第22話:最後の勧誘

 午前終了のチャイムが鳴り響き、梓はお弁当をもって月玄と陽太が待っているだろう屋上へ通じる階段を上る。

 月玄との休戦が決まった時、彼が休戦をする代わりにと言って出した条件が『梓と毎日昼食を食べる』というものだった。紅哉は結構反対したみたいだが、結局のところ昴の執り成しで『梓が拒否したら無理強いしない』『今まで通りの監視は続ける』という条件付きで月玄の願いは通り、休戦は成った。それからというもの三人で昼食をするのは梓の日課になっていた。もう正直、まったくと言っていいほど月玄に恐怖は感じない。

 階段を登り切った先、扉の向こうで梓は見知った後姿に声をかけた。

「お待たせー……って、あれ? 今日陽太はどうしたの?」

「聞いてない? 陽太そろそろ成人の義があるとかで今日は準備に午後から帰ったよ。一応当主も見に来るみたいで張り切ってた」

「そうなんだ。じゃぁ、今日のお昼は月玄と二人っきり?」

「え? なに? やっと意識してくれた?」

「いや、後で紅哉さんに怒られそうだから今日は遠慮しとこうかなぁって思って」

「……梓はぶれないね」

 ちょっと引いたような顔をする月玄の隣に座って、梓は笑いながらお弁当を開く。そんな梓の態度に月玄は少し驚いたような顔で首を傾けた。

「梓って、警戒心足りないって言われない?」

「え? なんで!?」

「いや。僕が言うのも何なんだって感じがするけど、さっき梓も言ったじゃない『今日のお昼は月玄と二人っきり』って……いいの? 僕てっきり、今日は一人で昼食ってなると思ってたんだけど…」

 そういえばと思い返してみれば、月玄と陽太と三人で昼食を食べることはあっても、月玄と二人っきりで食べたことは今までになかった。多分、月玄は月玄なりに梓に怖い思いをさせたという自覚があるのだろう。必要以上に二人っきりにならないように気を付けているのを梓もなんとなく感じていた。いつも昼食に陽太を誘うのは月玄の役割だ。

「なに? え? 変な事する気?」

 冗談交じりにそういえば慌てたような月玄が目に入って、新鮮だな、と思った。

「しない! しない! 梓が嫌がる事は僕もあまりしたくないからさ。まぁ、拉致監禁しといて何言ってんだって感じかもだけど」

「反省してるんでしょ? 知ってる。もう月玄は私に酷いことしないって」

 にっこりと微笑めば言葉に詰まったような顔の月玄と目が合った。先ほどの慌てたような表情もそうだが、困ったような狼狽えた表情を梓は初めて見たような気がする。いつも飄々としている彼が笑顔じゃないのは珍しい事だ。

 月玄が今までの事を反省しているというのは態度を見てれば明らかだった。今まで柔らかかった物腰は更に柔らかくなり、たまに見せていた人を見下したような嘲笑は今はもうほとんど見ない。飄々とした態度は変わらないが、言葉端に気遣う言葉を付けてくれることが多くなった。紅哉や昴に対してはあまり変わっていないが、少なくとも梓に対しては反省したような態度を取ってくれていた。

「……陽太に言われたんだ。『なにしたか知らないけど、兄さんをあんなに怒らせてるってことは多分月玄が悪いんだよね? 反省しないと本気で斉藤さんに嫌われるよ』って、ついでに『女の子に優しくしない男は最低だよね!』って笑顔で窘められた」

「月玄って何気に陽太に弱いよね?」

「……一応友達らしいし、忠告ぐらいは聞いてやろうって思ってるだけだよ」

 月玄は照れたようにぷいっと顔を背けるが耳まで赤いのが後ろからでも見て取れて、梓は思わず笑ってしまっていた。そんな梓の様子を月玄は口を尖らせながら見て、次の瞬間には少し真剣な表情になる。

「正直、梓には悪いことしたかなって今は思ってる。でも、あの時の僕はきっと何度やり直してもあの選択をすると思う。僕も必死だったから……」

「タイムリミットは、あと三年?」

 気遣うような梓の口ぶりに月玄はゆっくりと頭を振った。

「正直さ、あの時梓に言った理由は建前だったんだ。確かに梓から定期的に血を貰えればもう少しは長く生きれるかな、とは思ったよ。でもさ考えても見てよ、梓の血を飲んだって僕の体の中の血が真祖の物になるわけじゃないんだ。体の構造が変わって人間になるわけじゃない。君を研究してもあと三年で何の後ろ盾もない僕が僕の血を真祖の物に作り替えられる研究を成し遂げられる訳がない。せいぜい君の血を飲んでいる間はその血で自分を抑え込めるかな、ぐらいしか考えてなかったよ」

「え? じゃぁ、なんで……」

「僕はFに堕ちて化け物になるのも、死ぬのも怖くない。もしこのまま時間が経って僕が化け物になる事があるなら、僕はその前に自分の命を絶つつもりでいるよ。アカオニに処分されるのはどうにも気が引けるからね」

「……」

「僕はね、梓。君が欲しかったんだ。世界でただ一人、僕と同じ境遇の君が欲しかった。何のつながりもない僕のたった一つの繋がり。その繋がりがとても弱い事を僕はちゃんと知ってる。ただ同じ実験で作られたってだけ。でも僕は、血は繋がってないけど、君と家族になりたかったんだ」

「月玄……」

「ね、梓。僕はね反省はしているけど、後悔はしてないんだ。だって今、君とこんな風に話せてる。ほら、傍から見たら僕ら兄弟みたいに見えるんじゃないかな?」

 ゆっくりと笑う月玄が本当に幸せそうで、心臓がぐっと潰れそうなぐらい痛んだ。

 改めて自分は幸せだったのだと実感した。造られたという境遇は同じでも、自分には父がいた、母も居た。愛してくれる家族がいた。でも月玄には何もなかったのだ。愛してくれる家族も、笑い合える友も、目指すべき師も居なかった。繋がりと言えるほどのものもない梓に、あれほどまでに固執するぐらい繋がりが欲しかった、寂しかったのだ。

 そこまで考えて、梓は考えることを止めた。手に持った弁当を置いて、そっと隣の月玄を抱きしめる。ふんわりと香った石鹸の香りにぎゅっと回した腕を強めた。

「あずさ?」

「月玄、家族になろう。私でよかったら家族になろう」

 腕の中の月玄の気配が硬直する。それをほぐすように梓はその後頭部をそっと撫でた。

「同情?」

「同情って言われたら、そうかも。でも私は今、月玄と家族になってもいいと思ってるよ」

「馬鹿じゃないの? 僕は梓に酷いことしたのにさ。警戒心が足りないよ」

「よく言われる。壮絶な兄弟喧嘩だったね」

「馬鹿だ」

「ちゃんと紅哉さんたちには謝ってほしい。私はいいからさ、兄弟だし」

「梓には謝ってもいいけど、あいつ等には謝りたくないし、あんまり悪いことしたって今も思ってない」

「ダメ。お願い。家族なんだから、少しは言うこと聞いてよ」

「馬鹿だなぁ」

「馬鹿でしょ?」

「ん」

 少し頷いた月玄の口から、ありがとうと言葉が零れて、梓は抱きしめていた腕をほどいて月玄を離した。

「じゃぁ、梓おねぇちゃんって呼んでもいいよ」

「梓が姉なの? こんなに頼りなさそうなのに」

「いいじゃない。私弟欲しかったの!」

 お互いに少し笑い合って、ふと見た月玄の瞳から涙がこぼれていた。

「おかしいね。嬉しいのに。かっこつけたいのに…」

 ごしごしと涙を拭って。そうして笑う彼は、どこか付き物が落ちたような表情をしていた。

「友達も姉弟も居るなんて、僕は幸せ者だなぁ」

「うん」

「じゃぁ、姉弟としてさ。もうこれが最後」

「うん?」

 嬉しそうでそれでいて真剣な瞳がゆっくりと細められる。

「最後の勧誘だよ、梓。僕と一緒にこの街を出よう。梓のお父さんも連れてここから逃げよう? 君があいつらのモルモットになる必要なんてない。追手が気になるなら僕が全部何とかしてあげる。だからさ……僕の手を取って、梓」

「月玄……」

 ゆっくりと頭を振って、月玄から少し距離を取る。それでも触れようと思えば届きそうな距離にいるのが、月玄への信頼の証のようだった。

「私さ、馬鹿だから、今のこの生活ももう馴染んじゃって、このままでも悪くないかなって思ってるの。そりゃもし解剖されるとかってなったらすごく嫌だし、全力で逃げるけど。壱とか昴さんとか、紅哉さんとかがそんな酷い事しないと思うんだよね」

「ほんと馬鹿だなぁ……」

「私もそう思う。あと、此処に居たら月玄を救う手立てだって見つかるかもしれないじゃない?」

「僕の事はもういいよ」

「弟の一大事だから、そういうわけにもいかないでしょ」

「ばかだ」

「馬鹿、馬鹿、言って酷いよ! それにね、私、紅哉さんの契約者だから。勝手に居なくなったらダメでしょ?」

 そう言って笑う梓の頭を月玄は撫でる。そして、しょうがないなぁと苦笑いをした。

「馬鹿な姉を持つと、弟は苦労するなぁ」

「諦めてよ」

「わかった」

 それからしばらくして昼休憩の終了を知らせるチャイムが鳴った。

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