第29話:作戦開始

 突然起こった力の爆発に観衆は悲鳴をあげた。同時に吹き荒れた風が辺り一体を包み込む。消えることのないつむじ風が同時にいくつも現れて、梓もその勢いに一瞬目を瞑った。そして、一秒も経たず開けた視界の先に見えたのは大きく口を開けた陽太の顔。梓が悲鳴を上げる前に、その顔が何かに殴られて横に吹き飛んだ。殴ったのは勿論紅哉で、彼は梓の肩を抱くようにして彼女を守る。その側で昴が厳しく目を細めながら状況を分析していた。

「狙いは梓ちゃんって事? Fが自然に誰か特定の人物を狙うなんて考えづらいから、やっぱり誰かが糸を引いてる可能性が高いね。たまたまFに堕ちた弟君を裏で誰かが操ってるって考えるのが一番妥当かな?」

「まぁ、一番狙いやすそうな梓に的を絞っただけという風にも見えますが、隣にいる紅哉さんが見えない訳じゃないでしょうからその可能性が一番高いですね」

「あのシロって奴がまた裏で糸を引いてる可能性が高いって訳だよね。……つまり、月玄が裏切ったと見て間違いなさそうだな」

「ちがっ……」

「その可能性は低いだろう」

 昴が出した結論に反論しようとした梓の言葉を紅哉が遮る。紅哉のそのらしからぬ行動に、梓も昴も壱も、皆驚いたような顔をして彼を見返した。

「アイツとは陽太が堕ちたと知った瞬間一緒にいたんだ。それを聞いて取り乱していた上に『どうにかならないのか』と問いつめられた。アレは演技には見えなかった。あのシロという男は関わっているかもしれないが、おそらく独断だろう」

「なに? さっきまで一緒にいたの?」

「あぁ、取り乱していた。アイツもシロがどうのこうの喚いていたからおそらく俺たちと同じ結論に達したんじゃないか? ちなみに、アイツはシロを探すとか言って出て行ったぞ」

「え? 本気で庇ってる? なにがどうしてそうなったの?」

「庇ってない。事実を言っただけだ」

 昴の問いかけに紅哉の眉間の皺が深くなる。『庇っている』という言葉が不本意なのだろう。しかし今の発言はそうとしかとれなかった。

 梓もその勢いに乗ろうと昴に声を張り上げた。

「月玄、最近シロに会ってないって言ってました! それに陽太とも仲が良くて、親友みたいで! 月玄は陽太にこんな事しません!」

「えっと……なんだか俺が悪者みたいな雰囲気だなぁ。とりあえず、その件は保留にしようか。俺としても、月玄はともかく、二人の言葉は信じてあげたいからさ」

 昴は紅哉と梓から視線を外し、転がっている陽太に合わせた。そして低く声を出す。その声は少し焦りを含んでいた。

「でもまずは、あの子をどうにかしないとね……」

 起きあがった陽太はまた獣のような唸り声をあげた。


◆◇◆


 陽太は強かった。血統で言えば一流な上に、Fに堕ちているということで理性が無く、なりふり構わず常に全力で襲いかかってくる。更に言うとシロが操っている為か、箍が外れたような力の奔流は留まることを知らなかった。

 校庭のそこら中で起こる旋風はいろいろな物を巻き上げ、いとも簡単に草木を抜く。そしてその中に入った物は全てがミキサーにでもかけられたかのように粉々になってしまうのだ。

「鎌鼬かよっ!」

「そんな簡単な言葉ですませて良い物じゃないですよ、これは……」

 壱が昴の言葉に反応して口を開く。

 次々と旋風が四人を襲った。梓は紅哉に半ば抱き上げられるようにして逃げる。

 恐らく、殺すのならこんなに苦戦はしないのだろう。だが誰もがそれを口にしなかった。紅哉は殺したく無いのだろうし、他の者も紅哉に殺させたくなかったし、自分が殺したくもなかった。恐らく陽太まで自分の手で殺してしまったら紅哉はもっと苦しんでしまう。他の者の手で死んだとしても、それは大して変わらない。血塗れた手の感触は思い出さなくて済むかもしれないが、陽太の変わり果てた姿はきっと何度だって紅哉を苦しめる。

 陽太を殺すなら最初に昴がしようとしていたように、紅哉の目に触れず殺すしかないのだ。でも今はそれができる状況じゃない。

 そしてこの場で紅哉が陽太を殺すという事は、校舎の屋上で見ている子供達にも彼の恐怖を植え付けるということだ。ただの都市伝説が実際の恐怖に置き換わる。そうなれば紅哉は今にも増して後ろ指を指されるだろう。

 紅哉以外の誰しもがその事を懸念して、その決断をしきれないでいた。

 だから、その決断を下したのはやはり彼だった。

「昴、援護を。俺が陽太を殺す」

「紅哉さん!」

 悲鳴のように梓が声を上げる。昴も紅哉に勢いのまま怒鳴り散らした。

「馬鹿やろうが! それなら俺がやってやるよ! お前がやんなくて良いって言ってるだろうが!」

「大丈夫だ。壱、梓を頼めるか?」

「それは大丈夫ですが、本気ですか? 彼は貴方の弟ですよ?」

「心づもりは出来ている」

 紅哉は風が止んだ隙をついて梓を一旦降ろし、壱に預けようとした。しかし、梓は聞き分けのない子供のように紅哉の腕を掴んで離そうとはしない。

「おいっ!」

「ダメです! 絶対に! 紅哉さんは陽太を殺しちゃダメなんです! どうしても行くって言うなら、私もついて行きますから!」

 梓がそう言い放った瞬間につむじ風が壱と二人の間を裂いた。どちらも飛び退いて怪我はなかったが、腕にしがみついたまま離れようとはしない梓に紅哉は嘆息する。

 右へ左へ陽太の攻撃を躱しながら紅哉は腕の中の梓に声を掛けた。

「目を瞑って耳を塞いでおけよ」

「嫌です! 陽太を殺さないでください!」

「聞き分けがないことを言うな」

「紅哉さんだって殺したい訳じゃないでしょう?」

「当たり前だろう!」

 紅哉がそう梓に怒鳴る。それでも梓の視線は揺るがない。

「なんとかして、捕らえましょう」

「無理だ。もう少し弱ければ何とかなるが、あんな状態の奴を捕らえようとすれば二次被害がでる」

「弱く。シロから解き放たれれば陽太の力は弱くなりますか?」

「恐らくは……。でも、シロがどうやって陽太を操っているのか分からない以上はどうしようもない」

「…………ノミ」

「は?」

「シロに最初に出くわした時に獣達はノミで操ってるって言ってました。陽太もそうなのかも! ノミをどうにかして取り除けば陽太は解放されるかもしれません」

「どうやって……」

 そう呟いた瞬間に紅哉は視線を上空に移した。

 梓もそれに習って視線を移す。その瞬間に降り立った人影に梓は声を張り上げた。

「月玄!」

「良かった。まだ殺してないみたいだね。陽太のことは殺すなよ。いいな、アカオニ」

「……」

 その言葉に紅哉は剣呑な目を月玄に向ける。じゃぁどうする気なんだと視線で伝えているようだった。そんな視線を受けて、月玄は鼻先で笑う。

「シロは虫で人を操るのが得意なんだ。だからそれを殺せば陽太は恐らく解放される。ただ、どんな虫を使ってるかまでは聞いてないからわからないけどね」

「ノミじゃないかな!? さっきも話してたの。シロはノミを使って獣達を操っていたから多分陽太も!」

 弾かれるように梓が言う。梓のその言葉に月玄は頷いた。

「陽太の体のどこかを刺して操ってるのかもね。じゃぁ、僕が陽太の表面を撫でるように燃やしてノミを殺すから、力が弱ったところでアカオニと梓は死なない程度の重傷を陽太に負わせて。それで捕まえればいい」

 陽太が起こしたつむじ風をひらりと躱しながら月玄はそう言った。

「出来るのか?」

「誰に聞いてるのさ。真祖の力を信じてないわけじゃないだろう?」

 その瞬間に月玄は手を叩く。左右に広げるように両手を持って行けば無数の火の玉が現れた。そのどれもが青白い炎を纏っている。

「このままじゃ熱すぎるかな?」

 そう言って瞬き一つで青白かった炎が赤々とした物に変わる。温度が変化したのだ。

「アカオニこそ梓抱えたまま陽太に気づかれずに近づけるの? 壱とかいう女にでも預けてきたら?」

「そうしたいのは山々なんだが……」

「……」

「わかったよ。梓の好きにしていいよ。まぁ梓がいればアカオニも勝手に陽太のこと殺そうとは思わないでしょ」

 梓に睨まれた月玄はやれやれと肩をすくめる。

「作戦は決まった。後は実行するだけなんだけど、被害が出たらいけないからあそこの二人には生徒達守るように言っといてくれない? 僕から言っても聞かないだろうから」

 そう言って指すのは昴と壱だ。少し離れたところからこちらを見ている。

「あいつらなら心配ない。こちらが動けば最善の行動をするだろ」

「信用してるねぇ」

「俺よりは頭が良い奴らだからな」

「それならいいんだけどっ……とっ!」

 続けざまに来た風刃の塊を少しよろけながら躱した月玄は、もう一つ柏手を打って火の玉の数を倍に増やす。火の玉は生き物のように月玄の周りを回り、次の命令を待っているように見えた。

「隙を作ったりするわけじゃないから、勝手に隙を見つけろよ。しくじったら、ただじゃおかないからな!」

「……それこそ誰に言ってるんだ」

 紅哉と月玄は互いに剣呑な目を向け合うが、そこには以前のような殺伐とした空気はない。

 月玄が火の玉を放ったと同時に紅哉の足は地面を蹴った。

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