第25話:堕ちる

(やってしまった……)

 腕の中でぐったりと意識を失った梓を見ながら、紅哉は激しい自己嫌悪に陥っていた。倒れた原因は言うまでもないが、突発的な貧血だろう。要は血を吸いすぎたのだ。

 梓が月玄に敵意が沸かないと言い出したところまではかろうじて理性が勝っていた。それは薄々感ずいていたのだし、休戦をしたのだからと大目に見ていたところもある。だが、家族云々の下りで頭に血が上った。

 年頃の男女が家族になるという事は、おそらく結婚とかいう言葉が浮かぶような関係に二人がなっていたという事。恋人か、それに準ずるような関係に……。そこまで考え至るのに数秒もいらなくて、気が付いた時には無理やりに梓の唇を奪ってしまっていた。そしてそのままの劣情で彼女の首元に顔を埋めて血をむさぼるように飲んでしまった。


 今まで自分が彼女に対して我慢していたのはあんな男にくれてやる為じゃない。彼女が自分の所為で傷ついてしまわないためだ。

 もし自分がただの人間の男、もしくは普通の吸血鬼なら、この気持ちを伝えただろう。そのうえで彼女が応えてくれるのなら、ずっと宝物のように大切にするつもりだ。でもそれはそもそも叶わない。自分は“人間の男”でもなければ“普通の吸血鬼”でもないのだ。自分では彼女を幸せにできない。ならば近くで彼女が不幸にならないように見守る事に徹するしかない。

 いずれ彼女が選んだ男性と恋に落ちるとして、それは苦しいながらも許容できる。でも、なんでよりによってアイツなんだ。


 その時の劣情を思い出すと今でもその時の想いが鮮明に蘇る。でも、それにしてもやりすぎた。

(こんな男に好かれて、お前も可哀想だな)

 そう思うと月玄の方がよほど梓の事を考えて動いているような気がしてならない。こんな風に自分本位で襲って気絶させる男なんて最低としか言わざる負えない。つまり彼女が自分を選ばなかったのは正しかったんだろう。そもそも舞台に立ってもいないのだが……

 紅哉はその思考を前に深くため息をついて梓を抱きかかえた。このままの状態にしてはおけない。


「悪かった」


 応えない梓にそう言ったとき、知った気配が後ろに現れ、紅哉は咄嗟に振り返る。

「あーもー最悪。何してんの。ホントに」

 そこには呆れ顔の月玄がいた。怒っているというわけではなかったが、それでも機嫌が悪そうに眉を寄せている。

 自分の女を気絶させたにしては淡白な反応だが、もしかしたら内心では怒り狂っているのかもしれない。紅哉は何か言われるのを身構えるようにしていたが、月玄から発せられた言葉にびっくりしたように目をしばたかせた。

「保健室はこっち。とりあえず休ませないとダメだろ。お前が原因なんだからちゃんと運んでよ、アカオニ」


==========


「は? で、お前はそれ勘違いして梓をこんな目に合わせたの? 最悪な奴だね」

「……」

「確かに梓の言い回しも悪いと思うし、僕に対してした行動もそっちの立場からしたら褒められたものじゃないんだろうけど、それにしても血の吸いすぎで昏倒させるとか。なんなの? 馬鹿なの?」

「……」

「大体、そういう時は“家族”って言わずに“恋人”って言うもんだろ? 分かれよそれぐらい。あーやだやだ。これだから頭に血が上りやすい奴は」

「……それはお前に言われたくない」

「なに? 僕にそんな偉そうな口きいていいと思ってるの? 僕言っちゃおうかなー。アカオニが懸想してる相手って実は梓なんだよーって」

「……」

 ぐっと言葉に詰まる紅哉を見下したように見て笑う月玄は、誰の目から見ても勝ち誇った顔をしていた。



 保健室の前まで連れてきた月玄は、紅哉に梓が倒れてしまうまでの経緯を話せと強要してきた。そうしなければ保健室の扉を通させはしないし、更に言うならそこを燃やすと脅しもかけて……。紅哉がそれを断って屋敷に帰ろうとすると、


『なに? 自分のプライドの為に梓を休ませてもあげないんだ。最悪な奴だね。あぁ、自分の気持ちを曝け出すのが恥ずかしいとか思ってるなら、もう無駄だから。全部知ってるし、察してる。その上でもう一度言うけど、好きな女の安全を一番に考えろよ、アカオニ』


 そういっそう低い声で喧嘩を売られて、紅哉は渋々ながらに了承するしかなかった。確かに早く休ませるに越した事は無い。



 そして現在、紅哉はその時の自分の判断をものすごく後悔していた。

「アカオニってもうちょっと冷静な奴だと思ったんだけど、違ったんだねー。アレかな。恋は人を変えるってやつ? やだー思春期ー」

「……餓鬼が」

「その餓鬼と同じ年齢の女に懸想してるのはどこのどいつだよ。おじいちゃん」

「……」

 月玄に舌戦で勝てる日はきっと来ない気がする。

 梓をベットに休ませることができたのはよかったが、問題はこの勝ち誇った顔で嫌味を言う月玄だ。

 流石に無理やり唇を奪った件は言わなかったが、それ以外の事情を出来るだけ淡白に、気持ちがこもらないようにして話すと、月玄は呆れ顔で真実を話してくれた。要は勘違いだったらしい。

 その言葉を聞いて安堵する気持ちと、誤解なのに無理やり唇と血を奪って昏倒させたという自責の念がごちゃ混ぜになって紅哉は深くため息をついた。

 更に誤解をして襲ったという事実だけでも結構な心痛を呼ぶのに、月玄と来たらそれを更にナイフで抉らんかという勢いで嫌味を言ってくるものだから、紅哉の精神的なダメージは結構なものだ。

「まぁ、それはともかくとして、アカオニ、もうこういうのは無しにしといてくれる? 一応さ、弟らしいし姉の意向は汲みたいわけ。梓があんたたちのところ居るのはもうあきらめてやる。けどさ、こういうのが続くようなら僕にだって考えがあるから。それこそ縛って無理やり引き離すぐらいの事はしてやるつもりでいるから」

「あぁ」

 紅哉があんなに敵対していた月玄に、短いながらも大人しく返事をするのは確かに自分が悪いと思っているからだ。それを面白おかしく揶揄うかと思っていたが、月玄はふーと息を吐いただけだった。その面持ちはどこか緊張しているようにも見える。

「悪かったよ」

 そう言ったのは月玄だった。

 驚いたように目を丸くして固まった紅哉に月玄は続けた。もうやけくそといった感じで。

「アンタを殺しかけたことだよ。言っとくけど本心じゃないからな! 梓が謝れって言うから謝るだけ。僕は何も悪い事なんかしてないつもりだし、同じ場面になったら同じことをすると思う。けど一応梓の頼みだから謝っておくだけだ! 悪かったな!」

「……」

 びっくりしすぎて声が出ない紅哉にそっぽを向く月玄は恥ずかしいのか耳まで真っ赤にしている。一拍置いて落ち着きを取り戻した紅哉はゆっくりと声を出した。

「謝るな。そうなると俺もお前に謝らないといけなくなる。お互い様だろう、あの時は」

「じゃぁ、謝れよ。僕は梓に言われたから謝らないといけないんだから」

「悪かった」

「――――っ! お前にはプライドってものがないのかよ!」

「あと、ここまで案内してくれて助かった。俺が通ってた頃とはもう建物自体が違うから一人だと見つけられないままだった」

「開き直りやがって! 最悪だ! お前とはそりが合う気がしない!」

「それは同感だ」

 お互いにじっとりとにらみ合うが、今までの様な冷たい空気は漂ってない。むしろ今までより少し柔らかくなった雰囲気にお互いどうしていいのかわからないと言った感じが強かった。


 その時、紅哉がはっとしたように顔を上げる。

「……陽太?」

「なんだよ、陽太に何かあったの?」

 紅哉が焦ったように片目を隠すようにして黙り込んだところを見て、月玄は状況を把握した。恐らく今眷属と繋がっているのだろう。この街での彼の仕事は……確か……。そこまで考えて、月玄は近くの洗面台の鏡を叩いた。

「おい、アカオニっ! 僕にも見せろ! 陽太がどうしたんだよ!!」

 叫ぶように言う月玄に促されるようにして、紅哉が鏡に触れる。そしてそこに映し出されたのは街の中を歩く陽太の姿だった。しかし、それを彼だと一瞬では判断できない。なぜなら、彼の髪の毛は長く伸びきってしまっていてそれこそ引きづるようだし、目も虚ろで焦点が合ってない。だらりと口の端から流れる唾液は留まるところを知らず、足元だっておぼつかない。

 その姿に月玄の声が震える。紅哉も苦悶の表情だ。

「……よう…た?」

「陽太がFに堕ちた」

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