したのですよね?」

「そう。僕たちが結婚式を挙げたのは、確かにこの聖セバスティアヌス教会だよ」

 彼女が「わたくし」と自分個人を指す単語で言ったのを、パリスは即座に、そして巧妙に「僕たち」と言い換えた。

「でもね、全然覚えがないのは仕方ないよ、気にしなくていいんだ。新しい神父様がいらっしゃったから、それをきっかけにして義父上が美しく改修なさったんだよ。建て直してから君がここに来るのは初めてだもの」

 パリスは当時を懐かしむように周囲を見渡してから、改めて妻の手を取り、事実を笑顔で口にする。実際この教会についてだけは、全て事実そのものだ。

「あの頃のこの教会は、本当にぼろぼろで、石壁で囲われて、十字架と祭壇が何とかあるだけの、廃墟みたいなところだったからね」

「ええ、そうです……そんな気がします」

 ジュリエットは、黄金の瞳の焦点が合わないような、あるいはここではない遥か遠くを見つめているような目で、やはり自信なさげに言う。

 一瞬、記憶とともに心までを失ってしまったかのような、ひどくぼんやりとした表情をしていた。

「ああ、思い出してくれたんだね、僕のジュリエット」

 しかしパリスは、人目もはばからず、今が聖誕祭のミサの最中であることすら無視して、妻の痩せた体を強く抱きしめた。

 周囲の貴賓、あるいは遠くから見物している庶民の視線など、彼は全く気づかないふりをして、神父の説法よりも熱をこめて、妻への愛を口にした。

「僕はその頃、公爵家に養子になれるかどうかも分からない身の上だったし、君にはふさわしくない男だった。でも君は、僕を愛していると言ってくれて、そんな粗末な教会でもいいからって、二人きりで神様の前で永遠の愛の誓いをした」

 まるでその時のことを思い出しているかのように、パリスは切れ長の目を細めて妻と見つめ合った。

「立ち会ってくださったのが前任のロレンス神父様だよ。今は伝道師として遠い国へ行かれてしまったけれど」

「そうでしたの……」

 ジュリエットは夫の青い瞳に見入りながら、今にも消え入りそうな声でつぶやいた。

「駆け落ちみたいなものだったからね、粗末な教会に、ちゃんとした花嫁衣装も指輪のひとつも用意してあげられなくて……僕が君のためにあげられたのは、小さな野バラの一輪だけだった。それでも君は、とても喜んでくれて……そのときの君は、本当に美しかったよ、ジュリエット。二人で手を取り合って、神様への誓いの言葉を口にしたとき。僕は本当に涙が止まらなかった。僕はこんなに美しい人を、こんなに愛しい人を妻にしたんだって」

「パリス様、ありがとうございます」

「今でもその気持ちは、少しも変わっていないよ。それどころか、日に日に強くなっていく。僕は君のものだ、ジュリエット」

「そんなふうに仰って頂けて、嬉しゅうございます」

 パリスとジュリエットは、互いに見つめ合いながら涙ぐんでいた。しっかりと手を取り合い、衆目がなかったらそのまま口づけでも交わしていたかもしれない。はじめのうちはざわめきながら、あるいは不謹慎を咎めるような顔をしていた人間も、この絵画から抜け出てきたような、あるいは本物の天使の一対のような姿を前にして、かけるべき言葉を失っていた。

「微笑ましい会話だな」

「ああ、カイル兄」

「お前も早く妻を娶れ」

「やめてくれ、ジル兄」

 さて、なぜ遥か遠くの貴賓席に座している公爵継息夫妻の会話が、この三兄弟に筒抜けなのだろう?

 答は簡単、例の侍女だ。

「どうぞ」

 彼女はさりげなくウィレムに近づき、小声で紙切れを渡してはまた戻っていく。

 そこには、パリスとジュリエットの会話が一言一句漏らさずにそのまま書かれていた。

 侍女でなければ絶対にできない仕業だ。侍女は平民でも、貴賓席にいられる。侍女とはすなわち、貴婦人の傍らに付き従う、歩くハンドバッグだ。貴婦人は自分では荷物は一切持たない。侍女は貴婦人の付属物であり、そこに人間がいるとは、高貴な人々は気づきもしない。

 彼女は実際うまくやってくれた。ウィレムに強い酒を勧めたときには見え見えだったというのに、今は完全に影になり切っている。

「体は大丈夫かい? 少しでも具合が悪くなったら遠慮なく言うんだよ、君はそういうところを我慢しがちだから」

「でも、聖誕祭のおミサの途中で退席なんて」

「大丈夫。義父上にも神父様にも先に申し上げて、中座してもいいと特別にお許しを頂いてる。こんなに遠出するのは、目が覚めてから初めてだろう? みんな君が心配なんだ、とても大切に思っているんだよ。義父上にとっても、君は自慢のお姫様なんだからね」

「あの、実は……申し訳ありません、旦那様。わたくし、少し疲れてしまったようで、ちょっとくらくらして……」

「分かった。じゃあ、すぐに戻ろうね」

 かくして、パリスが妻を気遣って中座することも、すぐに三兄弟の元へと伝わった。

 だが、唯一今までの紙片とは違う筆跡が加えられていた。パリス自身の、少し神経質そうなくらい几帳面なアルファベットの羅列だ。

「ビル、こっちへ来て」

 その一言で十分だった。

 ウィレムは二人の兄たちに軽く目配せをしてから身軽に立ち上がり、侍女の後ろについて、あたかも侍女が仕えている先の従者かなにかのようなふりをして、貴賓席の中でも最も身分の高い人々が座している椅子の傍らに潜り込んだ。

「お呼びでございますか、閣下」

 わざと周囲に聞こえるように言ったのは、公爵家付きの馬丁か護衛兵だと思い込ませるためだ。

 パリスは椅子に座ったまま彼の方へと身を屈めて、こちらは極力周囲に漏れ聞こえないように声を潜める。

「よかったら、このまま抜け出して僕の館に来ない? ジュリエットも喜ぶよ」

「この後、大公殿下主催の聖餐会があるんじゃないのか。まあ、俺は最初から呼ばれてねえから関係ないが」

 ウィレムも小声で、パリスの耳元に口を寄せ、手で唇を隠しながら応対した。これならば、主人が家臣に内密の命令を下しているだけのようにしか見えないだろう。

「ジュリエットをもう休ませてあげたいからね。僕たち夫婦は、そっちには出なくてもいいってお許しを貰ってる」

「そういうことならお供するぜ」

 パリスは軽く頷いてから、愛する妻の手を取って立たせると、近くに席を取った貴族たち、そして義父であるヴェローナ大公殿下に挨拶した。

「マティアス神父様、我が義父上エスカラス大公閣下、それにご同席の皆様。大変申し訳ありませんが、妻の体調が優れませぬゆえ、今夜はこれにて離席させて頂きます。ご無礼と不信心の段、どうぞお許し下さいますよう」

「構わぬ、構わぬ。後は賛美歌と、少し聖書を読むくらいであろう。そのくらいならば神もお見逃し下さるわい、何よりジュリエットの体が一番じゃ」

 エスカラス公爵は鷹揚に頷き返し、早く行くように促した。

 ヴェローナの最高権力者の言葉に反論する者など、もちろんこの場には一人もいない。

 そのほんの数分後には、聖セバスティアヌス教会の門から、一台の馬車が走り去った。満点の星と、銀の十字架を背にして。

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