第23話:嫉妬

 時は少し遡り、二時間前。

 

「おい、コウ結構な有様だな。苦戦したのか?」

 身体の右半分だけが血に染まった異様な姿で紅哉は屋敷前で昴に声をかけられた。

「どうという事もない。頭を切り離したのにもかかわらず、ふらふらと近づいてくるから返り血を多く浴びただけだ。どうでもいいがタオルを取ってきてくれないか? このまま入ってもいいが掃除が面倒になる」

 はいはい、と軽快に返事をして屋敷に入った昴は浴室の隣のリネン室からタオルを持ち出し紅哉に投げて渡した。

「それにしても最近F堕ちする奴多いな。今週だけで三人目だぞ。今までは月に三人ぐらいだったのにな」

「正確には今日は二人だったから四人だ」

「一日に二人って……まじかよ」

「市嶋家の夫婦だ。二人とも同時にF堕ちしたらしい」

「あそこの夫婦が!? でも、あいつら吸血鬼に覚醒してからもう30年は経ってるぞ。なんでまた…」

「理由は知らないが、なんか変な感じがしたのは確かだ」

「変な感じ?」

「それもよくわからないがな」

 一般的にF堕ちするのは吸血鬼になったばっかりの不安定な吸血鬼か、吸血に覚醒できなかった者だ。吸血鬼になってからしばらくして堕ちるものも確かに居ないこともないのだが、それはとても珍しい事だった。そしてそれが二人同時に起こる確率はとてつもなく低い。紅哉も昴も今まで遭遇したことがない例だった。

 紅哉はガシガシと滴る血をやや乱暴に拭ってそのまま屋敷に入る。その苛々したような様子に昴は少しため息をついた。

「疲れてんのか? 今日聞いたんだが、最近丹様の要望で街の周りの警戒強めたんだって? 今何匹眷属作ってんだよ。キャパオーバーするぞ」

「常に繋がってるのは一匹だけだ。後のは何かあれば繋がるようになってる。全部で三十ぐらいか」

「全部で三十の眷属常時放ってるとか、お前何してんの!? 死ぬ気かよ。丹様も契約したからってお前の事馬車馬に働かせすぎだ。すぐ魔力も底尽きるぞ」

「そうだな」

 短く話を切ってシャワー室に入っていく紅哉の後姿を、昴は心配そうに眺めてまた溜息を一つついた。


==========


「さっぱりしたか?」

「人の部屋で何してる」

 紅哉の部屋のソファーに仰向けで寝そべって昴は部屋の主を迎えた。髪の毛をタオルで拭きながら怪訝そうな顔を向ける紅哉を気にも留めず、昴はヘラリと笑う。

「そろそろ梓ちゃん昼休憩だろ? 月玄の野郎が学校でどうしてるのかも気になるし、一緒に見せてもらおうと思ってな」

「お前暇なのか?」

「割と忙しいけど、何? 手伝ってくれる感じ?」

 いそいそと紅哉の前にノートぐらいのサイズの鏡を用意しながら、昴がおどけたようにそう言う。紅哉は諦めたようにため息をつき、その鏡を持つ。するとそこに映し出されたのは学校の校庭だった。次の瞬間にはぐるりと景色が動いて、屋上に固定される。

「なにこれ? 高いな。木の上?」

「あぁ、いつも昼食は屋上だからな」

「今日はお前の弟居ないみたいだな。梓ちゃん待ってるのアイツだけみたいだし。いつも三人で食べてるって聞いてたんだが」

「今日は…。あぁ、確かそろそろ陽太は成人の義だったはずだ。その準備で早退でもしたんじゃないか?」

「じゃぁ、今日は流石に梓ちゃんも一緒に食べないかなー。あの月玄と二人っきりだもんな。あ、来た来た」

 ちょうど梓が扉から出てくるところが映し出される。左右を確認してる様子からして恐らく陽太がいないことに気が付いたのだろう。そして、そのまま扉の方に戻……らなかった。

 二、三言話して月玄の隣に座る梓の様子に、昴がびっくりしたように目を見開く。

「ちょ、コウ! これ話聞けないの? 音、音は?」

「この距離じゃ聞き取れない」

 紅哉的にはいつものように放ったその言葉だったが、明らかにいつもより声色が低くて固い。聞いている昴はサーと血の気が引くのを感じた。

(怖い怖い怖い怖い!! 絶対怒ってる! 梓ちゃん、何してんの!!)

「コウ、梓ちゃんだって別に悪気があるわけじゃないんだから、帰ってもあんまり怒らないであげてほしいなー。なんて……」

「……」

「あ、うん。ごめん」

 無言で睨まれ、昴は冷や汗を流しながら反射的に謝った。

(どうして恋路を邪魔した本人ではなく俺が蹴られそうになってるんだよ。ごめん梓ちゃん、今日は大人しく怒られてて)

 心の中でそっと梓を生贄に出し、また鏡に目を落とした。

 梓は月玄の隣で普通に話をしながらお弁当をつついている。警戒心が無さすぎだと昴も思ったが、それが彼女の良いところでもあるのだ。警戒心が無いからこそ彼女が紅哉の心の中に入って深く根を伸ばしたのだろう。だから彼女のその在り様を責める気にはなれなかったが、この居た堪れなさは本当にどうしたらいいのかわからない。

 顔だけはいつも通りの仏頂面のように見えるが、立ち上るオーラが怒りに満ち満ちている。それは梓に対してもあるだろうが、大半は彼女の隣で会話してる月玄に対してのものだろう。

「男の嫉妬は醜いよ?」

「うるさい」

「嫉妬してるのは認めるのかー」

「うるさいと言ってるが?」

 じっとりと睨む紅哉の双眸がいつもより少し赤いく見えるのは気のせいではないだろう。

 あまりの剣幕に慌てて鏡に視線を戻した瞬間、目にした光景に思わず昴はたじろいだ。


 梓が月玄を抱きしめていた。


 戸惑うように梓の背中に月玄の腕が回されたところで急に映像は途切れた。なぜなら鏡が割れたからである。紅哉が持っている所を中心に鏡は蜘蛛の巣状に割れていた。

「こ、コウ? ちょっとマジで落ち着こう!」

「冷静だ」

「いや、いや、冷静な奴は鏡割ったりしないからね! そんな不穏な雰囲気背負ってないからね!」

「大丈夫だ」

 そういう紅哉の眉間には海溝よりも深い溝が刻まれている。そんな全然大丈夫そうに見えない彼がゆっくりと身支度を始めたのを見て、昴は慌てたように声をかけた。

「どこか行くのか?」

「迎えに行く」

「……。一応誰を迎えに行くのか聞いてもいいか?」

「梓」

「そ、そうか、いってらっしゃい」

 なんで今から迎えに行くのか? とか、午後の授業はどうする気なんだ? とか、聞きたいことは沢山浮かんだが、昴はそのまま送り出した。


「あんな死にそうな顔の男に何言えってんだ…」


 溜息と共に思わずそう漏れた。

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